『通勤電車でよむ詩集』小池昌代・編著(NHK出版生活人新書)より
■詩は、シロウトなんだ。
でも最近、努めていろいろ読むようにしている。
童話館の『ポケット詩集』とか、谷川俊太郎とか、石垣りんの詩集とか。同人「荒地」の田村隆一の詩集や、タオ以前の加嶋祥造の詩集とか。あと、これはと思う詩人が編んだアンソロジーとか。『詩のこころを読む』茨木のり子(岩波ジュニア新書)や『詩の力』吉本隆明(新潮文庫)。
最近でた中では、『通勤電車でよむ詩集』小池昌代・編著(NHK出版生活人新書)がよいな。
シロウト向けかと油断したら、思いのほか手強い。安易な気持ちで手に取ると、ナイフで突き刺されたかのような
危ない「ことば」がいっぱい詰まっている。下手に理解しようなどとしてはいけないのだな、詩は。
そんな中で、初めてよく判る詩に出会った。これだ。
「胸の泉に」 塔 和子
かかわらなければこの愛しさを知るすべはなかった
この親しさは湧かなかった
この大らかな依存の安らいは得られなかった
この甘い思いや
さびしい思いも知らなかった人はかかわることからさまざまな思いを知る
子は親とかかわり
親は子とかかわることによって
恋も友情も
かかわることから始まってかかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴るああ
何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
私の胸の泉に枯れ葉いちまいも
落としてはくれない
小池昌代さんが、何故わかりやすい「この詩」を載せたのか?
作者、塔和子さんの略歴を読んで、
初めてその意味がわかった。
塔和子さんは、1942年にハンセン氏病となり、翌年からずっと香川県国立療養所大島松園での隔離生活を余儀なくされた人なのだ。国から、社会から、世間から、強制的に隔離されて、人のとの「かかわり」を一方的に拒絶されてしまった人なのだ。そういうことを知ると、「この詩」の意味が 180度反転して、ぼくの心に突き刺さってくるのだった。
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