日常 Feed

2012年3月23日 (金)

一年ぶりの『上伊那医師会報・巻頭言』

■「上伊那医師会報 2012年/ 3月号」の「巻頭言」を書く当番がまた廻ってきた。医師会事務局の稲垣さんから「北原先生、次号の巻頭言、3月16日が締切ですから宜しくお願いします」というメールがきたのだ。あれは、2月24日のこと。


医師会報の「巻頭言」は、上伊那医師会の理事が持ち回りで書くことになっている。前回ぼくが書いたのは、ちょうど1年前の「3月号」だった。それが、「この文章」だ。


タイムリーな話題であったこともあり、この文章は『長野医報』に転載され、さらには『千葉県医師会雑誌』にも載せていただいた。たいへん光栄なことであった。そこで、2匹目のドジョウではないが、今回も「ツイッター」のはなしで行くことに決めた。タイトルは、「当事者の時代」だ。


何故かというと、前回の文章の中で佐々木俊尚氏の『キュレーションの時代』(ちくま新書)を取りあげていたので、今回も、佐々木氏の1年ぶりの新刊『「当事者」の時代』佐々木俊尚(光文社新書)から「いただく」ことにしたのだ。勝手に盗用ごめんなさい。


ただ一番の問題は、この巻頭言の締切が『「当事者」の時代』佐々木俊尚・著の発売日である 3月16日(金)であったことだ。タイトルを戴くことは決めていたものの、さすがに本文も読まずに使ったのでは気が引ける。で、当日の夜に「いなっせ」西澤書店で「この新書」を見つけて買って帰った。ところが、ぺらぺら捲ってみたら、ぼくが予想した内容の本とはどうもちょっと違う本であるらしい。困ったぞ。


というワケで、「この本」からは単にタイトルだけを戴いて、内容は以下の本、ネット上の文章、などを参考にして書き上げました。ですので、どこかで読んだことあるような主張だなぁ、と思われてもしかたありません。ぼくオリジナルの考えではないのですから。それから、以下の文章は上伊那医師会報に投稿したものを、さらに改稿増補したものです。


<参考文献>

『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』中島岳志・対談集(金曜日)
『瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ』辺見庸(NHK出版新書)

・ほぼ日「しがらみを科学してみた」
・ほぼ日「メディアと私 糸井重里 × 佐々木俊尚」

・小田嶋隆「ア・ピース・オブ・警句」 より「メディア陰謀論を共有する人たち」
・小田嶋隆「ア・ピース・オブ・警句」 より「レッテルとしてのフクシマ」


          当事者の時代           北原文徳

 ちょうど1年前に「Twitter」のはなしを書かせていただいたのだが、今回もその続きです。ネットを見ていたら「やるだけ損? 芸能人のTwitter利用の是非」という記事があった。雨上がり決死隊の宮迫博之の呟きがもとで炎上状態になったとのこと。で、実際のツイートを読みに行ったら、過大広告も甚だしい、たわいのない内容のボヤでお終いじゃないか。なんだ、つまらない。


 ところで、宮迫のフォロワーの数は618,409人、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の北村役でブレイクした「ほっしゃん。」が130,535人、それから、文化人だと糸井重里氏のフォロワーは479,748人もいる。ちなみに僕のフォロワーは231で、そのうちの2/3は営業アカウントだから読者じゃない。つまり、Twitterというツールは、あくまで有名人の個人ラジオのリスナーとして一般人の多くが参加するプラットホームなのだ。そういう意味ではフォロワーの少ない無名人が情報発信するツールではない。


 ところが、Twitterの面白いところは「メンション(言及)」を飛ばすと言って、@アカウントで直接その有名人に関して誰でも呟けるので、運良く彼(彼女)がそのツイートを目にして気に入り「リツイート」すれば、彼のフォロワー数十万人が瞬時に自分の発言を読むことになるのだ。


しかも、あからさまなヨイショ発言よりも攻撃的で批判的な発言のほうが感情的になった有名人は「晒し」の意味合いを込めてリツイートすることが多い。そうまでして有名になりたい悪意に満ちたバカな輩がネット上には多いからほんとウンザリしてしまうし、そういう事態すら予測できずに、ただ単に有名人の悪口を気軽な気持ちで呟いただけなのに、いきなし「その有名人」のファンから猛烈な非難の攻撃を受けてしどろもどろになり、「有名人が僕のような無名人を晒してイジメるのは卑怯だ」みたいな最後っ屁を残して自分のアカウントを削除するアホがいっぱいいることがほんと情けない。


 さらに厄介なのは、悪意のかけらもなく自らは善意と正義の使者の如き輩がネット上を徘徊しながら、まるで旧東ドイツの秘密警察気取りで、他人の発言の揚げ足取りや吊し上げに躍起になっている無名人がいることだ。彼らは、あの 3.11 後に一気に勢力を拡大した。被災した人々に対して不謹慎な発言だというのが彼らの論理だったが、さらに問題を複雑にしてしまったのが福島第一原発による放射能被害だ。


 彼らは「弱者」を勝手に代弁する人々だ。自らは安全地帯に身を置きながら、東京電力や原子力ムラを絶対的な悪として徹底的にバッシングした。これは一面正しい。僕も基本「脱原発」だから。


ただ問題は「私は加害者とは何にも関係ありません」という正義の味方的な態度にある。じゃぁ、あんたは福島第一原発が放射能を撒き散らす前から「原発反対」の旗頭を上げていたのか? 当たり前のように福島第一原発で作られた「電気」を利用していたのではないか? となれば、あんただって「加害者」という「当事者」なのではないか?


そのあたりの傍ら痛い感覚を、下諏訪町在住の樽川通子さんは信濃毎日新聞「私の声」に投書したのだ。


だから、彼らの東電バッシングは、反面多大な危険性を秘めることとなる。われわれ日本医師会を含め過去の既得権にしがみつく者たちを悪の根源として徹底的に批判してきたのが自民党小泉政権であり、いまの橋下大阪市長なのだ。敵を断定し、ズバッと切ってくれる政治家を今の大衆は渇望している。そこには微かにファシズムの足音が忍び寄っているのではないか?


 『瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ』辺見庸(NHK出版新書)のあとがきを読むと、この本のテーマは「言葉と言葉の間に屍がある」がひとつ。もうひとつは「人間存在というものの根源的な無責任さ」である。と書いてあった。この言葉は重い。当事者のみが語ることができるということは、3.11 一番の当事者は、2万人にもおよぶ死者たちなのだから。     


2012年3月19日 (月)

伊那東部中学校卒業式での、3年生「フィンランディア」

■先週の金曜日、3月16日は、伊那東部中の卒業式だった。 わが家の長男も、無事卒業することができた。ほんとよかった。 以前にも書いたが、ぼく自身のダメダメな中学校時代と違って、わが長男の中学校生活は、陸上部の部活動に完全燃焼したまさに由緒正しき「古典的正統派中学生」だったと思うのだが、彼に訊いてみると必ずしも順風満帆ではなかったようだ。彼なりに小さな挫折と失敗、苦難と反抗を繰り返してきたのだという。そうかそうか、ほんとよくがんばったな。 卒業おめでとう!  


YouTube: 2012年3月16日 伊那市立東部中学校卒業歌 フィンランディア

■卒業式当日は、診療があったので参加できなかったし、中継録画した伊那ケーブルTVの番組を契約切れで見れなかったので、妻の話だけから想像するしかなかった、伊那東部中の卒業式だったが、ラッキーなことに、当日3年生294人が歌った卒業歌「フィンランディア」が YouTube にアップされていた。これが、圧倒的迫力の混声合唱でほんと素晴らしい!! 指揮をした唐沢流美子先生は、伊那東部中「合唱部」顧問として長年指導し、伊那東部中を全国大会でも常勝の合唱部に育て上げた凄い先生。でも、今年度を限りに引退することが決まったのだった。

2012年2月28日 (火)

体調不良から回復しつつある日々

■久し振りの体調不良に参っている。


それは日曜日の未明だった。突然、突き上げるような吐気と、キリで突き刺したかのような腹痛に見舞われ目が醒めた。枕元の目覚まし時計を見ると午前3時半。全身ぐっしょりと嫌な汗をかいている。


これはヤバイぞとベッドから這い出し、そろりそろりと階段を降り何とか1階のトイレに駆け込んでそのまま便座にうずくまった。額からは冷や汗が流れ、ぞくぞく寒気がした。吐きたいのに吐けない。これは辛い。吐きさえすれば楽になれるのに。そんなかんなで、15分くらいじっとしていただろうか、急に便意を催して排便したら(まだ下痢ではなかった)不思議と吐気と腹痛が遠のいて、そのまま炬燵に潜り込んで腹を抱えて朝まで寝た。


日曜日は、午後になったらずいぶんと回復したので、ちょいと無理してテルメに行って走ったのがいけなかったのだな。夜になって再び寒気がして熱が出た。腹痛は続いたが下痢はなく、夜は夕食の「ほうとう」は食べれたのだが……。


夜中に何度も目が醒めて、嫌な汗をかいたが、月曜日の朝には解熱していた。インフルエンザかも? と、NHKBSで『カーネーション』が終わったあと、妻にたのんで綿棒を僕の鼻の奥まで突っ込んでもらい、インフルエンザの迅速検査をした。このところ、毎日毎日厭きもせず何十人もの患者さんの鼻の穴に綿棒を突っ込む日々が続いていたのだが、まさか自分が「される側」になるとは思わなかった。正直に言うと、「される」のは初めてなのだ。確かにこれは辛い検査だなぁ。


結果は陰性。そうかフルではないんだ。となると、ノロウイルスか?

■じつは嫌な記憶が甦っていたのだ。


あれは今から30数年前のこと。当時ぼくは茨城県筑波郡谷田部町春日3丁目にあった木造2階建アパート「学都里荘(かとり荘)」の 201号室に住んでいた。たしか土曜日の夜だった。103号室に住んでいた佐久間と、松見公園前の飲食店街に入っていた「290円屋」という名の炉端焼きの店で2人呑んだのだ。


小さな黒板に、<本日のおすすめ>が何品か載っていて、その中に「酢牡蠣」があった。もちろん、290円だ。「なぁ、カキ食おうぜ!」そう言って注文したかどうかは忘れてしまったが、「もみじおろし」がちょこんと載った3個の小さな牡蠣を確かに食った。この日はしたたか酔っ払ったように思う。二人して千鳥足で歩いて学都里荘に帰り着き、「じゃあな、おやすみ」と言って別れて2階に上がり、そのまま万年ぶとんに潜り込んだ。


そしたら日曜日の未明午前3時半だ。
ぼくは突然の吐き気と突き刺すような腹痛に襲われた。脇の下に嫌な冷や汗をかいていた。

必死の思いで部屋を出て、ほとんど這うようにして、斉藤保が住んでいた 205号室の前にある2階の共同便所に入り、便器をかかえるようにして吐き続けた。何度も何度も。30分くらいそうしていたかなぁ。ようやく落ち着いて、再び這うようにして自分の部屋に戻ったかと思ったら、今度はぐるぐるぴーの水様下痢が始まった。


そんなかんなで、日曜日は一日中2階の共同便所と201号室を這って行き来することの繰り返しだったのだ。あれは、いま思い返してみても、ほんと辛かったなぁ。


そうして明けて月曜日の朝。げっそりとした顔でアパート1階に降りて行って、103号室の佐久間を訪ねたら、僕よりゲッソリとやせ細って青白い顔をした佐久間がふとんに伏せっていた。訊けば、彼も1階の共同便所と自分の部屋とをただただ繰り返し這って行き来しながら吐いて下痢し続けていたのだという。


それを聞いて、ぼくは何だかすっごく救われた気がした。そうして、思わず笑ってしまったのだった。あはは! ってね。


■で、今回の状況は「あの時」とほとんど同じだったのです。なんと、土曜日の夜の飲み会で、実は大きな「酢牡蠣」がでて、新鮮そうだったから僕は2個ぺろりとたいらげ、汁まで飲み干したのだった。


だから、やられたなぁ、と即座に思ったワケです。


ところがだ。月曜日の夜、土曜日の夜の会に同席した2人の人に会って「大丈夫でしたかぁ?」って訊いたら、二人とも何ともなかったんだって。じゃぁ、原因は別のところにあるのかなぁ。何となく納得がいかないなぁ。「あの苦しみ」を、是非とも共有したかったのに……。

2012年1月24日 (火)

トイレで読む本と、SHURE/ SE215 を買ったこと。

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■この2年半使ってきたイヤホン「SHURE/ SE115」が、とうとう断線して接触不良を来すようになってしまった。これだけハードに使ってきたのに、それにしてもよく耐えて保ってくれたものだ。このイヤホンにしてから、本体の iPod Shuffle のほうは4機替わった。コイツの前に使っていたのがやはり「SHURE/ E3」。1万円前後のイヤホンの中では一番評判がよかったのだ。


仕方ないので、新しいイヤホンを購入することにした。となれば、後継機種もやはり SHURE かな。というワケで、ネットを検索したら1万円前後の価格帯で昨年「SHURE/ SE215」ってのが出ていることが分かった。しかも、なかなか評判もいいじゃないか。思わず何も考えずに amazon のボタンを「ポチ」っと押してしまったら、今日の午前中にもう届いた。


さっそく聴いてみる。もちろん、エイジングしてからでないと本当の実力は分からないのだが、 SE115 よりもずいぶんとダイナミック・レンジが広い。左右ワイドに音が横に広がる感じがする。低音もよく出ているし、高音の切れもいい感じだ。ただ、まだちょっと耳にキツイかな。もう少し慣らせば良い感じになるような気がする。


耳へのフィット感は、この SE215 が一番いいんじゃないか。


ただ、やたらとコードが長いのが困る。これはちょっと邪魔になるな。巻き取り器がやはり必要だ。

2012年1月18日 (水)

なんか、お芝居をナマで観たいのだ。

■最近無性に「芝居」が観たいと思うのだった。


最後に観たのは、伊那のパパズの伊東先生から譲ってもらったチケットで、駒ヶ根文化会館の前から3列目の席で観劇した劇団四季のミュージカル「クレイジー・フォー・ユー」。主演のボビー・チャイルド役は加藤敬二だった。ダンスも歌も抜群だったな。ガーシュィン・ナンバーのジャズも最高だ。役者さんの汗まで見える、かぶりつきの席もよかった。これだけの席はなかなか取れません。


その前に観たのも、やはり劇団四季だ。数年前の年末に家族で東京へ行った際、四季劇場で『ライオン・キング』をファミリー席で観た。舞台装置、演出、衣装、役者さん。みなスゴク洗練されていて感心した舞台だった。


あと、家族で観たお芝居は、7年前まで「伊那おやこ劇場」に参加していたから結構ある。ディズニー・アイスショーとかも見に行ったなぁ。シルク・ド・ソレイユのサーカスも代々木に観に行った。


富士見に住んでいた時に、岡谷カノラホールで観たお芝居が、劇団離風霊船の名作『ゴジラ』だった。この時、主演の高橋克実を初めて見た。当時はまだ、髪の毛「ふさふさ」だったよ。あのラストは衝撃的だった。舞台であそこまで表現できるとは!


松本にいた頃は、夫婦で松本市民劇場に加入して、2ヵ月に1ぺん、いろんなお芝居が観れた。その前に松本に居た時はまだ独身で、あの頃は何故か松本で演劇が盛り上がっていて、毎年「松本現代演劇フェスティバル」が開かれていた。

その時に観たお芝居が、ブリキの自発団「夜の子供」。それから、善人会議『新羅生門』も見た。主演は六角精児。大杉漣、片桐はいり、高橋克実らをナマで見た時は思いもしなかったな、彼らが連日のようにテレビに登場するようになるとは! あと、劇作家・北村想が主宰する名古屋の劇団「プロジェクト・ナビ」の宮澤賢治を主題とした芝居も観たなぁ。その前年には、松本城の横の野外で「寿歌西へ」が上演された。これは残念ながら観られなかった。


ぼくは映画青年ではあったけど、演劇には正直言って興味はなかった。だから学生の頃は、ほとんどお芝居を観ていない。だからこそなのだが、当時、平砂学生宿舎共用棟「娯楽室」で上演された、筑波小劇場の『飛龍伝』つかこうへい原作、山登敬之主演の芝居が、いまだにものすごく印象に残っている。つかこうへいを知らなかったしね。ましてや「熱海殺人事件」も「蒲田行進曲」も。


芝居の劇場は、映画館の雰囲気とは似ているようでぜんぜん違う。それは、舞台上の役者の息づかいが、客席にいてもリアルに生で体感できることだ。役者と観客とが一体となって「場の空気」を作り出す。しかもそれは再現不可能であり、一期一会なのだ。


■ところで、そんな「お芝居素人」のぼくではあるが、数少ないながらも今まで観てきた中でベスト3を選ぶとしたならば、そうだなぁ。


1位:劇団自由劇場 『上海バンスキング』
2位:劇団転形劇場 『水の駅』『砂の駅』
3位:劇団こまつ座 『きらめく星座』


かな。

あぁ、ナマでお芝居が観たいぞ!

と、昔に録画しておいた、NHKBS2「ミッドナイトステージ館 昭和演劇大全集」加藤健一事務所『寿歌』(北村想・作、1982年、新宿紀伊国屋ホールにて収録)をテレビで観ながら切にそう思うのだった。


『寿歌』のポイントは、「キョウコはん」だ。彼女のIQは少し低い。たぶん75ぐらいか。一応正常範囲内だが、境界線領域の知能。このお芝居ではそこが重要なんだ。


■今年の1月5日に初日を迎えた、シス・カンパニーのお芝居『寿歌』には、いままでなかった「プロローグ」が原作者の北村想によって書き加えられたのだという。


北村想さんが、キョウコ役の「戸田恵梨香」を見て、是非にと書き加えたのだそうだ。戸田恵梨香が演じる「キョウコはん」て、どんななんだろう? ああ、観てみたいぞ。


2012年1月10日 (火)

おせちも飽きたらカレーだね!

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■「ほぼ日刊イトイ新聞」の「カレー特集」がじつに面白い。読んでいて、ただちにカレーが食べたくなる。「第8回」で、カレー番長の水野さんが言っているが、それぞれこだわりの「カレーの作り方」があるけど、それって「ほとんど儀式的なものなんですよ」と。なるほどな、そのとおりだ。

という訳で、日曜日の夕食は、お父さんが得意の「カレー」と相成った。で、次男を連れて伊那の「アピタ」に買い出しに行ったわけだ。基本、新宿中村屋の「インドカリー」が好きな家族なので、その線のカレールーを探していたら、そのものズバリの「こだわりのインドカリー・ペースト(中村屋)」があった。で、2箱買って帰った。


ぼくのカレー作りの基本は、タマネギ炒めだ。一人1個のタマネギを使う。つまりは、家族4人分のカレーを作るとしたならば、タマネギは4個みじん切りする。で、タマネギが飴色になるまで、1時間くらいかけて延々と炒めるのだ。さらにもう1個、これは大きめにスライスして軽く炒め、そこそこ煮込んだ後でジャガイモとともに加える。


そうして完成したのが上の写真。肉は鶏手羽元、一人2本。ゆで卵を添えて、渋谷道玄坂ムルギーの「たまご入りカレー」を真似て、ご飯をヒマラヤ山脈みたいに盛ってみました(^^;;

2011年12月25日 (日)

メリークリスマス!

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昨年>と同様、今年もわが家では 12月23日の夜がクリスマス・ディナーとなった。恒例の「クリスマスチキン」と栗のピラフ。レシピは『LIFE2 なんでもない日、おめでとう!のごはん。』飯島奈美(ほぼ日ブックス)202ページです。重いけれど「pdf ファイル」があります。旨かったなぁ。

2011年12月 5日 (月)

久々にフリーの日曜日

■昨日の日曜日は、はっぴいえんどの名曲『12月の雨の日』を思わせる前日の土曜日とは打って変わって、雲ひとつない快晴。しかも、季節はずれの暖かさだ。


午前9時半から2時間、高遠福祉センターでアンドレア先生から「入試英語特講」を受ける長男を車で送って、向かいの「ポエム」でコーヒーでも飲もうかとも思ったのだが、暖かだったからエンジンを切った車の中で読書。島村利正『繪島流罪考』を読む。この短篇が載っている『島村利正全集・第二巻』は借りてもう随分と延滞していて、今日こそは高遠町図書館に返却しなければならなかったからだ。


江島は結局、月光院といい仲になった御用人、間部詮房が「大奥」の全権力を握っていることを嫌う反対勢力によって、クーデターの餌食にされたのだな。それなのに、一番の問題人物たる間部詮房は、一切のお咎めも流罪もなく、単に越後へ左遷されただけで歴史上から静かに消え去った。ずるいじゃないか、ほんと。許せないぞ。


■午前十時を過ぎたので、高遠町図書館へ行って本を返却。もし、図書館長さんがいたら、先日、ワサブローさんが高遠を訪れて島村利正生家の菩提寺で墓参りしたことを話し、さらには、来年が「島村利正生誕100周年」に当たるので、ぜひ記念イベントをしましょう! と提案するつもりだったのだが、あいにく図書館長さんは非番でいなかった。残念無念。


いったん伊那へ帰って、わが家では日曜日の昼飯は「蕎麦」という決まりがあったから、高遠なら「ますや」だな、と妻・次男を車に乗せ再び高遠へ。午前11時半過ぎに講義が終わった長男をピックアップして、高遠バイパスを北に少し行って「ますや」へ。


12時前だから楽勝だろうと思ったら大間違い。すでに店は満席じゃぁないか。駐車場も、県外ナンバーの車でいっぱいだ。仕方なく、上の段の店舗用車庫の前に駐車する。そうは言っても、この日はまだ店の外にまでは行列はできていなかった。ラッキーだ。入店後10分足らずでテーブルに着く。店主と女将さんの二人だけで店を切り盛りしていて大忙しだ。


ひと通りの注文がで終わるのを待って、ぼくらの番になった。次男は「高遠そば」。妻は「おろし高遠そば」で、長男は「鴨ざる」を注文。ぼくは最後まで迷って、結局「玄そば」+追加(合計3枚)にした。


注文後は案外はやく蕎麦が出た。実にきれいな蕎麦だ。つやつやと透き通って輝いている。洗練されていて喉ごしも申し分ない。なるほど、これなら都会の蕎麦通がはるばる遠く高遠まで何度も通ってくるワケだ。蕎麦の見た目と喉ごしは、むかし松本の女鳥羽川沿いにあった蕎麦屋「もとき」で食った蕎麦に近い印象。


もちろん、「ますや」へは以前から何回も食いに来ているのだが、来るたびに「蕎麦が美味くなっている」のだよ。そこが凄い。常に地道な努力と、たゆまぬ前進を続ける店主の心意気のたまものだな。いや、ほんと旨かったデス。でも、俺以上に美味そうに食っていた、長男の「鴨ざる」を次回は注文しようかなぁ。あの、網で炙った太いネギと鴨肉を「この世の極楽」といった風情で食っていた長男に、ちょっとだけ嫉妬したのだった。


■高遠から伊那へ帰り、妻子を自宅で降ろし一人また車上の人となる。坂本さんの「やまめ堂」へ行って、児童文学の季刊誌『飛ぶ教室』最新号を購入しなければならなかったからだ。中央橋を渡って左折し、幸福の科学の建物の手前を右折し、小松眼科の横を左折。仁愛病院を通り過ぎれば、目指す「やまめ堂」だ。だがしかし、「お休み」のふだが冷たく店舗ドアにかかっている。あちゃ。


仕方なく、再びバイパスに出て左折し「伊那市図書館」へ。もしかしたら伊那図書館館長の、平賀研也氏に会えるかもしれない、そう思ったからだ。


■さて、ぼくの感は正しかった。平賀館長さんは確かに伊那図書館にいたのだ。やった! アポなし急遽面会ごめんなさい。


で、ワサブローさんが高遠を訪れた経緯と、来年の6月23日(土)の夕方、信州高遠美術館ロビーで「ワサブロー・シャンソン・コンサート」開催が決定したことを話した。ついでに、来年が「島村利正生誕100周年」であるから、ぜひ記念イベントを企画して下さいと懇願する。

さらに、島村利正の高遠を舞台とした著作『庭の千草』や『仙醉島』『城趾のある町』に記された地籍から、『高遠文学マップ・島村利正編』を「iPad」上で構築できますよ! と僕は話した。


でも、どの程度平賀図書館長さんが興味を持たれたか、まったくわからない。少しでも記憶の片隅に残ってくださればうれしいな。


このブログは、平賀館長さんはたぶん読んでいないだろうから、過去にぼくが島村利正氏に言及したページにリンクを張っておきますね。


「島村利正」がなぜかマイブーム

島村利正の小説に登場する、古きよき高遠の人と街並み

『妙高の秋』島村利正を読む

今月のこの1曲「わたしが一番きれいだったとき」ワサブロー

不思議なご縁の男性シャンソン歌手ワサブローさん。


■伊那図書館から自宅へ戻ると、午後2時半過ぎだった。

いやぁ、ごめんごめん。この日は伊那東部中1年生で、陸上部・長距離班に所属する次男に頼まれて、鳩吹公園近くに設置された「クロスカントリー・コース」をいっしょに走る約束だったのだ。


で、鳩吹公園に着いたのが午後3時過ぎ。もうじき日が暮れる。


ところで、その「クロスカントリー・コース」は何処にあるのだ?


風車がある駐車場に車を停めて、左側から西へ50mほど昇ると看板があり、そこから左へ下って行くと確かに「クロスカントリー・コース」があった。

今年の春に整備されたコースなのだが、この晩秋にでもなると、落葉が全面を覆い、春に散布した「ウッド・チップ」もすっかり蹴飛ばされていて、結局どこが整備されたジョギング・コースなのかぜんぜん判らない状態になっていた。


とはいえ、最近でもこのコースを訪れる人がいるとみえ、落葉に足跡が残ってコースは維持されていたのだった。


全長1km強のコースで、8の字で回れば 1.2km くらいはあったな。三峰川のサイクリング・ロードは吹きっさらしで、冬場は冷たい強風に難儀するのだが、ここの林間コースは不思議とほとんど風がなくてありがたい。


しかし、とにかく「アップ・ダウン」がきつい。最初の1周で、ぼくはバテバテになった。

でも、息子とは「30分は走り続ける」と約束したから、仕方なく走り続けた。4周した。ただ後の2周は、8の字コースではなく、0の字にして、本来は長いキツイ登りになるコースを易々と下って済ませたのだった。ごめんな、ズルして。息子よ。

■そんなワケで、この日は疲れた。


白菜と豚肉を「S&Bおでんの素」で茹で、柚胡椒で溶いていただく鍋を夕食に食べ終わり、アルプスワイン旬醸「コンコード赤」を3杯ほど飲んだので、午後8時すぎにはすっかり酔っぱらって寝てしまい、休み無しの寝不足状態が続いていたこともあって、結局この日は翌朝の午前7時半まで延々と寝続けた。


計算すると、11時間も寝ていたことになる。ほほ2日分だ。


あいや、たまげたぜ。


2011年12月 1日 (木)

木曽郡南木曽町の伝統防寒着「ねこ」

■どうも、木曽郡南木曾町で昔から冬場に着られている防寒着「ねこ」がブームらしい。

先だって、NHK長野ローカルのニュース(というのはどうも勘違いで、11月24日に放送された日テレ『秘密のケンミンSHOW』だったみたいだ。でないと、これほどの品切れ大騒動にはならないはずだし。)を見ていたら、何でも木曽で映画のロケに参加した俳優の役所広司さんが「ねこ」をいたく気に入って、50着だか100着だか注文して東京へのお土産にしたのだそうだ。


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ところで、その「ねこ」ってのは何かと言うと、「はんてん」と「チョッキ」との「あいのこ」みたいなもので、上記の写真のごとく、綿の軽い蒲団を背中に担いだ感じになる。でもこれが、本当に暖かいのだ。半天のボテっとした袖がないので邪魔にならず、しかも軽くて、ぜんぜん「蒲団」を背負っている感じがしない。とにかく、ぬくぬくとホント暖かいのです。


■で、この「ねこ」は何処に行ったら買えるかというと、ベルシャイン伊那店にあります。Lサイズが 2,980円、LLサイズで、3,280円と値段はけっこうします。でも、コストパフォーマンスは抜群! この冬一番の「おすすめ」ですぜ! 


しかし、ネットで見ると先日のテレビ放送以来の大人気で、生産が追いつかず、現在は入手困難の状態らしい。


■さて、昨日の水曜日の午後は、高遠第一保育園で内科健診。みんな元気でよかったよかった。


健診終了後は、園児全員がホールに集まってくれて、ぼくの「絵本タイム」。


<この日読んだ本>

1)『もけらもけら』山下洋輔・文、元永定正・絵(福音館書店)
2)『ちへいせんのみえるところ』長新太(ビリケン出版)
3)『さんにんサンタ』いとうひろし(絵本館)
4)『ウラパン・オコサ』谷川晃一(童心社)
5)『ラーメンちゃん』長谷川義史(絵本館)


■そうして、今日の午後は竜東保育園年長組の内科健診。やはりみんな元気。その後、年長組の部屋へ行って絵本を読ませていただく。

<この日読んだ本>

1)『もけらもけら』山下洋輔・文、元永定正・絵(福音館書店)
2)『ウラパン・オコサ』谷川晃一(童心社)
3)『子うさぎましろのお話』佐々木たづ・文(ポプラ社)
4)『ラーメンちゃん』長谷川義史(絵本館)


ぼくのトラウマ絵本『ウラパン・オコサ』を読んだ時には、ほんと驚いた!

子供たちって、スゴイね。


最初の説明だけで、瞬時に「その法則」を理解して、ぼくがリードしなくても勝手に数えて「オコサ・オコサ・オコサ・ウラパン」と大きな声で答えてくれなのだ。これにはビックリ!

2011年11月20日 (日)

不思議なご縁の男性シャンソン歌手ワサブローさん。

■中日ドラゴンズは、日本シリーズ最終第7戦で負けてしまったけれど、落合監督での試合が7回も見ることができたことはファン冥利に尽きるなぁ。


■さて、本場フランスで認められた男性シャンソン歌手「ワサブロー」さんのことは、「2011年1月12日 (水)のブログ」に書いた。

ワサブローさんも自身のブログで「こう」書いて下さった。


でも、それきりだったのだが、つい先だって、11月に入って暫くしてからのことだ。久しぶりにワサブローさんからメールが来た。いまフランスにいるが、来週日本へ帰って、11月11日(金)NHK総合テレビのお昼の番組「金曜バラエティー」に生出演する。収録後の翌日に、30年来の友人財津氏を訪ねて松本へ行くので、折角の機会だから日曜日(11/13)に高遠まで足をのばして、島村利正氏の生家の菩提寺をお墓参りしたい。ついては、北原さんにもお会いしたとのこと。


ただ、11月13日(日)は甲府市立図書館へ絵本を読みに行くことになっていたので、午前10時半には宮脇、倉科パパをピックアップして、ぼくのマツダMPVで中央道を走っている。こりゃぁ無理かなって思ったのだが、ワサブローさんはお友達の財津氏と共に高遠へ向かう前にわが家に寄ってくれたのだ。うれしかったなぁ。


短い時間ではあったが、ワサブローさんの島村利正に対する想いや、いわゆる日本人仕様のシャンソンと、フランス本国の「本物のシャンソン」とが、あまりにかけ離れてしまっていることに、30年経って日本に帰ってきたワサブローさんは気づかされたことを、熱く語ってくれた。


フランス語は三拍子なのだそうだ。だから曲も、その歌詞に載るように三拍子の曲が多い。でもそれを無理して日本語の訳詞にのせるとみな「字あまり」になってしまい、テンポがずれてしまうのだそうだ。


ワサブローさんは、こんなことなら、日本ではなく、ずっとフランスで歌い続けていればよかった。そう思ったこともあったそうだ。そうした時に、島村利正の小説に出会ったんだって。


当日、本来なら僕が高遠の町を案内しなければいけなかったのだが、そういうわけで、高遠の「北原内科」の兄が、快く僕の代理を務めてくれた。島村利正の生家「ヤマザキデイリーストア・カネニ商店」へ案内し、店主の嶋村氏と共に菩提寺の蓮華時へ行って嶋村家のお墓参りをし、華留運(ケルン)で高遠そばを食べたということだった。


その場でふと、同行したワサブローさんの友人、財津氏がこう言った。「島村利正は、1912年生まれだから、来年 2012年は、もしかして島村利正生誕100年になるんじゃないか?」と。いやたぶん、地元高遠町の人間でさえ「その事実」に誰も気が付いていなかったんじゃないかな。


だったら、何とかしようよ!


という訳で、来年の「島村利正生誕100年記念イベント」を個人的にいくつか企画してみる予定です。


とりあえずは、来年の6月23日(土)か、もしくは24日(日)に、高遠信州美術館で「ワサブロー」さんのコンサートを開催することがほぼ決まりつつある。ワサブローさんは、ぜひもう一度高遠に来て、高遠町のみなさんの前でシャンソンを歌いたい、そう仰ってくれたのだ。うれしいじゃないか。


できれば、それに連動して「島村利正の講演会とシンポジウム」を、例えば、『いつか王子駅で』の著者で作家の堀江敏行氏とか、古本愛好家の荻原魚雷氏とか書評家の岡崎武志氏に高遠へ来ていただいて開催できないかなぁなどと夢想している。


ついでに、取りたくて取れなかった「芥川賞」の候補に5〜6回なったことが共通する、島村利正と佐藤泰志を並べて語ったら面白いんじゃないか。ついでに、映画『海炭市叙景』の上映会を高遠町福祉センター「やますそ」でできたら楽しいな。


■いまのところ、確実に開催する方向で動き出したのは「ワサブローさんのコンサート」だけだが、ぼくの個人的な夢でも、こうして公開してしまえば、案外実現に向けて道が開けてくるかもしれないぞ。

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