信濃毎日新聞朝刊(6月27日付)9面投稿欄「私の声」
■今日の「信濃毎日新聞」くらし欄(9面)に載った「私の声」はズシリと重くぼくの胸に響いた。
「原発事故でうずく心」と題されたその投稿は、下諏訪町在住の樽川通子さん(82歳)によるものだった。この記事を読むまで僕は知らなかったのだが、樽川さんは地元では大変有名な人で、下諏訪町の町会議員を4期務め「女性議員をふやすネットワークしなの」代表として活躍し、現在もお元気で地元で活動を続けているそうだ。
82歳ということは、一昨年の秋に他界した僕の母親と同い年なのではないか? ちょうど、NHK朝の連続テレビ小説『おひさま』のヒロイン陽子より6歳年下になる。詩人の茨木のり子さんもそうだけれど、母が入院中に遠くからお見舞いに来てくださった母の女学校時代の同級生の皆さんにお会いして感じたことは、皆さんお元気でパワフルで、凛とした力強さがあることだ。それは、大変な時代を必死で生き抜いてきた人間としての本質的な強さによるに違いない。
■「私の声」は、樽川さんが昭和52年(1977)に地元の婦人会長になった頃のはなしから始まる。
その時はまだ、彼女は町議会議員ではなかったはずだ。一番近い原発である中部電力の浜岡原発でさえ数百キロも離れている(でも、静岡から南アルプス山麓を北上する高圧送電線によって、われわれ長野県民のほとんどの電力は賄われている訳だが)信州のとある田舎町の、たかが一婦人会会長が、信毎の取材を受けて原発に関する否定的な発言を1回だけしただけで、直ちに電力会社の地元幹部が彼女に自宅に来て「婦人会長という立場にある者の発言としては、いかがなものか」と、脅したという。怖ろしい話だ。ちょうど僕が大学に入った年だから、今から34年も前のこと。
でも、この話が怪談じみて本当に怖いのは、その後のくだりだ。
少し時が流れて、電力会社は地元還元という大儀を揚げ、女性に学習の場を提供するための組織を県内でも各地につくりたいので、相談に乗ってほしいと要請してきた。その時すでに諏訪地域の女性たちを対象とした会員名簿が作成されていて驚いたが、初代会長を私にという話しにはさらに驚かされた。「口封じ策だ」「懐柔策だ」と私は反発したが、辛抱強く説得され、受諾した。その瞬間、なぜか全身の力が抜け落ちた。
高名な講師を中央から迎えて講演会を開催した。ダム湖の視察もした。原発の見学には大型バスが用意されていた。料理教室も開かれ、会報まで発行した。会長が何人か交代するころ、原発に関する記事が新聞に載ることも少なくなり、豊富な電力の恩恵を社会が受け入れたころ、気が付いたらその組織は消えていた。
あの時は私なりに精いっぱい原発のことを考え、行動したという自負がある。だが、このたびの東京電力福島第1原発の事故を受け、懺愧(ざんき)とも悔恨ともつかない、罪悪感にも似た奇妙な思いが、心の深いところでうずいている自分を持て余している今日このごろである。(信濃毎日新聞朝刊6月27日付、9面投稿欄「私の声」より)
■これは、中部電力の管轄地域内で起きた話ではあるのだが、たぶん30年40年、いやもっとずっと前から日本全国で(何も原発が直接建てられた地域に限らず)繰り返し行われてきた「飴と鞭」政策(脅しと懐柔)だと思うと、本当にゾッとするな。しかも、今現在でも全く同じ手口でわれわれ国民を「消費電力がオーバーすれば停電になるぞ!」と脅かし、情報を後から小出しにすることで、国民の感覚を完全に麻痺させている。
電力会社の誰が、いや、旧通産省(経済産業省)の頭の良い官僚の誰かが、先輩から代々引き継がれてきた「地元住民をだます」有効な手段として、いまも脈々と垂れ流され、しかも、確かに有効に機能しているという事実に、驚かざろうえない。なんとまぁ、われわれ国民はてんでバカにされ、なめられたものよ。
■いま、前福島県知事であった佐藤栄佐久氏が書いた『福島原発の真実』(平凡社新書)を読んでいるところだが、国(与党政治家&通産省の役人)がやること、東京電力のやること、ほんと地元無視の騙し討ちで酷いな。まだ87ページだが、これは読み応えがあるぞ。
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