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2015年1月 4日 (日)

『なんたってドーナツ』早川茉莉・編(ちくま文庫)

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

■年末は、12月31日が当番医で覚悟していたのだけれど、インフルエンザ流行ギリギリ前だったためか、予想より少なめで137人診察して夜7時半には終了した。とは言え、スタッフはみなお昼の「ちむら」のちらし寿司を食べる間もなく、午前午後ぶっ通しでがんばってくれた。ありがたい。

ぼくは午後2時から15分間昼食タイムを頂いた。一人だけすみません。

■正月は、何処へも出かけずにずっと家にいた。

元旦の午前中に、今年初めて注文した「浜松・弁いち」の「おせち」が宅急便で届いて、これがまぁ、どのお料理にも丁寧な仕事が成されていて、美味しかったのなんの。家族4人で2日の夜にはすっかり食べきってしまった。今までもいろんな所から「おせち」を注文したけれど、ここはちょっと特別。

機会があったら、ぜひ一度浜松のお店に食べに行きたいものだ。

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■時間はいっぱいあったのに、予定していた本はほとんど読めなかった。

読み終わったのは、『なんたってドーナツ』早川茉莉・編(ちくま文庫)の一冊のみ。でも、これは面白かったなぁ。ラーメンとか、カレーのエッセイ・アンソロジーは読んだことがあるが、ドーナツとはね。

しかも41人+編者自身の文章が載っている。そのうち編者が直接原稿依頼した書き下ろしが19本。それにしても、よく集めたよねぇ。またこの人選が適確なんだ。

植草甚一氏の文章なんて、他の本には収録されてないんじゃないかな。こんなに甘党の人だとは知らなかったよ。

■まぁ、ぼく自身はドーナツ大好きというワケではないのだ。

ただ、以前から「ドーナツの穴問題」に関心があって、本屋さんで手に取って目次を開いたら「第三章 ドーナツの穴」と、わざわざ一章を割いて着目し、村上春樹「ドーナッツ」北野勇作「穴を食べた」細馬宏通「穴を食す」片岡義男「ドーナツの穴が残っている皿」いしいしんじ「45回転のドーナツ」など、8編も収録されていたので「おぉ!」と、うれしくなってしまい即購入したのだった。

「ドーナツ・ホール・パラドックス」問題は以前、「こちら」『演劇最強論』の1月22日と23日にも書いた。

ところで、村上春樹氏が「ドーナツの穴問題」に言及した最も古い文章は、『羊をめぐる冒険』ではなくてたぶんこの、スタン・ゲッツ『Children Of The World』のライナーノーツなんじゃないかな?

■編者の早川さんが京都在住のためか、京都に住む作家さん(千早茜、いしいしんじ)、編集者(ミシマ社の三島邦弘さん、丹所千佳さん)大学教授(細馬宏通さん)が寄稿している。

千早茜さんの「解けない景色」が特に印象に残った。前半はちょっと退屈だが、後半がすごくよい。この章の中のエッセイでは最も「ドーナツの穴」に肉薄しているのではないか。

■文章の配列にも工夫があって、江國香織さんによる大雪のニューヨークでの顛末に続いて、松浦弥太郎氏がサンフランシスコの「ヴェローナ・ホテル」に宿泊していた、とある一人の中国人青年の話を。その後に、東海林さだお氏と小池昌代さんが同じクリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパンの話をしている。最後のトリは、清水義範氏が子供の頃、伊勢湾台風に遭遇した夜に家族みんなで食べた不味いドーナツの話。これがまた。しみじみ読ませるのだよ。

ぼくも、保育園の頃に食べたドーナツの味をありありと思い出したのでした。

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■ツイッターに書いた感想より

· 12月25日
『なんたってドーナツ』早川茉莉・編(ちくま文庫)を読んでいる。41人のドーナツ関連エッセイ(書き下ろしもある)が集められている。僕好みの渋い人選なんだこれが。今日は「祖母とドウナツ」行司千絵を読む。うまいなぁ、読ませるなぁ。


· 12月27日
『なんたってドーナツ』より「ひみつ」田村セツコを読む。戦時中、疎開先の学校で隣の席だったK子ちゃんの家(裏に竹林のある大邸宅)で、お手伝いさんがおやつに運んできた紅茶とドーナツ。わずか2ページ半なのに、妙に気になる不思議な話。


· 12月27日
『なんたってドーナツ』より「高度に普通の味を求めて」堀江敏幸を読む。これも書き下ろし。堀江さんは1964年生まれで僕より6つ下だが、小学校の不幸な給食の想い出がほぼ一緒で可笑しい。雑誌『MONKEY vol.4』に載っている、猿からの質問「(気)まずい食事」の方にも堀江さんは寄稿している。


続き)『MONKEY vol.4』(スイッチ・パブリッシング)143ページ。「ふつうのお茶漬け」堀江敏幸。小学生の頃、連休初日に近所の家族と白川郷へドライブした時の話。脱力するしかない内容なのに、何故か読ませる。このコーナーでは、西加奈子「弔いの煮物」が技ありで一番面白かった。


· 1月1日
『なんたってドーナツ』より、p105「クリームドーナツ」荒川洋治を読む。このエッセイが収録された『忘れられる過去』(朝日文庫)は持っている。島村利正が出てくるからね。「50歳を過ぎた。するべきことはした。あとはできることをしたい。それも、またぼくはこうするなと、あらかじめわかるものがいい。こんなふうな習慣がひとつあって、光っていれば、急に変なものがやってこない感じがするのだ。」

続き)荒川洋治さんの次は、武田百合子さんの『富士日記』だ。これも持ってるぞ、文庫で。上・中・下巻。キンドル版は出ているのだろうか? そうすれば「ドーナツ」の検索は楽だったのにね。

ぼくのドーナツの思い出は、高遠第一保育園に通っていた5歳の頃のこと。お昼寝のBGMに流れた「ユーモレスク」が終わって目覚めると、3時のおやつだ。担任の蛭沢先生がお皿に配ってくれたのがドーナツ。穴のあいてない、サーターアンダギーみたいな、小惑星みたいな、線香花火みたいな突起が出たドーナツ。まわりは焦げ茶色で、かじると中がほんのり黄色い。砂糖はまぶしてなくて、手はベタつかない。

たまにしかおやつに出なかった。美味しかったなぁ。


· 1月3日
『なんたってドーナツ』(ちくま文庫)もうじき読み終わる。「朝食にドーナツをおごるのが、そのころの私のたのしみだった。熱いコーヒーにドーナツ。その日は一日中、活力が切れなかった。メリケン粉と卵とミルクとバターが、それぞれの味の領域を冒すことなく、謙虚にバランスを保ってまぜ合わされ、油がいい仕上げの味を与えていた。(中略)あの日。苦しい戦後が、ひと息ついたのであった。メリケン粉とバターと卵とミルクと油と砂糖という、お菓子の要素となるものが揃うのに、戦後何年の歳月が必要だったろうか。三年あるいは、四、五年も要ったか。」(ドーナツ 増田れい子 p211)

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