音楽 Feed

2012年2月20日 (月)

『聴いたら危険! ジャズ入門』田中啓文(アスキー新書)

■ Twitterに、ペーター・ブロッツマンのLPを10枚は持っていると書いてしまったから、出してきたのだ。


なぜこんなに「ブロッツマン」のレコードを持っているのかというと、ある時期すっごく好きだったのだ、ブロッツマンのサックス。特に、ブロッツマン、ヴァン・ホーヴ、ハン・ベニンク、アルバート・マンゲルスドルフのベルリンでのライヴ盤(1971/08/27/28)録音の「3枚組」のうちの黒色ジャケット「エレメンツ」は、今でもときどき無性に聴きたくなる。


いま思うと、ブロッツマンって、案外聴きやすいのだね。だからこそ、「この本」ではいの一番に取りあげられているワケなんだな。なるほど。

P1000963


■今から30数年前だったかなぁ。東北旅行をした時だった。ブロッツマンを聴け! エヴァン・パーカーを聴け! デレク・ベイリーを聴け! って、仙台市一番町のビルの3階?にあったジャズ喫茶「Jazz& Now」で、マスターの中村さんににそう言われたのだ。それまで、ぜんぜん聞いたこともないミュージシャンの名前だった。


「じゃぁ、マスターが『これを聴け!』っていうレコードを一生懸命聴きますから、毎月おすすめレコードを送って下さい。通販で買います」ぼくはそう言った。だから、それから1年間だったか2年に及んだか、毎月毎月仙台から「ヨーロッパのフリー・インプロビゼーションのレコード」が届いた。中でも、一番多かったレコードがブロッツマンだったのだ。そういうワケなのです。



2012年1月24日 (火)

トイレで読む本と、SHURE/ SE215 を買ったこと。

P1000953

■この2年半使ってきたイヤホン「SHURE/ SE115」が、とうとう断線して接触不良を来すようになってしまった。これだけハードに使ってきたのに、それにしてもよく耐えて保ってくれたものだ。このイヤホンにしてから、本体の iPod Shuffle のほうは4機替わった。コイツの前に使っていたのがやはり「SHURE/ E3」。1万円前後のイヤホンの中では一番評判がよかったのだ。


仕方ないので、新しいイヤホンを購入することにした。となれば、後継機種もやはり SHURE かな。というワケで、ネットを検索したら1万円前後の価格帯で昨年「SHURE/ SE215」ってのが出ていることが分かった。しかも、なかなか評判もいいじゃないか。思わず何も考えずに amazon のボタンを「ポチ」っと押してしまったら、今日の午前中にもう届いた。


さっそく聴いてみる。もちろん、エイジングしてからでないと本当の実力は分からないのだが、 SE115 よりもずいぶんとダイナミック・レンジが広い。左右ワイドに音が横に広がる感じがする。低音もよく出ているし、高音の切れもいい感じだ。ただ、まだちょっと耳にキツイかな。もう少し慣らせば良い感じになるような気がする。


耳へのフィット感は、この SE215 が一番いいんじゃないか。


ただ、やたらとコードが長いのが困る。これはちょっと邪魔になるな。巻き取り器がやはり必要だ。

2012年1月11日 (水)

渋谷道玄坂「ムルギー」追補と『なずな』の追補

■いまから30年以上前に、ずいぶんと通ったのだ、渋谷道玄坂『ムルギー』。


その当時のことと、久し振りに再訪した時のことは「2003/03/02 ~03/08 の日記」に書いてあります。あの、『行きそで行かないとこへ行こう』大槻ケンヂ(学研版)は、高遠「本の家」で見つけて 100円で入手したはずなのだが、いまちょっと見つからないのが残念。


文庫では「カレー屋Q」の「ゴルドー玉子入り」となっているが、学研版では確かに「カレー屋M」の「ムルギー玉子入り」と書かれていたよ。


探してたら、あった、あった。学研版。


P1000945

 ■上の写真をクリックすると、拡大されて読み易くなります。


P1000947

■写真はダメだが、文章だけまだ残っている、島田荘司氏 の「道玄坂ムルギー」はいいなぁ。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------


■『なずな』堀江敏幸(集英社)に関しては、「まどみちお」の詩に触れない訳にはいくまい。


254ページに載っている『ぼくはここに』という詩は、わが家にある「ハルキ文庫版」と「理論社ダイジェスト版」には載っていなかった。たしかに、この詩は深いなぁ。


次の「コオロギ」(p323)もすごいけど、ぼくは「ミズスマシ」(p380)に一番驚いた。

ミズスマシと言えば、その昔、長野オリンピックの時に当時の長野県知事吉村午良氏が、ショートトラック競技を評して「ミズスマシ」が回ってるみたいなもんだ、と言ったことが印象に残っている。

そう、ミズスマシはあくまで平面の二次元世界に生きている。普通はそう考える。


ところが、詩人は違うのだな。


「点の中心」は、タイムトンネルの中心みたいに、三次元的に、宇宙のビッグバン的に、どんどんどんどん自分から遠ざかっているのだ。これは、思いも寄らなかった視点だ。


著者の堀江敏幸氏も、東京新聞のインタビューに答えて「こう言っている」


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

■それから、以下は『なずな』に関してツイッターのほうに断続的に呟いたことを一部改編して、facebookのほうにまとめたものです。多重投稿でごめんなさい。


堀江敏幸『なずな』(集英社)を読んでいる。いま、388ページ。もうじき終わってしまう。それが切ない。ただ繰り返し繰り返しの単調な毎日なのだが、掛け替えのない「時・人・場所・関係性」を、確かに僕らにもたらした。それが「子育て」だったな。ほんと、子供はあれよあれよと大きくなる。特に、おとうさん! この瞬間を大切にしてほしいと、切に願うのだった。


小説『なずな』を読みながら、不思議と、ありありと目に浮かぶし、おっぱいやウンチの甘酸っぱい臭いもリアルに感じることができる。例えばp40。そうそう、赤ちゃんて眠りに落ちて脱力すると、突然、重くなるのだ。すっかり忘れていたよ。


小説『なずな』を読んでいて、ビックリしたところがある。主人公は、ジャズ好きの弟に頼まれて、生後2ヵ月半の赤ちゃんに、コルトレーンの「コートにすみれを」「わがレディーの眠るとき」を子守歌として聴かせる(p302)。さらに「あの」スティーヴ・レイシーを聴かせているのだ。(p60、p302、p389) しかも、驚くべきことに、案外これが「うまくいっている」というのだ。驚いたな。なに聴かせたのだろ? 


すっごく久し振りに「スティーヴ・レイシー」のレコードを集中して聴いてるが『REFLECTIONS steve lacy plays thelonious monk』(new jazz 8206) が一番いいんじゃないか、やっぱり。でもまだ『森と動物園』を聴いてないのだが。


で、いま、ハットハット・レーベルの『Prospectus』LPA面を聴いているのだが、少なくとも僕は、いや、日本全国各地に住むお父さん誰一人として、自分の赤ちゃんに「スティーヴ・レイシー」を聴かせようとは思わないだろう。


だから、なぜ、今どき「スティーヴ・レイシー」なんだ??
ぼくには判らない。直接作者の堀江敏幸氏に訊くしかないのか。



P1000922

2011年12月31日 (土)

岩手県のジャズ喫茶を応援しよう!(その2)

1112311

■翌日は、大槌町から釜石を通過し、さらに南下して陸前高田へ。

陸前高田には全国的に有名な「日本ジャズ専門店・ジャズ喫茶ジョニー」があった。日本のジャズにとことんこだわった照井顕、由紀子ご夫妻の店だ。ぼくが訪れたのはお昼ころだったか。ジャズ喫茶といっても食事もできる。ダジャレばかり言うマスターと、素敵なママが歓待してくれた。うれしかったなあ。スピーカーも日本製の名器、ヤマハNS1000。


ジョニーという名前は、五木寛之の短編小説『海を見ていたジョニー』からきている。だから、同名タイトルで陸前高田ジョニーでライブ録音された坂元輝トリオの演奏を「Johnny's Disk Record」という自主レーベルでレコード化した。ぼくも陸前高田から郵送してもらって購入したのだった。レコード解説を、なんと五木寛之が書いている。「縄文ジャズ」とはうまいこと言うなぁ。


当時、東北(特に岩手県)のジャズ文化は、日本の他の地域とは違って、独特の結束力でもって平泉の藤原氏のごとく絢爛たる栄華を誇っていたのだ。


この日は、白い砂浜に樹齢300年を超える約7万本の松が続く「高田松原」の中にあった
「陸前高田ユースホステル」
に泊まった。ほんと、ユースホステルらしいユースホステルだったなぁ。現在の姿が「Wikipedia」にあった。あの「1本松」のすぐ側に建っていたのか。


「陸前高田ジョニー」も、3.11 のあの日、オーディオもレコードもお店も、すべてが津波に流された。


震災後、ジョニーがどうなってしまったのかすっごく心配してネットで検索したら意外な事実が判明した。照井顕、由紀子ご夫妻は 2004年に離婚し、ご主人は陸前高田を離れ、盛岡で「開運橋のジョニー」を経営。奥さんの由紀子さんが「ジャズ喫茶ジョニー」を引き継いだのだった。


「Johnny's Disk Record」の1枚目はベース奏者中山英二さんのレコードで、「彼のブログ」に陸前高田のジョニーの現在のすがたが載っていた。


そうか、よかった! 店は流されたけれど、ママさんは助かったのだ。しかも、この9月から仮設店舗で営業を再開したとのこと。さらに、ジャズ・ライブも再開。ガンバレ! ジャズ喫茶ジョニー。


さらに、大槌町「クイーン」も津波にすべを流された。マスターの佐々木賢一さんと娘さんは逃げのびたが、奥さんは波にさらわれて亡くなってしまったという。悲しい。

1112312


■旅の終わりは、ジャズ喫茶の聖地、一関「ベイシー」。前日は花巻の駅で寝袋にくるまって寝たのだが、出してた顔だけあちこち蚊に刺された。睡眠不足が続いた一人旅で、疲れていたし弱気にもなっていたな。


「ベイシー」のテーブルで、持参したB6サイズの「旅ノート」に「東北の人たちは冷たい」とか「旅はつらい」とか何とか、いま考えればとんでもなく勘違いで失礼なことを書き綴った。ほんとうにごめんなさい。


書き終えたノートを、入口レジ横に置かせてもらったリュックに戻し、深々とソファーに座って一人ジャズに聴き入った。噂には聞いてたが、ライブの音よりもホンモノの音がするJBLサウンドに驚愕した。特に、コルトレーン『クレッセント』(インパルス)での、エルビン・ジョーンズのシンバル!


ふと見上げると、眼の前にマスターの菅原正二さんがニカッと笑って立っていた。

「おい、学生さん。どこから来たんだい?」「そうか、まぁいいから飲め」そう言って、テーブルにウイスキーのボトルをどんと置いたのだ。


「おい、学生さん。ピアノは誰が好きだ?」
「はい、ウイントン・ケリーが一番好きです。」「ほぉ。そうかい」
「あの、リクエストいいですか?」
「おぉ、いいぞぉ!」


「『ベイシー・イン・ロンドン』のB面、コーナーポケットをぜひ聴きたいんです」


本来なら、このレコードはA面が圧倒的にいい。でも、この時マスターの菅原さんは嫌な顔ひとつせずB面をかけてくれたのだ。しかも、スピーカー前のドラムセットに座って、自らレコードに合わせてドラムをたたいてくれた。ほんと感激だったなぁ!


すっかりご馳走になって、深夜近くに店を後にしたぼくは、一関の駅から夜行列車に乗ってアパートへ帰っていったのだった。


列車の中で、この夜の感動を忘れないうちにノートに書き留めておこうと思い、件のノートを開いたら、書きかけのページに「ベイシーの猫のスタンプ」が押してあった。「あっ!」ぼくは顔が真っ赤になった。マスターの菅原さんに、あのノートに書き殴ったとんでもない愚痴を読まれていたのだ。ほんと恥ずかしかったなぁ。


ごめんなさい、菅原さん。そして本当にありがとうございました。


あの時のお礼をいつかしたい。ずっとそう思ってきた。


そしてようやく、先日になって「岩手ジャズ喫茶連盟」宛に義援金5万円を送った。妻に内緒にしていた「へそくり」から工面したのだ。ちょっとだけ、片の荷が下りた気がしたが、いや、まだまだこれから継続的に東北を支援してゆくことが必要に違いない。


大槌町「クイーン」の佐々木賢一さんも、陸前高田の照井由紀子さんも、どっこい生きてる。がんばっている。


これからも、ずっとずっと応援していきますよ!


来年こそ、みなさまにとって「よい年」になりますよう、心からお祈り申し上げます。


それではみなさま、よいお年を!

2011年12月30日 (金)

岩手県のジャズ喫茶を応援しよう!

111230


■医学部同級生の菊池に夏用のシュラフを借り、東京在住の兄貴が使っていたバックパックを背負って、土浦から常磐線の青森行き夜行列車に飛び乗ったのは、あれは何時のことだったか? 1980年?いや、1981年か。いずれにしても、今から30年も前の話だ。


確か、B6サイズのノートに旅行記をメモしていた記憶があるから、あのメモ帳が取ってあったらなぁ。残念ながら見つからない。夏休みだった。たぶん。この時の旅の目的は「岩手県ジャズ喫茶めぐり」だ。


盛岡が最初だったかな。城趾の近くの川の畔に『ダンテ』っていうジャズ喫茶があった。2年前に盛岡で日本小児科学会があった時に再訪したら、場所は移転していたけれど『ダンテ』は現存していてビックリした。大音量のスピーカーに黙って対峙する大学生やビジネスマンなど男性客ばかりの店内は、まるで1970年代の硬派ジャズ喫茶そのものだったな。


盛岡から山田線に乗り、岩泉線に乗り換え日本三大鍾乳洞のひとつ「龍泉洞」へ。そのあと宮古まで行って、少し北上し「田老」で下車。


あのころはまだ、宮古市ではなくて「田老町」だった。小さな町には「あまりにも不自然な巨大な防波堤」が目を見張った。そこまですることないじゃん。正直そう思った。だって、あまりに巨大で高くて完璧すぎる堤防だったから。その防波堤の右端に石碑が立っていた。明治と昭和のはじめにこの地を襲った巨大津波の記念碑だった。こんな高いところまで津波が来るワケないよ。ぼくはその時ホントそう思ったのだ。でも、そうじゃなかった。


■宮古から少し南下し、釜石の3つ前の駅が「大槌」だ。大槌町には、岩手県最古のジャズ喫茶「クイーン」があった。確か、町役場近くのメイン商店街に面していたような気がする。マスターは佐々木さん。店にぼくが到着したのはすでに夜だったと思う。この日の宿泊先は決めていなかった。菊池に借りた寝袋があるから大槌の駅舎で寝ればいい、そう考えていたのだ。


「クイーン」店内の記憶はある。大きなスピーカーの前にLPが無造作に置かれていた。地元の常連客で賑わう店内は、よそ者にはちょっと居心地は悪かった。夕飯を食った後も粘って、閉店近くまで店にいたような気がする。タバコを何本も吸った。髭の店主には、ちょっと恥ずかしくて話しかけれなかった。シャイなんだ。今もね。


店を出て、駅舎に戻った。寝袋を出して寝ようとしたら、駅員の人が出てきて「ここで寝てもらっては困る」と言う。仕方ないので、その駅員さんに紹介してもらった近くのビジネスホテルに行くが、どうみても面倒な事態には巻き込まれたくないわと顔に書いたような女将が出てきて「今夜は満員でお泊めできる部屋はありません」と断られた。


仕方なくぼくは、それから大槌の町を深夜まで彷徨って、まるで「つげ義春」が好んで泊まるような木賃宿に辿り着き一夜の部屋を得ることができたのだった。(つづく)


2011年12月17日 (土)

『DELICIOUS』JUJU

111216jjpg


■以下、facebook のほうに書き込んだのだが、少し追加してこちらにも載せます。


結局、JUJU のジャズアルバム『DELICIOUS』を買ってしまった。これマジでいい! 大音量で聴くとしみじみ沁みる。ゴージャスで実に贅沢な作りをしている。

アレンジが「そのまま」なのだ。例えば「You'd Be So Nice To Come Home To」は、クインシー・ジョーンズが編曲した「ヘレン・メリル with クリフォード・ブラウン」のそれ。間奏に入って、やっぱり退屈なピアノソロまで踏襲している。それに続くトランペット・ソロは、菊地成孔「DUB SEXTET」の類家心平。でも、最初からブラウニーには無理に対抗しようとはしない。そうだよなぁ。


ゲスト・ミュージシャンの聴き所としてはジュリー・ロンドン「Cry Me A River」での渡辺香津美のギターソロがめちゃくちゃ渋い。「Candy」のフリューゲル・ホルンソロは、あの歌も上手い TOKU だ。


あと、「Ev'ry Times We Say Goodbye」での菊地成孔のテナー・サックス・ソロが、在りし日の武田和命みたいで泣ける。それから、サラ・ヴォーンの「バードランドの子守歌」だが、これも変に気負わずに軽やかに歌いきっているところが気持ちいい。


総じて、JUJU のヴォーカル、肩の力の抜け加減が絶妙なのだ。まだ若いのに、なんなんだ、この余裕。

個人的に一番好きなトラックは、やっぱり「ガールトーク」かな。こういうバラードや「キャンディ」みたいな小粋な小唄をきちんと聴かせるってのは、彼女にジャズ・ヴォーカルを唄う実力が確かにある証拠だ。


案外聴かせるのが、ラテン・ナンバーの古典「キサス・キサス・キサス」だ。9曲目にして、必殺キューバ音楽を持ってきたか! 絶妙な選曲だねぇ。で、その前の曲、8曲目。「Moody's Mood Foe Love」のアルト・サックス・ソロは土岐英史で、2nd ヴォーカルで娘さんの土岐麻子が参加している。ぼくはつい最近まで親子だとは知らなかったぞ。


■それにしても「JUJU」って名前、彼女が大好きなウェイン・ショーターのレコード『JUJU』から取ったというのには驚いた。


BLUE NOTE レーベルでのショーター作品では、1枚目『Night Dreamer 』や、ぼくが大好きな3枚目『Speak No Evil』と比べると、この2枚目はずいぶん地味な印象を持っていたからだ。ウェイン・ショーターが好きっていうだけでビックリなのに、渋いな、JUJU。

2011年11月 8日 (火)

今月のこの一曲 「Estate」安次嶺悟トリオ

■なにもこの時期に「夏のうた」を取りあげなくてもいいだろう、そう思うでしょ。 でも、「いま、ここ」で僕の中では「夏のうた = Estate(エスターテ)」なのだった。 111108 僕が初めて「この曲」を耳にしたのは、確か倉敷でだった。なんとかスクエアーから少し行った所にあったブティック2階のジャズ喫茶。記憶では倉敷で泊まった憶えはないから、たぶんあの日は土曜日で、ぼくは映画館のオールナイト営業で翌朝を迎えたのだろう。大学生の頃は、金はなかったけれど、体力と時間だけはあったからね。 1970年代中半の「硬派ジャズ喫茶」はどこも斜陽だった。だから、夜はお酒を提供し、スピーカーのボリュームも落として、客の会話のじゃまはしない「カフェ・バー」の走りが各地に生まれた。あの倉敷の店も、まさにそんな感じだった。ちょっと軽い雰囲気のマスターが、カウンター席に陣取る常連客にこう言ったのだ。 「もうジャズはダメだね。これからは、アダルト・コンテンポラリー・ミュージックの時代さ!」 そうして彼がターンテーブルに載せたレコードが、ジョアン・ジルベルトの『イマージュの部屋』A面だった。1曲目は「ス・ワンダフル」。ヘレン・メリル with クリフォード・ブラウンでの名唱で有名なジャズのスタンダードを、ジョアンは英語で気怠くやる気なさそうに歌う。で、2曲目が「エスターテ」。イタリア語で「夏」という意味の哀愁に満ちたバラードを、ジョアンは今度はイタリア語でとつとつと、切なくやるせなく歌っている。しびれた。


YouTube: JOAO GILBERTO - ESTATE (BRUNO MARTINO)

3曲目に「チンチン・ポル・チンチン」をポルトガル語で軽快に聴かせ、4曲目が「ベサメ・ムーチョ」。これはスペイン語で歌っている。これまた哀切感に溢れた歌声。旅から帰ったぼくは直ちにレコード屋さんに走り、このレコードを購入したのだった。1980年のことだ。


YouTube: Michel Petrucciani Trio - Estate

■1981年にフランスのマイナーレーベルから初リーダーアルバム(赤いジャケットに大きすぎる帽子をかぶった子供?いや実は本人のモノクロ写真が印象的だ)を出し、世界中のジャズファンの度肝を抜いた、天才ジャズ・ピアニストのミシェル・ペトルチアーニが、1982年に発表したセカンド・アルバムが、この『ESTATE』。名演である。


YouTube: Estate - Satoru Ajimine Trio

■そして最後の「ESTATE」は、大阪を中心に活動するジャズピアニスト、安次嶺悟(あじみね・さとる)の遅すぎたデビューCD『FOR LOVERS』からの7曲目。これがまた実にいい。 2009年末、限定1000枚で発売されたこのCDは、彼の地元大阪を中心に口コミで評判を呼び、瞬く間にソールドアウトしたという。噂を聞きつけた全国のジャズファンからの再発を求める熱い要望に答えて、今年の9月に再プレスされ再び市場に出た。ぼくはこのCDのことを、今はなき「ジャズ専門店ミムラ」のブログで知ってからずっと探していて、ようやく入手できたのだった。 地味ではあるが、上品で端正で、確かなテクニックと歌心にあふれた繊細なタッチ。実にすばらしい。 アップテンポの曲では、終板のブロック・コードを多用したドライブ感、浮遊感が何とも気持ちいいのだが、それ以上にバーラード系の曲をじっくり弾かせたら絶品で、深夜一人でしみじみ聴くにはマストアイテムだ。例えば3曲目の「And I Love Her」。ビートルズの有名曲を思い切りスローに情感を込めて弾いている。あれ? こんな感じの曲だったっけ、と思ってしまう。そして「ESTATE」。これ、もしかしてペトルチアーニ盤よりもいいんじゃないか?

2011年9月25日 (日)

NHK朝ドラ『おひさま』に登場する男集みたいに女性をたてる、ドン・ロスの「いなっせ」ライヴ

■主催者の前澤さんには、ほんとうに申し訳ないのだけれど、今年の「ドン・ロス、ジャパン・ツアー2011」Live at the 「いなっせ6階ホール」は、ぼくは正直いって不完全燃焼だった。もっと、もっと、もっと、ドン・ロスのギターを聴きたかったのだ。


ハードスケジュールの日本ツアー中ばで、疲れもピークと思われ、しかも前日の木曜日は、昼マチネ公演が「滋賀県守山市民ホール」であって、夜は名古屋市での公演。


で、翌日の金曜日を伊那市で迎えた彼らは、そんな疲労などまったく感じさせない圧倒的なパフォーマンスを聴かせてくれた。本当にすばらしかった。すばらしかったのだ。


ぼくはと言えば、午前中に妻と二人で松本に買い物に行って、午後4時からは伊那中央病院会議室で「信州小児科カンファランス」のネット・サテライト中継での参加。本会場の信州大学小児科をネットで県下5会場(長野市民病院・佐久総合病院・諏訪赤十字病院・伊那中央病院・飯田市民病院)を結んでの中継となった。「ネット会議」も試行錯誤のすえ、ずいぶんと進化してきたとは思うが、まだまだ実用化の道は厳しいというのが、申し訳ないが僕の感想だ。


■ネット・カンファランスはまだ1例目なのに既に1時間半以上を消費していたのに終結を見なかったので、悪いけれどぼくは途中下車。次の予定が入っていたからね。午後6時までに「いなっせ」に行かなければならなかったのだ。


慌てて「いなっせ」6階に行くと、思いのほか観客が少ない。あれっ? アコギ世界最高峰のドン・ロス公演だよ!?


3年前の伊那公演(2008/09/15)の時には、もっとこの日の3倍近く観客がいた。3月の大震災と原発事故以降、みな心のゆとりが無くなってしまったのだろうか? たぶん、そういう面もあったんだろうなぁ。残念だ。


■19時10分。オープニングで登場したのは、わが伊那市高遠町在住のミュージシャン「亀工房」だ。演奏曲目は以下のとおり。

1)「オープニング曲」(曲名不明)
2)「コーヒー・ルンバ」
3)「ブラーニー・ピルグリム~ロード・トゥ・リズドンバーナ」アイルランド民謡
4)「あんたがたどこさ」
5)「小さい秋みつけた」
6)「しゃぼんだま」
7)「マーブル・ホールズ」
8)「じんじん」
9)「ショウ・マスト・ゴー・オン」
10) 「ジャーニー」(この曲は、コンサートのオーラスで演奏された with Don Ross)


ぼくが彼らを聴いたのは、昨年6月の、高遠町福祉センター「やますそ」での、アントワン・デュフォール「ソロ・コンサート」以来だった。いつ聴いてもほんと素晴らしいな、亀工房。絶妙の夫婦のコンビネーションと、微妙な二人のズレが、これまたいいんだよ。


今回の演奏では、沖縄のわらべ唄が元になったという「じんじん」が一番印象に残った。
開演前に会場入口で助産師の池上道子さん「助産所:ドウーラ・えむあい」に会った。前澤さん家の6番目の男の子(現在、高遠第一保育園年中組?)を池上さんが取りあげて以来の縁なのだそうだ。それから、亀工房のライヴがある時には出来るだけ出向くようにしているとのこと。


■15分間の休憩の後、いよいよお待ちかね「ドン・ロス」の登場だ。


ところが驚いたことに、今回のライヴでは奥さんのブルック・ミラーの方が大きくメインにフューチャーされていて、ドン・ロス御大は、歌伴やバックコーラスでもって、夫として妻の歌を盛り上げることに専念していたのだ。だから、超絶ギター・テクニック炸裂のドン・ロス主役の曲は、この日の演奏の半分以下だったと思う。


ぼくの予想では、ブルック・ミラーはゲスト出演的な感じで、2〜3曲歌ってお終いかと思っていたのだが、とんでもない。ドン・ロスと全く対等な扱いで歌いまくったのだった。

いや、でも、ブルック・ミラーは、歌もギターもルックスも、めちゃくちゃカッコイイねぇちゃんだったなぁ。


この日の出で立ちは、ちょうど『ターミネーター2』の母親のような肩まるだしの黒のランニングシャツに、黒の革のパンツ。それでもって、右肩には「遠山の金さん」みたいに(桜吹雪じゃないが)大きな紅い薔薇(牡丹?)のタトゥーが映える。そんな黒ずくめのスレンダーなボディで、ブロンドのストレートロングヘアーを振り乱して熱唱するのだから堪りませんね。何がじゃ(^^;;


彼女の歌は、ジョニ・ミッチェルをもうちょっとアーシーに土臭くした感じとでも言えばよいか。なかなかに味わい深い歌を聴かせてくれた。オープニングの「You've Got My Attention」や、最新CDからのシングルカット曲「CANNONBALL」もよかったが、ぼくは「Two Soldiers」っていう曲が、シンプルでトラディショナルな響きがあって好きだな。

夫婦漫才とか、夫婦デュオの歌手とかは日本にもけっこういるが、夫婦ギター・プレーヤーで、夫婦共演で歌ってギター弾きまくるというのは珍しいんじゃないか。夫婦で目配せし合って気持ちよさそうに演奏する姿は、なんかとっても微笑ましくって、うらやましかったぞ。


■ドン・ロスが前回来日した 2008年にも、伊那市「いなっせ」でソロ・ライヴ(この時は奥さんぬき)があって、この時初めてぼくは彼の演奏を聴いたのだけれど、この時、ドン・ロスが自ら歌って聴かせてくれて、思いのほか体型に似合わず「歌が上手い」のでビックリした記憶があったが、今回のライヴでは、まさに彼のヴォーカル全開だったな。ドン・ロスが19歳の時に作ったオリジナルの歌も披露されたっけ。


コンサートの進行表は、彼(彼女?)の iPhone に記載されていて、それをチェックしながら交互に登場する感じだった。ドン・ロスが「マイケル・マイケル・マイケル」を熱演している後ろで、椅子に座ったブルック・ミラーが「その iPhone」で夫の後ろ姿の写メをフラッシュ焚いて何枚も撮ってたぞ。


■それから、英語力がとことん貧弱なぼくにはブルック・ミラーの曲の合間のトークがほとんど理解できなかったのだが、こんな話があった。


彼女が以前に夫に付いて伊那高遠を訪れた時(2008年 or 2004年?)本屋さんで一人の女性が彼女に話しかけてきたのだという。英会話を勉強中の彼女は、ブルック・ミラーを見て勇気を出して話しかけてきたのだそうだ。で、ブルック・ミラーがカナダのプリンス・エドワード島の出身と聞いて、その女性は、「知ってるわ。あの『赤毛のアン』の島ね!」と大盛り上がりになったそうだ。で、そのあと日本の伝統的なガーデニングの本とクッキングの本を送ってくれたとか何とかいう話だった。


ぜんぜん違ってたら、ごめんなさい。

■コンサート終演後、ブルック・ミラーの最新CD(カナダ本国でも未発売で、この日が世界初の販売だったそうだ)を購入し、めっちゃクールなCDジャケットに、ちゃっかり彼女に直筆サインをしてもらったのだった。えへへ。

2011年9月15日 (木)

今月の「もう一曲」。『満月の夕』

■中秋の名月はもう終わってしまったけれど、満月の夜には「この歌」を聴きたい。


YouTube: ソウル・フラワー・ユニオン 満月の夕

「この歌」は、1995年1月17日に起きた「阪神淡路大震災」当日の夜、神戸の海に上った満月を見て作られた、ソウル・フラワー・ユニオンのオリジナル曲なのだそうだ。ちょっと沖縄民謡のテイストがある名曲だ。ぼくは、アン・サリーのカヴァーで初めて聴いた。悲しいけれど、ホントいい曲だなぁ。しみじみ思ったよ。


YouTube: アン・サリー 満月の夕(ゆうべ)

あれから16年が経った今年の夏の終わりに、日本外来小児科学会が神戸であって行ってきたのだが、その爪痕の痕跡はまったく残ってはいなかった。ほんとビックリするほどに。 あの震災は無かったのか? 僕は、ふとそう思ってしまった。でも絶対に違うのだよ。通りすがりの旅人には分からないけれど、地元神戸に住んで生活している人たちは決して忘れはしまい。ことあるごとに「あの日」を思い出しているに違いないのだ。この曲にあるようにね。 さて、最近になって新たな「この曲」のカヴァーが YouTube に投稿された。これだ。


YouTube: 満月の夕 Noche de Luna Llena ラテンアメリカ連帯バージョン

歌っているのは、知る人ぞ知る「闘う、ラテン歌手」八木啓代さんだ。 キューバ、メキシコ、アルゼンチン、チリ。八木さんは中南米音楽・情勢の専門家であり、自らも歌う歌手。まだ、インターネットが始まる前から、ニフティのフォーラムでは「パンドラ」のハンドル名で一世を風靡していたし、当時から絶大な人気を誇っていた人だ。かく言う僕も、彼女の大ファンで、「ハバタンパ」のCDも購入したし、『パンドラ・レポート 喝采がお待ちかね』ほか彼女の著書を何冊も買って持っている。 最近は、例の前田特捜部検事の不祥事事件を追っている。頑張って欲しいと思うぞ。 ■あと、もう一人。忘れられたジャズ・シンガー「酒井俊」が「この曲」を「現地」で唱ったヴァージョンが素晴らしい! これだ。


YouTube: 酒井俊『満月の夕』東北関東大震災 チャリティーJAZZライブ

2011年9月10日 (土)

今月のこの1曲。 サケロック「やおや」

■作曲家としての星野源はスゴイ。 ぼくは個人的に、日本のセロニアス・モンクだと思っている。 あの独特のタイム感覚。絶対に誰にも真似できない音楽だ。 演奏家としての星野源は、マリンバ奏法がとにかく異常に上手い。 まるで谷啓みたいなトロンボーンを吹く浜野謙太(ハマケン)とのデュオ演奏には、なんとも言えない人生の情けなさと、どうしようもなさを。そうして、どうでもいいような日々のくだらなさと適当さの匂いがある。そうさ、人間そう毎日「有意義」には生きていないのだよ。だから、そんなに力まずに肩肘張らずに、何となくのほほ〜んて生きていければいいじゃん、ってことを、宣言してくれているような音楽なのだな。 そういう音楽って、いままでありそうでなかった。と思う。だから、サケロックは貴重だ。


YouTube: インストバンド / SAKEROCK(PV)


YouTube: SAKEROCK / 会社員と今の私 PV

■このところ毎日聴いているCDが、サケロックの『ホニャララ』。 中でも好きなのが、「老夫婦」と「やおや」だ。 でも、ネットで探しても画像も音源も無料ではないみたい。試聴はできます。 「こちら」で。 このCDの中では、ラストに収録された「エブリデー・モーニン」も実に味わい深い、なかなかの名曲であるぞ!

Powered by Six Apart

最近のトラックバック