2012年5月13日 (日)

『創世の島』バーナード・ベケット(早川書房)

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■何故か、SFが読みたかったのだ。


で、『創世の島』バーナード・ベケット著、小野田和子・訳(早川書房)を手に取った。


松尾たいこさんのカヴァー・イラストに誘われて。彼女が描いた表紙を見て「おっ!」と思った本は、ほぼ間違いなく「当たり!」だからだ。例えば、シオドア・スタージョン『不思議のひと触れ』それから『輝く断片』(河出書房新社)。


『創世の島』の表紙には、岩場の海岸線を裸足の少女が一人、後ろ向きで描かれている。海の水平線は見えない。何故なら、諫早湾に作られた堤防と同じような、高さ30mにも及ぶ隔壁が島の全周を包囲しているから。


この「大海洋フェンス」が築かれたのは、2051年。「最終戦争」が始まってから11ヵ月後のことだった。2052年末にはじめて伝染病菌がばらまかれた頃には、アオテアロア(ニュージーランド)はすでに外界から隔絶された状態になっていた。外界からの最後の放送が受信されたのは 2053年6月。その頃には、大富豪プラトンがアオテアロアに建設した<共和国>は完成していたのだった。


2058年、共和国にとっての救世主となったアダム・フォードが生まれる。

このスーパースター「アダム・フォード」の生涯(2058 - 2077)とその業績に関して、主人公である少女アナックスは、共和国の最高機関である「アカデミー」への入学試験(4時間にわたる口頭試問)に臨むのだった。

■いやぁ、面白かった。短いから一晩で読めた。
でも、ぼくの評価は 3.75点かな。


だって、98ページまで読んだところで、主人公の置かれた状況が読めてしまったからだ。

たぶん、すれっからしのミステリ・ファンなら誰だって気が付くと思うよ。
それくらい「使い古されたネタ」ではあるからだ。

でも、この小説の優れているところは、ネタがばれたとしても最後まで予断を許さずに納得がいく結末に読者を導いてくれている点に尽きる。そうか、そういうことだったのか! ぼくは読み終わって十分に満足した。


■この小説でキーワードとなる言葉は「思考」だ。心や魂(たましい)も関係する。


免疫学でノーベル賞をとった、利根川進先生は、次は「脳」だとばかり、人間の記憶は遺伝子(RNA DNA)によって保存されているという仮説を立てた。しかし、それは間違いだった。


記憶は核酸でできた遺伝子ではなくて、シナプス「回路」だったのだ。

じゃぁ、意識とは何か? 思考とは? 心とは?


動物にも意識はあるのか? 心はあるのか?  そういう話なのだ。

またしても、ネタバレなしには紹介できない本なので困ってしまったのでした。


2012年5月 9日 (水)

映画『小三治』のDVDを見た。これは面白かった。

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■GW中に、伊那市立図書館へ行って「DVDコーナー」を見ていたら、なんと、以前から是非見たいと思っていた落語のDVDがあって感動してしまった。それは、「桂 歌丸 牡丹燈籠DVD5巻完全セット」と「ドキュメンタリー映画 小三治」だ。


で、『牡丹燈籠・お札はがし』『牡丹燈籠・栗橋宿』『映画・小三治』の3本をカウンターに持って行ったら「DVDは2本までしか貸し出しできません」とのこと。仕方ないので、『お札はがし』と『小三治』の2本を借りた。


■『小三治』を見たのは、5月5日の午後。最初に特典映像から見てしまった。そうか、小三治師は「シロクマ好き」だったのか! なんか、すっごくうれしくなってしまったよ。


この映画の中で主役小三治に次いで注目すべき人は、なんといっても「入船亭扇橋師」だ。この2人、昔からすっごく仲がいい。入船亭扇橋師は、昭和6年(1931年)5月29日生まれで、小三治師が昭和14年(1939年)生まれだから、なんと8つも年上(落語界入門は扇橋師が2年早いが、真打ち昇進は小三治師のほうが半年早い。二人とも十何人抜きの大抜擢での真打ち昇進だったそうだ)なのに、扇橋師は小三治師のことをものすごくリスペクトしているし、絶対的な信頼感でもって頼りきっているのだ。そこが可笑しい。


映画の後半、二人旅で東北の温泉旅館に一泊するシーンがある。あっ! この温泉知ってる。小児科学会が一昨年の春に盛岡であった時に、飯田の矢野先生ほかといっしょに泊まった、つなぎ温泉「四季亭」じゃないのか? それにしてもよく食べるね、この二人。


扇橋師は、新宿末廣亭で2回、あと上野鈴本でも確か聴いたことがある。マイクを通しても、何を言ってんだかちっとも判別できない、ごにょごにょとした小さな声で、しかも上半身が常に不規則に揺れていて、観客はみな「このじいちゃん、ホント大丈夫?」と心配してしまう。演目は「弥次郎」だったり「三人旅」だったり「つる」だったり「小三治をよろしく」みたいな漫談なのだが、たいてい突然歌い出すのだ。


「そーらーは、どうして〜 青いの〜」って。これは、そのむかし和田誠さんと永六輔さんが作って、平野レミさんが歌っていた。ぼくも大学生の頃に、TBSラジオで何度も聴いて知っている曲。それを落語とはぜんぜん関係なく、ほんと突然歌い出すんですよ。扇橋師。でも、好きだなぁ。ものすごく好きなんだ、このすっとぼけたような飄々とした佇まいが。


映画では、そんな扇橋師の可笑しさがじつによく捉えられていた。

よく言われることだが、『ねずみ』とか『鰍沢』『茄子娘』など、師の落語は「唱い調子」で完成されている。そういう意味では、春風亭柳好の落語と似ている。もともと浪曲が大好きで、広澤虎造に惚れ込んで最初は浪曲師になろうとしていた人だった。ただ、浪曲師にはなれなず、落語家になったのだ。彼の師匠は三代目桂三木助。三木助と五代目柳家小さんとは「兄弟仁義」の仲。そういうワケで、三木助は長男の名前を小さんの本名をもらって「小林盛夫」と名付けた。それが自死してしまった四代目桂三木助だ。三代目が亡くなって、まだ二つ目だった扇橋師は「小さん門下」の一員となる。


俳句作りは、中学生のころから玄人肌でならし、「光石」の俳号を持つ俳人でもあり、小三治、小沢昭一、永六輔、加藤武、桂米朝らが参加する「東京やなぎ句会」の宗匠でもあるのだ。

ちなみに、扇橋師も小三治師も下戸で酒は一滴も飲めない。あと扇橋師は、焼肉と「メーヤウ」の激辛タイカレーが大好きでトマトが嫌い。そんな兄弟子のことを、小三治師もすごくリスペクトしている。それは、このドキュメンタリー映画を見れば自然と判るようにできている。

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■さて、映画のファーストシーンは、柳亭こみちが高座の座布団を返して舞台袖に引っ込み、続いて「 二上がりかっこ」の出囃子とともに小三治師が肩を左右に揺らしながら、すこし面倒くさそうに高座に向かう場面を下手幕袖の舞台斜め後ろからカメラはとらえる。さらに高座に上がった小三治師を舞台下手真横からカメラは撮す。演目は『あくび指南』。そこにタイトル「小三治」。これがすっごくいい。


失敗をしでかした前座に対しての小三治師。「しつれい、じゃないよ、お前」

前座「はい。ひつれいしました」
小三治「そう。」


そう言ったあとに高座に上がってかけた噺は「らくだ」だ。
これ、いいなぁ。CDでもDVDでも持ってない。
「らくだ」と言えば三笑亭可楽だ。でも、小三治師のはいいんじゃないか。


小三治師が、楽屋で鏡に向かって電気カミソリで髭を剃るシーンが何度もある。師はわりと髭が濃い。見ていると、誰かに似ているなぁ、と思った。そうだ、マリナーズのイチローだ。二人ともB型で、人知れず努力を重ね「その道」を極めた武士というか、求道者のような佇まいが似ているのだな。


「自分で楽しくやれないことはね、ストレスの元だよね。(中略)こんな程度の人生だもの、あんな一生懸命やってどうすんだよ。(中略)しょうがねぇよな。そういう奴だったんだよ、どうも。生まれ育ちかな。なぜ百点取れないんだ!つって、95点の答案を前にして正座させられて親父から小言を言われたっていう、そういう刷り込みっていうのが、やっぱりずうっと消えないんじゃないかなぁ。自分で百点満点を取らないと、自分で自分を許可しない。そういうのが嫌な、それが嫌でこの世界に逃げ込んだのにねぇ、結局はそこから逃れられない。」


■あと、柳家三三の真打ち昇進披露の口上がよかった。実になんとも、うまいこと言うなぁ。


控え室で、サンドイッチを食べながら三遊亭歌る多を相手にしみじみ語るその背後で、三三さんが一人黙々と稽古している場面が好きだ。食べ終わった小三治師は、おもむろに「お手拭き」で目の前のテーブルを拭きはじめる。


「柳家の伝統だよ、テーブル拭くのは。」
「人に言われて気が付いたんだよ。柳家ですねぇって。」

「そう、明らかにそれは小さんの癖なんだよね。」
「うそだろう!? って、ビックリした。えっ、みんな拭くのって。で、自分が拭いていることも意識にない。」


「そういうところがつまり、背中を見て育つってことかねぇ。気が付かないでやっていることがいっぱいあるんだろうねぇ。気が付いていることもいっぱいある。あぁ、これ師匠だなって、いっぱいある。」


「だからねぇ、教えることなんか何もないんだよ」
「ただ見てればいいんだよ」


次のカットで、三三さんが黙々と稽古しているとこに、音声だけで小三治師の指示が入る。すごく具体的で丁寧な教え方だ。あれっ? 三三さんに師匠が教えてるじゃん! ていうのは勘違いで、カメラが引くと、なんと小三治師が「足裏マッサージ」のやり方を柳亭こみちに懇切丁寧に教えているのだった。これには笑っちゃったよ。


小三治師は、スキーも懇切丁寧に教えてくれるらしい。
でも、落語の稽古はつけてくれない。


■それから、映画のナレーション。女優をやっている小三治師の実の娘さんだったんだね。「歌 ま・く・ら」の時、上野鈴本の楽屋に兄嫁といっしょに顔を出している。この時も、入船亭扇橋師の話で盛り上がるのが可笑しい。

2012年5月 2日 (水)

「小津の水平線」(『家郷のガラス絵』長谷川摂子)より

■先だって亡くなった長谷川摂子さんの大ファンだ。


『おっきょちゃんとかっぱ』『ぐやんよやん』『めっきらもっきらどおんどん』『きょだいなきょだいな』『うみやまがっせん』などなど、彼女が福音館で作った絵本はみんな好きだ。


それから、彼女の講演が好きだ。下伊那郡喬木村と、上伊那郡飯島町との2回、ぼくは講演を聴くことが出来た。ラッキーだった。彼女の「絵本読み聞かせ」が素晴らしいのだ。その実演を2回も聴けた。あの、ゆったりとした穏やかな声。こどもたちに寄り添った目線。あくまでも主役はこどもたちであることが判っている「大人」としての謙虚な態度。彼女から自然と滲み出でるそれらすべてが素晴らしかった。


あと、彼女の書いた本が素晴らしい。


『とんぼの目玉』の感想は、ここいらへんに書いたし、彼女が少女時代を過ごした、島根県平田市での日々を綴った『人形の旅立ち』は名作だ。


■そんな彼女の遺作が『家郷のガラス絵』長谷川摂子(未来社)なのだが、もったいないので、最初から一気に読むことはせず、後ろの方から少しずつ少しずつ読んでいる。


で、すごく面白かったのが4篇収録された「小津安二郎論」だ。まさか長谷川摂子さんから小津映画の魅力を聞かされるとは思わなかったな。最近読んで意外だった「小津論」に『うほほいシネクラブ・街場の映画論』内田樹(文春新書)があったが、内田先生よりも長谷川摂子さんのほうがずっとずっと深いぞ。


まず、「小津映画とフェルメール」が凄い。何カ所か引用してみる。


 小津映画を十年近くくり返し見てきて、毎回、胸のときめく場面があるのだが、それは部分的なシーンで、映画が始まったとたん、私を包むあの透明な空気、全体を流れている、五臓六腑がしーんとなっていくあの直接的な鎮静作用をどう表現したらいいのだろうか……。

 ここで、仮説としてずいぶん前から感じていることを、思い切って打ち出してもよいではないか、という気持ちが、私の中でだんだん昂じてくる。私は学者でも研究者でもない。ただどうしようもなく小津映画が好きなだけである。ここで言おうとしていることは私自身の仮説であり、比喩でもあることを前提にちょっと気息を整えて始めることにする。(中略)

 私はフェルメールの絵を見ていると小津映画を、小津映画を見ているとフェルメールを感じてしまう。この不思議な交互作用の体験の根拠はどこにあるのか、今回はそこを考えてみたい。(中略)


 大きく言えば、フェルメールの絵が伝統的な宗教画ではなく、普通の市民の暮らしの一瞬が室内で捉えられていることだと思う。小津の映画も圧倒的に室内の撮影が多い。
 室内 ---- これは大空や海や大地の広がりと違って、人間の身体を包囲する立体的な額縁がある、ということ。その額縁は部屋という立体空間の内側である。フェルメールの絵のほとんでは壁と壁が九十度に交わる部屋の隅が構図の中におさめられていて、それがあまり大きくない部屋の中であることが私たちに伝わる。


 たいてい左手に窓があって、そこから光が差し込んでいる。図版で示せないのが残念だが、この構図は、「ワイングラスを持つ娘」「中断されたレッスン」「ぶどう酒のグラス」「兵士と笑う娘」など、枚挙にいとまないほどだ。有名な「牛乳を注ぐ女」の部屋の窓などもそうで、窓には日本の障子のサンそっくりの縦横の格子が走っている。(中略)


 正面の壁には絵が一枚、あるいは数枚、あるいは大きな地図が置かれていることが多く、これが遠近法で先細りになっている窓とは対照的にばっちりと正面からの長方形で陣取っている。それ以外にも、楽器やいすの背や机など、ニュアンスの違う四角形がさりげなく、しかし、絶妙のバランスで置かれている。壁に囲まれた部屋の中の四角は大小さまざま、これまた幾何学的な音楽を奏でているように思える。(中略)


 この正面性のことを考えていたら、私は絵本作家ディック。ブルーナのことに思い至った。まっすぐことらを見ている「うさこちゃん」。ブルーナの絵本はまぎれもなく正面性がつらぬかれている。彼もオランダ人だ。(中略)


 小津映画の室内。あらためて『麦秋』を見て、いろいろ確かめた。廊下にしろ、部屋にしろ、人物は基本的に縦長の奥行きのある部屋の中に置かれている。その奥行きの遠近法に正面性が働いている。画面を正面から見つめる観客の目はそれにしたがってずれることがないのだ。二間続きの和室はあいだのふすまが、そして廊下と座敷の境の障子が、つねに開け放たれている。手前のふすまと次の間のふすまは短い距離を置いて大小の長方形の二重奏を奏で、まっすぐ遠近法を際立たせている。それに障子が重なれば、縦横のサンの美しい文様をもつ長方形がいちばん奥の左右にくる。


今回『麦秋』を見ていて初めて気づいたのだが、このふすまの下の角と接しながら、いくつかのたたみのヘリの線がつながって、遠近法そのままにまっすぐ中央への奥行きを示している。小津は座布団の柄の走りにも注意して、その置き方に神経を配った、といわれているが、それはこの部屋の中の正面性の秩序を乱すことがないように、という配慮だったのだと思う。そのほか日本家屋の欄間、箪笥などの家具、みんあフェルメールと同様、幾何学的な音楽の材料になっている。(『家郷のガラス絵』長谷川摂子より「小津映画とフェルメール」p157〜p160 より抜粋)


ぼくは「この文章」を読んで、どうしても「フェルメールの絵」が見たくなり、3月下旬『フェルメール光の王国』の著者、福岡伸一先生が監修した「フェルメール・センター銀座」へ行って実際に見てきたのだった。


福岡先生の著書に出てくる、フェルメールの親友レーウェンフックが発明した「シングルレンズの顕微鏡」とかもちゃんと展示してあって、なかなかに興味深かったのだが、如何せん「レプリカは贋物」なんだな。あぁ、ホンモノのフェルメールの絵、特に『真珠の首飾りの少女』が見たい! 行くぞ、国立西洋美術館。

2012年4月29日 (日)

自著を売るのは、ほんと大変なのだ。

■ここ2年半「ツイッター」をやってみて、思ったことがある。 作家が「エゴサーチ」して、自著に好意的なツイートを軒並み「リツイート」していることに関して、正直、嫌らしいなって、見苦しいじゃないかって意見があること。

でも最近は(と言うか、当初より)ぼくは「いいんじゃないの」って思ってきた。 と言うのも、いまから5年前に『小児科医が見つけた えほん エホン 絵本』(医歯薬出版)を、ぼくら絵本好き小児科医の仲間が出版したときのことを思い出したのだ。 この本の編集者は、ほんと切れ者の才媛だった。彼女がいなければ「この本」は世に出なかっただろうと正直思う。それほど「編集者」の存在は重要なのだ。

■ところが、ここに大きな問題が出現した。出版社の編集者は、どんなに優秀でも、その本が出版販売されてしまえば「管轄外」となってしまう。つまり、「本を世に出す」のが編集者の役目であって、その本を売るのは営業部担当社員の役目なのだから。

ところで、医学系専門出版社の営業部って、あんまり宣伝する気がないんですね。そこそこ売れて、赤字が出さえしなければそれでよいワケです。 でも、「この本」は様々な事情が発生して、結局、一部刷り直して製本もやり直してから出版された。当初、出版社は初版5000部を刷ったのです。医学専門書出版社としては冒険だったと思う。それが諸般の事情で赤字必至となってしまったのだった。

■「この本」を書いたのは、8人の絵本好き小児科医でした。8人+名古屋千住区の絵本専門店「メリーゴーランド」の三輪さんによる共著本だったのですが、僕は自分が書いた文章が実際に本になった喜びで、個人的に「この本」を100冊購入して親戚や知り合いに配りました。ぼくが想像するに、他の7人の小児科医も同じようだったんじゃないかな。

しかも、この他にも原稿を依頼して書いて頂いた小児科の先生が何人もいる。 つまり、初版のうち全国各地の図書館へ納入された本以外の案外多くを「共著者自身」が購入して配っていたのですね。そういう事情を理解していない出版社は、思いのほか売れたんで、これは行けると思い切ってさらに増刷したのでした。 でも、著者たちが買わなければ、もうそうは売れませんよね。

しかも「この本」は、大型書店の児童書・絵本コーナーに置かれることはなく、たいていどこの本屋さんでも「医学書専門コーナー」に置かれていたのですから。

■ぼくは「この本」が発売されてしばらくして、販売促進プロモーションというものは「ぼく自身」がしなければ誰も売ってはくれないのだということに気付きました。で、新聞社各社に売り込んでみたのですが、結局記事を載せてくれたのは「信濃毎日新聞」だけでした。 あと、いわゆる「著者謹呈」の献本として(でも、書籍代+送料とも出版社に負担してもらうのではなくて、自分で買って自分で梱包して自分で送料も払った)ずいぶんいろんな人に送ったけど、結局、思ったほどの宣伝効果はまったく得られなかったのでした。

素人のぼくら「一回だけの」体験がそうでしたから、プロの作家さんは「自分の本」を出版するたびに、同じ思いを何度も何度も味わってきたのではないか? と、容易に想像がつきます。 出版者の営業部にはなんにも期待できない。そういうことをイヤと言うほど味わわされてきたと。

じゃぁ、自分で「ツイッター」で宣伝活動をするしかない。 そう思い至ってもしょうがない状況が、いまの出版界にあるのではないでしょうか。 ほんと、いまの世の中「本が売れない」のです。 しかも、新刊書があっという間に本屋さんの平台から本棚から消えてゆく。で、気が付けば在庫切れ→絶版の憂き目。

でも、ぼくらの本『小児科医が見つけた えほん エホン 絵本』は在庫があって、今でもちゃんと流通しているからほんとありがたいと思うのでした。

2012年4月24日 (火)

今宵の高遠城趾公園の夜桜。満開ちょっとすぎ。

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2012年4月17日 (火)

『極北』マーセル・セロー・著、村上春樹・訳(中央公論新社)

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■読み出したら途中で止められなくなって、一気に読了した。
『極北』マーセル・セロー著、村上春樹・訳(中央公論新社)だ。
読者を物語世界にのめり込ませるこのリーダビリティは『ジュノサイド』以来か。
ほんと、面白かったなぁ。もの凄く。


【注意!】以下の文章には、読書の喜びを奪うかもしれない記載が一部含まれていますので、一切の事前情報を目にせず「この本」を読みたい、楽しみたい、と感じた未読の方は読まないでください。配慮が足りずにすみませんでした。

短いチャプターで簡潔な文章のテンポがじつに心地よい。ぐいぐい読める。
しかも、読者の予想(期待)を次々と裏切って話の展開がまったく見えないのだ。だって、読み出して数十ページでいきなり「えっ!?」とビックリ仰天させられるのだから。それが終いまで続くのですよ。


読み始めた読者には状況が全く説明されない。まず大きな謎が提示される。 ここはどこ? いつの時代のはなし?
それが、ストーリーの合間合間に挿入される主人公の回想によって少しずつ明かされてゆく。そして、物語の前半でさりげなく蒔かれた伏線が次々と回収される終盤は圧巻だ。ただ、最後まで謎として残されるものもあるが。


これはやはり「純文学」と言うよりも「ミステリー」であり、近未来ハードボイルド冒険サバイバル小説の傑作だと思った。


タフでクールで、でも決して非情じゃない主人公「メイクピース」が、とにかくめちゃくちゃ格好良いのだ。射撃も得意ときている。


主人公は町の警察官だったのだが、警察学校の指導官ビル・エヴァンズの描写がシブくて好きだ。(たぶん、Bill Evans と綴るのだろうが、訳者は決して「ビル・エヴァンス」とは表記しない。スではなくて「ズ」なのだ。そんなこと、僕以外の人にとってはどうでもいい事なんだろうけどね)


あと、近未来設定のフィクションだけれど、細部が丁寧に描かれているので、読みながら映像がリアルにイメージできること。いや、このリアルさは別の大きな要因もある訳だけれど。

■上の写真を見て頂ければ判ることだが、「この本」は装丁が「イノチ」だ。
じつに美しい静謐な装丁。


そのことは、コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』黒原敏行・訳(早川書房)の装丁と比べてみてもらえば、自ずとわかることではある。


そう、「この本」は『ザ・ロード』と同じく、「世界の終わり」に立ち会う主人公の物語なのだった。


でも大切なことは、この2冊の本のジャケットが「白黒反転している」ことだ。
そこが重要。『極北』は『ザ・ロード』を反転させた物語だから。


『ザ・ロード』の主人公が、めったやたら「センチメンタル」だったのに対し、『極北』の主人公は、あくまでもクールでドライときている。それに、ザ・ロードの父親と息子は、ひたすら南を目指すのに対し『極北』では逆に北だ。極北だ。


小説の舞台は「北シベリア」。


北氷洋に注ぐ大河「レナ川」河畔の都市ヤクーツクから東へ 1500km。バイカル湖畔に位置するイルクーツクよりもさらに遠く北東に位置する、世界で最も低い気温(零下70℃)を実際に記録したオイミャコンのあたりに建設された入植地「エヴァンジェリン」。


椎名誠の『冒険にでよう』(岩波ジュニア新書)『そらをみてます ないてます』(文藝春秋)、それに『マイナス50℃の世界』米原万里(角川ソフィア文庫)をすでに読んでいたから、その壮絶な環境は少しはイメージできた。あと、『脱出記』も単行本で読んでいたしね。


だから北シベリアの過酷な自然は、それなりに想像できるのだ。マイナス50℃にもなる冬の寒さも凄まじいが、夏のタイガの薮蚊の獰猛さときたら、そりゃぁもう人間が生活できるような環境じゃ全くない。


そんな凄まじい北シベリアの内陸部に、何故「英語を話す人々」が暮らす街ができたのか?  そして、何故いまやゴーストタウンと化してしまったのか?


物語の後半、さらにもの凄いゴーストタウンが登場する。でも、不思議と既視感が漂うのだ。


■ぼくが「この本」を読みながら頭の中で何度も流れていた曲がこれ。






YouTube: 渋さ知らズ ひこーき

「飛行機」ってさ、いつも宮崎駿の映画に出てくるみたいに、科学と文明の象徴なのだ。


絶対に無理だろうけれど、映画化してもらいたいな、クリント・イーストウッドに。「西部劇」みたいな雰囲気の映像でね。


■それにしても、『ジュノサイド』と同じく「この本」は、ほとんど「ネタバレ禁止」条例に触れてしまうので、どう読後感想を書いたらいいか判らないのですよ。


■いろいろ書きたくても書けないでいるのだけれど、これは「ネタバレ」になってしまうが、タルコフスキーの映画に関して、ぼくは以前「こんなこと」や、「こんなこと」を書いています。


2012年4月11日 (水)

『土岐麻子 BEST!』(つづき)

■土岐麻子は、FM長野で日曜日の朝9時半から「トキシック・ラジオ」という番組を持っている。ただこの番組は JFN系列全国20局でオンエアされているのだが、何故か放送元の「東京FM」では放送されていない。不思議だ。面白いのに。 同じく、日曜日の早朝FM長野で放送されている「SUNDAY FLICKERS」も、何故か「東京FM」ではオンエアされていない。今をときめく「春風亭一之輔」さんがDJなのにね。どうもこの、JFN系列(ジャパン・FM・ネットワーク)と「東京FM」の関係が理解できないのだった。 ■お互いにリスペクトしている、EPOと土岐麻子だが、確かに今流れている「資生堂のCM」はよい。コラボがはまって、これはヒットするんじゃないか?(あ、もうすでにヒットしたのか) でも、ぼくが思うに土岐麻子の今後は「この曲」ではないと思うのだ。これ、もろ「EPO」そのまんまじゃん。いまの時代に、この楽曲は合わないとぼくは思うのだよ。どうしても、あの80年代のバブリーな時代を思い出してしまうから。 それよりも、断然こっちだな。この曲はほんとイイ! 心に沁みるぜ!!


YouTube: 土岐麻子 & 秦 基博 / やわらかい気配


YouTube: 土岐麻子 & 秦 基博 / やわらかい気配[後半]

曲もいいが、詩がすっごくいいじゃないか! ね。 ■あと、カヴァー集がいいんじゃないか? この BEST! でも「セプテンバー」とか「私を野球に連れてって」がいい。JuJu みたいな「ジャズ」のカヴァーじゃなくって、「羊毛とおはな」みたいな感じで 70〜80年代のポップスあたりの渋い曲をいろいろと聴いてみたいな。

2012年4月 9日 (月)

土岐麻子 BEST! と、チャットモンチー BEST

■この間の日曜日。所用で松本へ行ってきた。


いつも立ち寄る「ほんやらどお」へ行く。そこで、『土岐麻子 BEST! 2004 - 2011』2枚組と、『チャットモンチー BEST 2005 - 2011』、『チャットモンチー レストラン・メインディッシュ』(DVD)を見つけて購入した。


チャットモンチーは、最近長男が入れ込んで聴いていたから気になっていたし、アジカンのコンピで1曲目に収録された「All right part2」に参加した、チャットモンチー・リードヴォーカルの橋本絵莉子の歌声に沁みるものがあったからだ。


で、聴いてみてビックリしたのだが、和製女子版の「ポリス」じゃん。ギター、ベース、ドラムスの3人組。それなのに、音のスケール感が半端じゃなくて、曲の疾走感がたまらなく気持ちいい。これはまさに「ポリス」だ。四国は徳島の片田舎で、女子高校生が趣味で始めたバンドとはとても思えない完成度じゃないか。


ポイントは、元「JUDY AND MARY」のヴォーカル、YUKI みたいな声質の橋本絵莉子と、ポリスのドラムス、スチュアート・コープランドみたいな迫力ある高橋久美子のドラムスにあると思った。


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■チャットモンチーの橋本絵莉子のヴォーカルが「YUKI」に似ているとしたならば、土岐麻子は 「EPO」だ。

だから、土岐麻子の歌声を聞くたびに、ぼくは「オレたちひょうきん族」をパブロフの犬的条件反射で思い出してしまうのだ。あの、バブリーな 1980年代をね。



YouTube: オレたちひょうきん族 DOWN TOWN epo

2012年4月 6日 (金)

新聞記事だって、いまは記者の署名記事が多いのになぁ

■昨日は、夜7時から上伊那医師会広報部委員会があって、常務理事として参加した。

広報委員の仕事は、毎月発行される「上伊那医師会報」の原稿集めと編集作業、それからアドプランニングが発行している『月刊かみいな』の中の「健康カレンダー」の記事を提供することだ。


この『月刊かみいな』の「健康カレンダー」は、記事を書いた人はイニシャルのみの表記で匿名記事となっている。ぼくが広報委員だった頃からずっとそうだった。当時ぼくは署名記事にしたほうがよいと主張したのだけれど、名前が出ると、宣伝売名行為と取る医師会員がいるかもしれないとか、匿名のほうが専門分野以外のことでも自由に気楽に書けるからいい、という意見が大多数で、ぼくの意見は却下されてしまった。


だから昨日、もう一度「署名入り記事」にした方がいいんじゃないでしょうかと提案したのだ。


そしたらまた、ほぼ同じ理由で却下された。
なんだかなぁ。


いまは新聞記事だって記者の署名入り記事が多いし、かえって署名入りのほうが入魂の記事であることが読者にひしひしと伝わってきて説得力があるように、ぼくは思うのだが。


■このところ「生まれた年」にこだわっていることを書いているのには、じつは意味がある。


facebook は原則「実名」だ。生年月日も公開されている。


今から20年近く前に「パソコン通信」が始まったころ、ニフティの会議室では大学教授と小学性がそれぞれ匿名の「ハンドル名」で同じ立ち位置で対等にやり取りしているなんてことが実際にあったんだそうで、職業や年齢や性別といった先入観を一切排除したコミュニティの可能性に皆がビックリしたものだ。


でも、時代はもはや「匿名」での発言が説得力を持つことが不可能になりつつあるように感じる。
ツイッターだってそうだ。


この人はどういうバックボーンで「こういう発言」をしているのか?


そういうことが読者に分かったほうが、いまは説得力が圧倒的に高い。ぼくはそう考えているのだけれど、間違っているのかなぁ。

2012年4月 3日 (火)

「当事者」について考える

■『「当事者」の時代』佐々木俊尚(光文社文庫)の感想をネットで検索して読んでいたら、「当事者の沈黙と経験者の苦しみをつなぐもの」にたどり着き、読んでみて「あっ!」と思った。


純粋ひきこもりの青年は、多くの場合自分のひきこもり体験について語らない。自分がどのようにしてひきこもり、ひきこもったあとどういう思いで生活しているか、それは僕や親御さんが知りたいことではあるが、当の青年は一向に語ることをしない。

最初は意図的に語らないのだろうと思っていた。だが長期的にかかわっていくうち、どうやら彼ら彼女らは語らないのではなくて「語ることがない」のだということに気がついた。


そう、この部分。当事者には実は「語る言葉がない」のだ。


そのことを感じたのは、実はこれが2度目で、『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』中島岳志対談集(週刊金曜日)の中の「中島岳志 × 重松清」を読んでいたら、こんなフレーズがあったのだ。


重松:こういった事件があった時に、母親が過保護であるとか、教育ママであるとか、母親との関係が息子を犯行に至らしめたという、そういった物語にあてはめて理解しようという報道が、特にテレビのワイドショーや週刊誌では数多く見られました。


 中島さんも、この単純化された構図にのって『秋葉原事件』を書くことは可能だったと想います。母親に抑圧された言葉。特に作文が象徴していると思いますが、諸悪の根源は母親にありという物語のもっている強度や、そのわかりやすさの強度ということは意識されましたか。


中島:もちろん事件の背景に母親の存在があったことはものすごく感じました。裁判が、基本的にその方向で進んでいきましたよね。加藤自身もその物語に自分自身を回収させようとする再帰性が存在していた。僕は、この裁判で語られた物語を、当時の彼の生の声から解体していこうと思いました。(中略)


その物語に、事件から2年経った加藤が再帰的に入り込んでいる、という印象があったんです。でも、加藤が事件以前に発していた言葉はそんなところからは発せられていないんじゃないか、と。それを彼にぶつけたい思いがありました。

 だから、彼自身が、彼の物語の中に再構成していったことに、みんなが足を取られ、彼自身ものみ込まれているというか。(中略)


重松:『秋葉原事件』でもっともサスペンスを感じたのが、「現実」と「虚構」のかけがえのなさが加藤の中で反転してしまう瞬間です。そこが一番ドキンとくる。それと同時に、ウロボロスではありませんが、加藤を理解しようとして社会がつくり上げた物語に加藤自身がのみ込まれていくという、これもまた「現実」と「虚構」の反転ですよね。(中略)


中島:(中略)政府の発表する情報は信じられないし、東電はもっと信じられない。専門家も誰を信用していいかわからない。大手メディアも信じられない。そんな中で放射能の問題と対峙しなければならない。

 今、現前しているのは究極の自己責任社会です。科学に対する高度なリテラシーを持ち、常に情報収集を行ない、正しい情報か誤った情報かを区別しなければならない。そうしないと、もしかすると自分の子どもを守れないかもしれない。自分自身だってどんな症状が後から出てくるかわからない。そんな自己責任を要求される社会になっています。


 しかし、そんな毎日を送っていると、確実に疲弊します。一般国民がすべて高度な科学的判断を自分の責任で行う社会なんて、実現不可能です。(中略)


するとどうなるか。

何やってんだ東電は! 何やってんだ政府は! というイライラ感が募る。敵を見つけて、徹底的に叩きたくなる。そして、そのような中で「救世主待望論」が広がっていく。敵を叩き、単純化した断言を繰り返す政治家がヒーロー化する。みんなの不安や苛立ちが、断言に吸い寄せられていく。(中略)


そして、その攻撃的衝動がファシズムの吸引力へと転化していく。絶対的な正義と絶対的な悪という二分法なんて本当は成立しません。原発を支えてきたのは私たちです。東京の過剰な電力消費の中で疑問を持たずに生きてきたことを忘却してはならない。


問題の中心に、自己の日常があるはずです。だから、自己と対峙しないといけない。にもかかわらず、絶対的な敵を外にばかり求め、「あいつこそが悪なんだ」と不幸の元凶のようにバッシングしていると、朝日平吾的な人間が生み出される素地が出てくると思うんです。加藤も東電も、自己の問題のはずです。自己の中にある加藤や東電と向き合わなければならない。


重松: 当事者としての振るまい方をこれから見つけなければならないのかもしれません。10年前の 9.11 に象徴される「終わり」は、もはや僕たちの世界の外側での出来事ではない。(『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』中島岳志対談集・金曜日刊 p149 〜 p209 より抜粋)


■それから、もう一つ。

最近読んで「当事者」に関して考えさせられた文章があった。これだ。


「森達也 リアル共同幻想論」 【第52回】 自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と書いた人に訊きたい


■森達也氏は、1956/05/10 生まれ。


あと、小田嶋隆氏は、1956/11/12 生まれ。
それから、宮沢章夫さんが、1956/12/09 生まれだ。


小田嶋さんて、もっと団塊世代の「末尾の人」のような雰囲気があったのだが、なんだ僕の2学年上なだけなんだ。それにしてはビートルズに煩いのが不思議だな。というのも、少なくとも僕の世代ではリアルタイムでビートルズに熱狂していた友人はいない。みな、高田渡、加川良、友部正人、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水、かぐや姫、小室等と六文銭、岡林信康など、日本のフォークを聴いていたし、当時ラジオから流れていたのはビートルズではなくて、カーペンターズだったし、ボブ・ディランだった。あと、ミッシェル・プルナレフね。


それから、ジェイムス・テイラー。そうして、キャロル・キングだな。少なくとも僕はそうだった。


同い年で、大学の同級生だった菊池はこうだ。中学生の頃にサイモン&ガーファンクルにはまって、仙台二高時代に、レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾン、イエス、ピンク・フロイド、EL&P、ディープ・パープル に出会う。当時はプログレ全盛期だったよなぁ。少なくとも、ビートルズは既に「過去の人」だったように思うのだ。


で、その小田嶋隆氏が揶揄した、いまの内閣総理大臣である野田佳彦氏は、1957年5月20日生まれだ。


この、ぼくより「1〜2学年上の人たち」の中には、例えばほかにこんな人がいる。


・氷室冴子 1957/01/11
・柴門ふみ 1957/01/19
・ラモス・瑠偉 1957/02/09
・浅田彰  1957/03/23
・石原伸晃 1957/04/19
・鈴木光司 1957/05/13・
・山崎ハコ 1957/05/18
・山下泰裕 1957/06/01
・松居一代 1957/06/25
・大竹しのぶ1957/07/17
・神足裕司 1957/08/10

・孫正義  1957/08/11
・東国原英夫1957/09/16
・増田恵子 1957/09/02(ピンクレディ)
・綾戸智絵 1957/09/10
・夏目雅子 1957/12/17

・宮本亜門 1958/01/04
・石川さゆり1958/01/30
・みうらじゅん1958/02/01
・時任三郎 1958/02/04
・東野圭吾 1958/02/04
・北尾トロ 1958/


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