2012年6月 9日 (土)

『なみだふるはな』石牟礼道子、藤原新也(河出書房新社)

■もうずいいぶんと前に読了した本なのだが、なかなか感想が書けないでいる。


で、無理に感想を書くのをやめて、印象に残ったフレーズを抜粋することだけにしよう。


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■その前についでに言うと、この本を読んだ後に『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)を読んだのだが、これはつまらなかった。本の帯には「なんだかわからないけど めちゃめちゃおもしろい」と、文教堂書店浜松町店の大波由華子さんは書いているが、ほんとうにそう思ったのか? そうか。人はいろいろだからなあ。


ぼくが「この本」で一番面白いと思ったパートは、第13回「裏を見る眼」に書かれた塩谷瞬「二股愛」報道に関する考察。でも、それってこの本に期待した内容ではない。小田嶋氏のいつものコラムだ。


たぶん、本の企画段階では「これはいける!」と、編集者ともの凄く盛り上がったに違いない。ところが、実際に連載が始まってみて「この企画は失敗だった」と、小田嶋氏は気づいてしまったのではないか。だから筆が進まず5年以上もの歳月が過ぎ去ったのだろう。


もともと「コラム道」と『道』って書かれているからね。いわゆる文章読本ではないことは読む前から判っていたし、そういった「小手先のテクニックを伝授」みたいな記載は期待していなかった。


でも、「あとはたくさん読んでたくさん書けば、いやでも文章は練れてくる。」(p188) って、それが結論じゃぁ、あまりに淋しいのではないか。


なるほどなあと感心した部分もあった。

第4回「会話はコラムの逃げ道か」の後半部分。


 かと思うと、会話の上では、才気煥発に見える人が、文章を書かせると、どうにも散漫で支離滅裂である例も珍しくない。というよりも、もしかして、打てば響くタイプの人間の多くは、文章が苦手であるのかもしれない。

 なぜだろう。
 どうして、アタマの良い人が、良い文章を書けないというようなことが起こりうるのだろうか。

 おそらく、このことは、魅力的な会話を成立させる能力と、マトモな文章を書くための能力が、まったくかけはなれているということに由来している。(中略)


 彼らはテニスプレーヤーに似ている。
 速いサーブに対応する反射神経と、意想外のドロップショットに追いつくスピードを持った彼らは、会話という限られたコートの中では、どんなタマでも打ち返すことができる。(p53〜p55)


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 ■閑話休題■

『苦界浄土』石牟礼道子は、たしか大学生のころ講談社文庫版で買って読んだ記憶がある。いやまてよ。買っただけで、最後までちゃんと読み通さなかったかもしれない。つまり、「水俣病」がリアルタイムだった僕でさえ、その程度なのだ。


ちなみに、世界的に有名な小児科の教科書である「ネルソンの小児科学」の載っている「水俣病」の項目は、前々の信州大学小児科学教室教授であった、故・赤羽太郎先生が執筆している。(ぼくが持っている「ネルソン小児科学」はそうなのだが、現在出回っている版がどうかは知らない。)


「水俣病」なんて、数十年も前に終結した公害病っていう認識しかなかったぼくは、「この本」を読んで恥ずかしく思ったのだった。過去完了形なんてもってのほかで、2世3世4世と引き継がれて、現在進行形で今でも20代の若い人たちに「水俣病」が発症しているということを、この本を読んで初めて知った。ごめんなさい。


■それから、写真家・藤原新也氏といえば、『メメント・モリ』に載ったあの有名な写真。そう、「人間は犬に食われるほど自由だ」とキャプションが付けられ「黄昏のガンジス河畔に流れ着いた水葬死体に野犬ががつがつ食らい付いている」あの写真がまずは目に浮かぶ。


でも、「ここ」を読むと、あの写真以外には死体をカメラに撮したことはないのだそうだ。そうだったのか。


藤原:水銀というのはつまり味も臭いもないということですね。まるで放射能そっくりだ。感じられないものほど怖いものはない。

石牟礼:いまも若い人たちに発症例が見受けられるんです。

藤原:えっ、いまもですか?

石牟礼:はい、二十代の終わりぐらいの人たちが発症しているそうですけれども、国が特別措置法というものをつくって、裁判をしないこと(後略)

藤原:それで水俣の、たとえば猫が狂いはじめたというのがいつごろですか。

石牟礼:それは昭和三十年前後ですね。(『なみだふるはな』石牟礼道子・藤原新也・河出書房新社 p53~54)


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石牟礼:鹿児島と宮崎と熊本の三県の境くらいに曽木の滝というのがあるんですけれども、チッソはそこに電力会社をつくって、まず電気を引いたんですね、水俣へ。(中略)

 それを聞いた人たちが、「そんなのが来るなら、うちの山にも電信柱を通してほしい」「うちの田んぼにも通してください」と。「そっちのほうには行かれん」と会社の人たちがいうでしょう、「それなら電信柱の影なりと、うちの畑にも映るごつしてくだはりまっせ」と(笑)。なんていうか、いじらしいんですよ。(中略)そうやって電気を引いてきて、その電球が灯った晩のことは私もはっきり憶えています。(中略)


藤原:やっぱり電気ですか、はじまりは。電気にはじまり電気に終わる。(中略)


石牟礼:水俣にとっては会社は恩人と思っていたのです。それはいまでも根強いですよ。
(『なみだふるはな』「光」 p83~86)

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藤原:憎しみとか憎悪というのは人間が他者に持つネガティブな感情の中では最も重篤なものだと思うのです。その「憎い」という言葉を聞いて僕の頭に思い浮かんだのは旅したアラブやイスラム世界でした。パレスティナがいい例ですが、あの世界ではいたるところで憎しみの連鎖がいつまでもつづき、いまに至っている。


 その憎しみの根源には何があるかというと、土地の略奪と喪失なんです。イスラム世界というのは、たとえばイランは住める土地が少ない。だから人間の住める沃土はすごく貴重です。


 僕が今回の強制避難区域で聞いた「憎い」という言葉の根源には、そのイスラムの憎悪の根源にある、自分が住んでいる「土地を失う」に似た意味があると思うんですね。つまりある日、代々伝わり子どものころから住み慣れた土地や家を強制的に略奪されたわけです。この悲しみや怒りは、放射能を浴びるよりずっと大きい。(中略)


だけど、原発の強制避難区域というのは事実上帰れない。庭先の除染は可能ですが、広大な野山までの除染は不可能です。そういう仕打ちを自然がやったとするならあきらめもつくだろうが、人がやったんですね。


 日本というのは確かに異民族も同居はしていますが、世界の国に比べると圧倒的に一国家一民族的色合いが濃い。そういうものの中で、和の精神とか空気を読んで他人に合わせるという曖昧な他者との処方が機能してきたわけですが、思うにこのイスラム世界のように、同民族を同民族が憎悪するという心の版図は日本にはなかったように思うのです。そういう意味では神代の昔以来初めてここで小さな民族分裂が起こっていると、現場を踏んでそのように感じるんです。(中略)


石牟礼:(前略)世間の人たちもわかってくれなかった。なんでこう苦しまなければならないんだと考えて、「あんたたちは誰も病まんけん、代わって俺たちが病んでいるんだ」という気持ちになられるのです。(中略)


それで、「知らんということは罪ばい。この世に罪というのがあるのなら、知らんということがいちばんの罪。それで、知らん人たちのためにも、自分のためにも祈ります」と。(中略)


「あんたたちのおかげでこういうふうになった」とはおっしゃらない。代わって病むとおっしゃる。これは現代の聖書ですよね。だけど、聖者といったって、その人たちの苦しみを和らげることはできないんですね。近代というのは罪に満ちていると思います。


「道子さん。私は全部許すことにしました、チッソも許す。私たちを散々卑しめた人たちも許す。恨んでばっかりおれば苦しゅうしてならん。毎日うなじのあたりにキリで差し込むような痛みのたっとばい。痙攣も来るとばい。毎日そういう体で人を恨んでばかりおれば、苦しさは募るばっかり。親からも、人を恨むなといわれて、全部許すことにした親子代々この病ばわずろうて、助かる道はなかごたるばってん、許すことで心が軽うなった。

病まん人の分まで、わたし共が、うち背負うてゆく。全部背負うてゆく。」
(『なみだふるはな』「憎しみと許し」 p129~135)

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石牟礼:(前略)不知火海百年を語ってください、という会をしたんですよ。怪我をするまで、わが家でしてました。限られた漁師さんに来てもらって。ともかく海のことをお聞きしたいと思って来てもらっておりましたけれども、いろいろ教えてくださって。ほんとうかお話かは知りませんが、


「あんな、道子さん、知らんと? タチウオは頭が三角になっとるでしょうが」
「はい」
「あの三角頭が縦になって立ち泳ぎすっとばい。そしてお日さまが出なはるころになると、さーっとお日さまが山の端から出なさると、いっせいに三角の頭を波の上に出してな、合掌しよっとばい。知らんじゃったろ?」

(『なみだふるはな』「光明」 p152)


■チッソが来る前の水俣も、原発が来る前の福島も、それはそれは風光明媚で、「自然」とその土地に暮らす「人間」とがお互いに畏怖・尊敬しながら生きていた場所だ。それが、水俣では60年経っても未だに新たな患者さんが発症していて、福島第一原発はたぶん100年経っても収束しないのではないか。


怖ろしいことだ。悲しいことだ。

2012年6月 3日 (日)

「marry you」聴いて、ブルーノ・マーズのCDをポチッテしまった

■前回の続きです。

例のアメリカはオレゴン州、ポートランド在住で「ちょいと冴えない肥満体型の劇団員30代男性」の画像は、YouTubeにアップされてから10日も経たないうちに世界中で1000万回以上再生されたという。凄いな!


実際、ぼくはこのビデオを見るまでブルーノ・マーズも「marry you」も知らなかったのだが、何ともキャッチーな「この曲」にすっかりハマってしまい、サッカー・ワールドカップ最終予選「対オマーン戦」のハーフタイム中に伊那の TSUTAYA へ長男と急いで行って、marry you のカヴァーが収録された『glee season two vol.4』を借りてきたところだ。


で、早速聴いてみたのだが、やっぱりオリジナルのほうが断然ノリがいい。


じゃぁ、と iTunes Store へ行って検索するとあったあった。この曲だけで200円。CD「Doo-Wops & Hooligans」全曲購入だと 1000円。早速ポチろうかと思って、待てよ? と、アマゾンをチェックしたら、輸入盤で購入すると 991円。ダウンロードよりも9円安いじゃないか! もちろん、こちらをポチりましたよ。


ぼくと同じような行動に走った人が世界中に相当いるのではないか?


とすれば、ブルーノ・マーズにとっては一切カネをかけずに思いもかけず最高のプロモーション・ビデオが作成されて、しかも世界中の人たちが 1000万回以上も自分の曲を聴いてくれた。しかも、そのうちの何割かは、iTunes Store や amazon で実際に曲やCDを購入してくれている。だからもちろん「著作権侵害」なんて絶対に言わないよね。


ところが、これが日本で作成されたビデオとなると状況は全く異なる。


一応、JASRAC と YouTube との協定で、素人が「自分で歌ってみました画像」は JASRAC は認めている。でも、オリジナル曲を勝手にBGMとして使用することは「絶対にダメ!」なのだ。そのあたりは徹底している。


■ぼくもよくやるブログへの「YouTube 埋め込み画像」に関して、JASRAC は「このように」公式見解している。「個人が広告収入を得ずに運営するホームページ、ブログ」ならば黙認すると。


でも、この「しろくま通信」が、北原こどもクリニックの広告媒体であると主張される可能性もあるわけで、そうなると、この記事は「やぶへび」になってしまうな。これはマズいぞ。


たぶん、JASRAC は毎日「エゴサーチ」して危険分子をチェックしているだろうから、敵にまわすとホント怖い相手なのだ。


■全国十数カ所に支部があり、例えば長野県の場合は「大宮支部」がチェックしている。そこの長野県担当者は、信濃毎日新聞をはじめ、長野日報などのローカル紙、さらには「週刊いな」や「中日ホームニュース」といったフリーペーパーに載った「コンサート告知情報」を、くまなくチェックして、その日演奏された楽曲の使用料を請求してくる。それはもう、徹底しているそうだ。


彼らのもう一つの重要な任務は、カラオケ店やスナックでのカラオケ楽曲使用料の徴収と、喫茶店などでBGMとして使用されている楽曲使用料の徴収がある。実際に流れた楽曲を1曲ごとにチェックするのはお互いに大変なので、店舗の床面積から割り出した「年間一括契約」で支払われることが多いようだ。


■何が言いたいかというと、もちろん、作詞家、作曲家やミュージシャンたちの著作権を守ることは絶対的に必要だが、旧態依然としたJASRAC の何十年も変わらぬアナクロニズムに関して、さすがにいま現在では問題があるぞ! ということだ。


BGMとして、床面積の小さな喫茶店で 音楽を流すなら、年間 6000円支払えば許す。しかし、BGMとしてではなく、客に音楽を積極的に聴かせる「ジャズ喫茶」の場合は、一曲ごとにしっかり課金しますよ! ライヴの生演奏もあるなら、さらに課金させていただきますよ! てところが問題なんだ。


いまやシーラカンスのようになってしまった天然記念物の「ジャズ喫茶」から、冷酷なJASRAC は反論の余地のない実務的計算式から割り出した課金を赤字であえぐ「ジャズ喫茶」から無情にも搾取しているのだ。


有名なのは、新潟市で古くからジャズ喫茶を営む(ぼくも学生の頃、一度訪れたことがあるぞ)『スワン』店主の果敢な攻防だ。


「このブログ」での記載がよくまとまっている。

■意固地な「sony」が、自社所有の楽曲を未だに「iTunes Store」に解放していないことと似ているバカを、JASRAC は懲りもせずにくり返しているのではないかな。悲しいことだ。ほんと。


■あと「この記事」が示唆に富んでいて読ませる。

2012年5月29日 (火)

アイザックの「くちパク」プロポーズ

■今朝、茂木健一郎氏がツイッターで教えてくれた、YouTube画像 「Isaac’s Live Lip-Dub Proposal」。 これはたまげた驚いた! 2012年5月23日(先週の水曜日)に録画された画像だ。カメラは最初から最後まで「まわしっぱなし」の「ワンシーン・ワンカット」で、一切編集は施されていない。それなのに、なんなんだ! この完璧さ。感動して、ラストで泣いてしまったよ。先ほど、iPad の大きな画面で見たら、もっとよかった。 曲がいいんだね。 Bruno Mars の『Marry You』って曲。 あぁそうか。「Gree」でカヴァーされた曲なんだ。 場所は何処なんだろう? アメリカというより、イギリスって感じかな? あ。いや、ホンダCRV の後ろに駐車している車のナンバーは「オレゴン」だ。てことは、アメリカ西海岸北部か。


YouTube: Isaac's Live Lip-Dub Proposal

でも、日本語的には「結婚してください」だから、英語で「Marry Me」って感じなのだが、正しい英語では『Marry You』なのか? Youが主語なら「 Will you marry me」だが、I が主語だから「 I wanna marry you. 」ってなるわけか。

2012年5月27日 (日)

3.11 後のエンタメ小説『標高二八〇〇米』樋口明雄(徳間書店)つづき

『標高二八〇〇米』樋口明雄(徳間書店)は、そのタイトルや表紙イラストから本格山岳冒険小説かと思われるかもしれないが、月刊誌『問題小説』2008年12月号〜2011年7月号に断続的に掲載された7つの短篇に、書き下ろし1篇を加えた短編集で、「幽霊譚」5篇+「近未来譚」3篇から成っている。


しかも、よくある「山男が語る冬山の怪談話」は、ひとつもない。


ポイントは、「3.11」の前と後とで発表された作品が収録されているということだ。
だから、幽霊譚とは言っても、最愛の人を失った者たちの深い悲しみや後悔の念がベースにあって、その読後感は辛く苦しい。


ただ、この短編集一番の読みどころは、やっぱり残りの「近未来譚」3篇にある。


「渓にて」は、『問題小説(2010年12月号)』に発表された。「3.11」の前だ。
でも、どう考えても「3.11」後に書かれたとしか考えられない内容だ。


たぶん本にするに当たって大幅に加筆されているのだろうが、それにしてもやはり「炭鉱のカナリア」ではないか。ネタバレになるので内容は書けないのだが、勘がいい人なら、映画化もされたネビル・シュートのSF小説を直ちに思い浮かべたことだろう。


「標高二八〇〇米」は、小5の息子と2人で南アルプス北岳山頂(3193m)を踏破した主人公が体験する不条理な話で、これは面白かったな。ちょっと、最近の鈴木光司みたいな感じになりそうで危惧したのだけれど、最後に収録された「リセット」が「標高二八〇〇米」の続編となっていて、これが実にリアルで読ませる。われわれがいま直面している現実と、そのわずか先の未来の話「そのまま」ではないか。あぁ、確かにそうだよなぁ。そういうことになるワケだよなぁ。そう、しみじみ思ったよ。


読後、何とも言えない「やるせなさ」と「無力感」に包まれ、『極北』や『ザ・ロード』に残された「微かな希望の火」は、「リセット」においていとも簡単に吹き消されてしまう。ほんとうに切ないし悲しい。それでも………

■「リセット」でじつに印象的だったシーンがある。


スウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマンが撮った『第七の封印』を彷彿とさせる場面だ。ぜひ、読んで確かめてみてほしい。






YouTube: Det Sϳυחde Ιחseglet (1957) 1/9

ところで、著者は執筆後この本が出るにあたって、facebook で「こう」言っている。


2012年5月23日 (水)

3.11 後のエンタメ小説(その3)『標高二八〇〇米』樋口明雄(徳間書店)

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■いま読んでいる『なみだふるはな』石牟礼道子・藤原新也対談(河出書房新社)の中で、藤原新也氏が「こう」発言していてびくっとしてしまった。そうか、そうだったのか。知ったようなことを書いてしまって反省しています。


「リアリティ」(p62)

藤原:震災があって一週間後に被災地に入ったんですね。いまはもう三か月経って、先日も行ってきましたが、最初に行ったときとは空気がまったくちがいます。直後というのは……


石牟礼:臭いがある?


藤原:臭いも当然ありますけれども、空気に恐怖感がまだ残っているんですね。津波が来たときに、ものすごい恐怖感が渦巻いたでしょう。人間の叫びだとか。そういうものがまだ残っているんですよね、空気の中に。それがわかるんです。その空気に充満していた恐怖の気のようなものがいまはありません。

道端で座り込んで泣いている人もいたし、ほんとうに東北の気丈なおやじが、泣いているんですよ、道端に座り込んで。(後略)


石牟礼:『AERA』の写真を拝見しましたけれども。鳥がいっぱいの。「死臭が」と書いてあった。死臭というものを書いてあるのは初めて見ました。何か臭いがするはずだと思っていた。書かないですね、臭いのことは、新聞は。


藤原:基本的にはそういう悲惨な状況はなるべく隠すように隠すようにしていますから。たとえば津波の光景でも、人間が二万人死んでいるわけですから、当然いたるところで写っているんです。


写ったやつは全部排除して。写っていることがいいことかどうかは別として、そういう二次情報というのは全部選別する時代ですから。

そこで死体を写すべきかどうかという議論がネットであったようですが、僕個人はあまり死体は写したくないんです。リアリティを伝えるために死体を写すべきだといういい方がありますが、じゃあ、自分がその死体だったらどうか、自分が写されたらどうか。僕が水ぶくれにになって、その辺に転がっていて、向こうから長玉(望遠レンズ)で人が撮っている光景を想像すると、これは気持ちがよくないですよね。


死体を写すべきだという人は、おまえが死体になったらどうだという、そういう観点がないんですね。


もう一つは、死体を出したからリアリティが伝わるかどうかという、それはまた別ですね。むしろ僕が撮った、カモメが陸に群れている写真のほうが、ぞっとする力がある。リアリティといいますかね。


石牟礼:感じました。とても。この下には死体があって、鳥たちは食べるわけですからね。


藤原:リアリティというのは想像力だと思うんです。そのものを見せてしまうと想像力は封印されてしまう。見ることはカタルシスにつながってそれで終わってしまう。(『なみだふるはな』p64 より)


■ところで、つい最近とくに目的があった訳でもなく、ただなんとなく『ひかりの素足』宮澤賢治・作、赤羽末吉・絵(偕成社)をたまたま読んだのだ。「この話」は今までなぜか知らなくて、今回初めて読んだ。


賢治の童話の中では、初期に書かれたもので、宮澤賢治が当時熱心に信心していた法華経の影響が全面に出た作品だ。そして、あの『銀河鉄道の夜』の原型になった童話だとされている。


まだ幼い兄弟が吹雪の峠で道に迷い遭難する話だ。凍死寸前の二人は生死の境をさまよう。カムパネルラとジョバンニのように。ただ『銀河鉄道の夜』と違う点は、「地獄めぐり」の場面がまずあることだ。剣が一面に突き出た大地を、裸足の少年たちが血をだらだら流しながら、大きな赤鬼にむち打たれ進んでゆく。


ぼくはこの場面を読みながら、あれ、どこかですでに読んだことがあるシーンだなぁ、と思った。で、思い出したのが『標高二八〇〇米』樋口明雄(徳間書店)の中の、『霧が晴れたら』だ。妻と中1の息子の家族3人で登山していた主人公は、岩場で滑落する。そして……。 この短篇は『ひかりの素足』を下敷きにしているのではないか。


■ところで、絵本『ひかりの素足』を読み終わったあとに、偶然『なのはな』萩尾望都(小学館)に収録された、マンガ「なのはな」の続編、「なのはな ---- 幻想『銀河鉄道の夜』」に『ひかりの素足』が出てくるっていう情報を得て、あわてて一昨日 TSUTAYA へ行って購入したのだ。


それは最後に載っていた。


「なあんにも こわいことは ないぞう」

っていう、お釈迦様の言葉が心に沁みる。

2012年5月21日 (月)

金環日食を間接的に見る


■リッツ・クラッカーの「穴の中」の太陽

1205211

■テレフォンカードが見つからなかったので、JR東海の「オレンジカード」の穴の中の「金環日食」


1205212


2012年5月20日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その89)下諏訪町立図書館

■今日の日曜日は、「下諏訪おはなしのへや」のみなさんが、われわれを呼んでくださった。会場は下諏訪町立図書館。広くて大きくてきれいで立派な図書館だったなあ。今年で出来て10周年だそうだ。


会を始める前のあいさつで「じつは僕らも、もうすぐ結成 10周年になるんですよ。」って話したのだが、本当は「2004年4月23日」がデビューだったから、まる8年だったんだな。10周年にはもう少し間があった。すみません。


   【本日のメニュー】


 1)『はじめまして』新沢としひこ(鈴木出版)
 2)『うえきばちです』川端誠( BL出版) →伊東
 3)『でんしゃはうたう』三宮麻由子・文、みねおみつ・絵(福音館書店)→伊東
 4)『あーといってよあー』小野寺悦子・文、堀川理万子・絵(福音館書店)→北原

 5)『かごからとびだした』いぬかいせいじ・文、藤本ともひこ・絵(アリス館)→全員

 6)『こんとあき』林明子・作(福音館書店) →坂本
 7)『ねこのおいしゃさん』増田裕子・文、あべ弘士・絵(そうえん社) →全員

 8)『ようちえんいやや』長谷川義史(童心社) →倉科

 9)『ふうせん』(アリス館)
 10) 『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

2012年5月19日 (土)

『きつねのつき』 3.11 後のエンタメ小説(その2)

■3.11 の震災後、比較的早い時期に発表された文芸作品の中で、ぼくが読んだのは『なのはな』萩尾望都・画(『月刊フラワーズ8月号』小学館)と、『小説新潮5月号』に掲載された「川と星」彩瀬まる・著 だった。


前者は中日新聞のコラムで、後者はツイッターで知った。


両者ともに、リンクのとおり現在「単行本」として出ている。


■「川と星」彩瀬まる著は、読んでみて大変な衝撃を受けた。「このブログ」に詳しいが、東京在住の新人作家が、たまたま私的東北旅行をしていて、昨年の3月11日の午後、仙台発の上り常磐線普通列車に乗っている時に、地震と津波に遭遇し、避難先で原発事故にあう。旅行先で知人親戚も誰もいない中で、福島在住のいろんな人たちに助けられ、生死の境を彷徨いながらも無事帰還できた顛末が綴られていた。


なによりも驚いたことは、TVで放映された幾多の津波映像よりも、彼女が書いた文章のほうが数十倍もリアルに読んでいて「体感」できた(させられた)ことだ。ただの文字だけで、写真もビデオ映像も、視覚的インプットは何もないのに、その振動、轟音、におい、寒さ冷たさ、空腹感。そして、まるで著者の隣に佇んで同時に感じている恐怖と不安と絶望を、ぼくも確かに「体感」したのだ。


これが「文学の力」なのではないか。


「この感覚」とほぼ同じ想いを、『きつねのつき』北野勇作(河出書房新社)を読みながら、何度も感じた。

夜が来ると、あの夜のことを思い出す。妻を返してもらいに行った、あの月も星もない夜のこと。
闇に沈んだ地上のさらにその下で、ざわざわと海だけが騒いでいた。(中略)


いちどは登った長い坂を、そのために再び下っていった。
私と同じことを考えたのかどうかはわからないが、私と同じように下った者は、何人もいた。彼らがどうなったのかは知らない。


あの闇に呑み込まれてしまったのか。それとも、呑み込まれながらも、ここではない別の岸へと泳ぎ着くことができたのか。
いや、私だってそう。(中略)


後ろめたい幸せを抱えて、私はここに立っている。いつまで立っていられるのかはわからないし、あるいはもうとっくに立ってなどいないのかもしれないのだが。

とにかく、ここにこうしている。(『きつねのつき』p4〜5)


この冒頭の文章は、たぶん単行本にするに当たって、震災後に新に書かれた文章なのではないかと思った。もちろん震災の2年前に書き上がった小説とはいえ、出版に当たっては加筆訂正が随所に為されているのであろう。


■例えば『どろんころんど』の場合、なにかとてつもなく大変な事態が「世界中で」平等に起こってしまったあとのはなし、であることは判る。ところが、『きつねのつき』の場合は、大変なカタストロフィーに陥ったのは大阪の下町の「ごく一部の区域」に限られていて、「中の人」である主人公と、「外の人」とのカタストロフの受け止め方が全く異なっていて、そんな主人公の諦念や怒り、やるせなさを、読者はじわりじわりとリアルに追体験させられることになる。


地面が傾斜している。
つまりここは、坂の途中だ。
あの台地の方向からまっすぐ続いている坂道。それがこのあたりからさらに急になって、まだまだ先まで続いている。


ずっとずっと下まで、まっすぐ。
たぶん、死者の国まで。
そういう坂だ。
たぶん。


真っ暗なはずのそんな坂の先がどこまでも見通せるのは、その途中に携帯電話がたくさん落ちているからだ。
それらが呼出しを続けながら、その小さな四角い液晶画面を光らせているから。


狐火のように。


持ち主がもうこの世にはいない携帯電話。
死者の数だけ、いや、ひとりでいくつも持っていた者もいただろうから、それより多くの携帯電話が散らばっている。


生きている者が生きている者の国から、死者を呼び出そうとして、あるいは呼び戻そうとして、鳴らし続けている。
テレビの向こうにあるあの生者の国から。(p244〜p245)


それと「死者たち」だ。この小説には、上記抜粋を含めて、そこかしこに彼らがいまも共存している。


彼らこそ、当事者なのだからね。


■そういった背景があった中での「父と子」の日常が描かれるのだ。


どんな状況下でもあっけらかんとたくましい2歳児の女の子がとにかくいい。いつも元気だが、疲れるとすぐ父親におんぶをねだる。そんなひとり娘のために、それでもどっこい生きてゆく(生きてゆこうとしている)父親。そして、そんな父娘を見守る母親。家族にとっての掛け替えのない(今ここにしかない)時間と空間を愛おしむ小説なのだった。


そのことが、3.11 後に発表された幾多の文芸作品の中でも、この『きつねのつき』が特別の作品であると思うのは、ぼくだけだろうか?

2012年5月18日 (金)

『きつねのつき』北野勇作(つづき)3.11 後のエンタメ小説

■『きつねのつき』北野勇作(河出書房新社)は、読んでいてどうしても「あの 3.11 」に起こった地震、津波、原発事故をリアルに思い浮かべてしまう。実際この小説には「事実そのまま」といってもいい描写が随所に散見される。


でも、ほんとうは「この小説」が書かれたのは「あの日」よりも2年も前だったという。びっくりだ。


不思議だ。何なんだろう? このシンクロニシティは。


作家に限らず、表現者、芸術家といった人々は「炭鉱のカナリア」なんじゃないかって、思うことがあるな。例えば、先日読んだ『極北』マーセル・セロー著、村上春樹訳(中央公論新社)がそうだった。コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』もそうだ。あと、北村想の戯曲『寿歌』。それに、ぼくは未読だが『ディアスポラ』勝谷誠彦(文藝春秋)もある。

ただ、ぼくが注目したのは、山梨県北杜市白州町在住の冒険小説作家、樋口明雄氏が震災後に出した『標高二八〇〇米』(徳間書店)だ。(つづく)


        ■閑話休題■


ちょっとその前に、書いておきたいことがある。


先ほど読んだ、作家・花村萬月氏のツイートだ。以下転載。

花村萬月 ‏@bubiwohanamura ①ホテルにもどって、新幹線車中で頭の中に泛んだ絵をノートパソコンに、簡単に記しておく。象徴を掴んでしまったので、覚え書き以前の代物でも、即座に脳裏に画像が焦点を結ぶ。 こういう具合に絵が見えない人は、執筆に苦労するんだろうな。②に続く。


② 字を書いているからといって、文字や言語で思考しているとは限らないのだが、このあたりを大きく勘違いしている人が多い。誤解を恐れずに言ってしまえば、小説という散文表現は、じつは言語を用いた絵画の1ジャンルなのかもしれない。


これ読んで、なるほどなぁと思った。
作家の頭の中には、明確な映像が視覚的イメージとして確かにあるのだ。


落語と同じなんだなあ。

落語家は、聴衆に対して登場人物から風景、季節感まで、日めくりのように一枚一枚、絵をめくって行く感じで、画像としてイメージさせなければダメ! と言ったのは、先代の桂文楽で、それを聞いたのが橘家円蔵師だ。土曜日夕方FMで放送している「サントリー、ウェイティングバー・アヴァンティ」で、円蔵師がそう言っていた。


で、つらつら考えるに、いろんな落語の演目を思い浮かべてみると、それぞれ最も印象的なシーンが写真のように思い浮かぶ。例えば、「らくだ」なら、大家の家で死人を背負って屑屋が「かんかんのう」を歌う場面だし、「粗忽長屋」なら浅草浅草寺のシーンだ。「子別れ・下」だと、鰻屋の階段の下から二階を見上げる、熊五郎の別れた女房のシーンか。


こういう記憶の仕方は、なにも落語に限ったことはない。


読み終わった本の内容を思い出す時、ぼくは写真画像がまず最初に立ち上がるのだ。つまりは、小説のストーリーを「視覚イメージ」として記憶しているのだね。だから、その本の内容をほとんど忘れてしまったとしても、その小説の印象的な「あるシーン」だけは、明確な視覚イメージとして記憶に保持し続けることができるのだった。

ただ、こういった視覚的記憶は、例えば「その小説」が映画化された場合に都合が悪い。


じぶんが個人的にイメージした映像と、多くの場合出来上がった映画はものすごくかけ離れてしまっているからだ。


■何が言いたいかというと、あの 3.11 から何度も何度もくり返しくり返しテレビで流された「あの津波の映像」や「津波によって根こそぎにされた陸前高田や三陸町の町並み」を、ぼくらは見過ぎてしまっていることに大きな問題があると思うのだ。人間にとって、何と言っても視覚情報は圧倒的パーセンテージを占める。


じつは、僕は震災後一度も被災地には行っていない。
そんな人間が、当事者性もなく発言していいとは決して思わないが、でもちょっと言わせてくれ。


実際に行って見ることと、テレビ画面でくり返し津波映像を見ることはぜんぜん違う。それは誰でも判ることだ。


まず、圧倒的な臭い「におい」は、テレビの映像では再生できない。


それから、死者だ。膨大な瓦礫のそこかしこに、実は人間の「肉片」や「手足の断片」が混在していた。海外メディアの一部は、ブルーシートの覆われ、先端に赤旗が結ばれた竿竹が刺さった場所があちこちにある場面を写真に撮って報道した。


でも日本のマスコミは、ブルーシートも赤旗も、肉片も手足の断片も、修正して死者たちを画面から消し去り、「瓦礫」だけを浄化してテレビに流した。


それじゃ、ダメだろう。浄化してはだめだ。2万人にもおよぶ死者たちを、そんなふうにあつかっちゃあダメだ。(つづく)

2012年5月16日 (水)

『きつねのつき』北野勇作(河出書房新社)

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■昨年から、読もう読もうと思っていながら、なかなか手が伸びなかった「この本」を、ようやく読んだ。しまった、と思った。これはたいへんな傑作なんじゃないか?


もっと早く読めばよかった。


■主人公の長女は、春先に生まれた子だから「春子」と名付けられた。その娘が満2歳を迎え、急に口数が多くなってビックリしている主人公(父親)の呟きで「この小説」は始まる。それから1年が経って再び桜咲く季節を迎え、3歳になった娘が「おー、おはなみだねえ」と言った後の、その次のシーンで終わっている。


    「とお、ないてるの?」
     突然、春子が言った。(中略)
    「とお、わらってよ」


ぼくは最後のページで主人公といっしょに泣いてしまった。もう、ぽろぽろぼろぼろ。これは凄い小説だったなぁ。しみじみそう思ったよ。


■基本設定は、自営業の父親が2歳の娘を「子供館」へ(後半はその隣の保育園へ)送り迎えする日々の日常を、ほのぼのとした父娘の会話をベースに綴られていく、という話だ。


この父娘の会話が実にリアルなのだ。しかも、2歳の女の子は同年齢の男の子と比べて、言語能力が1年くらい早い。こまっしゃくれた生意気な大人勝りの発言をして、読者を笑かしてくれるし、何だかメチャクチャな「デタラメ歌」をよく歌う。そう、まさに宮崎駿の映画『となりのトトロ』の妹「めい」が「とうもころし」って言ってしまうアレね。


それから、2歳児の運動発達に関してもかなり正確な描写がなされていて感心してしまった。

2歳児は、階段はのぼれるが、上手には降りれないのだ。確かに。


 しかしまあそんな顔を見ると、この子のためにできることは、なんでもしてやろう、という気になり、それと同時に、そんなことを思っている自分自身が不思議で仕方ない。自分に子供ができるまでは、子供などただうるさいだけだとさえ思っていたのに。(8ページ)


■この「リアルな子育て描写」を読んでいて、思い浮かべた小説があった。そう、『なずな』堀江敏幸(集英社)だ。


『なずな』は、生後2〜3ヵ月の女児を突然預かって、男手一つで育てなければならなくなった中年男の顛末が描かれていた。ぼくは『きつねのつき』を読みながら、『なずな』の後日談なんじゃないかと勘ぐってしまったほど、両者の「イクメン度」は互角の先進性がある。


ポイントは「母親の不在」だ。


いや、正確には両者ともに「確かに母親は存在している」のだが、物理的、距離的に(『なずな』)、生物学的に死生学的に(『きつねのつき』)母親は不在なんだな。そこが(父親として)不憫で切ない点だ。


何故、母親が不在なのか?


まぁ、それは、そういう設定でないと母親を出し抜いて「父親が子育ての主役になれないから」という理由ではあるのだが。


■そうは言っても、そこは「北野勇作」であるから普通のイクメン小説であるワケがない。ある日突然、不条理なカタストロフィーに襲われた親子が住む下町は、シュールでグロテスクで奇々怪々な事象に満ちているのだ。


もう少し深く掘り進んでみると、古事記にある神話「イザナギとイザナミ夫婦の話」に行き着く。


ちょうど落語『地獄八景亡者戯』に登場する「人呑鬼(じんどんき)」のくだり、『風の谷のナウシカ』に登場する「巨人兵」が未熟のまま崩れ落ちたような「人工巨大人」の体内に、主人公が深く深く下って行って、iPS細胞(多分化能胚細胞)の肉塊を取りに行く場面が「それ」だ。この場面はやるせなくて切ない。


この小説には、他にも落語の演目が巧妙に仕組まれている。まずは『らくだ』。それから『あたま山』に『七度狐』かな。


■それから、こちらのブログ「十七段雑記 2011.8.28」に書かれた感想が興味深い。


ぼくも、ツイッターで北野勇作氏をフォローしているので、去年の4月に北野氏が確かに「そうつぶやいた」のを記憶している。それを読んだ河出の編集者がコンタクトを取って「この本」は晴れて日の目を見たわけだ。


この小説は「3.11」 後に書かれたと誰もが思うだろうが、実はその2年前にすでに書き上がっていて、でも本にはならずお蔵入りしていたという。いや、ほんと信じられないことだが。(つづく)

 


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