2012年4月 1日 (日)

同じ年生まれの人が気になるのだ

『「当事者」の時代』佐々木俊尚(光文社新書)を読み終わった。


新書にしては、ずいぶんと分厚い本だったが、途中で厭きることなく一気に読めた。すっごく面白かったからだ。

著者は元毎日新聞社会部記者で、なぜ記者を辞めてしまったのかは、こちらの「糸井重里さんとの対談」に載っている。そうだったのか。ぜんぜん知らなかった。


この本の最初の2章は、著者が新聞記者だった時の実体験が描かれていて、これがじつに面白い。夜討ち朝駆けとはまさに新聞記者の日常なのだな。小説とかテレビドラマとか映画で見る、特ダネ記事を狙う新聞記者そのものじゃないですか。でも、この本を読んで初めて知ったのは、その花形新聞記者たちの赤裸々な心の内だった。なるほどなぁ。


この第2章〜第4章は、1960年代末から1970年代初頭にかけての大学紛争と、その思想的バックボーン。その栄光と挫折の歴史が分かり易く書かれていて、この本の読みどころとなっている。


ところで、著者の佐々木俊尚氏は 1961年生まれ。僕が 1958年生まれだから、連合赤軍の浅間山荘事件まで含めても、当時の事柄をリアルタイムで切実に記憶している世代ではないはずだ。なのに、何なんだ!? このリアルな描写は。


■僕が高校生だった頃は、本多勝一はまだ、朝日新聞のスター記者だった。


僕は読まなかったが、たしか、同級生のA君が『ニューギニア高地人』とかを、担任の先生から借りて読んでいたように思う。でも僕だって小田実の『何でも見てやろう』は読んだし、埴谷雄高や高橋和巳は読んで少しは分かった気がしたが、吉本隆明の『共同幻想論』はぜんぜん歯が立たなかったな。で探してみたら、いまわが家の書庫にある本多勝一(飯田市出身)の本は1冊のみ。『日本語の作文技術 』(朝日文庫) だ。でも、この本すらちゃんと読んでない。ごめんなさい。


■今年54歳になる僕でさえそんなんだから、いまの若者は「本多勝一って誰? 小田実って何者?」って感じなんじゃないかな?


今日、テルメで5キロ走った後に寄った「ブックオフ」で、『一九七二』坪内祐三(文春文庫)を見つけて買ってきた。1970年の大阪万博を小6の時に見に行った僕は、この年、中学2年生だった。ところで、坪内祐三氏は僕と同じ1958年(昭和33年)生まれだ。この翌年に山口百恵がブレイクし、森昌子、桜田淳子、山口百恵(昭和34年早生まれ)の「中3トリオ」が誕生する。


面白いことに、坪内祐三氏は以前から「同い年生まれの有名人」に異様にこだわる人だった。で、それが高じて『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り―漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』 (新潮文庫) が生まれることになる。


■その他、「昭和33年(1958年)生まれ」の僕が気になる人には、例えばこんな人がいる。


・森岡正博(大阪府立大学人間社会学部教授)
・マイケル・ジャクソン
・マドンナ
・プリンス
・原辰徳
・鴻上尚史
・山田五郎
・中村正人(ドリカム)
・東 雅夫 (幻想小説愛好家)
・穂積ペペ(確か捕まったのでは?)
・永江 朗 (ライター)
・久保田早紀(異邦人)
・西川峰子
・伊藤咲子(ひまわり娘)


・吉野仁(書評家)
・岡田斗司夫
・大塚英志
・大澤昌幸
・武田徹
・久本雅美
・久住昌之(漫画家)
・ウォン=カーウァイ 〈王 家衛〉(映画監督)
・高泉淳子(女優)
・業田良家(漫画家)
・サエキ けんぞう
・日垣 隆
・宮下一郎
・江川紹子
・陣内孝則(俳優)


・日比野克彦
・阪本順治(映画監督)
・喜国雅彦(漫画家・古本愛好家)
・ジョン・カビラ
・岩崎宏美
・安藤優子
・小室哲哉
・宮崎美子
・樋口可南子
・早乙女愛


■1959年の早生まれの人は、山口百恵の他に、


・藤沢 周(作家)
・ダンカン
・シャーデー
・京本政樹
・北野 誠
・小西康陽
・岡田奈々
・吉野朔実(漫画家)
・飯田譲治
・宮台真司
・大月隆寛
・マキ上田(ビューティ・ペア)
・やく みつる
・嘉門達夫
・原田宗典


などなど。けっこういるなぁ。

■こういう過去の記憶をお互いに懐かしむ「世代論」は、たぶんこの著者が最も嫌う事項なんじゃないかと思うのだが、でも、たぶん「この本」を読む読者にとっては重要なポイントとなるように感じた。


あと、僕より 8〜9 歳年上の、1950年、1949年生まれの人たちに結構キーマンとなる人がいるような気がする。


彼らは、あの「1968年」年に、まだ18歳ないしは、19歳だったのだ。
彼らは団塊世代にくくられるのだが、ちょっとだけ「遅れてきた青年」だったのではないか?

・山田正紀 1950/01/16
・伊集院静 1950/02/09
・志村けん 1950/02/20
・カレン・カーペンター 1950/03/02
・佐々木譲 1950/03/16
・和田アキ子1950/04/10
・友部正人 1950/05/25
・中沢新一 1950/05/28
・矢作俊彦 1950/07/18
・池上 彰  1950/08/09
・内田 樹   1950/09/30
・平川克美 1950/07/19
・高橋源一郎1951/01/01


・大滝詠一 1948/07/28
・糸井重里 1948/11/10
・村上春樹 1949/01/12
・佐藤泰志 1949/04/26
・鹿島茂  1949/11/30
・関川夏央 1949/11/25
・亀和田武 1949/01/30
・大竹まこと1949/05/22
・松田優作 1949/09/21  

2012年3月23日 (金)

一年ぶりの『上伊那医師会報・巻頭言』

■「上伊那医師会報 2012年/ 3月号」の「巻頭言」を書く当番がまた廻ってきた。医師会事務局の稲垣さんから「北原先生、次号の巻頭言、3月16日が締切ですから宜しくお願いします」というメールがきたのだ。あれは、2月24日のこと。


医師会報の「巻頭言」は、上伊那医師会の理事が持ち回りで書くことになっている。前回ぼくが書いたのは、ちょうど1年前の「3月号」だった。それが、「この文章」だ。


タイムリーな話題であったこともあり、この文章は『長野医報』に転載され、さらには『千葉県医師会雑誌』にも載せていただいた。たいへん光栄なことであった。そこで、2匹目のドジョウではないが、今回も「ツイッター」のはなしで行くことに決めた。タイトルは、「当事者の時代」だ。


何故かというと、前回の文章の中で佐々木俊尚氏の『キュレーションの時代』(ちくま新書)を取りあげていたので、今回も、佐々木氏の1年ぶりの新刊『「当事者」の時代』佐々木俊尚(光文社新書)から「いただく」ことにしたのだ。勝手に盗用ごめんなさい。


ただ一番の問題は、この巻頭言の締切が『「当事者」の時代』佐々木俊尚・著の発売日である 3月16日(金)であったことだ。タイトルを戴くことは決めていたものの、さすがに本文も読まずに使ったのでは気が引ける。で、当日の夜に「いなっせ」西澤書店で「この新書」を見つけて買って帰った。ところが、ぺらぺら捲ってみたら、ぼくが予想した内容の本とはどうもちょっと違う本であるらしい。困ったぞ。


というワケで、「この本」からは単にタイトルだけを戴いて、内容は以下の本、ネット上の文章、などを参考にして書き上げました。ですので、どこかで読んだことあるような主張だなぁ、と思われてもしかたありません。ぼくオリジナルの考えではないのですから。それから、以下の文章は上伊那医師会報に投稿したものを、さらに改稿増補したものです。


<参考文献>

『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』中島岳志・対談集(金曜日)
『瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ』辺見庸(NHK出版新書)

・ほぼ日「しがらみを科学してみた」
・ほぼ日「メディアと私 糸井重里 × 佐々木俊尚」

・小田嶋隆「ア・ピース・オブ・警句」 より「メディア陰謀論を共有する人たち」
・小田嶋隆「ア・ピース・オブ・警句」 より「レッテルとしてのフクシマ」


          当事者の時代           北原文徳

 ちょうど1年前に「Twitter」のはなしを書かせていただいたのだが、今回もその続きです。ネットを見ていたら「やるだけ損? 芸能人のTwitter利用の是非」という記事があった。雨上がり決死隊の宮迫博之の呟きがもとで炎上状態になったとのこと。で、実際のツイートを読みに行ったら、過大広告も甚だしい、たわいのない内容のボヤでお終いじゃないか。なんだ、つまらない。


 ところで、宮迫のフォロワーの数は618,409人、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の北村役でブレイクした「ほっしゃん。」が130,535人、それから、文化人だと糸井重里氏のフォロワーは479,748人もいる。ちなみに僕のフォロワーは231で、そのうちの2/3は営業アカウントだから読者じゃない。つまり、Twitterというツールは、あくまで有名人の個人ラジオのリスナーとして一般人の多くが参加するプラットホームなのだ。そういう意味ではフォロワーの少ない無名人が情報発信するツールではない。


 ところが、Twitterの面白いところは「メンション(言及)」を飛ばすと言って、@アカウントで直接その有名人に関して誰でも呟けるので、運良く彼(彼女)がそのツイートを目にして気に入り「リツイート」すれば、彼のフォロワー数十万人が瞬時に自分の発言を読むことになるのだ。


しかも、あからさまなヨイショ発言よりも攻撃的で批判的な発言のほうが感情的になった有名人は「晒し」の意味合いを込めてリツイートすることが多い。そうまでして有名になりたい悪意に満ちたバカな輩がネット上には多いからほんとウンザリしてしまうし、そういう事態すら予測できずに、ただ単に有名人の悪口を気軽な気持ちで呟いただけなのに、いきなし「その有名人」のファンから猛烈な非難の攻撃を受けてしどろもどろになり、「有名人が僕のような無名人を晒してイジメるのは卑怯だ」みたいな最後っ屁を残して自分のアカウントを削除するアホがいっぱいいることがほんと情けない。


 さらに厄介なのは、悪意のかけらもなく自らは善意と正義の使者の如き輩がネット上を徘徊しながら、まるで旧東ドイツの秘密警察気取りで、他人の発言の揚げ足取りや吊し上げに躍起になっている無名人がいることだ。彼らは、あの 3.11 後に一気に勢力を拡大した。被災した人々に対して不謹慎な発言だというのが彼らの論理だったが、さらに問題を複雑にしてしまったのが福島第一原発による放射能被害だ。


 彼らは「弱者」を勝手に代弁する人々だ。自らは安全地帯に身を置きながら、東京電力や原子力ムラを絶対的な悪として徹底的にバッシングした。これは一面正しい。僕も基本「脱原発」だから。


ただ問題は「私は加害者とは何にも関係ありません」という正義の味方的な態度にある。じゃぁ、あんたは福島第一原発が放射能を撒き散らす前から「原発反対」の旗頭を上げていたのか? 当たり前のように福島第一原発で作られた「電気」を利用していたのではないか? となれば、あんただって「加害者」という「当事者」なのではないか?


そのあたりの傍ら痛い感覚を、下諏訪町在住の樽川通子さんは信濃毎日新聞「私の声」に投書したのだ。


だから、彼らの東電バッシングは、反面多大な危険性を秘めることとなる。われわれ日本医師会を含め過去の既得権にしがみつく者たちを悪の根源として徹底的に批判してきたのが自民党小泉政権であり、いまの橋下大阪市長なのだ。敵を断定し、ズバッと切ってくれる政治家を今の大衆は渇望している。そこには微かにファシズムの足音が忍び寄っているのではないか?


 『瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ』辺見庸(NHK出版新書)のあとがきを読むと、この本のテーマは「言葉と言葉の間に屍がある」がひとつ。もうひとつは「人間存在というものの根源的な無責任さ」である。と書いてあった。この言葉は重い。当事者のみが語ることができるということは、3.11 一番の当事者は、2万人にもおよぶ死者たちなのだから。     


2012年3月19日 (月)

伊那東部中学校卒業式での、3年生「フィンランディア」

■先週の金曜日、3月16日は、伊那東部中の卒業式だった。 わが家の長男も、無事卒業することができた。ほんとよかった。 以前にも書いたが、ぼく自身のダメダメな中学校時代と違って、わが長男の中学校生活は、陸上部の部活動に完全燃焼したまさに由緒正しき「古典的正統派中学生」だったと思うのだが、彼に訊いてみると必ずしも順風満帆ではなかったようだ。彼なりに小さな挫折と失敗、苦難と反抗を繰り返してきたのだという。そうかそうか、ほんとよくがんばったな。 卒業おめでとう!  


YouTube: 2012年3月16日 伊那市立東部中学校卒業歌 フィンランディア

■卒業式当日は、診療があったので参加できなかったし、中継録画した伊那ケーブルTVの番組を契約切れで見れなかったので、妻の話だけから想像するしかなかった、伊那東部中の卒業式だったが、ラッキーなことに、当日3年生294人が歌った卒業歌「フィンランディア」が YouTube にアップされていた。これが、圧倒的迫力の混声合唱でほんと素晴らしい!! 指揮をした唐沢流美子先生は、伊那東部中「合唱部」顧問として長年指導し、伊那東部中を全国大会でも常勝の合唱部に育て上げた凄い先生。でも、今年度を限りに引退することが決まったのだった。

2012年3月14日 (水)

男性ジャズ歌手が歌う歌詞は「男言葉」なのか?(その2)

■じつは、アンドレア先生(オーストラリア出身)が、トニー・ベネットの『Duets II』を貸してくれる前に、いま一番の「お気に入りCD」を貸してくれたのだ。それが、


ロッド・スチュワート『ベスト・オブ・ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』だった。


ぼくは正直、「えっ?」って思った。あの、金髪兄ちゃんが豹柄パンツの姉ちゃんを抱きながら「イェィ!」って言ってるジャケットの人でしょ。ぼくがまだ高校生の頃のことだったかなぁ、彼の「セイリング」がヒットしたのは。日本人で言えば「もんたよしのり」のような「しゃがれ声」でハイトーンを正確な音程でシャウトできる稀有な男性ヴォーカリストであったことは認めるが、いかんせん、当時の印象では女の子受けだけを狙った、軟派の兄ちゃんといった雰囲気だった。


そのロッド・スチュワートが、ずいぶんと前からジャズのスタンダード・ナンバーをCDに吹き込んでいて、それが評判を呼んで、Vol.5 まで出ていたとは、恥ずかしながら僕はぜんぜん知らなかったのだ。で、昨年春に『ベスト・オブ・ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』が出たというワケだったのだね。






YouTube: Rod Stewart & Jeff Beck - People Get Ready.mp4


YouTube: Sailing ROD STEWART (ロッドスチュワート)






YouTube: Rod Stewart - I'll Be Seeing You


で、その『ベスト盤』を半信半疑で聴いてみたら、ほんと思いがけず、すっごくいい。


驚いたね。あの、ロッド・スチュワートがジャズ唱ってるんだよ。


そんな感じで、気軽に気持ちよく聴いてたら、ふと、苦しいときも、つらいときも、何度も何度も聴いてきた曲が流れてきてビックリした。それは「アイル・ビー・シーイング・ユー」って曲。これ、大好きなんだ。ビリー・ホリデイの名唱で世の中に知れ渡った曲さ。


こうしてね、目をつぶって聴いていると、なんか、ロッド・スチュワートに、あのビリー・ホリデイが憑依したんじゃないかっていう歌いっぷりなんだよね。節回しとか、そのままだし。ヘロインでダメダメになってしまった後の『レディ・イン・サテン』の頃のビリー・ホリデイにね。


あと、そうだなぁ『言い出しかねて』も、彼はビリー・ホリデイの唄い方を踏襲しているような気がする。それから、前回の写真に載せた『vol.3』 冒頭の「エンブレイサブル・ユー」も、「アイル・ビー・シーイング・ユー」や「水辺にたたずみ」が収録されている傑作『奇妙な果実』で、ビリー・ホリデイが唱っている雰囲気を感じる。


ロッド・スチュワートは、たぶんビリー・ホリデイを相当聴き込んでいるに違いない。そう思った。

ネットで読んだら、彼はサム・クックの熱烈なファンであることを公言しているので、サム・クックのレコードに『トリビュート・トゥ・ザ・レイディ~ビリー・ホリデイに捧ぐ』というのがあるから、こちらも影響しているのかな。


■ただ、「I'll Be Seeing You」って曲は、どう考えたって女性の唄だよな。


日本語だと、一人称で明確に男か女か判るし、例えば「AKB48」や「いきものがかり」が歌う歌詞には「僕」がよく登場するが、女の子が歌っていてぜんぜん不自然ではない。逆に、福山雅治は女性の一人称で歌うし、徳永英明は女性歌手の持ち歌をそのままカバーする。わざわざ歌詞を男用に変えることはしない。


で、ふと思ったのだが、英語で歌う場合にはどうなんだろうか?

I と You だけなら、どっちが男でも女でも意味が通じるのかな?

でも、さすがに「マイ・マン」とか、「ザ・マン・アイ・ラヴ」って曲は男性ジャズ歌手には歌えまい。


■ところがだ、今回、トニー・ベネットの『デュエット II』を聴いてみたら、シェリル・クロウと歌う曲がまさにその「ザ・マン・アイ・ラヴ」なのだが、何と「ザ・ガール・アイ・ラヴ」と男用に歌詞が変えられていたのだ。なるほど、そうだったのか。


YouTube: Tony Bennett & Sheryl Crow duet- "The Girl I Love" (Great Performances: Duets II - PBS)

いずれにしても、作詞・作曲された当時のオリジナル・ミュージカルで女性が歌ったのか男が歌ったのかで決まるのかな。うーむ、まだよくわからないぞ。(3月19日 追記)

2012年3月12日 (月)

男性ジャズ歌手が歌う歌詞は「男言葉」なのか?

P1000973

■中3の長男が英語を教えてもらっている、北原アンドレア先生からCDをお借りした。トニー・ベネット『Duets II』だ。超ベテラン男性ジャズ歌手が、85歳の現役歌手生活を記念して、いま一番生きがいい各方面で話題の若手歌手とデュエットした豪華企画アルバムだ。


驚いたのが1曲目。なんと彼のデュエット相手は、あのレディー・ガガ。しかも、めちゃくちゃいい! レディー・ガガって、こんなに歌が上手かったっけ? パンチの効いた歌声、抜群のリズム感。若い頃にジャズを唄った美空ひばりか、アントニオ・カルロス・ジョビンと「おいしい水」をデュエットしたエリス・レジーナみたいな感じだ。ほんと、じゃじゃ馬娘みたいで楽しそうに歌っているじゃないか。


あと、つい最近、まだ若くして薬中で急死したエイミー・ワインハウスとの「ナイト&デイ」とか、ノラ・ジョーンズとの「スピーク・ロウ」あたりが個人的好みだが、他にもシェリル・クロウ、マライア・キャリー、アレサ・フランクリン、ウィリー・ネルソン、A・ボチェッリとか、意外な組み合わせが聴かせるのだった。


こういう「大人のアルバム」がアメリカではちゃんとヒットするのだな。50代以上のオジサン、オバサン、おじいちゃん、おばあちゃんがCDを買うのだ。日本では考えられないんじゃないか?


例えて言えば、北島三郎が AKB48や、絢香、JuJu、スーパー・フライ、福山雅治とデュエットしているようなもんだからだ。


ぼくは「ジャズ・ヴォーカル」好きなのだが、男性ジャズ歌手は、正直言って興味の対象外だ。とは言え、シナトラも、ナット・キング・コールも、メル・トーメもトニー・ベネットもLP、CDで持っていはる。最近の若手歌手では、カナダ・バンクーバーで開催された冬季五輪開会式で歌った、マイケル・ブーブレのCDもある。(つづく)


2012年3月 4日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その88)下伊那郡豊丘村公民館

■ご心配をおかけいたしましたが、この金曜日くらいから、ようやく体調が戻った。


へんな寒気や嫌な怠さが消失したのだ。よかったよかった。飯も食えるようになったし、土曜日の夕方には一週間ぶりでテルメに行って走ってきた。さすがに時速11km のペースはキツかったので、10.4km に落としたら案外楽で1時間続けて走れた。トータル10kmちょっと。でも、右足の踵が痛くて辛かったな。


■さて、今日の日曜日は久々の「パパズ」だ。


下伊那郡豊丘村の公民館から呼ばれたのだ。開演は午前11時。10:30 現地集合。
僕は少し早めに家を出た。9:15。


当初、高速で南下する予定だったのだが、ナイスロード沿いのGSでガソリンを入れながらふと、ここから伊那インターまで戻るのは距離的に無駄足だよなぁって、思ってしまったのだ。で、そのまま国道を南下することにした。これが案外早かった。午前10:15 には到着してしまったのだ。まだ他のメンバーは誰も来ていなかったよ。


今回は何でも、年4回のシリーズで企画された「父と子のイクメン講座」の最終回? だったみたいなのだが、参加親子は5〜6組でトータル20人に満たない、すごくアットホームな雰囲気の会だったな。ただ、せっかく伊東パパが先鋒で「つかみは抜群!」だったのに、次鋒のぼくが外してしまい、すっかり嫌になってしまった親子連れが2組ほど途中退場した。悲しかった。ゴメンね。


<本日のメニュー>


1)『はじめまして』新沢としひこ(鈴木出版)
2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店)→伊東
3)『えをかく』谷川俊太郎・詩、長新太・絵(講談社)→北原
4)『トラのじゅうたんになりたかったトラ』(岩波書店)→坂本

5)『かごからとびだした』(アリス館)→全員

6)『串かつやよしこさん』長谷川義史(アリス館)→宮脇
7)『くろずみ小太郎旅日記その7秘湯、まぼろし谷の怪の巻』飯野和好(クレヨンハウス)→倉科

8)『ふうせん』(アリス館)
9)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)


2012年2月28日 (火)

体調不良から回復しつつある日々

■久し振りの体調不良に参っている。


それは日曜日の未明だった。突然、突き上げるような吐気と、キリで突き刺したかのような腹痛に見舞われ目が醒めた。枕元の目覚まし時計を見ると午前3時半。全身ぐっしょりと嫌な汗をかいている。


これはヤバイぞとベッドから這い出し、そろりそろりと階段を降り何とか1階のトイレに駆け込んでそのまま便座にうずくまった。額からは冷や汗が流れ、ぞくぞく寒気がした。吐きたいのに吐けない。これは辛い。吐きさえすれば楽になれるのに。そんなかんなで、15分くらいじっとしていただろうか、急に便意を催して排便したら(まだ下痢ではなかった)不思議と吐気と腹痛が遠のいて、そのまま炬燵に潜り込んで腹を抱えて朝まで寝た。


日曜日は、午後になったらずいぶんと回復したので、ちょいと無理してテルメに行って走ったのがいけなかったのだな。夜になって再び寒気がして熱が出た。腹痛は続いたが下痢はなく、夜は夕食の「ほうとう」は食べれたのだが……。


夜中に何度も目が醒めて、嫌な汗をかいたが、月曜日の朝には解熱していた。インフルエンザかも? と、NHKBSで『カーネーション』が終わったあと、妻にたのんで綿棒を僕の鼻の奥まで突っ込んでもらい、インフルエンザの迅速検査をした。このところ、毎日毎日厭きもせず何十人もの患者さんの鼻の穴に綿棒を突っ込む日々が続いていたのだが、まさか自分が「される側」になるとは思わなかった。正直に言うと、「される」のは初めてなのだ。確かにこれは辛い検査だなぁ。


結果は陰性。そうかフルではないんだ。となると、ノロウイルスか?

■じつは嫌な記憶が甦っていたのだ。


あれは今から30数年前のこと。当時ぼくは茨城県筑波郡谷田部町春日3丁目にあった木造2階建アパート「学都里荘(かとり荘)」の 201号室に住んでいた。たしか土曜日の夜だった。103号室に住んでいた佐久間と、松見公園前の飲食店街に入っていた「290円屋」という名の炉端焼きの店で2人呑んだのだ。


小さな黒板に、<本日のおすすめ>が何品か載っていて、その中に「酢牡蠣」があった。もちろん、290円だ。「なぁ、カキ食おうぜ!」そう言って注文したかどうかは忘れてしまったが、「もみじおろし」がちょこんと載った3個の小さな牡蠣を確かに食った。この日はしたたか酔っ払ったように思う。二人して千鳥足で歩いて学都里荘に帰り着き、「じゃあな、おやすみ」と言って別れて2階に上がり、そのまま万年ぶとんに潜り込んだ。


そしたら日曜日の未明午前3時半だ。
ぼくは突然の吐き気と突き刺すような腹痛に襲われた。脇の下に嫌な冷や汗をかいていた。

必死の思いで部屋を出て、ほとんど這うようにして、斉藤保が住んでいた 205号室の前にある2階の共同便所に入り、便器をかかえるようにして吐き続けた。何度も何度も。30分くらいそうしていたかなぁ。ようやく落ち着いて、再び這うようにして自分の部屋に戻ったかと思ったら、今度はぐるぐるぴーの水様下痢が始まった。


そんなかんなで、日曜日は一日中2階の共同便所と201号室を這って行き来することの繰り返しだったのだ。あれは、いま思い返してみても、ほんと辛かったなぁ。


そうして明けて月曜日の朝。げっそりとした顔でアパート1階に降りて行って、103号室の佐久間を訪ねたら、僕よりゲッソリとやせ細って青白い顔をした佐久間がふとんに伏せっていた。訊けば、彼も1階の共同便所と自分の部屋とをただただ繰り返し這って行き来しながら吐いて下痢し続けていたのだという。


それを聞いて、ぼくは何だかすっごく救われた気がした。そうして、思わず笑ってしまったのだった。あはは! ってね。


■で、今回の状況は「あの時」とほとんど同じだったのです。なんと、土曜日の夜の飲み会で、実は大きな「酢牡蠣」がでて、新鮮そうだったから僕は2個ぺろりとたいらげ、汁まで飲み干したのだった。


だから、やられたなぁ、と即座に思ったワケです。


ところがだ。月曜日の夜、土曜日の夜の会に同席した2人の人に会って「大丈夫でしたかぁ?」って訊いたら、二人とも何ともなかったんだって。じゃぁ、原因は別のところにあるのかなぁ。何となく納得がいかないなぁ。「あの苦しみ」を、是非とも共有したかったのに……。

2012年2月24日 (金)

椎名誠『そらをみてます ないてます』(文藝春秋)読了

■椎名誠氏が書く「私小説」が好きだ。

特に好きなのが、集英社から出ている『岳物語』『続岳物語』。
最近のものでは、椎名氏にしては妙に暗い印象の『かえっていく場所』が、すっごくよかった。


でも、何と言っても一番いいのは『パタゴニア あるいは風とタンポポの物語り』(集英社文庫)だ。本来は、南極と南米最南端、地の果ての町、プンタアレナスを挟むドレイク海峡(一年中荒れ狂う恐怖の海)に浮かぶ小っちゃな島「ディエゴ・ラミレス」に向かうチリ軍艦に同乗した「最果て紀行的冒険記本」なのだが、椎名氏の古くからの友人で「本の雑誌」をいっしょに立ち上げた目黒考二(北上次郎)氏はこう言った。「これは、椎名誠の私小説として傑作である!」と。


これは世間一般的評価としてよいと思うのだが、椎名誠氏の代表作を挙げよと言ったら、まず筆頭に上がるのが『哀愁の町に霧が降るのだ 上・中・下』(情報センター出版局刊)と『岳物語』。それからこの『パタゴニア』だと思う。ただ、ぼく個人的には、椎名氏のSF作品が大好きなので、『アド・バード』『水域』『武装島田倉庫』の三部作が最高傑作であると今も信じている。


で、この最新作『そらをみてます ないてます』(なんてキャッチーなタイトルなんだ!)は、傑作『哀愁の町に霧が降るのだ』と『パタゴニア』を、現在の椎名誠氏の立場でフォーカスを絞って新に書き直した小説なのであった。だからたぶん、相当に作者の力が入った作品であることは読む前から判っていたし、実際、読了したいま、すっごく満足している。あぁ、いい小説を読んだなぁ。それにしても、何と言ってもやはり「事実は小説よりも奇なり」だ。ほんと面白かった。


いや、「私小説」とはいえ、しょせん小説とうたっているのだから、どこまでが事実かそれは作者にしか判らない。実際、この小説と『哀愁の町に霧が降るのだ』には「同じ場面」が何度も登場するのだが、設定が微妙に変えられている。どちらが事実に近いかと言ったら、『哀愁…』のほうであろう、たぶん。椎名誠氏の奥さん、渡辺一枝さんは、克美荘の同居人であった木村晋介氏の高校の同級生であったというのが真実らしいのだが、『哀愁の町に霧が降るのだ』では「羽生理恵子」、この本『そらをみてます ないてます』では「原田海」とされている渡辺一枝さんとのエピソードは、どのあたりが創作で、どのあたりが真実なのかが妙に気になってしまう。それにしても、「ダッタン人ふうの別れの挨拶」はよかったなぁ。


さらに気がかりなことは、著者が東京新聞のインタビューに答えて「こう言っている」ことだ。


そうか。椎名氏は、いままで封印していた女性「イスズミ」のことを、この小説で初めて「正直」にセキララに書いたのか。


■健全なアウトドア系作家として、大人になっても男仲間とワイワイガヤガヤ、焚火とキャンプの日々のイメージが定着した椎名氏ではあったが、そうしたイメージ先行の虚像と椎名氏自身の実像とが、どんどんかけ離れてゆくことを、椎名氏自身はたぶん半面楽しみつつ上手に利用し、その反面ギャップに次第に苦しめられていったのではないか。


体育会系で、マッチョで、日々スクワッドと腹筋と腕立て伏せを欠かさない椎名氏は、無駄な贅肉が全くない。そんな「いい男」を女どもがほっておくワケがないし、女房ひとすじというストイックさは無理というもだよなぁ、そうだよなあ、と思った。いいよ、それで。肉食系男子は。


■それはともかく、椎名誠氏の生きてきた道を愛読者として併走してみて思うことは、つくづく予測不可能な「人生の不思議さ」ってものが実際にあるのだなぁ、ということだ。それは、テレビで「タモリ」を見ていても(希望や野望を持たない人である点はぜんぜん違うが)同じように思う。

渡辺一枝さんは、もう何十回もチベットに行っている。カイラス山へも行った。彼女も、長年の夢を叶えたのだ。最近では、南相馬市にボランティアで出向いているらしい(『青春と読書』集英社での連載による)

椎名氏が小学性のころから抱いていた夢。探検家ヘディンがたどり着いた楼蘭とロプノール。それから、ジュール・ベルヌの『十五少年漂流記』の島へ行くこと。「夢をあきらめないで」っていうのは、何かの歌詞の一部だったか。でも、ほんとうにそうなんだなぁ、ってことがあるし、本当に好きな人を見つけて、決してあきらめないことも、同じくらい大切なのだなぁと、しみじみ思った次第です。


■<以下、先日のぼくのツイートから>

・私小説という分野がどうもよく判らない。西村賢太氏はリアルに赤裸々に書いている気がするが、それでも「小説」なので事実ではないのだろうなと納得して読んでいる。で、いま『そらをみてますないてます』椎名誠(文藝春秋)後半を読んでいるのだが、『哀愁の町に霧が降るのだ』との異同に悩んでしまう。


・小説だからね、シンプルに構成し直したのだろうなとは思った。例えば、楼蘭到達の話も、極寒のシベリア行の話も、椎名誠氏の別の本で何度も取りあげているので、事実との違いが「私小説」には「あり」ということは納得している。でも、「考える人・メルマガ」を読むと、何か違うんじゃないかと思ってしまうのだ。


・椎名誠『そらをみてます ないてます』(文藝春秋)を、高遠町福祉センター「やますそ」1Fのペレット・ストーブの前で、長男が通うアンドレア先生の英語教室が終わるのを待ちながら今晩読了。これは「いい小説」だなぁ。しみじみいい。私小説でありながら、小説としての結構とカタルシスが、綿密に計算されている。


・(続き)本の装丁がいいのだ。表紙は東京オリンピックを目前にした、1964年夏の東京の夕焼け。左側に出来たばかりの首都高速、正面には 1958年に完成した東京タワーが描かれている。そして裏表紙は、1988年タクラマカン砂漠を横断して遂に楼蘭のストゥーパに一番乗りした椎名氏ら3人が描かれている。


・(続き)そうして、絵本の読み聞かせをしていてよくやる動作なのだが、その絵本を読み終わったあとに、子供たちに向けて、背表紙を真ん中に「表表紙」と「裏表紙」を180度広げて、パノラマみたいに見せるのだ。『そらをみてますないてます』を「そうやる」と「そら」でつながっているんだな、これが。


2012年2月22日 (水)

『聴いたら危険! ジャズ入門』田中啓文(その2)

■本当は、オイラみたいなすれっからしのジャズファンが「この本」のことをどんなに誉めてみたところで、実はあまり意味はないんじゃないかと思ってしまうのだ。


だから、まったくのジャズ素人なのに「ジャズ入門」のタイトルに騙されて、間違って「この本」を買ってしまい、なんか面白そうじゃん! とさらに勘違いして、amazonで、ブロッツマンとか、ファラオ・サンダースとか、ローランド・カークとかの「著者オススメCD」を思わずポチッてしまい、送られてきたCDを何とはなしに聴いてみたら「案外いいじゃん!」と、その後どんどんフリー・ジャズの世界にのめり込んでしまいました!


っていうような感想を、著者の田中啓文氏は読みたかったんじゃないかな。
ただ、なかなかそれは難しいことだとは思うのだけれども、「へぇ〜、こんなのもジャズなんだ!」って興味を持ってくれる人は「この本」のおかげでずいぶん増えるんじゃないか。

■何なんだろうなぁ。とにかく、ぼくは田中啓文氏が書く小説が好きなのだ。


『落下する緑―永見緋太郎の事件簿』シリーズも、『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズも、ハードカバーで買って読んでいる。著者は、基本超マジメなのに、変に無理してサービス精神が旺盛すぎるのだ。


だから「この本」でも、変に読者に受けを狙いにいったミュージシャンの項目(ファラオ・サンダースとか、ジュゼッピ・ローガン、アーチ・シェップなど、ぼくも大笑いしたが……)よりも、真摯に真面目に書いている項目のほうが読み応えがある。例えば「アルバート・アイラー」の文章。


なんといっても、あの「音」である。朗々と鳴り響く、管楽器を吹く原始的な喜びにあふれた野太い、輝きに満ちた音。あれを聴くだけでも、彼の音楽の根源にあるものが何かわかるではないか。それ以外にも「ガーッ!」という割れた音、口のなかの容積を変化させることで得られる歪んだ音、しゃくりあげるように裏返っていくフラジオ、グロウルによるダーティーな音などを効果的に使っているアイラーは、サックスから獣の大腿骨を楽器がわりに吹いていた頃のような原初の音を引きずり出す。(p48)


これほど、アイラーの音色の本質に迫った文章を、ぼくは今まで読んだことがなかった。すごいぞ。


あとはそうだなぁ、エヴァン・パーカーの項。


 パーカーは、「こういう音が出したい」「こういう演奏がしたい」というところからはじめて、自分の楽器をじっくり見つめ、そしてこうした技法にたどり着いたにちがいない。(中略)なにしろ、サックスで世界で初めてこんなことを成し遂げたひとなのである。歴史の教科書に載ってもいいぐらいの偉人である。(中略)

 パーカーのソロにはある時期救われたことがある。会社務めが合わなかった私は、昼休みは食事もせずにCDウォークマンでずってこのアルバムを聴いていた。鬱陶しい現実の世界から浮遊できるひとときを、彼のソロは毎日あっという間に作り出してくれた。(p81)


この傾向は、日本人ミュージシャンの項目で顕著となる。


富樫雅彦、坂田明、阿部薫、林栄一、梅津和時、高柳昌行、大友良英、明田川荘之、片山広明などのパートを読むと、著者の真面目さが際立っているように思うぞ。


ぼくが特に注目したのが「阿部薫」だ。


 阿部薫のように「情念」に任せた即興は、空虚でひとりよがりなものになりがちだが、彼の演奏はそうではない。その理由は「間」と「音」にあると思う。阿部のソロは「間」が多い。ひとりで吹いているのだから当然、と思うかもしれないが、プレイヤーは無音状態を嫌うもので、それを埋めたくなる。エヴァン・パーカー、カン・テーファン、ミッシェル・ドネダなどが循環呼吸とハーモニクスによって途切れなく、空間を音で埋め尽くしているのに比べ、

阿部のソロは、静寂が延々と続き、これで終わり?と思った頃に、ぺ……と音が鳴ったりする。常人なら耐え難い長尺の静寂をあえて選択し、無音と無音を組み合わせて、あいだに音を挟んでいく。ここまで大胆に静寂を押し出した即興演奏家はいなかった。(p142)


ぼくも阿部薫の『なしくずしの死』が大好きなのだが、彼の「無音の魅力」には気が付かなかったな、まったく。さすがだ。

田中氏が書いた文章は、どれもこれも「そのミュージシャン」に対する「ひたむきで敬虔な愛とリスペクト」に満ちている。それが、読んでいて実にすがすがしいのだ。


だから逆に、田中氏以外の人が書いた文章が妙に浮いてしまっている。これらはいらなかったんじゃないか? 田中氏だけの文章で埋め尽くせばよかったのに、何故だ? たぶん、自信がなかったのだろう。だからあのまどろっこしい、言い訳がましい「はじめに」と「おわりに」になってしまったのではないか。


そんなこと言わなくてもいいのになぁ。


後半に載っている、カヒール・エルサバー、ハミッド・ドレイク、ポール・ニルセン・ラヴ、芳垣安洋、大原裕とかは、ぼくも「この本」で初めて知った。どんな音を出すのか、ぜひ聴いてみたいぞ。

2012年2月20日 (月)

『聴いたら危険! ジャズ入門』田中啓文(アスキー新書)

■ Twitterに、ペーター・ブロッツマンのLPを10枚は持っていると書いてしまったから、出してきたのだ。


なぜこんなに「ブロッツマン」のレコードを持っているのかというと、ある時期すっごく好きだったのだ、ブロッツマンのサックス。特に、ブロッツマン、ヴァン・ホーヴ、ハン・ベニンク、アルバート・マンゲルスドルフのベルリンでのライヴ盤(1971/08/27/28)録音の「3枚組」のうちの黒色ジャケット「エレメンツ」は、今でもときどき無性に聴きたくなる。


いま思うと、ブロッツマンって、案外聴きやすいのだね。だからこそ、「この本」ではいの一番に取りあげられているワケなんだな。なるほど。

P1000963


■今から30数年前だったかなぁ。東北旅行をした時だった。ブロッツマンを聴け! エヴァン・パーカーを聴け! デレク・ベイリーを聴け! って、仙台市一番町のビルの3階?にあったジャズ喫茶「Jazz& Now」で、マスターの中村さんににそう言われたのだ。それまで、ぜんぜん聞いたこともないミュージシャンの名前だった。


「じゃぁ、マスターが『これを聴け!』っていうレコードを一生懸命聴きますから、毎月おすすめレコードを送って下さい。通販で買います」ぼくはそう言った。だから、それから1年間だったか2年に及んだか、毎月毎月仙台から「ヨーロッパのフリー・インプロビゼーションのレコード」が届いた。中でも、一番多かったレコードがブロッツマンだったのだ。そういうワケなのです。



Powered by Six Apart

最近のトラックバック