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2012年4月 3日 (火)

「当事者」について考える

■『「当事者」の時代』佐々木俊尚(光文社文庫)の感想をネットで検索して読んでいたら、「当事者の沈黙と経験者の苦しみをつなぐもの」にたどり着き、読んでみて「あっ!」と思った。


純粋ひきこもりの青年は、多くの場合自分のひきこもり体験について語らない。自分がどのようにしてひきこもり、ひきこもったあとどういう思いで生活しているか、それは僕や親御さんが知りたいことではあるが、当の青年は一向に語ることをしない。

最初は意図的に語らないのだろうと思っていた。だが長期的にかかわっていくうち、どうやら彼ら彼女らは語らないのではなくて「語ることがない」のだということに気がついた。


そう、この部分。当事者には実は「語る言葉がない」のだ。


そのことを感じたのは、実はこれが2度目で、『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』中島岳志対談集(週刊金曜日)の中の「中島岳志 × 重松清」を読んでいたら、こんなフレーズがあったのだ。


重松:こういった事件があった時に、母親が過保護であるとか、教育ママであるとか、母親との関係が息子を犯行に至らしめたという、そういった物語にあてはめて理解しようという報道が、特にテレビのワイドショーや週刊誌では数多く見られました。


 中島さんも、この単純化された構図にのって『秋葉原事件』を書くことは可能だったと想います。母親に抑圧された言葉。特に作文が象徴していると思いますが、諸悪の根源は母親にありという物語のもっている強度や、そのわかりやすさの強度ということは意識されましたか。


中島:もちろん事件の背景に母親の存在があったことはものすごく感じました。裁判が、基本的にその方向で進んでいきましたよね。加藤自身もその物語に自分自身を回収させようとする再帰性が存在していた。僕は、この裁判で語られた物語を、当時の彼の生の声から解体していこうと思いました。(中略)


その物語に、事件から2年経った加藤が再帰的に入り込んでいる、という印象があったんです。でも、加藤が事件以前に発していた言葉はそんなところからは発せられていないんじゃないか、と。それを彼にぶつけたい思いがありました。

 だから、彼自身が、彼の物語の中に再構成していったことに、みんなが足を取られ、彼自身ものみ込まれているというか。(中略)


重松:『秋葉原事件』でもっともサスペンスを感じたのが、「現実」と「虚構」のかけがえのなさが加藤の中で反転してしまう瞬間です。そこが一番ドキンとくる。それと同時に、ウロボロスではありませんが、加藤を理解しようとして社会がつくり上げた物語に加藤自身がのみ込まれていくという、これもまた「現実」と「虚構」の反転ですよね。(中略)


中島:(中略)政府の発表する情報は信じられないし、東電はもっと信じられない。専門家も誰を信用していいかわからない。大手メディアも信じられない。そんな中で放射能の問題と対峙しなければならない。

 今、現前しているのは究極の自己責任社会です。科学に対する高度なリテラシーを持ち、常に情報収集を行ない、正しい情報か誤った情報かを区別しなければならない。そうしないと、もしかすると自分の子どもを守れないかもしれない。自分自身だってどんな症状が後から出てくるかわからない。そんな自己責任を要求される社会になっています。


 しかし、そんな毎日を送っていると、確実に疲弊します。一般国民がすべて高度な科学的判断を自分の責任で行う社会なんて、実現不可能です。(中略)


するとどうなるか。

何やってんだ東電は! 何やってんだ政府は! というイライラ感が募る。敵を見つけて、徹底的に叩きたくなる。そして、そのような中で「救世主待望論」が広がっていく。敵を叩き、単純化した断言を繰り返す政治家がヒーロー化する。みんなの不安や苛立ちが、断言に吸い寄せられていく。(中略)


そして、その攻撃的衝動がファシズムの吸引力へと転化していく。絶対的な正義と絶対的な悪という二分法なんて本当は成立しません。原発を支えてきたのは私たちです。東京の過剰な電力消費の中で疑問を持たずに生きてきたことを忘却してはならない。


問題の中心に、自己の日常があるはずです。だから、自己と対峙しないといけない。にもかかわらず、絶対的な敵を外にばかり求め、「あいつこそが悪なんだ」と不幸の元凶のようにバッシングしていると、朝日平吾的な人間が生み出される素地が出てくると思うんです。加藤も東電も、自己の問題のはずです。自己の中にある加藤や東電と向き合わなければならない。


重松: 当事者としての振るまい方をこれから見つけなければならないのかもしれません。10年前の 9.11 に象徴される「終わり」は、もはや僕たちの世界の外側での出来事ではない。(『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』中島岳志対談集・金曜日刊 p149 〜 p209 より抜粋)


■それから、もう一つ。

最近読んで「当事者」に関して考えさせられた文章があった。これだ。


「森達也 リアル共同幻想論」 【第52回】 自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と書いた人に訊きたい


■森達也氏は、1956/05/10 生まれ。


あと、小田嶋隆氏は、1956/11/12 生まれ。
それから、宮沢章夫さんが、1956/12/09 生まれだ。


小田嶋さんて、もっと団塊世代の「末尾の人」のような雰囲気があったのだが、なんだ僕の2学年上なだけなんだ。それにしてはビートルズに煩いのが不思議だな。というのも、少なくとも僕の世代ではリアルタイムでビートルズに熱狂していた友人はいない。みな、高田渡、加川良、友部正人、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水、かぐや姫、小室等と六文銭、岡林信康など、日本のフォークを聴いていたし、当時ラジオから流れていたのはビートルズではなくて、カーペンターズだったし、ボブ・ディランだった。あと、ミッシェル・プルナレフね。


それから、ジェイムス・テイラー。そうして、キャロル・キングだな。少なくとも僕はそうだった。


同い年で、大学の同級生だった菊池はこうだ。中学生の頃にサイモン&ガーファンクルにはまって、仙台二高時代に、レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾン、イエス、ピンク・フロイド、EL&P、ディープ・パープル に出会う。当時はプログレ全盛期だったよなぁ。少なくとも、ビートルズは既に「過去の人」だったように思うのだ。


で、その小田嶋隆氏が揶揄した、いまの内閣総理大臣である野田佳彦氏は、1957年5月20日生まれだ。


この、ぼくより「1〜2学年上の人たち」の中には、例えばほかにこんな人がいる。


・氷室冴子 1957/01/11
・柴門ふみ 1957/01/19
・ラモス・瑠偉 1957/02/09
・浅田彰  1957/03/23
・石原伸晃 1957/04/19
・鈴木光司 1957/05/13・
・山崎ハコ 1957/05/18
・山下泰裕 1957/06/01
・松居一代 1957/06/25
・大竹しのぶ1957/07/17
・神足裕司 1957/08/10

・孫正義  1957/08/11
・東国原英夫1957/09/16
・増田恵子 1957/09/02(ピンクレディ)
・綾戸智絵 1957/09/10
・夏目雅子 1957/12/17

・宮本亜門 1958/01/04
・石川さゆり1958/01/30
・みうらじゅん1958/02/01
・時任三郎 1958/02/04
・東野圭吾 1958/02/04
・北尾トロ 1958/


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