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2011年8月

2011年8月24日 (水)

『そこのみにて光輝く』佐藤泰志(河出文庫)つづき

■先だっての日曜日、伊那市図書館へ行って「週刊読書人 8月19日号」を読む。「佐藤泰志ルネサンス」と題された特集は1〜2面全部を使ったたいへん力の入ったもので、作家の堀江敏幸氏と書評家岡崎武志氏との対談は非常に読み応えがあった。


同じく岡崎武志氏が、佐藤泰志の全作をレビューした『新刊展望6月号』は未読なので、なんとか読んでみたい。


あと、『本の雑誌8月号』の18ページには「すべての青春の人達へ」と題された、松村雄策氏による佐藤泰志トリビュートが載っている。この文章もいい。松村氏のいろいろな思いが込められていて実に読ませるぞ。


■以前にも書いたが、佐藤泰志は「男2人+女1人」が、あたかも偶然のように必然的に出会い、ひと夏を過ごす話(しかも、必ず彼らは海に行く)にこだわる。初期の傑作『きみの鳥はうたえる』の構造がまさにそうだ。これから読む予定の『黄金の服』は「男3人+女2人」の『ハチミツとクローバー』関係みたいだが。

そういう意味では『そこのみにて光輝く』は、まさにその「定型」に填め込んだ小説ではあるのだが、『きみの鳥はうたえる』とは作者は意識的に離れようと試みているところがまずは面白い。以下にその相違点をあげる。


1)舞台が東京近郊、中央線沿線「国分寺」あたりではなく、作者の生まれた故郷「函館」であること。

2)「男2人+女1人」が、決して三角関係にはならないという関係であること。つまりは、姉・弟とその友人。

3)「海」が出かけてゆく場所ではなくて、彼らの生活の場そのものであること。


4)『きみの鳥はうたえる』の3人が全員、21歳の青春真っ直中だったのに対し、この小説の主人公、達夫と千夏はやはり同い年ではあるのだが、既に青春とは言えない 29歳であること。


5)『きみの鳥はうたえる』の主人公は、いつも冷静でクールで、自分からは自らの状況を逆転するような思い切った行動は決してしない。そう、いつも俯瞰している傍観者なのだ。でも『そこのみにて光輝く』の主人公達夫は、いつも冷静でクールで無口ではあるのだが、自らの状況を自ら切り開いてゆく覚悟と決断力がある。


6)千夏と拓児の姉弟そして彼らの両親は、北海道の地方都市「函館」の中でも最も虐げられて蔑まれてきた、地元ではアンタッッチャブルな地域に居住する住人だ。この設定は、中上健次の「路地」の人々とつながってくる。しかし、中上健次の小説と決定的に異なることは、佐藤泰志の小説には「路地の熱狂」がないことだ。なぜなら、佐藤泰志の主人公は路地の外の人間であること。それから、千夏の家族以外の人々(親戚とか隣近所の住人)は一切登場しない。


■解説で福間健二氏が書いているが、『そこのみにて光輝く』という小説の最もすばらしいところは、「千夏」という女のキャラが立ちまくっていることだ。なんて「いい女」なんだ! バブル崩壊前の時代。すでに不況が始まり、函館最大手の企業「造船所」にもリストラの嵐が吹いていた。時代は忘れ去られた地方から翳りを見せていたのだ。そんな地方都市の郊外のゴミ貯めに、一点のみ「光輝く」のが、千夏なのだった。以下、読んでいて気に入った文章を引用する。

千夏が語気を強めて睨んだ。達夫は溜息をこらえた。千夏の顔を見た。女を感じた。怒りに満ちた眼が、整った顔だちをひときわ際立たせていた。たぶん、この女自身は知らないだろう。そう思うと欲望が達夫のなかで形を取りそうだった。


 千夏が煙草を砂に突き立てて消した。そして、もう若くはない、別に三十間近だからというわけではなく、青春はとっくに終わったわ、と話した。離婚のことをいっているのだ、と思った。


「何を考えているの」
 千夏が手を伸ばし、ついでおずおずと顔を胸に押しつけて来た。あの家を出たい、とささやいた。そのためなら何をしてもいい、と。


 眼の前で砂や小石の雪崩れている青黒い海面を見た。遠浅の浜のように構わず深みに足を運んだ。足元から不意に支えがなくなった。そのまま沈んだ。夏のざわめきとさっきの千夏の笑いが、あたりにまだ響いていた。どこまで落ちて行くのか。落ちろ、落ちろ、と叫ぶ声があった。両眼はひらいていた。砂や小石がどんどん流れ落ちてくる。底に足がついた。頭は海面に出ない。もっと落ちろ、という叫びが聞こえる。頭上を見上げる。鈍く陽が揺れていた。千夏が跳び込む姿が見え、海面が泡だつ。海水も陽も乱れた。跳び込んだ千夏の全身から、水泡が吹きでるように、一面を覆う。

 千夏は姉のように喋った。そして、顔をのぞきこんで、声を強めた。
「いいことなんて、ひとつもありっこないのよ。わかっているの。あんたもわたしももういい齢よ」

「いい気なもんだわ。男なんて腐るほど知っているのよ。たいてい腐っているわ、あんたもよ」

 達夫はヘッド・ホーンでひさしぶりにエリック・ドルフィを聴いた。まだひとりで暮らしていた頃の彼の唯一の愉しみだった。

■この時、達夫が聴いたエリック・ドルフィ。いったいどのレコードだったのだろう? と僕は思う。


これは断言できるのだが、けっして『アウト・トゥ・ランチ』ではない、ということ。
だとすれば、『ラスト・デイト』A面だろうな。


ブッカー・リトルとの「ファイブスポット」でのライヴ盤。vol.1 か、vol.2 のA面。
ぼくならそうするのだが。

『そこのみにて光輝く』佐藤泰志(河出文庫)

■忘れられた作家「佐藤泰志」の名前を初めて知ったのは、岡崎武志さんのブログでだった。まだ『海炭市叙景』の映画が完成するずっと前のことだたと思う。それ以来、函館出身の作家、佐藤泰志氏のことが気になっていたのだ。で、小学館文庫からでた『海炭市叙景』と、河出文庫の『君の鳥はうたえる』を読んだ。


そして、なんか気に入ってしまったのだ。佐藤泰志。この人、いいんじゃないか?


というわけで、3作目『そこのみにて光輝く』(河出文庫)を読了した。じつにいい小説だった。第一部の鮮烈なラストにも驚いたが、ぼくは案外「第二部:滴る陽のしずくにも」が好きだ。


 達夫は鉱山師の松本から潮風でボディに穴の空いた廃車寸前の車を4万円で買うが、エンジンがちっともかからない。仕方なく前の持ち主である松本を呼び出す。松本は、ほとんど「あうん」の呼吸の域まで達した男と女の機微みたいな感じで、運転手とじゃじゃ馬みたいな癖の強いボロ車のエンジンとの駆け引きを、無駄のない言葉で淡々と達夫に伝授する。この場面で2人の関係が一気に親密になるのだ。ここを読んで、佐藤泰志は巧いなぁと思った。


この「第二部」は、神代辰巳監督作品の『アフリカの光』を思い出させる。田中邦衛とショーケンの、どうしようもない男二人組。拓児はショーケンだ。絶対に行けもしないアフリカを夢見ている。金鉱を掘り当てて、一攫千金の人生が待っていると、じつはマジで信じているのだった。そういう拓児を、主人公の達也と山師松本は、困ったなぁと思いながらも決して排除(仲間はずれ)しないのだった。


達也が海岸で自分の人間関係に思いをはせるラストの余韻もいい。ほんといい。

以下、ツイッターからの転載。


『そこのみにて光輝く』佐藤泰志(河出文庫)を読み始めた。最初の部分は単行本を高遠町図書館から借りてきて、ずいぶん前に読んでいたのだが、文庫本を買ったので改めて読み始めた。猛暑の8月、函館は海岸通りが舞台だ。紫陽花と桔梗が同時に咲いている。「このあたりの地図」は『海炭市叙景』を読んで知っているのだよ。


・読みながら何だか懐かしい気分がしてくる。知ってる場所、知ってる人たち。主人公の達也。市場で行商をしていた父母は既に亡く、肉親は妹のみ。11年務めた造船所を早期退職して今は無職だ。これって映画版『海炭市叙景』の「まだ若い廃墟」兄妹の、あり得たかもしれない別バージョンじゃないか。


・この小説『そこのみにて光輝く』を映画化するとしたら、キャスティングはどうなるのか? 岡崎武志さんは、拓児:松山ケンイチ、達夫:妻夫木聡、千夏:小雪とすれば、ぜったい客が入るラインナップと書いているが、何だかそれじゃぁ『マイ・バック・ページ』じゃん。小雪はないだろ、絶対に。松山ケンイチと実の夫婦なんだから。


・ぼくのイメージでは、主人公の達夫は、西島秀俊か加瀬亮で、拓児はう〜む分からん。問題は千夏だ。難しい役だな。グラマラスなイメージはない。体躯は細身だ。キツイ目付きが魅力的なので、個人的には、梢ひとみか宮下順子なのだが、今のところ土屋アンナの雰囲気で読んでいる。ちょっと違うか。


・佐藤泰志『そこのみにて光輝く』(河出文庫)読み終わった。これはいい。好きな小説だ。暫く余韻に浸っていたい。どうもこの人の文章のリズム・テンポが僕に合っているのだ。タッタッタと一定のペースで走っている感じ。それにジャズの間合い、呼吸の感じ。そんな彼の文章がとても心地よいのだ。


・佐藤泰志『そこのみにて光輝く』が、もしも映画化されるとしたならば、そのキャスティングはこうだ! この際、NHK朝ドラ『おひさま』組でいったらどうか? 達夫:髙良健吾、千夏:満島ひかり。拓児:柄本時生。松本:串田和美、松本が別れた元妻:樋口可南子。拓児の母親:渡辺えり子。


■■この本に関して「ブクログ」に載った感想の中に、「ライトにした中上健次っていう感じ」というのがあって、上手いこと言うなぁと感心した。なるほど、当時の作者のねらいはそうだったのかもしれない。でも、ぼくがいま読んでみて感じたのは、中上健次の小説とはぜんぜん違った肌ざわりだった。(つづく)


2011年8月16日 (火)

『ジェノサイド』高野和明(角川書店)読了

■『ジェノサイド』高野和明(角川書店)を昨夜11時54分に読了した。
 足かけ3日で一気に読んだ。

「ページターナー本」とは、まさにこの本のことを言うのだな。
それから、壮大なスケールの「ホラばなし」であるということ。しかも、
「ホラ」であることは読者は判りきっているのに、読み込むうちに何時しか「リアル」にこの物語を信じ始めるのだった。これって、結構スゴイことじゃない?


こういうワールドワイドな冒険小説の傑作本が日本から生まれるとは、ビックリだ。


ふと思い返してみて、これほど読者の予測を裏切って最後まで圧倒的なリーダビリティを保証した日本の小説が最近あっただろうか? 個人的に思い出す小説は、『安徳天皇漂海記』宇月原晴明(中公文庫)か、『ワイルド・ソウル』垣根涼介(幻冬舎文庫)、あとは『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎(新潮文庫)ぐらいか。


それくらい『ジェノサイド』という小説は「大ホラ本」であるのだが、現代社会の矛盾をとことんまでリアルに追求した「ノンフィクション本」的な要素も多大に秘めている点が注目に値する。特に、プロローグから登場するアメリカ大統領バーンズは、ジョージ・ブッシュその人であり、副大統領のチェンバレンは、ブッシュ政権でのチェイニー副大統領を彷彿とさせる。


それから、いつまでたっても人間同士で殺し合いを続ける現世人類の「どうしようもないイヤな面」を、作者はこれでもかと見せつける。それは小説のタイトルとも呼応しているのだった。


■ただ、こういう荒唐無稽な構造を小説内に形成すると、直ちに小説のリアリティが瓦解ししてしまい、読者は小説についてきてはくれない。そのあたりの塩梅が、作者は巧みなのだった。巧妙に複線が張ってあって、ミスディレクションの罠もあるし、読者を煙に巻きながらもグイグイと引っ張って行き、終板に向けてその複線たちがみな見事に収拾されてゆき、破綻のない納得のいく物語となっている。いやはやまったく、この作者はただ者ではないぞ!


それから、CGを使ってレセプター(受容体)の立体構造を見極め、そこに結合して本来の反応をブロックする物質をコンピュータ上でデザインして新薬を開発する方法は実際にいま盛んに行われている。例えば、抗インフルエンザ薬の「タミフル」はまさにそうやって開発された薬だ。

インフルエンザ・ウイルスは最初「ぶどうの房」のようにつながって出来るのだが、ヒトの細胞から出るときに、ノイラミダーゼという酵素が「ふさ」をちょん切って1粒づつのウイルス粒子となって外に出て行く。「タミフル」は、インフルエンザ・ウイルス表面にあるノイラミダーゼが結合する部位に先にくっついて、酵素が反応できなくさせるのだ。

このため、ヒトの細胞内でウイルスがどんどん作られても、みんな「ふさ」でつながったままになり、細胞の外へ新たにウイルスが出て行けなくなる、という仕組み。じつによく考えられているのだった。

2011年8月13日 (土)

『子どもにかかわる仕事』汐見稔幸・編(岩波ジュニア新書)

■小児科医として「子供とかかわる仕事」をしていながら、案外「その他の子供とかかわる仕事」に就いている人たちが、具体的にどのような仕事をしているのか、どういう思いで子供たちと向き合っているのかが、ぜんぜん分かっていないことに気付いたのは、「伊那のパパズ」という父親による絵本の読み聞かせ隊活動を通じて、小学校の先生、幼稚園の先生、こどもの本屋さん、市役所の学校教育課職員という、職種は違いながらも「子供とかかわる仕事」に携わるお父さん方とお付き合いさせていただくようになってからのことだ。


もう7年以上いっしょにやっているけれど、いまだに子供に関して新たに教えてもらうことが多々あり、仕事に対してマンネリ化しつつある自分の態度に毎度「喝」を入れてもらっているのだった。


「この本」は、これから自分の将来の職業を考える中学生・高校生を対象に書かれたものではあるのだが、本当は、現在「子供と係わる仕事に就くわれわれ」こそが読むべき本なのではないかと思った。

図らずも、編者の汐見稔幸先生は「はじめに」の中でこう言っている。

 執筆者はみんな、子どもを相手にする仕事をしてきたことに喜びを感じ、そうしたことを可能にしてくれた子どもに感謝しています。すぐれた指導者と出会って感謝することは誰にでもできます。偉い人にお世話になったことを感謝することも当然です。でも患者さんに医師が感謝すること、クライアントにカウンセラーが感謝すること、幼児に保育者が感謝すること等々は、一般的ではありません。私は、生徒に謝ったり感謝する喬師がたくさんいれば、日本の教育はもっともっとよくなると思うのです。


そうなのだ。ぼくらは子どもたちがいてくれるおかげで、生かされているのだ。そういう本質的なこと、根本的なことを「この本」は改めて知らしめてくれるように思う。だから、大人こそ必読本なんじゃないか?


■以下、13人の執筆者の文章から少しだけ引用させていただきます。


 ・鈴木せい子さん(助産師)

助産師は、新しいいのちを迎えるたびに、こうした胎児の ””生命力のすごさ”” に圧倒されます。お母さんもがんばった、でもあなたもがんばった。さらにすごいことは、あなたがいるだけで、周りのみんなにも生きる希望を与え、多くの喜びと幸せをもたらしているということです。だから、あなたは「生きているだけで百点満点」。(p15)


 ・細谷亮太先生(小児科医)

病棟の子に亡くなられるたびに、誰もいない非常階段で声を上げて泣きました。どうしてこんな理屈にあわないことがあるのかと、心の底から悲しく、医者をやめたいと思ったこともありました。  子どもたちの死はあまりに不条理でした。子どもは、死んではいけない人たちなのです。今もそう思っています。(p23)


 ・井桁容子さん(保育士)

たとえば、年齢が同じなら、同じことができて当たり前、同じ量だけ食べ、何をやるにも同じ時間で動く、そんなことはまずありません。ですから「同じ」を子どもたちに求めるような保育、また保育者であってはダメだということを、まず理解する必要があります。そのうえで、一人ひとりが違っていることを大事にはぐくみ生かしあえる関係づくりができる保育および保育者であろうとすることがとても重要です。(p47)


 ・渡辺恵津子さん(小学校教員)

この本を手に取ったあなたは、「先生の仕事」をどんなものだと想像しますか? 成長段階にいる子どもたちを「教え導くこと」と思う人も多いかもしれません。私も教員になりたての頃は、そう考える気持ちが少なからずありました。しかし今は、「教え導くこと」が必ずしも喬師の仕事ではない、と実感しています。

むしろ今は、自らの力で人生を切り拓いていこうとする子どもたちに伴走し、励まし支え、それぞれの「持ち味を十二分に引き出してあげること」ではないかと思っています。

たくさんの子どもたちと出会って思うのは、一人ひとりが本当にかけがえのない存在であり、いのちであり、可能性をいっぱい秘めた発展途上人だということです。(p65)

2011年8月10日 (水)

最近読んだ本

■このところバタバタしていて、本は読んでいるのだけれど読後の感想をブログにアップする気力がわかないのだった。

ツイッターやフェイスブックにはちょっとした感想を呟いてきたのだが、自分でも何を読んだのか忘れてしまっているので、健忘録としてこの場にリストアップだけしておきたい(読了の日付は順不同。思い出した順です)

1)『原発はいらない』小出裕章・著(幻冬舎ルネッサンス新書)★★★☆ 
   基本的な事項の再確認として必読!

2)『<映画の見方>がわかる本』町山智浩・著(洋泉社)★★★★☆
   映画ファン必読!

3)『I【アイ】』いがらしみきお・著(小学館)★★★★★
   いがらしみきおファン必読!

4)『発達障害のいま』杉山登志郎・著(講談社現代新書)★★★★★
   小児科医は必読!

5)『福島原発の真実』佐藤栄佐久・著(平凡社新書)★★★★★ 
   村木厚子元厚労省局長に対する特捜部のでっち上げ事件と同じ構図がここにも! 


6)『「もううんざりだ!」自暴自棄の精神病理』春日武彦・著(角川SSC新書)
   ★★★★

7)『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』村上春樹・著(マガジンハウス)
   ★★☆ う〜む。

8)『世界一やさしい精神科の本』齋藤環・山登敬之・共著(河出書房新社) 
   ★★★★☆ 今までありそうでなかった共著。すごく分かりやすいぞ!

9)『明治・父・アメリカ』星新一・著(新潮文庫)★★★★☆
   福島県民は明治時代から疎外されていたのだ。

10) 『どうで死ぬ身の一踊り』西村賢太・著(講談社文庫)★★★★ 
   あはは! 最低な奴だな、こいつ。

11) 『知られざる魯山人』山田和・著(文春文庫)p224 まで途中挫折中。
12) 『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹・著(文春文庫)途中。
13) 『小津ごのみ』中野翠・著(ちくま文庫)p34まで。途中。
14) 『花なら紅く』片岡義男・著(角川文庫)
15) 『彼女が演じた役』片岡義男・著(中公文庫)


16) 『作家の遊び方』伊集院静・著(双葉社)
17) 『この国の「問題点」』上杉隆(大和書房)
18) 『トラウマ映画館』町山智浩・著(集英社)


19) 『不思議のひと触れ』シオドア・スタージョン著(河出書房新社)途中。
   「雷と薔薇」「孤独の円盤」「不思議のひと触れ」のみ読了


2011年8月 7日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その82)菓匠しみず2Fホール

「伊那まつり」がある8月最初の土日は、毎年天候不順で急の夕立や雷の襲来を覚悟しなければならないことになっている。でも、今年は例年以上の凄さだった。特に、天竜川の東側在住の者たちにとっては。今日の午後も、局地的ゲリラ豪雨と集中的な落雷で、伊那市境区の一部の地域(わが家を含む)は午後3時前から5時半まで停電が続いた。こんなに長い停電は、この地に住んで初めてのことだ。


三峰川の水量も増し、このぶんでは今夜の花火大会も中止かと思われたのだが、夕方5時前にはついさっきまで土砂降りだったのが嘘のように雨は上がった。そして、予定通りに花火大会は開催されたのだった。


■さて、そんな今日の夕方を迎える前は、久々に夏らしい暑い暑い午後だったのだ。


そんな夏の日の午後1時から、伊那で一番有名なケーキ屋さん「菓匠しみず」の2階で「伊那のパパズ絵本ライヴ(その82)」は始まった。


1)『はじめまして』新沢としひこ(すずき出版)
2)『くだもの なんだ』きうちかつ・作(福音館書店) →伊東
3)『こわくない こわくない』内田麟太郎・文、大島妙子・絵(童心社)→北原
4)『かごからとびだした』(アリス館) → 全員


5)『じいちゃんのよる』きむらよしお・作(福音館書店) →坂本
6)『かあさんのパンツ2』『かあさんのパンツ3』(絵本館)→宮脇


7)『すてきなぼうしさん』ますだゆうこ、市居みか(そうえん社) →全員


8)『8月6日のこと』中川ひろたか・文、長谷川義史・絵(河出書房新社)→倉科
9)『ふうせん』(アリス館) →全員
10)『世界中のこどもたちが』 →全員


■今日は「南信こどものとも社」の坂本さんが事務所の隣に開店した新店舗「やまめ堂」の「さかな釣りをするクマ」をイラストした特製Tシャツを全員で着て、そろいの衣装での登場とあいなった。我々としてはクリスマス以来のユニフォームだったね(^^;; 


ちなみに絵本屋「やまめ堂」が何処にあるかというと、伊那市民劇場の事務所がある「白いビル」をご存知の方は、そこの左隣です。竜西地区在住で場所が分からない人は、旧田中病院の角で飯田線の線路を渡って、倉科洋品店を通り過ぎ、えびす神社を左に見て右に行くと、左手に例の「白いビル」があります。その真ん中です。


竜東地区から行くには、中村クリニックと敬愛幼稚園の前を過ぎて「毛見橋」から天竜川を渡り、信号を右折して「伊那ケーブルテレビ」横をすぐ左折して春日町の道をまっすぐ行くと、右手に例の「白いビル」があります。もう少し北から行くには、仁愛病院の手前で右折して、小松眼科を通り過ぎたあたりで左折、そから少し行けば「白いビル」が左手に出現します。


午後2時過ぎに無事終了。帰りにメンバーそれぞれ「大きなお土産」を頂いた。家に帰って開けてみたら驚いた! 直径20cm のイチゴクリームパイと、ロールケーキーと、生クリーム大福が6個も入っていたのだ。shimizuさん、本当にありがとうございました。

2011年8月 6日 (土)

伊那のパパズ番外勝負(中沢小学校親子文庫)7月13日

先月の7月13日(水)の夜、駒ヶ根市中沢小学校の親子文庫のみなさんに呼ばれて、絵本と児童書、そして福島の話をさせてもらってきた。中沢小学校には、伊那養護学校駒ヶ根分校が併設されていて、パパズのメンバーである伊東先生が赴任しているのだった。その縁で昨年に続いて再び呼んでもらえたのだ。


当日は、伊東先生はもちろん、親子文庫所属のお父さんお母さん方(中沢小学校では、何故か父親の絵本の読み手が何人もいるのだ!凄いね)に加えて、図書館司書の先生、それにPTA会長さん、校長先生まで待っていてくださった。有り難いじゃありませんか。


・まずは、伊東先生と二人で代わり番こに絵本を読む。


1)『でんしゃはうたう』三宮麻由子・作(福音館書店) →伊東
2)『ひまわり』 和歌山静子・作画(福音館書店)   →北原
3)『かあちゃんのせんたくキック』(文化出版局)   →伊東
4)『ぜつぼうの濁点』原田宗典・作(教育画劇)    →北原


・つづいて、ぼくがパワーポイントを使って絵本『やこうれっしゃ』西村繁男(福音館書店)を解説。この絵本のパスティーシュである『がたごとがたごと』内田麟太郎・作、西村繁男・画(童心社)さらにその続編『おばけでんしゃ』も紹介した。


「字のない絵本」を、子供たちとどう読み合えばいいのか? そういう話をしてみたかったのだ。

・そうして、おもむろに僕がとりだした絵本が『アライバル』ショーン・タン(河出書房新社)だった。この厚いモノクロの絵本には「文字」が全く載っていない。でも読者には、それぞれの個人的な思いに触発されながら、同じ絵を見ながらも微妙に別々のストーリーが浮かび上がってくるような仕掛けがしてある絵本なのだ。


ぼく自身がこの絵本を購入したのは2月のうちだったが、その後何度も目を通すうちに、この絵本は福島県に長年暮らしてきて、ある日突然故郷を強制的に退去させられ、しかもたぶん一生、わが家にには帰ることができない人たちのことを思った。

どうか、どうか、この絵本の主人公家族のように新天地で新たな幸せな暮らしができますように。そう祈るしかない。


・つぎに紹介したのはマンガだ。『月刊フラワーズ8月号』(小学館)に載った、萩尾望都『なのはな』のこと。それから、『小説新潮5月号』に載った、綾瀬まる『川と星』のはなしに移った。(つづく)



2011年8月 5日 (金)

最近のこと(健忘録としての覚え書き)

■医学書院の看護師のためのWebサイト「かんかん」で連載されている平川克美氏の『俺に似た人について知っていること ---- 老人の発見』が、しみじみ読ませる。


平川克美氏は 1950年生まれで、内田樹先生とは小学校で同級生になった時からずっと親友なのだそうで『東京ファイティングキッズ』を読んでから、ぼくは平川氏の事を知った。『東京ファイティングキッズ・リターンズ』も買ったし、『ビジネスに「戦略」なんていらない』も買った。『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(筑摩書房)も、少しだけ読んだが積ん読中。あと、平川氏がやっている『ラジオデイズ』からもよく落語をダウンロードさせてもらっているのだった。


そんな訳で、彼のブログやツイッターは暫く前からずっとフォローさせてもらっていて、ご母堂が亡くなられた後くらいからの様子は、断片的にではあるがリアルタイムで聞いてきてはいた。しかし、こうして「団塊世代・後期」である人が自分の父親を介護する話を読むと、二番手である我々にもあまりに身近で普遍的で、近々我が身(1950年代後半生まれ)に迫る必然的な問題であるだけに、こんなふうに淡々と語られるとかえって、リアルに迫ってくるのだと思う。

実際、ぼくの同級生にも最近親を看取った友人が何人かいる。子育てもまだ終わらないというのにだ。平川氏のこの連載は、「そういう」覚悟を、ぼくらの世代にどうしようもなく確認させる、強い力がある文章なのだだと思った。


ぼくは父親を16年前に、母親を2年前に亡くした。しかし、父も母もその看病と介護に当たったのは、昭和24年1月生まれの兄貴(平川氏より学年は2つ上)に任せっきりだった。仙台市在住の平川氏の弟さんと違って、ぼくはすぐそばに住んでいたにもかかわらずにだ。その点に忸怩たる思いがある。兄貴、本当にごめんなさい。


いや、もちろんぼくの妻は嫁として彼女のできる限りの最善を尽くしてくれたよ。ぼくの父や、母に対して。本当によく看病と介護をしてくれたと思う。素直に本当に感謝している。よくやってくれたと。

でもだ。実の息子であるぼく自身はどうだったのか?


今となっては仕方ないことではあるが、9月にある母親の三回忌の時には、ちゃんと兄貴に謝ろうと思っている。


  (閑話休題)


■■ 落語の演題『替り目』は、寄席に行くと結構頻回にかかるネタだ。


時間が押していて、持ち時間が7分ぐらいしかなく、トリの2つ前とか、中入り前に上がった大御所、中堅の噺家がよくやっている印象がある。ぼく自身、新宿末廣亭で柳家さん喬師の「替り目」を聴いたし、浅草演芸ホールで古今亭菊之丞の「替り目」を聴いた記憶がある。いや待てよ。「片棒」だったかもしれないなぁ。「片棒」はさん喬師の十八番だしね。


「替り目」はサラッと流せて、いくらでも時間調整ができる噺で、しかも落ちでしんみりさせることができるという、寄席ではたいへん重宝する噺なのだな。


ま、ぼくは「この噺」を、その程度に理解していたのだ。


ところが先日、偶然にも「古今亭志ん生の『替り目』」を初めて聴いたのだ。
驚いた! 前半を聴きながら、大笑いの連続で、自分自身が「この噺」の主人公とまったく同じ酔っぱらいのダメダメ亭主だから、余計に心情移入してしまうのだな。

外で飲んで帰って、どんなに酔っぱらっていたとしても、仕上げに家でもうちょっと飲みたい。でも女房は言う。「あんた! それだけ飲んできたのに、まだ飲むの? 今まで何度も約束したでしょ。ダメよ!」って。


志ん生の落語を聴いていたら、なんだわが家の日常「そのまま」じゃん! って思ってしまって大笑いしたあと、例のサゲまできて何だか急に泣けてきてしまったのだ。


いや、本当に泣けるのだ、志ん生の『替り目』は。ダメな亭主はしっかり者の女房のことを本当に愛しているのだよ。でも、志ん生の『替り目』は特別なんだろうなぁ。この噺がこんなにイイとは思わなかった。

でも、この落語を女房に聴かせても、絶対に判ってはくれないのだろうなぁ。酔っぱらいの気持ちは。悲しいなぁ。しみじみ。

 
(閑話休題)

■■ なんだろうあやしげ氏のツイッターで知ったのだが、四コマ漫画「根暗トピア」以来大好きで、「ぼのぼの」も「Sink」もフォローしてきた天才漫画家、いがらしみきお氏の新作漫画単行本が7月末に発売されたのだという。


この漫画は、現在も月刊漫画雑誌「IKKI」(小学館)連載中だ。


昨日の晩、伊那のTSUTAYA へ行って『 i【アイ】』いがらしみきお(小学館)を買って帰った。で、その「第1回」を読んだ。おったまげた!! すんげぇ〜じゃないか!!

でも、いがらしみきお氏は「この漫画の連載中」に、「3.11」を迎えたのだな。いったいどうするんだこの後。心配してしまうよ。物語はどう展開してゆくのだろうか?


で、久々に「いがらしみきお氏のブログ」を見にいった。


なんか、読んでマジでしみじみしちゃったじゃないか。

がんばれ! いがらし先生。

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