お芝居 Feed

2016年7月25日 (月)

木ノ下歌舞伎『勧進帳』(その4)これでおしまい。

■木ノ下歌舞伎は本当に面白かった。ぜひ、別の演目でもう一度観てみたい! そう思った。それから「ホンモノ」の歌舞伎の『勧進帳』を是非観たい、そう思った。たぶん、ちゃんと理解できるような気がしたから。個人的に思い入れが強い「富樫左衛門」がどう描かれているか確かめてみたいから。それに、木ノ下歌舞伎では省略された「弁慶の飛び六方」を見てみたいし。

松本で初めて見た木ノ下歌舞伎。すごい。凄すぎる。向正面砂かぶり席での観劇。感激した。スタイリッシュでスピード感にあふれ、ラップの歌にダンスもあって、でも確かに歌舞伎の『勧進帳』なんだ。随所で笑わされ、汗ビッショリのリー5世さん演じる弁慶には泣かされた。若い人たちのパワーに感嘆だ

先週の土曜日に松本で観た木ノ下歌舞伎『勧進帳』に、いまだ捕らわれている。義経が弁慶に手を差し伸べる場面。指先が何とも、凛として美しかったなぁ。それから宴会場面。「皆さん楽しそうですね」という時の富樫左衛門の表情。昨日の「今日のダーリン」を読んでいて、ふと判った。そうか「あはれ」か。

■『ほぼ日刊イトイ新聞』のコンテンツの中で、何故か「今日のダーリン」だけはアーカイヴスがサイトにない。日々消えてゆくことを目的としたコンテンツだったのだ。

だから、7月18日の「今日のダーリン」を『ほぼ日』のサイトで今現在読むことはできない。仕方がないので、当日の「今日のダーリン」をここに転載して、勧進帳を観た感想の「まとめ」とさせていただきます。

昨日、海のことについてちょっと書いた。
 いちばん最後のところに、しみじみ思って書いたのは、
 「海って、あのさみしさが怖いんだよなぁ」だった。

 しばらく経ってから、これは海だけでもないなと思った。
 いろんなものごとには、さみしさが隠れている。
 そして、そのさみしさというやつのことを、
 ぼくは嫌がっているのではなくて、おそらく、
 そこに浸ってじわぁっと快感を感じているのだ。
 
 なつかしいものや、あたたかいものについても、
 これは言えるような気がしてきた。
 ずっと昔に聴いた歌やら、人にやさしくされたこと、
 多くの人が好きだろうとは思うけれど、
 それは、どうも、なつかしさやあたたかさ
 そのものを求めているのではなくて、
 その奥に隠れている、
 いちばん根源的なさみしさを探しているのだ。
 
 ぼくらは、人の味覚がさまざま食べものの奥に、
 「甘み」を探しているように、
 あらゆる好きなもの、好きなことのなかに、
 「さみしさ」を発見しては、
 それに浸かってじわぁっとしている。
 これが、快感というものなのかもしれない。
 
 「さみしさ」が、いちばんの価値なのではないか。
 こう言うとずいぶん被虐的に聞こえるかもしれないが、
 うれしいだとか、よろこんでるだとか、たのしいだとか、
 みんな、そのことそのままの状態では続かないよ。
 かならず、「さみしさ」の影とともにあるものだ。

 この「さみしさ」というのが、
 すべての生きものの生きる動機であるような気さえする。
 脳細胞のさきっぽのシナプスが、
 もうひとつのシナプスに向かって「手」を伸ばす。
 そういう動画映像を見せてもらったことがあるのだが、
 あのたがいに伸びる手と手というのは、
 「さみしさ」がつなげているのではないだろうか。
 それを「あはれ」と言ってもいいんだけれど。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
夏は、たくさんの人が「花火」のさみしさに会いに行くね。

(ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」2016年7月18日 より)

■ところで、ウィキペディアによると「富樫左衛門」のモデルとなった「富樫泰家」は、頼朝から加賀国の守護に任命されていたのだが、義経・弁慶一行を本人と知りつつ通してしまった時に、たぶん彼はその責任を問われ頼朝から切腹を命じられるに違いないと思っていたはずだ。

ところが頼朝は、富樫泰家の加賀守護の職を剥奪しただけで、殺しはしなかった。彼は後に仏門に入り、奥州平泉を訪れ義経と再会を果たしたという。なんか、後日談としては出来すぎなんじゃないか? ホントかなぁ。 

2016年7月23日 (土)

木ノ下歌舞伎『勧進帳』(その3)

■木ノ下歌舞伎は、この7月に31歳になったばかりの木ノ下裕一氏が、まだ京都造形芸術大学の学生だった10年前に立ち上げ、今年で10周年を迎えた。木ノ下氏は、大学博士課程で、武智鉄二の歌舞伎論で 2016年に博士号を取得した、若いのに凄い学究肌の歌舞伎研究者でもある。


YouTube: KYOTO EXPERIMENT 2013 - Kinoshita-Kabuki

今回の『勧進帳』パンフレットに記された、木ノ下裕一氏の「ごあいさつ」の文章が素晴らしので、全文転載させていただきます。

松本のみなさん、はじめまして。木ノ下歌舞伎と申します。私たちは、様々な演出家とタッグを組んで歌舞伎の演目を”現代劇”に作り直している団体です。今回、お目に掛けます『勧進帳』は、2010年に初演した作品で、このたび2度目の上演となします。初演から再演の6年間で、世の中は大きく変わりました。

それにともない作品も大きく刷新されたことは、演出の杉原邦生さんが文章で述べられている通りです。杉原さんとは、これまでに9作品を一緒に作ってきました。いわば”木ノ下歌舞伎、最多登場演出家”です。彼はとにかく<果敢な探求者>です。作品ごとに実験を繰り返し、古典を現代化するとはどういうことなのか、その楽しさと難しさの”深み”にどんどん入り込んでいきます。彼に誘われるようにして、私はいくつもの<新しい風景>を見てきました。今回の『勧進帳』も、まぎれもなく新しい景色、木ノ下歌舞伎の<最新形>です。

そのような作品を松本で上演できることを、本当にうれしく思っています。思えば14年前、当時高校生だった私は、串田さんたちが創った歌舞伎を初めて見て、衝撃を受けました。”古典”がこんなにも溌剌と現代に息づき、エネルギーを発散することができるなんて……将来自分もこんな作品をつくってみたい! と強く志したのもその時のことでした。

ですから、私の<原点>である串田さんたちの歌舞伎と、私たちの<最新形>であるこの作品が、こういうカタチでご一緒できるなんて、感慨無量です。

「古典ってこんなにも現代人の胸を抉(えぐ)るんだ」「古典って堅苦しいものなんかじゃなくて、すごくフリーダムで、たくさんの可能性を秘めているものなんだ」ということを感じ取っていただけたら、本望です。本日はご来場いただきまして誠にありがとうございます!               木ノ下裕一

■そうだ、木ノ下歌舞伎こそ『越境する舞台』であるな。それは、伝統芸能としての歌舞伎を軽々しくも自由に越境し、さらには1000年も前の平安時代末期の話を時空を飛び越えて、いま現代の物語として観ている観客たちの心の奥底に響き沈殿させるパワーを持っている。

「越境する」ということでは、今回の舞台の初日、2日目は、大ホールの方で上演されていた、コクーン歌舞伎『四谷怪談』は昼公演のみだったので、7月15日の夜には出演している歌舞伎役者さんたちや、現代演劇の役者さんたち、それに歌舞伎舞台関係者たちが、こぞって「木ノ下歌舞伎」を観に来ていたという。もちろん、中村勘九郎、七之助、獅童の三人、それに串田和美さんもね。これこそ、伝統芸能と現代演劇とが「越境」した瞬間なのではないか? 『勧進帳』出演者たちの気持ちを想像しただけで、なんだか身震いするぞ。

また、観に来た観客にとっても「越境」は必要であった。今回の『勧進帳』の公演は、東京での上演はないのだ。だから、芝居好きで「木ノ下歌舞伎」に注目する都内在住の人々は、新宿から「あずさ」に乗って、もしくは中央道を車で飛ばして3時間もかけて、東京都→山梨県→長野県と「越境」して松本までわざわざ来る必要があったのだ。

■そもそも、中村勘三郎と串田和美が始めた「コクーン歌舞伎」自体が、伝統芸能の上に胡座をかいて形式化・マンネリ化してしまった歌舞伎界を「越境」した試みであった。

先達て入手した『勘三郎伝説』関容子(文藝春秋)を読むと、227ページにこう書いてある。

 串田和美さんに出会って親交を結んだことは、中村屋にとって本当によかったと思う。演出家としての串田さんの詩的な表現に感激して、うっとりと語るのを何度か聞いた。

「この間、監督がね『三五大切』の三五郎はイタリア人で、源五兵衛はロシア人で演じてほしいって。これってすごくわかるよね。三五郎は、女好きでそそっかしくて軽いところがある。源五兵衛は陰気で得体が知れなくて重っ苦しい。」(中略)

 歌舞伎には新作を除いて演出家は存在しない。その演目の主役(座頭役者)が演出を兼ねるので、余程でない限り脇役が注文をつけられることはないに等しい。

 歌舞伎は個人芸を持ち寄って成り立つ物が多いので、あれだけの短期間の総合稽古で初日の幕が開くわけで、だから舞台稽古でも一人舞台のところは客席では誰も見ていない、ということもあり得る。

■ところで、主宰者の木ノ下裕一氏自体が「越境」してしまった人なのではないか? と感じているのだ。ネット上には木ノ下氏のインタビュー記事がいっぱい載っているが、読むとどれもみな、ほんと面白い。

特に、<これ>

読んで驚くのは、彼が小学生だった頃に「上方落語」にはまって、学校で休み時間にクラスで落語を披露していたところ「ぼくにも落語を教えて!」と弟子入り志願者のクラスメイトが殺到し、一時は10数人の弟子を抱えていたというのだ。小学生の分際で。たまげたな。

彼は、小学校を卒業したらプロの落語家になるべく、桂米朝一門の中でも特に大好きだった「桂吉朝」に弟子入りしようと本気で考えていたのだそうだ。

木ノ下:「桂吉朝師匠のところに行くつもりでした。当時はほぼ追っかけでしたから(笑)。実は大学に入ってからも迷っていて、何度か本気で噺家になろうかと考えました。しかし桂吉朝さんのお弟子さんで、ほぼ同世代の桂吉坊さんという方がおられることを知り、何だか勝手に自分の分身のような気がして「落語界は吉坊さんに任せた!!」と思い未練が切れました。

これを読んで「あっ!」と思ったのだ。そうか、桂吉坊か! と。木ノ下裕一氏のインタビュー動画を YouTUbe で見てみると、どうしても男性に見えない。「桂吉坊」と同じく、中性的な雰囲気が濃厚なのだった。本当のところは、どうなのだろうか?

2016年7月20日 (水)

木ノ下歌舞伎『勧進帳』(その2)

■「越境する物語」とは、どういうことか?

もちろん、国境(くにざかい)を越えるということが第一義。しかし、弁慶にとっては義経との「主従の関係」を逆転してしまうことであり、義経自身は「もはやこれまで」と死を覚悟したこの関所で「生死の境」を越えたということ。また、富樫左衛門は自らに課せられた任務を放棄して「その一線を越えてしまう」ことに相当する。

斯様に重層的意味合いが込められている訳だが、木ノ下歌舞伎ではさらに「ミルフィーユ」の如く、パイ生地とクリームが重層的に積み重ねられているのだった。

だって、弁慶役のリー5世は、20年近く日本に住むアメリカ人で、役者さんではなく吉本興行所属のお笑い芸人だよ。しかも、セリフは関西弁だ。でも、勧進帳を読み上げる場面や、畳みかけるような緊張感あふれる富樫左衛門との「山伏問答」の場面など、よどみなく流れるようにすらすらとセリフが出てきて、聴いていてとても気持ちが良かったな。あと、義経に小さな声で「ゴメンナサイ」というところ。泣けたよ。

なんでも、初演時の弁慶役だったアメリカ人は帰国してしまって『勧進帳』を再演したくてもできなくて困っていたら、演出の杉原邦生氏がたまたま NHK朝ドラ『マッサン』を見ていて、英語教師役で出ていた「リー5世」を見て、「あ、弁慶見つけた!」となったのだそうだ。面白いなあ。

■それから、初演時の義経役は、女優の清水久美子さんが、幅広の麦わら帽子を被って演じていたという。今回は出演者全員の衣装は「黒」だ。そう、映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』の、トム・クルーズの感じ。でも、あんなにガンダム的ハードでメカニカルではないが真っ黒な戦闘服。少なくとも、山伏や強力の衣装ではなかった。

今回「義経役」を演じたのは、ニュー・ハーフの女優、高山のえみさんだ。ぼくは初めて見る女優さんで、その凜とした佇まいにビックリしてしまった。しかも、舞台が終わって「パンフレット」を読むまで、彼女が「もと男」であるという事実に、まったく気がつかなかったのだ。

とにかく、彼女の所作が美しい。スローモーションの「すり足」で登場する場面は、太田省吾の『水の駅』を彷彿とさせられたし、大きな体をめちゃくちゃ小さくして「ゴメンナサイ」する弁慶に「差し伸べる手」の指先が得も言われぬ色気と妖気と哀愁にあふれていて、ため息がでてしまった。ほんと、すばらしかった。

■岡野康弘、亀島一徳、重岡漠、大柿友哉の4人は、最初、富樫左衛門の番卒として登場したかと思ったら、義経・弁慶一行が下手から登場すると、瞬時に「一行側」の四天王役に早変わりする。これが場面毎に目まぐるしく入れ替わって、とにかく退屈しない。

生死を賭けた弁慶と富樫との、ぴーんと張り詰めた緊張の糸を、彼ら4人がいい感じで緩めてくれ(桂枝雀がいう「緊張の緩和」ですね)場内に笑いがあふれる。また、彼らは「口三味線」「口鼓」をアカペラで伴奏しながら長唄を歌い出したかと思ったら、いつしか曲はヒップホップ調となり、4人が交代でラップを始めるのだった。たまげたな。

場面転換で流れるクラブ・ミュージックの「ずんずん」お腹の底に響いてくる、モノトーンの高速ビートもカッコよかったなぁ。それから驚いたのは、ラスト近くで皆が踊り狂う場面。音楽がいつしか「ディズニーランド」の音楽になっていたぞ!

■リー5世演じる弁慶も、高山のえみ演じる義経も、キャスティングされた時点で「異形」であることが確約されていた。じゃぁ、富樫左衛門を演じる坂口涼太郎はどうか?

最初のシーン。登場するなり小さな椅子の上に体育坐りし、不敵な薄笑いを浮かべてじっと正面を見据える富樫。おぉ、充分すぎるほど不気味で、妖怪みたいで、まさしく彼も「異形」であった。

木ノ下歌舞伎のサイト「こちら」から、坂口涼太郎くんのインタビュー記事を読んでみると、興味深い発言があった。以下の部分だ。

坂口:「今回演じる<富樫>という人物について、まず完コピで掴んだことは、他者に絶望していて、周りに希望を持っていない、すごく生きづらい人なんだということです。人間関係も、裏切られるのが当然だと思っている。仕事として関を守っているだけで、感情は一切ない。

 でも弁慶と義経一行との出会いによって初めて、富樫の心は揺らいだんだと思います。でも今、邦生さんの演出がついて、また変わってきています。他者に絶望しているというのは今も同じなんですけど、山伏の詮議も「頼朝様のために」という意識ではなく、ただ上司の命令だからやっている。関にやってくる人を自分より下にみていて、それで仕分けしているし、人が困っていることに快感さえ覚えている気がします。」

■まだまだ続く予定。

2016年7月18日 (月)

木ノ下歌舞伎『勧進帳』 まつもと市民芸術館小ホール

■先週の土曜日の夕方、松本まで行ってお芝居を観てきた。

まつもと市民芸術館では、2年に1度の「信州まつもと大歌舞伎」として、今年の演目は『四谷怪談』をやっている。チケットはあっという間に売り切れて取れなかった。前回の『三人吉三』の時は、最上階一番奥の4等席(2000円)で観た。この日は「主ホール」で昼夜2公演。ロビーは大賑わい。芸術館裏の駐車場も満杯で駐められず、駅方面に戻って何とか駐めてから大急ぎで芸術館へ。

「小ホール」のほうで同時に上演されている、木ノ下歌舞伎『勧進帳』を観るのだ。ぼくは歌舞伎座で歌舞伎を見たことがない。その昔、市民劇場で来た前進座の『俊寛』を見たくらいだ。あとは、串田さんの『三人吉三』。そんなぼくでも、賴朝に追われて奥州平泉の藤原氏のもとへ山伏に変装して逃げようとする、義経・弁慶一行と、安宅の関所で待ち受ける富樫左衛門との、生死を賭した丁々発止の攻防を描いた『勧進帳』の「あらすじ」は何となく知っている、歌舞伎では最も人気のある演目の一つだ。

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その『勧進帳』を、「古き皮袋に新しき酒を」入れるように、歌舞伎という古典芸能を「木ノ下歌舞伎」として現代劇に再構築することで、いまの観客に「その魅力」を分かってもらおうと、まだ若いのに京都を拠点にここ10年精力的に活動を続けている木ノ下裕一氏(1985年生まれ)と演出家の杉原邦生氏(1982年生まれ。共に京都造形芸術大学卒)が見せてくれると聞いて、正直ぼくは『四谷怪談』よりも「こっち」を絶対観たい! そう思ったのだった。で、観れて本当によかった。大正解だった。

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■ステージは、写真(「こちらのサイト」から勝手に拝借ごめんなさい)にあるように、舞台上にさらに一段高く、ちょうどフェンシングの試合会場みたいな長細い「まな板状のステージ」が作られていて、バックステージにも観客席が設けられていた。ぼくは、お相撲で言うところの「向こう正面」中央の最前列(いわゆる砂かぶり席)での観劇。じつは全席自由だったので、悩んだ末に係員の薦められるままに「この席」を選んだのでした。その結果、今までに経験のない「かぶりつき席」で見上げる役者さんの一挙手一投足に、ただただ圧倒された80分間だった。ほんと、凄かったな。面白かった! 期待10倍以上だった。

■木ノ下歌舞伎『勧進帳』は、2010年に横浜で初演されている。しかし、今回松本での再演では、役者さんは亀島一徳(ロロ)重岡漠(青年団)の2人を除いて5人が刷新された(初演時は全部で5人だったのが、今回、四天王役が2人増員され、7人になったのだ)。

弁慶役には、吉本所属のお笑い芸人で巨漢のアメリカ人、リー5世。義経役は、ニュー・ハーフの女優、高山のえみ。さらに、四天王役&番卒として、岡野康弘と大柿友哉が招集された。最も重要となる「富樫左衛門」役には、個性派若手俳優:坂口涼太郎が抜擢された。

この、坂口涼太郎くんがよかった。難しい役だ。頼朝配下のしがない地方役人にすぎない富樫左衛門(調べてみたら、石川県知事ぐらいの役職だった!)。

富樫は、ここで是非とも手柄を上げ、主君に褒めてもらおうと思っている。しかも、前日まで人違いの山伏たちを関所で何人も無駄に切り捨てているのだった。しかし、役職の前に理知的な教養人としての矜持があった。変装しているとはいえ、部下の番卒に助言されるまでもなく、山伏たちが義経・弁慶一行であることは一目瞭然であったはずだ。なのに何故、彼は関所を通したのか?

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( 信濃毎日新聞朝刊/ 7月14日付:新聞記事をクリックすると、写真が大きくなり、記事が読めます。

あと、こちらは「東京新聞」での紹介記事です。)

■『勧進帳』というお芝居を「ひとこと」で表現するとすれば、それは「越境する物語」ということになるな。もしくは、登場人物がそれぞれの「結界を破る」はなし。(さらに続く予定)

2016年3月24日 (木)

麻生久美子の舞台『同じ夢』。それから映画『亀岡拓次』のこと(その2)

■舞台『同じ夢』に登場する人たちはみな、それぞれに「手かせ足かせ」の左門豊作状態で、どうにもならない状況下にある。それでも自らの人生を破綻させることなく「いま」をただ、しょうもなく生きている、一見「夢も希望もない」無名で市井の、冴えない中年男ばかりだ。

主人公の「光石研」は、父親が始めた肉屋を引き継ぎ、妻を10年前に交通事故で亡くしたあと、男手一つで一人娘を育て上げた。娘は成人し就職したが同居中。父親は倒れて寝たきり状態だ。夜ひとりリビングを掃除し終わり、掃除機を仕舞おうとしてコード収納ボタンを押す。しゅるしゅるしゅる。また、コードを引っ張り出す。また押す。しゅるしゅるしゅる。

ふと、掃除機のコードを自分の首に巻いてみる。でも、いま死ぬことはできない。

なぜなら、通いのホームヘルパーさん(麻生久美子)と、あわよくば再婚できないか、という「はかない夢」があったから。

■『同じ夢』は、地方公演ももう終わっているから、一部ネタバレします。ごめんなさい。

・このお芝居では、役者さんがみな「タバコ」を吸う。驚いたことに、麻生久美子も登場早々にタバコを吸うのだ。でも、「タバコを吸うこと」に必然性があるのだ。特に何も劇的展開は起こらないこの舞台で、ぼくが最も「劇的」に感じた場面は、登場人物がみな肩寄せ合って1箇所に集まり「いつでも夢を」を唄う場面だった。

その、1箇所に集まる必然性が「タバコを吸うこと」なのだ。主人公の光石研は禁煙していた。だから、友人の田中哲司はタバコを吸う時に、キッチンの流し左横上にある「換気扇」を回して、その下で吸うのだ。大森南朋も麻生久美子も、換気扇の下へ行ってタバコを吸う。終いには光石研も禁煙を破ってタバコを吸う。(赤堀雅秋さんだけ吸わないので、一人離れて淋しそうだった。しかも、実際の赤堀さんはヘビー・スモーカーなのに

そういう訳で、「換気扇の下」が、登場人物がみな肩寄せ合って集う場所になったのだ。

・キッチン流し台の換気扇の下でタバコを吸う芝居を以前に観た。三浦大輔・作・演出『母に欲す』だ。峯田和伸(銀杏BOYZ)・ 池松壮亮・片岡礼子・田口トモロヲが出演し、池松壮亮が何度も「そこ」でタバコを吸った。

・それから、舞台上で役者さんがタバコを吹かす場面が印象的だったお芝居に、宮沢章夫・作・演出『ヒネミの商人』があった。タバコをふかすのは、先だってテレビ東京の『テレビチャンピオン』を卒業した「中村ゆうじ」。このお芝居では、銀行員役だった「ノゾエ征爾」が履いてきた「靴」が、片方だけ無くなってしまう。

・『同じ夢』でも、光石研が舞台に登場した時から、片方だけ「靴下」を履いていない。行方不明なのだ。ところで、ノゾエ征爾は映画『ウルトラ ミラクル ラブストーリー』横浜聡子監督作品(2009年)の中で、主人公「松山ケンイチ」の幼なじみで農協職員、でも上京して役者になりたい男を演じていた。

・そんな松山ケンイチが一目惚れしてしまうのが、保育士の麻生久美子だ。彼女が同棲していた恋人(井浦新)は突然出て行ってしまい、他の女が同乗した車で交通事故を起こし死んでしまう。しかも首から上が未だに見つからない。彼女は東京からわざわざ青森に移り住み、カミサマ(イタコ)に「元彼の首」がいまどこにあるのか、どうして彼女のもとを離れていってしまったのか、死んだ彼に訊こうとするのだった。

・自閉症で衝動性と多動、軽度知的障害も合わせ持ったまま大人になってしまった「松山ケンイチ」の頭の中では、絶えず農薬散布のヘリコプターの爆音が聞こえている。舞台『同じ夢』でも、ときどき「肉屋」の上を自衛隊のヘリコプターが爆音を響かせ通過する。

・さらにこの4月から、障害児を育てる麻生久美子に恋してしまった峯田和伸(銀杏BOYZ)が、母子を支援するドラマ『奇跡の人』が、NHKBSプレミアムで始まる。しかも、このドラマの脚本は、あの『泣くな、はらちゃん!』の「岡田惠和」。

・『泣くな、はらちゃん!』には、光石研が出ている。生きて死んで、死んだまま、越前さんにマンガで描かれたことで復活するのだ。それから、あのヤスケン(安田顕)も一話だけ登場しているぞ。

そういえば、松山ケンイチも『ウルトラ ミラクル ラブストーリー』の中で農薬浴びすぎ、心臓はもう動いていないのに、町子センセイ(麻生久美子)のことが好きすぎる「彼の脳味噌」だけが生きているのだった。

・さらに、『泣くな、はらちゃん!』と同じワクで放送された『ど根性ガエル(実写版)』のヒロシ役が松山ケンイチで、どことなく子供のまま大人になってしまった「陽人」の面影があった。脚本は、これまた岡田惠和。


YouTube: 泣くな、はらちゃん 【私の世界】 ロックバージョン


 

・麻生久美子は舞台『同じ夢』の中で、光石研に彼の寝たきりの父親を介護する中で、自らのおっぱいを「そのエロじじい」に揉まれていたことを告白する。映画『俳優 亀岡拓次』の中では、大女優・三田佳子が舞台上で安田顕に自らの乳を揉まれる。

■なんか、ぼくの中では「いろんなこと」がリンクしてつながって行くのだった。

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光石研さんは橋口亮輔監督の映画『ハッシュ!』で田辺誠一の兄貴役の演技が光ってたので、今日のお芝居『同じ夢』を松本まで観に行ってきた。いや、よかった。すっごく面白かった。大森南朋に田中哲司。みんなよかった。橋幸夫の『いつでも夢を』だから『同じ夢』か?ナマ麻生久美子は想像以上だったよ。2016年2月24日
続き)それから、舞台が始まる前から劇場場内に「不思議な香り」が微かに漂っていたんだけれど、あれは、稲葉さん(赤堀雅秋)が付けていた、安物のオーデコロンの匂いだったのだろうか? 舞台『同じ夢』まつもと市民芸術館にて。
昨日の昼休みに、伊那市役所ロビーに行って、伊那谷フィルムコミッションの展示を見てきた。「orange 松本ロケ地 Map」と「俳優亀岡拓次:呑んだくれロケ地 MAP」「伊那谷ロケぶらり」のパンフレットを入手。映画「俳優亀岡拓次」はすごく期待してるんだ。2月27日より伊那旭座で公開
続き)映画主演の安田顕さん。『水曜どうでしょう』に、たまにゲスト出演していた頃から注目していたのだよ。個人的には『下町ロケット』よりも『みんなエスパーだよ!』や『ゴーイング・マイ・ホーム』での、とぼけた演技が好き。(2016/02/06)
映画にも実際に登場する「伊那旭座」で『俳優 亀岡拓次』を観た。しみじみ良かった。先週松本で観たお芝居『同じ夢』に続いての麻生久美子だ。安田顕が帰った後の居酒屋「ムロタ」のカウンター内で一人、立ったまま「お茶漬け」をすする麻生久美子。『麦秋』の原節子を彷彿とさせる名シーンだったな。2016年3月6日
『俳優 亀岡拓次』感想の追加。ヨーロッパ映画みたいだった。フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキがフランスで撮ったような。テンポをわざと外して、前のめりに突っ掛かった所で観客を「くすっ」と笑かすみたいな。個人的には、山形のスナックで喝采を唄うオバサンが2度映る場面が一番笑った。2016年3月8日
変な映画『俳優 亀岡拓次』を観て引っかかった横浜聡子監督の『ウルトラ ミラクル ラブストーリー』のDVDをレンタルしてきて観た。おったまげた。めちゃくちゃ変。ラストシーンに唖然。監督の妄想が疾走している。otanocinema.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/p… 読んで、もう一度見ないとな。2016年3月22日
続き)幼稚園の子供たちが自然に過激だ。そこがまず凄い。それからカメラの長回し。麻生久美子が自転車を押しながら松山ケンイチと二人夜道を帰るシーン。画面奥の浜辺で花火をしている。緊張と緩和。ここが好き。まるで、テオ・アンゲロプロスか、相米慎二の『雪の断章』ファースト・シーンみたいだった。2016年3月22日

2016年3月18日 (金)

麻生久美子の舞台『同じ夢』。それから映画『亀岡拓次』のこと

■女優・麻生久美子を初めて意識したのは、テレ朝で深夜に放送されていた『時効警察』だった。すっとぼけた演技のオダギリ・ジョーとの丁々発止のやり取りで大いに笑かせてもらった、キュートで清楚なコメディエンヌが彼女だったのだ。こんな女優さんがいたのか! 正直驚いた。

しかし、彼女の魅力がフルパワーで全開したのは、なんと言っても、日テレ土曜9時台のドラマ枠で放送された『泣くな、はらちゃん』の「越前さん」役だったと思う。


YouTube: 泣くな、はらちゃん ♪♪

神奈川県三浦半島の先端に位置する三崎町。その漁港近くにある蒲鉾工場で働く、婚期をちょいと過ぎた越前さん。彼女の唯一の楽しみは、モヤモヤとした鬱憤をマンガを描くことで晴らすことだった。

それにしても、麻生久美子には「制服」がよく似合う。お巡りさんはもちろん、蒲鉾工場の作業衣だって妙に様になってるじゃないか。

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■そんな麻生久美子は、映画界では引っ張りだこで、田口トモロヲ『アイデン&ティティ』、大根仁『モテキ』、園子温『ラブ&ピース』などなど、いっぱいありすぎてきりがないな。美人だけれど、幼年期に苦労があったに違いない不穏な陰があって、年増域に入って既婚で子持ちの女優になってしまったのに何故か(原田知世とはちょっと違った)ピュアで清廉潔白な雰囲気が漂うという、この血液型B型の摩訶不思議な女優を、映画監督は「俺ならこう撮る」っていう自負が出てしまうんだろうなぁ。

同じことが舞台の演出家にも言えて、「俺ならこういう役を彼女に演じさせたい」っていう欲望がふつふつと湧き上がってくるのであろう。岩松了がそうだし、今回『同じ夢』を作・演出した赤堀雅秋がそうだったに違いない。でなければ、あの「麻生久美子」に寝たきり老人の通いの介護士「ホームヘルパー」役なんて振るわけないもの。


YouTube: 「同じ夢」 スポット動画!


YouTube: 『同じ夢』 trailer movie 2016/2 シアタートラム

■このお芝居が松本でも公演されると知って、年末にネットで予約を入れたのだが、1週間以内に「まつもと市民芸術館」チケットセンターで現金支払いのことだったので、年末年始で忙しかったのに、12月29日にわざわざ松本まで出向いて行ったら、もう年末年始休業でお金を払えず。従って、松本公演のチケットは流れてしまったのでした。

仕方なく、チケットを取り直したら、小ホールの最後部席。正直、もっと前の席で「麻生久美子さま」のおすがたを拝みかたったなぁ。

でも、このお芝居は本当に面白かった!

ここ1〜2年で僕が観たお芝居(そんなに見てはいないが)の中では、ピカイチだった。

舞台俳優ではあるけれど、生身の人間が舞台上から「はける」には、それなりの必然性が必要だ。この舞台では、後ろから前への動線が4つ。肉屋の店先から奥の勝手口への動線と、中央奥の右側にあるらしいトイレ。それに、中央やや左にある階段を上った先にあるであろう2階の部屋と、舞台下手リビングの奥に「ふすま」で隔離された介護部屋(この動線はめったに使われないが重要だ。)

それに、舞台上手(かみて)に用意された勝手口。

麻生久美子は、最初この扉から登場する。

■その佇まい、話し方は「越前さん」そのままなのに、このお芝居での麻生久美子の発言・行動は、ことごとく僕のイメージをぶち壊してくれたのだった。(項を改めて、さらに続く)



2015年12月23日 (水)

今月のこの1曲。 タートルズ『Happy Together』


YouTube: Happy Together - Turtles

■この曲は、アメリカのロックバンド「タートルズ」が 1967年に全米ナンバーワンを獲得し、世界中で大ヒットを飛ばした曲で、僕も小学生の頃に聴いた憶えがある。先日、この曲がじつに印象的に使われている「お芝居」を観てきた。ケラリーノ・サンドロビッチ作・演出、ナイロン100℃公演『消失』だ。

■何処か知らない国の近未来。戦争の終わった片田舎で、仲よく慎ましく暮らす兄弟二人をめぐる、クリスマスから大晦日までの7日間のおはなし。

最初と最後に「この曲」が流れるのだが、開演時はガット・ギターでのカヴァー・ソロ演奏、ラストで舞台が暗転してスクリーンに出演者の名前が次々と映し出され、そのバックで流れるのが、このオリジナル版だった。

お芝居は、年末まで下北沢「本多劇場」にてもう数ステージ公演が続くので「ネタバレ」できないワケだけれど、3時間強の公演時間(前半2時間、休憩をはさんで、後半1時間)が、ぜんぜん長くは感じられなかった。やっぱり傑作だよ。でも、感動の涙というのとは正反対の、見終わった後に圧倒的な「虚無感、虚脱感」が襲ってくる舞台だったな。

ケラさんは、この芝居の脚本を執筆中に「小津安二郎」の映画を集中的に見ていたそうだ。で、映画『晩春』の最重要シーンから、原節子と笠智衆のセリフをそのまま4ページ拝借したのだという。え、どこに? と思ったら、休憩のあと第2幕が始まってすぐの、弟(スタン:みのすけ)と兄(チャズ:大倉孝二)の会話が「まさにそのまま」だったので、ゾクゾクっときた。

かたや「父と娘」、かたや「兄と弟」。あれ? でもちょっと変だよ。いっしょにいて楽しいのは、恋人同士の「男と女」なんじゃないか?

 
純粋無垢な人。それは、死者に花束を添えたネアンデルタール人だったのだろうか? 今日、本多劇場で『消失』を観てきた。今になって、じわじわとこみ上げてくるものが沢山あるな。(12月20日
『消失』を英語でいうと「disappearance」だから、見ている眼の前で消えて無くなるという意味になるな。だから、落とし物を紛失することとはぜんぜん違う。芝居を観ながら思い浮かべたものは、黒澤明『白痴』北野勇作『かめくん』それに、高田渡と加川良が唄ったローランサンの『鎮静剤』だった。
その昔「ウナセラディ東京」って歌があったけど、ナイロン100℃のお芝居『消失』を見終わって劇場を後にした自分の全てを支配していた感情は「やるせなさ」だった。映画監督成瀬巳喜男は「ヤルセナキオ」と呼ばれていたそうだが、これほどの脱力感と無力感に打ちのめされようとは予想だにしなかった。
『消失』ラストの、みのすけ氏のセリフ「あっ!鳥が鳴いた」は意味深だ。素直に取れば、青い鳥の希望を予感させるが、現実は「炭鉱のカナリア」なのだから、カナリアが鳴いたということは、そうとうにヤバイ状況が直近であるということだ。朝ドラ『あさが来た』でも、炭鉱落盤事故の直前にメジロが鳴いた。

■芝居の感想をもう少し。大倉孝二さんて、ひょろりと背が高いんだね。テレビでしか見たことなかったから、実寸大のデカさに驚いてしまったよ。あと、みのすけさんの声がよかったな。

それから、ケラさんの舞台といえば「プロジェクション・マッピング」の妙だ。松本で観た『グッドバイ』でも、WOWOWで見た『わが闇』でも、スタイリッシュで実にかっこよかったけれど、『消失』の舞台でも驚くほど効果的に機能していた。

後半、兄(チャズ)がずっと隠してきた事実が、皆の前であらわにされる場面で、突如、舞台セット全体がドロドロと溶解しはじめるのだ。今まで、確かな現実として、そこにあったものが、あれよあれよと溶けて無くなってゆく。いわゆる「現実崩壊感」っていうのは、こういう感じだったんだ。

不気味で居心地の悪い厭な気分に、観客はみなさらされたはずだ。

でも実際には、プロジェクターでイリュージョン映像がセットに重なって映し出されていただけで、本物のセットは溶け出したりはしてなかった。でも、あの時のぼくは、まるで統合失調症の患者さんの内面をリアルに体感しているみたいな気分だった。なんかこう、ぞわぞわと居心地の悪い、全てを消し去りたい気分。

■このお芝居を観ていて、登場人物6人の誰に一番感情移入したかというと、僕はやっぱり、犬山イヌ子さんが演じたホワイト・スワンレイクだな。弟のスタンより1歳若いとはいえ、もう40代の独身女性。過去にはいろいろとあった。でも、ネアンデルタルー人のことが好きで、果てしない宇宙のはなしが大好き。忘れ去られても、また、一から「二人の想い出」を作っていけばそれでいいのだ。記憶とはそういうものさ。

このお芝居の中では、彼女の孤独と哀しさが際だっていたように思う。


YouTube: "Happiness comes only through effort" - Late Spring (1949, Yasujiro Ozu)

■「おとうさんはもう、56だ。おとうさんの人生はもう終わりに近いんだよ。」と、笠智衆は言っているが、おいおい、57歳の俺より、実は若かったのかよ! ビックリぽんや。


YouTube: Yasujiro Ozu - (1962) Sanma no aji / Autumn Afternoon/ Il gusto del sakè [Scena del bar]

小津安二郎の『晩春』を YouTube で探していたら、『秋刀魚の味』で僕が一番好きなシーンが見つかった。

笠智衆:「けど、負けてよかったじゃぁないか」

加東大介:「そうですかね。ふーむ、そうかもしれねぇなぁ。バカな野郎が威張らなくなっただけでもね。館長、あんたのことじゃありませんよ。あんたは別だ。」


2015年11月 7日 (土)

宮沢章夫 × ケラリーノ・サンドロヴィッチ(その2)

■「小劇場ブーム」に関して検索してみたら、一番上に載っている「小劇場演劇の流れと最新動向」が、コンパクトによくまとまっていた。リンク先の劇作家インタビューも大変充実している。

それから、1988年〜1992年にかけての演劇界をリアルタイムで批評してきた『考える水、その他の石』宮沢章夫(白水社)が、とにかく読ませる。

1985年に、シティボーイズ(大竹まこと・斉木しげる・きたろう)、竹中直人、中村ゆうじ、いとうせいこう等と共に「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成した宮沢章夫は、「モンティ・パイソン」や「スネークマンショー」のビジョンを舞台でカッコよくスタイリッシュに表現することを目指した。そのために、コントとコントの合間に映されるスライド映像や音楽にも、かなりこだわった。その舞台を客席から見ていて「ガツン」とやられたのが、ケラリーノ・サンドロヴィッチと松尾スズキだった。たまらず、この二人も舞台を始めることに。以下、『考える水、その他の石』(白水社)より抜粋。

というのも、かつて「舞台」の上でなんらかの行為をすることによる表現を選択し、それを実行するにあたって私が第一に考えたのが、「演劇」でないものをやろうということだったし、それはとりも直さず「演劇」の存在そのものが制度的だと感じていたからであって、舞台で何かする目的、そこに実現しようと私が欲したもの、ラジカル・ガジベリンバ・システムという集団を通じてやろうとしたものは、「芝居」ではなく、無論「演劇」ではないし、では何かと言えばひどく愚鈍な「制度をぐらつかす事」以外になく、そこで最も制度的なもの、もはや「新劇」なんかどうでもよく、小劇場が「新劇」へのカウンターとして登場したことなんかも知ったこっちゃなくて、私の感じ方としてはただ漠然とした印象でしかありえぬ曖昧な「演劇」の中心に位置するものこそが「アングラっぽい」であったし、制度を代表する姿だったとすれば、それを今になって、面白いと魅力を感じているとは何ごとかという疑義が、「アングラっぽい」をあらためて思考しようとする契機になったのだった。(死んだ記号の廃墟から --- 「アングラっぽい」とは何か 『考える水、その他の石』p135)

 二十代のころ、演劇をどう壊そうか、そればかりを考えていたが、「壊そう」と考えているあいだ、それはすなわち「演劇」から逃れられないと自覚したのは、おそらく、この『考える水、その他の石』に掲載された文章をいくつもの雑誌に求められ発表してから間もないころではなかっただろうか。

 だったら、「演劇」をやろうと考えた。そのことでようやく、「演劇」から私は自由になれたと思ったのだ。だから、また「演劇」についてはもっと考えを深めようと思う。

(「おわりに」264ページ 改定新版『考える水、その他の石』)

■まだ誰も「大人計画」とその主宰者である松尾スズキの名を知らなかった、1988年。宮沢章夫は、当時マガジンハウスの雑誌『TARZAN』で連載していた劇評に2つの新米劇団の劇評を載せた。「劇団健康『カラフル・メリィでオハヨ』/大人計画『手塚治虫の生涯』」(考える水、その他の石』p108〜p109)だ。奥ゆかしい宮沢氏は、この二人のことを後輩とか弟子とか言わずに、こう書き始める。

 知人が出演、あるいは演出する舞台を同じ時期に二つ観た。ひとつがあのケラが主宰する劇団健康で、知名度も高く、一定の評価も与えられているが、もうひとつは、私の舞台にも出演してくれた松尾スズキの、そんな名前を聞いても、誰だそいつはと言われるだろうけど、まるで無名の大人計画である。

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■ケラさんは、有頂天というニューウェイヴ・バンドのリーダーで、その単なる余興から舞台を始めたように思われていたし、松尾さんにいたっては、北九州の大学で、野沢那智の劇団薔薇座に憧れて芝居を始めただけの、単なる素人の地方出身者に過ぎなかった。2人とも、東京の小劇場演劇ブームの王道からは全く関係の無い辺境の地に「ぽっ」と咲いた「あだ花」だったワケだ。

「その芽」を直ちに見つけ、当初から高く評価してきたのが宮沢章夫だった。考える水、その他の石』に載っている索引を見ると、「大人計画」は 14ページ、劇団「健康」は 3ページ、ケラが 4ページ、松尾スズキは、11ページにわたって取り上げられている。これらは「この本」でも破格の扱いだ。

 あれはたしか90年のころだったと思うが、いまはなき渋谷のシードホールを使い、まだ演劇の世界では認知されていなかった何人かと、「エンゲキ」とカタカナの言葉を使った演劇の催しに参加した。それを見ていたある批評家にある雑誌で事実誤認を含む、意味不明な批評をされた。

それに対して私は、批評家の書いた文章とまったく同じ文章を、少しずつ言葉を変えてそのまま批評家に対する反論とした。自分で書くのもなんだが、私にはそれが、ベストな文章だったと考えている。相手の言葉を使って、相手を罵倒する。こんなに小気味のいいことはない。

批評家は、催しに参加しトークした私や、松尾スズキ、ケラリーノ・サンドロヴィッチに対して、「演劇界で相手にされない者らがルサンチマンのようなものをかかえこんな場所で語りあっているのは醜悪だ」とでもいう意味の、よくわからないおかどちがいな批評をした。

演劇界に相手にされようがどうしようが、どうだってよかった私たちは、その文章の意味がほとんど理解できなかったが、なんの縁か、批評家の思惑とは裏腹に、その後、三人とも岸田國士戯曲賞を受賞してしまい、演劇界から相手にされたとき、批評家に対して私は、「ざまあみろ」と言ってやりたかった。(おわりに『考える水、その他の石』p261)

■この話は、ラジオでも宮沢さんがしていたな。よっぽど悔しかったのだろう。

ラジオでは、ケラさんが次回の舞台『消失』の紹介をしていた。ケラさん主宰の劇団「ナイロン100℃」が、2004年12月に紀伊國屋ホールで初演した芝居を、当時のオリジナル出演者のままで再演するからだ。これは観たいな。

それから、ラジオを聴いていて個人的に一番盛り上がったのは、ケラさんが(気を遣って)この12月15日から東急文化村シアターコクーンで初演される「ひょっこりひょうたん島」の脚本を宮沢章夫氏が書いている話を、「なんか大変みたいですね」と振ったところ、宮沢さんがいきなり絶句してしまったことだ。3秒間くらいの沈黙が確かにあった。

重症の肩凝りに苛まれながらも、苦労して何とか書き上げた脚本を、演出家の串田和美はなんと!いとも簡単に却下してしまったからだ。

それにしても、かなり集中して台本を書いたあと、10日間ぐらい肩から背中がガチガチになった。なんせ痛くてマウスが動かさなかったんだよ。その台本は没になったというか、役者には見せないと演出家。演出家って偉いんだなあ。ともあれ、あの痛みを返してくれ。

 

ほんと、大丈夫か? 舞台の幕が上がるまで、もうあと一月しかないぞ。ぼくも、1月の松本市民芸術館での公演チケットを既に入手しているのだぞ。

どうする 宮沢さん。エチュードだけでつなげてゆくのか?

■ところで、ミシェル・ウエルベック『服従』(河出書房新社)のことだが、11月8日(日)付、朝日新聞朝刊「読書欄」で、なんと、宮沢章夫氏が書評を載せている。1週間後にはネット上でも読めるようになるだろうが、これは読まなきゃだな。

 

2015年11月 3日 (火)

宮沢章夫 × ケラリーノ・サンドロヴィッチ

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写真をクリックすると、もう少し大きくなります。以下は、ツイッターでの発言を一部改変。

 『ユリイカ 10月臨時増刊号/総特集・KERA / ケラリーノ・サンドロヴィッチ』(青土社)の巻頭対談『「笑い」の技法』宮沢章夫 × ケラリーノ・サンドロヴィッチ を読んだ。すっごく面白い!ケラさんが中学生の時、小林信彦に往復葉書で何度も喜劇(役者)に関して質問して逐一返答が来たという。そして、こう書かれていたのだそうだ。

「本当にあなたは中学生ですか? 呆れました」

続き)宮沢章夫氏が21~22歳の時に30回は読み返したという、小林信彦『日本の喜劇人』を、ぼくもずっと探しているのだが、未だ未読。ただ、『世界の喜劇人』小林信彦(新潮文庫)のほうは、10数年前に伊那のブックオフで見つけて読むことができたのだった。

(この発言のあと、ネットの古書店で『定本・日本の喜劇人』を、6,000円で見つけて、思い切って購入したのでした。)

昨日の NHKラジオ『すっぴん』。月曜日のパーソナリティは宮沢章夫氏。午前10時台のゲストは、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんだ。あわてて、iPad に登録した tunein で録音しようとしたら、いつの間にか NHKが聴けなくなっていた。仕方なくラジオの前にボイスレコーダー設置。

続き)録音したラジオを聴いていて、耳をそばだてたのは、宮沢さんが最近ウエルベック『服従』を読んで、悪い冗談じゃないかと戦慄したっていう話と、宮沢章夫・ケラ・松尾スズキの鼎談を、とある演劇批評家が「けっ!」ってバカにした話かな。あと、ケラさんの地声はなかなか渋いじゃないか。

■お芝居を観に行くのが好きだ。ただ、人に言えるほど数多く観ているわけではぜんぜんなくて、落語と同じで(いや、もっとか)地方在住者にとっては実に厳しい現状がある。

というのも、「演劇」は、都会の文化だからだ。ニューヨーク、ロンドン、そして東京。生きのいい「お芝居」は都会でないと絶対に観ることはできないのです。ぼくが演劇に興味を持って見はじめたのは、大学卒業後だったから、1983年以降のことだ。その頃は、すでに長野県へ帰ってきていた。

1984年に北信総合病院勤務となって、先輩オーベンの安河内先生の薦めで「長野市民劇場」に入会した。いまでもそうだが、地方在住者が「いま」のお芝居を上京することなく観るためには「市民劇場」に入会するのが一番だ。そうすれば、2500円くらいの月会費で、2ヵ月に1度はナマのお芝居が地元に居ながら観ることが出来たのだった。

あの頃、長野市民会館で観た、オンシアター自由劇場の『上海バンスキング』が今でも強烈な印象が残っている。あまりに衝撃的だったから、翌年?、銀座博品館劇場まで同劇団で斉藤憐・脚本『ドタ靴はいた青空ブギー』を観に行った。主演の吉田日出子がステージを降りてきて、通路脇の僕の席のすぐそばで歌ってくれた。ほんと、至福の時だった。こまつ座の『きらめく星座』も、確かこの頃みた。すまけい。死んじゃったなぁ。

「ふるさとキャラバン」のミュージカルを軽井沢で観たのは、1986年か? この年、佐久市の浅間総合病院小児科に勤務していたのだ。同年11月、前橋市で開かれた演劇祭に、太田省吾が率いる「転形劇場」が『水の駅』を上演して、それを確か車で碓井峠を越えて観に行った。これまた大変な衝撃だった。

エリック・サティなんてぜんぜん知らなかったし、役者さんたちが緊張感を維持したまま超スローモーションの身体で登場する様に、あまりにビックリしたので、当時「転形劇場」がホームグランドにしていた、氷川台の「T2スタジオ」まで行って『風の駅』も観た。開演前に、ロビー脇で、枝元なほみさんが作った(?)ボルシチ(?)を食べた。

1987〜88年の夏には「松本現代演劇フェスティバル」があって、あがたの森の野外ステージで、ブリキの自発団『夜の子供』を観た。北村想のプロジェクト・ナビ、六角精児が主演した「善人会議」の芝居も観た。

当時、東京・下北沢で大きなブームになっていた、野田秀樹「夢の遊眠社」鴻上尚史「第三舞台」を頂点とした「小劇場演劇ムーブメント」の一部を、松本に居ながらにしてちょいと垣間見るくとができた貴重な体験だった。

でも、ぼくの芝居熱はそれまでで、それからしばらく全くご無沙汰だった。(飯山日赤から松本に戻って松本市民劇場に入り、何本かは観たが…)さらに数年が経って、厚生連富士見高原病院小児科勤務となった2年目(1995年)、八ヶ岳と富士見高原療養所をモデルにしたと思われる、平田オリザ氏の戯曲『S高原から』を富士見町図書館から借りてきて読んだ。

堀辰雄『風立ちぬ』の冒頭にある、ポール・ヴァレリーの詩「風立ちぬ いざ生きめやも」の「めやも」の謎について、平田オリザ氏は『S高原から』の中で分析していたからだ。

これはほんと面白かった。その話は、以前に書いた。

■1987年〜1991年。日本はバブル景気に浮かれていた。

しかし、演劇界ではその頃すでに「小劇場ブーム」のバブルは、とうに弾けてしまっていたのだな。そして、そんな中から「しぶとく」誰も注目していなかった辺境から這い出てきて、バブル崩壊後の1990年代の演劇界を、なんだか知らないうちに、いつの間にか中心となって牽引していったのが、

宮沢章夫氏(1956年生まれ)を師と仰ぐ、松尾スズキ(1962年生まれ)と、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(1963年生まれ)の二人だったわけだ。(もう少し続く)

2014年9月18日 (木)

太田省吾(その3)→ 鴻上尚史・宮沢章夫・岡田利規

■『水の希望 ドキュメント転形劇場』(弓立社/1989/8/5)86ページに、「転形劇場さんへ」と題された鴻上尚史さんの文章が載っている。その一部を抜粋。

 僕が、初めて転形劇場を見たのは、今から8年ほど前のことでした。T2スタジオは、もちろん、まだできていませんでしたから、民家を改造したスタジオで、僕は、『水の駅』を見たのです。

 ちょうど、その時、僕は、自分の劇団を作ったばかりで、まだ、早稲田の演劇研究会に在籍していました。

 観客席で、じっと舞台を見つめながら、僕は、自分がこれから作ろうとしている舞台との距離を確認していました。(中略)

 不遜な言い方をすれば、演劇という地平の中で、僕は、おそらく、ちょうど正反対の方向へ進むだろうと思っていました。つまり。それは、絶対値記号をつければ、同じ意味になるのではないかということでした。

 そぎ落とすことで、演劇の極北へと走り続けているのが、この舞台だとすれば、僕は、過剰になることで、演劇の極南(という言葉はヘンですが)、走りたいと思ったのです。

 それは、例えば、『水の駅』のラスト、歯ブラシで歯を磨く、あの異様とも感じてしまう速度からスタートしようと思ったということです。(中略)

 僕達は、スローモーションのかわりにダンスを、沈黙のかわりに饒舌を、静止のかわりに過剰な肉体を選びました。

 ですが、演技論としては、それは、リアリズムという名のナチュラリズムから真のリアリズムを目指しているという意味で、これまた不遜な言い方になりますが、転形劇場の方法と、同じだったと思っています。

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『演劇最強論』徳永京子、藤原ちから(飛鳥新社)p234〜p243 に載っている、チェルフィッチュ主宰:岡田利規氏のロング・インタビューを読むと、前掲した太田省吾氏の文章と同じことを言っていて大変興味深い。

岡田「(前略)あと、僕のどこに影響を受けるかというのがね、なんか、僕には偏っているように感じられるんですよ。ダラダラした文体とか、身体の用い方とか、反復という手法とか、そういうところに影響を受けてる人がいる感じはあるけど、例えば時間感覚については、僕のやってることはむしろ否定されてる気がします。

引き延ばすのは退屈なだけだからポップな時間感覚にすることをもってアップデート、みたいな。僕はそういうポップな時間感覚を演劇に求めることを面白がれないんですよね。」

岡田「僕が思ってる時間って、ふたつある。ひとつは時計で測れる時間。この時からこの時まで何秒でした、っていう。それとは別に、裸の時間っていうのがあるんですよ。秒数ではなくて体験としての時間。でそれは、退屈というのとニアイコールなんですよね。

退屈っていうのは、時間を直に体験しているということ、時間の裸の姿を目の当たりにしてるということ。だからそれって、ものすごく気持ちいいことなのかもしれない。苦痛が快感かもしれない。子供にとってビールって苦いだけで何が美味しいか分かんないけど、やがてそれが美味しいって分かってくる、みたいなのと似たことだと、僕は思うんですけどね。違うのかな。」

■あと、『演劇最強論』では、宮沢章夫氏へのロング・インタビューがいろいろと示唆に富んでいてとても面白い。宮沢氏はいま、毎週金曜日の夜11時からEテレで『ニッポン戦後サブカルチャー史』の講師を務めているが、その先駆けがこのインタビューの中にあるのだ。

徳永「平田(オリザ)さんに書けないものというと?」

宮沢「サブカルチャーだと思う。分かりやすい例が音楽で、平田くんが劇中でほとんど音楽を使わないのはなぜかというと、彼自身が言っていたけど、よく分からないからだと。

90年代、僕や岩松(了)さんや平田くんは、音楽について非常に慎重になったんです。前の時代の演劇の反動で。劇的な音楽を使えば、芝居は簡単に劇的になる。そういうことに疑いを持って、そうならないためにはどうしたらいいかと考えたんです。」

『演劇最強論』p282〜p283)

 

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