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2016年7月23日 (土)

木ノ下歌舞伎『勧進帳』(その3)

■木ノ下歌舞伎は、この7月に31歳になったばかりの木ノ下裕一氏が、まだ京都造形芸術大学の学生だった10年前に立ち上げ、今年で10周年を迎えた。木ノ下氏は、大学博士課程で、武智鉄二の歌舞伎論で 2016年に博士号を取得した、若いのに凄い学究肌の歌舞伎研究者でもある。


YouTube: KYOTO EXPERIMENT 2013 - Kinoshita-Kabuki

今回の『勧進帳』パンフレットに記された、木ノ下裕一氏の「ごあいさつ」の文章が素晴らしので、全文転載させていただきます。

松本のみなさん、はじめまして。木ノ下歌舞伎と申します。私たちは、様々な演出家とタッグを組んで歌舞伎の演目を”現代劇”に作り直している団体です。今回、お目に掛けます『勧進帳』は、2010年に初演した作品で、このたび2度目の上演となします。初演から再演の6年間で、世の中は大きく変わりました。

それにともない作品も大きく刷新されたことは、演出の杉原邦生さんが文章で述べられている通りです。杉原さんとは、これまでに9作品を一緒に作ってきました。いわば”木ノ下歌舞伎、最多登場演出家”です。彼はとにかく<果敢な探求者>です。作品ごとに実験を繰り返し、古典を現代化するとはどういうことなのか、その楽しさと難しさの”深み”にどんどん入り込んでいきます。彼に誘われるようにして、私はいくつもの<新しい風景>を見てきました。今回の『勧進帳』も、まぎれもなく新しい景色、木ノ下歌舞伎の<最新形>です。

そのような作品を松本で上演できることを、本当にうれしく思っています。思えば14年前、当時高校生だった私は、串田さんたちが創った歌舞伎を初めて見て、衝撃を受けました。”古典”がこんなにも溌剌と現代に息づき、エネルギーを発散することができるなんて……将来自分もこんな作品をつくってみたい! と強く志したのもその時のことでした。

ですから、私の<原点>である串田さんたちの歌舞伎と、私たちの<最新形>であるこの作品が、こういうカタチでご一緒できるなんて、感慨無量です。

「古典ってこんなにも現代人の胸を抉(えぐ)るんだ」「古典って堅苦しいものなんかじゃなくて、すごくフリーダムで、たくさんの可能性を秘めているものなんだ」ということを感じ取っていただけたら、本望です。本日はご来場いただきまして誠にありがとうございます!               木ノ下裕一

■そうだ、木ノ下歌舞伎こそ『越境する舞台』であるな。それは、伝統芸能としての歌舞伎を軽々しくも自由に越境し、さらには1000年も前の平安時代末期の話を時空を飛び越えて、いま現代の物語として観ている観客たちの心の奥底に響き沈殿させるパワーを持っている。

「越境する」ということでは、今回の舞台の初日、2日目は、大ホールの方で上演されていた、コクーン歌舞伎『四谷怪談』は昼公演のみだったので、7月15日の夜には出演している歌舞伎役者さんたちや、現代演劇の役者さんたち、それに歌舞伎舞台関係者たちが、こぞって「木ノ下歌舞伎」を観に来ていたという。もちろん、中村勘九郎、七之助、獅童の三人、それに串田和美さんもね。これこそ、伝統芸能と現代演劇とが「越境」した瞬間なのではないか? 『勧進帳』出演者たちの気持ちを想像しただけで、なんだか身震いするぞ。

また、観に来た観客にとっても「越境」は必要であった。今回の『勧進帳』の公演は、東京での上演はないのだ。だから、芝居好きで「木ノ下歌舞伎」に注目する都内在住の人々は、新宿から「あずさ」に乗って、もしくは中央道を車で飛ばして3時間もかけて、東京都→山梨県→長野県と「越境」して松本までわざわざ来る必要があったのだ。

■そもそも、中村勘三郎と串田和美が始めた「コクーン歌舞伎」自体が、伝統芸能の上に胡座をかいて形式化・マンネリ化してしまった歌舞伎界を「越境」した試みであった。

先達て入手した『勘三郎伝説』関容子(文藝春秋)を読むと、227ページにこう書いてある。

 串田和美さんに出会って親交を結んだことは、中村屋にとって本当によかったと思う。演出家としての串田さんの詩的な表現に感激して、うっとりと語るのを何度か聞いた。

「この間、監督がね『三五大切』の三五郎はイタリア人で、源五兵衛はロシア人で演じてほしいって。これってすごくわかるよね。三五郎は、女好きでそそっかしくて軽いところがある。源五兵衛は陰気で得体が知れなくて重っ苦しい。」(中略)

 歌舞伎には新作を除いて演出家は存在しない。その演目の主役(座頭役者)が演出を兼ねるので、余程でない限り脇役が注文をつけられることはないに等しい。

 歌舞伎は個人芸を持ち寄って成り立つ物が多いので、あれだけの短期間の総合稽古で初日の幕が開くわけで、だから舞台稽古でも一人舞台のところは客席では誰も見ていない、ということもあり得る。

■ところで、主宰者の木ノ下裕一氏自体が「越境」してしまった人なのではないか? と感じているのだ。ネット上には木ノ下氏のインタビュー記事がいっぱい載っているが、読むとどれもみな、ほんと面白い。

特に、<これ>

読んで驚くのは、彼が小学生だった頃に「上方落語」にはまって、学校で休み時間にクラスで落語を披露していたところ「ぼくにも落語を教えて!」と弟子入り志願者のクラスメイトが殺到し、一時は10数人の弟子を抱えていたというのだ。小学生の分際で。たまげたな。

彼は、小学校を卒業したらプロの落語家になるべく、桂米朝一門の中でも特に大好きだった「桂吉朝」に弟子入りしようと本気で考えていたのだそうだ。

木ノ下:「桂吉朝師匠のところに行くつもりでした。当時はほぼ追っかけでしたから(笑)。実は大学に入ってからも迷っていて、何度か本気で噺家になろうかと考えました。しかし桂吉朝さんのお弟子さんで、ほぼ同世代の桂吉坊さんという方がおられることを知り、何だか勝手に自分の分身のような気がして「落語界は吉坊さんに任せた!!」と思い未練が切れました。

これを読んで「あっ!」と思ったのだ。そうか、桂吉坊か! と。木ノ下裕一氏のインタビュー動画を YouTUbe で見てみると、どうしても男性に見えない。「桂吉坊」と同じく、中性的な雰囲気が濃厚なのだった。本当のところは、どうなのだろうか?

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