読んだ本 Feed

2012年8月13日 (月)

『動物が幸せを感じるとき』テンプル・グランディン(NHK出版)

■テンプル・グランディンの『動物が幸せを感じるとき』を読んで一番面白かったのは、動物の「情動」をよく理解することが、人間が動物と共に暮らす上で最も重要なことだと言っていることだ。


もちろん、動物にも「情動」はある。それは主に4つ。「探索」「怒り」「恐怖」「パニック」だ。


この本で特に面白かったパートは「動物園」に関して彼女が語った部分。動物園でわれわれがよく目にするのは、動物たちの「常同運動」だ。ライオンが檻の右端から左端へ行ったり来たり繰り返す動作がその代表。


動物園に限らず、ケージの中のマウスやハムスターも常同運動を繰り返す。何故か?


彼女は言う。それは「探索」という情動欲求が満たされていないからだと。動物はみな、結果よりも「それに至るまでの経過」で満たされる。それが「探索」だ。


動物の中で最も長距離を探索し続けるのは、ホッキョクグマだ。オオカミも探索のための行動範囲は広い。
オオカミを祖先にもつ「犬」も、「探索」が大好きだ。だから朝夕の散歩が欠かせない。


わが家にやって来た生後3.5ヵ月になったばかりの子犬も、散歩が大好きだ。「さんぽ」という言葉を耳にすると、狂喜乱舞して飛び跳ね、しっぽがちぎれそうになるくらい振る。


首輪とリードを付けて外に出ると、室内ではほとんどしない動作を繰り返す。鼻をクンクンとあらゆる場所の臭いを嗅ぎまくるのだ。外の世界には犬の嗅覚を刺激する臭いに満ちているのだね。それに、わが家の前の道は「近所の犬の散歩銀座」みたいになっていて、他の犬がマーキングして残していった臭いもいっぱいだ。


そうした臭いの強い場所でいちいち立ち止まっては、クンクンクンクン臭いを嗅ぐ。リードを持つ(嗅覚の弱い)人間としては、何でそこまで嗅ぐのかさっぱり判らないのだが、面倒がらずに彼の「探索」情動をちゃんと満たしてあげることが実は大事なのだね。


いろいろと勉強になるのだった。

2012年8月12日 (日)

『犬はあなたをこう見ている』ジョン・ブラッドショー(河出書房新社)

■ 1ヵ月以上も前のことだけれど、7月10日のツイートから以下転載。


テンプル・グランディン著『動物が幸せを感じるとき』(NHK出版)を読んでいる。著者は、オリヴァー・サックス『火星の人類学者』にも登場する高名な動物学のコロラド州立大学教授で、高機能自閉症であることをカミングアウトした女性だ。


彼女は、人間の気持ちを推察することは、ほとんどできないけれども、動物の気持ちは、直感的にごく自然と理解できるという。牛でも馬でも、犬でも猫でもね。


テンプル・グランディンで有名なのは、牛が屠殺場に入った時に、できるだけ死の恐怖を感じさせないような通路と牛を安心させつつ包み込むように押さえつける装置を開発したことだ。


わが家に犬がやってきて、なるほどと思ったのだが、うちの子犬は眠くなると人間の太腿の間に頭を突っ込んで、体を周囲から適度に圧迫されると、不思議と落ち着いて心休まるみたいなのだ。人間の赤ちゃんだって、古代から「スウォドリング」と言って、布でぐるぐる巻きにして泣き止ませてきた。


『動物が幸せを感じるとき』(NHK出版)を読んでいて驚いたことは、オオカミは実は群れをなして行動する動物ではなく、家族単位で移動するのが普通なのだという。つまり、群れのリーダー(アルファ=猿の群れで言えばボス)はいず、父母兄弟の関係があるのみだとのこと。へぇー知らなかった


だから、オオカミを祖先にもつ犬も、群れの中のヒエラルヒーを正しく認識して、自分の立ち位置を決めているとばかり信じられていたのだが、どうもぜんぜんそうじゃないみたい。あれま。


■これにはじつは承前があって、以下は 6月15日のツイートから。


本当のことをいうと、犬は苦手なのだった。トラウマがあるのだ。明瞭な記憶があるから、保育園児の頃だと思う。同じ町内の菓子屋「甘水」で飼っていた黒犬、エスの頭を撫でようとして右手親指の付け根を噛まれたのだ。痛かった。3針縫った。


それから1年もしないくらいだったか、父親が知り合いの家から柴犬の子犬(オス)をもらってきた。次郎と名付けられた柴犬は、僕をバカにしきった。わが家の序列の中では、次郎は自らの立ち位置を「下から2番目」と認識したからだ。もちろん、彼の下が僕だ。


だから、僕が次郎の散歩に連れて行くと、家を出るなりいきなし僕の足首に噛みついて「てめぇ、俺の言うことを聞けよな!」っていう態度に出た。だから、当時ぼくの足首は傷だらけだったのだ。


ただ、柴犬「次郎」は短命だった。ジステンバだったか、わが家に来て2〜3年もしないうちに死んでしまった。次にわが家に来たのも柴犬だった。僕は小学校の高学年になっていた。子犬ではなく既に成犬。なんか性格がいじけた犬で、前の飼い主が名付けた名前「コロ」を踏襲した。彼は長生きした。


柴犬コロが死んだのは、ぼくが高校生の頃だったから、わが家に来てから7〜8年は生きたのではないか。当時、次兄は高校生で忙しかったから、朝夕のコロの散歩は僕の役目だった。コロは次郎と違って、僕の足首を噛むことはなかった。彼なりに僕のことを認めてくれていたのだと思う。


■で、そのテンプル・グランディンが『動物が幸せを感じるとき』(NHK出版)の「犬」のパートで主張していたことと同じ話がこの本、『犬はあなたをこう見ている』ジョン・ブラッドショー(河出書房新社)に載っていることを中日新聞日曜版の読書欄で知って、あわてて購入したのだった。


訳文は読みやすいのだが、長くて厚くて、1ページあたりの活字も多く、最初のページから真面目に完読するのはちょっと厳しい。という訳で、少しだけ拾い読みしてみた。


■犬の祖先はオオカミだ。これは間違いない。


では、野生のオオカミを人間は何時からどうやって飼い慣らしたのだろうか?

この本の 63~64ページを見ると、こんな記載があった。

フランスのアルデンシュ県にあるショーヴェ洞窟は、先史時代の壁画で有名だが、その奥に50m ほど続く8歳から10歳くらいの少年の足跡が残されている。そしてそこには、少年と並んで歩く大型のイヌ科の動物の足跡も残っていて、少年とイヌ科の動物の親しい間柄を物語っているのだ。


イヌ科の動物の足跡は、犬とオオカミの中間の形をしている。少年が手にしていたたいまつのすすによる年代測定で、足跡が刻まれたのは26,000年前とされた。おそらくヨーロッパで最古の人間の足跡だろう。


少しだけ想像をめぐらせると、ひとりの少年が忠実な(原始の)猟犬を連れ、壁に描かれた野生動物の壮大な絵が見たい一心で、勇気をふりしぼって洞窟の奥へと進んでいく様子を思い描くことができる。(『犬はあなたをこう見ている』より引用。)


もう少し続く予定。

2012年7月28日 (土)

『サラダ好きのライオン』村上春樹(マガジンハウス)

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■犬を飼い始めて、ツール・ド・フランスもあって、とにかく本が読めない。そしたら、オリンピックが始まってしまった。


こうなると、じっくり集中して読まなければ頭に入ってこない長編小説はまず読めないので、「お気楽エッセイ」ばかりに手が伸びる。このところトイレでずっと読んできたのが、宮沢章夫の『青空の方法』(朝日文庫)『アップルの人』(新潮文庫)『よくわからないねじ』(新潮文庫)。宮沢さんのエッセイはほんと癖になる。読み始めると止められなくなるのだ。

まるで、かっぱえびせん的エッセイだな。


同様に、村上春樹氏が雑誌「アンアン」に連載したエッセイ『村上ラヂオ』のシリーズも、たあいのない内容なんだけれども、読んでいて何とも心地よく止められなくなってしまうのだった。ただ、その最新刊『サラダ好きのライオン』(マガジンハウス)は前著『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』と比べて滋味にあふれるフレーズが随所に散見されて、思わず何度もほくそ笑んでしまった。


「ブルテリアしか見たことない」「献欲手帳」「シェーンブルン動物園のライオン」「プレゼントする人される人」「昼寝の達人」「猫に名前をつけるのは」「無口なほうですか?」「こういう死に方だけは」「ひどいことと、悲惨なこと」「いちばんおいしいトマト」あたりが好きだな。


■例えば 130ページの「カラフルな編集者たち」は意味深だ。


彼女によればドイツの出版界では、本来は作家志望だったのだが、成功せず編集者になったというケースが、男性に関してはとても多いのだそうだ。「でも不思議なことに、女性にはそういうケースはないの。もともと作家志望だった女性編集者なんて、一人も知らない」

 だから男性編集者にはけっこう屈託のある、面倒なやつが多い。それに比べると女性の方は実務的にさっさと働くから、そのぶん仕事がやりやすい、ということだった。彼女はもう少し婉曲な言い方をしたけど、ざっくり言うと、まあそうなる。

「で、日本ではどうなの?」と訊かれて、僕は返答に詰まった。さあ、日本ではどうなんだろう。よくわからない。(『サラダ好きのライオン』p130 より)

いや、よくわからない訳がないのだ。


そのむかし中央公論社には優秀な男性編集者がいた。村松友視という。彼は文芸誌『海』の編集に携わったあと、作家として大成した。その彼の同僚に安原顕(愛称はヤスケンさん)がいた。ジャズ愛好家でもあり、月刊誌『ジャズライフ』創刊当初から、ひと癖もふた癖もある個性的なレコード評を書いていて、その名は僕でも知っていた。


そのヤスケン氏が、その当時担当していた村上春樹氏の自筆原稿を、後になって古書市場に流した事件を(彼の死後)最初に公にしたのが坪内祐三氏だ。ぼくはその詳細を『文学を探せ』(文藝春秋)で読んで知った。その後、村上春樹氏自身が「ある編集者の生と死―安原顯氏のこと」と題して、その顛末を文藝春秋(2006年4月号)に書いている。


その解釈は、この内田樹先生の考察が最も鋭いと思うぞ。


2012年6月19日 (火)

内田樹先生の講演会 at the 長野県立看護大学(駒ヶ根市)

■日曜日の午前中、駒ヶ根市の長野県立看護大学講堂であった内田樹先生の講演会を聴きに行ってきた。


言っちゃぁ何だが、ぼくは内田センセイのファンだ。

前々回にリビングの本を写真に撮った中には、センセイの本は一冊も写っていなかったが、納戸や寝室ベッド横に積み上げられた本の中から探し出してみると、すぐに20冊以上見つかった。読んではないけど、レヴィナスの訳書も2冊購入した。あと、納戸に積み上げられた段ボール箱の中には、『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)『日本辺境論』(新潮新書)を含め4~5冊はあるはずだ。


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■だからと言ってはおこがましいが、この日の講演内容は大方予測していた。

 <以下、ぼくの勝手な妄想>


 ポイントは福島第一原発だ。それから、福井県にある、関西電力「大飯原発」再稼働問題。先だってからネット上で話題になっていた、長野県上伊那郡中川村村長・曽我逸郎氏の話題から、6月15日の信濃毎日新聞社説要旨が、内田センセイが『「国民生活」という語の意味について』と題してブログに載せた文章と呼応していたこと。


 そうして、内田センセイの祖先は「東北人」(山形県鶴岡出身)であること。庄内藩は、会津藩と共に戊辰戦争を戦った仲だ。そして会津藩開祖、保科正幸から信州高遠に行き着く。戊辰戦争の負け組は、明治以降ずっと虐げられてきた。そんな導入で、講演は始まるはずだと確信していたのだ。


ところが、実際の講演内容は、ぜんぜん違っていた。いやはや。


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■この日の講演内容に関して「こんな話をする予定」という文章が、内田センセイによって前日の土曜日に書かれていて、月曜日に既にアップされているので、じつはもうここに書く必要はないのだった。


■この第13回日本赤十字看護学会の「趣旨」に書かれている『エビデンスブーム』とは、EBM ( Evidence-Based Medicine ) のことを言っている。すなわち、医療は「科学的根拠」に基づいて患者に対して施されなければならないということだ。科学的な基礎実験。ダブルブラインド方式による客観的で公正な臨床研究。疫学的、統計学的にも明らかに有意に治療効果があると認められた治療法を選択すべきである。つまりは、そういうことだ。


ところが、医学や看護の現場では、長年代々と継承されてきた「エビデンスでは証明できない、経験的直感」とでもいうべきことが、じつは大切にされてきた。内田センセイは、そういう話をされたのだ。

センセイはこう言った。

「医療従事者には、この『ある種の直感力』が必要なのではないか」と。


■内田先生が、何故よく看護の学会に講師として呼ばれるのか?


それは、合気道師範である内田センセイが極めた「武道の力」と、看護の世界で必要とされている「ヒーラー(癒しの力)」は近い(似通った)関係にあるからなのではないかと先生は言う。


武道で一番大切なことは、「気配」や「殺気」「危険」を感知する、センサーやアラームを磨くこと(すなわち「気の感応」)だと。


こうした能力は、人類が原始時代から生き残る上で最も大切な技として、親は子供たちに訓練してきたに違いない。だって、左の道を行って、いきなりライオンに出会ってしまったら、その人間は食われてお終いだ。だから前もって、左の道をこれから行くと、なんかとてつもなく危険な臭いがするという直感さえあれば、あらかじめ危機を回避できるのだ。


江戸時代までは「こうした能力」を効率的に身につける訓練方法が確立されていた。それが「武道」の修行だ。

ところが、明治以降、日本人は科学と進歩のエビデンスしか信用しなくなり、人間が原始時代から培ってきた「潜在能力」を磨く手段を放棄してしまった。そのために、福島第一原発の事故は起こってしまったのだ。


カタストロフというのは、よっぽどの悪条件が何重にも重なり合わない限り起こらない。そういうものです。福島第一原発職員の中に、アラームとセンサー能力を養ってきた人が1人でもいれば、この原発事故は起こらなかったはずですよ。内田センセイは、そう言った。


2012年6月12日 (火)

わが家のリビングとトイレに置いてある本をさらす。

■昨日、ツイッターで大阪府立大・現代システム科学域教授の森岡正博氏が、自宅リビングの本棚の何段目、左から何冊目にどんな本があるのかを、フォロワーからのリクエストに答えていた。意外な本が次から次へと出てきて、すっごく面白かった。


森岡正博氏は、ツイッターでこう言ったのだ。


本棚の本一冊晒すというのをやっているね。いま自宅リビングにある本棚25棚として、何番目の棚の左から何冊目に何がある?って聞いてくれたら答えましょうか? (メインの本棚は研究室にあるのでそっちは勘弁)


知り合い(同業者)の自宅に招かれると、どうしてもその人の本棚に目が行って、あれこれチェックしてしまうし、おもむろに本を取り出したりしてしまうのはなんででしょう。なんかその人の脳のストリップショーを見ているようで背徳的快感ではありませんか?


なるほどなぁ、って思った。


で、わが家のリビングには本棚はないのだが、なぜか本が積み上げられている。既読本と未読本との割合は、半々くらいかな。(写真をクリックすると、もう少し写真が大きくなって、本の題名が認識しやすくなります)


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あとの本は、納戸の棚と2階の寝室の横、医院への渡り廊下などに本棚があって、入りきらない本が積み重なっている状態で、「どうにかしてよ!」と、毎度妻に言われ続けているのですが、どうにもならない。


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■ついでに、わが家のトイレに置かれた文庫本です。

やっぱり、宮沢章夫さんのエッセイは「鉄板」だよな。


じつは、この下の段には椎名誠本が置かれているのだ。
『哀愁の街に霧が降るのだ』三部作と、『新橋烏森口青春編』と『シベリア幻想』。

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2012年6月 9日 (土)

『なみだふるはな』石牟礼道子、藤原新也(河出書房新社)

■もうずいいぶんと前に読了した本なのだが、なかなか感想が書けないでいる。


で、無理に感想を書くのをやめて、印象に残ったフレーズを抜粋することだけにしよう。


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■その前についでに言うと、この本を読んだ後に『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)を読んだのだが、これはつまらなかった。本の帯には「なんだかわからないけど めちゃめちゃおもしろい」と、文教堂書店浜松町店の大波由華子さんは書いているが、ほんとうにそう思ったのか? そうか。人はいろいろだからなあ。


ぼくが「この本」で一番面白いと思ったパートは、第13回「裏を見る眼」に書かれた塩谷瞬「二股愛」報道に関する考察。でも、それってこの本に期待した内容ではない。小田嶋氏のいつものコラムだ。


たぶん、本の企画段階では「これはいける!」と、編集者ともの凄く盛り上がったに違いない。ところが、実際に連載が始まってみて「この企画は失敗だった」と、小田嶋氏は気づいてしまったのではないか。だから筆が進まず5年以上もの歳月が過ぎ去ったのだろう。


もともと「コラム道」と『道』って書かれているからね。いわゆる文章読本ではないことは読む前から判っていたし、そういった「小手先のテクニックを伝授」みたいな記載は期待していなかった。


でも、「あとはたくさん読んでたくさん書けば、いやでも文章は練れてくる。」(p188) って、それが結論じゃぁ、あまりに淋しいのではないか。


なるほどなあと感心した部分もあった。

第4回「会話はコラムの逃げ道か」の後半部分。


 かと思うと、会話の上では、才気煥発に見える人が、文章を書かせると、どうにも散漫で支離滅裂である例も珍しくない。というよりも、もしかして、打てば響くタイプの人間の多くは、文章が苦手であるのかもしれない。

 なぜだろう。
 どうして、アタマの良い人が、良い文章を書けないというようなことが起こりうるのだろうか。

 おそらく、このことは、魅力的な会話を成立させる能力と、マトモな文章を書くための能力が、まったくかけはなれているということに由来している。(中略)


 彼らはテニスプレーヤーに似ている。
 速いサーブに対応する反射神経と、意想外のドロップショットに追いつくスピードを持った彼らは、会話という限られたコートの中では、どんなタマでも打ち返すことができる。(p53〜p55)


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 ■閑話休題■

『苦界浄土』石牟礼道子は、たしか大学生のころ講談社文庫版で買って読んだ記憶がある。いやまてよ。買っただけで、最後までちゃんと読み通さなかったかもしれない。つまり、「水俣病」がリアルタイムだった僕でさえ、その程度なのだ。


ちなみに、世界的に有名な小児科の教科書である「ネルソンの小児科学」の載っている「水俣病」の項目は、前々の信州大学小児科学教室教授であった、故・赤羽太郎先生が執筆している。(ぼくが持っている「ネルソン小児科学」はそうなのだが、現在出回っている版がどうかは知らない。)


「水俣病」なんて、数十年も前に終結した公害病っていう認識しかなかったぼくは、「この本」を読んで恥ずかしく思ったのだった。過去完了形なんてもってのほかで、2世3世4世と引き継がれて、現在進行形で今でも20代の若い人たちに「水俣病」が発症しているということを、この本を読んで初めて知った。ごめんなさい。


■それから、写真家・藤原新也氏といえば、『メメント・モリ』に載ったあの有名な写真。そう、「人間は犬に食われるほど自由だ」とキャプションが付けられ「黄昏のガンジス河畔に流れ着いた水葬死体に野犬ががつがつ食らい付いている」あの写真がまずは目に浮かぶ。


でも、「ここ」を読むと、あの写真以外には死体をカメラに撮したことはないのだそうだ。そうだったのか。


藤原:水銀というのはつまり味も臭いもないということですね。まるで放射能そっくりだ。感じられないものほど怖いものはない。

石牟礼:いまも若い人たちに発症例が見受けられるんです。

藤原:えっ、いまもですか?

石牟礼:はい、二十代の終わりぐらいの人たちが発症しているそうですけれども、国が特別措置法というものをつくって、裁判をしないこと(後略)

藤原:それで水俣の、たとえば猫が狂いはじめたというのがいつごろですか。

石牟礼:それは昭和三十年前後ですね。(『なみだふるはな』石牟礼道子・藤原新也・河出書房新社 p53~54)


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石牟礼:鹿児島と宮崎と熊本の三県の境くらいに曽木の滝というのがあるんですけれども、チッソはそこに電力会社をつくって、まず電気を引いたんですね、水俣へ。(中略)

 それを聞いた人たちが、「そんなのが来るなら、うちの山にも電信柱を通してほしい」「うちの田んぼにも通してください」と。「そっちのほうには行かれん」と会社の人たちがいうでしょう、「それなら電信柱の影なりと、うちの畑にも映るごつしてくだはりまっせ」と(笑)。なんていうか、いじらしいんですよ。(中略)そうやって電気を引いてきて、その電球が灯った晩のことは私もはっきり憶えています。(中略)


藤原:やっぱり電気ですか、はじまりは。電気にはじまり電気に終わる。(中略)


石牟礼:水俣にとっては会社は恩人と思っていたのです。それはいまでも根強いですよ。
(『なみだふるはな』「光」 p83~86)

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藤原:憎しみとか憎悪というのは人間が他者に持つネガティブな感情の中では最も重篤なものだと思うのです。その「憎い」という言葉を聞いて僕の頭に思い浮かんだのは旅したアラブやイスラム世界でした。パレスティナがいい例ですが、あの世界ではいたるところで憎しみの連鎖がいつまでもつづき、いまに至っている。


 その憎しみの根源には何があるかというと、土地の略奪と喪失なんです。イスラム世界というのは、たとえばイランは住める土地が少ない。だから人間の住める沃土はすごく貴重です。


 僕が今回の強制避難区域で聞いた「憎い」という言葉の根源には、そのイスラムの憎悪の根源にある、自分が住んでいる「土地を失う」に似た意味があると思うんですね。つまりある日、代々伝わり子どものころから住み慣れた土地や家を強制的に略奪されたわけです。この悲しみや怒りは、放射能を浴びるよりずっと大きい。(中略)


だけど、原発の強制避難区域というのは事実上帰れない。庭先の除染は可能ですが、広大な野山までの除染は不可能です。そういう仕打ちを自然がやったとするならあきらめもつくだろうが、人がやったんですね。


 日本というのは確かに異民族も同居はしていますが、世界の国に比べると圧倒的に一国家一民族的色合いが濃い。そういうものの中で、和の精神とか空気を読んで他人に合わせるという曖昧な他者との処方が機能してきたわけですが、思うにこのイスラム世界のように、同民族を同民族が憎悪するという心の版図は日本にはなかったように思うのです。そういう意味では神代の昔以来初めてここで小さな民族分裂が起こっていると、現場を踏んでそのように感じるんです。(中略)


石牟礼:(前略)世間の人たちもわかってくれなかった。なんでこう苦しまなければならないんだと考えて、「あんたたちは誰も病まんけん、代わって俺たちが病んでいるんだ」という気持ちになられるのです。(中略)


それで、「知らんということは罪ばい。この世に罪というのがあるのなら、知らんということがいちばんの罪。それで、知らん人たちのためにも、自分のためにも祈ります」と。(中略)


「あんたたちのおかげでこういうふうになった」とはおっしゃらない。代わって病むとおっしゃる。これは現代の聖書ですよね。だけど、聖者といったって、その人たちの苦しみを和らげることはできないんですね。近代というのは罪に満ちていると思います。


「道子さん。私は全部許すことにしました、チッソも許す。私たちを散々卑しめた人たちも許す。恨んでばっかりおれば苦しゅうしてならん。毎日うなじのあたりにキリで差し込むような痛みのたっとばい。痙攣も来るとばい。毎日そういう体で人を恨んでばかりおれば、苦しさは募るばっかり。親からも、人を恨むなといわれて、全部許すことにした親子代々この病ばわずろうて、助かる道はなかごたるばってん、許すことで心が軽うなった。

病まん人の分まで、わたし共が、うち背負うてゆく。全部背負うてゆく。」
(『なみだふるはな』「憎しみと許し」 p129~135)

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石牟礼:(前略)不知火海百年を語ってください、という会をしたんですよ。怪我をするまで、わが家でしてました。限られた漁師さんに来てもらって。ともかく海のことをお聞きしたいと思って来てもらっておりましたけれども、いろいろ教えてくださって。ほんとうかお話かは知りませんが、


「あんな、道子さん、知らんと? タチウオは頭が三角になっとるでしょうが」
「はい」
「あの三角頭が縦になって立ち泳ぎすっとばい。そしてお日さまが出なはるころになると、さーっとお日さまが山の端から出なさると、いっせいに三角の頭を波の上に出してな、合掌しよっとばい。知らんじゃったろ?」

(『なみだふるはな』「光明」 p152)


■チッソが来る前の水俣も、原発が来る前の福島も、それはそれは風光明媚で、「自然」とその土地に暮らす「人間」とがお互いに畏怖・尊敬しながら生きていた場所だ。それが、水俣では60年経っても未だに新たな患者さんが発症していて、福島第一原発はたぶん100年経っても収束しないのではないか。


怖ろしいことだ。悲しいことだ。

2012年5月27日 (日)

3.11 後のエンタメ小説『標高二八〇〇米』樋口明雄(徳間書店)つづき

『標高二八〇〇米』樋口明雄(徳間書店)は、そのタイトルや表紙イラストから本格山岳冒険小説かと思われるかもしれないが、月刊誌『問題小説』2008年12月号〜2011年7月号に断続的に掲載された7つの短篇に、書き下ろし1篇を加えた短編集で、「幽霊譚」5篇+「近未来譚」3篇から成っている。


しかも、よくある「山男が語る冬山の怪談話」は、ひとつもない。


ポイントは、「3.11」の前と後とで発表された作品が収録されているということだ。
だから、幽霊譚とは言っても、最愛の人を失った者たちの深い悲しみや後悔の念がベースにあって、その読後感は辛く苦しい。


ただ、この短編集一番の読みどころは、やっぱり残りの「近未来譚」3篇にある。


「渓にて」は、『問題小説(2010年12月号)』に発表された。「3.11」の前だ。
でも、どう考えても「3.11」後に書かれたとしか考えられない内容だ。


たぶん本にするに当たって大幅に加筆されているのだろうが、それにしてもやはり「炭鉱のカナリア」ではないか。ネタバレになるので内容は書けないのだが、勘がいい人なら、映画化もされたネビル・シュートのSF小説を直ちに思い浮かべたことだろう。


「標高二八〇〇米」は、小5の息子と2人で南アルプス北岳山頂(3193m)を踏破した主人公が体験する不条理な話で、これは面白かったな。ちょっと、最近の鈴木光司みたいな感じになりそうで危惧したのだけれど、最後に収録された「リセット」が「標高二八〇〇米」の続編となっていて、これが実にリアルで読ませる。われわれがいま直面している現実と、そのわずか先の未来の話「そのまま」ではないか。あぁ、確かにそうだよなぁ。そういうことになるワケだよなぁ。そう、しみじみ思ったよ。


読後、何とも言えない「やるせなさ」と「無力感」に包まれ、『極北』や『ザ・ロード』に残された「微かな希望の火」は、「リセット」においていとも簡単に吹き消されてしまう。ほんとうに切ないし悲しい。それでも………

■「リセット」でじつに印象的だったシーンがある。


スウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマンが撮った『第七の封印』を彷彿とさせる場面だ。ぜひ、読んで確かめてみてほしい。






YouTube: Det Sϳυחde Ιחseglet (1957) 1/9

ところで、著者は執筆後この本が出るにあたって、facebook で「こう」言っている。


2012年5月23日 (水)

3.11 後のエンタメ小説(その3)『標高二八〇〇米』樋口明雄(徳間書店)

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■いま読んでいる『なみだふるはな』石牟礼道子・藤原新也対談(河出書房新社)の中で、藤原新也氏が「こう」発言していてびくっとしてしまった。そうか、そうだったのか。知ったようなことを書いてしまって反省しています。


「リアリティ」(p62)

藤原:震災があって一週間後に被災地に入ったんですね。いまはもう三か月経って、先日も行ってきましたが、最初に行ったときとは空気がまったくちがいます。直後というのは……


石牟礼:臭いがある?


藤原:臭いも当然ありますけれども、空気に恐怖感がまだ残っているんですね。津波が来たときに、ものすごい恐怖感が渦巻いたでしょう。人間の叫びだとか。そういうものがまだ残っているんですよね、空気の中に。それがわかるんです。その空気に充満していた恐怖の気のようなものがいまはありません。

道端で座り込んで泣いている人もいたし、ほんとうに東北の気丈なおやじが、泣いているんですよ、道端に座り込んで。(後略)


石牟礼:『AERA』の写真を拝見しましたけれども。鳥がいっぱいの。「死臭が」と書いてあった。死臭というものを書いてあるのは初めて見ました。何か臭いがするはずだと思っていた。書かないですね、臭いのことは、新聞は。


藤原:基本的にはそういう悲惨な状況はなるべく隠すように隠すようにしていますから。たとえば津波の光景でも、人間が二万人死んでいるわけですから、当然いたるところで写っているんです。


写ったやつは全部排除して。写っていることがいいことかどうかは別として、そういう二次情報というのは全部選別する時代ですから。

そこで死体を写すべきかどうかという議論がネットであったようですが、僕個人はあまり死体は写したくないんです。リアリティを伝えるために死体を写すべきだといういい方がありますが、じゃあ、自分がその死体だったらどうか、自分が写されたらどうか。僕が水ぶくれにになって、その辺に転がっていて、向こうから長玉(望遠レンズ)で人が撮っている光景を想像すると、これは気持ちがよくないですよね。


死体を写すべきだという人は、おまえが死体になったらどうだという、そういう観点がないんですね。


もう一つは、死体を出したからリアリティが伝わるかどうかという、それはまた別ですね。むしろ僕が撮った、カモメが陸に群れている写真のほうが、ぞっとする力がある。リアリティといいますかね。


石牟礼:感じました。とても。この下には死体があって、鳥たちは食べるわけですからね。


藤原:リアリティというのは想像力だと思うんです。そのものを見せてしまうと想像力は封印されてしまう。見ることはカタルシスにつながってそれで終わってしまう。(『なみだふるはな』p64 より)


■ところで、つい最近とくに目的があった訳でもなく、ただなんとなく『ひかりの素足』宮澤賢治・作、赤羽末吉・絵(偕成社)をたまたま読んだのだ。「この話」は今までなぜか知らなくて、今回初めて読んだ。


賢治の童話の中では、初期に書かれたもので、宮澤賢治が当時熱心に信心していた法華経の影響が全面に出た作品だ。そして、あの『銀河鉄道の夜』の原型になった童話だとされている。


まだ幼い兄弟が吹雪の峠で道に迷い遭難する話だ。凍死寸前の二人は生死の境をさまよう。カムパネルラとジョバンニのように。ただ『銀河鉄道の夜』と違う点は、「地獄めぐり」の場面がまずあることだ。剣が一面に突き出た大地を、裸足の少年たちが血をだらだら流しながら、大きな赤鬼にむち打たれ進んでゆく。


ぼくはこの場面を読みながら、あれ、どこかですでに読んだことがあるシーンだなぁ、と思った。で、思い出したのが『標高二八〇〇米』樋口明雄(徳間書店)の中の、『霧が晴れたら』だ。妻と中1の息子の家族3人で登山していた主人公は、岩場で滑落する。そして……。 この短篇は『ひかりの素足』を下敷きにしているのではないか。


■ところで、絵本『ひかりの素足』を読み終わったあとに、偶然『なのはな』萩尾望都(小学館)に収録された、マンガ「なのはな」の続編、「なのはな ---- 幻想『銀河鉄道の夜』」に『ひかりの素足』が出てくるっていう情報を得て、あわてて一昨日 TSUTAYA へ行って購入したのだ。


それは最後に載っていた。


「なあんにも こわいことは ないぞう」

っていう、お釈迦様の言葉が心に沁みる。

2012年5月19日 (土)

『きつねのつき』 3.11 後のエンタメ小説(その2)

■3.11 の震災後、比較的早い時期に発表された文芸作品の中で、ぼくが読んだのは『なのはな』萩尾望都・画(『月刊フラワーズ8月号』小学館)と、『小説新潮5月号』に掲載された「川と星」彩瀬まる・著 だった。


前者は中日新聞のコラムで、後者はツイッターで知った。


両者ともに、リンクのとおり現在「単行本」として出ている。


■「川と星」彩瀬まる著は、読んでみて大変な衝撃を受けた。「このブログ」に詳しいが、東京在住の新人作家が、たまたま私的東北旅行をしていて、昨年の3月11日の午後、仙台発の上り常磐線普通列車に乗っている時に、地震と津波に遭遇し、避難先で原発事故にあう。旅行先で知人親戚も誰もいない中で、福島在住のいろんな人たちに助けられ、生死の境を彷徨いながらも無事帰還できた顛末が綴られていた。


なによりも驚いたことは、TVで放映された幾多の津波映像よりも、彼女が書いた文章のほうが数十倍もリアルに読んでいて「体感」できた(させられた)ことだ。ただの文字だけで、写真もビデオ映像も、視覚的インプットは何もないのに、その振動、轟音、におい、寒さ冷たさ、空腹感。そして、まるで著者の隣に佇んで同時に感じている恐怖と不安と絶望を、ぼくも確かに「体感」したのだ。


これが「文学の力」なのではないか。


「この感覚」とほぼ同じ想いを、『きつねのつき』北野勇作(河出書房新社)を読みながら、何度も感じた。

夜が来ると、あの夜のことを思い出す。妻を返してもらいに行った、あの月も星もない夜のこと。
闇に沈んだ地上のさらにその下で、ざわざわと海だけが騒いでいた。(中略)


いちどは登った長い坂を、そのために再び下っていった。
私と同じことを考えたのかどうかはわからないが、私と同じように下った者は、何人もいた。彼らがどうなったのかは知らない。


あの闇に呑み込まれてしまったのか。それとも、呑み込まれながらも、ここではない別の岸へと泳ぎ着くことができたのか。
いや、私だってそう。(中略)


後ろめたい幸せを抱えて、私はここに立っている。いつまで立っていられるのかはわからないし、あるいはもうとっくに立ってなどいないのかもしれないのだが。

とにかく、ここにこうしている。(『きつねのつき』p4〜5)


この冒頭の文章は、たぶん単行本にするに当たって、震災後に新に書かれた文章なのではないかと思った。もちろん震災の2年前に書き上がった小説とはいえ、出版に当たっては加筆訂正が随所に為されているのであろう。


■例えば『どろんころんど』の場合、なにかとてつもなく大変な事態が「世界中で」平等に起こってしまったあとのはなし、であることは判る。ところが、『きつねのつき』の場合は、大変なカタストロフィーに陥ったのは大阪の下町の「ごく一部の区域」に限られていて、「中の人」である主人公と、「外の人」とのカタストロフの受け止め方が全く異なっていて、そんな主人公の諦念や怒り、やるせなさを、読者はじわりじわりとリアルに追体験させられることになる。


地面が傾斜している。
つまりここは、坂の途中だ。
あの台地の方向からまっすぐ続いている坂道。それがこのあたりからさらに急になって、まだまだ先まで続いている。


ずっとずっと下まで、まっすぐ。
たぶん、死者の国まで。
そういう坂だ。
たぶん。


真っ暗なはずのそんな坂の先がどこまでも見通せるのは、その途中に携帯電話がたくさん落ちているからだ。
それらが呼出しを続けながら、その小さな四角い液晶画面を光らせているから。


狐火のように。


持ち主がもうこの世にはいない携帯電話。
死者の数だけ、いや、ひとりでいくつも持っていた者もいただろうから、それより多くの携帯電話が散らばっている。


生きている者が生きている者の国から、死者を呼び出そうとして、あるいは呼び戻そうとして、鳴らし続けている。
テレビの向こうにあるあの生者の国から。(p244〜p245)


それと「死者たち」だ。この小説には、上記抜粋を含めて、そこかしこに彼らがいまも共存している。


彼らこそ、当事者なのだからね。


■そういった背景があった中での「父と子」の日常が描かれるのだ。


どんな状況下でもあっけらかんとたくましい2歳児の女の子がとにかくいい。いつも元気だが、疲れるとすぐ父親におんぶをねだる。そんなひとり娘のために、それでもどっこい生きてゆく(生きてゆこうとしている)父親。そして、そんな父娘を見守る母親。家族にとっての掛け替えのない(今ここにしかない)時間と空間を愛おしむ小説なのだった。


そのことが、3.11 後に発表された幾多の文芸作品の中でも、この『きつねのつき』が特別の作品であると思うのは、ぼくだけだろうか?

2012年5月18日 (金)

『きつねのつき』北野勇作(つづき)3.11 後のエンタメ小説

■『きつねのつき』北野勇作(河出書房新社)は、読んでいてどうしても「あの 3.11 」に起こった地震、津波、原発事故をリアルに思い浮かべてしまう。実際この小説には「事実そのまま」といってもいい描写が随所に散見される。


でも、ほんとうは「この小説」が書かれたのは「あの日」よりも2年も前だったという。びっくりだ。


不思議だ。何なんだろう? このシンクロニシティは。


作家に限らず、表現者、芸術家といった人々は「炭鉱のカナリア」なんじゃないかって、思うことがあるな。例えば、先日読んだ『極北』マーセル・セロー著、村上春樹訳(中央公論新社)がそうだった。コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』もそうだ。あと、北村想の戯曲『寿歌』。それに、ぼくは未読だが『ディアスポラ』勝谷誠彦(文藝春秋)もある。

ただ、ぼくが注目したのは、山梨県北杜市白州町在住の冒険小説作家、樋口明雄氏が震災後に出した『標高二八〇〇米』(徳間書店)だ。(つづく)


        ■閑話休題■


ちょっとその前に、書いておきたいことがある。


先ほど読んだ、作家・花村萬月氏のツイートだ。以下転載。

花村萬月 ‏@bubiwohanamura ①ホテルにもどって、新幹線車中で頭の中に泛んだ絵をノートパソコンに、簡単に記しておく。象徴を掴んでしまったので、覚え書き以前の代物でも、即座に脳裏に画像が焦点を結ぶ。 こういう具合に絵が見えない人は、執筆に苦労するんだろうな。②に続く。


② 字を書いているからといって、文字や言語で思考しているとは限らないのだが、このあたりを大きく勘違いしている人が多い。誤解を恐れずに言ってしまえば、小説という散文表現は、じつは言語を用いた絵画の1ジャンルなのかもしれない。


これ読んで、なるほどなぁと思った。
作家の頭の中には、明確な映像が視覚的イメージとして確かにあるのだ。


落語と同じなんだなあ。

落語家は、聴衆に対して登場人物から風景、季節感まで、日めくりのように一枚一枚、絵をめくって行く感じで、画像としてイメージさせなければダメ! と言ったのは、先代の桂文楽で、それを聞いたのが橘家円蔵師だ。土曜日夕方FMで放送している「サントリー、ウェイティングバー・アヴァンティ」で、円蔵師がそう言っていた。


で、つらつら考えるに、いろんな落語の演目を思い浮かべてみると、それぞれ最も印象的なシーンが写真のように思い浮かぶ。例えば、「らくだ」なら、大家の家で死人を背負って屑屋が「かんかんのう」を歌う場面だし、「粗忽長屋」なら浅草浅草寺のシーンだ。「子別れ・下」だと、鰻屋の階段の下から二階を見上げる、熊五郎の別れた女房のシーンか。


こういう記憶の仕方は、なにも落語に限ったことはない。


読み終わった本の内容を思い出す時、ぼくは写真画像がまず最初に立ち上がるのだ。つまりは、小説のストーリーを「視覚イメージ」として記憶しているのだね。だから、その本の内容をほとんど忘れてしまったとしても、その小説の印象的な「あるシーン」だけは、明確な視覚イメージとして記憶に保持し続けることができるのだった。

ただ、こういった視覚的記憶は、例えば「その小説」が映画化された場合に都合が悪い。


じぶんが個人的にイメージした映像と、多くの場合出来上がった映画はものすごくかけ離れてしまっているからだ。


■何が言いたいかというと、あの 3.11 から何度も何度もくり返しくり返しテレビで流された「あの津波の映像」や「津波によって根こそぎにされた陸前高田や三陸町の町並み」を、ぼくらは見過ぎてしまっていることに大きな問題があると思うのだ。人間にとって、何と言っても視覚情報は圧倒的パーセンテージを占める。


じつは、僕は震災後一度も被災地には行っていない。
そんな人間が、当事者性もなく発言していいとは決して思わないが、でもちょっと言わせてくれ。


実際に行って見ることと、テレビ画面でくり返し津波映像を見ることはぜんぜん違う。それは誰でも判ることだ。


まず、圧倒的な臭い「におい」は、テレビの映像では再生できない。


それから、死者だ。膨大な瓦礫のそこかしこに、実は人間の「肉片」や「手足の断片」が混在していた。海外メディアの一部は、ブルーシートの覆われ、先端に赤旗が結ばれた竿竹が刺さった場所があちこちにある場面を写真に撮って報道した。


でも日本のマスコミは、ブルーシートも赤旗も、肉片も手足の断片も、修正して死者たちを画面から消し去り、「瓦礫」だけを浄化してテレビに流した。


それじゃ、ダメだろう。浄化してはだめだ。2万人にもおよぶ死者たちを、そんなふうにあつかっちゃあダメだ。(つづく)

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