音楽 Feed

2015年7月24日 (金)

細野晴臣『分福茶釜』と『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)

■前回のつづき。読んだ本の感想を書いてなかったので、もう少し追加の話題。

しばらく前のツイッターには、こう書いた。

『地平線の相談』があまりに面白かったから、細野晴臣『分福茶釜』(平凡社)を読み始める。あ、「ご隠居さん」と「八つぁん」の、お気楽のほほん対談は、こっちが元祖だったんだ。でも判った。細野さんは、生粋の江戸っ子なんだね。父方の祖父はタイタニック号の生き残りで、母方の祖父はピアノ調律師

『分福茶釜』細野晴臣&鈴木惣一朗(平凡社)読了。細野さんて、アニミズムの人だったんだ。長新太みたいな人なのだ。しみじみ尊敬。この本もとても面白かったから、5年後に続篇を出すと予告されて、6年後に最近出た続篇『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)も読むぞ!

■というワケで、『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)を読了した。これまた面白かった。すごく。

ぼくなんかが読後感想をアップするまでもなく、この対談本のポイントを見事に押さえたサイトがあった。「本と奇妙な煙」だ。

『地平線の相談』

『分福茶釜』

『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(その1)

『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(その2)

でも、読者それぞれが「重要」と思うポイントは、案外ぜんぜん違っていたりして(まぁ、ぼくだけズレているのかもしれないけれど)面白いなぁと思った次第です。

以下、ぼくが注目した部分を少し拾ってみますね。

細野:そういう自覚はないんだ。苦労してきて、「ああ、いつもツイてないな」と思ってここまで来た。不運な音楽家。ホントなんだよ、これ。はっぴいえんどはたかだか2年ぐらいやって、全然売れないから、誰も聴いてくれないや、って感じで辞めたと。

ソロをつくった。誰か聴いてんだろう、そこそこ数千枚は売れるけど別に誰が聴いているかはわからない。全然話題にもならなかった。で、その後クラウンに移ってつくった二枚。あれはもっと孤独だった。いままで聴いていた人がみんな離れちゃった。怖がって。(中略)

そう。追いやられてた。とにかく苦労してきた。全然売れなかったんだよ。で、YMOで売れちゃったら、それはそれで別の苦労があった。(『分福茶釜』15ページ)

YMOをやるときは、実は、YMOをやるか、あるいは高野山に行くかで迷っていたんだよ。

---- 世を捨てるってことですか?

いや、そういうことじゃない。ぼくのアイドルはその当時、お釈迦様だったんだ。お釈迦様は29歳のときに出家したんだよ。で、36歳か37歳のときに悟りを開いた。その頃、ちょうどぼくは同じ年頃だったから、「今だったらできるな」と思ったんだ。京都のお寺に通っていたし、お坊さんとも知り合いだったから、本気で得度しようと思ったらできたかもしれない。

(『分福茶釜』25ページ)

 はっぴいえんどをやっていた頃から、日本に自分たちの居場所をみつけられないって感じはずっとあったんだよ。かといってアメリカにもみつけられない。それで「さよならアメリカ、さよならニッポン」っていう曲をバンドでつくったんだけど、それで両方いられる場所はないっていうことはわかった。

ちゃんとした国籍が持てないっていうか、「自分は日本人だ!」っていう意識は持てないし、かといってアメリカ人でもない。浮いている存在だって、そういう気持がその後ずっとだらだらと続いた。

---- 今もその感じはあります?

今もあるね。だからハワイに行ったらぴったりきた。日本とアメリカの中間だから。マーティン・デニーとか聴いてぴったりきた。それはエキゾティシズムってものと結びついて今も続いてるんだけど。

でも、最近はちょっと変わってきている。自分に江戸っ子気質ってものが出てきたんだ。(中略)ぼくは昭和22年生まれだから、まだそういうものが残っている時代だった。おばあちゃんとかが身のまわりにいたしね。そういうなかで育っているから、案外それが身に付いているんだ。(『分福茶釜』58〜59ページ)

---- (おばあちゃんは)キビシイ人でした?

やさしかった。落語が好きだったり、歌舞伎が好きだったりっていうことで影響を受けたりしている。おばあちゃんだらけだったんだよ、まわりは。おばあちゃんの妹も近所に住んでたし。みんな江戸っ子っぽくてね。

特別な教えなんかないよ、もちろん。でも仕草や言葉だよ、影響されるのは。おならなんて言わないんだよ。「転失気(てんしき)」って言うんだよ。(『分福茶釜』61ページ)

---- 漫画好きですよね。

 映画と同じくらい好きだね。本よりも好きだった。諸星大二郎とか、花輪和一とか。いいんだよ、シャーマニズムの本質が描かれてて。あとは『サザエさん』。何度も読み返す。

(『分福茶釜』159ページ)

「美しい国」って安倍晋三が言ったとき、ちょっと怯えたの。怯えてる人はいっぱいいたんだけど、ところがテレビに出てくるような人たちは何も言わないんだよね。言うべき人が何も言わなかったら、どうなんだろうと思って、ぼくはラジオで何か言わなきゃ、言葉にしなきゃいけないと思って、「憲法改正はいやだ」と言ったんだ。「戦争放棄なんて、カッコいいじゃん」て。

だって、若者はそう思うべきだから。若者のなかに憲法改正賛成なんて言う人がいるって知って、ちょっとイヤだったの。「戦争放棄」なんて紙に書いた一行だけどさ、これがあるかないかでカッコよさが違うから。

スイスってのは永世中立国っていう特異な国家だけれども、そのためには軍隊を持たなきゃいけないわけだ。でも、その上をいくのが日本の憲法。戦争放棄なんて、奇跡的なことなんだ。笑っちゃうくらい。よくそんなことが書かれたなと思うわけ。

だからこそなくなったら二度とつくれない。だって非現実的だから。だからこそ、絵空事でもなんでもいいけど、その文面は残しておかないといけない。

  (中略)

 でも、世の中まだそこまで行ってないと思うから、今のうちになんかこう声に出して行動しておかないと、と思う。ぼくは決して楽観的じゃないから、今後世の中がどうなっていくか知らないけれど、一切語ることもできなくなるって時代もあり得るわかだからね。

日本は戦争中がそうだったんだ。そのなかにも石橋湛山みたいな人もいたけど。今はまだ言えるんだから、言えるうちに言わないと、という気持ちがある。嫌われようと、嫌がられようとね。(『分福茶釜』118〜120ページ / 2008年6月10日初版発行

 ぼくは右も左もないからね。もうそんな時代じゃないしね。それを新聞に書いたらめちゃめちゃ叩かれたけど。誹謗中傷の嵐。右翼だとかも言われた。

---- 細野さんがですか?

 うん。もうそんな時代じゃないでしょ。昔からぼくはノンポリで通してきたんだけどね。結果は左寄りに見えたんだろうけど、「ぼくらは単なる音楽好きだよ」っていう思いしかなかったから、それすらも違和感があった。

ぼくには、右も左も同じに見えるんだ。実際、当時の左翼はみんな右翼になっちゃったし。ディランについて言えば、ディランは左翼じゃないし、プロテストもしてない。心情的にイヤなことをイヤだって言ってるだけなのに、誤解されていると思う。(中略)

---- ディランはかつて、ユダヤ系だったにもかかわらず、クリスチャンの洗礼を受けて批判を浴びましたよね。その後、クリスチャンであることもやめちゃいましたけど。

 信仰心をテーマにしたことは深いことだと思うよ。右とか左とか単純な割り切りではできない。主義主張っていうのは左脳的なことだけど宗教はそうじゃないから。ちなみに、ぼくはアニミズムだよ。それがいまの基本。ものごとを分けること自体がバカバカしいって思ってる。(『とまっていた時計がまたうごきはじめた』102〜103ページ / 2014年11月25日初版)

2015年7月17日 (金)

引き続き、ずっと「細野さん」を読んでいる(聴いてもいるんだ)

Photo

■つい最近、ニール・ヤングの『After the Gold Rush』(今まで持ってなかったのだ)の中古盤をネットで安価で入手した。聴いてたら、何故か無性に「エンケン」が聴きたくなったのだ。遠藤賢司は、日本のニール・ヤングだからね。(エンケンが本人に会った時、自らそう自己紹介したらしい)

ただ、わが家にあるCDは『満足できるかな』だけだ。

CD棚の奥の方、加川良や高田渡、友部正人のCDが並ぶその横に、エンケン唯一のCDはあった。久しぶりにかけてみると、これがまた実にいい。本家のニール・ヤングよりもいいぞ。ぼくがこのレコードで一番好きな曲は、当時エンケンが飼っていた「寝図美」という名前のネコのことを歌にした「寝図美よこれが太平洋だ」。

エンケンがウクレレを弾きながら歌うそのバックで演奏しているのは、大瀧詠一以外の「はっぴいえんど」のメンバー3人。そう、鈴木茂・松本隆、それから、細野晴臣。アット・ホームで和気藹々としてて、実に楽しそうなその収録風景が、目に浮かぶようだ。1971年の録音。その前年に収録された『niyago』(URC)にも、「この3人」は律儀に参加している。

どうも、遠藤賢司と細野さんは、ずいぶんと昔からの友だちなのだな。そのあたりのことは、エンケンの「このインタビュー」に詳しい。茨城から出てきて一浪の後大学生になったエンケン(19歳)が、買いもの帰りで片手に大根ぶら下げて、もう片方にはドノバンのレコード(たぶん『カラーズ』だ。)を持ち、友だちと二人でアパートへ帰ろうとしてたら、電話ボックスから声を掛けてきたのが細野晴臣(まだ高校生の18歳)。この時が初対面。

その場で「うちに遊びに来なよ」って細野さんに言われて白金の実家へ行くと、細野さんのお母さんが、ケーキと紅茶を出してくれて、調子に乗ったエンケンがギターを掻き鳴らしながら絶叫したら、細野さんのお母さんが、ガラッと戸を開けて「静かにしなさい!」って言うくだりがすっごく好きだ。

細野さんて、いいとこのお坊ちゃんだったんだね。

それからずいぶんと経って、エンケンが松本隆の家に遊びに行って聴かせてもらったのが、バッファロー・スプリングフィールドのLPで、ニール・ヤングの「I Am A Child」だったワケで、この時、エンケンは初めてニール・ヤングの歌声を耳にした。

大瀧詠一さんが、初めて細野さんと会ったのも、白金の家の細野さんの部屋。

この時の話は有名だ。ぼくでも知ってる。詳細は「この細野さんのインタビュー」を参照して下さい。黒澤明『七人の侍』の前半、志村喬が「これは!」と思う用心棒たちをリクルートする採用試験のことね。

「こちら」の方が、もう少し読みやすいかも。出会うべき人たちは、必然的に出会うように運命付けられているのだな。

総説「細野晴臣論」として最も優れているのは、『レコード・コレクターズ/MAY.,2000 / Vol.19,No.5』44〜47ページに載っている「内なる響きを求める旅人 細野晴臣の音楽とは?」湯浅学 だと思う。その最初のフレーズを採録する。

 いくつかの断層があるように思う人もいるかもしれない。しかし、細野晴臣の音楽活動には不動の姿勢がある。それは常に自分の中で新鮮なものを求め続け、それを作品として表明する、ということである。

しかもそれら ”そのときどきで心底新鮮だと思えたもの” を、それが新鮮だと感じられなくなった時でも葬り去らない。自分の中から消去しないのだ。身体のどこかにそれらは収納される。

 細野晴臣は音楽を消費しない。好奇心によって蓄積してゆく。それを開陳する術には奥床しさがともなっている。それはこの世代特有の美学なのかもしれない。と思う反面、細野のように自分の感覚を常に開放し続けながら、音楽にひたすら従事してきた者はきわめてめずらしいとも思う。

細野は涼しい顔をしてしぶといことをやってきた、という印象が強い。

『音楽が降りてくる』湯浅学(河出書房新社)31ページより。

この文章が再録された、湯浅学氏の音楽評論集『音楽が降りてくる』には、その前後に「日本語はロックにのるか 日本語のロック vs 英語のロック」「ロックとは? 自問自答の中でまさぐった ”ニュー”」「洋楽好きだからこそなしえた発想と実践 はっぴえんど」「”自分のことば” で歌い続ける 遠藤賢司『niyago』ライナーノーツ」「菩薩の誘い、人生の一大事 遠藤賢司『満足できるかな』ライナーノーツ」「漂うべき空を失った煙の行方 加藤和彦 追悼」

など、重要文献満載なのであった。特に、エンケンのライナーノーツは熱い!

エンケンからニール・ヤングに再び話題は戻る。これで円環が完成だ。

先日読み終わった『とまっていた時計がまたうごきはじめた』細野晴臣、鈴木惣一朗(聞き手)平凡社。

この本も実に面白かったぞ。特に、編集者やインタビュアーが狙った「本筋」からは外れてしまった些細な話題に、個人的には興味が引かれた。

例えば、ニール・ヤングだ。以下引用。

鈴木:ニール・ヤングの自伝には、鉄道模型が彼の癒しアイテムなんだって書いてありました。

細野:鉄ちゃんなの?

鈴木:そう。鉄ちゃんなんです。ニール・ヤングは子供がふたりいるんですけど、ふたりともダウン症で。その子供たちとのコミュニケーションのために、鉄道模型をはじめたらしいんです。自宅にすばらしいジオラマがあるらしいんですけど、ほとんど誰にも見せないんですって。見たのはデヴィッド・クロスビーぐらいだって書いてありましたけど、ニール・ヤングはツアーが終わって家に戻ったら、ジオラマで鉄道模型をいじって過ごすという、すごく静かな生活をしてるんですよ。

細野:誰にも見せたくないという気持はよくわかるな。でも、彼の子供がダウン症だとは知らなかった。

鈴木:ニール・ヤング自身も子供のころ、小児麻痺を患っていたそうです。それで、子供の母親はそれぞれ違うから、ニール・ヤングは自分自身に問題があるんだって責めているそうです。

細野:それは大変な話だね。重い話だ。

鈴木:でも、ニール・ヤングは自分の子供がかわいそうだ、とは思っていないとも言ってます。ダウン症の人は、進化した人間のかたちだって言われることも あるから。

細野:うん。気だてがすごくいいんだよね。(『とまっていた時計がうごきはじめた』170〜171ページ)

2015年7月 1日 (水)

『地平線の相談』細野晴臣&星野源(文藝春秋)

■『地平線の相談』細野晴臣・星野源(文藝春秋)を読んでいる。これ、面白いなぁ。

横町の「ご隠居」の所へ、長屋の「八っつぁん」がバカっぱなしをしに来る落語の感じそのままだ。『TVブロス』はよく買って読んでるけど、この連載は活字が特別小さく、しかも白抜き文字で目がチラついてしまい、老眼の身にはとてもとても読めないので、今まで一度も読んだことがなかったんだ。失敗したなぁ。

 

■星野源は、その著書『働く男』(マガジンハウス)の中で、彼が敬愛してやまない師匠「細野晴臣」を評して、こう書いている。

創り出す音楽はいつだって最高で、顔や服装も超カッコよくてセクシーで、話すこともユーモアにとんでいて面白い。世界中の音楽ファンから「神様」と呼ばれている大大大スター。

でも、行きつけの店が「ジョナサン」だったり、『さま〜ず×さま〜ず』が好きで毎週録画していたり、「歌うときは目をつぶらないようにしてるんだ、自分に酔っているように見えるから」と、いつまでも羞恥心や日本人の普通の感覚をわすれていなかったり。

そのすべて持ち合わせているところが、世界中のどこにもいない僕にとって最も神に近い、大好きな普通の人です。(88ページ)

Img_2720

☆さて、実際の対談内容についてだが、「ばかばかしい話」の代表として、以下抜粋

細野:実年齢っていうのは、圧倒的な力があるね。今の世の中、なにかやるたびに年齢書かなきゃならないでしょ?

星野:ネットとかでもありますよね。0歳から100歳以上まで選択肢があったり。

細野:そう。ああいうときは思わず嘘ついちゃおうかと思うよ。(中略)

星野:現場に出続けるということは大事ですね。がんばります。

細野:やっぱり、人前に出るときはちゃんとした服装しなきゃならないしね。

星野:それが年を取らない秘訣かも。(中略)

星野:昨年末、細野さんがレコード大賞に出演したときは、別の意味で若返ったんじゃないですか・KARAとかに囲まれて(笑)

細野:若さのエキスを吸うってことね。でも、ほんとに若返るかもしれないよ。

星野:どういうことですか?

細野:昔、太極拳の先生と話したことがあるんだよ。どうやって若さをキープしているのか聞いたら、「若い女性たちと一緒にお風呂に入るんだよ」だって。

星野:ええー!(笑)

細野:すごいよね。恵まれてるよね

星野:恵まれすぎですよ!(笑)

細野:実際、そうやってエキスを吸ってるんだと思うよ

星野:よりによって風呂場で(笑)

細野:普通は、男ってエキスを吸われる側だからね。だから、吸う側の女性は強いじゃない?

星野:いつまでも年取りませんもんね 

細野:そういえば、最近、どうも叶姉妹が気になるんだよ 

星野:あの方々も魔女っぽいですね 

細野:というのも、週に一度は、必ず謎のリムジンを見るんだよ。僕の車の前や後ろを、ベージュの長ーいリムジンが走ってる。曇りガラスで中は見えないんだけれど……

星野:中から出てくるところ見ました?

細野:見てない(笑)。でも、僕は勝手にあれは叶姉妹だと信じ込んでるんだ。

星野:行動範囲が一緒なんですね

細野:もうひとり、僕が行くところに必ずいるのが、野村サッチー

星野:おお!

(2012年3月31日号) 『地平線の相談』文藝春秋 p133〜136より引用

Img_2722


■まぁ、それにしても「いいかげん」なご隠居だよなぁ。

でも、その発言は無責任なようでいて、とてつもなく哲学的でもあり、人生の深淵をかいま見せてくれているかように読者に錯覚させる「マジック」がある。それこそ、この本の神髄だ。

個人的には、ちょうど6月に読んだからかもしれないけど、27ページ「数字の秘めた不思議な魔力を探ってみたら……。」が、まずは「ピン」ときたんだ。「666」は悪魔の数字。

それから、「揚げ物とドーパミンの関係とは。我々は油に支配されている !?」とか、二人とも「下戸」だったりとか。細野さんは、パジャマに着替えてベッドで寝たことがない(いつもソファーでうたた寝)とか、「貧乏ゆすり」の効用や別名を考えたりとか。まぁ、役に立たない、くだらない話ばかりなんだけれど。

あと、星野源が「くも膜下出血」で入院・手術した前後の話もでてくるぞ。

その他、印象に残った部分をいくつかピックアップ。

星野:そういえば、先生は、何本か映画にでてらっしゃいますよね?

細野:『パラダイスビュー』(1985)に出たときも向いてないと思った。『居酒屋兆治』(1983)に出たときは函館の居酒屋の常連で、公務員の役だったの。店は加藤登紀子さんと高倉健さんがやってて。伊丹十三さんが酔っ払って入ってきて、くだを巻くという。

星野:すごい店です(笑)

細野:僕が伊丹さんにキレると、後ろから高倉さんが僕を押さえて「まあまあ、ここはひとつ」って。それだけのシーンなんだけれど、「もう二度とやらない」と思った(笑)。

自分のミュージシャンとしての精神が破壊されるんだよ。かなぐり捨てないとできないから。だから、星野くんはすごいなあと思うんだ、両方使い分けてるわけでしょう。

星野:確かに演技しているときに、音楽の心がパーッと破壊されるのを感じます。

細野:修行だ。

星野:修行ですね。(中略)

星野:最近よく聞かれるんです。役者やってるときと音楽やってるときと、どう違うの? って。全然違うんですけど、ただ映画でも音楽でも、自分が楽しくなれるときって、自分がなくなるときなんですよ。なにも考えていないのに、台詞がどんどん出てくるとか。音楽も同じで、空っぽの状態がいいんです。

細野:それはわかるな。その気持ちよさは。(95〜96ページ)

『居酒屋兆治』は、先達て日本映画専門チャンネルで見た。細野さんが出ていてビックリした。ひょろりと背が高くて、くねくねしてて、まるで「アンガールズ」の田中みたいな雰囲気だったぞ。

「小学校の先生から受けたトラウマを語り合いたい!」(212〜215ページ)

細野:星野くんはどんな小学生だったの?

星野:3年生のとき、ウンコを漏らしました(笑)。その後、あだ名が ”ウンコ”になって、ちょっと人生が狂い始めて。

細野:それはかわいそうだなあ。

星野:体育の時間にマラソンしてたらお腹が痛くなっちゃって、先生の許しを得て校舎のトイレに走ったんです。でも、間に合わず、下駄箱のところで漏れちゃって。

細野:もう少しだったのに、悲しいねえ。

  (中略)

細野:僕にも似た経験があるよ。

星野:細野さんもウンコを……?

細野:いや、ウンコは漏らしてない(笑)。僕も、小学4年生まではお調子者って呼ばれるような子どもだったの。自分じゃそんなつもりはなくて、照れ隠しでいろいろふざけてるだけだったんだけど。

星野:その気持ち、わかりますよ。

細野:ところが、新しい担任の教師に、僕は図に乗る生徒として目を付けられちゃった。そのうち、容姿にまで口出しされるようになったんだ。「なんでお前は目と眉毛の間がそんなに離れてるんだ」とかさ。

星野:ひどい! 小学校の先生がそんなこと言うんですか?

細野:そう。まあ、当時はそんなの気にしなかったんだけど、子どもながらにどこか深いところで傷ついていたんだろうね。

「嫌な思い出が忘れられない理由とは?」(236ページ)

星野:人間。生きていると、忘れてしまいたい記憶があるじゃないですか。でも、ふとしたときに思い出して、うわあ! となってしまう。(中略)

細野:わかるよ。僕にもある。ひとりで、ごめんなさいとか謝っちゃうんだよ(笑)。つまり、自分が悪いと思ってるんだよね。

星野:なるほど。

細野:逆に、自分が他人から傷つけられたこととかは忘れちゃうんだよ。(中略) 子どもの頃にさかのぼってみても、そういうことは多いもん。

■でも、二人の会話を読んでいて、これは! と思うのは、やはり「音楽」に関する話題だ。

「ギターを始めた孫を見つつ、自らの音楽開眼を振り返る。」(202〜205ページ)では、細野さんがどうしてベースをやるようになったのかが語られる。細野さん。実は、アコースティック・ギターもキーボードも弾けばめちゃくちゃ上手いのだ。ぼくは、中川イサト『お茶の時間』に収録されている「その気になれば」のピアノ演奏が好き。

(177ページ)、井上陽水の『氷の世界』(1973年)で、

星野「細野さんもベース弾いてるんですね。」

細野「……そうだっけ?」

星野「弾いてますよ!(笑)」

細野「まあ、なんか覚えがあるような……。」

■細野晴臣さんが参加したレコーディングに関しては、HP上で完璧に整理されている。

   ・1970年 ・1971年  ・1972年  ・1973年

この頃のレコードは、けっこう持ってるぞ。荒井由実、加川良、高田渡、友部正人、中川イサト、岡林信康、金延幸子、小坂忠。それに「はっぴいえんど」。

(15〜16ページ)に出てくる、細野さんがベースでスタジオ・ミュージシャンとして参加し、一人だけ遅刻した某歌手のレコーディングって、いつだったんだろう?

■特に沁みたのは、189ページの「”事象の地平線”にみる”地平線の相談”的音楽論」。

細野:星野くんは、”事象の地平線”っていう言葉、知ってる? (中略) 音楽の世界も、今、事象の地平線にさしかかっていると思う。シンプルに言うと、そこで面白いことをやり続けていないと、音楽なんてできないわけだよ。バンドなら解散できるけど、個人は解散できないから。

星野:確かに(笑)。

細野:面白さは、常に自分の中に持っていなくちゃいけないんだけど、そんなの、意図的に持とうと思っても持てるものじゃないし、なくなっちゃうこともある。すると、醒めた感じになっちゃうんだ。

星野:はい、よくわかります。

細野:つい10年前までそんな気持ちだったんだし、あらゆる音楽はもう全部聴き尽くしたなって白けた感じだったの。ところが、それは無知だということが最近わかった。新しい音楽に発見はないんだけど、古い音楽には発見がいっぱいあるんだよ。これは”今までにない体験”なんだよね。(189〜192ページ)

星野:前にも話しましたけど「ゼロ年代という括りはいらない」というのも、音楽を時代で語る必要がもうないと思ったからなんです。様々な音楽が横並びで存在するような状態、時代的な流行がない、でもだからこそ純粋に音楽の本質が楽しめるいい時代がやっときたんだと。

あと、ひとつのジャンルを真摯に追いかけている人は「ホンモノ」と呼ばれますけど、あまり納得がいかなくて。俺は、一見様々な音楽をつまみ食いしているように見えるけど、その人でしかありえないような表現をしている、なぜか専門家や批評家の方からはニセモノ、軽薄と呼ばれてしまっている人のほうが好きだったりします。

細野:僕もそうなんだよね。あのホンモノじゃないモノに惹かれてしまう(笑)

星野:自分が思うのは、細野さんは、ホンモノじゃない人のホンモノなんですよ。

細野:それって褒められてるの?

星野:だから、細野さんの音楽が大好きなんです。どんな種類の音楽をやっていても、そこにいるのは細野さんでしかないんです。憧れに飲み込まれてない。自分もそういう人になりたいし、そういう音楽がもっと増えればいいのにと思っていて……。(200ページ)

細野:アルバムを作るという行為は、セックスみたいなものだと思うんだよ。その結果、子ども、つまり作品が生まれるじゃない? (中略)

だから、どこが一番快感かっていうと、やっぱりレコーディングの最中。

星野:確かに。

細野:いろんな想像しながらわくわくしてさ。だから、エッチなことなんだよ。

星野:アハハハハ! (中略)

星野:とすると、出産はどの段階に当たるんでしょうか。ミックスあたり?

細野:そう! まさにミックスが出産だよ。ちなみに僕は、気に入ったミックスが完成すると、その場で踊るんだよ。

星野:踊っちゃうんですか?(笑)

細野:もう踊らずにはいられない。「この踊り面白い!」と思って、iPhone で自分を撮ったの。そしたら、案の定すごく面白くって、このまま YouTube に上げてもいいかと思ったんだけれど、寝ないで作業してたから、もう見た目がドロッドロ。あまりに汚いんで、ちゃんとした格好で取り直した(笑)。(326〜327ページ)


YouTube: 細野晴臣/The House of Blue Lights

   ☆

■それから、星野源のお父さんがジャズ・ピアニストを、おかあさんがジャズ歌手を目指していたって話。落ち込んだ中学生の星野源に、お父さんが「これを聴け」と、数あるレコードの中から、ニーナ・シモンの「アイ・ラヴ・ユー・ポギー」(ベツレヘム)をかけてくれた話が泣けた。

おかあさんは、アメリカ留学の際、アート・ブレイキー夫妻と仲良しになったなんてのもビックリだ。

『地平線の相談』細野晴臣&星野源に載っていた(175ページ)星野源のお父さんがやってるジャズ喫茶に、ぼくも行ってみたいな。ほんと便利な時代で、ググるとすぐに判明。埼玉県蕨市にある「signal」っていう店だ。なかなかオシャレで、大人の雰囲気の店じゃないか。

2015年6月13日 (土)

今月のこの1曲。 クラムボン『Folklore』

■クラムボンのCDを集め出したのは、じつは最近のことだ。

彼らの周辺ミュージシャンは昔から好きで、おおはた雄一とか、ハナレグミとか、最近では「スーパー・バター・ドッグ」のキーボードだった、レキシとか。

で、デビュー盤からあらためて聴いてきたのだが、当初より完成された3人の完璧な音楽性に圧倒されながらも、3人の要はやはり、ミトくんですかね。彼はホント凄い。

そんなミトくんが作詞・作曲した「Folklore(フォークロア)」。

ぼくは「この曲」が特別好きだ。

-----------------------------------------------------------------

何かが変わってゆくような そんな気がした あと少しで

何ごともなく消えてゆく 6月6号 あと少しで あと少しで

気持がすぅっと軽くなる そんな気分さ あと少しで あと少しで

-----------------------------------------------------------------

季節外れの台風一過。景色のすべてが一掃される瞬間を捉えた歌だ。

 


YouTube: Folklore / クラムボン


YouTube: Clammbon - Re-Folklore

■このPVが撮影されたスタジオは、山梨県北杜市小淵沢にある「星と虹レコーディング・スタジオ」に違いない。あの「世界中のこどもたちが」も、ここで収録された。

場所は、中央道小淵沢インターを降りて右折し、鉢巻き道路へ向かって上っていって、「キースヘリング美術館」のちょうど反対側を少し入ったところに、「八ヶ岳 星と虹歯科診療所」っていう歯医者さんがあって、先生は藤森義昭先生っていうんだけど、趣味が高じてプロのミュージシャンでもあるんだ。そうか、北海道は礼文島の出身だったのか。それに、あの「ジム・オルーク」とも親交があるらしいぞ。で、1978年に歯科診療所に併設してアルム(大屋根)の家を建て、その2階を「レコーディング・スタジオ」にしてしまったのだった。

東京から車で2時間の距離で、大自然の別世界の中、ミュージシャンが泊まり込み合宿で集中してレコーディングできる穴場として、昔から「知る人ぞ知る」スタジオだったのだ。クラムボンも4作目の『id』からずっと使ってきた。

最近では、レコーディング機材も一新され、ここでのレコーディングを希望するミュージシャンはあとをたたないっていう噂だ。

ぼくは一度だけ、その藤森先生にお目に掛かったことがある。

今から20年くらい前かな。

当時ぼくは富士見高原病院小児科に勤務していて、循環器内科医長だった岩村先生がアフター・アワーのジャム・セッションでジャズピアノを弾くというので、原村で家具工房を開いていた出戸明さんの、お兄さんが富山から原村に移り住んで、弟さんの工房の隣にオープンした森の喫茶店「Song Of The Bird」に行ったのだった。

その夜、地元に住むいろんなミュージシャンが次々に登場して音楽を披露した。

「カントリー・キッチン」の次男の方も来ていて、ウッド・ベースを弾いていた。そうして、小淵沢から鉢巻き道路をはるばるやって来たのが、藤森先生だったのだ。先生はたしか、歌を唄った。クラプトンだかニール・ヤングだったか、よく憶えていないけれど、澄んだいい声で、しみじみ聞き入ってしまった。

2015年5月24日 (日)

今月のこの1曲。ジェイムス・テイラー「How Sweet It Is」

Img_2716


ジェイムス・テイラーのレコード『ゴリラ』を買ったのは、高校2年生の時だった。1975年だ。このレコードはほんとよく聴いたなぁ。大好きなんだ。

A面1曲目「MEXICO」4曲目「WANDERING」5曲目「GORILLA」それから、B面2曲目の「I WAS A FOOL TO CARE」と、3曲目「LIGHTHOUSE」が、特にお気に入りだった。もともと日本のフォーク少年だったから、アコースティックな楽曲がよかったのだ。

A面3曲目に収録された「HOW SWEET IT IS TO BE LOVED BY YOU」は、派手でコテコテのR&Bだったから、当時イマイチその良さがわからなかったのだが、「この曲」はシングルカットされてスマッシュ・ヒットを飛ばし、同年のビルボード・ヒット・チャートでは5位を獲得している。

2枚あとに出た「JT」に収録された「ハンディ・マン」もそうだけど、ジェイムス・テイラーは「こういう曲」のカヴァーがほんと上手い。


YouTube: James Taylor - How sweet it is (to be loved by you)

オリジナルは、マービン・ゲイの「これ」


YouTube: Marvin Gaye - How Sweet It Is (To Be Loved by You)

■土曜日の午前中、NHKFMでゴンチチがナビゲートする「世界の快適音楽セレクション」の選曲を担当している、渡辺亨氏が出したディスク・ガイド本『音楽の架け橋』(シンコーミュージック)でも取り上げられている。(65ページ)

■音楽評論家・天辰保文氏の「ここの文章」がめちゃくちゃいい!

さとなおさんも、むかし「このレコード」を紹介していたな。

■ぼくも以前、カーリー・サイモン『イントゥ・ホワイト』の記事で取り上げたことがある。

 さらに、「ここ」を下の方へスクロールして行くと、『オクトーバー・ロード』の紹介記事もあります。

Img_2718_2

 (写真をクリックすると、もう少し大きくなります)

ノー天気でお気楽なこの曲は、聴いていて何とも気持ちいいのだが、そのもとは、ミディアム・スローのテンポと、弾むようなシャッフル・リズムにある。ドラム・ソロのところで分かるのだが、「タタタ、タタタ、タタタ、タタタ」という「三連符」で出来ているんだ。

同じく「シャッフル・ビート」で超有名な曲が「これ」だ。


YouTube: Stevie Wonder - Isn't She Lovely

■「ウン・パ、タタタ・ンパ」というリズムになると、これは「ドドンパ」です。

日本で一時期流行した謎のリズム「ドドンパ」に関しては、『踊る昭和歌謡:リズムからみる体臭音楽』輪島裕介(NHK出版新書)の中で、その成立の由来が詳しく調べられている。

■シャッフルやドドンパとはぜんぜん関係はないんだけれど、最近お気に入りで毎日聴いている曲がこれ。

ファレル・ウイリアムスと「Daft Punk」が、2014年にグラミー賞を取った「Get Lucky」を、フランスの女性歌手ハイリーン・ギルがカヴァーして歌っているのだが、この歌声、なかなかに心地よいのだ。


YouTube: Get Lucky (Bonus Track - 2014) - Hyleen Gil

本家、ファレル・ウイリアムスの歌声がこちら。リズムは、往年の1980年代ディスコ・ミュージックの感じだな。

 


YouTube: Daft Punk - Get Lucky (Full Video)



2015年4月11日 (土)

羊毛とおはな

Img_2707

■CDは、たしかもっと持ってるはずだ。ないのは、iTunes Store で購入したのか。

オリジナルにも「晴のち晴れ」とか「おやすみ。」や「揺れる」など、良い曲がいっぱいあるが、やっぱりカヴァー曲が絶品だな。

羊毛とおはな 「おやすみ。」.wmv
YouTube: 羊毛とおはな 「おやすみ。」.wmv

ぼくの iPodにもいっぱい「羊毛とおはな」の曲が入っていて、テルメで走っていると、たいてい毎回「千葉はな」さんの、あの独特なほっこりした歌声が流れてくるのだった。

ちょっと、ないよな。あの歌声。

羊毛とおはな「Don't Look Back In Anger」
YouTube: 羊毛とおはな「Don't Look Back In Anger」


羊毛とおはな「晴れのち晴れ」
YouTube: 羊毛とおはな「晴れのち晴れ」

オーガニックとか、ネオ・アコースティックとか、今なら言うのかな。

でも、

もう「ライヴ」では聴けない。ぜひ一度、ナマで聴いてみたいと思ってたのに……

悲しい。ほんと悲しい。

http://ameblo.jp/youmoutoohana/

http://natalie.mu/music/news/143831

合掌。

Img_2709

2015年3月31日 (火)

今月のこの2曲。バート・バカラック『 恋の面影 / The Look of Love』〜『幸せはパリで』

■3月。斉藤由貴の「卒業」をこよなく愛する僕としては、はなはだ遺憾ではあるのだが、ずっと気になっていた「彼女のスタンダード集」は買わずに、なぜか「原田知世の新譜」のほうに手が伸びてしまったのだった。先日の伊那の平安堂CD売り場でのことだ。

しかし、その判断に間違いはなかった。 こいつはイイ!!

選曲がシブイじゃないか。1曲目のビートルズ「夢の人」。ぼくはこの曲を知らなかった。いい曲だな。あと、レナード・コーエン、メロディ・ガルドー、マルコス・ヴァーリと、通好みの選曲が続くのだ。

ただ、個人的に一番グッと来たのが、9曲目に収録されていた、ダスティ・スプリングフィールドが唄ってヒットした、映画『ダブル・オー・セヴン カジノ・ロワイヤル』のテーマ曲、バート・バカラックが作曲した『 恋の面影 / The Look of Love』だ。オリジナルはこれ。

Dusty Springfield - The Look of Love
YouTube: Dusty Springfield - The Look of Love

ぼくが「この曲」を初めて聴いたのは、たしか中学1年の12月だった。1971年のことだ。

この年末、ぼくが自分で2番目(初めて買ったのは、ドイツ・グラモフォン・レーベルでカラヤンが指揮したベルリンフィル『新世界より』)に買ったLPレコードが、CBSソニー『ギフト・パック・シリーズ』(2枚組 3000円)の中の『映画音楽ベスト・ヒット集』だった。この「シリーズ」に関しては、『僕の音盤青春記 1971-1976』牧野良幸(音楽出版社)の26ページ〜28ページに詳しい。

Img_2697

『映画音楽ベスト・ヒット集』の1枚目B面のラストに収録されていたのが、アンドレ・コステラネッツ管弦楽団の演奏する「恋の面影」だったのだ。このレコードは、さんざん聴いたなあ。

当時、映画の評判は散々だったが、この主題歌だけは印象に残った。哀愁に満ちた旋律。大人の女性の官能的で隠微な雰囲気の歌詞。なんてませた中坊だったんだ!

ちなみに、このレコードのB面「5曲目」に入っていたのが、同じくバカラック作曲の『幸せはパリで』だった。演奏は、パーシー・フェイス・オーケストラ。映画は未だに見たことない。ジャック・レモンとカトリーヌ・ドヌーブが主演した『The April Fools』だ。

この曲は、ディオンヌ・ワーイックが唄ってヒットした。

これまた印象的な旋律の名曲。

大好きなんだ。

これだ。

Dionne Warwick - The April Fools - 1969
YouTube: Dionne Warwick - The April Fools - 1969

ただ、個人的には、このオリジナル・ヴァージョンよりも、アール・クルーがギターを弾いた「この曲」に思い入れがあるんだな。これです。

Burt Bacharach / Earl Klugh ~ The April Fools
YouTube: Burt Bacharach / Earl Klugh ~ The April Fools

というワケで、4月1日になりましたね。

小説『シンドローム』の主人公の「切ない片思い」を、ずっと未だに引きずったままでいるので、今月は「この曲」を選曲させていただきました。


2015年3月 8日 (日)

先月のこの1曲。アン・バートン「Love is a Necessary Evil」と、『シンドローム』佐藤哲也(福音館)その1

Img_2674

■ずいぶんとご無沙汰の更新になってしまった。

さらには、1月も、2月も「今月のこの1曲」をアップし忘れてしまったことに気がついた。ダメじゃん。ごめんなさい。

という訳で、もう3月ですので、「先月のこの1曲」であります。

Love Is A Necessary Evil (1974) - Ann Burton
YouTube: Love Is A Necessary Evil (1974) - Ann Burton

■アン・バートン『BY MYSELF ALONE』は、ぼくが大学生になった 1977年の5月に、東京の西小山に住んでいた兄のマンションへ行って借りてきた「ジャズのレコード」10枚の中の1枚だった。うん、あれからずいぶんと聴いたぞ。自分で買い直して、盤が擦り切れるほどにね。

中でもお気に入りは、A面4曲目の「Love Is A Necessary Evil」だ。

このレコードは、アン・バートン2度目の来日時(1974年)に日本で録音されたもので、バック・ミュージシャンは全員が日本人という布陣。ピアノは、佐藤允彦と小川俊彦の二人で、「この曲」をボサノバ・タッチの軽妙なアレンジで聴かせるのは佐藤允彦のほうだ。

「この曲」は、A面3曲目に入っている「May I Come In」と同じく、マーヴィン・フィッシャー(曲)ジャック・シーガル(詞)のコンビによる小粋で洒落たリリックの唄で、ブロッサム・ディアリーが 1964年にキャピタルから出した『MAY I COME IN』に2曲とも収録されているが、雰囲気はぜんぜん違う。ぼくは断然アン・バートンだな。

それにしても「歌詞」が面白い。

JASRAC からの通告のため、歌詞を削除しました(2019/08/06)

「A very contrary hereditary evil」(矛盾だらけで、遺伝的な悪)

An evolutionary, interplanetary evil」(進化論的な古代からの長い時間と、惑星間ほども距離がある宇宙空間的広がりを持つ悪。てな感じの意味か?)

「うまいことを言うものだ。ほんと、そうだよなぁ。」レコードを何遍も聴きながら、「LOVE」が何たるものかまだぜんぜん判っていない当時のぼくは、うんうんと感心して独りごちた。

つい先日CDで再発されたので、このところよくまた聴いているのだが、ちょうど『シンドローム』佐藤哲也(福音館書店・ボクラノSF)を読んでいて、自意識過剰ぎみな主人公(男子高校生)の思考回路と「この曲」とが絶妙にシンクロして、不思議で懐かしい、そしてほろ苦い気持を追体験したのだった。(つづく)


2015年1月30日 (金)

ゴリゴリのテナーマン、スティーヴ・グロスマン。

20150130

■昨年10月に出た『"LIVE" at THE S0MEDAY 』のCDを聴いて以来、すっかり スティーヴ・グロスマン(ts)にハマってしまった。凄いな! この人。

いや、以前からレコードは持っていたし、その昔ジャズ喫茶でよく聴いた、エルヴィン・ジョーンズの「ライトハウスでのライヴ盤」も、先達てCD廉価版が出たから即購入した。そう、よく知っている人のはずだったのだ。

ところがどうだ。「サムデイ」でのライヴ盤、1曲目の「インプレッション」。凄まじい音圧、強烈な轟音ブロウ。フリーキーなフラジオ奏法に、めくるめくスピード感。なんて気持ちいいんだ! あぁ、彼のアドリブ・ソロ演奏をこのまま永遠に聴き続けていたい。そう願っている恍惚気分の自分がいた。

このテナー・サックス。もろ俺の好みの音じゃないか。

そう、ぼくの大好きなファラオ・サンダースが、突如めちゃくちゃテクニックが上がって、泉のごとく湧き出る印象的なアドリブ・フレーズを連発し、タイム感覚も抜群にいい演奏をしている感じのテナーの音だったのだ。

ファラオ・サンダースと言えば、SF作家:田中啓文氏だ。検索してみたら、やっぱりスティーヴ・グロスマンにも言及していたぞ。

(追記:後から見つけたのだが、「こちら」のほうが本命だ。)

■それから、ジャズ関連のHPでは老舗の名店「ネルソン氏のサイト」にも特集記事が!

・あと、東北大学モダンジャズ研究会のサイトにも。

・やっぱり、好きな人は好きなんだなぁ。

Img_2613

■昨年の秋から読み始めた「ジャズ漫画:ブルージャイアント」がいい! 

仙台の進学校に通うバスケ部で高校3年生の主人公「宮本 大」が、中3の卒業間際、友人に誘われてたまたま行ったジャズ・ライヴで雷に撃たれたようにジャズの魅力に取りつかれ、兄に買ってもらったセルマーのテナー・サックスを手に、広瀬川の河原でひたすら無心にサックスの練習をしていた。

めちゃくちゃデカい音で一心不乱に吹きまくる。ゴリゴリ、バリバリ吹きまくるのだ。

漫画だから「音」はしない。

だけど、いや、だからこそ、読者一人一人の心の中で「大」のサックスの音色がイマジネイティブに輝くのだ。これって、もしかして逆転の発想なんじゃないか?

読者は勝手に「その音」をただ想像すればよいのだ。

ぼくには、スティーヴ・グロスマンのサックスの音が聞こえてきたんだよ。

間違いなくね。

2015年1月25日 (日)

『未明の闘争』における保坂和志氏の意図的な文体は、デレク・ベイリーを連想させる

『音楽談義 MUSIC CONVERSATIONS』保坂和志 × 湯浅学(Pヴァイン)を読んだ。これは本当に面白かった。

ぼくらが聴いている音楽は、やっぱり「同時代性 = リアルタイム」が重要なキーワードであることを再確認できた。例えば、ビートルズがなぜ当時(1971年)中学生だった僕らのアイドルになり得なかったのか? よく判った。あの頃、ビートルズはすでに「オワコン」だったんだ。ボブ・ディランは聴いていたけれど。

あと、マギー・ミネンコのこと。若い人たちは誰も知らないだろうな、マギー・ミネンコ。

以下、ツイッターに投稿したものを再収録(一部改変あり)。

『音楽談義 Music Conversations』保坂和志 × 湯浅学(Pヴァイン)をTSUTAYAで立ち読み。面白い! 2人は僕より2つ上。宮沢章夫氏、小田嶋隆氏と同学年だ。保坂さんが中3ではまった、加川良『親愛なるQに捧ぐ』。中1の僕も繰り返し聴いた。「こがらしえれじい」のフィンガー・ピッキング奏法とハンマリング・オン。ギターでさんざん練習したなあ。

続き)保坂和志氏は、何故かその後フリー・ジャズへ。山下洋輔トリオ、セシル・テイラー、スティーヴ・レイシーにオーネット・コールマン。あと、デレク・ベイリーが好きで、CDも30枚は持っているとのこと。そしたら、湯浅学氏も最近よく聴いてるんだって、デレク・ベイリー。知らなかったな。

続き)それから、湯浅学氏と大瀧詠一さんの出会いの話が面白かったな。あと何だっけ。保坂和志さんはギル・エヴァンズも大好きとのことです。それからそれから。やっぱり買うしかないな。この本。

Photo

『音楽談義 MUSIC CONVERSATIONS』保坂和志 × 湯浅学(Pヴァイン)を買った。第三章まで読んだ。めちゃくちゃ面白い。もったいないので今日はここまで。

Img_2608

『音楽談義 保坂和志 × 湯浅学』に続いて、『ボブ・ディラン ロックの精霊』湯浅学(岩波新書)を読み始める。買ったまま未読だったのを思い出したんだ。岩波新書で出たミュージシャンの評伝は、藤岡靖洋氏の『コルトレーン』が力作だったから、ボブ・ディランにも期待大なのだ。

『未明の闘争』保坂和志(講談社)を読み始める。「私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた。」って、いきなり変な文章に面食らう。そのあとは池袋駅前「ビックリガード」の解説が延々と続く。何なんだ、この混沌としてとっ散らかった文章は。そうか!デレク・ベイリーの演奏スタイルで書いているんだね

■湯浅学氏に関しては、参考になる音源、画像が YouTube 上にある。

SS22 湯浅 学 「土星から来た大音楽家サン・ラー」 フル(ニュース解説) 2014.11.12
YouTube: SS22 湯浅 学 「土星から来た大音楽家サン・ラー」 フル(ニュース解説) 2014.11.12


坪内祐三×湯浅学 音楽が降りてきたり、音楽を迎えにいったり
YouTube: 坪内祐三×湯浅学 音楽が降りてきたり、音楽を迎えにいったり


湯浅学さんとディラントーク Barakan Morning ディラン祭り 2014
YouTube: 湯浅学さんとディラントーク Barakan Morning ディラン祭り 2014

湯浅学×村井康司 対談:
チャーリー・パーカーから大友良英まで〜ジャズの70年を聴く 『JAZZ 100の扉』刊行記念トークショー(四谷「いーぐる」にて収録)



Powered by Six Apart

最近のトラックバック