2010年10月17日 (日)

『哲学者とオオカミ』マーク・ローランズ著(白水社)

■最近なぜか、益田ミリの漫画『すーちゃん』シリーズにハマっている。中でも『結婚しなくていいですか / すーちゃんの明日』は傑作だと思う。

そのシリーズ第一作『すーちゃん』益田ミリ(幻冬舎文庫)の69ページを読んでいて、あれ? つい最近、同じようなこと言ってた人いたなぁって、思ったんだ。

 すーちゃんは言う。

あたし、今 幸せじゃないの?

幸せを目指して生きることが 正しいこと?
幸せって

目指すもの?

目指すということは ゴールがあること

幸せに ゴールって あんのか?


■その誰かとは、『哲学者とオオカミ』マーク・ローランズ著、今泉みね子訳(白水社)の著者で、1962年英国生まれの新進気鋭の哲学者マーク・ローランズ先生だ。先生は現在アメリカのマイアミ大学で哲学教授を務めている。

『哲学者とオオカミ』の原題は、"The Philosopher and the Wolf Lesson from the Wild on Love, Death and Happiness" という。その「Happiness」に関して語られているのは、「第6章:幸福とウサギを求めて」の 167ページだ。


 多くの哲学者によると、幸せには本来備わった価値があるという。幸せは他の何かのためにではなくて、それ自身として価値があるという意味だ。わたしたちが価値を認めるたいていのものは、それが他の事物をもたらしたり、他のことをしてくれたから、価値がある。たとえば、人が金に価値を認めるのは、金で何かを買うことができるからだ。食べ物、住まい、安全、おそらく一部の人は幸福まで金で買えると思っている。(中略)

金と薬は媒体としては価値があるが、本来的に価値があるわけではない。幸せだけが本来的に価値がある、と考える哲学者もいる。幸せだけが、それ自身として価値があるもの、それによって得られる他の何かのゆえに価値があるわけではないものだというのだ。(p167)

(中略)幸せがそれ以外の何かのためでではなくて、それ自身のために人が人生で求める、おそらく唯一のものであるという主張だと。すると、単純な結論に到達する。人生でもっとも大切なものは、ある一定の感情をもつことなのだということになる。人生の質、人生がうまく運ぶかうまくいかないかは、その人がどのような感情をもつかによって決まる、というわけだ。

 人間を特定なことへの依存症患者とかジャンキーにたとえると、人間の特徴がわかりやすくなる。(中略)人間は一般に薬物のジャンキーではない。けれども、人間は幸せのジャンキーだ。幸せのジャンキーは、自分にとって本当はあまり為にならないこと、どのみちそれほど重要ではないことを執拗に追い求める点で、薬物のジャンキーと共通している。だが、幸せのジャンキーの方が、ある明瞭な一点においてはたちが悪い。薬物のジャンキーは、自分の幸せがどこから来るのかを、まちがって理解したが、幸せのジャンキーは、何が幸せなのかをまちがって理解した。両方とも、何が人生で一番大切なのかを認識できない点では、一致している。(p169)

(中略)幸せがどんなものであろうとも、ある種の感情ではあるのだ。この点で人間は定義される。永遠に続く、むなしい感情の追求だ。これは人間だけに見られる特徴だ。人間だけが、感情がこうも大切だと思っているのだ。

 このように感情に執拗に集中する結果、人間はノイローゼになる傾向がある。これは、意識の集中が幸福の創出からその検討へとシフトするときに起こる。人生のあり方について、「自分は本当に幸せだろうか? パートナーは、自分の要求を適切に理解してくれているだろうか? 本当に子育てに生きがいを見出しているだろうか?」といったように。(p170)


■人間の「幸せ」に関してやや悲観的な考察をする哲学者は、では、10年以上も生活を共にしたオオカミ(ブレニン)は、果たして幸せだったのか? と自問する。そうして、オオカミは狩りをしている時、あるいは、敵と闘っている時が一番幸せなのではないかと考えるのだ。


 このような狩りをしているときが幸せだったのなら、ブレニンにとって幸せとは何だったのだろう。ここには緊張の苦しみがあり、心と体は硬直が強いられ、攻撃したいという欲望とそんなことをしたら失敗するかもしれないという知識との葛藤は避けられなかった。一番したいことを自分に許さない、という作業を何度も何度もしなければならなかった。ブレニンの苦痛は、こっそりと数センチさけ前進することで部分的に緩和されただけで、足を止めればまた、同じプロセスが最初から始まるのだった。これを幸せというなら、エクスタシーよりも苦痛の方が大きいように見える。(p175)

(中略)幸せはただ楽しいだけではない。とても不快でもある。わたしにとってはそうであり、ブレニンにとってもそうだったと思う。だからといって、苦しみを経験しないと喜びを評価できないなどという、よく知られた月並みな知恵のことを言っているわけではない。そんなことは誰もが知っている。(中略)

むしろ、幸せはそれ自体が、部分的には不快だと主張したい。これは幸せの必然的な真実である。幸せはそうであるほかないのだ。(p177)

(中略)わたしたちの人生で最良のこと、よくある表現を使えば一番幸せなときは、楽しくもあり、とても不快でもある。幸せは感情ではなく、存在のあり方だ。(p181)


■この本の中では、もっと引用すべき重要な論考がいっぱいあるのだが、著者が「オオカミの野生」を見つめることで、オオカミから照射される「野生の輝き」から、人間という「生き物」のまか不思議な「生きざま」が、逆に非常にクリアカットに浮かび上がってくる、という事実が、この本の最大の読みどころであるので、その感じを、ちょっとだけ味わって欲しいなと、この「幸福論」の部分を引用してみました。

でも、この本で一番面白いのは、その後の「第8章:時間の矢」で取り上げられた「時間論」だ。人間の時間と、オオカミの「時間」の違いは何か? この章が、本書の白眉だと思うぞ。

2010年10月10日 (日)

あるクマの生活 -- 仕事編 --(白熊的生活)

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先日たまたま「こういう」ガシャポン(ガチャガチャ)があることを知った。コレクターではないのだが、「しろくま」には目がないのだ。で、さっそくネットで5種セットを購入した。


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■やっぱり、この「きぐるみバイト白熊」が一番のお気に入りかな。

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■うしろから見ると、「きぐるみ」にファスナーが付いているのは当然としても、「しろくま」の後頭部にもファスナーとチャックが付いている(写真ではよくわからないが、ちゃんと銀色で塗られている)ところに芸のきめ細かさがある。「しろくま」の「中の人」っていったい誰? なんかこう、しみじみしてしまうのだなぁ。

2010年10月 6日 (水)

島村利正『暁雲』と『仙酔島』のこと

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■高遠の実家の本棚から、島村利正『残菊抄』(三笠書房)と『奈良登大路町』(新潮社)を抜き取って持ってきてしまったのだが、自分の本として島村利正を持っていたいと思い『奈良登大路町・妙高の秋』(講談社文芸文庫)をアマゾンに注文して入手した。ところが、この文庫には、初期・中期の傑作「仙酔島(仙酔島)」「残菊抄」「奈良登大路町」は収録されているのに、初期の重要作である「暁雲」が入ってなくてがっかりした。

この「暁雲(げううん)」は『残菊抄』(三笠書房)に収録された、昭和18年作の短篇だ。堀江敏幸『いつか王子駅で』(新潮文庫)では 40〜42ページで引用し、こう紹介している。


あいまいに複雑にしてかそやかな陰影をほどこされた男女の、あるいは親子の感情の切れ端が、すこし言い足りないくらいの表現からじわりとわき出てくる。そういう印象がすべての作品に、うっすらとした靄のように覆いかぶさっていて、たとえば一宮の糸問屋の見習いに入った篠吉が、大旦那の世話で、ひそかに好意を抱いてくれているらしい奥がかりの女中、節といっしょになり、暖簾分けのようなかたちで撚屋(よりや)として独立し、着実に力をつけてゆく日々のなか、なぜ俺のような冴えない男といっしょになってくれたのだろうと自問しつづける「暁雲」などはその好例だ。

篠吉はながらく胸にくすぶっている懼れにも近い気持ちを節にぶつけてみようとするのだが、いつも最後に口をつぐんでしまう。そういう不器用で控えめな男が新しい撚糸技術の開発に成功して事業を軌道に乗せたころ、ながいあいだ帰っていなかった郷里に帰省したいと節が言う。(中略)

 夫婦になってずいぶんな時間を過ごしてからはじめて抱いた幼い恋にも等しい感情が、なんとはない呼吸で屈折してゆく言葉の撚糸を通してこちらの胸を衝き、「ほのかな狼狽」を走らせずにおかない。ときどき外国の本を取り寄せて活字を追ったりする者として、いま篠吉の心中にひろがりつつある震えを捕まえてくれるような言葉にはなかなか出会えないと感息したくなる反面、いやそんなはずはない、新鮮な狼狽を現実に味わうのでなく言葉で伝えるにはどう生きたらいいのかを思いめぐらす文学は、国を問わずどこにだってあるのではないかとの想いもつのる。


■ダメダメ男である自分には、あまりに身分不相応な美人で出来た妻。どうしてこの女は俺の女房になったのだろうか?

こういう不安を、男は昔から抱くらしい。島村利正の「暁雲」を読んでぼくがまず思い浮かべたのは、昔話の「きつね女房」だ。「つる女房」や「雪女」似たような話か。あと、最近読んだ短編小説では「顔」がかなり近い。ぼくは Twitterでこう書いた。

昼休みに『八月の暑さの中で ホラー短編集』金原瑞人編訳(岩波少年文庫)より、「顔」レノックス・ロビンスンを読む。夕暮れどきや月明かりの夜に崖の上から腹這いになって湖面を覗くと、水面下に金髪で目を閉じた女性の白い顔がくっきりと見える。この短編はいいなあ。怖くはないが、しみじみ哀愁。(Twitter/ 6:24 PM Sep 6th webから)

島村利正の「暁雲」には、そうした遙か昔からの民話的・神話的夫婦関係の妙を描きつつ、妻と夫との力関係の均衡がドラスティックに変わる瞬間を見事に切り取ってみせるその手腕は、決して古風で時代遅れの作家にはできない、島村利正の普遍性、同時代性ではないかとぼくは思った。


■昭和19年に発表された傑作「仙醉島(仙酔島)」には3組の夫婦が登場する。1組目は、この小説の主人公である老婆「ウメ」と、その夫「亀太郎」。2組目は、遠く故郷を離れ行商の途上に信州高遠の街道筋で行き倒れで死んだ旅商人の岡野信吉と彼の故郷福山に残してきた妻。そうして3組目は、ウメが岡野の遺族を訪ねて孫である著者と共に福山へ行った際に、近くの瀬戸内海に浮かぶ仙醉島を観光することになり、島へ渡る渡し船の船頭とその妻だ。

その船頭夫婦のやり取りを見ていて、ウメは、苦労ばかりさせられた、どうしようもないダメダメ夫「亀太郎」のことを思い出す。そうして、「あれでいいのだ、あれでいいのだ」と、老船頭夫婦に声をかけたくなる気持ちになるのだった。このラストがいい。

つまりは、ウメは苦労ばかりが続いてきたに違いない己の人生を振り返って「これでよかったのだ、これでよかったのだ」と肯定しているのだ。島村利正の小説はどれも、人生の肯定感に満ちているような気がする。だから、読者は読み終わってから、おいらも明日からがんばって生きて行こうかなって、前向きな気持ちになれるのだ。

島村利正の魅力は、そこにあると思う。

2010年10月 2日 (土)

『白鍵と黒鍵の間に』南博(小学館文庫) その2

■続きを書こうと思ったのだが、肝心の文庫本が行方不明だ。困ったぞ。ま、いいか。

この本を読んで僕がシンパシーを憶えるのは、主人公の南博氏にではなくて、彼の周囲で蠢く「ダメダメ人間たち」だ。

例えば、銀座のクラブで生演奏していた彼の上司のバンマスたち。終戦直後のドサクサに紛れて、米軍キャンプでのハワイアンのクラブ演奏を足がかりに、長い下積み生活を経てバブルの銀座で確固たる地位を築いた(と本人は思っている)バンマスたち。

音楽のプロフェッショナルなのに、誰一人ぜんぜん聴いてはいないクラブの空間で何十年も毎日来る日も来る日も演奏し続けてきた。そういうバンマスを、彼(南博氏)は一応は敬いながらもどこか軽蔑している。ぼくは、そんなくだりをを読みながら、しみじみ悲しくなるのだった。

まだ若い南氏が、ただただ日常を流しているだけにしか見えないバンマスを見る目は、ぼくが医者になって2年目に感じた、当時勤務していた総合病院の小児科部長に感じていた「不満」そのものだ。なんだ、この人は偉そうなこと言ったって、所詮は何の実
力もない「風邪しか診れない医者」じゃないか! ってね。

しばらくして、それはとんでもない間違いだったと未熟な僕は気付くことになるのだが、それはまた別のはなし。


で、あれから30年が経って、当時の小児科部長の年齢を超えた僕はしみじみ思うのだった。当時、偉そうにあぁ言ってた自分が「風邪しか診れない医者」そのものであるという現実を。それはそのまま、例の銀座のバンマスたちに重なるじゃないか。(ここで、白衣のポケットに入ったままになっていた文庫本を発見!)


当時の南博氏は、CMで急に有名になったハンク・モブレイの「リカード・ボサ・ノヴァ」を、連日何度もリクエストされて辟易したという。






YouTube: Hank Mobley - Recado Bossa Nova


YouTube: Eydie Gorme The Gift!(Recado Bossa Nova)


でも、それを嫌な顔ひとつせずに、その都度新鮮な気持ちで同じ曲を演奏するのが本当のプロなんじゃないか? ぼくはそう思うぞ。だって、開業小児科医の日常は、まさに「それ」だからだ。

下痢した子が来れば、どんな食べ物を与えたらいいか丁寧に話し、赤ちゃんが初めて高熱を出してあたふたしている若いお母さんに「心配しなくていいよ、おかあさん。最初の試練だけれど、これを乗り越えると、子育てのランクが一つ上がるからね、がんばって」と、昨日とまったく同じことを言っているぼくがいるのだよ。


南氏は「厭きる」と言った。でも、ぼくは厭きることはない。たぶん、彼の上司のバンマスも、そう思っているに違いない。ぼくはそう思うぞ。それを、アーティストとしての自らの誇りや向上心を放棄して、生ぬるいバブルの銀座で日々惰性だけで演奏しているから「厭きる」ことがないのだと南氏は考える。

だから彼は、このまま銀座でピアノを弾いていたら、ただただ腐って朽ちていくに違いないと感じたのだろう。


彼は、菊地成孔氏が盛んに引用する「バークリー・メソッド」で有名なジャズ・アカデミーの最高峰、ボストンにあるバークリー音楽大学への留学を決意するのだった。ボブ・マーリィの歌のタイトル通りの、まさにバブルの銀座ぬるま湯ダメダメ人生からの「エクソダス」だったワケだ。その圧倒的な決断力と実行力には素直に感服するしかないや。いや、凄い。


そういったリスペクトでもって、当時の銀座で蠢いていた人たちがちゃんと南氏の渡米を祝福するシーンが泣かせる。バンマス曽根さんの義理の兄で「そのスジ」の中堅格、このあたりのシマを取り仕切っている「兄貴」に、「やめさせてください。アメリカにいって勉強してみたいのです。僕にチャンスをください。」と、南氏は正直に告白する。それに対する「兄貴」の対応が泣かせるじゃないか!(p315〜317)


この場面は好きだな、いいなぁ。


なんだ、あーだこーだ文句を言いつつも、結局は著者の生き方にすっかり魅せられてしまったんじゃないか、ダメダメ人間の俺。


■ところで、ぼくは南博氏のピアノ演奏を生で一度だけ聴いたことがある。「ここ」の下の方にスクロールしていくと「森山威男カルテット・ハッシャバイ」の項目があるが、その終わりのあたりに、1996年の夏の終わりに、長野県富士見高原スキー場で行われたジャズ・フェスティバルのことが書いてある。南博さんの「プロフィール」を見ると、1996年、南博QUARTET にて、八ヶ岳 THE PARTY PARTY に出演。とあるのがそれだ。

新宿ピットインのマネジャーを長く務めた龍野さんが、故郷の山梨県に帰ってから始めたジャズ・フェスの、富士見町に場所を変えての一回目だったと思う。当時ぼくは、富士見高原病院小児科の一人医長だった。

ただ思い返すに、ゲスト・ヴォーカルで登場した「綾戸智絵」のパフォーマンスがあまりに凄すぎて、南博氏のピアノがオーソドックスで端正なピアノだったことしか印象に残っていないのだ。ごめんなさいね。CDでは、菊地成孔氏とのデュオ演奏が納められた『花と水』を持ってて、深夜しみじみ落ち着きたい時なんかに、時々聴いてるよ。


2010年9月29日 (水)

『白鍵と黒鍵の間に ジャズピアニスト・エレジー銀座編』南博(小学館文庫)

■ちょうど、外来小児科学会で福岡に行った直後に読み終わったから、かれこれ1ヵ月近く経ってしまって詳細を忘れかけているのだが、すっごく面白かった本なので何とか乏しい記憶を書き留めておこう。

■ Twitter に書いたこと。

8月末までに仕上げなければならない仕事が手つかずだ。それなのに『白鍵と黒鍵の間に ジャズピアニスト・エレジー銀座編』南博(小学館文庫)を読み始める。プロローグの「巨大な寿司桶」がいきなり面白い。困った。止められないぞ。(2010/08/24)


『白鍵と黒鍵の間に・ジャズピアニスト・エレジー銀座編』南博(小学館文庫)読了。これは久々のヒット本だ。面白くてやがて哀しきしみじみ感が、そこここのページにあふれている。この人は文章が上手いな。続編の「アメリカ編」はやく文庫化してくれないものか。(2010/08/31)


■印象に残っているのは、脇役でそっと登場する人たちだ。まずは「小岩のチャーリー・パーカー」(p41)。

著者は小岩の場末のキャバレーHでピアノを弾いていた。バンドの楽屋は、何かが饐えた匂いと、ネズミの匂いがした。その横には廃墟のような空間があり、そこにはフィリピン人のホステスがウレタンが爆裂しているようなマットレスの上に寝起きしていた。


 その頃アルトサックス・セクションにK君という人物がいた。彼は一見朴念仁風で、あまり人としゃべらなかったが、セットの間の休み時間も明日地球がなくなってしまうといった勢いで、チャーリー・パーカーをコピーしたり研究したりしていた。(中略)

 ある日、早めに楽屋に行ってみると、相変わらず一番乗りのK君が、パーカーのフレーズを練習していた。(中略)そして次にK君が言った言葉を僕は忘れない。

「ほら、パーカーってさ、宇宙の音楽じゃん、吹いてるときにオレ、目の前に星が見えるもん、パーカーは宇宙につながっていたんだと思う。色々ほかのアルトサックスプレイヤーも聴いたけどさあ、宇宙が見えん。僕は、演歌だろうが何だろうが、演奏中には星が出ないと我慢できない。」(p43〜45)

このK君、いまどうしてるのかなぁ。すごく気になる。


■次は、「ツアー」(p74)。広島県福山市のクラブへ向かう途中で台風に遭遇した一行は、ライブがキャンセルになってしまい、仕方なく前に新宿ピット・インで従業員やってたベーシスト志望のヤマさんが住む、瀬戸内海の島に行って一晩泊めてもらうことになる。暴風の中、深夜に到着したにもかかわらず焼酎で歓待してくれた「ヤマさん」がしみじみいいんだ。(詳細は、94ページを読んでみて)

■その次は「支配人のアベちゃん」(p115)。変な名古屋弁を操るアベちゃん。転勤が決まって、ホテルのフロントに寂しそうに立つアベちゃんは、哀愁そのものだ。

「まぁ、また東京にもどることもあるがね。そんなときはまた、南君に連絡するかもしれんがや。」 アベちゃんのその言葉を聞いて、なぜだか分からないが、多分永遠にアベちゃんから電話がかかってくることはないだろうと直感した。(p124)


■そうして、「ジョージさん 」(p198)。銀座のクラブSで、幇間か男芸者のような役割を演じていたジョージさん。でも本当は歌手なのだ。このジョージさんのエピソードもいいなぁ。あとは、著者が掛け持ちした、銀座の2つのクラブの、それぞれのバンマスたち。(もう少し続く)


2010年9月26日 (日)

新しい iPod Shuffle を買った

■愛用していた第2世代の iPod Shuffle(オレンジ色)だったが、ずっとだましだまし使ってきたけれど、とうとうどうにも動かなくなってしまった。そこで仕方なく買い換えようと思ったのだが、第3世代の iPod Shuffle は、コントローラーが本体になくて、付属のイヤホンのコードに付いているので、今まで使っていた Shure のイヤホンが使えない。

それは面白くないな。と困っていたら「第4世代の iPod Shuffle 」が新発売になった。見ると、コントローラーが再び本体に戻っているではないか! やったぁ。


というワケで、さっそく注文したのだった。

4,800円で、2ギガ。バッテリーも最大15時間駆動と伸びた。しかも、明らかに音が良くなっている。イヤホンが改良されたのか? これなら、SHURE のイヤホンを使わなくてもいいじゃん。なんだ。

これはマジでお買い得だな。

でも、ホント小さくなっちゃって、不器用なぼくの太い親指では、かえって操作しずらいぞ! それから、衣服に挟むクリップが第2世代に比べて開きが小さいので挟みにくい。ぼくはいつもトレーニング・ウエアーの首周りに挟むのだが、すべてセットアップしてから挟もうとするとコントローラーをクリックしちゃってうまくいかない。挟んでからスイッチ・オンしないとダメなんだ。そこが唯一の欠点か。

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■                                         今日の日曜日の夕食は、例の、飯島奈美『LIFE なんでもない日、おめでとう! のごはん』(ほぼ日刊イトイ新聞)82ページの「お休みの日のパパカレー」に再挑戦だ。今回は、オリジナル通りに豚肉をかたまりで500g(肩ロースはなかったので、豚バラの塊)。コレを入れました。豪華です! 

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カレー粉は、前回と同様に「S&B直火釜焙煎深みロースト・カレーフレーク中辛」と「ハウスジャワカレー辛口」のハーフ&ハーフ。タマネギは4個使った。タマネギを炒める時に、ハチミツを大さじ 1/2 入れること、仕上げに、おろし生姜を大さじ1、バターと醤油を小さじ1ずつ入れることがポイント。

待ちきれなくて、90分間ぐつぐつ煮込むところを70分に短縮したので、豚肉がいまひとつ柔らかくならなかったかな。でも、個人的にはすっごくうまくできた、と思うぞ。(何故か、カレーの写真はない。忘れてた)

2010年9月25日 (土)

Here and Now

■「懐かしのフォーク大全集」みたいな番組を、よくNHK BS2 でやってるじゃないですか。南こうせつが司会で。あれが嫌いなんだ。たいてい NHKホールでライブ収録されていて、カメラがステージから客席のアップに切り替わると、団塊世代の方々が気持ちだけ青春時代にタイムスリップしたふうで、「あの頃はよかったなぁ」って顔をみんなしているんだ。60歳前後の初老のおじさん、おばさんがね。

あの顔を見るのがイヤなんだ。格好悪いじゃん。拓郎の嬬恋もそうだし、小田和正のスタジオ・ライブも、ちょっとだけ年齢層は下がるが見た目はほとんど同じだな。まぁ、おいらだって同類のオヤジなのだが……


■ところが、ジェイムス・テイラーやキャロル・キングの最近のライブDVDを見ると、客席のオジサン、オバサンたちがみな、カッコイイのだよ。何なんだろうなぁ、この違い。


■でも、ステージで歌っているフォーク・シンガー(こういう括りでいいのかどうかは分からないが)たちは違うはずだ。自分が過去完了形だとは決して思っていないはず。大晦日の夜に、東京12チャンネルで「懐かしの歌声」のメンバーとして舞台には立ちたくないはずだ。だって、彼らは今日も「いま」&「ここ」で歌い続けているのだから。


例えば、友部正人。彼は若いミュージシャンからずっとリスペクトされてきた。古くは「たま」「ブルー・ハーツ」。彼は常に今の若いリスナーたちからも、依然として発見され続けているのだ。


それから、加川良。彼は今でもギターケース一つ抱えて全国各地の小さな会場を廻って、ほんの少数の観客の前でも歌い続けている。ぼくが観たのは、今から15年くらい前の諏訪大社(上社)前の喫茶店でのライブだったが、ぼくが中坊だったころ、一人で長野まで行って、長野市民会館での「加川良&中川イサト・コンサート」で聴いた歌声(ちょうどLP『やぁ!』のころだな)から、ぜんぜん違った唄い方に進化していてビックリしたものだ。でも、決してがっかりしなかったな。ぼくの記憶にある「昔の加川良」よりも、「今の加川良」のほうが、ずっとずっとカッコイイ! そう思ったから。


それは、北海道で亡くなる3ヵ月前に伊那に来て、「BASE」で たった20人の客の前で唄ってくれた高田渡さんにも感じたことだ。

彼らはみな、「いま・ここ」で唄っているのだよ。


だから逆に、若いのに変に老成して「昔はよかったねぇ」みたいな感じで、まるで過去を同時代で体験してきたみたいな口ぶりで語る人がいるけど、ぼくはこういう人が一番苦手だ。(落語なんかに関する物言いでは、ぼく自身がまさにそんな嫌な奴なわけだが……)

そうじゃないんだ。確かに、例えば、ジェイムス・テイラーはツアーに出ると毎晩「君の友達( You've got a friend )」を唄うことを強いられるという。でも、この曲をこの日初めて聴いて、なんていい曲なんだって気に入った若者がいるかもしれないし、かつてファンだった団塊の世代のおじさん・おばさん達も、40年以上ずっと現役のまま歌い続けてきたジェイムス・テイラーの生き様に感動し、さらにはこの日初めて聴いた「新しい曲」にも心響かせることができる。

シンガーにとっても、観客にとっても、「いま・ここ」である一期一会の「ライブ」体験とは、そういうものさ。


彼らの唄は、フリーズ・ドライされた過去の遺産なんかじゃない。彼らの唄はみな「いま・ここ」なんだよ。もっと、現在進行形で、切実なんだよ。


そんなかんなを、中川五郎さんの唄を聴きながら考えていた。知らなかったのだが、中川五郎さんの最新CDには、ハンバートハンバートの名曲「おかえりなさい」がカバー収録されているそうだ。

2010年9月23日 (木)

中川五郎ライヴ at The 仙醸蔵(高遠ブックフェスティバル)

■先だっての 9月19日(日)は、母の一周忌だった。

午前11時から建福寺本堂で法要をしていただき、その後、みんなでお墓参り。
お昼は、新町の四季亭「もりた」へ。

早いものだ。あれからもう一年が経つのか。

本当は飲まないつもりだったのだが、高遠の兄に「まぁ、付き合え」と言われてビールを注いでもらう。あぁ、うまいな。料理もみな美味かった。なんと、大きな生の松茸もでたよ。〆は稲庭うどんだった。


■この日は「高遠ブックフェスティバル」の2日目で、町中は人にあふれて妙に賑やかだった。息子たちが高遠町図書館へ行きたいと言うので、一休みしたあと、まずは旧北條ストアーで開催されている古書市へ。SF本が妙に充実していて『百億の昼と千億の夜』光瀬龍(ハヤカワ文庫)をオール300円コーナーで見つけ、中2の長男に「お前はこの本を読むべきだ。絶対に気に入るはず」と、勝手に購入。それから『SFの時代』石川喬司(日本推理作家協会受賞作全集36・双葉文庫)も300円で入手。あと、『すぺるむ・さいえんすの冒険 小松左京コレクション』(ボクラノエスエフ 福音館書店 ¥1890 )を500円で購入。この本は本日一番の戦勝品だったかな。


図書館へ行くと、2階への階段を上がったところで「南信こどものとも社」の坂本さんが月刊誌「こどものとも」のバックナンバーを販売していた。フェスティバルの期間中ずっと店番をしてなきゃならないので大変だな。『とうだいのひまわり』『くいしんぼうのあおむしくん』『たいこたたきのパチャリントくん』など7冊購入。フリー・ペーパーのコーナーには、わざわざ遠く屋久島からやって来た人もいたよ。


午後4時からは、図書館2階の和室で書評家・豊崎由美さんが「古今東西の古典名作に関するブックトーク」を行うとのことだったが、すでに予約がいっぱいで聴けなかった。でも、この日の夜7時から仙醸蔵で開催される「中川五郎&良原リエ・ライヴ」を事前にメールで予約が取れていたので、妻と子供らには先に伊那へ帰ってもらってぼくだけ高遠に残り、ライヴ終了後にバスで帰ることにしたのだ。すでにアルコールが入っていたからね。


ところが、日曜祭日のJRバス時刻表を確認したら、伊那市行きの最終便は午後6時発で、その後は1本もない。ええっ! ぼくが高校生だった頃には、夜10時発くらいの便があったじゃん。信じられないな。仕方ないので、高遠の実家に泊めてもらって翌朝妻に迎えに来てもらうことにした。そうなったらまた気が大きくなって、にんべん酒店へ行って缶ビールとワインを仕入れ、ライヴの時間までもう少し兄と飲む。

この日の早朝、成田を出て渋滞の中央道を車でやって来た次兄は、泊まらずに日帰りしなければならず、ビールは飲めず。ごめんなさいね、兄貴。


■夜7時の時間が近づいたので、歩いて仙醸蔵へ。もう40〜50人近い聴衆であふれているんじゃないかとイメージして行ったら、まだ数人しか来ていない。そうか、この時間だと伊那へは帰れないからね。高遠ブックフェスティバルへ1泊2日でやって来た人でも、ホテルが伊那市街地だったらライヴを聴くことは無理なんだな、自家用車かつノン・アルコールでなければ。


しばらくして、辰野町在住のシンガー・ソング・ライターで、豊南女子短大教授でもある三浦久氏が、奥さんといっしょにやって来て、ぼくのテーブルの後ろに座った。バンジョーのチューニングをしていた中川五郎氏は直ぐに三浦氏に気付き、客席に来て歓談。旧知の仲なんだね。三浦氏は、さかんにレナード・コーエンのロンドン・ライヴのCDの話を五郎さんにしている。ぼくのすぐ後ろでね。あ、その「レナード・コーエンのライヴDVD」ぼくも持ってます! 振り返って、よっぽどそう言おうかと思ったが、じっと我慢した。


そうして始まった中川五郎氏のライヴは、本当にすばらしかった。
若いなぁ、五郎さん。それに、昔よりもずっと、唄が上手くなっている。それに、歌声がすごく力強いのだ。

ぼくが生で彼のライヴを聴いたのは、今から30年以上前の都内のとあるカフェで行われた、友部正人とのジョイント・ライヴ以来だと思う。中川五郎さんと言えば「色男、金と力はなかりけり」といった風情で、何となく自信なさそうに、か弱く唄っている印象があったのだが、今回は違った。なんかすっごく説得力と自信にあふれていたのだ。それには、良原リエさんのアコーディオンによる絶妙の伴奏の影響も大きかったかもしれない。

「主婦のブルース」とかは聴いたことあったが、懐かしい名前の、ピート・シーガーとか、ボブ・ディランとかの曲も、この日初めて聴いた。みないい曲じゃないか。

そうこうするうちにライヴも終板となり、聞き覚えのある伴奏が流れ出した。

  あ! 「ミー・アンド・ボビー・マギー」だ! 

 中川五郎さんの唄の中で、ぼくが一番好きな曲だ。


ぼくは知らずといっしょに歌っていたよ。

 「自由っていうのは失うものが、なにもないことさ〜」
 「いい気持ちになるのは かんたんなこと〜」
 「ボビーがブルースを唄えば〜、それだけで俺たちゃご機嫌ん〜」

うれしかったなぁ。今日のこの日、高遠の仙醸蔵にいれて、本当によかった。心からそう思ったよ。


ありがとう! 中川五郎さん。

「ミー・アンド・ボビー・マギー」は YouTube にはなかったので、彼の「もうひとつ」の大好きな曲を紹介しようか。これだ。


YouTube: 中川五郎 その4


「ミー・アンド・ボビー・マギー」のあと唄ってくれたのが、この「ビッグ・スカイ」。
この曲もよかったなぁ。会場は大盛り上がりで、五郎さんはテーブルに上ってギターをかき鳴らし熱唱したよ。
もう、めちゃくちゃパワフルで感動してしまったなぁ。


YouTube: 中川五郎 その3

この話は、もう少し続く予定だが、
中川五郎氏は、自身のブログで「こう」書いているのでご紹介しておこう。あぁ、そうだったのか。知らなかったな。

しばらくはリンクがつながっているんじゃないかと思う。


■前述の三浦久先生のホームページにも「9月19日の日記」に写真入りで当日のライヴの様子がかかれているよ。

(つづく)


2010年9月21日 (火)

Twitter の XSS脆弱性とやらに、まんまと引っかかってしまったらしい

いまだに「クライアント・ソフト」を使わずに、Twitter公式サイトからずっとTLを見てきたのだが、どうもそれでもって、Twitter の XSS脆弱性とやらに、まんまと引っかかってしまったらしい。

何か今日の夕方くらいから TL の下の方が消えてしまって変だなぁと思っていたら、なんだか知らないうちに、怪しげな所へ誘導する「リツーイト」をしてしまっていたらしい。先ほどRTを削除してきた。

ご迷惑をおかけしたみなさま、本当にどうもすみませんでした。

2010年9月18日 (土)

ぼくが中学・高校生時代に買ったレコードたち

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少なくともこうやって、当時やっとの思いで買ったLPレコードを、いまでも大切に持っているワケですよ。だって、捨てられなかったんだもん。何10回、いや何百回も聴いてきたレコードたち。


■昨日の朝、『ゲゲゲの女房』の後 8:15から始まるNHK総合『あさイチ』に、ゲストとして、ゲゲゲの女房の安来の父親役だった「大杉漣」が登場した。ぼくはあわてて、録画スイッチを押し診察室へ向かったのだが、昼休みに帰って来て番組を再生したら、大杉漣がギターの弾き語りをしていて驚いた。彼は僕より7歳年上だが、聴いてきた音楽はものすごく似ている。彼は加川良や高田渡の熱烈なファンなのだ。

この日、彼が唄ったのは、加川良の「伝道」だった。たまげたし、すごくうれしかった。ぼくも大好きな加川良の曲の中でも、「伝道」はベスト5に入る曲だ。あとの4曲は、「偶成」「こがらしえれじい」「下宿屋」「鎮静剤」かな。だから、僕だって今でも「伝道」は歌詞カードを見ずにギターで弾き語りできるぞ。


つまりは「そういうこと」さ。ぼくの長男が、中学2年生の時点で、邦楽・洋楽・ジャズ・クラシックと、分け隔てなく貪欲に音楽を取り込む姿勢は素晴らしいと思うが、彼が「ただ」で TSUTAYA から借りてきてパソコンにコピーし、ウォークマンに落として聴いている楽曲が、はたして彼が50歳になった時でも、忘れられない大切な音楽として、その時の彼を支える力があるのだろうか?

ぼくは、そのことを危惧している。

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