2011年7月11日 (月)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その80)伊那おやこ劇場 at 東春近ふれあい館

■昨日の7月10日(日)午前11時から、東春近ふれあい館で「伊那おやこ劇場」低学年の例会に「パパズ」が呼ばれて絵本を読んできました。


1)『はじめまして』
2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子さく(福音館書店)→伊東
3)『もくもくやかん』かがくいひろし作(講談社)→北原


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4)『おっきょちゃんとかっぱ』長谷川摂子・作、降谷なな・絵(福音館書店)→坂本

5)『かごからとびだした』(アリス館)

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6)『おかあさんのパンツ』『おかあさんのパンツ2』(絵本館)→宮脇


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7)『そうべえ ふしぎなりゅうぐうじょう』田島征彦・作(童心社)→倉科

8)『ふうせん』(アリス館)
9)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)


2011年7月 2日 (土)

山登くんへの返事


山登 敬之さんからのメッセージ


「北原くん、ごぶさたしてます。ちょっとうかがいますが、待合室に流すジャズのインストゥルメンタルでなにかオススメのやつありませんか? ご承知のように、オレの手持ちのアルバムは、オーソドックスな必聴版みたいなのしかなくて。できれば新しいところでお願いします。ただし、ノリのいい曲、ゴキゲンな曲は除く。」

北原です こんばんは


先達ては、『世界一やさしい精神科の本』を贈っていただき、
ありがとうございました。お礼のハガキもメールも出さずじまいで
大変申し訳ありませんでした。


ツイッターでは感想を早くにつぶやいたのですが、ブログで感想を
書こうと思っているうちに未だ出来ずにいたのです。すみません。
いやほんと、今までありそうでなかった「いい本」だとお世辞抜きで
思いました。

さて、ご依頼の件ですが、なかなか難しいです。最近のはあまり知らないので。
思いつくままに、夏向きで(ヴォーカルやジャズ以外も入れて)いくつか書き出すと、


1)「 beyond the Missouri Sky」パット・メセニー&チャーリー・ヘイデン

2)「 European Standards」 Jan Lundgren Trio ヤン・ラングレン・トリオ

3)「デイ・ドリーム」アン・サリー

4)「The Best of KOHARA」or 「KOHARA」

5)「Alone in IZ World」Israel Kamakawiwo'ole


6)「イマージュの部屋」ジョアン・ジルベルト

7)「Cafe Apres-midi Safran」


8)「ホニャララ」SAKEROCK の「老夫婦」と「やおや」


9)「From Left to Right」ビル・エヴァンズ

■最近ブログにも書きましたが、この「From Left to Right」Bill Evans の「ドルフィン」って曲がいいんです。オススメ!


■追伸:当院待合室のBGM選曲は受付スタッフに任せてあって、ぼくはノータッチです。でも、診察室の奥の処置室に置かれたラジカセからは、ぼくの独断で個人的な趣味の音楽をいつも流しています。ただし、小さな子が点滴になった時などは、アンパンマンのCDに変えてます。ラジカセの設定は「All Repeat」なので、一日中同じCDが流れ続けるのです。


現在、当院の処置室で流れているCDは、亡くなって2年が経つマイケル・ジャクソンのカヴァー曲集で、『Never Can Say Goodbye』Traincha。先だって、松本の「ほんやらどお」で見つけて 880円で買って帰ったのだ。これが大当たり! 聴き込むほどに味わい深く、しみじみ良いです。



2011年6月27日 (月)

信濃毎日新聞朝刊(6月27日付)9面投稿欄「私の声」

■今日の「信濃毎日新聞」くらし欄(9面)に載った「私の声」はズシリと重くぼくの胸に響いた。

「原発事故でうずく心」と題されたその投稿は、下諏訪町在住の樽川通子さん(82歳)によるものだった。この記事を読むまで僕は知らなかったのだが、樽川さんは地元では大変有名な人で、下諏訪町の町会議員を4期務め「女性議員をふやすネットワークしなの」代表として活躍し、現在もお元気で地元で活動を続けているそうだ。


82歳ということは、一昨年の秋に他界した僕の母親と同い年なのではないか? ちょうど、NHK朝の連続テレビ小説『おひさま』のヒロイン陽子より6歳年下になる。詩人の茨木のり子さんもそうだけれど、母が入院中に遠くからお見舞いに来てくださった母の女学校時代の同級生の皆さんにお会いして感じたことは、皆さんお元気でパワフルで、凛とした力強さがあることだ。それは、大変な時代を必死で生き抜いてきた人間としての本質的な強さによるに違いない。


■「私の声」は、樽川さんが昭和52年(1977)に地元の婦人会長になった頃のはなしから始まる。


その時はまだ、彼女は町議会議員ではなかったはずだ。一番近い原発である中部電力の浜岡原発でさえ数百キロも離れている(でも、静岡から南アルプス山麓を北上する高圧送電線によって、われわれ長野県民のほとんどの電力は賄われている訳だが)信州のとある田舎町の、たかが一婦人会会長が、信毎の取材を受けて原発に関する否定的な発言を1回だけしただけで、直ちに電力会社の地元幹部が彼女に自宅に来て「婦人会長という立場にある者の発言としては、いかがなものか」と、脅したという。怖ろしい話だ。ちょうど僕が大学に入った年だから、今から34年も前のこと。


でも、この話が怪談じみて本当に怖いのは、その後のくだりだ。

 少し時が流れて、電力会社は地元還元という大儀を揚げ、女性に学習の場を提供するための組織を県内でも各地につくりたいので、相談に乗ってほしいと要請してきた。その時すでに諏訪地域の女性たちを対象とした会員名簿が作成されていて驚いたが、初代会長を私にという話しにはさらに驚かされた。

「口封じ策だ」「懐柔策だ」と私は反発したが、辛抱強く説得され、受諾した。その瞬間、なぜか全身の力が抜け落ちた。

 高名な講師を中央から迎えて講演会を開催した。ダム湖の視察もした。原発の見学には大型バスが用意されていた。料理教室も開かれ、会報まで発行した。会長が何人か交代するころ、原発に関する記事が新聞に載ることも少なくなり、豊富な電力の恩恵を社会が受け入れたころ、気が付いたらその組織は消えていた。

 あの時は私なりに精いっぱい原発のことを考え、行動したという自負がある。だが、このたびの東京電力福島第1原発の事故を受け、懺愧(ざんき)とも悔恨ともつかない、罪悪感にも似た奇妙な思いが、心の深いところでうずいている自分を持て余している今日このごろである。(信濃毎日新聞朝刊6月27日付、9面投稿欄「私の声」より)


■これは、中部電力の管轄地域内で起きた話ではあるのだが、たぶん30年40年、いやもっとずっと前から日本全国で(何も原発が直接建てられた地域に限らず)繰り返し行われてきた「飴と鞭」政策(脅しと懐柔)だと思うと、本当にゾッとするな。しかも、今現在でも全く同じ手口でわれわれ国民を「消費電力がオーバーすれば停電になるぞ!」と脅かし、情報を後から小出しにすることで、国民の感覚を完全に麻痺させている。


電力会社の誰が、いや、旧通産省(経済産業省)の頭の良い官僚の誰かが、先輩から代々引き継がれてきた「地元住民をだます」有効な手段として、いまも脈々と垂れ流され、しかも、確かに有効に機能しているという事実に、驚かざろうえない。なんとまぁ、われわれ国民はてんでバカにされ、なめられたものよ。


■いま、前福島県知事であった佐藤栄佐久氏が書いた『福島原発の真実』(平凡社新書)を読んでいるところだが、国(与党政治家&通産省の役人)がやること、東京電力のやること、ほんと地元無視の騙し討ちで酷いな。まだ87ページだが、これは読み応えがあるぞ。

2011年6月26日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その79)箕輪町三日町保育園

■今日は、父親参観の「箕輪町三日町保育園」におじゃまして、4月の富士見町図書館以来の「パパズ」だ。

   <本日のメニュー>

 1)『はじめまして』 → 全員

 2)『コッケモーモー』ジュリエット ダラス=コンテ(徳間書店)→伊東
 3)『たぬきのじどうしゃ』長新太さく(偕成社)→北原
 4)『パパのしごとはわるものです』板橋雅弘・作、吉田尚令・絵(岩崎書店)→坂本

 5)『かごからとびだした』 →全員

 6)『おかあさんのパンツ』『おかあさんのパンツ2』山岡ひかる(絵本館)→宮脇
 7)『うなぎにきいて』桂文我・作、長谷川義史・絵(童心社・紙芝居)→倉科

 8)『ふうせん』(アリス館) →全員
 9)『世界中のこどもたちが』篠木眞(写真)新沢としひこ・詞(ポプラ社)


終了後に、保育園の畑で取れたタマネギが入った特製カレーをご馳走になりました。おいしかったよ!(^^)


2011年6月21日 (火)

「今月のこの1曲」Bill Evans "The Dolphin ---- After" 『From Left to Right』より

■ビル・エバンスの『フロム・レフト・トゥ・ライト』は、じつに思い出深いレコードだ。 ずっと欲しくて、30年以上東京都内の中古ジャズ・レコード屋さんを探し廻ったけれど、とうとう手に入らなかった。悔しかった。輸入盤CDでようやく入手したのは、つい5〜6年前のことだ。


YouTube: Bill Evans - The Dolphin (After)

このレコードを初めて聴いたのは、確か 1977年頃の茨城県新治郡桜村、追越学生宿舎(何号棟かは忘れたが、たぶん12号棟だな)3階の有賀淳くん(いま彼は東京女子医大の教授じゃないか。おいらと違って優秀だったんだね。)の部屋だったと思う。飯田高校出身で同じ長野県だったし、バスケット同好会に入った仲間だったので、仲良くしてもらっていたのかな。 あの頃、追越学生宿舎12号棟には、相田、大野、大滝、奥村、柏木、金子、河合、狩野、菅間とかが住んでいて、僕は少し離れた14号棟の1階に居たんだけれど、12号棟にしょっちゅう出入りしてしたんだ。 で、ある夜「おい、きたはらぁ〜。これ、中古盤で見つけてきたんだけど、いいだろう?」って、有賀くんが彼の部屋で聴かせてくれたのが『From Left to Right』 Bill Evans なのだった。 当時、すでに結構ジャズにのめり込んで参考書とか買い込んで、都内のジャズ喫茶も足繁く通って勉強していた僕は、半可通のジャズ・ファン気取りだったのだが、ビル・エバンズの「このレコード」は、何故かどの本にも載っていなかったから全く知らなかった。でも、聴いてみてすっごく良かったのだ。正直ショックだった。すごく。 あの口惜しさは、今でも忘れられない。 オイラの方が絶対的にジャズに詳しいはずなのに、有賀君のほうが、なんで俺よりビル・エバンズのことを判っているのかってね。それくらい、このレコードは良かったんだ。特に「ザ・ドルフィン」って曲が絶品だった。ビフォーよりもアフター(ストリングスやリズム・セクションが多重録音されたもの)のほう。 ■この曲は、タンバ・トリオでピアノを弾いていたルイス・エサが作った曲で、オリジナルは CTI から出た『二人と海』に収録されている(残念ながら、Youtube には音源なし) ■このレコードのポイントは、あのビル・エバンズが「フェンダーローズ」のエレピを弾きまくっているってことだ。そういう時代だったのだね、当時の。あの頃って(リアルタイムでは知らないけど)エレピが大活躍する、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォー・エバー』が出たのが 1972年のことだから、その2年前に「このLP」を出したビル・エヴァンズの選択は、決して間違ってはいなかったんじゃないかと思う。時代を先取りしていたのだ。 だって、猫も杓子も「エレピ」の時代だったからね。あの、オスカー・ピーターソンですら「フェンダーローズ」のエレピに夢中だった(ホントかどうかは自信ないが)のだから。 ただ、ぼくは正直「エレピ」は好きではなかったな。 あの頃、唯一納得して好きになった「エレピ」は、 映画『まる秘色情めす市場』田中登監督作品の中で、主人公の伊佐山ひろ子が行きずりの男と出会った後に、商店街のアーケードで彼女の最愛の弟が首を吊ってぶら下がっている場面のバックで流れる「エレピ」なのだな。 そんなこと言っても、誰もわかってはくれないだろうが。


YouTube: Stan Getz "The Dolphin"

■ところで、エレピに血迷った軟弱イージー・リスニング盤として当時の日本ジャズ界ではまったく評価されなかったこの「ビル・エバンスのドルフィン」を、いち早く日本で最初に認めた人がいる。 その人とは、松任谷由実だ。 (つづく)


YouTube: North Sea Jazz 2009 Live - Toots Thielemans - The Dolphin (HD)

2011年6月20日 (月)

『復興の精神』(新潮新書)を買った。

■信濃毎日新聞、毎週水曜日の朝刊で連載されている『怪しいTV欄』町山広美さんのファンだ。連載当初から読んでいるから、もう数年来の愛読者なのだが、放送作家「町山広美」さんと映画評論家「町山智浩」氏が、実の兄妹であることを知ったのはつい最近のことだ。


町山智浩氏は、最近ツイッター上で日垣隆氏をおちょくって遊んでいるが、けっして陰湿でないところが凄い。あくまでも紳士的に客観的にみて事実と異なる点だけを指摘する。日垣氏がこてんぱんにやりこめられて痛快ですらある。でも、日垣氏は長野高校出身だから、あまりいじめないでね。


■ところで、先週の水曜日に載った町山広美さんの『怪しいTV欄』のタイトルは「はしゃぐ政治家たち」。彼女はこう言っている。


首相退陣を求めるここ3週間ほどの動き。ニュースを見るたびに、あきれてしまった人がほとんでではないかと思います。


自民党の谷垣総裁を筆頭とする、政治家の皆さんのはしゃぎぶりはすごかった。「そんなことしてる場合か」と非難を浴びることを想像できない不思議。

なにが彼らをあそこまではしゃがせたのか。

菅首相が脱原発の方向へ傾斜してきたから、原発の恩恵を受けている人たちが騒ぎだしたち見る向きも多いようです。(中略)

私が感じたのは、とてもあいまいな話になってしまいますが、気分です。はしゃぐ政治家たちを見ていて、この人たちの気分は「戦後」なのだと思いました。

復旧、復興でお金が動く。その恩恵にあずかりたい。見事に立ち回ってみたい。自分たちの先輩たちがやったようなことを、やってみたいなあ。(中略)


しかし、事は起きました。震災の膨大な被害、解決の光明が見えない原発事故。
そして色めき立つ人たちがいます。戦後をうまく生きた先輩たちのように、よっしゃ!俺も、と。


政治家、権力に近い人たちはそうかもしれません。でもそれ以外の人は違う、と私は感じています。これからが厳しい。そのことがちゃんとわかっている。戦後ではなく、むしろ戦前。長く苦しい戦いが始まったのだと、しっっかり感じている多くの人たちと、はしゃぐ政治家。そこには、目のくらむような落差が。(信濃毎日新聞朝刊・6月15日付より引用)


ほんと、そのとおりだよなぁ、と思う。だって、どう考えても、日本の、3.11 以前と同等、いやそれ以上の復興、復旧は「絶対不可能」だと思うから。もう、以前の経済発展は望めまい。これからはどんどん「右肩下がり」になってゆくだろう。国民皆が自分の生活水準を「ダウン・サイジング」してゆく必要に迫られているのだった。


昨日買ってきた『復興の精神』から、しばらく病床にあったという橋本治氏の論考「無用な不安はお捨てなさい」を読んだ。

 

 太平洋戦争後の日本の復興は、ある意味で単純だった。戦争中の長い耐乏生活があって、廃墟の戦後がやって来た。足りないものを作り出し、増やす --- この一直線の道筋を辿って、日本は廃墟から復興し、繁栄へと至った。しかし、今度の復興はそんなに単純なものではない。繁栄を達成してしまった後の飽和状態 --- それが下り坂になっているところからスタートする。(中略)


 1995年の一月に起こった阪神淡路大震災は、「バブルがはじけた」と言われてから数年後の災害だった。「右肩上がりの経済成長はもうない」ということを、どれだけの人が呑み込んでいたかは分からない。しかもこの災害は、大都市神戸を中心とする都市の災害でもあった。「他の都市が健在である中で、神戸だけが転落してよいものか」という思いが、復興へのモチベーションとしてはあったはずだ。こういう言い方をしてもいいかどうかは分からないが、だからこそ、神戸は簡単に甦った。(『復興の精神』新潮新書 p163)


なんか、町山広美さんと橋本治氏が言いたいことは同じなんじゃないかと思ったよ。

2011年6月15日 (水)

『今こそ、エネルギーシフト 原発と自然エネルギーと私達の暮らし』飯田哲也・鎌仲ひとみ(岩波ブックレット No.810)

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■ツイッターをやっていて痛感することは、誰をフォローしているかによって、その人のTLはまったく異なってくるということだ。でも、良識をもって「それなりの人」をフォローしている人たちのTLは、それほどは違わないんじゃないかと思う。


そういう観点で言えば、ぼくのTLは「脱原発」で一致している。


それなのに、政治の世界では政権与党の民主党も(菅直人を除いて)、野党の自民党も(河野太郎を除いて)原発存続にしがみついている。何故だろう? 不思議でならない。あの、イタリアでさえ、脱原発なのに、同じ三国同盟(ドイツ・イタリア・日本)をかつて結んだ国として、ニッポンは恥ずかしくないのか?


■政官財の癒着とは、こと「電力」においてかくも強力だったのか。しかも、スポンサーには逆らえないマスコミの大本営発表が繰り返される毎日。今さらの 6月14日付朝日新聞朝刊「天声人語」には、ほんとシラけてしまったな。


そこいくと、中日新聞(東京新聞)は偉い!


マスコミ禁断の電力業界に正面から切り込んでいるからだ。


■それなのに、6月14日「中日新聞夕刊」に載った、コラム「大波小波」を書いた(クールビズ)氏よ! あんたは何なんだ。ぜんぜん判っちゃいなじゃないか。ほんと悲しくなってしまうほどに。


村上春樹氏が、先日のバルセロナで、わざわざ日本語で(ということは我々日本人向かって発言しているということだ)スピーチした内容に関して、中日新聞文化部のクールビズ氏は、まるで大江健三郎のコピーのようだ、と切って捨てる。


それは違うよ。

絶対に違う。


ぼくは、村上氏の気持ちがよーくわかる気がする。


大切なことは、村上氏も僕も「加害者」であるという認識だ。


原発は、ちょっと不気味で怖いけれど、その存続は「われわれの心地よい生活を維持するため」には必要不可欠なものであると、知らないあいだに洗脳されてしまった「バカ者」であるという認識だ。

いいじゃないか。今回の事態に遭遇して初めて、東電や政府から洗脳されていた事実にようやく気付きましたって、告白しているのだから。


大切なことは、じゃぁこれから、われわれはどうすればいいのかを、ちゃんと考えることじゃないかな。


■というわけで、読んだのが『今こそ、エネルギーシフト 原発と自然エネルギーと私達の暮らし』(岩波ブックレット No.810)だ。

この小冊子は、500円+税だ。安い!でも、めちゃくちゃ内容が濃い。たった54ページだから、速読の人は30分あれば読める。元ネタは『世界6月号』(岩波書店)に載った2人の対談だ。鎌仲ひとみさんは、長年「原発問題」に携わってきたドキュメンタリー映画監督。『六ヶ所村ラプソディ』とか、最近では山口県祝島での反原発運動を長期取材した映画『ミツバチの羽音と地球の回転』を日本各地で上映中とのこと(ぼくは残念ながらどちらの映画も未見)。


飯田哲也氏のことは、僕はこのブックレットを読むまでまったく知らなかったのだが、近々「講談社現代新書」から、あの宮台真司氏と原発問題に関して共著を出すらしい。『原発社会からの離脱』(講談社現代新書)2011/6/17 発刊


「このブックレット」を読んだ限りでは、それほど過激な人とは思わなかったが、例の「6月11日全国統一脱原発デモに関しての発言」を読むと、ちょっと引いてしまう人もいるかもしれない。飯田さんも、あの時の発言がこうして文章に残されるとは思わなかったであろうから。実際の映像で見ると、もっとソフトな言い回しに聞こえるな。






YouTube: 6.11脱原発100万人アクション 飯田哲也氏のコメント


でも、宮台氏ではないけれど、かなり思い切った重要な発言であると、ぼくも思ったよ。

2011年6月 9日 (木)

ヘネシー澄子さんの講演会

■毎週水曜日の午後は休診にしている。
ただ6月は、水曜日の午後に保育園や幼稚園の内科健診が必ず入ってくる。


今週もそうだった。午後1時から「天使幼稚園」の内科健診。
出迎えてくれた高橋園長先生が言った。

「北原先生、なんかこのあたり(顎のラインを撫でる)ずいぶんとスッキリしたんじゃないですか?」


いやぁ、そう言っていただけると実にうれしいのでした。
テルメに通って一生懸命走っている成果が少しは認められたというもんだ。
ありがとうございました。高橋園長先生。

4月から入園したばかりの「ゆり組」の子たちは、なんかメチャクチャ元気だなぁ。これぞ由緒正しき「天使幼稚園」の園児たちってもんだ。よしよし。

健診終了後に、例によって年長組「アネモネ」で絵本を読ませてもらう。


1)『どうぶつサーカースはじまるよ』西村敏雄(福音館書店)
2)『ぶたのたね』佐々木マキ(絵本館)
3)『つきよのくじら』戸田和代・作、沢田としき・絵(すずき出版)


■天使幼稚園での健診が終わったのは午後2時半。
あわてて、東春近「ふれあい館」へ向かう。


この日、ヘネシー澄子先生の講演会が、午前・午後通しで行われているのだ。
しかも、水曜日の午後を休診にしている僕のために?講演会を水曜日に設定してくれたのだった。「ヘネシー澄子先生を伊那へ呼ぶ会」の新山の北原さん、メイ助産所の鹿野さん、本当にありがとうございました。それなのに、ぼくは忘れていて午後健診を入れてしまった。ごめんなさい。

■ぼくが初めて伊那でヘネシー澄子先生の講演を聴いたのは、2年前のことだ。
その時の感想は「ここの、2009/11/20」に書いた。

この時は「乳児期」のはなしだった。

そうして、去年は「幼児期」のはなしだった(この講演は聴けなかった)。でも、その時の「講演録」が「こちら」にアップされている。ありがたい。すばらしい。ぜひ、ダウンロードして読んでみて下さい。


その続きである今年は、午前中に「学童期」のはなし。
午後は「思春期」のはなしとなった。


ぼくが会場に着いた時にはすでにヘネシー先生の講演は終板で、でも、熱心な聴衆が200人近く会場いっぱいを埋め尽くしていて座る場所もなかった。これには驚いたな。ヘネシー先生、伊那でも有名じゃん!


■講演の主要部分は聴けなかったのだが、妻が「午後の部」を聴きに来ていたことと、メイ助産所の鹿野さんが、パワーポイントの配付資料に口述をメモ書きしたものを僕にくださったので、大凡の感じが分かった。


いま現在、中学生の男子を2人も抱える妻は、何故彼らが日々意味もなくイライラしているのかが、よーく判ってすっごく安心したという。この反抗期は、前頭葉の脳細胞が活発にネットワークを広げている証拠なのだと納得すればいいのね! って。


あと、脳梁の太さが男と女で違うことから、マルチタスクで同時に複数のことを処理できる女と、シングルタスクで一つずつ順番に処理することしかできない男の脳の違いがよく分かったという。そうなんだよ、オレの脳はそういうふうに出来ているのだから、あなたの要求に応えることが出来ないのですよ。仕方ないのです。脳梁が細いのだから(^^;;

2011年6月 2日 (木)

6月。保育園の内科健診が始まった

■春の保育園内科健診が始まった。

昼休みは連日忙しい。
でも、実はすっごく楽しみにしているのだった。なぜなら、
こどもたちの前で、絵本が読めるから。

■5月20日(金) 伊那保育園

1)『まるくておいしいよ』こにしえいこ作(福音館書店)
2)『こわくないこわくない』内田麟太郎・文、大島妙子・絵(童心社)
3)『おならローリー』こぐれけいすけ(学研)
4)『とべ!ちいさいプロペラき』小風さち作、山本忠敬・絵(福音館書店)
5)『ひまわり』和歌山静子・作(こどものとも年少版2001年8月号)


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■6月01日(水) 高遠第一保育園

1)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村敏雄(福音館書店)
2)『こわくないこわくない』内田麟太郎・文、大島妙子・絵(童心社)
3)『ヘンテコシャンプー』みやにしたつや(学研・おはなしプーカ6月号)
4)『ひまわり』和歌山静子・作(こどものとも年少版2001年8月号)


■6月02日(木) 竜東保育園(年長組)

1)『おれはねこだぜ』佐野洋子(講談社)
2)『ヘンテコシャンプー』みやにしたつや(学研・おはなしプーカ6月号)
3)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村敏雄(福音館書店)
4)『とべ!ちいさいプロペラき』小風さち作、山本忠敬・絵(福音館書店)

2011年5月30日 (月)

『きみの鳥はうたえる』佐藤泰志(河出文庫)その2

■さて、『きみの鳥はうたえる』だ。 東京近郊、中央線沿線で、一橋大学がある街(国立市か?)の本屋に勤める主人公のぼくと、同じ書店で働く佐知子、そして、ぼくと共同生活を営む失業中の静雄の、仲好し男子2人と新たに加わった女子1人の3人組(全員が、アラン・シリトー『土曜日の夜と日曜の朝』の主人公と同じ、21歳だ。ぼくは読んだことないけど。)による「楽しくてやがて哀しき、ひと夏の出来事」という、いわゆる「青春もの」の鉄板設定だ。 この設定で一番有名なのは、フランス映画『冒険者たち』の、アラン・ドロン、リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカスの3人組で、その日本版が『八月の濡れた砂』藤田敏八監督作品(日活)だ。村野武範、広瀬昌助、テレサ野田の3人と、湘南の海。主題歌は石川セリだった。これは名曲! 男3人+女1人だと『俺たちの旅』中村雅俊、田中健、秋野太作+金沢碧。男3人+女2人だと『ハチミツとクローバー』で、応用編としては、女2人+男1人の『わたしを離さないで』カズオ・イシグロがある。どの作品でも共通して、彼らは「夏の海」へ行く。 でも、デフォルトは、仲好し男2人と新たに加わった女1人の3人組だな。トリュフォーの『突然炎のごとく』がオリジナルなのか? ポイントは、男子2人がまるでホモ・セクシュアルかと誤解してしまうくらいに密着していることだ。主人公と静雄は、冷凍倉庫のバイトで出会った。ある時、静雄が言った。   「俺たち、贋物のエスキモーのようだ」と。

思わず僕は笑った。そのときに、僕はあいつが好きになった。
 その夏が終わったときに僕は、共同生活をしないか、とあいつに持ちかけた。静雄はふたつ返事で承知した。すぐに静雄は、今の僕らの部屋に引っ越してきたが、持ちものといったら、レコードが何枚かと蒲団だけだった。僕はあのときにはあきれてしまった。そのレコードは全部ビートルズのレコードで、それは静雄が失業してから、古レコード屋に二足三文で売り払ってしまった。(中略) 引っ越してきた日、静雄はレコードを僕に見せ、財産はこれだけだ、といい、アンプもプレーヤーも部屋にないのを知って、くやしそうに舌を鳴らしたものだった。僕らはあのとき焼酎で乾杯した。あいつはプレーヤーがありませんので僕が唄います、とふざけて、「アンド・ユア・バード・キャン・シング」を僕のために唄ってくれた。(p70)

静雄はこの時、どんなふうに「この曲」を唄ったのだろうか? サザンの桑田さんが唄ったバージョンはこれだ。


YouTube: 桑田佳祐 Keisuke Kuwa弾き語り生歌 The Beatles - And Your Bird Can Sing

ぼくは「この曲」を聴いたことがなかったのだが、なんとまぁ、いい曲じゃん! ジョン・レノンが作詞作曲した曲とのこと。なんとも不思議な歌詞だ。

JASRAC からの通告のため、歌詞を削除しました(2019/08/06)

■この歌を唄ったのは静雄だ。 ということは、You は僕で、Your Bird は、佐知子ということになるな。 『きみの鳥はうたえる』の解説で、井坂洋子氏はいう。 それにしても、「きみの鳥はうたえる」という作品は不思議だと。 ほんとにそうだ。ぼくも読んでいてそう思ったよ。 この主人公は変だ。 すっごく淋しがり屋で人恋しくて、常に親友におんぶに抱っこの関係を求めているのだけれど、でも、変に他人との距離を保つところがあって、親しいのに妙によそよそしかったりするのだ。 それは、佐知子との関係にも表れる。 この佐知子も、じつに不思議な女だ。いわゆる、ジョアンナ・シムカス的「ミューズ」なんだけれど、本人はさかんに否定しているが、どう見ても「尻軽女」なんだ。でも、バカじゃない。けっこう真面目だったりもする。トマトは包丁で切らずに丸ごとかじりつくのが好きで、林檎も丸ごとかじり、桃の皮を剥く姿がセクシュアルだったりする。それから、殴られた主人公が瞼に載せるのは、輪切りのレモンだ。なんか、妙に果物がいっぱいでてくる小説なのだ。 で、僕と静雄の蜜月関係に突然侵入してきた佐知子が言う。静雄は、芥川龍之介『蜘蛛の糸』のカンダタよ、と。さらに彼女は言う。静雄は子供でマザコンだと。 女は直感的に「その人の本質」を言い当てる。 でも、静雄といっしょに毎日暮らしてきた僕は、そんな静雄の一面に、全く気付くことがなかったのだ。 何故なら、密着しつつも、微妙な距離感を保ってきたので、結局は「本当の静雄の気持ち」をじつは全く理解していなかったのだな。佐知子のほうがよっぽど静雄を理解していた。そういう事実を、主人公は小説の最後に知ることになるのだった。 そのことは『草の響き』の主人公が、結局は暴走族のリーダー「ノッポ」のことを、あ・うんの呼吸で全て理解しているような気がしていたのに、じつは何にも分かっていなかった、という事実を最後に知ってショックを受けたことと、小説の構造的には同じだと思った。つまりは、歌のタイトルである「ユー・キャント・キャッチ・ミー」であり、「アンド・ユア・バード・キャン・シング」なのだ。 でも、この主人公が味わう「おいてきぼり感」に、いま読んでも不思議とリアリティがあるように思う。

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