『復興の精神』(新潮新書)を買った。
■信濃毎日新聞、毎週水曜日の朝刊で連載されている『怪しいTV欄』町山広美さんのファンだ。連載当初から読んでいるから、もう数年来の愛読者なのだが、放送作家「町山広美」さんと映画評論家「町山智浩」氏が、実の兄妹であることを知ったのはつい最近のことだ。
町山智浩氏は、最近ツイッター上で日垣隆氏をおちょくって遊んでいるが、けっして陰湿でないところが凄い。あくまでも紳士的に客観的にみて事実と異なる点だけを指摘する。日垣氏がこてんぱんにやりこめられて痛快ですらある。でも、日垣氏は長野高校出身だから、あまりいじめないでね。
■ところで、先週の水曜日に載った町山広美さんの『怪しいTV欄』のタイトルは「はしゃぐ政治家たち」。彼女はこう言っている。
首相退陣を求めるここ3週間ほどの動き。ニュースを見るたびに、あきれてしまった人がほとんでではないかと思います。
自民党の谷垣総裁を筆頭とする、政治家の皆さんのはしゃぎぶりはすごかった。「そんなことしてる場合か」と非難を浴びることを想像できない不思議。なにが彼らをあそこまではしゃがせたのか。
菅首相が脱原発の方向へ傾斜してきたから、原発の恩恵を受けている人たちが騒ぎだしたち見る向きも多いようです。(中略)
私が感じたのは、とてもあいまいな話になってしまいますが、気分です。はしゃぐ政治家たちを見ていて、この人たちの気分は「戦後」なのだと思いました。
復旧、復興でお金が動く。その恩恵にあずかりたい。見事に立ち回ってみたい。自分たちの先輩たちがやったようなことを、やってみたいなあ。(中略)
しかし、事は起きました。震災の膨大な被害、解決の光明が見えない原発事故。
そして色めき立つ人たちがいます。戦後をうまく生きた先輩たちのように、よっしゃ!俺も、と。
政治家、権力に近い人たちはそうかもしれません。でもそれ以外の人は違う、と私は感じています。これからが厳しい。そのことがちゃんとわかっている。戦後ではなく、むしろ戦前。長く苦しい戦いが始まったのだと、しっっかり感じている多くの人たちと、はしゃぐ政治家。そこには、目のくらむような落差が。(信濃毎日新聞朝刊・6月15日付より引用)
ほんと、そのとおりだよなぁ、と思う。だって、どう考えても、日本の、3.11 以前と同等、いやそれ以上の復興、復旧は「絶対不可能」だと思うから。もう、以前の経済発展は望めまい。これからはどんどん「右肩下がり」になってゆくだろう。国民皆が自分の生活水準を「ダウン・サイジング」してゆく必要に迫られているのだった。
昨日買ってきた『復興の精神』から、しばらく病床にあったという橋本治氏の論考「無用な不安はお捨てなさい」を読んだ。
太平洋戦争後の日本の復興は、ある意味で単純だった。戦争中の長い耐乏生活があって、廃墟の戦後がやって来た。足りないものを作り出し、増やす --- この一直線の道筋を辿って、日本は廃墟から復興し、繁栄へと至った。しかし、今度の復興はそんなに単純なものではない。繁栄を達成してしまった後の飽和状態 --- それが下り坂になっているところからスタートする。(中略)
1995年の一月に起こった阪神淡路大震災は、「バブルがはじけた」と言われてから数年後の災害だった。「右肩上がりの経済成長はもうない」ということを、どれだけの人が呑み込んでいたかは分からない。しかもこの災害は、大都市神戸を中心とする都市の災害でもあった。「他の都市が健在である中で、神戸だけが転落してよいものか」という思いが、復興へのモチベーションとしてはあったはずだ。こういう言い方をしてもいいかどうかは分からないが、だからこそ、神戸は簡単に甦った。(『復興の精神』新潮新書 p163)
なんか、町山広美さんと橋本治氏が言いたいことは同じなんじゃないかと思ったよ。
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