2012年2月15日 (水)

『えをかく』谷川俊太郎、長新太 +湯浅学

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■『音楽が降りてくる』湯浅学(河出書房新社)が面白い。もったいないから、少しずつ少しずつ読んでいる。ちょうど、小西康陽のコラム本を読むような感じでね。で、先日ふと 177ページを開いて「かこうと思えば 長新太」を読んでみたのだ。いや、たまげた。音楽評論家の手による「絵本評論」というものを生まれて初めて読んだのだが、鋭すぎるぞ! 絵本関係者による「長新太論」はずいぶん読んできたけれど、こんな切り口、文章の組立方があったとは。ほんと驚きましたよ。(以下抜粋)


 毎晩寝るときに娘に本を読んで聞かせていた。娘が生まれるずっと前、所帯を持つ前から俺の本棚には長さんの本がたくさんあった。

今でもたくさんあり、その数は増え続けている。長女は長さんの本が好きである。『ゴムあたまポンたろう』は連続20夜読んだ後、二日おいてさらに10夜、その後も断続的に何回も何回もリクエストされた。

『つきよのかいじゅう』で長女は三歳のとき、シンクロナイズド・スイミングを知った。本の背がはがれてからも「ボコボコボコボコ ボコボコボン」と読まされた。

『おばけのいちにち』も『ちへいせんのみえるところ』も『わたし』も『おなら』も『やぶかのはなし』も読んだ。四年間、長さんの本を読まない日はなかった。

その中に『えをかく』があった。



娘は谷川俊太郎も好きだ。『これはあっこちゃん』を読んで俺がクタクタになる様を見て大よろこびし、「じゃあ次、『えをかく』」というオーダーは、音読という修行であった。本を開いて、

「まずはじめに、じめんをかく」

 と声に出してみると、いつでも、ねっころがって読んでいるにもかかわらず、背筋がしゃんと伸びた。読み進みながら、音読の速度は増した。リズムがいいとか、のりが快調とか、そういうのとはちょっとちがった。音楽でいうグルーヴというものではなく、言葉と絵に、自分で発している音が加わって、ぐにゃぐにゃどたどたすいすいと動き出して止まらなくなってしまう。目の前に風景が広がるのではなく、次々に登場するものが日によってまったく異なった動きで重なり合ったり、ポコッポコッと浮かび上がってはあたりに漂っていったりする

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 長さんの『えをかく』の絵は少しずつ、くぐもった発色になっていて、線のにじみが他の作品には見られない調子になっている。見開きごとに関連性のあるものが描かれているが、すべてがひとつの連鎖の中にある。

『えをかく』は、もともと一編の詩として、今江祥智さんの編集する<児童文学1973 / 1>に発表されました。それを絵本にしようと、いじわるなことを考えたのも今江さんですが、長さんは一言半句たがえず、詩のとおりに『えをかく』というはなれわざで、みごと難問に答えてくれました。(『えをかく』復刻版あとがき)

 と谷川俊太郎さんは記している。

 たとえば、長さんは「かぜをかく くもをかく くものかげを」かいてしまう。「かばもかく」がそのかばは薄い灰色の丸いにじみだ。このあっさりとした灰色のシミは、あまりにもあまりにもそこはかとなくかばなのだ。ああああシミジミと、かば。

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シミがシミジミしているのはあたりまえじゃないの、ばか。とおっしゃるかもしれませんが、その次の次のページを見てみなさいよ、あなた。 「めにみえない たくさんの プランクトンをかく」んですよ。かいてしまうんですよ長さんは。こんなにシミジミとしたプランクトンは、この世でもあの世でも長さんにしか、かけません。


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 ページの右の端に、薄い灰色と黄色いシミが点々とある、めにみえない、たくさんのプランクトン。その次に長さんは、ゆき、こおり、しも、ゆうだち、さみだれ、てんきあめ、ひさめ、はるさめ、おおあらし、それらをすべてかく。かいてしまっている。

 最初にこの本を読んだとき(二十七年前)は黙読だった。読んで聞かせる相手が俺にはいなかった。長さんはすごいなあ、と思った。子どもが生まれて、声に出して読みながら絵を見つめていたら

「ゆうべのゆめをかく しにかけた おとこ もぎとられた うで ながれつづける ちと くさりはじめた にくをかく つむられた めと かわいた なみだをかく」のあたりでだんだん胸がどきどきしてきて、「しわくちゃの おばあさんをかく いっぽんいっぽん しわをか」かれたおばあさんの上に四角いワクの中に「なまえ」と描いてあるのを見ながら「それから えのどこかに じぶんのなまえをかく」と読み上げるころには目が涙でいっぱいになっていた。

「そして もういちまい しろいかみを めのまえにおく」

 と最後のページを読みながら俺は泣いた。最後の最後で再び、

「まずはじめに じめんをかく」

 と読み終えて、俺は流れ落ちる鼻水を止めることができなかった。言葉と絵に乗せて俺の中の過去が渦を巻き、粒になって飛び散っていった。娘に知られぬよう素早く鼻をかみ、涙をぬぐった。


『長新太 こどものくにのあなきすと』(KAWADE道の手帖・河出書房新社)
 p152〜153「かこうと思えば」湯浅学 より抜粋。

(俺、この本持ってたのに、湯浅氏の文章を読んでなかったのだ。失敗失敗。)
『音楽が降りてくる』湯浅学・著(河出書房新社)p177〜183に再録


2012年2月12日 (日)

「ちくわぶ」のこと

■だいこんが好きだったのだ。昔から。


こんな木枯らし吹きすさぶ夜には、きまって厚切りの大根を炊いたヤツを「ハフハフ」言いながら無性に食いたくなる。ただ、気をつけないと『じごくのそうべえ』の人呑鬼か、伊丹十三『女たちよ!』(文藝春秋)p53 の「■犬の歯を抜く話」になってしまうから要注意。


美味しいダイコンは、独身者にはなかなか食えるものではない。医者になってまだ3年目の僕がそうだった。当時ぼくは、信州中野にある厚生連北信総合病院小児科の勤務医だった。あまりよく憶えてはいないのだけれど、長野「すき亭」の本店が中野「福田屋」なのだが、その近くにオバチャンが一人でやってる「一杯飲み屋」があった。そのオバチャンが炊いたダイコンが、めちゃくちゃ旨かったのだ。

あらから20数年が経つが、ダイコンを上手に炊ける女性といっしょになれたことは、ほんと、この上ない幸せなのではないかと、しみじみ思う今日この頃だったりするワケです。


彼女の料理でダイコンが登場するのは、まずは「鰤大根」。それから「おでん」ですね。


特に「おでん」は日々進化している。「牛すじ」も加わった。
重要なことは、煮詰めすぎないこと、と彼女は言う。


■先日、久々に「ちくわぶ」のことを考えて文章を書いた。facebook に載せたのだが、読者は10数人しかいないので、以下に再録させていただきます。再読の方、ごめんなさい。

「ちくわぶのこと」


食の「関東」と「関西」の境目は、ほぼ中央構造線に沿っているといわれている(ほんとか?) だから、だいたい大井川が境界線となるかな。越すに越されぬ大井川ってね。


となると、天竜川沿線(もとい、JR飯田線沿線です)の伊那は、正確には関西圏に分類されることとなる。実際ぼくは、つい最近まで「ちくわぶ」という「おでんのタネ」を知らなかった。だって、スーパーにも売ってなかったし。


開業して数年経った頃だったか、信大小児科の先輩の杉山先生が「スーパーにちくわぶが売っていないのは何故?」とMLで発言しているのを読んで、ぼくは生まれて初めて「ちくわぶ」の存在を知った。「何それ?」


さっそく妻に訊いてみた。「ちくわぶって、知ってる?」彼女も知らなかった。どうも関東だけの「おでんネタ」で、中部地方から関西方面では存在しないらしい。


ところが、それから数ヶ月したある日、ベルシャイン伊那の紀文おでんコーナーに「ちくわぶ」を発見した彼女は、嬉々として「あったわよ!ちくわぶ」と言った。見ると、ちくわとは似ても似つかぬ白いメリケン粉の固まりを星形に長く成形した、まるで脱色した「ナマコ」のような変な物体がそこにあった。


正直、こんな「うどん粉」が美味いのかよ! そう思った。ところがだ。おでんの出しが芯まで(いや、ちくわと同じく芯はないのだ、ちくわぶには。)しみ込んだ煮込んで2日目くらいの「ちくわぶ」が、この世のものとは思えないほど美味かったのだな(何をまた大げさな)


以来、わが家のおでんには「ちくわぶ」が必需品となったのでした。今や子供たちも大好きで、ちくわぶの親子争奪戦が日夜繰り広げられているのでした。(おわり)

■じつは、これとほぼ同じことを、「2009/01/14の日記」で書いている。こうして、3年前の日記を読み返してみると、いや、面白いじゃないか! 思わず読みふけってしまった。それにしても、昔のほうが今よりもずっと面白いぞ。だめじゃないか。


2012年2月10日 (金)

続「宮沢章夫のエッセイ」は、どこが面白いのか?

■今夜もしつこく「この問題」を考えてみたい。

いろいろとググって、ずいぶんと宮沢さんの『牛への道』の感想を読んでみたのだが、どれもこれも似たり寄ったりで、どうも納得がいかない。ぼくが言いたいことは、そうじゃないのだ。


ならば、自分で言えよ!ってか。でも、それができないから歯がゆいのだよ。


昨夜、西春近の「テルメリゾート」3Fのトレッドミルで8km走ってお風呂で汗を流し、夜10時半過ぎ。久々に閉店直前の「ブックオフ」へ立ち寄った。今日の狙い目は、あくまで 105円コーナーのみ。まずは、最近マイブームの高峰秀子。このところずっと探している『わたしの渡世日記 上・下』は残念ながらなかった。でも、『コットンが好き』高峰秀子(文春文庫)を見つけた。¥400だ。カラー写真満載のこの本は、たしか「さとなお」さんも褒めていたぞ。というワケで、400円出して購入。


このところ探している作家さんは、今野敏『奏者水滸伝シリーズ』、堀江敏幸の文庫本、マイクル・コナリーの講談社未読文庫本、それから、宮沢章夫のエッセイ本だ。


そしたらなんと、105円の雑学本のコーナーに、宮沢章夫の新潮文庫から出ているエッセイが(しかも美本!)2冊もあったのだ。ラッキー! これだから定期的なブックオフ巡回は欠かせないな。


で、買った本はというと、『わからなくなってきました』宮沢章夫(新潮文庫)と『よくわからないねじ』宮沢章夫(新潮文庫)。後者はね、高遠町図書館で借りた『百年目の青空』と同じ本で、すでに一度読んだことがあったのだ。って、買ってから気が付くなよな!


■ところで、文庫『わからなくなってきました』の解説を、超ベテラン劇作家である「別役実」が書いていて、ぼくはまず「あとがき」や「解説」から本を読む癖があるから、読んでみたワケです。別役実。


そしたら、別役氏は見事に「宮沢章夫のエッセイは、どこが面白いのか?」を言語化して見せてくれたのです。なるほどなぁ、そうだったんだ。「ホップ・ステップ・ジャンプ」か! うまいこと言うなぁ。


なんか、1週間くらい便秘していたオバサンの排便後みたいな気分。 


ちょっといい加減な言い回しで、ごめんなさい。


2012年2月 5日 (日)

『牛への道』宮沢章夫(新潮文庫)の、どこが面白いのか。

■とにかく、このところのインフルエンザ大流行のせいで、物理的に自由になる時間が極端に減ったことに加え、昼休みも取れず午前からほぼ連チャンの午後の診療がようやく終わって、夜8時過ぎに遅い夕食を取れば、もうテルメに走りに行く元気もなく、血糖値が上がったところで睡魔に襲われ、午後9時半前にはベッドで朝まで寝てしまうという有様。

昨夜がまさにそんな一日であった。


だから、ブログなど更新している間がないのだ。 スミマセン。


■あと、もう一つ更新を怠った理由がじつはある。


『牛への道』宮沢章夫(新潮文庫)の、いったいどこが面白いのか、納得がいく説明ができるのかどうかずっと考えていたのだ。


■例えば、伊丹十三『女たちよ!』の場合、以前に読んだのは何十年も前なのに、それでもタイトルを見れば所々少しは記憶に留めていた。ところが『牛への道』の場合、エッセイのタイトルを見ても「どんな話」だったのか、全く記憶に残っていないのだ。あの有名な「崖下のイラン人」ですら、もう4〜5回は読んで、その度に笑っているはずなのに、いまこうして書きながらも何だったのかよく思い出せない。


伊丹十三の場合、男のダンディズムとか「こだわり」とか「うんちく」とか、こうでなければいけないという主義主張に満ちていた。それが、単なるキザとか、鼻持ちならぬ嫌らしさにならないところが伊丹十三の伊丹十三たる所以なワケで。


ところが、宮沢章夫氏はアプローチがぜんぜん違う。「だからなんだ?」という「どうでもいいこと」に一人こだわって、こだわって、考えて考えて文章にしている、その過程の文章が「そこはかとなく」面白いので、どんな話だったのかうまく要約できないのだ。だからたぶん僕の記憶に定着しないのだと思う。


逆に言うと、何度読んでもその度に初めて読んだ感覚で新鮮に大笑いすることができる、という全くもって稀有な本なワケです。こんな本ないぜ! あと、いろんな人が忠告しているけど、「この本」を通勤電車の中で読んではいけない。トイレでこそ読むのが正しいのデス。


■この本の「第三章」までは以前にも何度か読んでいたのだが、第四章「読むという病」は今回初めて読んだ。いや、面白いじゃないか!


宮沢氏が読んで面白かった本を紹介しているのだが、不思議なことに「その本」を読んでみたいとは決して思わないのだ。面白いのは「その本」に興味を持った宮沢氏の文章なのであって「その本」ではないのだな。


それと正反対なのが、『第二図書係補佐』又吉直樹(幻冬舎よしもと文庫)だ。読書好き芸人の又吉が読んで好きな本を紹介しているのだが、「その本」のことはラスト3行になってようやく言及されるだけなのに、それなのに、読んでいて「その本」がどうにも読みたくてしかたなくなっているのだった。不思議だ。

又吉は凄いぞ!


ぼくが好きなのは、古井由吉『杳子』を紹介しているページ。


2012年1月28日 (土)

『女たちよ!』伊丹十三(新潮文庫)

■(前回の続き)『牛への道』宮沢章夫(新潮文庫)も、『女たちよ!』伊丹十三(新潮文庫)も、今回再読だったのだが、再読に耐える(いや、再読する価値のある)エッセイ本て、実はそう多くはない。


伊丹十三『女たちよ!』は、文春文庫版(初版発行:1975年01月25日)が出てすぐ買って読んだ記憶があるから、僕はたぶんまだ高校生だったワケで、当時はその書かれている内容の半分も理解できなかったのではないかと今は思う。


それでも、37年ぶりに読んでみて、スパゲッティの茹で方は「アル・デンテ」で、矢作俊彦『スズキさんの休息と遍歴』にも登場する「シトロエン2CV」は「ドゥシーボー」で、ジャガーでなくて「ジャグア」だとか、二日酔の虫を「こめかみ」からサナダムシみたいに引っ張り出す話、「床屋の満足」のはなし。それから「目玉焼きの正しい食べ方」のことは確かに憶えていた。


つい最近、「清水ミチ子さんのブログ」で「目玉焼きの一番おいしい食べ方」に関して北山修氏が書いていた文章に感心したとの記載を読んだけど、その本当の原典は「伊丹十三」ですよ!


■今回この本を再読してみて、ひたすら驚くことの連続だった。初版は 1968年08月01日。今から45年近くも前の大昔に書かれたエッセイなのに、ぜんぜん古くない。ていうか、今でこそ誰もが知っている「当たり前」の事実(パスタの茹で方はアルデンテで、ボンゴレもカルボナーラもよく知ったメニュー)を、伊丹十三氏は当時すでに「当たり前」のこととして実際に味わって体験していた、という事実に驚くのだ。


それから「クルマ」の話。今なら、伊那市西春近の「テルメリゾート」第二駐車場に車を停めれば、必ず色違いで2台は目にする「ミニ・クーパー」。文字で目にした最初が「この本」だったな。そうして、ぼくが映画の中で初めて「この車」を見たのが、映画『お葬式』。烈しい雨が降る深夜の東名高速を、山崎努のマネージャーである財津一郎がぶんぶんワイパー回しながら、地を這うように運転する車が「ミニクーパー」だった。なるほどカッコイイじゃないか。そう思った。


(追記:書きながらちょっと気になって検索してみたら、財津一郎が運転してたのは、HONDA CITY TURBO II で、山崎努が運転していた方がミニクーパーだったらしい。ごめんなさい。いま手元にビデオもDVDもないので確認はできないが……)


あと、ミニバン流行の日本では、シートの倒し方次第でどれだけ沢山の荷物を積むことができるかを競っているワケだが、そんなことずっと昔から伊丹氏は「ルノー16」を評して既に看破しているのだな。もうビックリ!


で、かなわないのは、やっぱりファッションの話かな。シックではなくて、彼にとっては「シィク」なんだ。シックの発音だと病気になっちゃうからね。


ピーター・オトゥールが気楽に話せる友達だったという、伊丹十三という日本人。本当に凄い人だったのだなぁ、としみじみ感じる今日この頃のワケで。

2012年1月26日 (木)

トイレで読むための本について

■前回は「この話題」まで行き着けなかった。よくあるのだ、こういうこと。タイトルに偽りありってね。ごめんなさい。


2年前、本格的にダイエットすることを目指して、まず始めたのは「ツムラ防風通聖散」を飲むことだった。高血圧ぎみだったし、メタボで腹位が増し、内蔵脂肪がパンパンだったからだ。


ただ、防風通聖散を飲むと便がゆるくなる。しかも、日に2度3度と排便したくなる。決して下痢にはならないので苦にはならないが、それだけトイレの個室で過ごす時間が増えるのだった。そうなると、妙に退屈なのだ、トイレの中というのは。


となれば本でも読むしかあるまい。でも、長編小説をトイレで読むのは向かない。排便してスッキリした気分になったのと同時に読み終わる長さのエッセイが一番よい。できれば1〜2ページで終わって、短いのに芳醇なワインの味わいのごとき読後感が得られるもの。となると、おのずから限られてくるな。

で、ぼくの経験からの「オススメ」はというと、


1)『牛への道』宮沢章夫(新潮文庫)トイレで読むための全ての条件を備えたスグレ本
2)『女たちよ』伊丹十三(文藝春秋)この人は50年先を生きていたことがよくわかる
3)『第2図書係補佐』又吉直樹(幻冬舎よしもと文庫)巧い。ほんと。たいしたもんだ
4)『ポケットに名言を』寺山修司(角川文庫)寺山さんも凄い読書家だったのだ!


なのだが、2)を読み終わり、いま読んでいるのは、『にんげん住所録』高峰秀子(文春文庫)だ。


この人も、ほんと文章が巧い。ほれぼれする。

でも、はたして排便しながら読んだのでは、高峰秀子さんに失礼なような気がしてならないのだった。

2012年1月24日 (火)

トイレで読む本と、SHURE/ SE215 を買ったこと。

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■この2年半使ってきたイヤホン「SHURE/ SE115」が、とうとう断線して接触不良を来すようになってしまった。これだけハードに使ってきたのに、それにしてもよく耐えて保ってくれたものだ。このイヤホンにしてから、本体の iPod Shuffle のほうは4機替わった。コイツの前に使っていたのがやはり「SHURE/ E3」。1万円前後のイヤホンの中では一番評判がよかったのだ。


仕方ないので、新しいイヤホンを購入することにした。となれば、後継機種もやはり SHURE かな。というワケで、ネットを検索したら1万円前後の価格帯で昨年「SHURE/ SE215」ってのが出ていることが分かった。しかも、なかなか評判もいいじゃないか。思わず何も考えずに amazon のボタンを「ポチ」っと押してしまったら、今日の午前中にもう届いた。


さっそく聴いてみる。もちろん、エイジングしてからでないと本当の実力は分からないのだが、 SE115 よりもずいぶんとダイナミック・レンジが広い。左右ワイドに音が横に広がる感じがする。低音もよく出ているし、高音の切れもいい感じだ。ただ、まだちょっと耳にキツイかな。もう少し慣らせば良い感じになるような気がする。


耳へのフィット感は、この SE215 が一番いいんじゃないか。


ただ、やたらとコードが長いのが困る。これはちょっと邪魔になるな。巻き取り器がやはり必要だ。

2012年1月22日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その87)飯島町「七久保保育園」

■今日は、上伊那郡飯島町「七久保保育園」の日曜参観日で、われわれ「伊那のパパズ」が呼ばれた。午前9時45分開演。早いな。ということは、わが家を8時半過ぎには出ないと間に合わない。でも、いろいろあってバタバタしながら自宅を後にしたのは 8時40分。ぶんぶん飛ばして 9時20分前になんとか到着。でも、入口が分からない、あちゃ。


■開演にはなんとか間に合ったよ。よかったよかった。

思ったよりも大きくてきれいな保育園。70数名の園児とその親御さん(おとうさんがいっぱい!)が150人近く集まってくれた。


<本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ・大和田 美鈴 (鈴木出版)

2)『コッケモーモー』徳間書店 (2001/11) →伊東

3)『あなのなか』森あさ子(岩崎書店) →北原

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倉科パパが、新しく購入したばかりの「スマホ」で、写真をを撮って送ってくれたのだ。


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4)『かえるをのんだととさん』日野 十成著、斎藤 隆夫絵(福音館書店) →坂本


5)『かごからとびだした』(アリス館)

6)『へんしんトイレ』あきやまただし(金の星社) →宮脇

7)『じごくのそうべえ』田島征彦・作(童心社) →倉科

8)『ふうせん』(アリス館)
9)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

10) 『パンツのはきかた』岸田今日子・作、佐野洋子・絵(福音館書店) →アンコール。



2012年1月21日 (土)

あぁ、芥川賞を取らない「いしいしんじ」さんは凄いな。


YouTube: 「よんとも」いしいしんじさん&豊崎由美さんトークイベント


■この、トヨザキ社長と「いしいしんじ」氏との年末の京都での対談は、ものすごく面白い。いしいさんて、こういう声してたのか。それにしても早口だな。


何よりも驚くのは、いしいさん話が面白すぎる! 話が上手すぎることだ。あと、作家と読者の関係のとらえかた。そうなんだよなぁ。煙がたなびく感じなんだなぁ。作家の感じ方と読者の感じ方の違いの感覚を、じつにうまく例えている。


いしいさんが高校生の時にアメリカ留学した話が、まずは面白い。日本人が一人もいないアメリカ中西部の田舎、チャールストンに行った時の話。本当はシカゴに迎えに来てくれている人がいなくて、7時間待っても関係者は来なくて、しかたなくカウンターに行って黒人のオバチャンに訊いたら、郵便飛行機が飛ぶから、あんた郵便物になれば乗れるわよ、って。


すごい話だよなぁ。英語もろくに喋れない高校生が、日本を旅立ち17時間。ようやくシカゴに着いたかと思ったら、このありさま。で、さらに面白いのは、リチャード・ブローティガンの訳者として名高い藤本和子さんが当時、いしい青年が郵便物として到着した町、シャンペーンに住んでいたということ。高校生の彼は、アメリカ中西部イリノイ州の田舎を舞台にしたレイ・ブラッドベリやシャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ・オハイオ』に感動していたんだって。そう、今でいえば佐藤泰志の『海炭市叙景』(小学館文庫)は、文庫解説の川本三郎氏によれば『ワインズバーグ・オハイオ』の日本版なのだという。気になるではないか。


■それから、ぼくの好きな小説『みずうみ』について語るうちに、いしいさんが実はその昔に読んだ『ドリトル先生と秘密の湖』から、ぜんぜん気付かずに『みずうみ』を書くことになったことを、ただいま、トヨザキ社長と対談しながら発見した場面が見物だ。

■NHKBS2『週刊ブックレビュー』の、宮崎での公開収録のはなしが面白い。司会は児玉清さんで、その少し前に娘さんを癌で亡くしたばかりだった。いしいさんも、松本の丸の内病院で奥さんが妊娠5ヵ月で死産したばかりだった。放送では、そうしたお互いの個人的な事情は一切話さなかった。


いしいしんじさんが紹介した一冊は『さりながら』フィリップ・フォレスト著・澤田直訳(白水社)

「この小説は、ある種の悲しみは絶対に乗り越えることができないことを書いてますよね。じゃ、それはどうすればいいのか、ということを児玉さんと延々とこう話をして、じゃ、乗り越えられない悲しみをどうすればいいのかということを、二人で探っていった感じがあるんですけど、結論が出たんですよ。」


「それは何かと言ったら、忘れないことだ。その出来事を。すごく大切にすることだ。それしかない」(開始1時間15分ぐらい)このあたりの会話はほんと深いぞ。

2012年1月18日 (水)

なんか、お芝居をナマで観たいのだ。

■最近無性に「芝居」が観たいと思うのだった。


最後に観たのは、伊那のパパズの伊東先生から譲ってもらったチケットで、駒ヶ根文化会館の前から3列目の席で観劇した劇団四季のミュージカル「クレイジー・フォー・ユー」。主演のボビー・チャイルド役は加藤敬二だった。ダンスも歌も抜群だったな。ガーシュィン・ナンバーのジャズも最高だ。役者さんの汗まで見える、かぶりつきの席もよかった。これだけの席はなかなか取れません。


その前に観たのも、やはり劇団四季だ。数年前の年末に家族で東京へ行った際、四季劇場で『ライオン・キング』をファミリー席で観た。舞台装置、演出、衣装、役者さん。みなスゴク洗練されていて感心した舞台だった。


あと、家族で観たお芝居は、7年前まで「伊那おやこ劇場」に参加していたから結構ある。ディズニー・アイスショーとかも見に行ったなぁ。シルク・ド・ソレイユのサーカスも代々木に観に行った。


富士見に住んでいた時に、岡谷カノラホールで観たお芝居が、劇団離風霊船の名作『ゴジラ』だった。この時、主演の高橋克実を初めて見た。当時はまだ、髪の毛「ふさふさ」だったよ。あのラストは衝撃的だった。舞台であそこまで表現できるとは!


松本にいた頃は、夫婦で松本市民劇場に加入して、2ヵ月に1ぺん、いろんなお芝居が観れた。その前に松本に居た時はまだ独身で、あの頃は何故か松本で演劇が盛り上がっていて、毎年「松本現代演劇フェスティバル」が開かれていた。

その時に観たお芝居が、ブリキの自発団「夜の子供」。それから、善人会議『新羅生門』も見た。主演は六角精児。大杉漣、片桐はいり、高橋克実らをナマで見た時は思いもしなかったな、彼らが連日のようにテレビに登場するようになるとは! あと、劇作家・北村想が主宰する名古屋の劇団「プロジェクト・ナビ」の宮澤賢治を主題とした芝居も観たなぁ。その前年には、松本城の横の野外で「寿歌西へ」が上演された。これは残念ながら観られなかった。


ぼくは映画青年ではあったけど、演劇には正直言って興味はなかった。だから学生の頃は、ほとんどお芝居を観ていない。だからこそなのだが、当時、平砂学生宿舎共用棟「娯楽室」で上演された、筑波小劇場の『飛龍伝』つかこうへい原作、山登敬之主演の芝居が、いまだにものすごく印象に残っている。つかこうへいを知らなかったしね。ましてや「熱海殺人事件」も「蒲田行進曲」も。


芝居の劇場は、映画館の雰囲気とは似ているようでぜんぜん違う。それは、舞台上の役者の息づかいが、客席にいてもリアルに生で体感できることだ。役者と観客とが一体となって「場の空気」を作り出す。しかもそれは再現不可能であり、一期一会なのだ。


■ところで、そんな「お芝居素人」のぼくではあるが、数少ないながらも今まで観てきた中でベスト3を選ぶとしたならば、そうだなぁ。


1位:劇団自由劇場 『上海バンスキング』
2位:劇団転形劇場 『水の駅』『砂の駅』
3位:劇団こまつ座 『きらめく星座』


かな。

あぁ、ナマでお芝居が観たいぞ!

と、昔に録画しておいた、NHKBS2「ミッドナイトステージ館 昭和演劇大全集」加藤健一事務所『寿歌』(北村想・作、1982年、新宿紀伊国屋ホールにて収録)をテレビで観ながら切にそう思うのだった。


『寿歌』のポイントは、「キョウコはん」だ。彼女のIQは少し低い。たぶん75ぐらいか。一応正常範囲内だが、境界線領域の知能。このお芝居ではそこが重要なんだ。


■今年の1月5日に初日を迎えた、シス・カンパニーのお芝居『寿歌』には、いままでなかった「プロローグ」が原作者の北村想によって書き加えられたのだという。


北村想さんが、キョウコ役の「戸田恵梨香」を見て、是非にと書き加えたのだそうだ。戸田恵梨香が演じる「キョウコはん」て、どんななんだろう? ああ、観てみたいぞ。


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