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2012年1月28日 (土)

『女たちよ!』伊丹十三(新潮文庫)

■(前回の続き)『牛への道』宮沢章夫(新潮文庫)も、『女たちよ!』伊丹十三(新潮文庫)も、今回再読だったのだが、再読に耐える(いや、再読する価値のある)エッセイ本て、実はそう多くはない。


伊丹十三『女たちよ!』は、文春文庫版(初版発行:1975年01月25日)が出てすぐ買って読んだ記憶があるから、僕はたぶんまだ高校生だったワケで、当時はその書かれている内容の半分も理解できなかったのではないかと今は思う。


それでも、37年ぶりに読んでみて、スパゲッティの茹で方は「アル・デンテ」で、矢作俊彦『スズキさんの休息と遍歴』にも登場する「シトロエン2CV」は「ドゥシーボー」で、ジャガーでなくて「ジャグア」だとか、二日酔の虫を「こめかみ」からサナダムシみたいに引っ張り出す話、「床屋の満足」のはなし。それから「目玉焼きの正しい食べ方」のことは確かに憶えていた。


つい最近、「清水ミチ子さんのブログ」で「目玉焼きの一番おいしい食べ方」に関して北山修氏が書いていた文章に感心したとの記載を読んだけど、その本当の原典は「伊丹十三」ですよ!


■今回この本を再読してみて、ひたすら驚くことの連続だった。初版は 1968年08月01日。今から45年近くも前の大昔に書かれたエッセイなのに、ぜんぜん古くない。ていうか、今でこそ誰もが知っている「当たり前」の事実(パスタの茹で方はアルデンテで、ボンゴレもカルボナーラもよく知ったメニュー)を、伊丹十三氏は当時すでに「当たり前」のこととして実際に味わって体験していた、という事実に驚くのだ。


それから「クルマ」の話。今なら、伊那市西春近の「テルメリゾート」第二駐車場に車を停めれば、必ず色違いで2台は目にする「ミニ・クーパー」。文字で目にした最初が「この本」だったな。そうして、ぼくが映画の中で初めて「この車」を見たのが、映画『お葬式』。烈しい雨が降る深夜の東名高速を、山崎努のマネージャーである財津一郎がぶんぶんワイパー回しながら、地を這うように運転する車が「ミニクーパー」だった。なるほどカッコイイじゃないか。そう思った。


(追記:書きながらちょっと気になって検索してみたら、財津一郎が運転してたのは、HONDA CITY TURBO II で、山崎努が運転していた方がミニクーパーだったらしい。ごめんなさい。いま手元にビデオもDVDもないので確認はできないが……)


あと、ミニバン流行の日本では、シートの倒し方次第でどれだけ沢山の荷物を積むことができるかを競っているワケだが、そんなことずっと昔から伊丹氏は「ルノー16」を評して既に看破しているのだな。もうビックリ!


で、かなわないのは、やっぱりファッションの話かな。シックではなくて、彼にとっては「シィク」なんだ。シックの発音だと病気になっちゃうからね。


ピーター・オトゥールが気楽に話せる友達だったという、伊丹十三という日本人。本当に凄い人だったのだなぁ、としみじみ感じる今日この頃のワケで。

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