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2012年2月12日 (日)

「ちくわぶ」のこと

■だいこんが好きだったのだ。昔から。


こんな木枯らし吹きすさぶ夜には、きまって厚切りの大根を炊いたヤツを「ハフハフ」言いながら無性に食いたくなる。ただ、気をつけないと『じごくのそうべえ』の人呑鬼か、伊丹十三『女たちよ!』(文藝春秋)p53 の「■犬の歯を抜く話」になってしまうから要注意。


美味しいダイコンは、独身者にはなかなか食えるものではない。医者になってまだ3年目の僕がそうだった。当時ぼくは、信州中野にある厚生連北信総合病院小児科の勤務医だった。あまりよく憶えてはいないのだけれど、長野「すき亭」の本店が中野「福田屋」なのだが、その近くにオバチャンが一人でやってる「一杯飲み屋」があった。そのオバチャンが炊いたダイコンが、めちゃくちゃ旨かったのだ。

あらから20数年が経つが、ダイコンを上手に炊ける女性といっしょになれたことは、ほんと、この上ない幸せなのではないかと、しみじみ思う今日この頃だったりするワケです。


彼女の料理でダイコンが登場するのは、まずは「鰤大根」。それから「おでん」ですね。


特に「おでん」は日々進化している。「牛すじ」も加わった。
重要なことは、煮詰めすぎないこと、と彼女は言う。


■先日、久々に「ちくわぶ」のことを考えて文章を書いた。facebook に載せたのだが、読者は10数人しかいないので、以下に再録させていただきます。再読の方、ごめんなさい。

「ちくわぶのこと」


食の「関東」と「関西」の境目は、ほぼ中央構造線に沿っているといわれている(ほんとか?) だから、だいたい大井川が境界線となるかな。越すに越されぬ大井川ってね。


となると、天竜川沿線(もとい、JR飯田線沿線です)の伊那は、正確には関西圏に分類されることとなる。実際ぼくは、つい最近まで「ちくわぶ」という「おでんのタネ」を知らなかった。だって、スーパーにも売ってなかったし。


開業して数年経った頃だったか、信大小児科の先輩の杉山先生が「スーパーにちくわぶが売っていないのは何故?」とMLで発言しているのを読んで、ぼくは生まれて初めて「ちくわぶ」の存在を知った。「何それ?」


さっそく妻に訊いてみた。「ちくわぶって、知ってる?」彼女も知らなかった。どうも関東だけの「おでんネタ」で、中部地方から関西方面では存在しないらしい。


ところが、それから数ヶ月したある日、ベルシャイン伊那の紀文おでんコーナーに「ちくわぶ」を発見した彼女は、嬉々として「あったわよ!ちくわぶ」と言った。見ると、ちくわとは似ても似つかぬ白いメリケン粉の固まりを星形に長く成形した、まるで脱色した「ナマコ」のような変な物体がそこにあった。


正直、こんな「うどん粉」が美味いのかよ! そう思った。ところがだ。おでんの出しが芯まで(いや、ちくわと同じく芯はないのだ、ちくわぶには。)しみ込んだ煮込んで2日目くらいの「ちくわぶ」が、この世のものとは思えないほど美味かったのだな(何をまた大げさな)


以来、わが家のおでんには「ちくわぶ」が必需品となったのでした。今や子供たちも大好きで、ちくわぶの親子争奪戦が日夜繰り広げられているのでした。(おわり)

■じつは、これとほぼ同じことを、「2009/01/14の日記」で書いている。こうして、3年前の日記を読み返してみると、いや、面白いじゃないか! 思わず読みふけってしまった。それにしても、昔のほうが今よりもずっと面白いぞ。だめじゃないか。


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