2017年1月 1日 (日)

あけましておめでとうございます。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

■最近は、ベストテンを挙げるほど本を読んでないのでお恥ずかしいのですが、気になった本を思い出して、並べてみました。

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昨年に読んだ本の「マイベストの3冊」は、

  1)『1☆9☆3☆7』辺見庸(週刊金曜日→河出書房新社)

  2)『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)

  3)『ルンタ』&『しんせかい』山下澄人(講談社、新潮社)

ですかね。山下澄人さんには、今度こそ芥川賞を取って欲しいぞ! それから『ガケ書房の頃』の書影がないのは、スミマセン伊那市立図書館で借りてきて読んだ本だからです。ごめんなさい、山下賢二さん。あと、『コドモノセカイ』岸本佐知子・編訳(河出書房新社)もよかった。やはり書影はないけれど、片山杜秀『見果てぬ日本:小松左京・司馬遼太郎・小津安二郎』(新潮社)が読みごたえあった。そういえば、近未来バーチャルSFハードボイルドミステリー『ドローンランド』(河出書房新社)も読んだな。


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・文庫&新書も挙げておきますかね。じつは『エドウィン・マルハウス』。まだ第一部までしか読んでなかった。ごめんなさい。決してブレることのない小田嶋さん。信頼してます。ただ、もう少し内田樹センセイや平川克美氏と距離を置いたほうがよいのではないかな。

小田嶋さんは、決して全共闘世代ではないワケだからさ。ぼくらと同じ「シラケ世代」でしょ。

あと、載せるのを忘れたけれど、『優生学と人間社会』(講談社現代新書)。

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■CDで一番よく聴いたのは、『Free Soul 2010s Ueban-Jam』ですかね。自分の車(CX-5)に搭載されているので、エンジンをかけると必ずかかるのだ。ドライブ中に聴くとめちゃくちゃいいぞ!

次は、ハンバートハンバートの『FOLK』かな。初めてライヴに行ったし、やっぱり好きだ。おっと、カマシ・ワシントンを載せるのをすっかり忘れてしまったぞ。あれだけよく聴いたのに。

そして、小坂忠。渋いゼ! 松任谷正隆のインタビュー本によると、マンタ氏は、忠さんのことがあまり好きではなかったみたい。ないしょだよ。

2016年12月25日 (日)

今月のこの一曲。『チーク・トゥ・チーク』

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■先達て(12月11日)に観た、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出『キネマと恋人』に、いまだに囚われている。ほんと、よかったなぁ。観劇中の3時間が夢のようだった。

それにしても「贅沢なお芝居」だ。東京では、客席数が218席しかない「世田谷パブリックシアター」の「シアター・トラム」で上演され、ぼくが観た松本公演も、大劇場ではなくて収容人数300人の「実験劇場」のほうで上演された。

出演する役者さんが、妻夫木聡・緒川たまき・ともさかりえ・橋本惇(NHK朝ドラの名作『ちりとてちん』に出演していた、貫地谷しほりの弟役の彼じゃないか!)・三上市朗・佐藤誓・村岡希美・廣川三憲・尾方宣久+ダンサー5人という布陣の豪華メンバーであれば、東京なら「シアター・コクーン」とか三軒茶屋でも、三谷幸喜のお芝居『エノケソ一代記』と集客上でもタイマン勝負を張ることができる人気なのに、あえてケラさんは「小劇場」を選んだ。

昨年の「KERA MAP」で企画された『グッドバイ』も傑作だった。僕はまつもと市民芸術館「大ホール」で観た。ただ、チケットを取るのが遅れたために、1階最後列での観劇だった。だから、折角の小池栄子の熱演も彼女の表情がよく見えなかったのがホント残念だった。双眼鏡を持ってけばよかったな。

今回なぜ、作演出のケラさんが「小さなハコ」にこだわったのか? それは、観客全員に役者の微妙な表情を見逃さないで欲しいと思ったからに違いない。

と言うのも、今回のお芝居の元になっているのが、ケラさんが大好きだと以前から公言していた、ウディ・アレンの映画『カイロの紫のバラ』だからだ。ケラさんが大好きな「奥さま」である緒川たまきさんを主演に芝居を作るとしたら、当時ウディ・アレンの愛人であった、ミア・ファローをヒロインにして作られた傑作映画『カイロの紫のバラ』を選ぶしかあるまい。

女優:緒川たまきには、独特の雰囲気がある。彼女の舞台は、松本で『グッドバイ』の他にも、清水邦夫の『狂人なおもて往生をとぐ』を観た。ひとことで言えば「レトロ」な女優だ。竹久夢二が描く帽子を被った上品な洋風美人の感じ。そう、モボモガが帝都東京の銀座を闊歩していた1920年代末の典型的な美人。


YouTube: Cheek to Cheek - The Purple Rose of Cairo (1985)


で、ほとんど「ネタバレ」になってしまうのだけれど、映画『カイロの紫のバラ』のラスト・シーンが「これ」です。ミア・ファローの微妙な表情の変化を、おわかり頂けましたでしょうか?

ミア・ファロー役を緒川たまき主演で、まして映画ではなく「お芝居」でやるには、このラストシーンを舞台上でどう見せるかが勝負になる。だからケラさんは「小劇場」での上演にこだわったに違いない。

また、映画の翻案なので場面転換が早くて多い。これを舞台上でどう表現するのか? それから、スクリーンの中から登場人物で飛び出してきたり、映画の中の人と舞台上の役者が、あうんの呼吸で会話したり、さらには、妻夫木君が2人同時に舞台上に登場して語り合う場面も必要だ。

プロジェクション・マッピングの有効利用には長けているケラさんではあるが、技術的にもかなりの高度なワザが要求された舞台であったはずだ。そして、それらが「完璧」にこなされていたのだから驚いた。

12月11日
『キネマと恋人』まつもと市民芸術館の夜公演から帰って来て、なんだかずっと「しあわせ」な気分に浸っている。ほんとよかったなぁ。また月曜日からの1週間。がんばってやってゆく元気をもらった。ありがとう。凄いな、お芝居って。

続き)ただ、ときどき妻夫木くんが「ますだおかだ」の岡田圭右にかぶって見えてしまった。ゴメンチャイ。あと、緒川たまきさんのウクレレ上手かった。あの『私の青空』の歌のシーンには泣けた。

『キネマと恋人』の余韻に浸っている。購入したパンフを読みながら。このパンフ、もの凄く充実している。ケラさんへのロングインタビューは必読だ!

ちなみに、ミア・ファロー主演でぼくが大好きな別の映画がある。『フォロー・ミー』だ。イギリスの大監督キャロル・リードが、小予算の片手間企画で撮ったに違いないこの小品。ぼくは、TBSラジオの深夜放送「林美雄のパックイン・ミュージック」で教えてもらって、たしか、テレビの吹き替え版で見た。ジョン・バリーのテーマ・ミュージックが切なくてね、絶品なんだよ。


YouTube: アステアの歌7「cheek to cheek」

■1930年代が舞台の『カイロの紫のバラ』にも登場する、フレッド・アステア & ジンジャー・ロジャースの『トップ・ハット』(1935)。アステアが歌うのが『チーク・トゥ・チーク』だ。

Heaven. I'm in Heaven

And my heart beats so that I can hardly speak

And I seem to find the happiness I seek

When we're out together dancing cheek to cheek

作曲はアーヴィング・バーリン。『キネマと恋人』でも、当然のごとくテーマ音楽として使われ、アレンジを変えて何度も流れた。それから、劇の後半に緒川たまきがウクレレの生伴奏をして、妻夫木聡が「私の青空」を歌うシーンがあった。ここはよかったなぁ。たまきさん、ウクレレ上手い!

■お芝居の劇評は、元六号通り診療所所長の石原先生のブログ、と「しのぶの演劇レビュー」が詳しいです。


YouTube: Lady Gaga Cheek to cheek Live 2015

■「チーク・トゥ・チーク」といえば、レディー・ガガ & トニー・ベネットだ。男性ジャズ・ヴォーカル界のレジェンドであるトニー・ベネットの最新作の2曲目で披露されているのが「この曲」。

二人の共演は、実はこのCDが初めてではない。トニー・ベネットのひとつ前の作『デュエッツ Ⅱ 』の1曲目に収録されているのが、レディー・ガガとのデュエット曲「The Lady is a Tramp」。このCDも買ったけど、とにかくレディー・ガガの歌が上手いのにホント驚いた。奇抜な衣装で歌うゲテモノ歌手だと思っていたのだが、とんでもない。

なんなんだ、このスウィング感。エラ・フィッツジェラルドまっ青の、強烈なグルーブ。恐れ入りました。ところで、この曲の「トランプ」の意味って、あまりいい感じじゃぁないぞ。「その淑女は、じつはとんでもないアバズレ女」みたいな感じか。


YouTube: Tony Bennett, Lady Gaga - The Lady is a Tramp (from Duets II: The Great Performances)



 



2016年12月18日 (日)

『復路の哲学 されど、語るの足る人生』平川克美(夜間飛行)その2

■前回は、本を読んだ感想に一言も触れぬまま終わってしまった。すみません。

平川克美氏の文章を初めて読んだのは、内田樹先生との往復書簡をまとめた『東京ファイティングキッズ』だった。続いて『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)を買ったが、ビジネス書はやっぱり苦手でちゃんと読めなかった。

結局、平川氏は内田樹センセイの小学校以来の友人で、大学卒業後いっしょに起業して、渋谷道玄坂で翻訳業の会社を始めた人という認識でぼくの中では定着した。

しかし、平川氏が主宰する「ラジオカフェ」から落語の新録をダウンロードしたり、ツイッターをフォローするようになってからは「内田センセイのおともだち」ではなくて、平川氏本人に興味を持つようになった。

そして「これは!」と思ったのが、『俺に似た人』(医学書院)を読んだ時だ。母親の死後、実家で一人暮らしとなった父親の介護を、息子である平川氏が一人きりで、食事作りから始まって、洗濯掃除、入浴の介助、下の世話までこなした1年半に渡る父子の格闘の日々が淡々とつづられていた。「感想はこちら」に書いた。

■で、ようやく『復路の哲学』(夜間飛行)のはなし。この本は沁みた。いまの俺にはぐっと来た。少し前に読んだ『鬱屈精神科医、占いにすがる』春日武彦(太田出版)に通じるものがあるな。

春日武彦先生は 1951年生まれだ。人生の終盤が近づいたことにふと気付いてしまったベテラン精神科医が、俺の人生こんなんで終わっちゃうのは嫌だ!と、もがけばもがくほどオノレの無力感にさいなまれ、その挙げ句、何人もの占い師に救済を求めるという話だった。自分の人生に諦めきれず、未だに醜くあがき続けている姿をあらわに晒すことで、自虐的快感に浸っている滑稽さが救いであった。

ところが、『復路の哲学』の平川克美氏はどうだ。まるで、悟りを開いた修行僧のようだ。諦観。溺れかけて藻掻いていたのを、力を抜いて「ふと」止めたら、からだが「ほわ」っと浮いて水面に頭がひょこっと出た感じとでも言おうか。そんな感じの文章が並んでいるのだった。

表紙をめくると、本のカバー裏には、本文からこんな文章が引用されている。

     自分の行く末が

     地図のようにはっきりと

     見えてしまうという

     絶望を噛み締めたとき、

     人生の復路が始まる……

■巻頭の文章を引用する。

 「おとなは、大事なことはひとこともしゃべらないのだ」

 向田邦子は、昭和という時代の「精神」を鮮やかに切り取った小説『あ・うん』の中で、上のような述懐を主人公にひとりであるさと子に語らせていた。(中略)

 ところで、語られることのなかった大事なこととはいったい何だろうか。私は、ここで読み取るべきことはしゃべられるはずだった内容(コンテンツ)ではないだろう、と思うのだ。では、何を読み取るべきだと私は考えているのか。

 それは、「様々なことを自分の胸のうちに飲み込んでいるのが大人である」という向田邦子の人間理解こそが、今日の私たちが忘れていることを想い出させてくれるということである。(中略)

向田邦子が「おとな」の中に見ていたものとは、何かに耐えている存在だということだろう。

この、何かに耐えている状態こそが、言いよどみ、逡巡し、押し黙るという態度に接続されている。向田邦子は、それを「おとなは大事なことはひとこともしゃべらない」という言葉で表したのだと私には思える。(『復路の哲学』平川克美 p3〜7)

■この本を読んで、初めて知ったことは多い。例えば、三波晴夫の「チャンチキおけさ」。それから「機縁」「往相と還相」「遠隔対称性」という言葉。アキ・カウリスマキの映画の本当の魅力。フェリーニの『カリビアの夜』の主人公が、それでも生きてゆく切なさ。ぼくも『ギルバート・グレイプ』で大好きな、ラッセ・ハルストレムの『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』が意味するもの。それに、聖徳太子の「十七条憲法」の凄さ。

『復路の哲学 されど、語るに足る人生』平川克美(夜間飛行)を読んでいる。平川氏の本は何冊か読んでいるが、この本が一番いいんじゃないか。「おとな」になるということは、いったい何っだったのか? を深く思考する本。著者より8歳年下の僕も、人生の仕舞い方を最近しみじみ考えているのだった。0:05 - 2016年11月29日

いやはや、ぼくの人生の数歩先を行く平川先輩の言葉は、いちいちズシリとぼくの胸に突き刺さる。ただ、いまだ諦めのつかない僕は、いましばらく、溺れる水の中で藻掻いてみたいと思っているのだった。

2016年12月10日 (土)

『復路の哲学』平川克美(夜間飛行)その1

■先月、松本であった小児科学会の地方会に久々に出席した。毎年この時期は、日曜日に行うインフルエンザ・ワクチンの集中接種と日程が重なってしまうことが多く、なかなか出られないのだ。

ただ今回はラッキーにも予定がずれた。しかも学会の特別講演は、この3月で退官した、個人的にもたいへんお世話になった小児科教授の講演だ。これは行くしかあるまい。

午前の部が終了して、久々に「小松プラザ」の『メーヤウ』へ。いまはバイキングしかやってないんだね。バイトのウエイトレスがちっとも注文を取りに来ないので困っていたら、「お客さん。当店のシステムをご存じないのですね」ときた。まいったな。でも、15年ぶりくらいで食った「チキン・カレー」は、昔の辛さのままだったよ。汗たらたらで、しかもハンカチ忘れたんで、テーブルに設置されたティッシュで顔を拭くという醜態。恥ずかしかったぜ。

■元小児科教授の特別講演は感動的だった。こうして彼の業績を時系列で系統だって聴いたのは、実は初めてだったのだ。どんなに逆境に立っても決して諦めず常に攻めの姿勢で難路を開拓していったその心意気に、心底頭が下がる思いだった。そして、俺は彼の期待に全く応えることが出来なかったダメダメ人間であったことが、ただただ申し訳なく思ったのでした。

特別講演の最後は、とある詩人の言葉で締めくくられた。ドイツの詩人、サミュエル・ウルマンの「青春とは」という詩だ。

青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。

若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。

人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。

(中略)

六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。

人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。

自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。

希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。

元教授は、4月からの総合病院院長という新たな職場で、さらに前向きに職務に挑戦して行く決意でもって、この特別講演を終えられた。素晴らしかった。素直に頭(こうべ)を垂れた。凄いな。

■ところで、『復路の哲学』の著者平川克美氏は、ぼくのボスだった元教授と同い年だ。1950年の生まれで、1958年生まれのぼくより、8つ年上になる。(つづく)

2016年12月 5日 (月)

伊那のパパス絵本ライヴ(その128)伊那おやこ劇場 at the「コマ書店」

■「グリーンファーム」の2階にあった、絵本・児童書専門店「コマ書店」が、広域農道を南へ少し下ったカーブの手前左側に新築移転したという話は聞いていたのだが、行ったことはなかった。

そしたら、今回の伊那おやこ劇場からの依頼会場が「そのコマ書店」だったのだ。日曜日の朝9時半過ぎに自宅を出て、グリーンファームに向かい広域農道を左折して「それらしき建物」を見逃さないように車を南へ走らせたのだが、やっぱり行きすぎてしまったぞ。

だって、想像していた「ログハウス」とは全然違って、まるで自衛隊が被災地に仮設した「蒲鉾形のドーム状テント」みたいだったからだ。建物の中に入ってみると、実際はトレーラーハウスを3つ「コの字」に並べて、その間にできたスペースに床をひき天幕で屋根を作り、南側の空いた部分にアルミサッシの窓を設置。暖房に薪ストーブと煙突を完備すれば、立派な「ホール」の出来上がりというワケだ。すごいな。

ただ、この日の朝は晴天でめちゃくちゃ冷え込み、半屋外の「この空間」は、ただただ寒かった。でも、12月の絵本ライヴは「サンタの衣装」で出演って決まっていたから、フリースやウルトラライト・ダウンを脱がずにその上から衣装を着た。一人だけトナカイの着ぐるみを着る倉科さんは、毎年汗だくで大変なのだが、この日は「ちょうどよかったでした」って、後で言ってた(^^;

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<今日のメニュー>

1)『はじめまして』

2)『でてくる でてくる』岩田明子(ひかりのくに)→伊東

3)『中をそうぞうしてみよ』佐藤雅彦(福音館書店)→北原

4)『かごからとびだした』

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5)『メリークリスマスおおかみさん』宮西達也(女子パウロ会)→坂本

6)『みんなにゴリラ』高畑那生(ポプラ社)→宮脇

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7)『うんこしりとり』tupera tupera(白泉社)

8)『かみなりどんが やってきた』中川ひろたか・文、あおきひろえ・絵(世界文化社)→倉科

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9)『ふうせん』

10)『世界中のこどもたちが』

■開始後ようやく薪ストーブが威力を発揮し、会場ホールは暖まった。それよりも、参加してくれた子供たちの熱気のおかげだったに違いない。ありがとうございました >伊那おやこ劇場さん。

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■盛況のうちに「ライヴ」が無事終わったあと、皆でお昼をご馳走になった。なんと! 松茸ごはんと豚汁だ。さすがグリーンファーム。小林文麿社長は、売れ残ったマツタケを冷凍保存していて、その太っ腹で貴重な「マツタケ」をわざわざ解凍して「伊那おやこ劇場」と僕らのために振る舞ってくれたのでした。思わず、どちらも「おかわり」してしまったぞ。

本当にご馳走様でした。ありがとうございました。

2016年12月 3日 (土)

トランプ次期大統領についての覚え書き(つづき)

■ドナルド・トランプが次期アメリカ大統領に当選したとき、ぼくが直ちに思い浮かべたのは、映画『イージーライダー』の、あの鮮烈なラストシーンだった。

ニューオーリンズからフロリダへと、ハーレーに乗ってツーリングを続ける二人。その後ろからピックアップトラックが。乗っているのは、「レッドネック」と呼ばれるアメリカ南部に住む白人の農夫が二人。


YouTube: Easy Rider 1969 End


■選挙結果に関して、リアルに切実に「恐怖」として受け止めていたのは、アメリカ在住で、しかも今後もずっとアメリカで生活して行く決意の日本人たちだった。椎名誠さんの娘で、ニューヨークで弁護士をしている渡辺葉さんのツイートを読んでいると、ひしひしと感じるものがある。アメリカ白人社会における「マイノリティ」に対する積もり積もった鬱憤・嫌悪・不満が、トランプが「パンドラの箱」を開けてしまったために、一気に噴出したのだ。

■トランプ勝利の分析をいくつか読んだけれど、気になる記事を以下にリンクしておきます。

荻原魚雷「文壇高円寺」(保守とリベラル 11/18)

トランプを支持した「物言わぬ多数派」の学生たち

八木啓代のひとりごと

トランプを勝利させた「白人対マイノリティ」の人種ファクター

日本人がまったく知らないアメリカの「負け犬白人」たち

「どん詰まりのアメリカ」で存在感を増す新しい右翼「オルトライト」とは?

2016年11月27日 (日)

トランプが大統領になるアメリカは、本当に大丈夫なんだろうか?

■今日の日曜日は、午前9時から午後5時まで「インフルエンザ・ワクチン」の集中接種の日。嘔吐下痢症や発熱で来れなかった子供たちを除いて、131人が来院した。疲れたな。

思考を停止して、ひたすら注射するだけの一日は、ただただ疲れる。休診にしている水曜日の午後や、土曜日の午後にも接種しているのだけれど、日曜日を2回潰さないと接種ノルマが果たせないのだ。

貴重な日曜日を無にして、出勤してくれた当院の優秀なスタッフ4人には、感謝しても感謝しきれないのであった。

■ようやっとワクチン接種が終わって、お疲れさま。スタッフも疲れたが、ぼくだって疲れた。特に午後の部は、13時〜17時までの4時間ぶっ通しだった。

ただ、接種中からずっと考えていたのは、終了次第、伊那の「TSUTAYA」へ行って、『MUSIC MAGAZIN 特集:文学としてのボブ・ディラン』を買うことと、『AERA』最新号「テレビはスマホに勝つ」を買うことだった。で、実際にそうした。

■「AERA」今週の巻頭言は、内田樹先生。フランス貴族のアレクシス・トクヴィルは、1831年にアメリカを訪問し『アメリカの民主政治』という本を書いた。その中で、民衆がどんなトンデモナイ大統領を選んでしまっても「そのリスク」を勘案して定められた「アメリカ民主制」の合理的な機構に、大いに感心したという話。

アメリカのデモクラシーにおいて、民衆はしばしば権力を託する人物の選択を誤る。だから、不適切な権力者がもたらすリスクを軽減するために、アメリカでは統治者に権力が託される期間は限定的であり、かつ統治者が民衆の意向に反する政策を強行できないようにいくつもの抑制が課せられている。

そして、統治者の「腐敗や無能」あるいは「非行」は個人のレベルにとどまって、制度として恒久化することを防いでいる。

ホントかなぁ。そこまでアメリカ国民を信じてもいいのか?

2016年11月24日 (木)

伊那のパパス絵本ライヴ(その127)飯島町:子育て支援課の主催の会

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■水曜日は、勤労感謝の日でお休み。この日は午前10時半から、上伊那郡飯島町「飯島成人大学センター」で「パパズ」。町の子育て支援課が主催した会だからか、ちっちゃい子供が多かったな。

<本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ(鈴木出版)

2)『でてくる でてくる』岩田明子(ひかりのくに)→伊東

3)『かわ(絵巻物版)』かこさとし(福音館書店)→北原

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4)『うみやまがっせん』長谷川摂子:再話(福音館書店)→坂本

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5)『かごからとびだした』(アリス館)→全員

6)『へんしんマラソン』あきやまただし(金の星社)→宮脇

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7)『うんこしりとり』tuperatupera(白泉社)→全員

8)『かみなりどんが やってきた』中川ひろたか・文、あおきひろえ・絵(世界文化社)→倉科

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9)『ふうせん』湯浅とんぼ(アリス館)

10)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)


2016年11月18日 (金)

姜泰煥(カン・テーファン)つづき

■姜泰煥さんに関して詳しく書かれたサイトは、ほとんどない。「CDコレクターは止められない!」くらいか。あとは、ヨーロッパのアヴァンギャルド・ジャズに精通した横井一江さんの「JAZZ TOKYO」でのコラム

その「人となり」を表す文章を、最近CDで再発された「ちゃぷちゃぷレコード埋蔵音源発掘シリーズ」のCD『姜泰煥 KAN TAE HWAN "Solo Duo Trio"』に再録されたライナーノーツの中に見つけたので、例によって勝手に転載させていただきます。ごめんなさい。

〜 佐藤允彦 〜

 フリー・インプロヴィゼイションに欠かせない能力のひとつは、相手の呼吸を読むことである。

 応答、同調、反撃、どのような立場をとるにせよ、まず呼吸を測ればさまざまな手段が見えてくる。逆に言えば、呼吸を読めなかったらなにも成立しない。聴くに耐えない音楽になってしまうのだ。

 姜泰煥氏との最初のセッションがあやうくそうなるところだった。予備知識なしに鎖鎌と立ち会った剣術使いさながら、一瞬なすすべもなく立ちすくんでしまったのだ。しかし、心を鎮めてよく聴いていると、途方もなく長い一音のなかで連続して変化する豊かな色彩が見えてきた。その変化こそ、姜さんの音楽上の、あるいは精神の呼吸なのだと悟ったとき、今まで経験したことのない、全く別次元の対応をしている自分を発見したのである。

 以来、姜泰煥氏と演奏するたびに新しい地平が拓けるように思えるのだが、実の所は壮大な姜マジックにからめとられて白昼夢を見ているだけなのかもしれない。たとえそうであっても、私にとっては大変有意義なことである。とにかく氏の音楽と接したあとは、脳細胞が蘇生するのだから。

〜副島輝人〜

 姜泰煥 - いや、親しみを込めて姜さんと書かせてもらおう - は、ステージに座って、つまり胡座をかいた姿勢で演奏する。これが姜さん独特のスタイルで、決して立って吹くことをしない。それは5年前、ソロでツアーした時から始まった。

旭川で、ステージの床が木造りだった時、胡座をかいてリハーサルしていた姜さんが、アルトサックスの底部を床に付けたり離したりしていて、突然「今日は座って演奏してもいいだろうか?」と云いだしたのである。響き方が違うということだった。後で知ったが、自宅で練習する時は、いつも胡座をかいて吹いていたらしい。

 最近、ネッド・ローゼンバーグとのツアーの時、珍しく一曲だけ立って演奏したことがある。それは共演するネッドへの配慮と共に、広い会場の後方に座っている観客にには演奏する姜さんの姿が全く見えないことを考えたものだった。この優しさが、姜さんの音楽の底を流れている。

 姜さんは、独自のライフ・スタイルを持っている。夜中の12時頃から祈りと瞑想、明け方から3時間くらいがサックスの練習時間、それから眠るのである。練習は毎日絶対に欠かさない。寝台車の中でも、早朝ベッドに胡座をかいて、音を出さないようにしながらマウスピースをくわえ、指を動かしている。

 寝る時は、必ず聖書を枕許に置く。ドイツのホテルに泊まった時、うっかりそれを忘れ、仁王立ちになった悪魔大王に、ベッドをギシギシと揺さぶられることがあった。

 菜食主義者の姜さんは、肉と魚は食べない。野菜も火を通したものでないといけない。しかし、竹輪や薩摩揚げのような、魚の練り物なら食べる。卵や乳製品も大丈夫。鶏の姿煮のようなサンゲタンという料理に、私が箸をつけようとした瞬間、隣に座っていた姜さんが「鶏さん、ゴメンナサイ。」と日本語で呟くのを聞いて、ガックリきたことがある。

「肉食者は瞬発力が強く、菜食者は持久力がある。」と姜さんは云う。昔、オリンピックの1500メートル自由形競泳で金メダルを取ったマレー・ローズは凄い選手だったが、当時としては数少ないベジタリアンだと聞いたことがあるから、姜さんの云う通りなのかもしれない。それに、なによりも、あの姜さんのノン・ブレスが朗々、延々と続けば、納得せざるを得ない。

 そんな姜さんも、2年前のロシア・ツアーでは、かなりこたえていた。ロシアの食事事情がひどく悪い時期で、食事は総てあてがいぶち。小売店の棚は空っぽで、欲しいものは全く手に入らない。出された肉団子を食べなければ、食事は抜きとなる。姜さんは、持参した米の粉に熱湯を注いで -- そのお湯も自由には貰えなかった。-- 何やら重湯のようなものを啜って飢えをしのいでいた。しかし、そういう状況の中で、一言のボヤキもコボシも云わずに、18日間のロング・ツアーを耐え抜いたのだから、これもまた一つの持久力なのかもしれない。

 奥さんの話によると、姜さんは映画を観ていてよく泣くそうである。あのクールな姜さんが? と思われるだろうが、人並み以上に感受性が強いのに違いない。姜泰煥芸術の隠れた一面が知られるように思うのだ。

 そういえば、いつか姜さんが云ったことがある。

「芸術家とは、心の中に<愛>を沢山持っている人々のことだ。」と。

ちゃぷちゃぷレコード埋蔵音源発掘シリーズ」CD『姜泰煥 KAN TAE HWAN "Solo Duo Trio"』ライナーノーツより

2016年11月 7日 (月)

ヒグチユウコ & 姜泰煥(カン・テーファン)

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■ワニが登場する絵本が好きだ。『わにわにのおふろ』小風さち・文、山口マオ・版画(福音館書店)『バルボンさんのおでかけ』とよたかずひこ(アリス館)『ワニぼうのこいのぼり』内田麟太郎・文、高畠純・絵(文溪堂)。中でも一番好きなのは、木葉井悦子『一まいのえ』(フレーベル館)。ところが最近、驚異のワニ絵本が登場した。『すきになったら』ヒグチユウコ(ブロンズ新社)だ。

めちゃくちゃリアルな「ワニ」に、ある日幼気な少女が恋してしまう。だって、好きになってしまったのだから、仕方ないじゃない? 恋とは、そういうものさ。

オジサンにはわかる。その気持ち。でも、今どきの少女やヤングアダルトに、この「切ない気持ち」がはたして解るのだろうか?

岡谷の「イルフ童画館」では、11/14(月)まで『ヒグチユウコ・石黒亜矢子二人展』をやっていて、『すきになったら』の原画が展示されていると知り、今日(11/6)の日曜日、あわてて見に行ってきた。ワニの原画、すばらしかった! 『せかいいちのねこ』(白泉社)に登場する「迷子のアノマロカリス」もよかったよ。

ヒグチユウコ恐るべし! だな。イルフ童画館内は、彼女のファンの若い女の子ばかりで、50歳をとうに過ぎたオジサンは、思いっきり場違いの「およびでない」状態で焦ったぞ。でも、ぼくと同じ気分であろう、彼女に無理矢理連れてこられた、なんとも居心地の悪そうな彼氏(20代前半)を見た。それから、このところずっと機嫌が悪かった奥さんのために、予定していたゴルフをキャンセルして仕方なくやって来たと思ったら、なんだ漫画かよ! とでも思っているに違いない、おもいきり機嫌が悪い雰囲気の40代男性とか、いたな。

でも、思いのほか良かったのが「石黒亜矢子さん」の展示だ。この人は絵が上手い。申し訳ないけれど、彼女の絵本は持っていなかった。京極夏彦氏と組んだ「妖怪もの」で知られた人なのか。最近では、糸井重里さんのツイートの中で「そのお名前」をよく目にした覚えがあるぞ。

売店を物色すると、サイン本は売り切れ。ポストカードもほぼ売り切れ。しまったな。もっと早く見に来るべきだった。仕方なく童画館を出て、いったん駐車場から車を出す。ここの立体駐車場は、なんと!「5時間まで無料」なのだ。じつは、これから甲府まで「あずさ」に乗って行く予定なので、車はこの駐車場に置いて行かなければならない。帰りは夜6時半過ぎの予定だから、午後1時半過ぎに再チェックインすれば、駐車料金は無料のままなのね。

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■車を市営駐車場に置いたまま、岡谷駅から午後2時発のあずさに乗って甲府へ。午後3時過ぎ着。ライヴ・ハウス「桜座」で『TON KLAMI トン・クラミ』佐藤允彦(p)高田みどり(perc)姜泰煥(as)のトリオ演奏を聴くのだ。櫻座は、ガラス工場だった建物を改装して劇場に作り直したという不思議な空間。

むかし、氷川台にあった転形劇場の「T2スタジオ」の雰囲気を、寺山修司の東北下北半島的古来日本のどろどろとしたイメージで掻き回したような、他ではちょっと見たことない空間だったな。毎年年末には「渋さ知らズ」の公演があるそうだが、なるほど、彼らにピッタシの劇場に違いない。

山下洋輔、富樫雅彦、ペーター・ブロッツマン、エヴァン・パーカーは、生で見たことがある。『AKU AKU』でだったかな。でも、佐藤允彦・高田みどり・姜泰煥(カン・テーファン)は初見。

最初にステージに登場したのは、佐藤允彦さんだ。おもむろにピアノを弾き始める。左手で繰り返される基礎音に右手が自由に乱舞する。ダラー・ブランドの『アフリカン・ピアノ』を、もっと知的に研ぎ澄まされた緊張感を維持した、素晴らしいソロ・ピアノだった。それにしても、佐藤允彦さんは超ベテランなのに、繊細な指使いを駆使する一方、山下洋輔ばりの体育会系超パワフル演奏で、めちゃくちゃ若々しいかった。凄い人だ。

暫くして、舞台下手から高田みどりさんが鈴を鳴らしながら登場。マリンバとピアノのデュオが始まる。お互いに音を探り合う感じが、ビシビシと客席に伝わってくるぞ。インタープレイというのは、こういう演奏のことをいうのか。

そして満を持して姜泰煥の登場だ。音がデカイぞ! 驚いたな。アルト・サックスなのに、図太い音が朗々と劇場空間を占拠して、一瞬にして姜泰煥の世界へ引き込まれてしまったよ。とにかく、スケールの大きさが尋常ではなかった。大地の鼓動、マグマの唸り。地球そのものが僕に語りかけているような感じだった。

ぼくは、姜泰煥さんの日本で初めて出たレコードを持っている。ずっと前から、ぜひ一度、彼の演奏を生で見たかったのだ。

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■ピアノにマリンバ、太鼓に銅鑼も打楽器だから、音は断続的に短いパッセージで連なる。ところが、姜泰煥のアルト・サックスは音が途切れることがない。まるで他の二人の対極を悠々自適に大河がとうとうとと流れる如く勝手にリードしてゆく。これが「サーキュラー・ブリージング(循環奏法)」だ。圧倒された。

今回、サーキュラー・ブリージング奏法を初めて詳細に目の前で見た。ほっぺたを膨らませたり縮めたり。じつに不思議な光景だったな。

姜泰煥さん。特殊な奏法を駆使し続けるためか、アルト・サックス管内に貯まった唾液を、何度か管を外して排していたのが印象的だった。それから、頻回にリードを交換していたぞ。他のサックス奏者では見たことがない光景だった。リードを換えることで、サックスの音色が変わるのだろうか? 

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■演奏は、ソロ、デュオ、トリオと臨機応変に自由に変化し、ファースト・セットのラストでは3人が一丸となった異様な高揚感を体感した。姜泰煥さんのこの日一番の激しい演奏で、思わず身震いしてしまったよ。あぁ、来てよかった。第二部が終わって、これでおしまいかと思ったら、思いがけずアンコール演奏をしてくれた。この曲がメチャクチャよかったのだが、なんていう曲目なんだろう?

■佐藤允彦さんも是非一度ナマで見たかったピアニストだ。今日は長年の夢が叶って本当にシアワセだ。終了後、無理を言ってサインもしてもらった。佐藤さんには持参した『YATAGARASU』「珍しいの持ってるね」って言われたけど、佐藤さんのCD・LPは、『パラジウム』など古いものしかないのです。ゴメンナサイ。

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姜泰煥さんは、座ったままサックスを演奏する。そのことは以前から知っていたから、別に驚かなかったのだけれど、胡座をかいてサックス・ソロを吹く姜泰煥さんが、おもむろに左足を伸ばした。足が吊ったのか? いや、そうじゃなかった。彼はサックスの「あさがお」を伸ばした左足の太腿に押しつけ、アルトサックスを演奏しだしたのだ。まるで、トランペッターがミュート演奏するみたいにね。でも、聴いていて音がどう変化したのか、いまひとつ判らなかった。

■エリントン楽団みたいな重層的なハーモニーを、たった一人で再現しようとした盲目のジャズマンがいた。そう、ローランド・カークだ。ソロで演奏しているのに、何本ものサックスが同時に鳴っている演奏を再現するために彼が考え出したことは、一度にサックスを3本くわえて吹けばよいということだった。

それから「サーキュラー・ブリーシング」。息継ぎせずに、延々とサックスを吹き続ける手法。この奏法を確立したのが、エリントン楽団の重鎮、ハーリー・カーネイ(バリトン・サックス)だ。その後継者が前述のローランド・カーク。ただ彼の演奏は、見世物的でグロテスクなものとして聴衆には受け取られた。

そうは言っても、息継ぎせずにサックスを吹き続けることは大変な修練と体力とテクニックが必要だ。だから、この特殊技法を完璧にマスターしたミュージシャンはそうはいない。その、数少ないジャズマンが、イギリス人のエヴァン・パーカーだった。

エヴァン・パーカーのソプラノ・サックスのソロ演奏を記録したダイレクト・カッティング盤『モノセロス』を初めて聴いた時の驚きといったらなかったな。上手くは言えないのだけれど「サーキュラー・ブリーシング奏法」に加え、ソロ演奏なのに、同時に3人も4人も演奏しているように聞こえる「マルチ・フォニック奏法」を完璧にマスターして演奏しているのだ。ほんと、たまげた。だって、一度も息継ぎせずに、30分間ソプラノ・サックスを吹き続けるんだよ。信じられないよね。

■そしたら、エヴァン・パーカーと同い年の韓国のジャズ・ミュージシャンが、遙か遠く極東の地で、誰にも知られず理解されずに、まったく同じ「奏法」を開発したのだった。それが姜泰煥だ。

彼が「この奏法」を確立するまえには、エヴァン・パーカーを聴いたことがなかったんだって。信じられないよね。でも、同じ奏法でのサックス・ソロ(エヴァン・パーカーはソプラノ・サックス、姜泰煥はアルト・サックス)でも、聞こえてくる音がぜんぜん違っているのが不思議だ。

パーカーの演奏は、良い意味でも悪い意味でも、西洋のコンテンポラリー音楽の系譜に収斂される。ところが、姜泰煥の演奏は、たとえモダンなピアニスト佐藤允彦や現代音楽の打楽器奏者の高田みどりといっしょに演奏していても、不思議とジャズは感じない。ましてや現代音楽なんて感じじゃないな。

この感じを、うまくは言えないのだけれど、ジャズとも現代音楽とも違う、アジア文化圏の音が鳴っているのだよ。佐藤允彦さんのピアノ・ソロも、努めて西洋的モダンを隠して、東洋的アジアを感じさせる演奏だった。


YouTube: Kang Tae Hwan 강태환 2013/07/14 @ Yogiga, Seoul part 1


それにしても、25年前にレコードで聴いて驚いた、姜泰煥さんの演奏テクニックは、もっともっと進化(深化)していてた。サーキュラー・ブリーシングも、ポリフォニック奏法(最先端のノイズ・ミュージックみたいにも聞こえたよ)も、必然的表現方法として、孤高の頂を極めた感じだ。目を閉じて聴いていると、風景が見えてくる。大地の息吹、荘厳な宇宙の広がり。能舞台の幽玄の世界観。

公演の終了後、姜泰煥さんの出を待って、購入したCDにサインをしてもらった。ステージ上では異様な神秘のオーラに溢れた姜泰煥さんだが、オフの場では、大阪の新世界にでもいそうな、単なる老齢の地味なオッサンだった。ミュージシャンとしての自信と自負を持っているに違いないのに、そのオーラを消し去る術を知っている人なのだな。

あらためて、その真摯で木訥とした人柄と演奏に感化されてしまったよ。

■帰りは、甲府発18:05分の普通列車松本行きに乗車。19:25分岡谷着。めちゃくちゃ寒い。走って駐車場まで。6時間経つから、さすがに有料だった。ただし、250円。偉いぞ!岡谷市。

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