2016年11月 3日 (木)

伊那のパパス絵本ライヴ(その126)大町市児童センター

■11月3日(木)文化の日の今日は、パパズで大町まで遠征だ。例によって、午前8時に下春日町?の「やまめ堂」へ坂本・宮脇・北原の3人が集合してから、川北町で倉科さんをピックアップ。今日は僕の運転で、マツダCX5 に皆で同乗し一路大町市へ。多忙の伊東パパは残念ながら欠席。

朝は冷え込んだけれど、秋晴れで天気も良く、約90分で「大町児童センター」に到着。ちょうど1年前に来た会場だ。何となく思い出してきたぞ(^^;; そう言えば、大町へはもっと以前にも来たことがあったな。そうそう、2009年11月23日(勤労感謝の日)だ。そうか、7年も前だったか。

その当時は家庭児童相談員だった主催者の服部さんが、今日はわざわざお土産を持って見に来てくださった。うれしかったなあ。今は中学校の図書館司書をされているとのこと。ありがとうございました。

<本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ(鈴木出版)

2)『どっちの てに はいってるか?』新井洋行(偕成社)→北原

3)『あかちゃん』tupera tupera(ブロンズ新社)→北原

4)『あたまがいけ』日野十成・再話、斉藤隆夫・絵(こどものとも 2014/3)

  →坂本

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5)『かごからとびだした』(アリス館)

6)『バナナじけん』高畠那生(BL出版)→宮脇

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7)『おーいかばくん』中川ひろたか・曲、あべ弘士・絵(ひさかたチャイルド)

8)『山んばあさん と むじな』いとうじゅんいち(徳間書店)→倉科

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9)『ふうせん』湯浅とんぼ(アリス館)

10)『世界中のこどもたちが』新沢としひこ・中川ひろたか(ポプラ社)

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大町市の「ゆるキャラ」おおまぴょん

カモシカが北アルプスの帽子かぶってんのね

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■終了後には、すいとん(豚汁の肉の代わりに小麦粉の団子入り。美味しくて、思わず2杯目をおかわりしたよ。)に漬け物をご馳走になったので、結構お腹もたまったのだが、1年前に来た時に満員で入れなかった『昭和軒』へ。

駅前商店街は「日曜日休み」の店ばかりなのだが、『昭和軒』は開店中。今回は無事入れた。

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■名物のソースかつ丼。とんかつは「ころも」がカリカリに硬く揚がっていて食感がたのしい。ソースは、伊那・駒ヶ根のソースかつ丼に比べて甘くなく、あっさりすっぱめ。カツをソースに潜らすのではなく、上からかけてある。

ただ、ちょっと塩っぱかったな。





2016年10月31日 (月)

「司馬遼太郎」という不思議

『見果てぬ日本』片山杜秀(新潮社)を、このところずっと読んでいる。集中力が続かないので未だに読み終わらない。

ただ、この本で取り上げられている3人「小松左京・司馬遼太郎・小津安二郎」には、昔から興味はあった。なかでも「司馬遼太郎」だ。小松左京は、高校生のときに『継ぐのは誰か?』『果てしなき流れの果てに』を読んで感動した。小津は、大学生になってから、バスケットでいっしょだった宮崎君に教えてもらって「銀座並木座」で『東京物語』を観たのが最初だ。

でも、司馬遼太郎は読んだことがなかった。読みたいと思ったこともなかった。

■ぼくが10代〜20歳代を過ごした時代は、ちょうど日本が高度経済成長のピークを迎え、バブル経済を皆が享楽していた頃だ。

敗戦後の大変な時代を歯を食いしばって頑張ってきた日本人。その精神的バックボーンとなってきたのが司馬遼太郎だった。実際、当時の華々しき経済界の重鎮はみな、わが愛読書として『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』を挙げていたものさ。そうそう、あの頃『3年B組金八先生』で一斉を風靡した武田鉄矢の愛読書が『竜馬がゆく』だった。

だからかな、読みたくない! あまのじゃくな僕は、そう思ったんだ。時代に迎合する国民的歴史文学作家なんてって。

■つい最近、ケン・リュウの新作を読むにあたって、司馬遼太郎『項羽と劉邦』を読む必要が出てきた。上・中・下と3巻もある。でもこれが、読んだら凄く面白かったんですよ! 司馬遼太郎。

司馬遼太郎というペンネームは、中国の歴史記述家の司馬遷に由来することは間違いあるまい。じゃぁ、宮城谷昌光みたいに、司馬遷の『史記』をネタしにして、中国4000年の歴史に埋もれた「知られざる達人」の評伝をいくらでも書けたであろうに、司馬遼太郎は『項羽と劉邦』以外に中国史を書くことはなかった。何故だ?

ふと、思ったのだけれど、成功への王道を行く主人公を男のロマン溢るる大河小説として描いたのが、世間一般的「司馬遼太郎」評だと思うのだけれど、まてよ? 彼の小説の主人公は、はたして歴史上のメジャーな人物たりえたのか?

坂本龍馬なんて、司馬遼太郎が小説にしなければ、誰も知らない土佐の高知の郷士にすぎなかったはずだ。『燃えよ剣』の新撰組副長として剣に生き、剣に死んだ男、土方歳三だって、所詮は敗者だ。『峠』の主人公、河井継之助は、戊辰戦争で「賊軍」として敗北する長岡藩の藩士だった。『翔ぶが如く』の西郷隆盛だって、明治維新の立役者とは言え、最終的には西南戦争の敗者として歴史のメジャー舞台から消えてゆく。

なんだ、みな道半ばにして挫折した人ばかりじゃぁないか! 

ただ、『坂の上の雲』の秋山兄弟は確かにロシアを打ち負かした勝者だ。(読んだこともないのに、司馬遼太郎に関して知ったようにあれこれ言うのは、顰蹙を買うだけなのだけれど、もう少し続きがあります。ゴメンナサイ。) 続く

2016年10月20日 (木)

初めての「ハンバートハンバート・ライヴ」at the ネオンホール(長野市権堂/ 2016.10.15)「今月のこの一曲:『さがしもの』ハンバートハンバート」

■ハンバートハンバートの楽曲『さがしもの』は、一度聴いたらちょっと忘れられない印象的な歌詞と旋律を持った、愛すべき小品だ。この曲を好きな人は多い。驚いたのは、幼なじみと結婚したカップルの結婚式で盛んに使われているらしいということ。

以下のビデオなんか、ブルーノ・マーズ「Marry You」を使ったあのプロポーズ・フラッシュ・モブを彷彿とさせて、兵庫県赤穂市立赤穂小学校が舞台という、その田舎っぽさを全面に出した素朴さ(それでいて色使いとかなかなかのハイセンスだ)が何とも微笑ましい。


YouTube: さがしもの ハンバートハンバート 結婚式余興ムービー

■じつは「この曲」アルバム未収録で、2007年1月に出た『おかえりなさいのシングル盤に「ブラザー軒」と共に同時収録された。現在は 2枚組CD『ハンバートハンバート シングルコレクション 2002 - 2008』DISC.2 の「3曲目」で聴くことができる。それから『10年前のハンバートハンバート』DISK.2「道はつづく --特別篇--」のボーナストラックとして、2006年10月29日に岡山でライヴ録音されたヴァージョンが17曲目に入っている。

ぼくがハンバートハンバートを聴き始めたのが『道はつづく』からだから、もう足かけ10年になるのだけれど、未だ一度も彼らのライヴに行ったことがなかった。去年、松本市アルプス公園で行われた「りんご音楽祭」に出演したことは、後で知った。ただ、ここ数年毎年長野でライヴを行っていることは知っていた。

でも、伊那から長野は遠いのだよ。

今年も彼らは長野へ来た。権堂アーケードの北にある老舗のライヴハウス「ネオンホール」で、10月14日(金)15日(土)の 2days公演。前の週の土曜日が、岐阜県可児市で「浜田真理子コンサート」だったから、ちょっと無理だよなぁって諦めかけていたら、妻が思いがけず「行く」と言った。息子も「行ってきていいよ」と言ってくれた。ぼくが長年かけて仕込んできた甲斐あってか、わが家は妻も息子たちもみなハンバートハンバート・ファンなのであった。


■当日の土曜日は、午後1時45分に外来を終了して、普段は夕方5時に行く犬の散歩を午後2時半に出発。しっかりウンコもさせて3時前には帰宅し、いざ長野へ。時間的には可児市へ行くのと変わらなかったな。1時間50分。長野は、インターを下りてから渋滞するのだ。「ネオンホール」を通り越してすぐ右側に有料駐車場があって満車じゃなく助かった。急いで受付を済ます。整理券番号は、64,65で「座れるか立ち見かギリギリですかね」と言われる。

80人近くが開演を待っていただろうか。若い人が多い。ぼくらみたいなオジサン・オバサンはいないぞ。それに、ハンバートハンバートのコンサート会場は「無添加自然食品」しか食べないような、一種独特な雰囲気を醸し出している「オーガニック・ファミリー」ばかりという噂は、長野では当たってなかったな。

開演まで、ネオンホール南側の小路に並んで待っていたのだけれど、ホールの対面に「憩 カラフルハウス」という謎の平屋施設が目に付いた。入場が始まって振り返って見たら、なんと! 公衆便所じゃぁないか。たまげたな。

「ネオンホール」というネーミングからは、ちょっと想像できないような「つたの絡まる」昔は白かったであろう外壁の古風な2階建て木造建築で、どこが「ホール」なんだよ! っていう雰囲気の狭い階段を昇った先の2階にあったのは、小さな小汚いライヴハウスだった。

いや、この雰囲気は決して嫌いではない。むしろ大好きだ。老舗のジャズ喫茶の感じね。実際、ステージ両サイドに「でん」と鎮座するスピーカーは、何と!あの名器「アルティックA7」じゃないか。入場すると、幸い前から4列目右奥に空席が2つあって、無事座れた。前列は、保育園児の女の子とお母さんだったので、視界も良くステージ上の良成さんと遊歩さんが間近によく見えた。よかったよかった。

(以下、当日のツイートから。一部改変あり)

今夜は、長野市権堂のライヴ・ハウス「ネオンホール」でハンバートハンバートのライヴ。10年来聴いてきたが、目の前でナマは初めて。最高だった。伊那から2時間だったが、行って本当によかった。思いがけず大好きな「さがしもの」も聴けたし。「ツバメ」と「おなべ」と、情けない「お兄ちゃん」のことを次男が歌った曲は新曲か? いいじゃないか。

続き)あと、SMAPの「SHAKE」のカバーがすごく好かった。「待ちあわせ」「さよなら人類」ほか『FOLK』収録曲は「夜明け」以外すべてやってくれた。渋いところでは「ぼくのお日さま」「まぶしい人」それに「ホンマツテントウ虫〜安里屋ユンタ」。安里屋ユンタは『東京暮色』でも聴いたな。

続き)意外だったのは、まるで夫婦漫才みたいな二人の絶妙な掛合トークだ。とにかくテンポがいい。それにオチの予想がつかない話ばかり。いや行き当たりばったりで、オチは用意されてないんだけどね。あまりに可笑しかったから、MCのみを収録した『IT'S ONLY TALK 2014』を買ってしまったよ。

■予想外だったのは、とにかく彼らのMCの面白さだ。これは実際にライヴに行かないと分からないよなぁ。ほんと面白い。ライヴ開始登場するなり、ステージ下手にある控室と隔てる「ドア」が「まるでトイレのドアみたい」という遊歩さんの一言に笑い、良成さんが「ネットで確認してみたら、去年と同じシャツを着てきちゃったよ。秋だからいいかなって思ったのにさ」に大笑い。

さらに、蕎麦屋で「大盛り」を頼んだら、ホントに大盛りでマネージャーは食べ残したとか、果物屋さんで雑キノコ(じこぼう・クリタケ)を見てたら、「ポポー」という名の謎の果物(緑色のアケビみたい)を買いに来たオバサンが「あ〜ら、あんた達知らないの、ポポー。黄色くなるとマンゴーみたいな味がして美味しいのよ!」と言って、ポポーをただで分けてくれたとか。

製麺所があったので入ってみたら、ばあちゃんが一人でやっていて、乾麺の蕎麦を買ったらオマケで「ラフランス」を一個、蕎麦の打ち粉まみれの新聞紙にくるんでくれたとか、別にたわいもない話なんだけど、テレビの「旅番組」が大好きな遊歩さんと全てに面倒くさそうな良成さんが、二人して絶妙な間合いで語られると、これが何だかメチャクチャ可笑しいのだ。

あとは、ネオンホールのトイレには無限に増殖する「謎の植物」があって、その芽を「ご自由にお持ち下さい」って書いてあって、気持ち悪いなぁと思いながら出てきて、ポシェットの中の化粧ケースを開けてみたら、その「謎の植物の芽」が10個入っていたっていう怪談みたいな話。それから、無印良品の大ファンである遊歩さんが、メールで無印良品にコメントを送った時の話とか。で、去年長野に来た時に、何故か「僕ら結婚するんです!」って言うカップルが多くて驚いたら、昨日もそういうカップルがいたんだよ、って話から「さがしもの」を歌ってくれたのだった。

うれしかったな。大好きな曲だからさ。

■そのあたりのことは「マネージャーさんのツイート」にも載っています。

それから、ライヴで見てビックリしたのが「ふたりだけ」なのに超パワフルなパフォーマンスだったことだ。第二部最初の、SMAPの「シェイク」もそうだし、アンコールの「メッセージ」「おいらの船」の迫力は、CDの数十倍はあったぞ。ステージ上手には、アップライトのピアノが設置されていたので、良成さんはフィドルに加えピアノも弾いてくれた。曲目は忘れてしまったけれど、良成さんはキーボードも上手いのだね。

わざわざ2時間かけて長野まで行って、ほんとうによかった。来年も、もし彼らが長野に来るならまた行こう。絶対に。

ただ本当は、ハンバートハンバートの2人には是非「伊那市」へ来てもらってライヴをして欲しいって、ずっと前から思っていたんだ。公式ホームページを見ると「個人からのライヴ招聘はお断りしています」と書いてあるのだけれどね。

浜田真理子さんを岐阜県可児市に呼んだのは、高田さんという、熱烈な個人的ファンだった。じゃぁ僕だって、ハンバートハンバートを伊那市に呼んでコンサートを主催することができるんじゃないか? 可児市でそう思った。

伊那市駅の少し南側、飯田線の線路沿いに築100年近くなる「蚕の繭の集積蔵」を改造した3階建ての「草の音」がある。2階のスペースにはPA設備も整っていて、たびたびライヴも行っている。100人近くの集客が可能だ。蔵だから音響もいい。ピアノはないけど、ここなんて会場にどうだろう?

幸い、数々のロングセラー絵本を出版している「グランまま社」の田中尚人さんから「ハンバートハンバートのマネージャーさんは高校の同級生で、よく知っているんですよ」って話は、ずいぶん前に聞いていたから「ネオンホール」で田中尚人さんのことを出せば、伊那に来てくれるかもしれない、そう淡い期待を抱いて長野に向かったのだけれど、残念ながらネオンホールでは「それらしきマネージャーさん」にお目にかかることができなかったのだ。

勇気を出して、CDを購入するときに「マネージャーさんはいらっしゃいますか?」って、訊けばよかったな。失敗した。

2016年10月18日 (火)

はじめての浜田真理子コンサート 可児市文化創造センター(2016.10.8)

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■「可児市」は読めないなぁ。かじ市? かご市? あっ「児」は「小児科」の「に」か!

最近ファンになって、CDをよく聴いている浜田真理子さん。彼女の半生記が書かれた本『胸の小箱』(本の雑誌社)も読んだ。妻の iPhone にも勝手に真理子さんのCDを入れて、日常的に強制的に無意識に聴かせてきた。作戦は成功し、妻もいつしか彼女のファンとなった。

という訳で、ツイッターで真理子さんが岐阜県可児市にやって来ると知り、妻の了解と留守番を強いられる息子の了解も得て、ネットでチケットを予約した。前売り券2人で合計5,000円。今どき安いではないか!

ただ、可児市には行ったことがない。伊那市からだと、中央道を南下して「土岐ジャンクション」を西に曲がって最初のインターで下車。思ったより遠くはなかったな。1時間50分で着いた。「可児市文化創造センター」と言えば、ぼくが大好きなジャズ・ドラマー、森山威男さんが毎年コンサートを開いている所じゃないか。

道も判ったし、今度こそ森山さんのライヴに行こう!

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■最前列の左端のおじさん。上下「真っ赤」! 真理子さんとは以前から顔見知りみたいで、どうもバイクで彼女のコンサートを全国「追っかけ」しているらしい。凄いな。

会場は、大・小のホールではなくて、3つある多目的スペースの一つだった。80人くらいは入ってただろうか。

■ライヴ終了後に、今日のライヴでやった曲目の「セットリスト」を配ってくれた。これはありがたかったなぁ。

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■コンサートの始めに「浜田真理子可児コンサート 2016 実行委員会」代表の高田さんがご挨拶。まだ若い好青年(と言っても30歳以上か)。CBC中日放送〜TBSテレビ『情熱大陸』をたまたま見て浜田真理子さんのことを知り、以来大ファンになったのだそうだ。いつかナマで観たい聴きたい、彼はずっと思っていた。そしたら昨年、たまたま名古屋のライヴハウスに彼女が出ることを知り、岐阜県可児市から多治見市で乗り換えて名古屋まで行き、浜田真理子ライヴをナマで初めて体験した。

CDで聴くよりも数十倍感動した彼は、生ビールを飲んだ勢いもあって、ライヴ終了後に彼女のもとにしゃしゃり出て「ぜひ、ぼくが住む岐阜県可児市でコンサートをやって下さい!」そうお願いしたのだという。それから、真理子さんと80通にも及ぶメールのやり取りをして「ライヴの日」を迎えることが出来たのだそうだ。

実行委員会といっても本当は「たった一人きりの実行委員会」。フライヤーの作製から広告取り、チケット予約に振り込みの確認等、高田さんが一人で全部やっていたのだね。ものすごい情熱だ。感服です。

■10月20日(木)追記:検索していたら、主催者である高田さんの「奥さま」がブログで詳細に当日の様子を報告しているのを発見! 写真も多数。素晴らしい内助の功。仲むつまじいご夫婦だなぁ。

(以下は、当日つぶやいたツイートより。)

岐阜県「可児市文化創造センター演劇ロフト」で行われた、浜田真理子コンサートより帰宅。伊那からは1時間50分。素晴らしかった! 初めてナマで、目の前で浜田真理子さんのピアノ弾き語りを聴いた。しかも知ってる曲ばかり。最初の「カラス」で涙があふれ「教訓 Ⅰ」「シャレコウベと大砲」に感動

続き)「シャレコウベと大砲」のラストは、レナード・コーエンの「ハレルヤ」で終わった。なんていい声なんだ。真理子さん、真っ赤なドレスで、まるで「ミシン」の主人公みたい。あと、大好きな「水の都に雨が降る」も聴けてシアワセ。サインもしてもらった。長野県ではライヴをしたことがないんだって

続き)浜田真理子さんに関しては、1年前にブログで書いています。 http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2015/11/post-fa7f.html … あと、こちらにも。 http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2015/11/post-1564.html …

続き)今夜は聴けなかったけれど、浜田真理子さんは、中島みゆきの「アザミ嬢のララバイ 〜 世情」とか、浅川マキ『夕凪のとき』のカバーが絶品なんだよ。


YouTube: 浜田真理子 アザミ嬢のララバイ~世情

浅川マキ『夕凪のとき』。そうか、生前の彼女は自作曲のカバーのオファーを受けても決して許可しなかったのか。jkmusic.co.jp/blog/2013/12/p…


YouTube: 夕凪のとき-浜田真理子


2016年10月 5日 (水)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その125)「おはなしマラソン」中野市立図書館

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■日曜日、朝8時に伊東先生の車に同乗させてもらって伊那を出発。午前10時過ぎに中野市立図書館へ到着。すでに一番手の『おはなし♡びっくりばこの演目が始まっていた。

 ・紙芝居:「タイトル不明」

 ・大型絵本:『三びきのやぎの がらがらどん』(福音館書店)

「おはなし♡びっくりばこ」は、結成13年になる男性4人+女性2人の読み聞かせグループ。地元中野市を中心に活動を続けているベテラン・チームだ。


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■続いての登場は、須坂市で活動を始めて6年になる男性2人組『でてこい!おっさんズ』。なんと、絵本の読み聞かせではなくて、狂言「柿山伏」を2人で演じてくれた。

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■最後が、われわれ「伊那のパパズ」の出番。

1)『はじめまして』新沢としひこ(すずき出版)→全員

2)『どっしーん!』ぶん・え、岩田明子(大日本図書)→伊東

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3)『あかちゃん』tupera tupera(ブロンズ新社)→北原

4)『かごからとびだした』(アリス館)→全員

5)『うさこちゃんと きゃらめる』ディック・ブルーナ著、松岡享子訳(福音館書店)→坂本

6)『うんこしりとり』tupera tupera(白泉社)→全員

7)『みんなにゴリラ』高畠那生(ポプラ社)→宮脇

8)『おーい かばくん』中川ひろたか曲、あべ弘士(ひさかたチャイルド)→全員

9)『ねこのピート だいすきなしろいくつ』エリック・リトウィン(ひさかたチャイルド)→倉科

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10)『ふうせん』湯浅とんぼ(アリス館)→全員

11)『世界中のこどもたちが』新沢としひこ・詞、中川ひろたか・曲(ポプラ社)→全員

2016年9月26日 (月)

第19回 小津安二郎記念「蓼科高原映画祭」茅野市で、『東京暮色』をみる。

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■お昼12時から、茅野市民館で『晩春』デジタル修復版を観る。素晴らしい画像と音声がよみがえっていた。続けて午後2時より、「新星劇場」へ移動して『東京暮色』をみる。

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       ■観客は、ジジババばかりじゃないか!

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■茅野市駅前の「新星劇場」で小津安二郎監督作品『東京暮色』を観る。30年前からレーザー・ディスクでは持っていたのだが、じつは見たことはない。暗いとか失敗作とか、さんざん言われていたからね。いやいやどうして、面白いじゃないか! 140分間まんじりともせずスクリーンに釘付けだ。今こそね!

今回の上映は、プロジェクターでのビデオ上映でなく、ちゃんと 35mmフィルムでの上映だった。思いの外フィルムの状態も良く、子持ちで出戻りで、大きなマスク姿の原節子は妙に美人が際立っていたぞ。それから山田五十鈴。よかったなぁ。ただただその場で流されて行くしょうもない女を見事に演じていた。

それにしても『東京暮色』って、それほど悪くないんじゃないか? むしろ昭和32年の公開当時よりも、平成28年の「いま」観たほうがリアルに響いてくるような気がする。特に、有馬稲子の切実さが何ともやるせない。何故あんなにも最低な男に惚れちゃったんだよ。

『東京暮色』上映の前に、茅野市民会館で『晩春』デジタル修復版(2015)を観る。先だって、NHKBSで放送されたのは録画したのだが、テレビで見ると、白黒スタンダード画面は両端が切れてしまうので、しらけてしまうのだ。だから映画館で観たかった。素晴らしい画像で明瞭な音声。感激だ!

小津の『東京暮色』は、バイプレーヤーの宝庫だ。杉村春子、浦辺粂子、田中春男、藤原鎌足、中村伸郎、長岡輝子、高橋とよ、桜むつこ、高橋貞二、須賀不二雄、宮口精二。『東京物語』の、山村聰もパチンコ屋に登場した。宮口精二と言えば、黒澤明『七人の侍』もデジタル修復完了とのこと。

是非とも観たい!

小津安二郎『東京暮色』の続き。この映画が、アンチ『晩春』であるという感覚は、一昨日たまたま続けて見たから、僕もホントそう思った。「小津安二郎『東京暮色』のすべて(その1)〜(その8)」の詳細な分析は凄いぞ! ameblo.jp/kusumimorikage…

■さらに『東京暮色』の続き。BGMがね、めちゃくちゃ暗い映画には完全にミスマッチの異様な明るさ。『お早よう』〜『秋刀魚の味』で流れる、あの能天気であっけらかんとした音楽が、そのまま使われているのだ。不思議だ。それから、藤原鎌足のラーメン屋「珍々軒」のシーンでは、何故か必ず沖縄民謡の「安里屋ユンタ」。

さらに『東京暮色』。銀行家の笠智衆が住む、坂の上の雑司ヶ谷の家。家に帰る人(笠智衆、原節子、有馬稲子)家を訪れる人(杉村春子、山田五十鈴)みな、坂をのぼってくる。自宅での夜のシーンが多いが、外で犬が遠吠えしていて、山田五十鈴が訪れるシーンで「その犬」が初めて画面に登場する。

■終盤、上野発 21:30分の青森行き夜行列車に乗って、出発を待つ山田五十鈴と中村伸郎。原節子が見送りに来るかもしれないと、冬なのに列車の窓を開けて必死にホームの人混みの中をさがす山田五十鈴が哀しい。来るわけないのに。

列車が停車しているのは、12番ホームだ。小津安二郎は、12月12日に生まれて、12月12日に亡くなっている。

■この映画に関しては、もう少し掘り下げたいと思うので、ネットで見つけた注目すべきサイトを以下に上げておきます。

 ・「ビッグ・ウエンズデーのためのレジメ」ミズモト・アキラ

 ・同上「当日の様子」 ミズモト・アキラ & 堀部篤史

2016年9月19日 (月)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その124)伊那谷子育てフェス 2016 〜秋まつり〜

■1月の山梨県北杜市でのライヴ以来、じつに久しぶりの登場だ。最近は、われわれ「伊那のパパズ」にあまりオファーがないのだよ。とは言え、これからの秋〜冬シーズンは、しっかりと予定が入っているのだった。(以下参照)

・・・・・

・10月2日(日)午前10時〜 中野市立図書館「おはなしマラソン お父さんたちの読み聞かせグループ大集合!」 出演:「おはなし♡びっくりばこ」「でてこい!おっさんズ」「伊那パパ's」

・11月3日(木)午前10時半〜 大町市児童館

・11月23日(水)勤労感謝の日 飯島町図書館

・12月4日(日)伊那おやこ劇場

・12月11日(日)午前11時〜 伊那市役所1階「多目的ホール」

・・・・・

■今日は、「伊那スキーリゾート」の『きのこ王国』で行われた、『伊那谷子育てフェス 2016 〜秋まつり〜』への参加。もともとタイトなタイム・スケジュールに加え、悪天候のため屋外で開催予定であった「信州プロレス」を含め、すべてレストラン会場での公演となったから大変だ。

レストランでは「肉まつり 2016 食べ放題」が同時開催中で、みんなが「わしゃわしゃガシガシ」肉を喰いまくっている、そのレストランの片隅で、イヴェントに呼ばれたアーティストが、それぞれ30分の持ち時間でライヴ公演を行ったのだった。

ぼくらの前の出演者は、ミスターポテト氏の「マジック・ショー」。流石だ。淡々と挫けずに次々とパフォーマンスを繰り出し、盛大な拍手をもらっていたぞ。

さて、われわれの出番だ!

   <本日のメニュー>

 1)『はじめまして』→全員で歌

 2)『す〜べりだい』鈴木のりたけ(PHP研究所)→伊東

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 3)『あかちゃん』tupera tupera(ブロンズ新社)→北原

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4)『うんこしりとり』tupera tupera (白泉社)→全員

5)『じゅっぴきでござる』エクトル・シエラ作(佼成出版社)→宮脇

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6)『ねこのピート だいすきな しろいくつ』エリック・リトゥイン(ひさかたチャイルド)→倉科

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7)『ふうせん』(アリス館)→全員

8)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)→全員

  これにて終了!

2016年9月 8日 (木)

「はちみつぱい」 追補

■復刊『ロック画報:特集 はちみつぱい』(Pヴァイン)を読んでいる。いろいろと初めて知ることが数多く載っていて、じつに面白い。

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例えば、40ページ。大動脈解離から復活した、武川雅寛インタヴュー。かぐや姫「神田川」のイントロで流れる、あの印象的なバイオリンのフレーズに関して。

武川:「あれアドリブだよ。コードと仮歌が入ってて、1回聴かせてもらって『じゃあやってみようか』って。1回しか演奏してないと思う。」

あと、鈴木慶一へのインタヴュー。(25ページ)

小川:『センチメンタル通り』の異様なまでの完成度はなんだったんですか。

鈴木:リハーサルの時間の多さでしょうね。仕掛けを考える時間を大量に使った。新宿の西口にヤマハのリハーサル・スタジオがあって、そこを90時間以上使った。後で、スタジオ代使い過ぎだって会社から怒られたけどね(笑)。

小川:レコーディングはどこを使ったんですか?

鈴木:田町のアルファ・スタジオ。16ch が使える貸しスタジオってのは、こことモウリ・スタジオくらいしか無かった。ヴォーカル録りは、渋谷ジャン・ジャンの地下にあった吉野金次さんの HIT STUDIO 。「塀の上で」も吉野さんのところで録音したんだけど、なかなか上手く出来ずにウイスキーを1本空けた。あのヴォーカルは吐く寸前の声なんだよ(爆笑)。

それから、「幻の名盤解放同盟」(船橋英雄×根本敬×湯浅学)の連載企画『廃盤 風雲文庫』番外編(文=湯浅学)。ちょっと引用する。

 夕方になると音を立てないのに見た目でパタパタという動きに音をつけたくなる飛行を繰り返している動物がうちの近所にもいる。(中略)きのうの夕方も見た。6月の中ごろ、この季節だと午後7時ごろに飛んでいることが多い。陽の沈みかけに出会う。(中略)

 小学生のとき、校庭の大きなイチョウの樹の根本や樹の幹にそいつらがへろへろになっていることがあった。巣に帰りそこなって樹にぶつかって朝になってしまったから弱っているのだ、と友だちの一人がいっていたが、樹の下でぐったりしたそいつ、蝙蝠(コウモリ)は、いつもねむそうで人前に出るのがはずかしそうだった。

蝙蝠が音もなく空にいるのを見ると自分が生きていることが不思議に少しだけ楽しく思えるのだ。

 蝙蝠が飛んでいる様を歌にした日本でも稀なバンドがはちみつぱいだった。いつはてるのはわからない演奏だった。(中略)

 若々しいロックというものはなかったような気がする。1970年から 73年の日本のことだ。73年に荒井由実の『ひこうき雲』を聴いたとき、若者の手によるロック(ポップス)がついに出現した、と漠然と思ったが、それはひとつの衝撃だった。そのとき高校2年生になった俺は、それまでの日本のロック(フォーク、ポップス)は、年上のお兄さんお姉さんとおっさんおばさんが”作ってくれている”ものだと思っていたのだ。

『ひこうき雲』にはその”お姉さん及びおばさん”感がなかったのだ。それについてはまた別の機会に語るが、実は、はちみつぱいの『センチメンタル通り』は、『ひこうき雲』とほぼ同時期に同じスタジオで録音されたアルバムだ。田町のアルファ・スタジオだ。そのころはまだお試し使用期間だったのでスタジオ代が極めて安くしかも長時間好きなように使えたのだという。

『センチメンタル通り』は ”ただ今制作中” といわれながら、なかなか完成の報が聞こえてこないアルバムだった。じっくりと時間をかけているのだろう、とファンとしては想像していた。

でき上がってきたのを見たら、おや、はちみつぱいの代表曲だと思っていた「煙草路地」と「こうもりが飛ぶ頃」が入っていない。やられたと思ったが、まあこの人たちはお兄さんというよりもおじいさんだからしょうがないな、と思った。(『ロック画法 特集はちみつぱい』p148〜149)

■この「こうもりが飛ぶ頃」という曲に関して、ベーシストとして参加していた和田博巳が、CD『センチメンタル通り』のライナー・ノーツで面白いことを書いている。

 それにしても、たった5曲しか持ち曲が無いと、コンサートやライヴハウスではけっこう大変である。「演奏時間は30分で」と言われたら、『こうもりが飛ぶ頃』というダラダラと長い、(グレイトフル・デッド)っぽい曲を10分くらい演奏して、残りの4曲を普通のサイズで演奏するとだいたい丁度よい長さだ。

もし1時間やってくれと頼まれたら、ステージ上でチューニングを7〜8分やってから「こうもりが飛ぶ頃」を20分以上やり、そして残りの4曲を普通にやって何とかその場をしのいでいた。

というわけで 72年の秋頃になると、渡辺勝が、いつまで経っても同じ曲ばかり演奏することに飽きてしまい、さらに、いつまで経ってもアルバムのレコーディングに入れないことに愛想を尽かして、ある日突然脱退してしまった。

■『センチメンタル通り』は、鈴木慶一:作詞・作曲・歌、の曲だけではない。そこも重要だ。特に、渡辺勝が作って歌った「ぼくの倖せ」と「夜は静か通り静か」の2曲が、めちゃくちゃ味わい深い。

   何も知らぬうちに すべてはね

   変わっていったさ

   地球はまわりまわって 

   もとの位置

なんて「いい曲」なんだ、なんて素敵な歌詞なんだ。ほんとうにね。

『はちみつぱい Re:Again Billboard Sessions 2016』 を聴くと、最初に入っているのが「くだん」の曲『こうもりが飛ぶ頃』。16分近く収録されている。コルトレーンが「ワン・コード」で延々と吹きまくる「モード奏法」みたいな曲だから、ゆるい感じでいつまでもエンドレスな気持ちよさだ。

1970年代当初は、アメリカではベトナム反戦運動の時代だ。ヒッピーがドラッグでラリって、サイケデリックな幻覚を共有していた。そう、映画『イージー・ライダー』の世界を、彼らは日本で再現しようとしていたのか?

そうして、渡辺勝だ。まるで、麿赤児みたいな風貌で、古代中国の伝説の仙人みたいな歌声を聴かせてくれている。じつに素晴らしい。

2016年9月 4日 (日)

今月のこの一曲。 はちみつぱい『塀の上で』

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■中学生の頃は、加川良が大好きだった(いまでも好きです)。最初に買ったレコードが『親愛なるQに捧ぐ』。新宿三越前の「アカネヤ」レコード店で購入した。1972年の12月のことだ。このレコードは、来る日も来る日もほんとよく聴いた。いまの若い人たちには「盤がすり切れるほど」と言ったって理解できないだろうが、文字通り本当にそれくらい聴いた。

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■このレコードは、スコッチ・テープのジャケットに書いてあるように、昭和47年4月20日、モウリスタジオで録音完了している。ミキサーは、はっぴいえんどのレコーディングを担当した吉野金次だ。参加ミュージシャンが凄いぞ。

Piano: 今井裕、渡辺勝、細野晴臣  Steel Guiter: 駒沢祐城 Dobrro: 駒沢祐城  Fidle: 武川雅寛  A.G.: 中川イサト  E.G.: 伊藤銀次  Chorus: 村上律、若林純夫、大瀧詠一、岩井宏  Dr.: 松本隆  E.B.: 細野晴臣

当時、大好きだった曲がA面1曲目の「偶成」だ。ピアノは渡辺勝か? フィドルは武川雅寛だ。「白い家」では、駒沢祐城のドブロ・ギターも味わい深い。このメンツをいま見てみると、なんと、「はっぴえんど」と「はちみつぱい」なんだよね。

で、もしやと思って加川良のデビュー盤『教訓』を出してきて見ると、「頑張った人」として、以下の人々が挙げられている。その一部のみ抜粋。

あがた森魚、石塚幸一、岩井宏、大滝詠一、河村要助、斎藤哲夫、鈴木慶一、鈴木茂、高田渡、早川義夫、細野晴臣、松本隆、村上律。

親愛なるQに捧ぐ』には参加していなかったけれど、あがた森魚も鈴木慶一も、ちゃんと参加していたんだ。石塚幸一氏は、はちみつぱいが所属していた事務所「風都市」で彼等を担当したマネージャーだ。

■という訳で、中学2年生の時から「はちみつぱい」のメンバーの音を繰り返し繰り返し聴いてきたので、はちみつぱい『センチメンタル通り』が出た時には、なにか懐かしいような嬉しいような気がしたものだ。でも当時は、鈴木茂と鈴木慶一の区別がよくつかなかった。混同してしまっていたのだ。恥ずかしい。


YouTube: 塀の上で-はちみつぱい


YouTube: はちみつぱい  センチメンタル通り 【Full Album】

■もう少し続く……

 

@shirokumakita
8月16日
高校生になったばかりの頃だったかな、はちみつぱい『センチメンタル通り』を聴いて衝撃を受けた。そう、「土手の向こうに」と「塀の上で」の2曲にシビれたのだ。曲もいいが歌詞がカッコよかった。そして、鈴木慶一のあの切ないヴォーカル。あぁそうだよ、羽田空港で彼女が乗ったロンドン行き飛行機を見送った。

 

いま『はちみつぱい Re:Again Billboard Sessions 2016』を聴いている。『ロック画報』復刊号も買ったけど、小川真一氏がライナーノーツでも書いているが、「本当の意味での日本語のロックを作りだしたのは、はちみつぱいではなかったのか」僕もそう思うんだ。

■はちみつぱいの「塀の上で」に関しては、『TAP the POP』の記事 が詳しい。

あと、こちらの「はちみつぱい ストーリー」。細野晴臣が遠藤賢司や大瀧詠一と出会った時のように、鈴木慶一が あがた森魚と出会うべくして出会う必然を思うと不思議な気がする。

TAP the POP の冒頭にある、『LIVE Beautiful Songs』 大貫妙子・奥田民生・鈴木慶一・宮沢和史・矢野顕子 に関しては、2003年8月8日の「今月のこの一曲」(ずっと下の方へスクロールして行くとあります)に、こう書いた。

「塀の上で」 は、いま聴いてもぜんぜん古臭くないんだ。歌詞もいいね。失恋の歌でこれほどカッコイイ歌を、ぼくは知らない。


2016年8月26日 (金)

永六輔さんのこと

■前回の続きを書く予定でいたのだけれど、このところ、ギターの練習が忙しくて書けない。

というワケで、しばらく前のツイッターに連投した「永六輔さん」の話題をまとめておきます。

永六輔さんといえば、奥さんとの最初の結婚記念日。まだまだ貧乏だったし、めちゃくちゃ忙しかった永さんに、奥さまは「あの東京タワーを私に頂戴」と言ったのだそうだ。その真偽を検索したら、自分のHPが出てきて驚いた。2002年12月22日の日記に書いてある。clio.ne.jp/home/kita/0301… 合掌。

ぼくが中学2年生ぐらいの頃だったか、『遠くへ行きたい』の取材で、大和田伸也さんと永六輔さん、それに『話の特集』編集長だった矢崎泰久氏が高遠町にやって来た。当時、キンキン(愛川欽也)のラジオ深夜放送を聴いてすっかりファンになった僕は、永さんに会いに行って色紙にサインしてもらった。

中坊の依頼に、嫌な顔ひとつせず永さんは筆ペンで絵入りのサインをしてくれた。「僕がね、一番に尊敬している淀川長治さんの言葉です」そう言って書いてくれたのが「私はかつて嫌いな人に会ったことがない」という言葉だった。赤マジックで印字も押してくれた。

律儀な永さんは、訪れたその土地でお世話になった人に、東京へ帰ってから(もしくは次の旅先から)必ず絵葉書を出した。高遠で蕎麦をご馳走した僕の父宛にも絵葉書が届いた。感動した僕は返事の手紙を書いた。住所が判らないので、TBSラジオ宛てとした。

当時、TBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」火曜日の愛川欽也DJの時に、よく永六輔さんが出演していたのだ。TBSラジオでは、遠藤泰子アナウンサーと『誰かとどこかで』という番組を長年続けていた。だから、ぼくはTBS気付で永六輔さんに手紙を出したのだ。

今でもよく憶えているけれど、もえぎ色の便箋を買ってきて、冒頭「あなた様」と書こうと思って辞書を引いたら、「貴様」と載っていたので、そのまま「貴様」で書き始めて投函したら、奇蹟的に「その手紙」が永六輔さんの手に渡って、翌々週くらいの何かのラジオ番組の中で永さんが、こう言った。

「あのですね。先日、とある中学生から手紙をもらったんです。開封してみたら、巻頭いきなり『キサマは』って書いてあって、たまげてしまったんですね。世も末だなって。」忘れもしない。ぼくはそのラジオ番組を聴いていたのです。(終わり)

■40年以上前の記憶はいい加減だ。兄に訊いたら、大和田伸也が高遠に来た時と、永六輔&矢崎泰久の2人が訪れたのは別の時で、日テレ『遠くへ行きたい』収録のあと、番組ディレクターから「高遠に変な田舎医者がいるよ」と聞いて、永さんがやって来たんだそうだ。その昔、黒柳徹子の恋人だった(?)劇作家、飯沢匡の足跡を辿る旅でもあったらしい。

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