カマシ・ワシントンの続き
■ジャズはやっぱり、ブラックミュージックであることと、コンテンポラリー・ミュージックであることが、いま重要なんだと思う。
ぼく自身は、1990年代以降、同時代のジャズに興味を失って、新しいジャズをフォローすることをすっかり止めてしまっていた。気が付けば、ヨーロッパの演奏者ばかりが話題に上っていて、アメリカでは過去の博物館入り音楽に成り下がってしまった感があった。ニューヨークの若者たちはみな、ジャズなんて聴かないのだろう。そう思っていた。
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『村上春樹 雑文集』(新潮社)112〜127ページに「日本人にジャズは理解できているんだろうか」という、かなり挑発的なタイトル、内容の文章が載っている。月刊総合誌『現代』1994年10月号に掲載されたものだ。
事の発端は、1980年代に颯爽と登場したジャズ界のサラブレッド、ウイントン・マルサリス(tp)の兄貴、ブランフォード・マルサリス(ts)が、アメリカ版「プレイボーイ」誌(1993年12月号)のインタビューに答えて、こう言ったことによる。
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「日本人というのは、どうしてかはわからないけれど、歴史とか伝承的なものとかに目がないんだ。他の多くの国の人とは違って、彼らはジャズというものをアメリカ体験のひとつとして捉えている。でも理解しているかというと、ほとんどの人は理解しちゃいないね。
とにかく僕のコンサートに来る客について言えばそうだ。みんな『こいつらいったい、何やってんだ?』という顔で、ぽかんと僕らのことを見ているだけだ。それでもみんなわざわざ聴きにくるんだよ。クラシック音楽と同じことさ。誰かにこれはいい音楽で、聴く必要があるからって言われて聴きにくるんだ。それで頭をひねって、ぱちぱち拍手をして、帰っていく(後略)」
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ぼくは「この発言」を読んで、めちゃくちゃ腹が立った。日本のジャズ・ファンの心意気が、本場のジャズメンに対してまったく通じていないことに大変なショックを受けたのだ。
でも確かに、当時(1980年代末〜90年代初め)はバブル最盛期で、斑尾ニューポート・ジャズ・フェスティバルをはじめ、全国各地で野外ジャズ・フェスが毎年開催されていて、金に物を言わせて往年の大物ジャズ・ミュージシャンを多数招聘していたことは事実だ。
そのあたりのことを、村上さんは鋭く突いてくる訳だ。
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さてそこで日本人は本当にジャズを理解しているか、という当初の問題に立ち戻るわけだが、そこには二種類の違った結論がでてくるだろう。
①「俺達黒人が歴史的になめてきた苦しみがお前らにわかるものか。そしてそのような苦しみや痛みのわからない人種にジャズという音楽の真髄がわかるものか。お前らは金を積んで俺らを雇ってレコードを作ったり、日本に呼んで目の前で演奏させたりしているだけじゃないか。俺たちはしょうがないからやっているけれど、みんな陰で笑っているんだぞ」
とブランフォード・マルサリスに面と向かってきっぱりと言われたら、たぶん「それはたしかにそのとおりです」と答えるしかないような気がする。あるいは「そうじゃない」という言い分を有効に証明することはできないだろう。そういう観点から見れば、日本人はジャズを本当には理解していないと言われても仕方ない部分はたしかにある。
日本人は経済的に豊になったぶんだけ昔に比べて、他者への素直な思いやりや共感といったようなものがいささか希薄になったのではないかと感じることも時にあるし、だからこそブランフォード・マルサリスだって日本人聴衆に対してそれほど強い親愛感を抱くことができないのではないか。
②しかし「いや、それは違うよ、マルサリスさん。そういう言い方はフェアじゃない。ジャズという音楽は既に世界の音楽の中で確固とした市民権を得たものだし、それは言うなれば世界市民の財産として機能しているんだ。
日本には日本のジャズがあり、ロシアにはロシアのジャズがあり、イタリアにはイタリアのジャズがある。たしかに黒人ミュージシャンはその中心的な推進者としておおいに敬意を払われるべきだし、その歴史は決して見過ごされるべきではない。
しかし彼らがその音楽の唯一の正統的理解者であり、表現者であり、他の人種にはそこに入り込む余地がないと言うのであれば、それはあまりにも傲慢な論理であり世界観ではないか。そのような一級市民と二級市民との分別は、まさにアパルトヘイトの精神そのものじゃないか」と反論することも可能である。
そういう文脈においては、日本人はかなり熱心に誠実に、「世界市民的に」ジャズを理解していると言っても差しつかえないだろう。(『村上春樹 雑文集』p124〜125)
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■この文章を初めて読んだ時の僕の感想が書いてあった。「ここ」だ。
残念ながら2011年の現在では、はたしてアメリカ本国で「ジャズ」という音楽が黒人文化や政治運動にどれほどの影響力を持っているのか甚だ疑問だ。
って言ってるが、まことにお恥ずかしいのだけれど、2011年から「たった5年」過ぎ去っただけの「いま・ここ」の現在。まさにアメリカ本国において「ジャズ」という音楽が、ディアンジェロのR&Bや、フライング・ロータス、ケンドリック・ラマーのヒップホップ、それから、ロバート・グラスパーやカマシ・ワシントンの出現によって、黒人文化や政治運動に大きな影響力を「確かに」持つようになってきていることに、正直驚いているのだった。
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