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2022年3月

2022年3月26日 (土)

戦争反対! 待合室と自宅にあった絵本から

■3月6日:戦争反対! 手持ちの絵本も、これでおしまい。そっちもお終いにして欲しい。

『こどもたちはまっている』荒井良二の表紙は、ウクライナの国旗の色だ!

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■3月3日:戦争反対の絵本(その3)

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(写真をクリックすると大きくなります)

■2月27日:

ロシア軍のウクライナ侵攻に反対します。古い絵本が多くなってしまったけど『もっと おおきな たいほうを』二見正直・作(福音館書店)は、おすすめデス!


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■2月25日: 戦争反対!

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■以上、ツイッター上に2月25日〜3月6日にかけてアップした我が家にあった絵本たちです。

あと、『へいわってすてきだね』安里 有生/長谷川義史(ブロンズ新社)『せかいでいちばんつよい国』デビッド・マッキー(光村教育図書)を持っているはずなのだが、どうしても見つからなかったのでした。

2022年3月24日 (木)

ジャズ喫茶、渋谷「DIG」にレコード泥棒が入った!! その顛末

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■『BRUTUS 特別編集:完本 音楽と酒。』を買った。ピーター・バラカンが選んだ 96枚のレコード紹介がまずは読みどころだが、p202〜p207 には「60s - 90s 時代を象徴する music & drink な4軒」として、古い順に「新宿DIG & DUG」「渋谷ブラック・ホーク」「西麻布レッド・シューズ」「渋谷公園通り カフェ・アプレミディ」の4軒が紹介されている。

■新宿DIG & DUG に関して語るのは、オーナーの中平穂積氏だ。和歌山県新宮市出身(中上健次や児童精神科医 小倉清先生と同郷)日大芸術学部写真学科に入学後は、高校生の頃から大好きだったジャズが聴きたくて東京のジャズ喫茶巡りの日々。大学5年生の時、植草甚一氏と知り合い、彼のバックアップもあって、かねてからの夢であった自分の店「DIG」を新宿二幸ビル裏の3階にオープンする。1961年11月7日のことだった。翌年3月に挙げた結婚式では、植草甚一夫妻が仲人を務めた。

BRUTUS には「そして 1967年、紀伊國屋裏にジャズバー<DUG>をオープン。」と書かれていて、中平氏が 1963年7月10日に、渋谷百軒店にオープンさせた「DIG渋谷店」の事には一切触れられていない。

じつはこの「DIG渋谷店」が、以前にも紹介したように、そのまま「ロック喫茶ブラック・ホーク」となる。1969年のことだ。BRUTUS では<ブラック・ホーク>のことを萩原健太氏(1956年2月生まれ)が紹介している。彼が高校生の時(1973年)に初めて渋谷百軒店を訪れ、大学生になると、この界隈に入りびたることになるのだった。

中平穂積氏が、なぜ「渋谷DIG」を手放したのか? これは以前にも少し書いたが、その詳細は『新宿DIG DUG物語』高平哲郎編(三一書房)に載っていて、たしか持っていたはずなのだが探しても見つからずあきらめていたら、先だって「戦争関連の絵本」をいろいろと探して納戸の奥の方から絵本を引っ張り出したりしていて、偶然その本がいっしょに見つかったのだった。以下、その真相部分を転載する。(p60〜p62)

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 1966年秋のことでした。渋谷店のレコードが大量に盗難にあったんです。あのころ、渋谷店には2000枚のレコードを三段の棚に整理してありました。ある日、出勤した従業員の鈴木彰一が、二段目の棚の1000枚が消えていることに気づいたんです。鈴木は、現在は中野の「ジニアス」のオーナーです。そのときは、鈴木も、犯人は手の届きそうなところにあったレコードを無差別に持っていったと思っていました。

 連絡を受けて駆けつけてみると、二段目の棚にケニー・ドーハムの『マタドール』一枚だけが残っていました。このレコードは幻の名盤といわれていて、1964年にケニー・ドーハムが来日したときに、本人からサインをもらったものだったんです。売ったって高い価値のある名盤なのに、その価値が判らなかったのかあわてて残していったのかは判りませんでした。

 これはメッセージじゃないかって、ぼくは冗談半分に言いました。「『マタドール』を残したのは『また盗る』の意味じゃないのかな。怪盗ルパンみたいに」

 でも、この事件は幸いなことに解決するんです。事件から3ヵ月が過ぎたころ、「DIG」渋谷店近くの寿司屋に行ったときの話です。その店の主人がこんな話をしたんです。

 「そういえば、3ヵ月前の朝方、店の前に白い車を止めて、荷物を運んでいたのがいたよ。運転していたのは、そこの喫茶店の男だったよ」

 この目撃情報を聞いて、すぐに渋谷署に連絡して、喫茶店の男が捕まって、一挙に事件が解決しました。男は「ある人に頼まれてレコードを運んだ」と自供しました。それから間もなく犯人グループ4人が逮捕されました。「DIG」渋谷店に一時期、出入りしていた不良グループが犯人だったんです。事件の後、ぱったり来なくなったんで怪しいとにらんでいた男たちでした。1000枚のレコードも無事帰ってきました。

盗難事件の直後に、渋谷署から「盗まれたレコードのリストを作って欲しい」と言われて、鈴木彰一と二人で、アメリカのレコード・カタログの「シュワン」を見ながら、900枚以上のリストを数日かかって作ったんです。戻ってきたレコードと照合したら、二、三枚ぐらいしか違っていませんでした。警察にも凄い記憶力だと誉められましたよ(笑)。

「DIG」渋谷店が繁盛したんで。店の大家が渋谷「DIG」の二階でジャズ喫茶を開店したんです。でも木造でしょう。一階と二階の音が混じり合って、ひどい状態になった。盗難事件に音の問題で、ぼくも嫌気がさしてきました。それで1967年に、渋谷「DIG」を閉めることにしたんです。

 店を売りに出したら手元に500万円が残りました。これを新宿の日本相互銀行に預けたんですが、これが幸運の始まりになりました。そこの支店長がたまたま日大の先輩ということもあって、「事業を拡大するなら融資しますよ」って話になって、それが紀伊國屋裏のビルに「DUG」を開くきっかけになったわけです。

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 『新宿DIG DUG物語 --中平穂積読本-- 』高平哲郎編(三一書房)p60〜p62 より転載

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