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2016年3月

2016年3月24日 (木)

麻生久美子の舞台『同じ夢』。それから映画『亀岡拓次』のこと(その2)

■舞台『同じ夢』に登場する人たちはみな、それぞれに「手かせ足かせ」の左門豊作状態で、どうにもならない状況下にある。それでも自らの人生を破綻させることなく「いま」をただ、しょうもなく生きている、一見「夢も希望もない」無名で市井の、冴えない中年男ばかりだ。

主人公の「光石研」は、父親が始めた肉屋を引き継ぎ、妻を10年前に交通事故で亡くしたあと、男手一つで一人娘を育て上げた。娘は成人し就職したが同居中。父親は倒れて寝たきり状態だ。夜ひとりリビングを掃除し終わり、掃除機を仕舞おうとしてコード収納ボタンを押す。しゅるしゅるしゅる。また、コードを引っ張り出す。また押す。しゅるしゅるしゅる。

ふと、掃除機のコードを自分の首に巻いてみる。でも、いま死ぬことはできない。

なぜなら、通いのホームヘルパーさん(麻生久美子)と、あわよくば再婚できないか、という「はかない夢」があったから。

■『同じ夢』は、地方公演ももう終わっているから、一部ネタバレします。ごめんなさい。

・このお芝居では、役者さんがみな「タバコ」を吸う。驚いたことに、麻生久美子も登場早々にタバコを吸うのだ。でも、「タバコを吸うこと」に必然性があるのだ。特に何も劇的展開は起こらないこの舞台で、ぼくが最も「劇的」に感じた場面は、登場人物がみな肩寄せ合って1箇所に集まり「いつでも夢を」を唄う場面だった。

その、1箇所に集まる必然性が「タバコを吸うこと」なのだ。主人公の光石研は禁煙していた。だから、友人の田中哲司はタバコを吸う時に、キッチンの流し左横上にある「換気扇」を回して、その下で吸うのだ。大森南朋も麻生久美子も、換気扇の下へ行ってタバコを吸う。終いには光石研も禁煙を破ってタバコを吸う。(赤堀雅秋さんだけ吸わないので、一人離れて淋しそうだった。しかも、実際の赤堀さんはヘビー・スモーカーなのに

そういう訳で、「換気扇の下」が、登場人物がみな肩寄せ合って集う場所になったのだ。

・キッチン流し台の換気扇の下でタバコを吸う芝居を以前に観た。三浦大輔・作・演出『母に欲す』だ。峯田和伸(銀杏BOYZ)・ 池松壮亮・片岡礼子・田口トモロヲが出演し、池松壮亮が何度も「そこ」でタバコを吸った。

・それから、舞台上で役者さんがタバコを吹かす場面が印象的だったお芝居に、宮沢章夫・作・演出『ヒネミの商人』があった。タバコをふかすのは、先だってテレビ東京の『テレビチャンピオン』を卒業した「中村ゆうじ」。このお芝居では、銀行員役だった「ノゾエ征爾」が履いてきた「靴」が、片方だけ無くなってしまう。

・『同じ夢』でも、光石研が舞台に登場した時から、片方だけ「靴下」を履いていない。行方不明なのだ。ところで、ノゾエ征爾は映画『ウルトラ ミラクル ラブストーリー』横浜聡子監督作品(2009年)の中で、主人公「松山ケンイチ」の幼なじみで農協職員、でも上京して役者になりたい男を演じていた。

・そんな松山ケンイチが一目惚れしてしまうのが、保育士の麻生久美子だ。彼女が同棲していた恋人(井浦新)は突然出て行ってしまい、他の女が同乗した車で交通事故を起こし死んでしまう。しかも首から上が未だに見つからない。彼女は東京からわざわざ青森に移り住み、カミサマ(イタコ)に「元彼の首」がいまどこにあるのか、どうして彼女のもとを離れていってしまったのか、死んだ彼に訊こうとするのだった。

・自閉症で衝動性と多動、軽度知的障害も合わせ持ったまま大人になってしまった「松山ケンイチ」の頭の中では、絶えず農薬散布のヘリコプターの爆音が聞こえている。舞台『同じ夢』でも、ときどき「肉屋」の上を自衛隊のヘリコプターが爆音を響かせ通過する。

・さらにこの4月から、障害児を育てる麻生久美子に恋してしまった峯田和伸(銀杏BOYZ)が、母子を支援するドラマ『奇跡の人』が、NHKBSプレミアムで始まる。しかも、このドラマの脚本は、あの『泣くな、はらちゃん!』の「岡田惠和」。

・『泣くな、はらちゃん!』には、光石研が出ている。生きて死んで、死んだまま、越前さんにマンガで描かれたことで復活するのだ。それから、あのヤスケン(安田顕)も一話だけ登場しているぞ。

そういえば、松山ケンイチも『ウルトラ ミラクル ラブストーリー』の中で農薬浴びすぎ、心臓はもう動いていないのに、町子センセイ(麻生久美子)のことが好きすぎる「彼の脳味噌」だけが生きているのだった。

・さらに、『泣くな、はらちゃん!』と同じワクで放送された『ど根性ガエル(実写版)』のヒロシ役が松山ケンイチで、どことなく子供のまま大人になってしまった「陽人」の面影があった。脚本は、これまた岡田惠和。


YouTube: 泣くな、はらちゃん 【私の世界】 ロックバージョン


 

・麻生久美子は舞台『同じ夢』の中で、光石研に彼の寝たきりの父親を介護する中で、自らのおっぱいを「そのエロじじい」に揉まれていたことを告白する。映画『俳優 亀岡拓次』の中では、大女優・三田佳子が舞台上で安田顕に自らの乳を揉まれる。

■なんか、ぼくの中では「いろんなこと」がリンクしてつながって行くのだった。

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光石研さんは橋口亮輔監督の映画『ハッシュ!』で田辺誠一の兄貴役の演技が光ってたので、今日のお芝居『同じ夢』を松本まで観に行ってきた。いや、よかった。すっごく面白かった。大森南朋に田中哲司。みんなよかった。橋幸夫の『いつでも夢を』だから『同じ夢』か?ナマ麻生久美子は想像以上だったよ。2016年2月24日
続き)それから、舞台が始まる前から劇場場内に「不思議な香り」が微かに漂っていたんだけれど、あれは、稲葉さん(赤堀雅秋)が付けていた、安物のオーデコロンの匂いだったのだろうか? 舞台『同じ夢』まつもと市民芸術館にて。
昨日の昼休みに、伊那市役所ロビーに行って、伊那谷フィルムコミッションの展示を見てきた。「orange 松本ロケ地 Map」と「俳優亀岡拓次:呑んだくれロケ地 MAP」「伊那谷ロケぶらり」のパンフレットを入手。映画「俳優亀岡拓次」はすごく期待してるんだ。2月27日より伊那旭座で公開
続き)映画主演の安田顕さん。『水曜どうでしょう』に、たまにゲスト出演していた頃から注目していたのだよ。個人的には『下町ロケット』よりも『みんなエスパーだよ!』や『ゴーイング・マイ・ホーム』での、とぼけた演技が好き。(2016/02/06)
映画にも実際に登場する「伊那旭座」で『俳優 亀岡拓次』を観た。しみじみ良かった。先週松本で観たお芝居『同じ夢』に続いての麻生久美子だ。安田顕が帰った後の居酒屋「ムロタ」のカウンター内で一人、立ったまま「お茶漬け」をすする麻生久美子。『麦秋』の原節子を彷彿とさせる名シーンだったな。2016年3月6日
『俳優 亀岡拓次』感想の追加。ヨーロッパ映画みたいだった。フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキがフランスで撮ったような。テンポをわざと外して、前のめりに突っ掛かった所で観客を「くすっ」と笑かすみたいな。個人的には、山形のスナックで喝采を唄うオバサンが2度映る場面が一番笑った。2016年3月8日
変な映画『俳優 亀岡拓次』を観て引っかかった横浜聡子監督の『ウルトラ ミラクル ラブストーリー』のDVDをレンタルしてきて観た。おったまげた。めちゃくちゃ変。ラストシーンに唖然。監督の妄想が疾走している。otanocinema.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/p… 読んで、もう一度見ないとな。2016年3月22日
続き)幼稚園の子供たちが自然に過激だ。そこがまず凄い。それからカメラの長回し。麻生久美子が自転車を押しながら松山ケンイチと二人夜道を帰るシーン。画面奥の浜辺で花火をしている。緊張と緩和。ここが好き。まるで、テオ・アンゲロプロスか、相米慎二の『雪の断章』ファースト・シーンみたいだった。2016年3月22日

2016年3月18日 (金)

麻生久美子の舞台『同じ夢』。それから映画『亀岡拓次』のこと

■女優・麻生久美子を初めて意識したのは、テレ朝で深夜に放送されていた『時効警察』だった。すっとぼけた演技のオダギリ・ジョーとの丁々発止のやり取りで大いに笑かせてもらった、キュートで清楚なコメディエンヌが彼女だったのだ。こんな女優さんがいたのか! 正直驚いた。

しかし、彼女の魅力がフルパワーで全開したのは、なんと言っても、日テレ土曜9時台のドラマ枠で放送された『泣くな、はらちゃん』の「越前さん」役だったと思う。


YouTube: 泣くな、はらちゃん ♪♪

神奈川県三浦半島の先端に位置する三崎町。その漁港近くにある蒲鉾工場で働く、婚期をちょいと過ぎた越前さん。彼女の唯一の楽しみは、モヤモヤとした鬱憤をマンガを描くことで晴らすことだった。

それにしても、麻生久美子には「制服」がよく似合う。お巡りさんはもちろん、蒲鉾工場の作業衣だって妙に様になってるじゃないか。

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■そんな麻生久美子は、映画界では引っ張りだこで、田口トモロヲ『アイデン&ティティ』、大根仁『モテキ』、園子温『ラブ&ピース』などなど、いっぱいありすぎてきりがないな。美人だけれど、幼年期に苦労があったに違いない不穏な陰があって、年増域に入って既婚で子持ちの女優になってしまったのに何故か(原田知世とはちょっと違った)ピュアで清廉潔白な雰囲気が漂うという、この血液型B型の摩訶不思議な女優を、映画監督は「俺ならこう撮る」っていう自負が出てしまうんだろうなぁ。

同じことが舞台の演出家にも言えて、「俺ならこういう役を彼女に演じさせたい」っていう欲望がふつふつと湧き上がってくるのであろう。岩松了がそうだし、今回『同じ夢』を作・演出した赤堀雅秋がそうだったに違いない。でなければ、あの「麻生久美子」に寝たきり老人の通いの介護士「ホームヘルパー」役なんて振るわけないもの。


YouTube: 「同じ夢」 スポット動画!


YouTube: 『同じ夢』 trailer movie 2016/2 シアタートラム

■このお芝居が松本でも公演されると知って、年末にネットで予約を入れたのだが、1週間以内に「まつもと市民芸術館」チケットセンターで現金支払いのことだったので、年末年始で忙しかったのに、12月29日にわざわざ松本まで出向いて行ったら、もう年末年始休業でお金を払えず。従って、松本公演のチケットは流れてしまったのでした。

仕方なく、チケットを取り直したら、小ホールの最後部席。正直、もっと前の席で「麻生久美子さま」のおすがたを拝みかたったなぁ。

でも、このお芝居は本当に面白かった!

ここ1〜2年で僕が観たお芝居(そんなに見てはいないが)の中では、ピカイチだった。

舞台俳優ではあるけれど、生身の人間が舞台上から「はける」には、それなりの必然性が必要だ。この舞台では、後ろから前への動線が4つ。肉屋の店先から奥の勝手口への動線と、中央奥の右側にあるらしいトイレ。それに、中央やや左にある階段を上った先にあるであろう2階の部屋と、舞台下手リビングの奥に「ふすま」で隔離された介護部屋(この動線はめったに使われないが重要だ。)

それに、舞台上手(かみて)に用意された勝手口。

麻生久美子は、最初この扉から登場する。

■その佇まい、話し方は「越前さん」そのままなのに、このお芝居での麻生久美子の発言・行動は、ことごとく僕のイメージをぶち壊してくれたのだった。(項を改めて、さらに続く)



2016年3月11日 (金)

カマシ・ワシントン(その6)追補:KENDRICK LAMAR『TO PIMP A BUTTETRFLY』

■カマシ・ワシントンも、6曲目「U」と、ラストに収録された「Motal Man」のバックで(まるでコルトレーンみたいに)演奏するテナー・サックスで参加し、その他の曲でもストリングス・パートのアレンジをいくつも手がけた、ケンドリック・ラマー『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』。やっぱり聴いてみるしかないなと思い、先だってようやく日本盤を入手した。

恥ずかしながら初めて聴いたが、こいつ、凄いな。

画面中央の星条旗じいさんの向かって右奥にいるモジャモジャ頭の人が、カマシ・ワシントンだ!


YouTube: Kendrick Lamar - For Free? (Interlude)

「俺のチンポはタダじゃねぇ!」 って、かなりヤバい歌詞だぞ。


YouTube: Kendrick Lamar - Alright


YouTube: Kendrick Lamar - King Kunta

■言うまでもなく「クンタ・キンテ」は、小説&テレビドラマ『ルーツ』の、アフリカから奴隷船の船底に乗せられて新大陸まで強制的に連れてこられた主人公の名前だ。

このCDは、アメリカ在住の黒人に関する一大叙事詩、絵巻なんだと思った。

「ここの解説」は、かなり詳しいぞ。あと、

ケンドリックラマー『To Pimp A butterfly』の怪物性とは? 」。

■ケンドリック・ラマー(1987年生まれ)は、ロサンゼルスでも一番ヤバい地区(コンプトン)の出身。「King Kunta」のPV撮影現場が「そこ」だ。「For Free?」のPVの巻頭でアルトサックス・ソロを吹いているのが、このCDのプロデューサーでもあるテラス・マーティン。

カマシ・ワシントン(1981年生まれ)と同じく、LAのサウスセントラル出身で、1978年生まれのロバート・グラスパー(テキサス州ヒューストンの出身)とは、15歳の時に、全国から選ばれた才能のある高校生プレーヤーがコロラド州で開催されたジャズ・キャンプに集まって、その時に出会っている。だから、このCDにはグラスパーが参加しているのだ。

『Jazz The New Chapter 3』p23 では、インタビューに答えて、テラス・マーティンはこんなことを言っている。

---- ロバート・グラスパーにインタビューした際にこの曲「For Free ?」について「あなたの演奏はマッコイ・タイナーみたいでしたね」と伝えたら、「テラス・マーティンにマッコイ・タイナーみたいに弾いてくれって言われたから」と言ってました。

Terrace Martin:「ほんとうは、彼にはケニー・カークランドみたいに演奏してほしいと言ったんだよ。ケニー・カークランドはもう亡くなってしまったけれど、俺が一番大好きなミュージシャンの一人なんだ。ウィントン・マルサリスとブランフォード・マルサリス周辺のミュージシャンは、俺の音楽に多大な影響を与えてくれたのさ。」

テラス・マーティンは、グラスパーと同い年くらいだと思うが、ウィントン兄弟をdisることなく、心からリスペクトしていることが分かる発言だ。

ウィントン・マルサリスが1961年10月生まれだから、かつての神童も今年で55歳になる。ジャズ界の最前線でまだまだ活躍している、ハービー・ハンコックは 1940年4月生まれだから75歳、ウェイン・ショーターは 1933年8月生まれの82歳。ファラオ・サンダースだって75歳の今やご老体だ。

ぼくらは、いつまでも「彼ら」にすがっていてはいけないのではないか? 若い彼等に、これからのジャズを任せてみてもいいんじゃないか? そう思った。

今年の夏には、ロバート・グラスパーもカマシ・ワシントンも自分のグループで再来日し「フジロック」に出演することが決まった。会場を訪れた、ジャズなんて牛角か小洒落たラーメン店のBGMで流れてる音楽っていう認識しかない若者たちが「彼等の熱い音」を初めて聴いて「カッコイイ!!」って思ってもらえればしめたものさ。

■話はループして、最初の「村上発言」に戻る。続きの部分を以下に引用すると……

 どちらの言い分が正しいのかというというのは、言うまでもないことだが、どちらの立場に立ってものを見るかによって変わってくる。僕個人の意見を言わせていただくなら、どちらの見方もそれなりに正しい。

こういう結論の下し方はいささか優等生的すぎるかもしれないが、僕ら日本人はもしジャズを真剣に聴こうとするなら(あるいはブルーズやラップ・ミュージックを真剣に聴こうとするなら)「音楽は音楽として優れていればそれでいいんだ」という以上のリスペクトを、アメリカにおける黒人の歴史や文化全体に対してもう少し払ってもいいんじゃないかと思うし、今日随所で見られる「こっちには金があるんだから、札束を積んでジャズ(に限らず他の何かなり)をオーガナイズしてやろう」という風潮はできることなら改めた方がいいと思う ---- 少なくとももうちょっと控え目になった方がいいと思う、たとえ悪意はないにせよ。

またそれと同時にマルサリス兄弟をはじめとする若い黒人ミュージシャンたちも、文化的独占権を声高に言い立てるよりは、自分たちの音楽をもっと世界に拡げていくことによってより幅広い民族的アイデンティティーを確立するというパースペクティヴを持った方がいいのではないかという気もする。

そういう一般論で締めくくるには現今の社会状況はあまりに閉鎖的で重すぎるかもしれないけれど、少なくともレーシズムに対する逆レーシズムといった構図からは、真に創造的なものはうまれてこないのではないか。(『村上春樹 雑文集』より「日本人にジャズは理解できているんだろうか」p125,126)

■村上春樹さんが、20年以上も前に書いたこの文章は、ケンドリック・ラマーの『TO PIMP A BUTTERFLY』によって、まさに実現されていることに、今更ながら驚く。

(おわり)



2016年3月 8日 (火)

カマシ・ワシントンの続き(その5:これでおしまい)

■前置きが長くなりすぎて、すでに飽きてしまった感はあるが、ようやく本篇です。

『THE EPIC』(CDの帯には「ザ・エピック」と書いてあるけれど、「ジ・エピック」じゃないのか?)の、音楽評論家:高橋健太郎さんの評

こちらは、沖野修也氏のカマシ・ワシントン評

そうなんだよなぁ。何か革新的な音を目指しているんじゃなくて、むしろ懐かしい、1970年代のレトロな響きがする。例えば、『ブラック・ルネッサンス』みたいなレコード。ブラック・パワーに充ち満ちていて、自信にあふれ、大らかで、ソウルフル。そして何よりも、聴いている者の心の奥底まで深く到達する音楽。つまりは、スピリチュアルであるということなんだ。

それに、とにかく聴いていてカッコイイ!

個人的お気に入りは、何と言っても CD2枚目の「Volume 2」だ。特に1曲目とラストの6曲目が熱い。リズムセクションが、僕の大好きなエリック・ドルフィーの『ファイブ・スポット vol.2』A面「Aggression」での、マル・ウォルドロン(p)、リチャード・デイヴィス(b)、エド・ブラックウェル(drums)みたいだからだ。

特に6曲目「The Magnificent 7(荒野の七人)」での Cameron Graves のピアノ・ソロが熱い。最初は、ジョン・ヒックスみたいな感じで始まって、そのうちにドロドロと音がうねりはじめ、あのファイブ・スポットでのマル・ウォルドロンが憑依したかのような異様な盛り上がりを見せる。

それから、サンダーキャットのベース・ソロがこれまためちゃくちゃカッコイイぞ!

3曲目「Re Run」もいい曲だ。3枚目では、アレンジを変えて「Re Run Home」としてもう一度演奏されるが、これまたカッコイイ。あと、1枚目の「Change of the Guard」「Askim」も、もちろん好きだ。

[live video] カマシ・ワシントンによるKCRWでの30分強のライブ映像

■それにしても不思議なのは、ロバート・グラスパーたちが推進する「今ジャズ」とは明らかに違う方向(どちらかと言えば後ろ向き)を、カマシ・ワシントンが目指していることだ。それに何よりも、ニューヨークではなくて、ロサンゼルスで録音されている、いわゆる昔でいうところの「ウエスト・コースト・ジャズ」なのだ。今までのジャズの歴史に則していうと、最先端の音を発信する場所では決してなかった。

でも案外、この「西海岸発」っていうキーワードが重要なのかもしれない。

例えば、ストラタ・イーストやインパルス・レーベルで隆盛を極めた「70年代スピリチュアル・ジャズ」を80年代初頭にリバイバル・ヒットさせたのが、ファラオ・サンダース『ジャーニー・トゥ・ジ・ワン』(Theresa)であり、このレコードは西海岸のサンフランシスコで録音された。テレサは、サンフランシスコの地元にあるマイナー・レーベルで、実はファラオ・サンダース自身がサンフランシスコの出身だったのだ。

■カマシ・ワシントンもロサンゼルスの出身だ。父親も西海岸で活躍する、ジャズ・サックス奏者だった。しかし、ウィントン・マルサリス音楽一家とは違って、決して裕福な家庭ではなく、LAでもランクの低い地域(サウスセントラル)に居住していたらしい。そのあたりのことは、以下のインタビュー記事に詳しい。

  ・「取材・文:バルーチャ・ハシム、原雅明」

  ・「取材・文:柳楽光隆

インタビュー記事に登場する名前でポイントとなるのは、フライング・ロータスとケンドリック・ラマーだ。二人とも、ロサンゼルスの出身で、フライング・ロータスは、ジョン・コルトレーンの2番目の妻(最初の奥さんはナイーマ)であるところの、アリス・コルトレーンの妹の息子にあたる。つまりは、伯父さんがコルトレーンという出自。凄いぞ。

フライング・ロータスが「今ジャズ」に接近した『ユーアー・デッド!』と、ロバート・グラスパーやクリス・デイヴらの「リズムのとらえ方の違い」関して、『ミュージック・マガジン 2014/12月号』(特集:2010年代前半の洋楽大総括!)誌上において、高橋健太郎氏はこう書いている。

(前略)新世代ジャズ・ドラマー達に共通するのは、クラブ・ミュージックに強い影響を受けてきたことだ。あるいは、このクラブ・ミュージックはマシーン・ミュージックと言い換えてしまってもいい。

 人間のドラマーがマシーンのドラムを真似て演奏する、という現象は、遡れば1990年代のドラムンベースに始まる。(中略)

そこでよく話題になるのが、ア・トライブ・コールド・クエストやファーサイドなどのトラックメイカーであった故J・ディラからの影響だ。端的に言えば、微妙にタイミングをズラしたドラム・マシーンとフレーズ・サンプルの組み合わせで官能的なグルーヴを生み出したディラのトラックメイキングが、ドラマー達に新しいインスピレーションを与えたということだ。(中略)

ともあれ、プログラミングされたズレのあるビートを生のドラミングに移し替えることが、新しいジャズの潮流を生み出しているのは間違いない。(中略)

ディラのようなトラックメイカーはトライ&エラーを重ねながら、絶妙なズレを生み出した。現代のスタジオ作業ではDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)上の常に「グリッド」は見えているが、そのグリッドには従わず、任意のタイミングでサンプルを重ねた時のズレこそに、粋なグルーブを見出す。(中略)

だが、人間のドラマーは、適当な塩梅でズラすのが粋、では仕事にならない。なぜなら。彼らの他のミュージシャンと合奏せねばならないからだ。ゆえに、ディラのようなビートを叩くといっても、そのズレをグリッド上で再定義して叩くことになる。

ドラムンベースは2の倍数で小節を割るだけだったが、クリス・デイヴのようなドラマーは3の倍数でも割ったポリリズミックなグリッドを持つ。(中略)

(フライング・ロータスが)2010年の来日時に、僕は朝日新聞にこんな彼のライヴ評を書いている。

「うわものとなる生楽器等がなくても、即興的に生成されるリズムの自由度が強烈にジャズ、あるいはフリー・ミュージックの精神を感じさせる。思いがけない展開の連続ながら、一瞬の隙もなく、スムースに変異していくのにも驚かされる」

 ラップトップ1台で演奏している時でも、フライング・ロータスの音楽は強烈にジャズ的であり、その根源は変異していくリズムにある、ということを言っているのだが、その論は現在でも有効だと思う。

さらに言えば、そんなフライング・ロータスは、グリッドに囚われない音楽を志向している、というのが僕の基本的な考えだ。(中略)

フライング・ロータスと「ある感覚」を共有して、演奏に参加しているのは、たぶん。盟友サンダーキャットだけではないだろうか。

 その感覚とは何よりも空間に関わるもののように思える。短い曲のいずれもが、ある特異な空間をくぐり抜けていくような体験をもたらすからだ。そこに入った瞬間に目眩がするような歪んだ感覚に囚われるので、40秒でも強烈なインパクトがある。

気持ち悪くなるギリギリくらいの定位/位相/残響などのミックス処理が効いているが、その空間感覚のオリジンを考えていくと、伯母のアリス・コルトレーンの音楽に行き当たったりもする。(中略)

 話を「グリッド」に戻すならば、音楽においては、時間に関わることと空間に関わることは不可分でもある。音楽の時間軸をグリッドで考えず、非グリッド的に作っていく、ということが、空間の構成も変える。フライング・ロータスとサンダーキャットは優れて、そこに意識的なサウンドメイカーであるようにも思える。(中略)

 そういう意味では、それはヒップホップからの影響を咀嚼し、グリッドを再定義して進む「新しいジャズ」への批判としても成り立っているように思う。ジャズ・ミュージシャンを多く招き入れながら、彼らの演奏を使って、違うコンセプトの音楽を聞かせる。

ジョン&アリス・コルトレーンの甥が、ジャズが持っていたスリルを備えているのはどっちだ? と問うている。(『MUSIC MAGAZINE / December 2014』p46〜49)

2016年3月 3日 (木)

カマシ・ワシントンの続き(その4:菊地成孔さんの話)

■ロバート・グラスパーが『ブラック・レディオ』で登用した新世代ジャズ・ドラマー、クリス・デイヴやマーク・コレンバーグ、グレッチェン・パーラト(vo)の旦那さんでもあるマーク・ジュリアナなどが叩き出す「リズム」の革新性について、最新号の『ミュージック・マガジン3月号』62ページから柳樂光隆氏が僕なんかにも分かり易く総説を載せている。

同じ話を、菊地成孔氏が、村松正人監修『プログレッシヴ・ジャズ 進化するソウル フライング・ロータスとジャズの現在地』(別冊ele-king /Pヴァイン/2014/10/14)の「菊地成孔『今ジャズ』講義」の中で、インタビューに答えて語っているのだが、これまた大変分かり易い。

これに関しては、菊地さんのラジオ番組『粋な夜電波』の中でも何度も語られている。最近では 2015/11/06「アフリカからディアンジェロまで ブラックミュージックを語るにはクラブの中にいるだけでは不十分だ」が詳しい。

ここでは、その「リズム」の話ではなくて、以下の発言を取り上げたい。

菊地:「今ジャズ」がフュージョンであることの第二の理由は、拝外思想が復活したこと。スター・プレーヤーはアメリカにいて、日本人はぜんぜんダメというものすごい懐かしい拝外思想が蘇生している。(中略)

随分長い間、いくらウィントンが、ハイブな出自に懺悔するがごとく、実直すぎるほど地道な活動をニューヨークで続けようと、あらゆる過去のジャズジャイアントの存命者や、ブラッド・メルドーなんかが夜中から安く聴けるという状況があろうと、ジャズにおけるニューヨークのありがたみは、観光客相手のレベルまで含め、価値が下落していた。

「今ジャズ」の最大の功績に「やっぱニューヨークって本場だよな」って再び思わせたってこと。世界中にいるDJや全米のラッパーは憶えられなくても、ニューヨークに3人の有名なドラマーがいるとなると憶えられる。(『プログレッシヴ・ジャズ』p65)

■つまりは、最先端のジャズ(今ジャズ)の発信地が、アメリカ・ニューヨーク限定であること。そして、その発信者が「黒人」の若手ミュージシャンであることが重要だ。

しかも彼らの音楽体験のベースは、1990年代のヒップホップであり、R&B もしくは、マイケル・ジャクソンやプリンスといった、ブラック・コンテンポラリー・ミュージックなのだから、ジャズだけを一生懸命聴いてお勉強してきました! って感じのウィントン・マルサリスとはぜんぜん違う。

だからこそ、菊地成孔氏は「第二次フュージョン期」として、マイルスの『ビッチズ・ブリュー』と、チック・コリア『リターン・トゥ・フォーエバー』に始まる、1970年代の「第一次フュージョン・ブーム」を彷彿とさせる、ジャズ界の大変革期と捉えているのだな。

■そのブームを一人で牽引するロバート・グラスパー(p)のアイドルは、ハービー・ハンコックとクインシー・ジョーンズだ。

彼が目指すものは、だから「プロデューサー」的な役割、つまりは自らを「ハブ」として、彼の多彩な人脈を駆使し、一見無関係にも思えるミュージシャンたちを出会わせ、刺激的でまったく新しい音楽を一般大衆に提示してみせることなんじゃないか。

だから、彼の中では「ジャズやってます」なんて意識はこれっぽっちもないから、ウィントン・マルサリスが一人で「ジャズの未来」を背負ってしまった(村上さんも「そこ」をたぶん期待しているからこそ、愛の鞭を振るったのだと思う)不幸から、根本的に自由でいられた。そこがよかった。

さらに彼が幸運だったことは、ウィントン・マルサリスの懐古的・博物館的・学術的ジャズには、到底ついて行けなかった、ニューヨークの同胞アフリカン・アメリカンが諸手を挙げて彼の『ブラック・レディオ』を絶賛したこと。それに、アメリカの人口の多数を占める白人も、ヒスパニックも、最先端のヒット・チャートからグラスパーの音楽を好んで聴いてくれたことがやはり大きい。

黒人(アメリカの人口の12%にすぎない!)だけのマーケットでは、音楽は売れないのだ。

2016年3月 2日 (水)

カマシ・ワシントン(さらに続き:マルサリス兄弟のこと)

■前掲の「日本人ジャズ理解できているんだろう」という村上春樹氏の論考の一番のポイントは、ブランフォード・マルサリスの発言が発端となっていることだ。

村上春樹のエッセイ集『やがて哀しき外国語』(講談社文庫)に収録された「誰がジャズを殺したか」の中で、村上氏はその張本人として「マルサリス兄弟」の名前をあげているし、『意味がなければスイングはない』村上春樹(文藝春秋)では、161ページから「ウィントン・マルサリスの音楽は なぜ(どのように)退屈なのか?」という章がわざわざ設けられている。

つまり、村上氏は「マルサリス兄弟」のことがあまり好きではないみたいなんだな。本文ではあくまでも紳士的に「マルサリスさんが仰ることは、よーくわかりますとも」と書きつつ、その行間では、「それを、よりによって『あんた』には言われたくなかったな」って、村上氏はたぶん言っている訳ですよ。

 結局のところ、残念ながらジャズというのはだんだん、今という時代を生きるコンテンポラリーな音楽ではなくなってきたのだろうと思う。冷たい言い方かもしれないけれど、 僕はそう感じるし、思う。

 もし僕が1952年にアメリカにいたら 、何があったってNYに行ってクリフォード ブラウンの ライブをきいていただろう。1960年にアメリカにいたら、やはり同じ様にジョン・コルトレーンと キャノンボールとビル・エバンスの加わったマイルス・デイヴィス・セクステットを必死に聴いていただろう。

 何も新しいジャズが嫌いだというのではない。新しいジャズだって聴けば楽しいし、やっぱりジャズっていいなあと思うことだって多いのだ。でもそこには心を深く揺り動かす物がない。いまここで何かが生まれつつあるのだという興奮が無い。僕としてはそういうものに、かつての熱気の記憶で成立しているようなものに、余り興味が持てないというだけの事なのだ。(中略)

 でもこの演奏を聴いていて思ったのは、「結局のところ、マルサリスたちの世代にとっては、ジャズという音楽は一種の伝統芸能に近い物になっているんだろうな」という事だった。

 ウイントン・マルサリスは素晴らしい才能を持った若者である。そして実に深く、真面目にジャズを研究している。ルイ・アームストロングから、キャット・アンダーソン、クリフォード・ブラウン、マイルス・デイヴィス、にいたるまでみんなが彼にとっての偉大な英雄なのだ。そしてウイントンは彼らの響きを見事に現代に再現することが出来る。その音色は惚れ惚れする位美しいし、テクニックは小憎らしいくらい完璧である。

でもそれだけではない。彼の演奏には愛情が、慈しみのようなものが溢れているのである。 それはおそらく過ぎ去ってしまったものへの、今消え行こうとしているものへの慈しみである。

僕は個人的には、ウイントン・マルサリスの演奏がとくに好きというわけではない。ウイントン・マルサリスの演奏にはまだ「ウイントン・マルサリスの演奏でなければ」というだけの本物の熱気がない。ここで今、この目の前で何かが生まれていると聴衆に感じさせる要素が希薄である。でもそれはそれとして、彼の演奏には人を強くひきつける何かがあることも又確かである。

 しかし世間には「マルサリス一派叩き」の動きもある。ウイントンは若い世代のジャズ・ファンの間にカリスマ的な人気を持っているし、ブランフオード・マルサリスはテレビの人気番組「トウナイト・ショウ」の音楽監督兼レギュラー・バンド・リーダーになった。彼らは今日のジャズ界において、60年代のケネデイ兄弟みたいな影響力を持った存在になりつつあるように見える。そういうことに対して不快に感じている人々が多くいたとしても決して不思議はない。 

 先日「NYタイムズ」の日曜版にピアニストのキース・ジャレットが寄稿して、マルサリス一派(具体的な名前こそ出さなかったけれど、ちょっと読めば彼がマルサリス兄弟を念頭において書いているのは一目瞭然である。)を批判していた。

 「最近の若手の黒人ミュージシャンたちは実にうまくジャズを演奏する。でも彼らの創造性というのは一体どこにあるのだ。」というのがその文章の骨子だった。でも僕は思うのだけれど、たぶんマルサリスたちの考える創造性というのは、名前こそ同じだけれど、実は全然違った場所で違った空気を吸って生きている同名異人のようなものではないのだろうか。

 キース・ジャレットたち60年代の世代にとっては、音楽というのは戦い取るものだった。 彼らにとっての創造行為とは、多くの場合において先輩のコンサーヴァテイブな演奏家達との絶え間の無い戦いだった。負けるか勝つか、否定するか否定されるかかという熾烈な戦いだった。そこに彼の言う「創造性」が生まれた。 

 僕は正直言って、キース・ジャレットという演奏家の「創造性」を余り高くは評価しない人間だけれど、それでもそこに「創造性」への希求があったことを認めるのにやぶさかではない。

でもマルサリスたちの世代にとっては、ジャズという音楽はもはや反抗すべき物ではなく、それに感動し、そこから学び取っていくべき音楽なのだ。彼らにとっては、それはある意味では既に一度閉じてしまった環である。彼らにとっては、それは古くて素晴らしい物が詰まった宝箱の箱のような物である。彼らはそのような発見に大きな喜びを感じ、スリルを感じるわけだ。

それはある意味では「若手の黒人ミュージシャン」にとってのルーツ探しであり、それなりにヒップな行為なのだ。そういう彼らのジャズという音楽に対する観念・発想そのものが、キース・ジャレットの世代のそれとは全然異なった物なのだ。その根本的な相違をキース・ジャレットはやはり認識しなくてはならないと思う。

「反抗しろ、戦い取れ」と言われても、マルサリスたちにすれば「そんなこと言ったって、いったい何に反抗すればいいんだよ」とただ肩をすくめるしかないのではないか。逆にいえば、マルサリスたちは、「彼らに反抗しなくてはならない」と思うほどには、キースたちの世代の音楽を評価していないと言う事になるのではないか。そしてそういうところにもまた、キースの深い苛立ちがあるのだろう。

 (『やがて哀しき外国語』村上春樹:講談社文庫「誰がジャズを殺したか」より抜粋)

■これを読んで笑ってしまうのは、村上さんの「キース・ジャレット嫌い」は有名な話だから、さらに混乱してしまうんだな。『意味がなければスイングはない』(文藝春秋)の169ページには、こんなことが書いてある。

正直に言わせていただけるなら、僕はキース・ジャレットの音楽の胡散臭さよりは、ウィントン・マルサリスの音楽の退屈さの方を、ずっと好ましく思っている。そして同じ退屈さでも、チック・コリアの音楽の退屈さよりは、こちらの方がよほど筋がいいと感じている。(『意味がなければスイングはない』p169

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