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2014年6月

2014年6月29日 (日)

今月のこの1曲。『ぼくのお日さま』ハンバートハンバート

■ハンバートハンバートの新作CD『むかしぼくはみじめだった』を、ようやく入手した。毎日リピートして繰り返し聴いている。地味だが、じわりじわりと沁み入ってくる曲が多い。特に、ラストの「移民の歌」から最初に戻って「ぼくのお日さま」「ぶらんぶらん」「鬼が来た」と続いて行く流れがすばらしい。

キャッチーな派手さはないが、大地に根を張った、プリミティブで力強い自信に満ちた歌声とサウンド。ふたりのハーモニーも、ほんとピッタリと息が合っていて実に気持ちいい。

ハンバート ハンバート
YouTube: ハンバート ハンバート "ぼくのお日さま" (Official Music Video)

■このCDの中で、ぼくが一番すきな曲は2曲目の『ぶらんぶらん』なのだけれど、YouTubeにはアップされていないので、その次に気に入っている『ぼくのお日さま』を挙げておきます。

どなたかもツイートしていたが、ギターのイントロが、エリック・クラプトンの『 Change the World』っぽい。ぼくもそう思った。サビのコード進行は、マキタスポーツ氏が言うところの「カノン進行」だ。

でも、この曲は歌詞が沁みる。しみじみよい。聴き込むほどにじんわり泣けてくる。

歌ならいつだって

こんなに簡単に言えるけど

世の中歌のような

夢のようなとこじゃない

こちらのブログ:週刊「歴史とロック」の著者の文章がじつに読ませる。そうかそうか。

それから、こちらの「普通の日々」の方もいいな。

 

なお『ポンヌフのたまご』の遊穂さんの「うふふっ♫」に萌えた。

っていうの。わかるわかる(笑)

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■ナタリー「ハンバートハンバート × 又吉直樹」の鼎談が面白い。佐藤良成さんて車谷長吉が好きだったんだ。あの「どろどろ加減」、僕も大好きなのさ。それから、山下洋輔トリオの初代マネージャーだった「あべのぼる」氏の2曲も貴重だ。たしか最近亡くなってしまったけれど、松本の丸善で「自叙伝」を見かけた。

■このCDは、診察室の奥の処置室に置いたラジカセで、小さめの音量にしてかけているのだが、吸入とか採血、それから予防接種前後の待ち時間とかで処置室に入った親子連れが聞き耳を立て、『ポンヌフのたまご』や『ホンマツテントウ虫』を NHKテレビで聴いたことがあるのか、いっしょにメロディを口ずさんでいるケースが度々ある。

先日、看護婦さんから聞いたのだが、とあるおかあさんが、こう訊いてきたんだって。

「私もハンバートハンバート大好きなんですが、このCD、先生が選んで買ってきたんですか?

なんか、うれしくなっちゃったな。

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  <ハンバートハンバートに関する過去の記事>

『まっくらやみのにらめっこ』のこと(その2)2008/11/22

今年良く聴いたCD 2007/12/29

今年よく聴いたCD 2008/12/29

CD『ハンバート・ワイズマン!』より「おなじ話」の話。 2012/07/07

『ニッケル・オデオン』 2011/07/18

今月のこの一曲「陽炎」ハンバートハンバート 2010/10/27


2014年6月23日 (月)

『ボラード病』吉村萬壱(文藝春秋)と『羊の木 1〜5 』(講談社)

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■『ボラード病』吉村萬壱(文藝春秋)を読む。

この肌がぞわぞわする不穏で何とも嫌な感じは『羊の木』山上たつひこ作、いがらしみきお画(講談社)を読んでいる時の気持ち悪さといっしょだ。どっちも海辺の地方都市が舞台だし。

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■『ポラード病』の主人公「大栗恭子」は、11歳になったばかりの小学校5年生の女の子だ。B県にある海辺の地方都市、海塚(うみづか)に母親と二人だけで暮らしている。季節は5月。今の借家へは3ヵ月前に引っ越してきたばかりだが、小学校は転校しなくて済んだので、貧乏だけど頭のいい浩子ちゃんや、すごく太ったアケミちゃん、文房具屋の健くんと同じクラスのままだ。家では「うーちゃん」という目玉の黒い雌ウサギを飼っている。

そんな少女の日常が、部分的に「こだわり」をもってやたら詳しく綴られていくのだが、読んでいて「なんか変」なのだ。小学生が書く幼稚な文章のようでいてちょっと違う。「?」と思いながら読み進むと、35ページに以下のような一文が突然出てくる。

三十歳を越えた今では、ご覧のように文章を書くのが好きになっている私です。

以前、統合失調症の人の文章を読んだことがあるが、その感じによく似ている。『火星の人類学者』に登場する、高機能自閉症のテンプル・グランディンさんが書く文章の雰囲気もある。いずれにしても、主人公が感じている「世界観」が、ふつうの人とは明らかにズレているのだ。それが読んでいて「なんか変」と感じる原因なんだな。

「大栗、それは頭の中の虫ではなくて、錯覚というやつだ」

「さっかくですか」(中略)

私は錯覚を辞書で調べてみました。

「錯覚 ものをまちがって知覚すること。知覚がしげきの本当の性質といっちしないこと」

 私はこれは自分の秘密に属することだとピンと来ましたが、藤村先生に自分を晒すことに強い抵抗を感じました。(p11〜12)

「私は、先生に知らせた方がいいと思いました。クラスのきまり通りに、自分の感覚を大切にしただけです」と余計なことを付け加えました。その時、職員室にいた教頭先生と算数の都築先生が揃って顔を上げてこちらを見ました。(p55)

主人公は、周囲の他の人たちと異なり「世界を間違って知覚している」から、読んでいて何とも気持ち悪いのか。じゃぁ、彼女の母親はどうか? 母親はもっと変だ。明らかに何か強い被害妄想にとらわれている。

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■と、ここまでが前半の1/3までなのだが、じつはいま再読で64ページまで来たところ。

初読時と、読んでいてぜんぜん異なる印象に正直すごく驚いている。

それまで見えていなかったものが、くっきり見えるからだ。

「この本」は2度読まないとダメだ。

2014年6月15日 (日)

最近読んだ本(その2)

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『シークレット・レース/ツール・ド・フランスの知られざる内幕』

タイラー・ハミルトン&ダニエル・コイル 児島修・訳(小学館文庫)

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■この4月から、スカパーの「J Sports」視聴契約を止めてしまった。

「中日ドラゴンズ」のプロ野球中継を以前ほど熱心にフォローしなくなってしまったことと、毎年初夏の1ヶ月間、連夜の楽しみだった「ツール・ド・フランス」の生中継を、去年はとうとう一回も見なかったからだ。あれは、2013年1月18日のことだった。ツールで7連覇を遂げた超人、ランス・アームストロングが全米放送のテレビ対談番組で自らドーピングしていたことを告白した。

ランスの自伝『ただマイヨジョーヌのためでなく』を読んで、あれほど感動したというのに……。ショックが大きすぎた。

それ以後、ツール・ド・フランスに対して急速に興味を失っていったのだ。

ちょうどその頃、この本『シークレット・レース』が出版された。評判もかなり良かった。でも読む気になれなかった。あれから1年経って、ようやく手に取ったのだが、もっと早く読んでおけばよかったと、すっごく後悔した。めちゃくちゃ面白いじゃないか! ぐいぐい読ませる力がある。タイラー・ハミルトンが誠実に真摯に淡々と語る「自転車ロードレース」の実態が、テレビ中継を見ているだけでは決して分からない、初めて知る驚愕の事実ばかりだったからだ。

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■この本を読んでほんとうによかった。

著者のタイラー・ハミルトンが、ランス・アームストロングが、どうして「ドーピング」に手を染めていったのか? いかざろう得なかったのか、よーく判ったからだ。

自転車ロードレースの新興国だったアメリカから、100年以上の歴史を誇る本場ヨーロッパに乗り込んでいって頂点を極めようと殴り込みをかけたのがランスだった。最初はまったく相手にされなかった。次第に頭角を現してきたちょうどその時に、ランスは睾丸腫瘍になり現役復帰は絶望的と言われた。しかし、その後奇跡の復活を遂げ、ツール・ド・フランス7連覇(1998年〜2004年)という誰も成し得なかった偉業を達成する。

アマチュア時代に実力を認められ、アメリカのプロチーム「USポスタル」に入ったタイラー・ハミルトンは、1996年の初めてのヨーロッパ遠征で愕然とする。地元ヨーロッパの選手との実力差が半端なかったからだ。まったく勝負にならない。

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 最初からドーピングをしようと思っている選手はいない。僕たちは何より、サイクリングの純粋さを愛している。そこにあるのは、自分とバイク、道、レースだけだ。しかしロードレースの世界の内側に入った選手は、そこでドーピングが行われていることを察知する。

そのとき僕たちがまず本能的に取ろうとする反応は、目を閉じ、耳で手を塞いで、ひたすら練習に打ち込むことだ。その拠り所になるのは、自転車レースに古くから存在し、半ば迷信のように信じられてきた「日々、限界に挑み、努力を続けることで、いつの日にか優れたライダーになれる」という考えだ。(p64)

 興味深い数字がある。"1000" という数字だ。それはいささか乱暴に数えて、僕がプロになった日から、初めてドーピングを使った日までの日数だ。

この時代の他の選手と話したり、彼らについての記事を読むなかで、僕はあるパターンに気づいた。ドーピングをした選手のほとんどは、プロ三年目に初めてドーピングに手を染めている。プロ一年目は、希望に満ちあふれたフレッシュな新人だ。二年目に現実を知る --- この世界で、ドーピングが横行していることを。そして三年目に悟る。(p87)

 世間では、ドーピングは厳しい練習を嫌う怠け者のすることだと見なされている。たしかに、それが当てはまる場合もある。でも僕たち選手に言わせればそれは逆だ。EPOは選手に、「苦しみに耐える能力」を与える。トレーニングやレースで、想像もできなかったレベルまで遠くに、厳しく自分を前に押し出せる能力だ。(p109)

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1998年。ランス・アームストロングはタイラーが所属する「USポスタル」に合流し、チーム・リーダーとなる。

ランスは、みんなが当たり前にドーピングしているなら、最も効率的に有効に体を作るべく、イタリア人医師ミケーレ・フェラーリの指導のもと、ドラッグを併用しつつ、スポーツ医学に基づいた科学的トレーニングに打ち込んだ。それはそれは厳しい地獄のようなトレーニングだったとタイラーは言っている。

 なぜ、ドーピングがツール・ド・フランスのように三週間もかけて行われるロードレースで多く使われるのかという疑問を持つ人は多い。その答えは簡単だ。レースが長くなるほど、ドーピング、特にEPOが効果を発揮するからだ。原理はこうだ。

三週間のレース期間、一度もドーピングを使わなければ、ヘマトクリット値は週に約2ポイント、合計約6ポイント低下する。これは「スポーツ貧血」と呼ばれる作用だ。ヘマトクリット値が1%低下すると、パワーも1%低下する。つまり、(中略)パワーは3週目には約6%低下する。ロードレースでは、1%未満の差が勝敗を分ける。6%の差がいかに大きいかがわかるはずだ。(p112)

■練習中も EPOを打つことが日常化し当たり前になってゆく。抜き打ち検査で陽性が出ないような様々な工夫も重ねられて行く。EPOを皮下注射でなく、連日少量静注するとか、検査前に生理食塩水を点滴して濃度を薄めるとか、さらには、夜尿症の治療に使う抗利尿ホルモン製剤「ミニリンメルト」を飲んで、尿量を減らしわざと「水中毒」状態にして検査陽性を免れるとか。イタチごっこで、このあたりの描写はスリリングで読んでいてドキドキした。

しかし、ランスのドーピングは他のトップ選手たち(ウルリッヒほか)の「2年先」を行っていた。さらにランスは、ライバルたちがどんなドーピングやトレーニングをしているのか、何でも知っていた。凄い情報収集力だったのだ。

■1998年のツールは、ランスとタイラー・ハミルトンの蜜月期間だった。ただ、その期間は長くは続かなかった。ハミルトンが次第に実力をつけてくると、ランスは自分の地位を脅かす脅威の存在と見なし、彼を切り捨てたのだ。

ハミルトンは言う。ランスは世の中の人々の期待、欲望(勝ち続け、自分たちが望む英雄であり続けること)にずっと応え続けて行かなければならないという、罠に捕らわれていたと。

 

2014年6月11日 (水)

『世界が終わってしまったあとの世界で(上・下)』ニック・ハーカウェイ著、黒原敏行訳(ハヤカワ文庫)

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<最近読んだ本>:上の写真をクリックすると、もう少し大きくなります。

昨夜、『世界が終わってしまったあとの世界で』ニック・ハーカウェイ著、黒原敏行・訳(ハヤカワ文庫)読み終わった。いやぁ、面白かった! 満足した。ラストでは泣いてしまったよ。じつに久しぶりで読書のカタルシスを味わった。

とにかく、下巻の半分まで読み進んでも話がどう展開して行くのか全く見当がつかず、読者は翻弄されっぱなし。それがまた何とも楽しいのだけれど。

■「翻訳ミステリー大賞シンジケート」の「書評七福神の四月度ベスト発表!」で、書評家の杉江松恋氏が「この小説」を絶賛していたので、ここまで滅多に褒めない人だから買ったのだ。杉江氏を信頼して正解だったな。杉江氏のもう少し詳しい紹介文は「本の雑誌」【今週はこれを読め!ミステリー編】でも読める。

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■この本を読んでみようと思った「もう一つ」の理由は、翻訳があのコーマック・マッカーシーの小説をみな訳している黒原敏行氏だったこともある。

ところが、上巻の「第1章」を読み始めておったまげてしまった。

主人公の語りがあまりに饒舌で猥雑で、しかも寄り道ばかり。ちっとも話が進まない。文章もブッ飛んでいて、とてもマッカーシーの訳者の文章とは思えない。「こりゃぁ、ハズレだな。読むの止めよう」正直そう思った。

我慢して「第2章」に入った。場面はいきなり過去に逆戻りして、5歳の主人公「ぼく」と同い年で彼の無二の親友「ゴンゾー」との出会いの場面から始まる。あれっ? なんか雰囲気変わったぞ。イギリス正統派「児童文学」の感じじゃないか。そして「ウー老師」の登場。<声なき龍>という流儀の中国拳法の師範。この爺さんがめちゃくちゃユニークなのだ。彼の命を付け狙う「敵」も出てくる。悪の集団<時計じかけの手>に属する「ニンジャ」たちだ。

このあたりから、一気に物語りに引き込まれていったな。読みながら、この作者、イギリスの「いしいしんじ」なんじゃないかと思った。そう、『ぶらんこ乗り』とか『麦ふみクーツェ』『プラネタリウムのふたご』『ポーの話』の頃の「いしいしんじ」ね。

どこか懐かしい不思議なおはなし。そして、主人公が胸の裡に抱える「深い哀しみ」。

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■ただ、第3章、第4章になると、またちょっと変わる。

著者は 1972年生まれだから、今年42歳か。それなのに、1970年代のB級映画にやたら詳しい。ブルース・リーやジャッキー・チェンの「カンフー映画」や、大学闘争を描いた『いちご白書』。『マラソンマン』の拷問場面。戦争映画では『M★A★S★H/マッシュ』に『フルメタルジャケット』。ボガートとローレン・バコールの『三つ数えろ』に「007 シリーズ」。『七人の侍』にイヴ・モンタン『恐怖の報酬』、絵本『ぐりとぐら』の「あのシーン」まで出てくるぞ。

さらには、懐かしいプロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントの名前や、『スタートレック』初期シリーズでは「赤いシャツ」を着た乗組員は殺されやすいとかいう記載もある。(上巻440ページ)

それから「下巻」の最初に登場する、<パイパー90>。キャタピラーで自走する巨大な移動式機械で、地上に延々と「パイプ」を設置して行く。このイメージは『ハウルの動く城』というよりも、クリストファー・プリーストの『逆転世界』(創元SF文庫)に登場した「可動式都市」を連想させる。

斯様に、どこかで見たことのある設定のごちゃ混ぜ、てんこ盛り小説なのだった。

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■この小説の「キーワード」は、人間と機械(マシーン)、機構(メカニズム)、そして<システム>の問題だ。そう、村上春樹氏が2009年2月にエルサレムでスピーチした「壁(システム)と卵(人間)」のはなし。

でも、親友「ゴンゾー」の陰でいつも存在感の薄かった主人公の「ぼく」が挫折を乗り越え再生してゆく、恋と友情にあふれた王道の青春小説であることが一番大切だと思う。

ただし、ちょっと読者を選ぶ本かもしれないな。

■宮崎駿『風立ちぬ』を見終わったあとに、岡田斗司夫氏の解説を聴いて「なるほど!」と感心したみたいに、読了後に発見した「杉江松恋氏の解説」を聴いて、1時間「ネタバレなし」で語り尽くすとは、さすがに凄いなぁと思ったのでした。(おわり)

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