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2014年7月

2014年7月31日 (木)

演劇『母に欲す』のこと。それから、映画『ハッシュ!』と『ボーイズ・オン・ザ・ラン』

■7月21日(月)の午後2時から、渋谷「パルコ劇場」で芝居を観た。三浦大輔、作・演出『母に欲す』だ。休憩時間を入れて3時間半近くもあったが、集中力が途切れることなくラストまで舞台に引き込まれた。

帰って来て、いてもたってもいられず、芝居通の山登くんに思わずメールしてしまった。

ご無沙汰してます。いとこ会があって久々に上京し、昨日は1日フリーだったので、パルコ劇場で三浦大輔『母に欲す』を観てきました。いやぁ、よかったです。マザコンだめだめ男が「おかあさ〜ん」って叫ぶ、ピュアーでストレートな母親賛歌で、今どきかえって新鮮な驚きと感動がありました。ラストで泣いてしまったよ。山登くん、もう観ましたか?

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■朝日新聞、扇田昭彦氏の劇評

■日本経済新聞に載った劇評

読売新聞の劇評

■演劇キック「観劇予報」の記事

■いつも勉強させていただいている、六号通り診療所長、石原先生の「母に欲す」劇評

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■舞台の幕が上がると、薄暗い六畳一間の安アパートの一室に主演の峯田和伸がパンツ一丁で客席に半ケツ出したまま寝ている。そのままずっと寝ている。動かない。ようやく起き上がったかと思ったら、スローモーションでも見ているような緩慢な動作で冷蔵庫を開けて水を飲む。もちろん無言のまま。付けっぱなしのラジオ(テレビ?)の音だけが小さく聞こえる。ここまでで既に15分近く経過。

まるで、太田省吾の転形劇場『水の駅』でも見ているかのように、観客はみな緊迫した空気の中で固唾を呑む。

■数十件は入っている、弟(池松壮亮)からの留守電は聞こうともせず、幼なじみからの電話で初めて母親の死を知り慌てふためく峯田。バッグ片手にアパートを飛び出し、上手へ消えたところで暗転。映画なら、ここでタイトルがばーんと出てテーマ曲が流れるんだけどな。そう思ったら、何とスクリーンに車窓から流れる風景が映し出され、真っ赤な字で(まるで東映映画みたいだ)本当に「母に欲す」と大きくタイトルが出たあと、出演者の名前が字幕で続いた。

おぉ! これにはたまげたな。

大音響で流れる大友良英さんの劇伴ギターが、疾走感びんびんで、これまためちゃくちゃカッコイイんだ。

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■とにかく、舞台装置がよくできていた。細かいところまでリアル。東北の実家の台所に、夕方の西日が差し込み、ヒグラシの鳴き声が聞こえている。弟の池松くんは、流しの向こうの窓を少し開け、タバコを吸う。静かに時間が過ぎゆく、こういうシーンが好きだ。

休憩をはさんで後半の幕が開くと、この台所にエプロン姿の「ニューかあちゃん」片岡礼子が立ち、夕食の準備をしている場面で始まる。片岡礼子さんは、3月に『ヒネミの商人』宮沢章夫作・演出に出ているのを観た。成金趣味の派手な義姉の役だった。それがどうだ。雰囲気が全然違う。彼女の大きな魅力である「眼」を黒縁メガネで封印し、地味な衣装で「母親」というより召使いか何かのように従順に振る舞い、田口トモロヲや池松壮亮の理不尽な言いがかりにもひたすら耐え忍ぶ。

何故彼女なのか? それが観ていてよく分からなかったので、先週末 TSUTAYAで彼女が出演した映画『ハッシュ!』を借りてきて見てみたんだ。面白かったなぁ。そして、三浦大輔氏が彼女を抜擢した理由が何となく理解できたような気がした。(この話はまた次回につづく予定)

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■この日の「パルコ劇場」の観客は、8割が女性だった。ただ、息子を持つ母親世代や年配の女性の姿は少なかったように思う。このお芝居に、ぼくは激しく心揺すぶられたわけだが、はたして、うら若き独身女性たちは観劇後どう思ったのだろうか? 判ってもらえたのだろうか? 息子の気持ち。

弟(池松壮亮)の彼女(土村芳)のように、母親の衣装をまとって彼氏の母親役をも受け入れる心の広さを、彼女らは持ってくれているのだろうか? さらには、男の子を産んで育てて「母親」になってみたいと思っただろうか? いや、どうかな?

そんな変なことばかり心配しながら、ぼくは渋谷の人混みをあとにした。

2014年7月27日 (日)

アン・サリー「森の診療所コンサート 2014」@めぐろパーシモンホール

■1週間前の日曜日。じつは所用で東京にいた。

夕方からは一人でフリーだったので、当初の予定では上野鈴本演芸場へ行って7月中席夜の主任:入船亭扇辰師の落語をじっくり聴こうと思っていた。ところが、タイムラインで 7/20(日)の夜に

アン・サリー「森の診療所コンサート 2014」@めぐろパーシモンホール 

があることを知り、落語はやめにしてネットでこちらを予約した。アン・サリーは是非一度ナマで聴いてみたかった歌い手さん。この機会を逃すわけにはいかない。

■宿泊先のアパホテル新宿御苑前を出た時には小雨パラパラ程度だったのが、東京メトロ副都心線直通の東横線を「都立大前」で下車すると、外は土砂降りの雨。カミナリゴロゴロ。これが噂のゲリラ豪雨というやつか。傘は持ってたから頑張ってパーシモンホールまで歩く。でもズボンはびしょ濡れ。

ようやく辿り着いたホールは、なかなかシックで落ち着いた雰囲気。集まってきた人たちも「オトナな感じ」で年齢層もやや高めだ。場内には鳥のさえずる音が小さく流され、外の喧噪が嘘のような静けさ。

夜7時をまわって暫くした頃、そっと場内が暗転しステージ上に彼女が現れた。そしていきなり映画『おおかみこどもの雨と雪』の主題歌『かあさんの唄』をアカペラで歌い出した。いやぁ、たまげた。その澄み渡る透明な歌声に、1曲目にして早くも涙で目が霞んで、ほんと参ったぞ。

■伴奏は、ピアノ:小林創、ギター:小池龍平、フリューゲルホルン:飯田玄彦の3人というシンプルなステージ構成で、彼女の人柄そのものといった、アットホームでしっとりほんわかと心地よいサウンドを奏でる。曲目は、最新CD『森の診療所』に収録されていた曲がほとんどだったかな。

CM曲特集として、霧島酒造「芋焼酎・吉助」、マルコメ味噌「料亭の味」、小田急ロマンスカー「ロマンスをもう一度」、映画『かぞくのくに』イメージソング、ビリー・バンバンの『白いブランコ』。それから、CDで聴いた時もすごく印象的だった『たなばたさま』。この曲の時には、ステージに満天の星空が広がった(スクリーンに映すのでなくて、天井から星がひとつひとつ吊されていた!)あと、『懐かしのニューオリンズ』が沁みた。

意外とよかったのが「チャタヌガチューチュー」から汽車つながりで「銀河鉄道999」のテーマ。懐かしいゴダイゴの曲ではないか! 谷川俊太郎&武満徹『死んだ男の残したものは』に続いて、ソウル・フラワー・ユニオンの傑作『満月の夕』。そう、この曲をどうしてもナマで聴いてみたかったのだ。以前よりやや速めのテンポで力強い歌声が素晴らしかったよ。

アン・サリー 満月の夕(ゆうべ)
YouTube: アン・サリー 満月の夕(ゆうべ)

あとどんな曲やったっけな。そうそう、チャップリンの『スマイル』。それから『時間旅行』。スケールが大きいこの曲も大好きだ。

アンコールでは、ステージにブラスバンド(トランペット:女性、スーザフォン:女性、トロンボーン:小林創、太鼓:男性、小太鼓:男性、タンバリン:小池龍平。それから、飯田玄彦&アン・サリー)が登場して『 Do You Know My Jesus(違うかも?)』と『聖者が街にやってくる』をステージからフロアに降り、ぐるっと場内を2廻り行進しながら演奏した。これがまたよかったな。

鳴りやまない拍手に、再度ステージ登場したアン・サリーが最後に歌ってくれたのが『蘇州夜曲』。いやぁ、ほんと満足いたしました。

■コンサート終了後、あわよくば持って行ったCDにサインをしてもらおうと考えていたのだが、大きな会場だからサイン会はなしだよなと勝手に諦めて場外へ。雨はすでに上がっていた。

あとでツイッターを見たら、CD販売コーナーにふらりと彼女が現れてサインをしてくれたらしい。そう言えば、彼女の娘さんらしき元気のいい小学生たちが、CDの売り子さんをしていた。


2014年7月19日 (土)

テレビドラマ『おやじの背中』(第一話)と『55歳のハローライフ』(最終話)

■日曜日の夜9時。そのむかし、TBSテレビは「東芝日曜劇場」というタイトルで単発ドラマを放映していた。池内淳子主演の「女と味噌汁」(平岩弓枝脚本、石井ふく子プロデューサー)はシリーズ化されていたし、北海道放送が製作した大滝秀治主演のドラマ(脚本は倉本聰)は出色の出来だったなぁ。

この時間枠は、最近『半沢直樹』で一気に注目を集めたワケだが、「半沢2」的ドラマ『ルーズベルトゲーム』が終わった後を受けて、10人の人気実力脚本家が「おやじの背中」というテーマで「単発ドラマ」を競作することになった。

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■その「第一話」が、この間の日曜日に放送された。脚本は、『最後から二番目の恋』『ちゅらさん』『おひさま』『泣くな、はらちゃん』を書いた、岡田惠和。主演は、父親役に「田村正和」。その娘に「松たか子」という布陣だ。

いやぁ、よかった。泣いてしまったよ。これは明らかに 小津安二郎監督『晩春』のリメイクを狙ったドラマだな。しかも田村正和と松たか子という役者を得て、あの笠智衆と結核と戦争で嫁に行き遅れた原節子の、品のある、不思議な距離感の父娘が、リアリティのある現代の父娘として、確かな説得力をもって見事に再生されていた。

『東京物語のリメイクならまず見る気がしないが、まさか『晩春』で来るとは。しかも大成功ではないか。うちは息子二人だから判らないけど、結局は娘を持つ父親の理想というか「叶わぬ願望」なんだろうな。

いや、驚いた。恐るべし! 岡田惠和

■ドラマのロケも北鎌倉で行われたのかと思ったら、なんと国分寺なんだって。武蔵野にはこんな景色が残っていたのか。

あと、松たか子と言えば「歌うシーン」だ。彼女が主演したミュージカル『もっと泣いてよフラッパー』は、松本市民芸術館まで観に行ってきたし、もちろん『アナ雪』も見たよ。

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■単発ドラマといえば、先週土曜日のよるNHKで『55歳からのハローライフ』(第5話)を見たんだ。これがまた本当に良かった。「イッセー尾形」主演。共演が「火野正平」。こちらには、アメリカ映画『真夜中のカーボーイ』を彷彿とさせるシーンがあった。やはり、泣いてしまった。最近めっきり涙腺が弱くなってしまったのだよ。

火野正平は、毎朝BSの『花子とアン』の後、7:45から自転車に乗っている姿を見慣れているので、山谷の簡易宿泊所で逆光のなか咳き込みながら座っている姿が、本物のホームレスそのものといった迫力の佇まいで圧倒された。その後登場する山谷「城北労働・福祉センター?」もリアルだったな。どうやって撮ったんだろう。

 

2014年7月12日 (土)

『時間という贈りもの フランスの子育て』飛幡祐規(新潮社)を読んでいる

■フランスの子育てに関しては、『フランスの子どもは夜泣きをしない パリ発「子育て」の秘密』(集英社)が、いま一番評判を呼んでいるワケだが(ぼくも読みたいと思ってはいる)、同じ 2014年4月25日発行のこの本、『時間という贈りもの フランスの子育て』飛幡祐規(新潮社)をたまたま手にして、なんかピンとくる(硬派な感じ?)ものがあり、いま読んでいるところだ。

「はじめに」の部分からの引用

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 2007年の大統領選挙の前後に、サルコジは『クレーヴの奥方』を目の敵にする発言を何度も繰り返し、多くの人々の顰蹙をかった。(中略)

 (小説『クレーヴの奥方』を交替で読み続ける)朗読リレーは、2009年の2月から十数週間にわたって行われた教員や研究者による大規模な大学改革案反対運動のひとつとして始まった。短期間に具体的な成果が得られる研究や学問だけに投資する、市場論理にもとづいた大学「改革」を彼らは批判していた。(中略)

朗読を呼びかけたパリ第三大学の教員は、次のように記している。

「私たちは、『クレーヴの奥方』をはじめとするさまざまな文学、さらに芸術や映画について、どんな職にある住民とでも語り合うことができるような世界を望んでいます。

なぜなら、文学作品を読むことは、仕事のうえでも私生活においても、世界に立ち向かう準備となると確信しているからです。なぜなら、複雑さ、思索、文化といったものがなくなったら、民主主義は死んでしまうと思うからです。

なぜなら、大学とは手柄や成績ではなくて美の場所、収益性ではなくて思考の場所、同じことの繰り返しではなく文化的・歴史的に異なるものとの出会いの場所であり、そうでなくてはならないと考えるからです……」(p9 〜10)

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 フランソワーズ・ドルトー(1908〜1988)は小児精神分析の先駆者のひとりで、スイスの心理学者ジャン・ピアジェ、小児精神分析家のメラニー・クラインやドナルド・ウィニコットと同様、子どもの成長について新たな視点をもたらした人物だ。(中略)

 自立した人間に育てるとはどういうことか、ドルトーはわかりやすく述べている --- 「子どもに自由の限界をわからせつつも、彼・彼女が自由に考え、感じ、判断できるように、知性と創造的な力を引き出すこと」。日本でよく使われる表現を借りると「自分の頭で考えられる」ように、ということだ。(中略)

 ドルトーの考え方は、国家や社会、親などが望む模範に子どもを当てはめようとする「調教」のような教育観に、まっこうから対立するものだ。指導者の指示と命令のもとに、調教された人たちが大量の迫害や虐殺を行ってきた人類の歴史、とりわけ 20世紀の史実をふり返ると、自由に考え、感じ、判断できる人間に育てることがいかに大切か、わかるのではないだろうか。(p15〜17)

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2014年7月 6日 (日)

『クラバート』プロイスラー作、中村浩三・訳(偕成社)

Photo


■『ボラード病』吉村萬壱(文藝春秋)を読んでいて思い出したのは、2つのマンガだった。『羊の木』と、それから『光る風』山上たつひこ(週刊少年マガジン連載 1970年4月26日〜11月15日)だ。奇遇にもどちらも作者は「山上たつひこ」だった。

『光る風』の表紙をめくってすぐの扉に書かれている言葉

過去、現在、未来 ------

この言葉はおもしろい

どのように並べかえても

その意味合いは

少しもかわることがないのだ

ほんとうにそのとおりだ。小学6年生のぼくは、この漫画が連載中の少年マガジンをリアルタイムで読んでいる。あれから44年も経って、この漫画がリアルすぎるくらい現実味を帯びてくるとは、思いも寄らなかった。

あと、気になったこの記事。「ハンナ・アーレントと"悪の凡庸さ"」 やっぱり「この映画」も見ないとダメだ。

それにしても、今すぐ読め!の「旬の小説」だよなぁ。『ボラード病』。

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■伊那のブックオフで 105円だった『クラバート』プロイスラー(偕成社)、入手後長らく積ん読状態だったのだが、少しずつ読み進んで一昨日読了した。いやぁ、これは深い本だな。読み終わってしばらく経った今も、ずっとこの本に囚われたままだ。いろいろと考えさせられる。

宮崎駿監督のお気に入り児童文学で『千と千尋の神隠し』にも取り入れられているという。なるほど、「湯婆婆」のモデルが「荒地の水車場」の親方だったのか。

14歳の主人公クラバートは、夢のお告げに導かれて荒野(あれの)の果ての人里離れた湿地帯のほとりに建つ一軒家の水車場(すいしゃば)の職人見習いになる。そこでは、片眼の親方と11人の先輩職人たちが働いていた。

ぼくが入手した旧版の表紙には、この荒地の水車場と12羽のカラスが描かれている。物語全体を覆う、このじめっとした暗さが何とも不気味で、親方や先輩職人たちの謎に満ちた行動も読んでいて意味が分からずただただ不安はつのるばかり。それが『一年目』(119ページまで)

そして物語は「二年目」「三年目」と同じ季節、同じ年間行事が「3回」繰り返される。これは「昔話」によくある物語構造で、『三匹のこぶた』『やまなしもぎ』『三びきのやぎのがらがらどん』と同じだ。これら絵本では3人は兄弟で別人なのだが、昔話の本来的な意義で考えると、クラバートのように同一人物が「3回繰り返す」ことによって、徐々に成長し最後の3回目には見事目的を達成する、というふうに出来ているのだ。

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■この水車場では、自由に魔法を操れる親方が絶対的権力を握っていて、職人たちはこの職場から逃げ出すことはできない。逃亡を試みても必ず失敗する。その代わり、腹一杯の食事と毎週金曜日の夜に親方から魔法を教わる講義がある。もちろん、簡単に憶えられる呪文はない。弟子それぞれの努力と力量にかかっている。

ただ、その絶対的「親方」にも実は「大親方」がいて、毎月新月の夜に馬車で乗り付け、親方を他の職人と同じにこき使うのだ。親方とて、その「闇のシステム」の中では歯車の一つに過ぎず、さらに圧倒的な巨大なものに支配されているのだった。

職人たちの中には、仲間を絶えず監視していて、怪しい行動をとると直ちに親方に告げ口する奴もいる。もちろん、後輩をかばって何かとクラバートの面倒をみてくれる先輩トンダのような信頼すべき奴も登場する。

こうした水車場での描写は、村上春樹氏のエルサレム講演「壁と卵」に象徴される「システムと個人」の問題、もっと平たく言って、我々がいま暮らしている日本の社会、職場にそのまま当てはまることばかりではないか?

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■この本は、チェコでアニメ映画化され、ドイツでは 2008年に『クラバート 闇の魔法学校』として実写版映画化された。魔法学校なんていうと、ハリー・ポッターみたいなストーリーを思い浮かべるかもしれないが、『クラバートでは魔法のあつかい方も復讐すべき敵も、ハリー・ポッターとはぜんぜん違う。ここが重要。

『クラバート』を突き詰めると、結局ギリシャ悲劇『オイディプス王』になるのではないか?

父親を殺して母親と結婚するオイディプス王。

実際、作者のプロイスラーが少年時代に読んだ、ヴェンド人に伝わる「クラバート伝説」では、「ソロを歌う娘」の役割をクラバートの母親が担っていたという。

少年から青年へ。そして大人へと成長する過程で対決しなければならない「父親」という存在。それから、人魚姫が足を得る代わりに「大切なもの」を失ったように、また、アリステア・マクラウドの短編『すべてのものに季節がある』の主人公が、ある年のクリスマスイヴの晩、父親から一人前の大人としての扱いを受けた思いがけない喜びと裏腹に、魔法の世界で暮らしていた幸福な「子供時代」の終わりに気づかされた、喪失という深い悲しみ。大人になるということは、そういうことだ。クラバートにはその覚悟ができていたのだろうか?

50歳代のオヤジは、変なことを心配してしまうのだった。

意外とあっさりとしたラストだが、昔ばなし風の味わいと余韻があって、ぼくはかえって好きだな。

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