« 2011年2月 | メイン | 2011年4月 »

2011年3月

2011年3月27日 (日)

「Hard times come again no more」once more

■この曲の中では「我如古より子 with 吉川忠英」のヴァージョンが一番沁みるかも。歌詞がほんとうにいい。iTunes で200円です。


YouTube: Hard Times Come Again No More・我如古より子wt吉川忠英(g)


YouTube: 辛い事・難波屋Live2st02・唄・Henry&Lucy・詞・Henry松山


YouTube: Kate & Anna McGarrigle - Hard times come again no more


YouTube: 「Hard times come again no more」09.7.11 横浜


YouTube: Hard Times Come Again No More

-------------------------------------------------------------------------------- 「HARD TIMES COME AGAIN NO MORE」 Let us pause in life's pleasures and count its many tears, While we all sup sorrow with the poor; There's a song that will linger forever in our ears; Oh Hard times come again no more. (Chorus) Tis the song,the sigh of the weary, Hard Times,hard times,come again no more Many days you have lingered around my cabin door; Oh hard times come again no more. While we seek mirth and beauty and music light and gay, There are frail forms fainting at the door; Though their voices are silent,their pleading looks will say Oh hard times come again no more. (Chorus) Tis the song,the sigh of the weary, Hard Times,hard times,come again no more Many days you have lingered around my cabin door; Oh hard times come again no more. There's a pale drooping maiden who toils her life away, With a worn heart whose better days are o'er: Though her voice would be merry,'tis sighing all the day, Oh hard times come again no more. (Chorus) Tis the song,the sigh of the weary, Hard Times,hard times,come again no more Many days you have lingered around my cabin door; Oh hard times come again no more. Tis a sigh that is wafted across the troubled wave, Tis a wail that is heard upon the shore Tis a dirge that is murmured around the lowly grave Oh hard times come again no more. (Chorus) Tis the song,the sigh of the weary, Hard Times,hard times,come again no more Many days you have lingered around my cabin door; Oh hard times come again no more. ----------------------------------------------------------------------------------   「厳しき時代よ,もう二度と来ないで」 人生の喜びに安らぎ,人生の涙を数えよう われらが不幸な者達と悲しみを分け合うときには そこにはずっと耳に残っているひとつの歌があるのだ 「おお,厳しき時代よ,もう二度と来ないで」と  (合唱)  それがこの歌だ,疲れ果てた溜息の歌 「厳しき時代よ,厳しき時代よ,もう二度と来ないで  ずっと長いこと,おまえは小屋の戸口に粘ってきたが  おお,厳しき時代よ,もう二度と来ないで」 陽気なものや美しいもの,楽しく明るい音楽を探してみても それらの姿は戸口の前ではかなく消え入るのみ でも声は聞こえないが、それらは姿で訴えかける 「おお,厳しき時代よ,もう二度と来ないで」と (合唱)  それがこの歌だ,疲れ果てた溜息の歌 「厳しき時代よ,厳しき時代よ,もう二度と来ないで  ずっと長いこと,おまえは小屋の戸口に粘ってきたが  おお,厳しき時代よ,もう二度と来ないで」 人生に苦しむ,青ざめた伏目がちの乙女がいる 楽しき日は過ぎ去り、擦り切れた心が残る 彼女の声は明るく聞こえても、それは日がなの溜息だ 「おお,厳しき時代よ,もう二度と来ないで」と (合唱)  それがこの歌だ,疲れ果てた溜息の歌 「厳しき時代よ,厳しき時代よ,もう二度と来ないで  ずっと長いこと,おまえは小屋の戸口に粘ってきたが  おお,厳しき時代よ,もう二度と来ないで」 それは争いの波間を漂う溜息 それは浜辺に聞こえる嘆きの声 それは墓石のまわりでささやかれる哀歌 「おお,厳しき時代よ,もう二度と来ないで」と (合唱)  それがこの歌だ,疲れ果てた溜息の歌 「厳しき時代よ,厳しき時代よ,もう二度と来ないで  ずっと長いこと,おまえは小屋の戸口に粘っ てきたが  おお,厳しき時代よ,もう二度と来ないで」 ------------------------------------------------------------------------------------- ■この歌詞、訳詞は http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/F/Foster/S808.htm より転載させていただきました。


YouTube: Bruce Springsteen - Hard Times - Bern 2009-06-30 CLOSEUP


YouTube: Hard Times, Come Again No More - Thomas Hampson

2011年3月25日 (金)

『君の友だち』(その2)

■一昨日の話は、ほんとうは違う方向に進むはずだったのだが、勢いでああなってしまった。軌道修正する意味で、まずは落合恵子さんのコラムを完全再録したいと思います。


<今日の視角 平成23年3月23日・信毎夕刊『君の友だち』落合恵子> 

 3月11日のあの日から、わたしの中で鳴り響いている馴染みの歌がある。

 1970年代はじめ、アメリカのシンガー・ソング・ライター、キャロル・キングが作り、自らが歌ってヒットさせた、『You've got a friend』である。大勢のアーティストに歌われているが、日本では『君の友だち』というタイトルで紹介されることが多いようだ。

 個人的な、全くの意訳になるが、次のような内容の歌詞である。

「落ち込んだとき、どうしようもない苦しみの中にいるとき、そして誰かから差し出される小さな手が欲しいとき……」。そんな風に歌いだされるこの曲は、「遠慮しないで、名前を呼んで。そしたら、どこで何をしていても、飛んでいく」と、繰り返される。

 想像を絶するような苦しみとストレス。出口の見えない凍えるトンネルの中で、蹲(うずくま)るしかない被災地のかたがた。被災地の外にいるわたしたちは、祈るようにこの歌詞をなぞる。飛んでいきたくとも行けない、交通事情に焦燥を覚えながらも。

 子どもの本と呼ばれるものとかかわってきたわたしたちはいま、被災地の子どものもとに、絵本を送ろうとしている。準備はほぼ整いつつある。が、生活に欠かせない物資や医薬品さえまだ充分に届いていない状況を考えると、いつどのように送ったらいいか、ともすると前のめりになりがちな気持ちに、いまは少しだけブレーキをかけているところだ。

 全国のほとたちの想いが、いま被災地のひとと共にある…

 被災を免れた地で暮らすわたしたちは、せめて「節電」と「買い占め」を避けること。これも、ささやかすぎるけれど、大事な支援のひとつであると心に刻みたい。


■じつは、このコラムを読んでからテルメに走りにいって、聴いていたぼくの iPod Shuffle から「本当に」キャロル・キングが唄う『You've got a friend』が流れてきたんだ。だから、正直に本当のことを言うと、順番が逆だったのだな。ごめんなさい。


■一昨日、そのあとにツイートしたこと。

今日の夕方 iPod Shuffleを聴きながら走っていたら、最後にキャロル・キングが唄う『君の友だち』が流れてきた。被災地の友人菊池に「何もできなくてごめん」てメールしたら「現地の圧倒的なガソリン(灯油。重油も含む)不足に関してつぶやいてもらえるだけでいいんです。」との返事が。


2011年3月23日 (水)

『You've Got a Friend』written by Carole King

「3.11」以後の日本に住む(被災地を外れた)われわれのことに関して、このところずっと考えている。


YouTube: CAROLE KING You've Got A Friend

それと同時に、ぼくの頭の中でいつも鳴っている音楽があった。
それがこの、『You've Got a Friend』written by Carole King だ。


それは時に、ジェイムス・テイラーの男性ボーカルだったりもする。


YouTube: James Taylor & Carole King - You've Got a Friend (HQ) (Uploaded by Tornike Ivanishvili)

■ちょうど、今日の信濃毎日新聞夕刊『今日の視角』で、落合恵子さんが「君の友だち」と題してコラムを書いている。信毎のサイトでは「今日の視角」は読めないのか? 以前は読めたのに。残念。


■「3.11」以降、ツイッターの真価がなんとなく判ってきたように思う。
ツイッターでは、いろんな人が好き勝手いろいろと発言するから(遠慮しながらもできるから)いいのだ。人によって、同じ事象を観察しながらも感じていることは全く違うのだということが、ツイッターをフォローしていて初めてよく判った。人間一人一人、感じ方がぜんぜん違うのだなぁ。よい悪いは別にして、そういうことが本当によくわかった。それから、今回の事態を踏まえて、数万人のフォローワーがいる文化人、タレント、政治家などのポジションが、図らずも良く見えてきた。これも面白かったなぁ。


下手をすると、大政翼賛会的な政治傾向に至って「欲しがりません勝つまでは」的なキャッチコピーがマスコミから大宣伝され、「不謹慎」という言葉がいつしか「=非国民」と知らないうちに変換されているような社会にだけは、決してしてはならないと思う。皆が自由にいろんな意見を言えることが何よりも大切だ。


ただ、原発問題は根が深くて難しい。
白か黒か、旗色がはっきりしてしまうから。

ぼくの基本的な立ち位置は「反原発」だ。
でも、現に存在する原発事故に、どう対処したらよいか考察することは、また別だと思う。そのあたりの言動はむずかしいな。

2011年3月19日 (土)

『トムは真夜中の庭で』フィリパ・ピアス(岩波少年文庫)読了

■『ハヤ号セイ川をいく』がすっごく面白かったので、引き続きフィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)を読んだ。この本はね、ずいぶん昔に購入して「あとがき」だけ、まず読んだんだ。そしたら、作者フィリパ・ピアスが1967年に「『真夜中の庭で』のこと」と題して発表した文章がが載っていた。これ、もろ「ネタバレ」じゃん! マジックのネタ証しをされたみたいな気分になってしまい、ぼくは「この本」を読むことを止めた。

でも今回、思い直して読んでみてホントよかった。
やっぱり「この本」は傑作だ。
じつに丁寧に、よく作り込まれている。
思春期を迎えるちょっと前の少年が体験した「青春の光と影」だ。切ないなぁ。

タイム・トラベルもの正統派SFとしてはどうなんだろうか? この小説。
科学的根拠に基づいたSF小説とすると、やはり失格だな。
いろいろと矛盾することが多すぎるからね。スケートの件とか。
でも、SF小説ではないからいいのだ。

そうは言っても、この小説が不思議とリアリティを持つのは、
いま見てきたばかりみたいな細微な庭園の描写と、的確な人物描写にある。

 そして、
「この小説」で一番大事なことは、「いまここ」である、ということだ。


トムにとっては、ホールの大時計が13回時を打った真夜中から始まる時間こそがリアルであり、
ハティにとっては、数ヶ月ぶり、数年ぶりと、自分がその存在を忘れかけた頃になって、ふと現れるトムは、まるで幽霊みたいな存在なのだが、実はハティにとっても「いまここ」だったんだな。


時空を超えて、少年と少女が「いまここ」で結ばれる。
でも、現実は厳しい。

二人の時間は、一瞬交差するものの、永遠に時が止まったままの「トムの時間」と、
どんどん時が過ぎ去って行く「ハティの時間」は、ずっと同時間で共有し、共感し、共鳴し、共生するワケではないのだな。その切なさこそが、この小説の「キモ」だと思った。だからこそ、ラストシーンがめちゃくちゃ素晴らしいのだよ。


大きな地図で見る

■グーグル・アースの写真は、『トムは真夜中の庭で』のモデルになったフィリパ・ピアスの生家、グレート・シェルフォード村のキングズ・ミル通り突き当たりにある「キングス・ミル・ハウス」と思われます(自信はないけれど)


あと、探したら「フィリパ・ピアスとの会見記」が見つかりました。

2011年3月15日 (火)

上伊那医師会報3月号「巻頭言」原稿

■今朝が締め切りだった原稿(1200字)を、なんとか書き終わったのが今日の午前2時だった。朝6時半に起きて原稿を見直し、最終稿を医師会事務局に送ったのが午前8時半。寝不足のまま、昼休みは3歳児健診でつぶれ、18時半、午後の診療終了後は「伊那中央病院」の小児一次救急の当番で夜7時前ぎりぎりに救急部へ。

いつものことで、午後9時の拘束時間終了間際になってから、3人の小児科の患者さんがやってきた。発熱で受診した1歳1ヵ月の男の子。訊けば、今日の午前中から熱があったとのこと。でも、決して文句を言ってはいけない。暗くなってから不安になったお母さんを責めてみても仕方ないから。

午後9時45分帰宅。やはり睡眠不足は50歳過ぎの体にはキツイ。だから官房長官はちゃんと寝て欲しい。本当に。


■まだ紙には印刷されていない文章だし、目にするのは上伊那医師会会員とその他わずかな人たちだけなので、ちょっとフライングだけれど、この場で先行公開しちゃいます。

         <人と人とをつなげる Twitter>         北原文徳

 3月11日午後、東北地方〜北関東を襲った地震と大津波は、日が経つにつれて未曾有の被害と犠牲者を出したことが次第に明らかになってきた。連日テレビに映し出される被災地の悲惨な状況を見るにつけ、いたたまれなくなり、ただただ胸が苦しくなるばかりだ。いま自分にできることは、被災地に義援金を送ることと、無駄な電気は消して祈ることだけだ。


 本当は、チュニジア、エジプトで大きな力を発揮した「ツイッター」や「フェイスブック」といった新たなソーシャルネットワークの可能性について書こうと思っていたのだった。実際、今回の大震災では携帯電話という情報インフラは全く機能しなかったし、メールも届くのに異常に時間がかかっていた。広範な停電で、被災地ではインターネットに接続できない人が多かったのだが、一部の被災者がモバイル端末からツイッター上に救助を求めたツイート(つぶやき)が即座に載り、この情報は一気に拡散していった。


 ツイッターは、この即時性機能を最も得意としている。だから「なう」をよく使う。ただ、今回は都内で救助を求める偽情報を流した愉快犯もいた。しかし、すぐに嘘であることが判明し犯人も特定された。また、JR停止に伴う東京の帰宅難民を受け入れる施設に誤情報も流れたが、訂正情報が出たのも速かった。ツイッターへのアクセスが集中すると、よく「クジラの絵」が出て不通となるのだが、今回の事態ではクジラは出なかった。これは特筆すべきことかもしれない。

 ネット社会というと、2ちゃんねる掲示板への匿名による中傷誹謗や、正義の使者気取りでブログを炎上させるなど、自分は匿名という安全地帯に居ながら相手を攻撃非難する卑怯で陰湿なイメージが付きまとうが、ツイッターでは不思議と炎上は少ない。匿名で参加できるのだが、掲示板やブログのコメント欄と違って発言した個人が特定されるからだ。また、その発言がどんどん拡散されれば、予想をはるかに上回る多くの人たちの目に晒されることになる。だから、よっぽど覚悟の上でないと下手な発言はできないのだ。

 ネットでは、自分でグーグルを検索したりブログをチェックしないと新たな情報を引き出すことができなかった。しかし、有用な情報を流してくれる信頼できる人たちを多数フォローしていると、ツイッターというプラットフォーム上にいるだけで、自分に必要な情報が「ひとりでに」次々と集まってくる。


 気鋭のITジャーナリスト、佐々木俊尚氏の『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』(ちくま新書)が面白い。ソーシャルネットワークに関する先進的な視座を示した好著だ。グーグルは人的処理を徹底的に排除して自動化していった結果、逆に雑音が増えて本当に欲しい情報が得られにくくなっている。結局は、信頼できる「目利き」が選んだ情報が一番有用なのだ。昔ながらの「人と人とのつながり」は、いまTwitterやfacebookに形を変えて再構築されようとしている。


2011年3月13日 (日)

パパズ絵本ライヴ(その76)喬木村椋鳩十記念館図書館


YouTube: 『Hard Times Come Again No More』矢野顕子+Gil Goldstein4/5


■喬木村からの帰りに、飯田市上郷のブックオフに寄ったら、このところずっと探していたCD『ウェルカム・バック』矢野顕子を見つけた。最もジャズ的な傑作CDで、しかも最高のメンツ、パット・メセニー(g) チャーリー・ヘイデン(b) ピーター・アースキン(drs)ときている。この中の数曲は、以前購入した30周年記念CD+DVDで聴いていたのだが、伊那への帰りの道すがら、さっそく車の中で聴いてみたら、CD8曲目の初めて聴いた英語の歌詞の曲に心を奪われた。実にシンプルな曲なんだけれど、人の心を動かす力がある。


「Hard Times, Come Again No More」って曲だ。この曲、ぼくは知らなかった。あの「おぉスザンナ」とか「スワニー川」などの作曲で有名な、アメリカの国民的作曲家フォスターの曲なのだそうだ。人類は理不尽で辛い困難な事態に今まで何度も何度も遭遇してきたけれど、でも、もうこれ以上、こんなにも不条理で理不尽な現実はごめんだ! そういう歌だ。ほんとうにそう思う。ただいたたまれなくなって、胸が苦しくなるばかりだが、でも、彼女(矢野顕子)の歌声には、微かではあるけれど、確かな希望があるよ! 絶対に。そうさ。そうに違いない。






YouTube: Yo-Yo Ma James Taylor - Hard times come again no more


こちらは、ジェイムス・テイラーとヨーヨー・マの「Hard Times, Come Again No More」。これも誠実で、じつにいい演奏だなあ。

ぼくにいまできることは、無駄な電気を消して、被災地の皆さんのために、ただただ祈るだけだ。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

■パパズ絵本ライヴ(その76)喬木村椋鳩十記念館図書館。こうした事態に加え、当地ではインフルエンザが流行中とのことで、それでも会場へは30数名の親子連れが集まってくれた。今日は、坂本さんが法事でお休みだったので、坂本さんの得意ネタ『どうぶつサーカスはじまるよ』を、ぼくが読ませていただく。坂本さん、ごめんなさい。

03131

1)『はじめまして』
2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店) → 伊東
3)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村敏雄・作(福音館書店) → 北原
4)『かごからとびだした』(アリス館) → 全員

03132


5)『このすしなあに』塚本やすし(ポプラ社) → 宮脇
6)『ねこのおいしゃさん』 → 全員


03133

7)『ランドセルのはるやすみ』村上しい子・文、長谷川義史・絵(PHP研究所) → 倉科

8)『ふうせん』 → 全員
9)『世界中のこどもたちが』篠木眞・写真(ポプラ社) → 全員


2011年3月 9日 (水)

『ハヤ号セイ川をいく』フィリパ・ピアス著(講談社青い鳥文庫)読了

110309

『ハヤ号セイ川をいく』フィリパ・ピアス・著、足沢良子・訳、E=アーディゾニ・絵(講談社青い鳥文庫)を読んだ。これ、面白かったなぁ。

読みながら感じたのだが、視覚的イメージにすごく長けている小説なのだな。ぼくも、この小説の中で一番好きなシーンは「coxさん」と同じく、急行列車が通り過ぎるアーチ型石橋の下の川からカヌーに乗った主人公が列車のデッキに立つ彼女を見上げるシーンだ。ここはいいなぁ。

その次に好きな場面は、主人公のデイビッドが停留所でもない道端で、彼の父親(モス氏)が運転するバスを強引に停めて乗り込むところと、その後の展開。この父親の息子に対する態度がすばらしいんだ。何ていうか、自分の息子のことを絶対的に信頼しているのだよ。 あと、デイビッドとアダムがコドリング邸の屋根裏から秘密のドアを通り抜け屋根の上に出て、セイ川の流れとその周辺の風景をしみじみと見渡すシーンもいい。


この小説を読んでいて、ずっと感じていた不思議な「既視感」があった。
この「セイ川」の風景、以前にどこかで見たことがあるぞって。

そうして思い出したのが、冒頭の「この写真」だ。

1994年2月22日に、イギリスのケンブリッジで撮られたもの。ケム川の畔、笑顔で佇むのがぼくの妻。じつはこの時、彼女はインフルエンザに罹患していて 39℃の発熱があった。従姉妹の旦那さんがケンブリッジ大学に留学していたので、従姉妹のお母さんといっしょにはるばる渡英したその翌日からの熱発。(ぼくは日本で留守番だった)


従姉妹夫婦のアパートメントで2日間、観光もできずにただただベッドで寝ていた妻が、それでもと従姉妹夫婦が住むケンブリッジで撮った写真がコレなのだった。

背後に流れる川が「ケム川」。その川に架かる橋、という意味で「ケンブリッジ」なんだね。ほとんど流れがなくて、まるで松本城のお堀みたいだ。


■ところで、この小説の作者フィリパ・ピアスの代表作『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)を読むと、8ページにイングランド東北部の地図が載っている。ケム川を遡ってケムブリッジから上流へ南に行くと、フィリパ・ピアスが生まれ育ったグレート・シェルフォドに至る。この村が『ハヤ号セイ川をいく』の舞台であり、『トムは真夜中の庭で』の「あのお屋敷」が建つ場所なのだった。


それから、この地図をもう少し詳しく見てみると、右上、北海に出っ張った半島状の岬がある。ここにあの、カズオ・イシグロの傑作『私を離さないで』で「紛失物置き場」となった、あのノーフォーク海岸があるのだよ。


■以下はTwitter から。

・昨日の夜の伊那中央病院小児一次救急当番。夜7時から9時まで結局一人も来なかった。こんなこと初めて。ひまだったので、ブックオフで入手したフィリパ・ピアス『ハヤ号セイ川をいく』を読み始める。「冒険と友情の世界が展開する児童文学の名作」とのことで面白そう!
2011年2月26日 09:20:44JST webから


・NHK朝の連続テレビ小説『てっぱん』。いよいよ佳境だなあ。今日もボロボロ泣かされた。この後いったいどう決着をつけるんだ? 「週刊文春」今週号 p109 で、青木るえかさんも面白いっていってたよ『てっぱん』。
2011年3月5日 08:06:29JST webから


『ハヤ号セイ川をいく』フィリパ・ピアス(講談社青い鳥文庫)3/4まで読み進む。う〜む、こちらも佳境に入った。夏休み、カヌー、少年2人、友情、冒険、暗号解読、宝探し、謎のライバル。こいつは実によく出来た小説だ。面白いぞ! さて、この本を読み終わったら、いよいよアーサー・ランサムだ。
2011年3月6日 00:46:01JST webから


先ほど『ハヤ号セイ川をいく』を読了。これは面白かったなあ。イギリス児童文学恐るべし! ミステリーとしても実によく出来ていて、宝物が見付かりそうで見付からず最後までハラハラドキドキ。しかもBoy meets Girl の物語でもあってp402が泣ける。宮崎駿はなぜ映画化しないのか?
2011年3月7日 00:49:49JST webから

2011年3月 4日 (金)

春風亭一之輔さんを、初めてナマで聴く

■先週は、流行中のウイルス性胃腸炎に罹って水様下痢に悩まされたが、下痢がよくなったかと思ったら、今週は喉をやられて声が出なくなってしまった。濃い鼻汁に痰のからんだ咳、熱はないが、得もいえぬ体の怠さが続いている。そんなに不摂生な生活をしているつもりはないのだが、体力が弱ると、次々と病原体が容易に侵入してくるようだ。


また、こういう時に限って忙しいときている。


今度の日曜日は当番医で、来週の火曜日までに上伊那医師会2月の理事会の議事録をテープ起こしして事務長さんに提出しなければならない。翌日、水曜日の昼には伊那東小学校へ出向いて、卒業間近の6年生に「薬物依存とタバコの害」の授業をすることになっているのだが、その準備も全くできていない。さらには、上伊那医師会報3月号の巻頭言を書く約束になっていて、その締め切りが来週末の金曜日ときている。いやはや、まいったなぁ。


■さて、小学館『サライ』責任編集「隔週刊CDつきマガジン・落語 昭和の名人完結編」の刊行が始まった。その第1巻は「桂枝雀・代書、親子酒」で、確かこの音源は持っていたように思ったので買わなかった。で、その2巻目が「古今亭志ん朝」だ。これは即買った。東横落語会の音源(「居残り佐平時」s55/05/16 「猫の皿」 s53/11/29 収録)だったからだ。


よく、立川志らく師が言っていることだが「江戸の風が吹くものを古典落語という」と。


古今亭志ん朝の落語は、まさに「江戸の風」が吹いている。
志らく師が大好きな志ん朝師の兄、金原亭馬生の落語にも、たしかに「江戸の風」が吹いていた。

ただ、勘違いしてはいけないのだが、じゃぁ、チャキチャキの江戸っ子でなければ「江戸の風」を落語の中に吹かせることができないかと言うと、決してそうではないのだな。そこが落語の面白いところだ。


■と言うのも、今週の日曜の午後、駒ヶ根「音の芽ホール」で落語を聴いてきたのだが、そこには確かに「江戸の風」が吹いたように思ったのだ。っていうか、その落語家さんの所作、立ち振る舞い、口調に、古今亭志ん朝の粋と江戸前が重なって見えたのだ。

ところで、その落語家さんは江戸っ子ではない。


なんと、山下洋輔氏のお兄さんが醤油を作っていた(ヒゲタ醤油)千葉県野田市の出身なのだ。そう言えば、柳家三之助さんは千葉県銚子市の出身だったか。そうは言っても、彼は実力派正統落語家を数々生んできた、あの「日大芸術学部・落研」出身。今は亡き古今亭右朝。それから高田文夫、立川志らく。みな「日大芸術学部・落研」出身だ。(ちなみに、柳家喬太郎師は、同じ「日大」でも、名門「日大芸術学部の落研」出身じゃなくて、日大商学部の落研出身なのだった。)


で、「その落語家さん」の写真が、例の「隔週刊CDつきマガジン・落語 昭和の名人完結編2」の14〜15ページに載っているのですよ。「羽織の着方」の説明ページ。でもこの人、写真写りが悪すぎる! 実物はこの10倍いい男なのに。


彼の名は、春風亭一之輔。


昨年10月からは、日曜日の早朝にFMラジオのパーソナリティも務めている。『SUNDAY FLICKERS』だ。ぼくも何度か車の中で聴いたことがある。じつはこの放送、収録もとの「東京FM」では放送してなくて、FM長野をはじめ全国地方FM局でネットされているのだとか。


でも「こちら」で、ポッドキャストが聴けます。一之輔さんの「ダイジェスト落語」も聴けます。


■世間では、日本で一番「落語会」に通いつめているライターは堀井憲一郎氏であると思われているけど、堀井氏にまけないほど「落語会」に通い詰めているライターがいた。それが、月刊音楽雑誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏だ。


その広瀬氏が「いま一番の注目の若手落語家」として追っかけているのが、春風亭一之輔さんだ。


広瀬氏がどれほど春風亭一之輔に惚れ込んでいるかは、『この落語家を聴け!』(集英社文庫)の「文庫版のためのあとがき」を読めばよくわかる。なんと、まだ二ツ目の春風亭一之輔さんのために、まるまる3ページを割いているのだ。これは破格のあつかいと言えるな。


■追加(Twitter に書いたこと)


今日の午後3時から駒ヶ根市「音の芽ホール」であった「春風亭一之輔 噺の会その弐」を聴きに行ってきた。面白かったなぁ。一之輔さんはぜひ一度ナマで聴いてみたいと前から思っていた人だ。最後に入場したら最前列正面の3席だけ空いていて僕ら家族で座る。高座の落語家さんと超至近距離で緊張したよ。


(続き)観客は全部で30数人のアットホームな会で、そこがまたよかったな。考えてみれば贅沢な落語会だ。演目は「ろくろ首」「天狗裁き」「竹の水仙」。評判には聞いていたが、いや実際、この人はうまい。面白い。声もいい。ぜひまたナマで聴いてみたいと思う。


(じつは続き)春風亭一之輔さんの噺では、「あくび指南」か「茶の湯」を聴いてみたかったのだが、「あくび指南」は去年の6月に駒ヶ根へ来た時にやったんだね。その時、今日うちの次男が座った席にやはり小学性がいて、でも横の父親と本人の許可を得て郭噺をやったと一之輔さんが言ってたが「明烏」か? (追伸:H22年6月に駒ヶ根に来た時の演目は、「初天神」「あくび指南」「明烏」だったそうだ。)

Powered by Six Apart

最近のトラックバック