« 2011年1月 | メイン | 2011年3月 »

2011年2月

2011年2月27日 (日)

パパズ絵本ライヴ(その75)コーア(株)次世代育成研修会

■昨日の土曜の午後は、久々の「伊那のパパズ」だった。

土曜日の外来が長引くと、午後3時からの開演に間に合わないので、この日は申し訳ないけれど午後1時半前で診療をお終いにさせていただく。最後の患者さんを診終わって昼飯をかき込み、それから今日読む絵本を選ぶ。子供たちの年齢層がイメージできないので、結局、あかちゃん絵本から年中組くらいの絵本を7冊セレクト。


この日の会場は、箕輪町の工場団地内にある、株式会社 KOA(コーア)
上伊那では、あの「かんてんぱぱ」の伊那食品とならぶ優良企業だ。
コーアでは、次世代育成事業として、父親の子育てを積極的にサポートしており、その一環として今回われわれが呼ばれたというワケだ。


■この日われわれパパズメンバーは、午後2時半までに現地集合ということになっていたのだが、コーアの広大な敷地の中の、いったいどの建物の中で行われるのか全く理解していなかった。結局は「MU(ミュー)ウィング」という場所だったのだが、ぼくと、宮脇さんと、伊東さんの3人は行き着くことができなかった。(倉科さんのナビで何とかたどり着けたけどね(^^;;)


スウェーデン製(?)の薪ストーブが赤々と燃える会場では、20組の親子連れが待っていてくれたよ。でもなんか、よく患者さんで来てくれている子供さんやお父さんお母さんもいるなぁ。ちょっと恥ずかしいなぁ。


   <本日のメニュー>(カメラをまたも忘れてしまったので写真はなし)

  1)『はじめまして』
  2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店) → 伊東
  3)『バルンくん』こもりまこと(福音館書店)   → 北原
  4)『とら猫とおしょうさん』(くもん出版)→ 坂本

  5)『かごからとびだした』

  6)『へんしんクイズ』あきやまただし(金の星社) → 宮脇
  7)『うしはどこでもモ〜』(すずき出版) → 倉科

  8)『ふうせん』
  9)『世界中のこどもたちが』篠木眞・写真(ポプラ社)

2011年2月23日 (水)

『海炭市叙景』(つづき) 函館、そして高遠。

■『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)を読み終わり、いまふたたび
最初の一篇「まだ若い廃墟」を読んでいる。やはり、この一篇が一番凄い。こうしてあらためて読むと、さらに切々と胸に迫るものがあるな。

文庫本の表紙は、海抜389m の函館山だ。

第一章、第二章それぞれ9篇ずつ、計18篇の短編が収められた「この本」では、主人公ではないが重要な登場人物である「まだ若い廃墟」のお兄ちゃんと「裸足」のアノラックの男を入れれば、海炭市に暮らす20人の仕事と生活が描かれている。それはちょうど、「まだ若い廃墟」の中で21歳の妹が以下のように呟くことと呼応している。


 夏の観光シーズンには、他の土地からたくさんの人たちが夜景を見る目的であわただしくやって来る。人口三十五万のこの街に住んでいる人々は、その夜景の無数の光のひとつでしかない。光がひとつ消えることや、ひとつ増えることは、ここを訪れる人にとって、どうでもいいことに違いない。それを咎めることは誰にもできない。(『海炭市叙景』12ページ)


この本の登場人物である彼らが、朝な夕な折に触れてふと見上げるのが、街のどこからでも目に入る「この山」だ。人々の日々の生活に根ざした山。冬も春も、夏も秋も四季折々で「この山」は表情を変える。


ぼくはふと、自分が生まれ育った町「高遠」のことを思った。

そこにはやはり、町を静かに見下ろす「山」があったからだ。
東を見上げれば、南アルプス仙丈ヶ岳 (3033m) 、夕日が沈む西側には中央アルプスの山々。


ぼくは小さい頃から毎日、朝な夕な「この山」を見て育った。いま住む伊那市街からも、高台に上がれば仙丈ヶ岳はよく見えるが、やはり高遠からの角度から見た仙丈が一番迫力があり恰好もいい。


■高遠に生まれ育った作家、島村利正は、小説「庭の千草」の冒頭で仙丈ヶ岳と高遠の町の佇まいをじつに印象的なタッチで紹介している。そうして小説のラストでは、夕日に暮れる中央アルプス西駒ヶ岳と高遠の街並みが描かれる。島村氏の故郷「高遠」が登場する小説は、このほかにも「仙醉島」「城趾のある町」「焦土」「妙高の秋」「奈良登大路町」「江島流罪考」などがある。


島村利正氏は、十代半ばで高遠の町と家族を捨て、家出同然のようにして奈良飛鳥園へと出て行ってしまう。以来、島村氏が高遠で暮らすことはなかった。でも、このとき高遠の町を離れなければ、作家:島村利正は誕生しなかったわけで、運命の不可思議を感じてしまう。


■『海炭市叙景』の作者である佐藤泰志氏は、このウィキペディアを読むと、函館西高等学校を卒業し1970年に上京。國學院大學卒業後も東京に留まり、仕事の傍ら作家活動を続けるが心身不調が続き、1981年に生まれ故郷の函館に家族4人で転居。小説「きみの鳥はうたえる」が第86回芥川賞候補作となったことを契機に、翌年再び東京に戻り国分寺の借家で作家活動に専心する。


この頃のことを回想した、佐藤氏の長女への「インタビュー記事」(北海道新聞)が壮絶だ。佐藤氏本人も、妻も子供らも修羅の毎日だったのだのだなぁ。


この記事を読んで、ぼくはふと『海炭市叙景』第二章の5篇目「昂った夜」に登場する、老父母を大声で怒鳴りつける喪服の男が佐藤泰志氏本人のように感じてしまった。


佐藤泰志氏に比べれば、先だって芥川賞を取った西村賢太氏なんて「甘ちゃん」なんじゃないか?

■ところで、佐藤氏と同年代の作家として村上春樹氏がいるわけだが、ふと、村上春樹氏も『海炭市叙景』のような感じの本を出していることに気がついた。それは、『アンダーグラウンド』だ。しかし、『海炭市叙景』のハードカバー本が集英社から出版されたのが 1991年だったのに対し、『アンダーグラウンド』が出版されたのは、1997年だった。

■ここまで書いて、再び「まだ若い廃墟」を読み始める。

 夜がすこしずつ明けはじめた。(中略) 陽が水平線に顔を覗かせると、周囲に歓声が起こった。(中略)

兄も黙って太陽を見つめていた。ところどころで歓声がもれ、ふたたび溢れるばかりの喜びの声が戻りかけても、兄の表情は変わらなかった。なんだか放心しているように見えた。わたしはそんな兄を一瞬見上げ、ついで下唇を軽く噛んで海の方に視線をやった。

 兄はあの時、なぜ黙っていたのだろう。わからない。その沈黙がわたしに移った時、一瞬、心をよぎったものがある。けれど、それとてもはっきりとはわからない。あれは一体なんだったのだろう。(中略)


 そうだった。あの時、わたしはこの街が本当はただの瓦礫のように感じたのだ。それは一瞬の痛みの感覚のようだった。街が海に囲まれて美しい姿をあらわせばあらわすほど、わたしには無関係な場所のように思えた。大声をあげてでもそんな気持ちを拒みたかった。それなのにできなかった。日の出を見終わったら、兄とその場所に戻るのだ。(『海炭市叙景』17〜18ページ)


■この文庫本が出版されるのに尽力した、小学館の編集者、村井康司氏はジャズ評論家としても有名な人だ。村井氏の Twitter を読んで初めて気がついたことだが、『海炭市叙景』の中で「一人称」で語られるのは、この「まだ若い廃墟」と「一滴のあこがれ」の2篇のみなのだな。どうにもならない絶望の向こうに、微かな希望の光を感じさせる、まだ若い兄妹の妹と、中学2年生の男の子だ。

2011年2月19日 (土)

『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)を読んでいる

■市居の人々が日々暮らす土地とささやかな日常を、地味に丹念に描いたのが島村利正という作家だと思う。戦前から何度も芥川賞の候補に挙がりながら、結局受賞することはなかった。

東京での生活をあきらめ、生まれ故郷の函館に妻と子供を連れて戻り、職業訓練所に通いながら「この短編集」の構想をねったといわれる作家佐藤泰志氏は、僕の中では島村利正氏と重なる部分がすごく大きい。佐藤氏も5回も芥川賞の候補になりながら、結局受賞することはなく、妻子を残して41歳の若さで自死した。


そんな彼の最後の短編集(未完)が、この『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)だ。


先だってから、少しずつ読み進みながら、Twitter に感想を書いている。(以下転載)


●『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)を読み始めた。これ、映画になったんだ。さっき読み終わって強いインパクトに打ちのめされた「裂けた爪」の晴夫役が加瀬亮なのか。ちょっとイメージ違うな。加瀬亮は「まだ若い廃墟」のお兄ちゃんだろう。12:05 AM Feb 16th webから(追記:「まだ若い廃墟」のお兄ちゃんは、竹原ピストルが好演したらしい)


●『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)より「一滴のあこがれ」を読む。これいいなぁ。切手収集が趣味の14歳中学2年生の男子が主人公。ビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』の事がでてくる。少年の希望を感じさせる函館山の描写がすばらしい。
6:11 PM Feb 17th webから


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「夜の中の夜」を読む。パチンコ屋の2階に住み込みで働く店員、ワケありの中年男「幸郎」のはなし。これはハードボイルドだね、北方謙三か志水辰夫の小説の感じがする。


●『海炭市叙景』より「週末」を読む。34年間毎日路面電車を操作してきたベテラン運転手の、ある3月末の土曜日の午後「いつもと変わらぬ」勤務の様子が淡々と描かれる。この街に関して、少なくとも電車の車窓から見える範囲のことは誰よりも一番よく判っている。プロとしての自信と心意気が沁み入る。


●『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)より「裸足」を読む。アノラックの男が切なく可笑しい。「俺が何か悪いことでもしたか。自分で稼いだ金だ(中略)俺は一滴も酒を飲んではいけないのか、女と寝てもいけないのか」しかし、港の娼婦たちもその道のプロ。自分の仕事に彼女らなりの誇りがあるのだ。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「まっとうな男」を読む。「裸足」に似て、この話の主人公も切なくて可笑しい。元炭坑夫の男は50過ぎ。成田空港建設の出稼ぎ先で反対闘争の連中に殺られる思いをして地元へ帰ったが仕事はなく職業訓練所に通う日々。ある夜、理不尽にも覆面パトカーに捕まってしまう


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「大事なこと」を読む。水産高校の投手で、地区予選の二回戦でコールド負けした主人公はいま、町内の朝野球チームの投手だ。彼は横浜高校の愛甲投手がロッテに入団した時から打者としての素質を見抜き密かに応援してきた。でも、チームの幼稚園園長の息子は彼を嫌った


●(続き)幼稚園園長の息子が、プロの選手で誰が一番好きかと訊いた。主人公は勿論、あいつの名前をいった。すると彼は「あの男は不良だぞ。根性の悪い、狡い奴だ」といった。すると主人公はこう反論したのだ「それがどうしたんだ、あいつはプロの野球選手だ、ものにできる投球は確実にヒットにできればいい、違うか」


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「夢見る力」を読む。電力会社に勤める35歳の男が競馬場のオーロラビジョンを一心に見つめる。サラ金から借りた8万円はすでに五千円を残すのみ。このダメダメ男、どんどんギャンブルのドツボにはまっていく様が滑稽ではあるが、読みながらいつしか男の気持ちになっている自分がそこにいた。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「昂った夜」を読む。18歳の女の子が主人公。教育者の父のもと一人娘として育ったが、暴走族の仲間とパクられて私立女子校を退学。いまは空港レストランのウエイトレスをしながら、1〜2年後には東京へ出て行くつもり。東京への最終便がもうすぐ出るある夜の出来事。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「黒い森」。プラネタリウムに勤める市職員49歳。妻は9歳年下、一人息子は高校1年生で八畳と六畳のアパート住い。マンションを買いたい妻は、1年前から友人のスナックで夜のバイトを始めた。最近では土曜の夜に外泊してくる。ウジウジした男が疎ましくも切ない。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「衛生的生活」を読む。「黒い森」と同じ公務員なのに、何なんだこの嫌らしさ。47歳の職安相談窓口職員。ゴロワーズには笑った。かまやつひろしの歌にもあったね。それにロミー・シュナイダー、死んじゃったねぇ。「見栄っ張りで尊大で自分を何者かだと思っている」でも、俺にも似たところがあるなぁ。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「しずかな若者」を読む。誰かも書いていたが、村上春樹の短篇みたいだ。7月の終わり、別荘地でひとり過ごす19歳の大学生。ジャズが好きで、ジム・ジャームッシュの映画も好き。なんだ俺といっしょじゃん。でもオスカー・ディナードは知らないな。夏なのに静かでクールな若者。この小説の雰囲気、ぼくは好きだ。


■函館の街は、過去に2回訪れたことがある。

1回目は学生時代。真冬に常磐線の夜行列車に乗って青森に着き、青函連絡船で北海道に渡った。このとき、八雲町のジャズ喫茶『嵯峨』のマスターとママにお世話になり、函館では『バップ』のマスター松浦さんに会っている。この時泊まったのは、市電に乗ってしばらく行った先の競馬場に近い温泉街の安宿だったと思う。函館の老舗ジャズ喫茶『バップ』は、近隣の火事のための放水で地下の店が水浸しとなり一時休業していたが、別の場所に移転して再開したのだそうだ。よかったよかった。


2回目は結婚した年の7月だったな。

名古屋から函館空港に着いて、その夜は函館山の麓のペンションに泊まった。そこからロープウェイの発着所まではすぐで、チェックインの後にロープウェイに乗って山頂へ行き、あの有名な函館の夜景を眺めたのだった。

翌日、レンタカーを借りて羊蹄山の麓まで行き、翌々日は小樽で寿司を食った。

あの、関根勤のマネージャーの実家で、女性の女将さんが寿司を握るといことで話題になっていた店だ。

2011年2月11日 (金)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その74)甲府市、山梨英和幼稚園

■今日は朝から雪だった。

でも、前日の夜に何だか一人で盛り上がってしまって、自宅飲みを始めたぼくは、酎ハイにワインを足して、いつしか言語道断前後不覚状態に陥ってしまったのだった。翌日の早朝、山梨県甲府市まで、パパズの面々を乗せ、自家用車を運転して行かねばならないというのに、なんという無責任さ。


翌朝の目覚めは最低だった。


明らかに、アルコールの血中濃度は逮捕基準を超えていたな。だって、寝てからまだ5時間しか経ってなかったから。


冷静な妻に怒られて、ぼくは助手席に座った。

「ごめん、伊東先生。というワケで、運転できないんだ。だから、坂本さんの事務所まで連れてってくれる?」
格好悪かったなぁ。でも仕方ない。自分が悪いのだから。

そこうして、坂本さんは仕方なく免許証を車に取りに行ってから運転席に座った。本当にスミマセン。二日酔のぼくは助手席だ。


辰野パーキングで倉科さんを拾って、車は一路山梨県甲府市へ。標高が下がればきっと雨に変わるに違いない! そう確信していたのに、甲府昭和インターを通過しても「雪のまま」だった。

結局、この日は山梨でも終日「雪」だったのだ。やれやれ。
山梨英和幼稚園は、この5月で創立100周年を迎える由所ある幼稚園だ。この日は、こどもたちにお父さん、おかあさん、合わせて200人以上が集まってくれたよ。お父さんは30人以上いたな。うれしかった。


終了後、インド人のお母さんが作ってくれた「インドカリー」をご馳走になる。爽やかな辛さ(でもかなり辛い)の野菜カリー。これ、マジ美味かったです。園長先生ほか皆様、本当にありがとうございました。


ところで、帰りは二日酔も醒めたぼくが運転して帰ったよ。


<本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ

2)『マジック絵本』佐藤まもる(岩崎書店) → 北原
3)『バナナです』『いちごです』川端誠(文化出版局) → 北原
4)『コッケモーモー!』 → 伊東

5)『おーいかばくん』 → 全員
6)『かごからとびだした』(アリス館) → 全員

7)『のっぺらぼう』 → 坂本
8)『すてきなぼうしやさん』 → 全員

9)『ぶきゃぶきゃぶー』 → 倉科

10) 『ふうせん』 → 全員
11) 『世界中のこどもたちが』 → 全員


2011年2月10日 (木)

佐野元春『月と専制君主』

『キュレーションの時代』佐々木俊尚(ちくま新書)が面白い。佐々木俊尚さんのことを知ったのは、つい最近のことだ。最先端のIT関連話題にたいへん詳しいジャーナリストとして、なんとなく Twitter をフォローし始めたのだ。

ところで、今をときめくイラストレーター松尾たいこさんが、Twitter で料理下手を弁解しつつ、でも、優しい「旦那さん」が作ってくれた手料理をときどき写真でアップしていて、それがまた実際にとても美味しそうな料理だったのだな。


で、松尾さんの「優しい旦那さん」って、いったいどんな商売をしているのだろう? て、ずっと気になっていたのだが、あの「さとなお」さんが、松尾さんと夕食を共にした時に、彼女の夫が佐々木俊尚氏であることを知り、ビックリしてツイートしたのを読んだ僕は、もっとビックリしたのだった。なんか、世の中せまいなぁ。不思議とリンクしてくんだねぇ。


佐々木俊尚氏の本を読んだのは初めてだが、特筆すべきことは、文章がとっても読み易いということだ。しかも、抽象的・観念的な論考になることを極力避けるように努力していて、分かり易い具体的な例を挙げて解説してくれる。しかも、ジョゼフ・ヨアキムの物語に始まって、いきなし、ブラジルの知る人ぞ知る音楽家エグベルト・ジスモンチ来日公演の話。


と思ったら、僕も大学生の時に映画館で観て衝撃を受けた日本映画の傑作『青春の殺人者』長谷川和彦監督作品のはなし。

あ、この人は「ぼくと同じ空気を吸った人」だ。瞬時にそう理解した。


■というワケで、毎朝早朝に連続ツイートされる佐々木俊尚氏の発言を、注意して読んでいたら、


「佐野元春セルフカバーアルバム「月と専制君主」。四半世紀ぶりぐらいに彼のアルバムを購入。痺れた。素晴らしすぎる・・。http://amzn.to/emLPD3  8:43 AM Jan 27th Seesmic Webから」


っていうツイートがあった。ぼくは「おっ!」って思った。

で、さっそくアマゾンで購入したんだ、佐野元春『月と専制君主』。ぼくも『VISITORS』以来 25年ぶりに彼のアルバムを購入したことになる。それから、毎日ずっと聴いている。

1102072_2


■つい先だって、佐野元春特集号だったから、じつに久しぶりで買った『ミュージックマガジン2月号』の編集後記(高橋修編集長)を読んで驚いた。そこには、こう書かれていたのだ。


個人的に佐野元春は思い出深いアーティストだ。彼を初めて知ったのは、たぶん僕の世代には多いと思うのだが、TBSラジオの深夜放送「林美雄のパックインミュージック」でのことだった。その番組に、「光が当たっていない良い曲」という基準で、パーソナリティの林美雄が独断と偏見でランキング(応援)する「ユア・ヒットしないパレード」というコーナーがあり、」そこで佐野元春の「アンジェリーナ」が執拗にかけられていたのだ。


あ、そうか。ぼくが佐野元春のことを知ったのは、林美雄のパックインミュージックだったんだ。


でも、彼のLPを初めて購入したのは『ビジターズ』だから、1984年。ということは、この年のぼくは既に大学を卒業していて、小児科医になって2〜3年目、北信総合病医院小児科医員だったのかもしれないな。それから、佐野元春のシングル盤『ヤングブラッズ』を買ったのは、何時のことだったろう? ぼくの大好きな曲で、あの頃、カラオケに行けば必ず唄っていたな『ヤングブラッズ』。


あの頃、夜な夜な酔っぱらっては、アパートの大家さんにご迷惑をおかけしていたな。ごめんなさい、大家さん。あの晩も、深夜に大音量で佐野元春の『ヤングブラッズ』をJBLのスピーカーから大音量で流しながら踊っていたのです。ごめんなさい、ほんとうに。


そんなかんなを思い出しながら、先だって年末の「家族忘年会」のカラオケ・ボックスで久々に『ヤングブラッズ』を唄った。中学2年生の長男が言った。「おとうさん、音痴だね。でも、いい曲じゃん!」


で、つい先日、自家用車のHDに録音した『月と専制君主』の3曲目を、後部座席に乗った長男が聴いたんだ。そしたら彼が言った。

「あっ! 知ってるこの曲!」ってね。 うれしかったな。
佐野元春って、ほんとカッコイイんだぜ!


■ところで『月と専制君主』だが、聴き込むほどにジワジワとその良さが増してくる素晴らしいCDだ。こういうのをホンモノの「大人のロック」と言うんだな、きっと。

1曲目、「ジュジュ」。キャッチーなドドンパ・リズム(スティービー・ワンダーの名曲、 Isn't She Lovely のあと乗りリズムね!)佐野のちょっとルーズでくつろいだヴォーカルの感じが何とも心地よい。


3曲目、「ヤングブラッズ」。やっぱりこの曲が聴きたくて、このCDを買ったワケだし、確かに一番聴き応えがあった。54歳になった佐野元春の声量が落ちたこともあるのだろうが、変に力まずに「ふっ」と肩の力を抜いて軽やかに歌っていることに何よりも感動した。しかも、バックのリズムがサンタナみたいなラテン・ロックとでもいうか、『アリゲーター・ブーガルー』で60年代後半に流行したジャズ「ブーガルー」のリズムなのだな。これには驚いたよ。


でも、聴き込むうちに何ともこのリズムが「いまの自分」の心に沁みるのだなぁ。
ゆるいんだけれど、張り詰めた緊張感がある演奏。
付属のメイキングDVDを見ると分かるのだが、スタジオ・ライヴに近いような形で「なま音」にこだわって作られたことがよくわかる。

6曲名、タイトルにもなった「月と専制君主」。このリズムパターンは、80年代半ばに流行した、イギリスのスタイル・カウンシル「カフェ・ブリュ」の感じだな。懐かしくて、とっても心地よい。


8曲目、「日曜の朝の憂鬱」と、9曲目「君がいなければ」。これは双子のような曲だ。「君がいなければ」とか、「ときどき」とか、同じ言葉が頻回に使われている。でも、この2曲を聴いた印象はぜんぜん違うのだ。不思議だなぁ。

「日曜の朝の憂鬱」はアルバム『VISITORS』に収録されていて、LPで何度も聴いた懐かしい曲だ。「君がいなければ」は、今回初めて聴いた。これは本当にいい曲だね。しみじみいい曲だ。

   ときどき、なにも聞こえないふりをしてしまうけれど
   ときどき、なにも知らないふりをしてしまうけれど

   君がいなければ 君がいなければ
   切なさの意味さえ知らずに夢は消えていただろう。

2011年2月 8日 (火)

『どろんころんど』北野勇作(福音館書店)読了

■福音館書店がなぜ「ボクラノエスエフ」というジュブナイルSFシリーズを始めたのか謎だった。ただ、祖父江慎の装丁がオシャレなのが気に入って、まずは『海竜めざめる』ジョン・ウィンダム・著、星新一・訳、長新太・絵を購入した。この長新太氏の挿画は、ぼくが小学性のころ学校の図書館で何冊も読んだ、岩崎書店の「SF世界の名作シリーズ」の中の『深海の宇宙怪物』に描かれたものが使用されているのだそうだ。でも、この本は読んだ記憶ないなぁ。星新一訳はハヤカワSF文庫版で、福音館版は「この2冊」をハイブリッドしたものなのだ。じつは、買ったまま未読。

■続けて入手したのが『すぺるむ・さぴえんすの冒険』小松左京コレクション。巻頭の「夜が明けたら」だけ読んだ。これは怖いわ。そうして、「ボクラノエスエフ」シリーズ初の書き下ろし作品が、この『どろんころんど』北野勇作・作、鈴木志保・画(福音館)なのだった。この本も買っまま安心してしまって、ずっと未読だった。ごめんごめん。ようやく読んだよ。面白かったな。


110208


■この本のポイントはやはり、祖父江慎氏の装丁だ。図書館から借りてきたのでは分からないが、本のブックカバーを外すと、ピンク地の表紙に、いろんなポーズをとるヒロイン「アリス」が銀色のインクで切り抜きになって描かれている。これが何ともオシャレなんだな。50すぎのオヤジが、カバーを外したピンクの本を、例えば山手線の車内で一心不乱に読んでたら、周囲の人たちはちょっとは注目するのではないか?(いや、ドン引きかもな。)


1102071_10


■物語は、長い眠りから目覚めた少女型ロボット(アンドロイド)アリスが、お供にレプリカメ「万年1号」とヒトデナシの係長を従えて「どろんこだらけに変貌した世界」を旅するロードノベルであり、ビルドゥングスロマンだ。


正直、前半はなかなか乗れなかった。でも、短い章立てが心地よいテンポとなって知らず知らずにくいくい読めた。鈴木志保の挿画もよいな。物語の中盤、皆で地下鉄(これがまんま、桂枝雀の『夏の医者』なのだ。)に乗って都市に向かうあたりから俄然面白くなる。おっと、そう来たか! 何となく予想はしていたが、なんか急にリアルな気分に襲われて、しみじみ哀愁しつつも、そこはかとない怖さも同時に感じた。


「君がいない」は、後述する予定の、佐野元春最新CD『月と専制君主』のキーワードだが、この小説の主題も、自分にとって「大切な人」の不在だ。


内田樹先生はよくこう言っている。「存在しないもののシグナルを聴きとる」「存在しないものに対してメッセージを送ることができる」ということが、人間だけの優れた特性であると。物語の主人公アリスは、人間ではなくてアンドロイドなのだが、旅を続けるうちに、彼女は「それ」ができるようになるのだな。ここがよかった。しみじみよかった。


そうして「万年1号」だ。このラストは想定外で、ぼくは「ええっ?」と驚いたのだが、10ページに物語の副題として「あるいは、万年1号の長い旅」とあるのを発見して、そうか、これは必然なのだなって、納得した次第です。

読了後、不思議といつまでもあとを引く小説であるなぁ。


ちなみに、書評家の豊崎由美さん主宰「Twitter 文学賞」国内部門で、堂々の「第9位」に入ったよ。

2011年2月 2日 (水)

外食に対して、次第に保守的になってゆく自分を感じる今日この頃

■先週の土曜日、週末だし家族で外食を提案したのだ。子供らも妻も同意してくれた。「ところで、何処行くの?」次男に訊かれた。

「いや、じつは前から気になっていた広島風お好み焼きが食べたかったんだよ。ほら、父さん毎朝 NHKで『てっぱん』見てるだろ。」 というワケで、伊那図書館駐車場に車を停めて、歩いて「錦町新地」へ。


しかし、この場末の路地ほど健全な家族連れに似合わない場所はない。でも、この路地の右奥には居酒屋『いろり』があって、ここには家族で数回来ている。だから大丈夫と思ったのだ。でも、その「広島風お好み焼き」の店のドア(スナックの居抜き)を開ける勇気は、ぼくにはなかった。子供らも妻も、思いっきり引いてしまっていたから。


仕方なく諦めて、飯田線の線路を渡ってマルトキ前の路地を右へ。ここにも、最近気になっていたカウンターでオムライスが食べられるオシャレなバーがあるのだ。店の前に家族4人で立つ。でも、オシャレすぎるのだ。子連れで入る店ではないのだな。ぼくらが立ち去ると、小綺麗な女の子が二人、店に入っていったよ。

厳寒の夜空の下、ぼくら家族4人は結局路頭に迷ってしまった。

「じゃぁ、しょうがないから『鳥でん』にでも行くか。1000円のクーポン券の期限が1月末までだったし」僕は言った「車、いなっせの駐車場に移動しとくから、先に行ってて。」


ちょうど電車が来て、踏切がふさがってたりしたので、駐車場を移動して1階に降りたら、妻がイライラして待っていた。子供らは西澤書店で立ち読み中。「鳥でん、満員だって! こうゆう時って、いつもそうよね。どこも入れないじゃん。」「あっちゃ〜!」


というワケで、結局この日は合同庁舎前の「佐榮」で、「ぶたたま」「キムチぶたたま」「もちチーズ」「五目やきそば」「イカ焼き」を注文する。子供らも妻も機嫌が悪い。みな無口なまま、お好み焼きが焼き上がるのをじっと待っている。辛いなぁ。そんなつもりじゃぁなかったんだ。ただ、新たな店を開拓したかったんだよ。冒険してみたかったんだよ。


これは家族のせいだけではないが、外食に対して自分がどんどん保守的になっていることを、最近しみじみ感じるのだ。気に入った「行きつけの店」がすでにあれば、なにも新たに店を開拓する必要はないじゃん。「一見さん」で冒険して、店主から冷たくされて失敗するよりは、馴染みの店でくつろいだほうがどんなにいいか。そうでしょ。


わが家の場合、もうだいたい決まってるのだ。中華なら『美華』か『満月』だし、ラーメンは『二八』。蕎麦は『こやぶ』しか行かないし、カレーは南箕輪の『アンナプルナ』か、宮田の『アルッカマゲ』小町屋『アシャンティー』で、寿司は『ちむら』。焼肉は『宝船』か『権兵衛』。滅多に行かないフレンチは、茅野の『ディモア』か、伊那旭座手前の『伊勢屋』。そうして、うなぎは『小林』か辰野の『小坂』だな。

あと、たまに飲みに行くのは、桜町の『Kanoya』だ。


これだけ決まってれば、もういいじゃんね。そういうことだ。


最近、Twitter で教えてもらったサイトに、「グルメサイトの功罪」というのが載っていた。なるほどなぁ。そのとおりだよ。

Powered by Six Apart

最近のトラックバック