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2011年4月

2011年4月24日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その78)諏訪郡富士見町図書館

■今日の日曜日は、松本の陸上競技場である長野県国体予選の1500m走に出場する、中学3年の長男を送って行くために6時起きした。さすがに眠いぞ。


無事送り届けた後は、今度は諏訪郡富士見町図書館を目指して中央道を諏訪南インターで下車。久々にエプソン富士見事業所前のテクノ街道を走って、二の沢団地(12年前に僕ら家族が住んでいたんだ)を通り過ぎ、富士見町図書館に到着。えっ? 午前8時25分? 本日の開演まで、まだ1時間半もあるぞ。仕方なく駐車場に停めた車の中で、本日読む予定の絵本(候補は3冊)を声に出して読む練習する。さて、今日は何を読もうかな?


■午前10時開演。はじめに、地元富士見町の読み聞かせサークルの女性3人が、しかけ絵本『しあわせなら てをたたこう』を読む。この絵本知らなかったな。

さて、われわれの出番だ。今日はフルメンバー5人がそろった。


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<本日のメニュー>

1)『はじめまして』
2)『へんなかお』大森 裕子・ 白泉社 (2011/03)  → 伊東
3)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店) → 伊東

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4)『おならローリー』こぐれけいすけ(学研)   → 北原

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5)『三まいのおふだ』かないだ えつこ・絵、 おざわ としお・文(くもん出版) →坂本

6)『かごからとびだした』

7)『はらぺこおおかみとぶたのまち』宮西 達也(鈴木出版) → 宮脇
8)『ウグイスホケキョ』三宮麻由子ぶん、飯野和好え(ちいさなかがくのとも 2010年3月号) → 倉科

9)『ふうせん』
10) 『世界中のこどもたちが』


2011年4月20日 (水)

本日、高遠の桜は満開

1104201 ■こういうのを「花冷え」って言うのかな。今夜の高遠はけっこう寒かった。でも、高遠という土地は不思議と「風がない」ところなので、体感温度は案外それほどでもなかったかな。ライトアップはされてないと聞いてきたが、部分的には照明が当たっていてやはり見事だ。夜桜でも十分その素晴らしさは味わえる。ただ、せっかく満開だというのに花見客はまばら。残念だなあ。 桜の花はピークを過ぎたとは言え、この寒さで花弁は地面にそれほど落ちてはおらず、このぶんなら、今週末まで十分持ちこたえる感じだ。どうぞ皆さん、高遠へいらして下さい。 ■追伸:こちら「亀工房」さんのブログに載っている高遠城趾公園の写真がじつに見事です。 1104202 ■写真は、最近購入した「CDたち」です。このうちの何枚かに関しては、すでにこのブログでも言及している。 でも、このところ一番注目している人は、何といっても「星野源」だ。 彼はいい。ほんとうにいい! もう、毎日繰り返し聴いている。 何気ないけれど、十分すぎるくらいに考え抜かれた歌詞がいいんだ。とってもね。 それから、単純なようでいて、妙に複雑なコード進行のメロディが、すっと僕の心に沁み込んでくるのだ。 たとえば、最新作『くだらないの中に』。

JASRAC からの通告のため、歌詞を削除しました(2019/08/06)

何とはない日常を唄った歌だ。 ぼくは、初めてこの曲を「FM長野」のカーラジオから聞いたとき、 男子中学生同士の親友が、部活の帰りにお互いのジャージを嗅ぎあって「バカだなぁ」と笑い会う歌かと思ったのだが、何度も聞き込むうちに、なんだ、ちょっと倦怠期に入った? 男女の唄だったんだって、気がついた。 でも、ほんとそうなんだよなぁ。 何だかその原因がぜんぜん判らないのだけれど、朝から家の奥さんの機嫌がやたら悪いことがよくあるのだ。そういう一日はホントずっと憂鬱だ。オレ、とんでもないことしでかしたかな? 参ったなぁ。ってね。 でも夕方になって、ふと機嫌が直った妻が何気なく微笑めば、全てが「解決することばかり」なのだ。う〜む、星野源さんが言いたいこととは、ちょっと違うような気もするが…… でもまあ、こういう感覚って、すっごくよくわかるよ。

2011年4月19日 (火)

ETV特集と、今日の信毎朝刊「論考 2011」中島岳志

■日曜日の夜10時から、NHK教育テレビで放送された「ETV特集/カズオ・イシグロをさがして」は期待以上の面白さだった。特に、分子生物学者の福岡伸一先生との対話に注目した。福岡先生は鋭いよなぁ。質問に対して真摯に答えるイシグロ氏にも以前にもまして好感を持った。

再放送の予定は今のところないみたいだが、番組の要点をコンパクトにテキスト化してくれた貴重なサイトを見つけたのでリンクしておきます。「THE MUSIC PLANT 日記」です。ありがとうございました。

やはり、以下の言葉がズシリと胸に響くなぁ。


イシグロ「記憶は死に対する部分的な勝利なのです。我々はとても大切な人を死によって失います。それでも彼らの記憶を持ち続けることはできる。これこそが“記憶”の持つ強力な要素だと思うのです。それは死に対する慰めなのです。それは誰にも奪うことができないものなのです」


■「死者とともに生きる」ことに関して、レヴィナス研究者である内田樹先生の『死と身体―コミュニケーションの磁場』(医学書院)を読んでみなきゃなって前からずっと思ってきたのだが、じつは未読のまま。いろんなヒントが詰まっているに違いないのだが、文庫化はされないのだろうか?


そんなことを考えていたら、今日(4月19日)信濃毎日新聞朝刊 11面『論考 2011』欄に、北海道大学准教授中島岳志氏による「死者と一緒に生きている」と題された文章が載った。これがすばらしい。内田先生も中島氏も、1995年1月17日に神戸と大阪でそれぞれ阪神大震災を被災した。いまググったら、その全文が「こちら」に転載されている。こちらもリンクさせていただきます。すみません、~民宿Dubian~さん。


 無心に「凧あげ」をしているジイサンの言葉が、心に沁みる。


「地震でな、家内を亡くしてな。なんかこうやってたこをあげとると、手を握ってる感じがするねん」

2011年4月14日 (木)

村上春樹氏が書いたライナーノーツに関して

■村上春樹『雑文集』(新潮社)を読んでいる。これ、面白いなあ。特に「音楽について」のパート。

最初の、別冊ステレオサウンドに掲載されたインタビュー「余白のある音楽は聞き飽きない」の文章は、伊那の TSUTAYAで立ち読みした記憶がある。(少しだけ引用する)

 オーディオ雑誌でこんなことを言うのもなんだけど、若いころは機械のことよりも音楽のことをまず一所懸命考えたほうがいいと、僕は思うんです。立派なオーディオ装置はある程度お金ができてから揃えればいいだろう、と。若いときは音楽も、そして本もそうだけど、多少条件が悪くたって、どんどん勝手に心に沁みてくるじゃないですか。いくらでも心に音楽を貯め込んでいけるんです。そしてそういう貯金が歳を取ってから大きな価値を発揮してくることになります。そういう記憶や体験のコレクションというのは、世界にたったひとつしかないものなんです。その人だけのものなんだ。だから何より貴重なんです。(中略)


もちろん悪い音で聴くよりは、いい音で聴く方がいいに決まっているんだけれど、自分がどういう音を求めているか、どんな音を自分にとってのいい音とするかというのは、自分がどのような成り立ちの音楽を求めているかによって変わってきます。だからまず「自分の希求する音楽像」みたいなものを確立するのが先だろうと思うんです。(『雑文集』p87〜88)


■「日本人にジャズは理解できているんだろうか」という文章は、確かに全く思いもよらなかった視座を提示されていて、読みながらはっとさせられるのだけれど、所詮は1994年にアメリカ在住の著者によって書かれた、地域と時代限定の文章だと思う。残念ながら2011年の現在では、はたしてアメリカ本国で「ジャズ」という音楽が黒人文化や政治運動にどれほどの影響力を持っているのか甚だ疑問だ。


■「ノルウェイの木を見て森を見ず」はすっごく面白い。村上氏が、ビートルズのレコードを生まれて初めて買ったのが 1980年代に入ってからだと知って、ちょっと意外だったし、でも、そうだよなぁって一人ほくそえんだりした。


■あとは、村上氏が書いた、CDのライナーノーツが4本掲載されている。その白眉はラストに収録された「ビリー・ホリデイの話」だ。ちょっとキザだけれど、めちゃくちゃカッコイイ。黒人兵の彼女が着ていたレインコートの雨の匂いを、ぼくも嗅いだような気がした。まるで『海を見ていたジョニー』みたいな話で、作り話なんじゃないの? なんて勘ぐってしまったのだが、村上氏は2度も「これは本当にあった話」と書いているから、事実なんだろうなぁ。ほんとジャズだねぇ。


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■ぼくが持っているLPレコード(数百枚)の中で、村上春樹氏が書いたライナーノーツが載っているのはたぶん「この一枚」だけだと思う。そう、ソニー・クリスの『アップ・アップ・アンド・アウェイ』だ。先だって、再発の紙ジャケCDを中古盤で入手したら、やはり村上氏のラーナーノートがそのまま添付されていた。ジャズのライナーノーツは、それこそ数百読んできたけれど、これが一番好きだ。2番目は、油井正一氏の『フラッシュアップ』森山威男カルテット(テイチク)に書かれたものか。


とにかく、この村上氏のライナーノーツが傑作で、チャーリー・パーカーが死んだ後のジャズ・アルトサックス業界がどうなって行ったかを、まるで落語家みたいな口調で軽妙に語っていて、そこそこのジャズ好きが「あいや!」と叫びたくなるツボを押さえた名文なのだ。でも、この『雑文集』に載ってないということは、たぶん村上氏の本に収録されることは永久にないのだろうな。残念だ。


ぼくが特に好きなのは以下の部分。

 でも言ってみればこれは当たり前のことで、チャーリー・パーカーの音楽はあまりにもチャーリー・パーカー的でありすぎて、他人がどれだけそれを真似ようとしても、所詮下町の鉄工所の親父が、銀座の高級クラブのホステスを口説いているという図になってしまう。「テクニックがイモなのよ」なんて軽くあしらわれ、それじゃとテクニックを身につけて出直していくと今度は「柄じゃないのよ」と頭から水割りをかけられたりしてね……、とにかくこれじゃ浮かばれない。絶対に浮かばれない。


そこで「キャバレーならやはり東上線」と叫ぶエリック・ドルフィーやらオーネット・コールマンの出現となるのだけれど、こういうの書いているとキリないので、ソニー・クリスの話。


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■ネットでググったら、村上氏は「スヌーピーのゲッツ」で知られる、スタン・ゲッツのLPにもラーナーノーツを寄せている。「ここ」でその一部が読める。ありがたいな。

あはは! 「ドーナツ・ホール・パラドックス」か。相変わらず上手いこと言うな、村上さんは。

2011年4月13日 (水)

「村上春樹ランを語る」が面白い

『Number Do 100人が語る RUN! / ランニング特集第2弾』(文藝春秋)を読んでいる。これは面白い! 先週の土曜日の夜は、伊那中央病院小児一時救急の当番だったので、この雑誌を読もうと持って行ったのだが、忙しくてぜんぜん読む暇がなかった。


同日、成人の一時救急担当で来ていた、林整形外科の林篤先生に「先生、こんな雑誌あるんですよ!」って見せたら、「北原先生、もしかして東京マラソン本気で出るつもりなの?」と訊かれてしまった。いや、それは無理というものでしょう。だって、諏訪湖ハーフマラソンどころか、10km レースにすらエントリーしたことないし、ましてや完走したこともないのだから。

でも、滝小児科の滝芳樹先生は「長野マラソン」に出場して完走してるし、あの「ハワイ・マウイ・マラソン」も完走してるんだって。全くぜんぜんかなわないよな、滝先生には。


■ところで、この雑誌で一番に読ませる記事は、何と言ってもランニングに関する「村上春樹ロングインタビュー」だ。ぼくが気に入った箇所を少しだけ引用させていただこう。


(インタビュアー)まずは、この本『走ることについて語るときに僕の語ること』のことからお聞きしたいのですが、僕自身ひとりのランナーとして、うんうんと納得しながら読む一方で、どこか語りにくそうにしている雰囲気も感じたんですね(中略)ひょっとして春樹さんもランニングを言語化するときに、それに似たことを感じていたのかなとも思ったんですが。

(村上)「そこまでは考えていないけれど、ただ語りにくいなというところはあります。走ることを文章で表現するのはそんなに簡単じゃない。分からないことが多すぎるから。音楽のことや食べもののことを言語化することも難しいんだけど、それは馴れればできるんですよ。メタファーを使って表現を置き換えていって、その落差によって情報を立ち上げる。たとえば、牡蠣フライがどれだけおいしいかというのは説明できるわけ。音楽なら、マーラーのシンフォニーのどこがどう面白いかというのは、文章でそれなりに表せるわけです。僕は文章を書く人間だから、普通の人よりはある程度うまくそういうことができます」(p19〜20)

「もちろんアナログレコードの収集は続けているんだけど、最近はランニング用にCDをよく買うようになりました。ブックオフの250円均一のコーナーとかに行くと、けっこうおもしろいものがあって、そういう捨て値コーナーとかで iPod 用のマテリアルを見つけるのが楽しいんです。半日かけて選んだりしていると、『本を売るならブックオフ』というメロディが耳について離れなくなっちゃうんだ。情けないことに(苦笑)」(24ページ)

「僕が走りながらいつも考えるのは、他人との勝ち負けはどうでもいいけれど、自分との勝ち負けはすごく大事だということ。走っているとき、つらいときにどうやってそれを克服できるかというと、自分には負けたくないということしかないんです。昨日の自分よりはもうすこしましな自分でありたいという姿勢。それはすごく大事なことだと思う。」(27ページ)


■ところで、村上氏が「牡蠣フライ」についてなら、いくらでも語れると豪語していたのは、決して嘘ではなかった。いま、たまたま手元に『村上春樹・雑文集』(新潮社)があって、同時並行で読んでいるのだが、この本の巻頭に載せられた文章がまさにその「牡蠣フライ」に関して詳細に書かれた『自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)』だったからだ。

村上春樹氏は、決して嘘はつかない。そうなんだな。美味しそうな牡蠣フライが今すぐ食いたくなったぼくは、そのことに気付いて、ちょっとうれしくなった。

2011年4月12日 (火)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その77)駒ヶ根さくらさーくる

■4月10日(日曜日)。新年度になって初の「絵本ライヴ」は、いずみ塾が母体の「さくらさーくる駒ヶ根」。しまじろう「こどもチャレンジ」で全国展開を驀進する、ベネッセ「進研ゼミ」に対抗すべく、長野県に本部を置く「いずみ塾」も乳幼児期からの需要拡大に力を入れているのだった。


そういう主催者側の思惑とは全く関係なく、楽しんでくれる子供たち、お父さんお母さんがいらっしゃれば、ぼくらは何時でも何処でも喜んで馳せ参ずるのだ。

<本日のメニュー>


1)「はじめまして」
2)『やさいのおなか』  (福音館書店) → 伊東
3)『でんしゃはうたう』 (福音館書店) → 伊東
4)『てんとうむしぱっ』 (ブロンズ新社)→ 北原
5)『ぽんぽんポコポコ』 (金の星社)  → 北原
6)『かごからとびだした』(アリス館)  → 全員
7)『ねこガム』     (福音館書店) → 坂本
8)『かんかんかん』   (福音館書店) → 坂本
9)『いっぽんばしにほんばし』(アリス館)→ 全員
10) 『ぞうくんのおおかぜさんぽ』(福音館書店)→ 倉科
11) 『ふうせん』(アリス館)
12) 『世界じゅうのこどもたちが』


この日は、0〜1歳児とお父さん、おかあさんの家族が10数組来てくれて、本当にうれしかったな。

ぼくの子供たちは、この4月から中学3年生、1年生になって、父親を胡散臭そうに感じる毎日だ。でも、この若いお父さんたちは、まだあと10年間は子供たちと蜜月期間を味わえるのだから、ほんとうにうらやましい。どうか、お父さん方、大切なこの10年を仕事ばかりにかまけていないで、十分に満喫してくださいね。

2011年4月11日 (月)

「走ること」を考えた一日。

■ぼくの最近の「お気に入りフレーズ」は、星野源『くせのうた』から。






YouTube: 星野 源 / くせのうた 【Music Video】


寂しいと叫ぶには

僕はあまりにくだらない

悪いことは重なるなあ 苦しい日々は続くのだ

赤い夕日が照らすのはビルと日々の陰だけさ

 

■ずっと探していたのに見つからない。
伊那の TSUTAYA もずいぶん行った。でも置いてない。
おかしいなぁ?

で、結局 Amazon に頼んで配達してもらった。
『Number Do 100人が語る RUN! ランニング特集第2弾』


第一弾『大人の RUN!』は、いまいち期待はずれだった。と言うのも、

村上春樹「ランの哲学」って表紙に大きく載せながら、
ぜんぜん村上氏に取材してなくて、ただ氏の過去の発言を切り貼りしただけだった。


たぶん、ぼくと同じ感想を持った人が多かったのだろう。
今回は、村上春樹氏に3時間以上のインタビューを試みている。
これがまた面白いのだった。


それから、角田光代さんの詳細な東京マラソン完走記が読ませる。あと、北尾トロさんの与論マラソン(こちらも完走。立派だ)も載っているよ。

2011年4月 9日 (土)

今月のこの一曲『'Cause We've Been Together』アン・サリー

■今週の日曜日はいろいろと用があって、家族4人で朝9時過ぎに伊那を発ち長野まで行ってきた。帰りには松本に寄ってもう一つの用を済ませて自宅へ帰り着いたのは夜の9時前だった。疲れたが充実した一日だったな。 松本では、妻と次男がリハーサルに行ってる間に、ぼくと長男はいつもの「ほんやらどお」へ行って中古CDを物色。長男はウルフルズのベスト盤を、ぼくはエグベルト・ジスモンチのECM盤と、アン・サリー『デイ・ドリーム』を1000円未満の安価でゲットした。 アン・サリーの「このCD」は、知ってる曲が一つもなかったから、じつは聴いたことなかったのだが、なんだ、めちゃくちゃイイじゃん。 じつに渋い選曲で、1970年代日本のレアグルーブのカヴァーが特に聴かせるのだな。細野晴臣「三時の子守歌」、佐藤奈々子&佐野元春「週末のハイウェイ」、吉田美奈子「レインボー・シー・ライン」。そうして、りりィの『'Cause We've Been Together』。オリジナルはコレです。


YouTube: Lily - 'Cause We've been together

でもこの曲は、アン・サリーのカヴァーのほうがずっといいな。 YouTube にもあったみたいだが、今は見れないのが残念。サビの歌詞がこれだ。

JASRAC からの通告のため、歌詞を削除しました

このCDを繰り返し聴くうちに、「オー、ベイビー、ベイビー、ベイビー、行かないで」というフレーズ。以前に何度も目にしたことあるぞ!? って気がついたのだな。 そう、映画にもなった、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(ハヤカワ epi 文庫)だ。 主人公のキャシー・Hがずっと大切にしていてなくしてしまったカセット・テープ。ジュディー・ブリッジウォーターが 1956年に録音した『夜に聞く歌』A面3曲目に入っていた曲『わたしを離さないで』の歌詞といっしょじゃん。

 スローで、ミッドナイトで、アメリカン。「ネバーレットミーゴー……オー、ベイビー、ベイビー……わたしを離さないで……」このリフレインが何度も繰り返されます。わたしは十一歳で、それまで音楽などあまり聞いたことありませんでしたが、この曲にはなぜか惹かれました。いつでもすぐ聞けるように、必ずこの曲の頭までテープを巻き戻しておきました。(『わたしを離さないで』p110)

■カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』に関しては、この「ネバーレットミーゴー」って曲がどんな曲なのか、以前にもしつこく考えたことがある。と言うのも、ジャズのスタンダードに「Never Let Me Go」って曲が実際に存在していて、インストでは、ビル・エバンズやキース・ジャレット・トリオ。ヴォーカル版では、ナット・キング・コールやアイリン・クラール、ジェーン・モンハイト。 でも、このオリジナルの「Never Let Me Go」って曲には「オー、ベイビー、ベイビー……わたしを離さないで……」なんてフレーズはどこにもないのだった。だからここの「2006/11/15」で言っているように、本当に"Never Let Me Go" だったのだろうか? って疑問がわくのだ。 この Never Let Me Go よりも、「'Cause We've Been Together」のほうが断然「スローで、ミッドナイトで、アメリカン」なんじゃないか? ぼくはいま、確信を持って言おう。あの時、村上春樹氏がカズオ・イシグロ氏にプレゼントしたCDとは、アン・サリーの『デイドリーム』だったに違いない! と。ほんとかよ(^^;;

2011年4月 6日 (水)

『facebook 世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男』ベン・メズリック(青志社)

■「Hard times come again no more」をボブ・ディランがカヴァーして唄ったCDがあると聞いて調べたら、1992年にでた『GOOD AS I BEEN TO YOU』の7曲目に入っていることが判った。一昨日、テルメに行く前に伊那のブックオフに立ち寄ると、なんと「このCD」が 920円で売られていた。もちろん即購入。ボブ・ディランがギター1本とハーモニカだけで弾き語りしたCDだった。そんな彼の「辛いとき」は、まさに彼そのものの唄になっていたな。


■「評伝」を読むのが好きだ。いま読んでいるのは『知られざる魯山人』山田和(集英社文庫)で、まだ200ページ。前半の1/3をようやく読了した。この本はなかなか読み進まないのだ。気楽に読み飛ばせないから。でも、すっごく面白い。とにかく、魯山人という人がメチャクチャ凄くて、あの『美味しんぼ』に登場する海原遊山のモデルになった人ぐらいの知識しかなかったぼくは、ただただ驚くばかりだ。若干21歳にして「日本美術協会」主催の美術展覧会に出品した「千字文」が見事褒状一等二席に入選し、書家として始まった彼の経歴が、篆刻家、骨董の目利き、美食家料理人、陶芸家と次々と変遷しながらも、その全ての分野で超一流たりえた天才。しかも、全て独学。なんちゅう人だ!?


次に読む予定の本も評伝で、『コルトレーン ジャズの殉教者』藤岡靖洋(岩波新書)だ。この本も期待しているのだな。


■しかし、評伝というのは既に故人となった偉人に対して書かれるものだと思っていたが、まだ20代でバリバリの現役若手社長で天才ユダヤ系アメリカ人であるマーク・ザッカーバーグに関して初めて書かれた評伝がこの本、『facebook 世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男』ベン・メズリック(青志社)だ。しかも、話題の映画『ソーシャル・ネットワーク』の原作本ときている。

ぼくもつい最近、流行の「facebook」に登録したのだが、どんなふうに使ったらいいのか皆目わからず、2冊ほどガイドブックも買ってきてパラパラ読んではみたが、ぜんぜんイメージが湧かないのだ。困ったぞ! そう思って、じゃぁ「facebook」が始まった、その起源をを辿れば判るかもしれないと「この本」を読んでみたのだった。

結果は、面白くて一気に読了した。訳文がこなれていて読み易かったし、いろんな思惑の人たちがうごめく様子がリアルでね。でも、「facebook」の使い方はぜんぜん判らなかった。当たり前か……


著者のベン・メズリック氏もハーバード出身だから、まるで「見てきた」みたいな描写にリアリティがあるのだな。それから、エドゥアルド・サヴェリンがニワトリの箱を抱えて出席する基礎単位の講義の雰囲気は、サンデル教授の講義をNHKテレビで見ていたので実にリアルに目に浮かんだ。あと、超エリートが集うハーバード大学の中でもさらなる選ばれた特別の伝統的な秘密クラブが幾つもあって、その結社に入れれば大学卒業後の成功が既に約束されているという事実が、日本の大学では考えられないだけに面白いと思ったし、アメリカの超エリート階級の結束の強さを思い知らされ、ちょっと怖いとも感じたな。


この本の最大の弱点は、著者が主人公のマーク・ザッカーバーグ氏から嫌われて、直接インタビューできなかったことだ。彼に裏切られた双子のウィンクルボス兄弟や、ユダヤ系ブラジル人のエドゥアルド・サヴェリン、それに、facebook 初代社長ショーン・パーカーだけから得た情報を元に「この本」は書かれている。だから、マーク・ザッカーバーグ氏の人となりは最初からバイアスがかかっていて批判的だ。でも、映画で言われているほど、この本を読んだ限りではマーク・ザッカーバーグ氏はアスペルガーっぽくはないぞ。女子が苦手な「おたく」ではあるけどね。

2011年4月 2日 (土)

鉄鍋ビビンバ

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