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2011年3月19日 (土)

『トムは真夜中の庭で』フィリパ・ピアス(岩波少年文庫)読了

■『ハヤ号セイ川をいく』がすっごく面白かったので、引き続きフィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)を読んだ。この本はね、ずいぶん昔に購入して「あとがき」だけ、まず読んだんだ。そしたら、作者フィリパ・ピアスが1967年に「『真夜中の庭で』のこと」と題して発表した文章がが載っていた。これ、もろ「ネタバレ」じゃん! マジックのネタ証しをされたみたいな気分になってしまい、ぼくは「この本」を読むことを止めた。

でも今回、思い直して読んでみてホントよかった。
やっぱり「この本」は傑作だ。
じつに丁寧に、よく作り込まれている。
思春期を迎えるちょっと前の少年が体験した「青春の光と影」だ。切ないなぁ。

タイム・トラベルもの正統派SFとしてはどうなんだろうか? この小説。
科学的根拠に基づいたSF小説とすると、やはり失格だな。
いろいろと矛盾することが多すぎるからね。スケートの件とか。
でも、SF小説ではないからいいのだ。

そうは言っても、この小説が不思議とリアリティを持つのは、
いま見てきたばかりみたいな細微な庭園の描写と、的確な人物描写にある。

 そして、
「この小説」で一番大事なことは、「いまここ」である、ということだ。


トムにとっては、ホールの大時計が13回時を打った真夜中から始まる時間こそがリアルであり、
ハティにとっては、数ヶ月ぶり、数年ぶりと、自分がその存在を忘れかけた頃になって、ふと現れるトムは、まるで幽霊みたいな存在なのだが、実はハティにとっても「いまここ」だったんだな。


時空を超えて、少年と少女が「いまここ」で結ばれる。
でも、現実は厳しい。

二人の時間は、一瞬交差するものの、永遠に時が止まったままの「トムの時間」と、
どんどん時が過ぎ去って行く「ハティの時間」は、ずっと同時間で共有し、共感し、共鳴し、共生するワケではないのだな。その切なさこそが、この小説の「キモ」だと思った。だからこそ、ラストシーンがめちゃくちゃ素晴らしいのだよ。


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■グーグル・アースの写真は、『トムは真夜中の庭で』のモデルになったフィリパ・ピアスの生家、グレート・シェルフォード村のキングズ・ミル通り突き当たりにある「キングス・ミル・ハウス」と思われます(自信はないけれど)


あと、探したら「フィリパ・ピアスとの会見記」が見つかりました。

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