日常 Feed

2011年5月18日 (水)

絵本『アライバル』と、映画『ストーカー』のこと

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■先日の日曜の夜に、NHK教育テレビで放送された「ETV特集・ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月~」は衝撃的だった。

「放射能」というものは、「目に見えない」ということが一番怖ろしい。しかも、今現在、大量の放射能を浴び続けていたとしても、痛くも痒くもないのだ。もちろん、10年もすれば寿命を全うして死んでゆく年寄りは関係ない。でも、これから人生が始まったばかりの子供たちはどうか? その危険性に正しく答える人は、文科省にも厚労省にも原子力安全保安院にも誰もいない。


福島第一原発の近隣住民として避難を余儀なくされた人たちの、避難先の浪江町赤宇木公民館の方が、避難してきた自宅よりも数十倍も放射能が高かったなんて、思わず笑っちゃう話じゃないですか。番組では、3万羽のニワトリを餓死させた養鶏場の経営主や、大正時代から続くサラブレッド産地の牧場主とかが、あまりに理不尽で不条理な仕打ちに文句も言えずにいる表情をカメラは捕らえていた。

いや、それは何も彼らだけではない。先祖代々生まれ育った土地を、ワケの分からない目に見えない放射能に汚染されたという政府発表だけで、集団移住を余儀なくされた人々。

もしかすると、20年経っても30年経っても、生まれ故郷はチェルノブイリと同様、人が住めない汚染地帯として閉鎖されたまま、帰ることができないのかしれないのだ。そう考えると、とんでもない事態が進行中なのだと気づき、怖ろしくなってしまった。


■この番組のラストシーンは、爆心地に近い自宅に残してきたペットの犬・猫に餌を与えに帰った老夫婦の車に同乗させてもらったNHKのカメラが、必死で飼い主の車をを追いかけ、とうとう諦めて立ち止まる愛犬(まるで、絵本『アンジュール』のようだった)を望遠でとらえたシーンで終わっていた。悲しかった。切なかった。日本という国は、いったい、どうなってしまったのだろうか。


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■写真は、アンドレイ・タルコフスキー監督作品の映画の中で、ぼくが一番好きな『ストーカー』LDの裏表紙から撮ったものだ。一番好きと言っても、見たことがあるのは『惑星ソラリス』『ノスタルジア』『サクリファイス』『僕の村は戦場だった』と、『ストーカー』だけなのだけれど。


■これはよく言われることだが、タルコフスキーは「水のイメージに異様に執着する作家」だ。


なかでも映画『ストーカー』は、ほとんど「みずびたし」の映画だった。


■ロシアの片田舎に巨大な隕石が落下したという政府発表があり、その周囲は危険な放射能が満ちているために周辺地域住民は強制退去させられ「ゾーン」と呼ばれる立ち入り禁止区域となった。

しかし、その「ゾーン」内には人間の一番切実な望みをかなえる「部屋」があるという噂があり、そこへ行きたいと願う作家と教授の2人を秘密裏に案内するのが、主人公の「ストーカー」の役目だった。

映画では「ゾーン」の外はモノクロ、ゾーン内に入るとカラーになるという仕掛けがあった。ゾーン内には「目に見えない」危険な区域がいっぱいあって、案内人のストーカーは「それ」を巧妙に回避しながらゴールの「部屋」へと向かう。


あの「部屋」へと至る彼らの行程は、福島第一原発の原子炉がメルトダウンし、放水を浴びながら、地下に汚染された水が何万トンと貯まった原子炉建屋の状況とまったく同じだ。ほんと怖ろしいほどに。どちらも徹底的に「みずびたし」じゃないか。


■もしかすると、タルコフスキーには「今回の事態が」目に見えていたのではないのか?

ほんと、そう思いたくなるほど「リアル」な映像が「この映画」には充ち満ちている。

2011年4月20日 (水)

本日、高遠の桜は満開

1104201 ■こういうのを「花冷え」って言うのかな。今夜の高遠はけっこう寒かった。でも、高遠という土地は不思議と「風がない」ところなので、体感温度は案外それほどでもなかったかな。ライトアップはされてないと聞いてきたが、部分的には照明が当たっていてやはり見事だ。夜桜でも十分その素晴らしさは味わえる。ただ、せっかく満開だというのに花見客はまばら。残念だなあ。 桜の花はピークを過ぎたとは言え、この寒さで花弁は地面にそれほど落ちてはおらず、このぶんなら、今週末まで十分持ちこたえる感じだ。どうぞ皆さん、高遠へいらして下さい。 ■追伸:こちら「亀工房」さんのブログに載っている高遠城趾公園の写真がじつに見事です。 1104202 ■写真は、最近購入した「CDたち」です。このうちの何枚かに関しては、すでにこのブログでも言及している。 でも、このところ一番注目している人は、何といっても「星野源」だ。 彼はいい。ほんとうにいい! もう、毎日繰り返し聴いている。 何気ないけれど、十分すぎるくらいに考え抜かれた歌詞がいいんだ。とってもね。 それから、単純なようでいて、妙に複雑なコード進行のメロディが、すっと僕の心に沁み込んでくるのだ。 たとえば、最新作『くだらないの中に』。

JASRAC からの通告のため、歌詞を削除しました(2019/08/06)

何とはない日常を唄った歌だ。 ぼくは、初めてこの曲を「FM長野」のカーラジオから聞いたとき、 男子中学生同士の親友が、部活の帰りにお互いのジャージを嗅ぎあって「バカだなぁ」と笑い会う歌かと思ったのだが、何度も聞き込むうちに、なんだ、ちょっと倦怠期に入った? 男女の唄だったんだって、気がついた。 でも、ほんとそうなんだよなぁ。 何だかその原因がぜんぜん判らないのだけれど、朝から家の奥さんの機嫌がやたら悪いことがよくあるのだ。そういう一日はホントずっと憂鬱だ。オレ、とんでもないことしでかしたかな? 参ったなぁ。ってね。 でも夕方になって、ふと機嫌が直った妻が何気なく微笑めば、全てが「解決することばかり」なのだ。う〜む、星野源さんが言いたいこととは、ちょっと違うような気もするが…… でもまあ、こういう感覚って、すっごくよくわかるよ。

2011年4月11日 (月)

「走ること」を考えた一日。

■ぼくの最近の「お気に入りフレーズ」は、星野源『くせのうた』から。






YouTube: 星野 源 / くせのうた 【Music Video】


寂しいと叫ぶには

僕はあまりにくだらない

悪いことは重なるなあ 苦しい日々は続くのだ

赤い夕日が照らすのはビルと日々の陰だけさ

 

■ずっと探していたのに見つからない。
伊那の TSUTAYA もずいぶん行った。でも置いてない。
おかしいなぁ?

で、結局 Amazon に頼んで配達してもらった。
『Number Do 100人が語る RUN! ランニング特集第2弾』


第一弾『大人の RUN!』は、いまいち期待はずれだった。と言うのも、

村上春樹「ランの哲学」って表紙に大きく載せながら、
ぜんぜん村上氏に取材してなくて、ただ氏の過去の発言を切り貼りしただけだった。


たぶん、ぼくと同じ感想を持った人が多かったのだろう。
今回は、村上春樹氏に3時間以上のインタビューを試みている。
これがまた面白いのだった。


それから、角田光代さんの詳細な東京マラソン完走記が読ませる。あと、北尾トロさんの与論マラソン(こちらも完走。立派だ)も載っているよ。

2011年3月25日 (金)

『君の友だち』(その2)

■一昨日の話は、ほんとうは違う方向に進むはずだったのだが、勢いでああなってしまった。軌道修正する意味で、まずは落合恵子さんのコラムを完全再録したいと思います。


<今日の視角 平成23年3月23日・信毎夕刊『君の友だち』落合恵子> 

 3月11日のあの日から、わたしの中で鳴り響いている馴染みの歌がある。

 1970年代はじめ、アメリカのシンガー・ソング・ライター、キャロル・キングが作り、自らが歌ってヒットさせた、『You've got a friend』である。大勢のアーティストに歌われているが、日本では『君の友だち』というタイトルで紹介されることが多いようだ。

 個人的な、全くの意訳になるが、次のような内容の歌詞である。

「落ち込んだとき、どうしようもない苦しみの中にいるとき、そして誰かから差し出される小さな手が欲しいとき……」。そんな風に歌いだされるこの曲は、「遠慮しないで、名前を呼んで。そしたら、どこで何をしていても、飛んでいく」と、繰り返される。

 想像を絶するような苦しみとストレス。出口の見えない凍えるトンネルの中で、蹲(うずくま)るしかない被災地のかたがた。被災地の外にいるわたしたちは、祈るようにこの歌詞をなぞる。飛んでいきたくとも行けない、交通事情に焦燥を覚えながらも。

 子どもの本と呼ばれるものとかかわってきたわたしたちはいま、被災地の子どものもとに、絵本を送ろうとしている。準備はほぼ整いつつある。が、生活に欠かせない物資や医薬品さえまだ充分に届いていない状況を考えると、いつどのように送ったらいいか、ともすると前のめりになりがちな気持ちに、いまは少しだけブレーキをかけているところだ。

 全国のほとたちの想いが、いま被災地のひとと共にある…

 被災を免れた地で暮らすわたしたちは、せめて「節電」と「買い占め」を避けること。これも、ささやかすぎるけれど、大事な支援のひとつであると心に刻みたい。


■じつは、このコラムを読んでからテルメに走りにいって、聴いていたぼくの iPod Shuffle から「本当に」キャロル・キングが唄う『You've got a friend』が流れてきたんだ。だから、正直に本当のことを言うと、順番が逆だったのだな。ごめんなさい。


■一昨日、そのあとにツイートしたこと。

今日の夕方 iPod Shuffleを聴きながら走っていたら、最後にキャロル・キングが唄う『君の友だち』が流れてきた。被災地の友人菊池に「何もできなくてごめん」てメールしたら「現地の圧倒的なガソリン(灯油。重油も含む)不足に関してつぶやいてもらえるだけでいいんです。」との返事が。


2011年3月23日 (水)

『You've Got a Friend』written by Carole King

「3.11」以後の日本に住む(被災地を外れた)われわれのことに関して、このところずっと考えている。


YouTube: CAROLE KING You've Got A Friend

それと同時に、ぼくの頭の中でいつも鳴っている音楽があった。
それがこの、『You've Got a Friend』written by Carole King だ。


それは時に、ジェイムス・テイラーの男性ボーカルだったりもする。


YouTube: James Taylor & Carole King - You've Got a Friend (HQ) (Uploaded by Tornike Ivanishvili)

■ちょうど、今日の信濃毎日新聞夕刊『今日の視角』で、落合恵子さんが「君の友だち」と題してコラムを書いている。信毎のサイトでは「今日の視角」は読めないのか? 以前は読めたのに。残念。


■「3.11」以降、ツイッターの真価がなんとなく判ってきたように思う。
ツイッターでは、いろんな人が好き勝手いろいろと発言するから(遠慮しながらもできるから)いいのだ。人によって、同じ事象を観察しながらも感じていることは全く違うのだということが、ツイッターをフォローしていて初めてよく判った。人間一人一人、感じ方がぜんぜん違うのだなぁ。よい悪いは別にして、そういうことが本当によくわかった。それから、今回の事態を踏まえて、数万人のフォローワーがいる文化人、タレント、政治家などのポジションが、図らずも良く見えてきた。これも面白かったなぁ。


下手をすると、大政翼賛会的な政治傾向に至って「欲しがりません勝つまでは」的なキャッチコピーがマスコミから大宣伝され、「不謹慎」という言葉がいつしか「=非国民」と知らないうちに変換されているような社会にだけは、決してしてはならないと思う。皆が自由にいろんな意見を言えることが何よりも大切だ。


ただ、原発問題は根が深くて難しい。
白か黒か、旗色がはっきりしてしまうから。

ぼくの基本的な立ち位置は「反原発」だ。
でも、現に存在する原発事故に、どう対処したらよいか考察することは、また別だと思う。そのあたりの言動はむずかしいな。

2011年3月15日 (火)

上伊那医師会報3月号「巻頭言」原稿

■今朝が締め切りだった原稿(1200字)を、なんとか書き終わったのが今日の午前2時だった。朝6時半に起きて原稿を見直し、最終稿を医師会事務局に送ったのが午前8時半。寝不足のまま、昼休みは3歳児健診でつぶれ、18時半、午後の診療終了後は「伊那中央病院」の小児一次救急の当番で夜7時前ぎりぎりに救急部へ。

いつものことで、午後9時の拘束時間終了間際になってから、3人の小児科の患者さんがやってきた。発熱で受診した1歳1ヵ月の男の子。訊けば、今日の午前中から熱があったとのこと。でも、決して文句を言ってはいけない。暗くなってから不安になったお母さんを責めてみても仕方ないから。

午後9時45分帰宅。やはり睡眠不足は50歳過ぎの体にはキツイ。だから官房長官はちゃんと寝て欲しい。本当に。


■まだ紙には印刷されていない文章だし、目にするのは上伊那医師会会員とその他わずかな人たちだけなので、ちょっとフライングだけれど、この場で先行公開しちゃいます。

         <人と人とをつなげる Twitter>         北原文徳

 3月11日午後、東北地方〜北関東を襲った地震と大津波は、日が経つにつれて未曾有の被害と犠牲者を出したことが次第に明らかになってきた。連日テレビに映し出される被災地の悲惨な状況を見るにつけ、いたたまれなくなり、ただただ胸が苦しくなるばかりだ。いま自分にできることは、被災地に義援金を送ることと、無駄な電気は消して祈ることだけだ。


 本当は、チュニジア、エジプトで大きな力を発揮した「ツイッター」や「フェイスブック」といった新たなソーシャルネットワークの可能性について書こうと思っていたのだった。実際、今回の大震災では携帯電話という情報インフラは全く機能しなかったし、メールも届くのに異常に時間がかかっていた。広範な停電で、被災地ではインターネットに接続できない人が多かったのだが、一部の被災者がモバイル端末からツイッター上に救助を求めたツイート(つぶやき)が即座に載り、この情報は一気に拡散していった。


 ツイッターは、この即時性機能を最も得意としている。だから「なう」をよく使う。ただ、今回は都内で救助を求める偽情報を流した愉快犯もいた。しかし、すぐに嘘であることが判明し犯人も特定された。また、JR停止に伴う東京の帰宅難民を受け入れる施設に誤情報も流れたが、訂正情報が出たのも速かった。ツイッターへのアクセスが集中すると、よく「クジラの絵」が出て不通となるのだが、今回の事態ではクジラは出なかった。これは特筆すべきことかもしれない。

 ネット社会というと、2ちゃんねる掲示板への匿名による中傷誹謗や、正義の使者気取りでブログを炎上させるなど、自分は匿名という安全地帯に居ながら相手を攻撃非難する卑怯で陰湿なイメージが付きまとうが、ツイッターでは不思議と炎上は少ない。匿名で参加できるのだが、掲示板やブログのコメント欄と違って発言した個人が特定されるからだ。また、その発言がどんどん拡散されれば、予想をはるかに上回る多くの人たちの目に晒されることになる。だから、よっぽど覚悟の上でないと下手な発言はできないのだ。

 ネットでは、自分でグーグルを検索したりブログをチェックしないと新たな情報を引き出すことができなかった。しかし、有用な情報を流してくれる信頼できる人たちを多数フォローしていると、ツイッターというプラットフォーム上にいるだけで、自分に必要な情報が「ひとりでに」次々と集まってくる。


 気鋭のITジャーナリスト、佐々木俊尚氏の『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』(ちくま新書)が面白い。ソーシャルネットワークに関する先進的な視座を示した好著だ。グーグルは人的処理を徹底的に排除して自動化していった結果、逆に雑音が増えて本当に欲しい情報が得られにくくなっている。結局は、信頼できる「目利き」が選んだ情報が一番有用なのだ。昔ながらの「人と人とのつながり」は、いまTwitterやfacebookに形を変えて再構築されようとしている。


2011年1月29日 (土)

スケジュール帳は、やっぱり使い慣れたヤツがいい

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ここ数年、スケジュール帳はずっと博文館の「デスクブロックB5ルージュ」を使ってきた。1ヵ月見開きで、その月の予定が一目で分かり、しかも版が大きいので、空欄にいっぱい書き込めるのがうれしい。

例えば、昨年11月の予定はこんな感じだった。

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■今年も、博文館のデスクブロックにしようと、年末「いなっせ」の西澤書店に買いに行ったら売ってない。えぇっ! そりゃ困るぞ。で、仕方なく高橋書店の「リベルデュオ3」を買った。ポケットに入るサイズでコンパクトなのはいいのだが、日曜始まりだし、小さな字で書き込まなくちゃならず、しかも、表紙がソフトでくねくねして思いのほか使いづらいのだ。

さて困ったぞ、と思ったら、1月に入ってから TSUTAYA にあったんだ、博文館の「デスクブロックB5ルージュ」。よかったよかった。「ほほ日手帳4月始まり」も持ってはいるのだが、スケジュール帳は、やっぱり使い慣れたヤツがいいな。

2011年1月21日 (金)

小鳩園で絵本を読んできた

■水曜日の午後は、園医をしている「小鳩園」(心身障碍児・軽度発達障碍児の母子通所施設)へ行って、年2回の親御さんのための「おはなし会」をしてきた。

発達障碍児だから、その話が聴きたいかというと、ぜんぜんそうじゃない。だって、その分野においては僕以上にずっとずっと、患児のご両親が詳しいのだから。お母さん方が知りたいのは、そうじゃなくって、もっと一般的な「子供のカゼ」の話だったりするのだ。だから、事前にお母さん方から質問事項を募っておいた。


(その1)病気を予防する具体的な方法を教えて下さい。


(答) まずは「手洗い」です。そうして、それが何よりも大切なのです。





YouTube: あわあわ手あらいのうた ビデオコンテスト

「これ」をご覧下さい!■



YouTube: 花王 ビオレu あわあわ手洗い教室 えほん


■おはなし終了後に、子供たちを集めて絵本を読んだ。


1)『かんかんかん』のむらさやか(福音館書店)
2)『だっだぁー』ナームラミチヨ(主婦の友社)
3)『たちねぶたくん』中川ひろたか(角川書店)
4)『おひさま あはは』前川かずお(こぐま社)

子供たちにはとっても受けて、うれしかったな。

2010年12月25日 (土)

メリークリスマス

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■じつは、今年の我が家のクリスマスは、12月23日(木)の「天皇誕生日」の夜に終わってしまったのだ。と言うのも、中2の長男が、クリスマスイブの24日(金)の晩は、アンドレア先生のご自宅でのクリスマス・パーティに参加することになっていたからだ。


■一昨年までは、毎年ぼくがクリスマス・チキンを焼いていた。ダッチ。オーヴンでね。


でも、ダッチ・オーヴンだと、肉は軟らかくなるのだが、皮が「カリカリ」にならない。

と言うわけで、昨年から妻が「チキン」の準備を一切仕切ることとなったのだ。
テキストは、例の『ライフ2』


鶏肉は、例によって伊那市桜町の鶏肉専門店「吉野屋」のもの。
とにかくデカイ! そして肉がうまい! さすが、専門店!!

ホント旨かったなぁ。塩が効いているんだね。塩水に一晩漬け込むことが。
あと、今年はパエリアでした。これもおいしかった。


■今回のクリスマス・ディナーの準備には、小6の次男が、ずいぶんとがんばった。
自家製ケーキの作成にも、自家製フルーツ・ポンチも、彼がみんな作ったよ。

2010年11月23日 (火)

講演依頼をこれからは断ろうと思っているのだ。

■いろいろと思うところがあって、この夏以降の講演依頼を全て断ることに決めていた。偉そうなことを言ったって、自分自身が出来ないくせに、そんなの嘘っぱちじゃんって、思ったからだ。特に、メディア漬けの話。

そうは言っても、最近は以前よりも講演依頼はずいぶんと減ってきたので、ぜんぜん取り越し苦労だったのだが、どうにも断れない依頼が駒ヶ根市立図書館からきた。いや、最初は断ったのです。でも「講演内容は先生にすべてお任せしますから是非!」とまで言われてしまうと、断れないのだよなぁ。


■いままでは、講演を頼まれれば決して断らなかった。人に話をするためには、いっぱい勉強して「自分のもの」として消化吸収しないと、説得力のある講演はできないから、自らが新たに勉強するいいチャンスと、むしろ歓迎していたくらいだ。締切と負荷を日々の日常に設けることは、生きて行くうえで案外大切なことだと思う。でないと、人間ちっとも進歩がない。


今回も、講演準備のために読みたいミステリ『音もなく少女は』ボストン・テラン(文春文庫)を読むのもガマンして、いっぱい関連本を読んだ。

講演テーマが「赤ちゃんの言葉はどうやって生まれてくるのか?」だったので、再読、再々読本を含め目を通したのは以下の本。


『言葉はなぜ生まれたのか』岡ノ谷一夫・著(文藝春秋)
『ことばはどこで育つか』 藤永保・著(大修館書店)
『子ども虐待という第四の発達障害』杉山登志郎(学研)
『子を愛せない母、母を拒否する子』ヘネシー澄子(学研)
『0歳児がことばを獲得するとき』正高信男(中公新書)
『子どもはことばをからだで覚える』正高信男(中公新書)
『子どもとことば』岡本夏木(岩波新書)
『幼児期』    岡本夏木(岩波新書)
『ことばの贈りもの』松岡享子・著(東京子ども図書館)
『赤ん坊から見た世界』無藤隆(講談社現代新書)
『絵本から擬音語擬態語ぷちぷちぽーん』後路好章・著(アリス館)
『心を生みだす脳のシステム』茂木健一郎(NHKブックス)
『赤ちゃんと絵本をひらいたら・ブックスタートはじまりの10年』(岩波書店)
『赤ちゃんはなぜなくの・ウィニコット博士の育児談義』D.W.ウィニコット(星和書店)
『母の友・ことばとからだを結ぶうた/ 2010/11月号』(福音館書店)
『絵本の本』中村征子(福音館書店)
『絵本が目をさますとき』長谷川摂子(福音館書店)
『13日間で「名文」を書けるようになる方法』高橋源一郎(朝日新聞出版)

『愛おしい骨』を読み終わったのが先月の10月23日なので、それから1ヶ月間ずっと上記の本を読んで勉強してきたうえで、11月21日(日)の駒ヶ根市立図書館での講演会に僕が臨んだということを、駒ヶ根市立図書館の館長さんも、当日来て下さった聴衆の皆様も、決して分かってはくれないだろうなぁ。その成果が、ぜんぜん出てなかったもんなぁ。

そう思うと、何かこう、すっごくむなしいのだ。


何よりも、聴衆の心に響かない講演ををしてしまった自分の落ち度、未熟さ加減が許せないのだよなぁ。


こういう後悔は、いままでにも何十回もしてきたはずだ。

なのに何故、また繰り返す?
お前はバカか!


でもまぁ、とにかく終わった。これでやっと好きな本が読めるぞ。と思ったら、

12月8日(水)の午後、保育園などの栄養士さんたちに「食物アレルギーのはなし」をするよう、頼まれていたことをすっかり忘れていた。あと2週間。やれやれ、また勉強だ。

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