ジャズ Feed

2012年3月14日 (水)

男性ジャズ歌手が歌う歌詞は「男言葉」なのか?(その2)

■じつは、アンドレア先生(オーストラリア出身)が、トニー・ベネットの『Duets II』を貸してくれる前に、いま一番の「お気に入りCD」を貸してくれたのだ。それが、


ロッド・スチュワート『ベスト・オブ・ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』だった。


ぼくは正直、「えっ?」って思った。あの、金髪兄ちゃんが豹柄パンツの姉ちゃんを抱きながら「イェィ!」って言ってるジャケットの人でしょ。ぼくがまだ高校生の頃のことだったかなぁ、彼の「セイリング」がヒットしたのは。日本人で言えば「もんたよしのり」のような「しゃがれ声」でハイトーンを正確な音程でシャウトできる稀有な男性ヴォーカリストであったことは認めるが、いかんせん、当時の印象では女の子受けだけを狙った、軟派の兄ちゃんといった雰囲気だった。


そのロッド・スチュワートが、ずいぶんと前からジャズのスタンダード・ナンバーをCDに吹き込んでいて、それが評判を呼んで、Vol.5 まで出ていたとは、恥ずかしながら僕はぜんぜん知らなかったのだ。で、昨年春に『ベスト・オブ・ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』が出たというワケだったのだね。






YouTube: Rod Stewart & Jeff Beck - People Get Ready.mp4


YouTube: Sailing ROD STEWART (ロッドスチュワート)






YouTube: Rod Stewart - I'll Be Seeing You


で、その『ベスト盤』を半信半疑で聴いてみたら、ほんと思いがけず、すっごくいい。


驚いたね。あの、ロッド・スチュワートがジャズ唱ってるんだよ。


そんな感じで、気軽に気持ちよく聴いてたら、ふと、苦しいときも、つらいときも、何度も何度も聴いてきた曲が流れてきてビックリした。それは「アイル・ビー・シーイング・ユー」って曲。これ、大好きなんだ。ビリー・ホリデイの名唱で世の中に知れ渡った曲さ。


こうしてね、目をつぶって聴いていると、なんか、ロッド・スチュワートに、あのビリー・ホリデイが憑依したんじゃないかっていう歌いっぷりなんだよね。節回しとか、そのままだし。ヘロインでダメダメになってしまった後の『レディ・イン・サテン』の頃のビリー・ホリデイにね。


あと、そうだなぁ『言い出しかねて』も、彼はビリー・ホリデイの唄い方を踏襲しているような気がする。それから、前回の写真に載せた『vol.3』 冒頭の「エンブレイサブル・ユー」も、「アイル・ビー・シーイング・ユー」や「水辺にたたずみ」が収録されている傑作『奇妙な果実』で、ビリー・ホリデイが唱っている雰囲気を感じる。


ロッド・スチュワートは、たぶんビリー・ホリデイを相当聴き込んでいるに違いない。そう思った。

ネットで読んだら、彼はサム・クックの熱烈なファンであることを公言しているので、サム・クックのレコードに『トリビュート・トゥ・ザ・レイディ~ビリー・ホリデイに捧ぐ』というのがあるから、こちらも影響しているのかな。


■ただ、「I'll Be Seeing You」って曲は、どう考えたって女性の唄だよな。


日本語だと、一人称で明確に男か女か判るし、例えば「AKB48」や「いきものがかり」が歌う歌詞には「僕」がよく登場するが、女の子が歌っていてぜんぜん不自然ではない。逆に、福山雅治は女性の一人称で歌うし、徳永英明は女性歌手の持ち歌をそのままカバーする。わざわざ歌詞を男用に変えることはしない。


で、ふと思ったのだが、英語で歌う場合にはどうなんだろうか?

I と You だけなら、どっちが男でも女でも意味が通じるのかな?

でも、さすがに「マイ・マン」とか、「ザ・マン・アイ・ラヴ」って曲は男性ジャズ歌手には歌えまい。


■ところがだ、今回、トニー・ベネットの『デュエット II』を聴いてみたら、シェリル・クロウと歌う曲がまさにその「ザ・マン・アイ・ラヴ」なのだが、何と「ザ・ガール・アイ・ラヴ」と男用に歌詞が変えられていたのだ。なるほど、そうだったのか。


YouTube: Tony Bennett & Sheryl Crow duet- "The Girl I Love" (Great Performances: Duets II - PBS)

いずれにしても、作詞・作曲された当時のオリジナル・ミュージカルで女性が歌ったのか男が歌ったのかで決まるのかな。うーむ、まだよくわからないぞ。(3月19日 追記)

2012年3月12日 (月)

男性ジャズ歌手が歌う歌詞は「男言葉」なのか?

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■中3の長男が英語を教えてもらっている、北原アンドレア先生からCDをお借りした。トニー・ベネット『Duets II』だ。超ベテラン男性ジャズ歌手が、85歳の現役歌手生活を記念して、いま一番生きがいい各方面で話題の若手歌手とデュエットした豪華企画アルバムだ。


驚いたのが1曲目。なんと彼のデュエット相手は、あのレディー・ガガ。しかも、めちゃくちゃいい! レディー・ガガって、こんなに歌が上手かったっけ? パンチの効いた歌声、抜群のリズム感。若い頃にジャズを唄った美空ひばりか、アントニオ・カルロス・ジョビンと「おいしい水」をデュエットしたエリス・レジーナみたいな感じだ。ほんと、じゃじゃ馬娘みたいで楽しそうに歌っているじゃないか。


あと、つい最近、まだ若くして薬中で急死したエイミー・ワインハウスとの「ナイト&デイ」とか、ノラ・ジョーンズとの「スピーク・ロウ」あたりが個人的好みだが、他にもシェリル・クロウ、マライア・キャリー、アレサ・フランクリン、ウィリー・ネルソン、A・ボチェッリとか、意外な組み合わせが聴かせるのだった。


こういう「大人のアルバム」がアメリカではちゃんとヒットするのだな。50代以上のオジサン、オバサン、おじいちゃん、おばあちゃんがCDを買うのだ。日本では考えられないんじゃないか?


例えて言えば、北島三郎が AKB48や、絢香、JuJu、スーパー・フライ、福山雅治とデュエットしているようなもんだからだ。


ぼくは「ジャズ・ヴォーカル」好きなのだが、男性ジャズ歌手は、正直言って興味の対象外だ。とは言え、シナトラも、ナット・キング・コールも、メル・トーメもトニー・ベネットもLP、CDで持っていはる。最近の若手歌手では、カナダ・バンクーバーで開催された冬季五輪開会式で歌った、マイケル・ブーブレのCDもある。(つづく)


2012年2月22日 (水)

『聴いたら危険! ジャズ入門』田中啓文(その2)

■本当は、オイラみたいなすれっからしのジャズファンが「この本」のことをどんなに誉めてみたところで、実はあまり意味はないんじゃないかと思ってしまうのだ。


だから、まったくのジャズ素人なのに「ジャズ入門」のタイトルに騙されて、間違って「この本」を買ってしまい、なんか面白そうじゃん! とさらに勘違いして、amazonで、ブロッツマンとか、ファラオ・サンダースとか、ローランド・カークとかの「著者オススメCD」を思わずポチッてしまい、送られてきたCDを何とはなしに聴いてみたら「案外いいじゃん!」と、その後どんどんフリー・ジャズの世界にのめり込んでしまいました!


っていうような感想を、著者の田中啓文氏は読みたかったんじゃないかな。
ただ、なかなかそれは難しいことだとは思うのだけれども、「へぇ〜、こんなのもジャズなんだ!」って興味を持ってくれる人は「この本」のおかげでずいぶん増えるんじゃないか。

■何なんだろうなぁ。とにかく、ぼくは田中啓文氏が書く小説が好きなのだ。


『落下する緑―永見緋太郎の事件簿』シリーズも、『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズも、ハードカバーで買って読んでいる。著者は、基本超マジメなのに、変に無理してサービス精神が旺盛すぎるのだ。


だから「この本」でも、変に読者に受けを狙いにいったミュージシャンの項目(ファラオ・サンダースとか、ジュゼッピ・ローガン、アーチ・シェップなど、ぼくも大笑いしたが……)よりも、真摯に真面目に書いている項目のほうが読み応えがある。例えば「アルバート・アイラー」の文章。


なんといっても、あの「音」である。朗々と鳴り響く、管楽器を吹く原始的な喜びにあふれた野太い、輝きに満ちた音。あれを聴くだけでも、彼の音楽の根源にあるものが何かわかるではないか。それ以外にも「ガーッ!」という割れた音、口のなかの容積を変化させることで得られる歪んだ音、しゃくりあげるように裏返っていくフラジオ、グロウルによるダーティーな音などを効果的に使っているアイラーは、サックスから獣の大腿骨を楽器がわりに吹いていた頃のような原初の音を引きずり出す。(p48)


これほど、アイラーの音色の本質に迫った文章を、ぼくは今まで読んだことがなかった。すごいぞ。


あとはそうだなぁ、エヴァン・パーカーの項。


 パーカーは、「こういう音が出したい」「こういう演奏がしたい」というところからはじめて、自分の楽器をじっくり見つめ、そしてこうした技法にたどり着いたにちがいない。(中略)なにしろ、サックスで世界で初めてこんなことを成し遂げたひとなのである。歴史の教科書に載ってもいいぐらいの偉人である。(中略)

 パーカーのソロにはある時期救われたことがある。会社務めが合わなかった私は、昼休みは食事もせずにCDウォークマンでずってこのアルバムを聴いていた。鬱陶しい現実の世界から浮遊できるひとときを、彼のソロは毎日あっという間に作り出してくれた。(p81)


この傾向は、日本人ミュージシャンの項目で顕著となる。


富樫雅彦、坂田明、阿部薫、林栄一、梅津和時、高柳昌行、大友良英、明田川荘之、片山広明などのパートを読むと、著者の真面目さが際立っているように思うぞ。


ぼくが特に注目したのが「阿部薫」だ。


 阿部薫のように「情念」に任せた即興は、空虚でひとりよがりなものになりがちだが、彼の演奏はそうではない。その理由は「間」と「音」にあると思う。阿部のソロは「間」が多い。ひとりで吹いているのだから当然、と思うかもしれないが、プレイヤーは無音状態を嫌うもので、それを埋めたくなる。エヴァン・パーカー、カン・テーファン、ミッシェル・ドネダなどが循環呼吸とハーモニクスによって途切れなく、空間を音で埋め尽くしているのに比べ、

阿部のソロは、静寂が延々と続き、これで終わり?と思った頃に、ぺ……と音が鳴ったりする。常人なら耐え難い長尺の静寂をあえて選択し、無音と無音を組み合わせて、あいだに音を挟んでいく。ここまで大胆に静寂を押し出した即興演奏家はいなかった。(p142)


ぼくも阿部薫の『なしくずしの死』が大好きなのだが、彼の「無音の魅力」には気が付かなかったな、まったく。さすがだ。

田中氏が書いた文章は、どれもこれも「そのミュージシャン」に対する「ひたむきで敬虔な愛とリスペクト」に満ちている。それが、読んでいて実にすがすがしいのだ。


だから逆に、田中氏以外の人が書いた文章が妙に浮いてしまっている。これらはいらなかったんじゃないか? 田中氏だけの文章で埋め尽くせばよかったのに、何故だ? たぶん、自信がなかったのだろう。だからあのまどろっこしい、言い訳がましい「はじめに」と「おわりに」になってしまったのではないか。


そんなこと言わなくてもいいのになぁ。


後半に載っている、カヒール・エルサバー、ハミッド・ドレイク、ポール・ニルセン・ラヴ、芳垣安洋、大原裕とかは、ぼくも「この本」で初めて知った。どんな音を出すのか、ぜひ聴いてみたいぞ。

2012年2月20日 (月)

『聴いたら危険! ジャズ入門』田中啓文(アスキー新書)

■ Twitterに、ペーター・ブロッツマンのLPを10枚は持っていると書いてしまったから、出してきたのだ。


なぜこんなに「ブロッツマン」のレコードを持っているのかというと、ある時期すっごく好きだったのだ、ブロッツマンのサックス。特に、ブロッツマン、ヴァン・ホーヴ、ハン・ベニンク、アルバート・マンゲルスドルフのベルリンでのライヴ盤(1971/08/27/28)録音の「3枚組」のうちの黒色ジャケット「エレメンツ」は、今でもときどき無性に聴きたくなる。


いま思うと、ブロッツマンって、案外聴きやすいのだね。だからこそ、「この本」ではいの一番に取りあげられているワケなんだな。なるほど。

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■今から30数年前だったかなぁ。東北旅行をした時だった。ブロッツマンを聴け! エヴァン・パーカーを聴け! デレク・ベイリーを聴け! って、仙台市一番町のビルの3階?にあったジャズ喫茶「Jazz& Now」で、マスターの中村さんににそう言われたのだ。それまで、ぜんぜん聞いたこともないミュージシャンの名前だった。


「じゃぁ、マスターが『これを聴け!』っていうレコードを一生懸命聴きますから、毎月おすすめレコードを送って下さい。通販で買います」ぼくはそう言った。だから、それから1年間だったか2年に及んだか、毎月毎月仙台から「ヨーロッパのフリー・インプロビゼーションのレコード」が届いた。中でも、一番多かったレコードがブロッツマンだったのだ。そういうワケなのです。



2012年1月11日 (水)

渋谷道玄坂「ムルギー」追補と『なずな』の追補

■いまから30年以上前に、ずいぶんと通ったのだ、渋谷道玄坂『ムルギー』。


その当時のことと、久し振りに再訪した時のことは「2003/03/02 ~03/08 の日記」に書いてあります。あの、『行きそで行かないとこへ行こう』大槻ケンヂ(学研版)は、高遠「本の家」で見つけて 100円で入手したはずなのだが、いまちょっと見つからないのが残念。


文庫では「カレー屋Q」の「ゴルドー玉子入り」となっているが、学研版では確かに「カレー屋M」の「ムルギー玉子入り」と書かれていたよ。


探してたら、あった、あった。学研版。


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 ■上の写真をクリックすると、拡大されて読み易くなります。


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■写真はダメだが、文章だけまだ残っている、島田荘司氏 の「道玄坂ムルギー」はいいなぁ。

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■『なずな』堀江敏幸(集英社)に関しては、「まどみちお」の詩に触れない訳にはいくまい。


254ページに載っている『ぼくはここに』という詩は、わが家にある「ハルキ文庫版」と「理論社ダイジェスト版」には載っていなかった。たしかに、この詩は深いなぁ。


次の「コオロギ」(p323)もすごいけど、ぼくは「ミズスマシ」(p380)に一番驚いた。

ミズスマシと言えば、その昔、長野オリンピックの時に当時の長野県知事吉村午良氏が、ショートトラック競技を評して「ミズスマシ」が回ってるみたいなもんだ、と言ったことが印象に残っている。

そう、ミズスマシはあくまで平面の二次元世界に生きている。普通はそう考える。


ところが、詩人は違うのだな。


「点の中心」は、タイムトンネルの中心みたいに、三次元的に、宇宙のビッグバン的に、どんどんどんどん自分から遠ざかっているのだ。これは、思いも寄らなかった視点だ。


著者の堀江敏幸氏も、東京新聞のインタビューに答えて「こう言っている」


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■それから、以下は『なずな』に関してツイッターのほうに断続的に呟いたことを一部改編して、facebookのほうにまとめたものです。多重投稿でごめんなさい。


堀江敏幸『なずな』(集英社)を読んでいる。いま、388ページ。もうじき終わってしまう。それが切ない。ただ繰り返し繰り返しの単調な毎日なのだが、掛け替えのない「時・人・場所・関係性」を、確かに僕らにもたらした。それが「子育て」だったな。ほんと、子供はあれよあれよと大きくなる。特に、おとうさん! この瞬間を大切にしてほしいと、切に願うのだった。


小説『なずな』を読みながら、不思議と、ありありと目に浮かぶし、おっぱいやウンチの甘酸っぱい臭いもリアルに感じることができる。例えばp40。そうそう、赤ちゃんて眠りに落ちて脱力すると、突然、重くなるのだ。すっかり忘れていたよ。


小説『なずな』を読んでいて、ビックリしたところがある。主人公は、ジャズ好きの弟に頼まれて、生後2ヵ月半の赤ちゃんに、コルトレーンの「コートにすみれを」「わがレディーの眠るとき」を子守歌として聴かせる(p302)。さらに「あの」スティーヴ・レイシーを聴かせているのだ。(p60、p302、p389) しかも、驚くべきことに、案外これが「うまくいっている」というのだ。驚いたな。なに聴かせたのだろ? 


すっごく久し振りに「スティーヴ・レイシー」のレコードを集中して聴いてるが『REFLECTIONS steve lacy plays thelonious monk』(new jazz 8206) が一番いいんじゃないか、やっぱり。でもまだ『森と動物園』を聴いてないのだが。


で、いま、ハットハット・レーベルの『Prospectus』LPA面を聴いているのだが、少なくとも僕は、いや、日本全国各地に住むお父さん誰一人として、自分の赤ちゃんに「スティーヴ・レイシー」を聴かせようとは思わないだろう。


だから、なぜ、今どき「スティーヴ・レイシー」なんだ??
ぼくには判らない。直接作者の堀江敏幸氏に訊くしかないのか。



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2012年1月 7日 (土)

『なずな』堀江敏幸(集英社)を読む(その2)

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■毎日こどもと接している小児科医であるにも係わらず、この小説に登場する赤ちゃん「なずな」の描写を読みながら、ぼくの長男が2ヵ月半だった頃のことを妙にリアルに思い出していた。その息子も、いまや中学3年生。あっという間だったなぁ。


例えばこんな描写がある。


両手は顔の横に半開きの状態で置かれていた。指の一本一本が、指と指のあいだの影が、いつもよりくっきりと見えるのはなぜだろう。似ているようで似ていない。似ていないようで似ている。閉じられたまぶたの細い皺までが、なぜか胸を打った。赤ん坊というのは、こんなにやわらかく目を閉じられるものなのか。力が入っているのかいないのか。なにものをも拒まない閉じ方だ。光さえも、声さえも……。(『なずな』堀江敏幸・著、集英社 4ページより)


それから、ここ。

なずなは飲む。飲んでくれる。心配になるくらいに飲む。どんどん飲む。うどんどんどんだ。あっというまに飲み干したと思ったら、ぺんぺん草の手足からくたんと力が抜けて、もう目がとろとろしはじめている。ミルクのぶんだけ身体が重くなり、眠くなったぶんだけどこか大気中からもらったとしか思えない不可思議な重さが、こちらの肩に、腕にのしかかる。

哺乳瓶を置いてまっすぐ縦に抱きなおし、肩よりうえに顔が出るようにして、背中をそっと叩いた。励ますように、祈るように、静かに叩き続けた。(中略)五分、十分。なにも考えず、てのひらでなずなの背中に触れる。どんな顔をしているのだろう。こちらから彼女の表情を確かめることはできない。気持ちがいいのかよくないのか。起きているのか眠っているのか。反応のなさに不安になりかけた頃、耳もとで、がっ、と小さく湿った空気の抜ける音がした。(40〜41ページ)


あと、ここもいいな。

洗い終わったらガーゼケットで身体を包んで、いっしょに湯船につかる。なずなはまだこちらを見つめて、目をそらそうとしない。しばらくすると、丸く開いたさくらんぼのような口から、ほう、という声が漏れ出て、ユニットバスの壁に跳ね返った。ほう、と私も返事をする。もう一度。もう一度、ほう、と言ってくれないか。しかし彼女は、やわらかい肌だけでなく瞳まで湿らせて、満足そうに、ぼうんやりこちらを見あげるばかりである。(98ページ)


水筒のお湯を使ってミルクを作る。口もとに持って行くまでの時間のほうが、ミルクの吸い込まれる時間よりもながくなった気がする。真っ白な顔にどんどん赤味が差し、満足したところで、爆音とともにまた一連の儀式がはじまる。すべてすっきりさせると、私も丁寧に手と顔を洗い、無精髭を剃り、つるつるにした状態で、なずなにそっと頬ずりした。

頬を寄せるなんて、人間にとっては最高の贅沢ではないか。向き合う努力と苦しみを乗り越え、真横に密着して、おなじ方向をながめることのできるたったひとつの姿勢。(322〜323ページ)


■この堀江敏幸氏の文章がじつに心地よい。不思議な懐かしさがある。それから、読者の五感を刺激するのだ。赤ちゃんの身体が発するミルクのにおい。下痢したときの、ちょっとすっぱいウンコの臭い。お尻のぷよぷよとした弾力。何かを訴えるように必死で泣き続けるその声と涙。


信州大学小児科学教室に入局させていただいた最初の日に、当時の医局長だった塚田先生からこう訓辞を受けた。「小児科医は、自分の子供を育ててみてはじめて一人前の小児科医になれるのです」と。


あの頃は、その言わんとする意味が、なんだかよく判らなかったが、富士見高原病院医局で夜遅くまで内科の先生と駄弁ってからようやく帰宅すると、夜泣きの酷い長男をおんぶした妻が、疲れ切った顔で暗く出迎えた「あの晩」のことを思い出すのだ。当時はまだ「父親としての自覚」がぜんぜんなかったなぁ。ごめんなさい。偉そうなこと言ってても、実は半人前の小児科医だったのだ。いや、いまだにそうかもしれない。


■こどもの親になる、ということはどういうことか? その解答が「この本」に書いてある。


 人は、親になると同時に、「ぼく」や「わたし」より先に、子どもが「いること」を基準に世界を眺めるようになるのではないか。この子が、ここにいるとき、ほかのどんな子も、かさなって、いることは、できない。そしてそれは、ほかの子を排除するのではなく、同時にすべての「この子」を受け入れることでもある。マメのような赤ん坊がミルクを飲み、ご飯を食べてどんどん成長し、小さなゾウのようになっていく。そのとき、それをいとおしく思う自分さえ消えて、世界は世界だけで、たくさんのなずなを抱えたまま大きくなっていくのではないか。(256〜257ページ)

「(前略)生後二ヶ月の子どもの肺なんてまっさらの消毒済みガーゼより清潔なんだから、どうせ汚すのならいい汚れにしてあげないと」

 いい汚れ、という言葉に心地よい驚きを感じて、震えがおさまっていくような気さえする。汚れにいいも悪いもない、汚れは汚れであって、落とせるものは落とし、落とせないものはそのまま放っておくか捨てるかのどちらかでいい。私はそんなふうにしか考えてこなかった。(7ページ)


おいしい弁当を食べ、珈琲を飲み、甘いものを食べて、赤ん坊の排泄物を処理する。世のお父さんお母さんは、みなこうして、きれいきたないの区別の無意味を悟るのだろう。なずなの発した芳香は杵元の私の部屋でのように籠もることもなく自然の風に流れていく。(436ページ)


■このあたりの感覚を、現役「イクメンパパ」である高橋源一郎氏がうまいこと「連続ツイート」してる。


それから、ジャズに詳しい方の「こちらの感想」もじつに要を得ているな。


こんなふうに考えると、この作品は映画にうってつけの
ような気がしてくる。
友栄さんは深津絵里、美津保のママは松坂慶子で
決まりでしょうね。
どなたかぜひ映画化を!


なるほど確かに友栄さんは深津絵里、美津保のママは松坂慶子だ。


■すごくリアルで私小説みたいに写実的な小説ではあるのだが、ぼくは正直、この小説世界は「ファンタジー」だと思う。その意味では、震災後に放送されたNHK朝ドラ『おひさま』に似ている。悪人は一人も登場しない。そうして、周囲の人々がヒロイン「陽子」と接することで幸せになるのだ。


それは「なずな」を囲む人々にも言える。


要するに、基本は「近くにいる」ということではないか。遠く離れていても、心と心がつながっていさえすればよいという人もいる。遠距離恋愛、単身赴任、別居婚。(中略)

 いつも近くにいて顔を見るだけで感じられることが、離れているとできない。電気信号ではなく、空気の振動で伝わる生の声や気配だけで、支えられることもあるのだ。(163ページ)


「なずなちゃん、周りにいる人をみんな親戚にしちゃうみたいですね」(266ページ)


血のつながった家族であろうとなかろうと、人は人とつながって生きていくしかない(341ページ)


こんなふうに、彦端の親父の背中に触れたことがあっただろうか、と不意に思った。親父どころか母親の背中にも、肩にも、手にも、最後にいつ触れたのか思い出せない。人に触れるという感覚を、私はなずなのおかげではじめて知ったことになるのかもしれない。(352〜353ページ)


「(中略)離れているより、ひっついていたほうがいい。子どもでも女房でも、いっしょにいたほうがいいんだ。赤ん坊は人を集める。そういう力がある」(359ページ)


■何が言いたいのかというと、つまり「この主人公と赤ん坊のなずな」は、世間(世界)に対して「外に開いている」ということだ。彼らの周囲にには、危なっかしい主人公をほっておけない「他人」がいっぱいいる。ここが重要だと思う。


近々読む予定の『マザーズ』金原ひとみ(新潮社)とは、対極にあるような「この小説」は、こうあってほしいという著者の「希望」に満ちている。いや、もうほとんど「祈り」と言ってもいいかもしれない。


赤ちゃんて、可愛いよ。子育てって掛け替えのない経験だよ。作者は、まだ独身の子供にはぜんぜん興味のない男子や女子に、それからまた、子育てにちょっと疲れたお父さんお母さんに「そう」伝えたかったのではないか。

この小説が書かれたのは、3.11. の前だが、明日の見えない右肩下がりのいま、乳飲み子を抱えて「内に内にただ閉じてゆく」母親と父親にこそ読んで欲しいと切に願う。


2011年12月31日 (土)

岩手県のジャズ喫茶を応援しよう!(その2)

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■翌日は、大槌町から釜石を通過し、さらに南下して陸前高田へ。

陸前高田には全国的に有名な「日本ジャズ専門店・ジャズ喫茶ジョニー」があった。日本のジャズにとことんこだわった照井顕、由紀子ご夫妻の店だ。ぼくが訪れたのはお昼ころだったか。ジャズ喫茶といっても食事もできる。ダジャレばかり言うマスターと、素敵なママが歓待してくれた。うれしかったなあ。スピーカーも日本製の名器、ヤマハNS1000。


ジョニーという名前は、五木寛之の短編小説『海を見ていたジョニー』からきている。だから、同名タイトルで陸前高田ジョニーでライブ録音された坂元輝トリオの演奏を「Johnny's Disk Record」という自主レーベルでレコード化した。ぼくも陸前高田から郵送してもらって購入したのだった。レコード解説を、なんと五木寛之が書いている。「縄文ジャズ」とはうまいこと言うなぁ。


当時、東北(特に岩手県)のジャズ文化は、日本の他の地域とは違って、独特の結束力でもって平泉の藤原氏のごとく絢爛たる栄華を誇っていたのだ。


この日は、白い砂浜に樹齢300年を超える約7万本の松が続く「高田松原」の中にあった
「陸前高田ユースホステル」
に泊まった。ほんと、ユースホステルらしいユースホステルだったなぁ。現在の姿が「Wikipedia」にあった。あの「1本松」のすぐ側に建っていたのか。


「陸前高田ジョニー」も、3.11 のあの日、オーディオもレコードもお店も、すべてが津波に流された。


震災後、ジョニーがどうなってしまったのかすっごく心配してネットで検索したら意外な事実が判明した。照井顕、由紀子ご夫妻は 2004年に離婚し、ご主人は陸前高田を離れ、盛岡で「開運橋のジョニー」を経営。奥さんの由紀子さんが「ジャズ喫茶ジョニー」を引き継いだのだった。


「Johnny's Disk Record」の1枚目はベース奏者中山英二さんのレコードで、「彼のブログ」に陸前高田のジョニーの現在のすがたが載っていた。


そうか、よかった! 店は流されたけれど、ママさんは助かったのだ。しかも、この9月から仮設店舗で営業を再開したとのこと。さらに、ジャズ・ライブも再開。ガンバレ! ジャズ喫茶ジョニー。


さらに、大槌町「クイーン」も津波にすべを流された。マスターの佐々木賢一さんと娘さんは逃げのびたが、奥さんは波にさらわれて亡くなってしまったという。悲しい。

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■旅の終わりは、ジャズ喫茶の聖地、一関「ベイシー」。前日は花巻の駅で寝袋にくるまって寝たのだが、出してた顔だけあちこち蚊に刺された。睡眠不足が続いた一人旅で、疲れていたし弱気にもなっていたな。


「ベイシー」のテーブルで、持参したB6サイズの「旅ノート」に「東北の人たちは冷たい」とか「旅はつらい」とか何とか、いま考えればとんでもなく勘違いで失礼なことを書き綴った。ほんとうにごめんなさい。


書き終えたノートを、入口レジ横に置かせてもらったリュックに戻し、深々とソファーに座って一人ジャズに聴き入った。噂には聞いてたが、ライブの音よりもホンモノの音がするJBLサウンドに驚愕した。特に、コルトレーン『クレッセント』(インパルス)での、エルビン・ジョーンズのシンバル!


ふと見上げると、眼の前にマスターの菅原正二さんがニカッと笑って立っていた。

「おい、学生さん。どこから来たんだい?」「そうか、まぁいいから飲め」そう言って、テーブルにウイスキーのボトルをどんと置いたのだ。


「おい、学生さん。ピアノは誰が好きだ?」
「はい、ウイントン・ケリーが一番好きです。」「ほぉ。そうかい」
「あの、リクエストいいですか?」
「おぉ、いいぞぉ!」


「『ベイシー・イン・ロンドン』のB面、コーナーポケットをぜひ聴きたいんです」


本来なら、このレコードはA面が圧倒的にいい。でも、この時マスターの菅原さんは嫌な顔ひとつせずB面をかけてくれたのだ。しかも、スピーカー前のドラムセットに座って、自らレコードに合わせてドラムをたたいてくれた。ほんと感激だったなぁ!


すっかりご馳走になって、深夜近くに店を後にしたぼくは、一関の駅から夜行列車に乗ってアパートへ帰っていったのだった。


列車の中で、この夜の感動を忘れないうちにノートに書き留めておこうと思い、件のノートを開いたら、書きかけのページに「ベイシーの猫のスタンプ」が押してあった。「あっ!」ぼくは顔が真っ赤になった。マスターの菅原さんに、あのノートに書き殴ったとんでもない愚痴を読まれていたのだ。ほんと恥ずかしかったなぁ。


ごめんなさい、菅原さん。そして本当にありがとうございました。


あの時のお礼をいつかしたい。ずっとそう思ってきた。


そしてようやく、先日になって「岩手ジャズ喫茶連盟」宛に義援金5万円を送った。妻に内緒にしていた「へそくり」から工面したのだ。ちょっとだけ、片の荷が下りた気がしたが、いや、まだまだこれから継続的に東北を支援してゆくことが必要に違いない。


大槌町「クイーン」の佐々木賢一さんも、陸前高田の照井由紀子さんも、どっこい生きてる。がんばっている。


これからも、ずっとずっと応援していきますよ!


来年こそ、みなさまにとって「よい年」になりますよう、心からお祈り申し上げます。


それではみなさま、よいお年を!

2011年12月30日 (金)

岩手県のジャズ喫茶を応援しよう!

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■医学部同級生の菊池に夏用のシュラフを借り、東京在住の兄貴が使っていたバックパックを背負って、土浦から常磐線の青森行き夜行列車に飛び乗ったのは、あれは何時のことだったか? 1980年?いや、1981年か。いずれにしても、今から30年も前の話だ。


確か、B6サイズのノートに旅行記をメモしていた記憶があるから、あのメモ帳が取ってあったらなぁ。残念ながら見つからない。夏休みだった。たぶん。この時の旅の目的は「岩手県ジャズ喫茶めぐり」だ。


盛岡が最初だったかな。城趾の近くの川の畔に『ダンテ』っていうジャズ喫茶があった。2年前に盛岡で日本小児科学会があった時に再訪したら、場所は移転していたけれど『ダンテ』は現存していてビックリした。大音量のスピーカーに黙って対峙する大学生やビジネスマンなど男性客ばかりの店内は、まるで1970年代の硬派ジャズ喫茶そのものだったな。


盛岡から山田線に乗り、岩泉線に乗り換え日本三大鍾乳洞のひとつ「龍泉洞」へ。そのあと宮古まで行って、少し北上し「田老」で下車。


あのころはまだ、宮古市ではなくて「田老町」だった。小さな町には「あまりにも不自然な巨大な防波堤」が目を見張った。そこまですることないじゃん。正直そう思った。だって、あまりに巨大で高くて完璧すぎる堤防だったから。その防波堤の右端に石碑が立っていた。明治と昭和のはじめにこの地を襲った巨大津波の記念碑だった。こんな高いところまで津波が来るワケないよ。ぼくはその時ホントそう思ったのだ。でも、そうじゃなかった。


■宮古から少し南下し、釜石の3つ前の駅が「大槌」だ。大槌町には、岩手県最古のジャズ喫茶「クイーン」があった。確か、町役場近くのメイン商店街に面していたような気がする。マスターは佐々木さん。店にぼくが到着したのはすでに夜だったと思う。この日の宿泊先は決めていなかった。菊池に借りた寝袋があるから大槌の駅舎で寝ればいい、そう考えていたのだ。


「クイーン」店内の記憶はある。大きなスピーカーの前にLPが無造作に置かれていた。地元の常連客で賑わう店内は、よそ者にはちょっと居心地は悪かった。夕飯を食った後も粘って、閉店近くまで店にいたような気がする。タバコを何本も吸った。髭の店主には、ちょっと恥ずかしくて話しかけれなかった。シャイなんだ。今もね。


店を出て、駅舎に戻った。寝袋を出して寝ようとしたら、駅員の人が出てきて「ここで寝てもらっては困る」と言う。仕方ないので、その駅員さんに紹介してもらった近くのビジネスホテルに行くが、どうみても面倒な事態には巻き込まれたくないわと顔に書いたような女将が出てきて「今夜は満員でお泊めできる部屋はありません」と断られた。


仕方なくぼくは、それから大槌の町を深夜まで彷徨って、まるで「つげ義春」が好んで泊まるような木賃宿に辿り着き一夜の部屋を得ることができたのだった。(つづく)


2011年12月17日 (土)

『DELICIOUS』JUJU

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■以下、facebook のほうに書き込んだのだが、少し追加してこちらにも載せます。


結局、JUJU のジャズアルバム『DELICIOUS』を買ってしまった。これマジでいい! 大音量で聴くとしみじみ沁みる。ゴージャスで実に贅沢な作りをしている。

アレンジが「そのまま」なのだ。例えば「You'd Be So Nice To Come Home To」は、クインシー・ジョーンズが編曲した「ヘレン・メリル with クリフォード・ブラウン」のそれ。間奏に入って、やっぱり退屈なピアノソロまで踏襲している。それに続くトランペット・ソロは、菊地成孔「DUB SEXTET」の類家心平。でも、最初からブラウニーには無理に対抗しようとはしない。そうだよなぁ。


ゲスト・ミュージシャンの聴き所としてはジュリー・ロンドン「Cry Me A River」での渡辺香津美のギターソロがめちゃくちゃ渋い。「Candy」のフリューゲル・ホルンソロは、あの歌も上手い TOKU だ。


あと、「Ev'ry Times We Say Goodbye」での菊地成孔のテナー・サックス・ソロが、在りし日の武田和命みたいで泣ける。それから、サラ・ヴォーンの「バードランドの子守歌」だが、これも変に気負わずに軽やかに歌いきっているところが気持ちいい。


総じて、JUJU のヴォーカル、肩の力の抜け加減が絶妙なのだ。まだ若いのに、なんなんだ、この余裕。

個人的に一番好きなトラックは、やっぱり「ガールトーク」かな。こういうバラードや「キャンディ」みたいな小粋な小唄をきちんと聴かせるってのは、彼女にジャズ・ヴォーカルを唄う実力が確かにある証拠だ。


案外聴かせるのが、ラテン・ナンバーの古典「キサス・キサス・キサス」だ。9曲目にして、必殺キューバ音楽を持ってきたか! 絶妙な選曲だねぇ。で、その前の曲、8曲目。「Moody's Mood Foe Love」のアルト・サックス・ソロは土岐英史で、2nd ヴォーカルで娘さんの土岐麻子が参加している。ぼくはつい最近まで親子だとは知らなかったぞ。


■それにしても「JUJU」って名前、彼女が大好きなウェイン・ショーターのレコード『JUJU』から取ったというのには驚いた。


BLUE NOTE レーベルでのショーター作品では、1枚目『Night Dreamer 』や、ぼくが大好きな3枚目『Speak No Evil』と比べると、この2枚目はずいぶん地味な印象を持っていたからだ。ウェイン・ショーターが好きっていうだけでビックリなのに、渋いな、JUJU。

2011年11月 8日 (火)

今月のこの一曲 「Estate」安次嶺悟トリオ

■なにもこの時期に「夏のうた」を取りあげなくてもいいだろう、そう思うでしょ。 でも、「いま、ここ」で僕の中では「夏のうた = Estate(エスターテ)」なのだった。 111108 僕が初めて「この曲」を耳にしたのは、確か倉敷でだった。なんとかスクエアーから少し行った所にあったブティック2階のジャズ喫茶。記憶では倉敷で泊まった憶えはないから、たぶんあの日は土曜日で、ぼくは映画館のオールナイト営業で翌朝を迎えたのだろう。大学生の頃は、金はなかったけれど、体力と時間だけはあったからね。 1970年代中半の「硬派ジャズ喫茶」はどこも斜陽だった。だから、夜はお酒を提供し、スピーカーのボリュームも落として、客の会話のじゃまはしない「カフェ・バー」の走りが各地に生まれた。あの倉敷の店も、まさにそんな感じだった。ちょっと軽い雰囲気のマスターが、カウンター席に陣取る常連客にこう言ったのだ。 「もうジャズはダメだね。これからは、アダルト・コンテンポラリー・ミュージックの時代さ!」 そうして彼がターンテーブルに載せたレコードが、ジョアン・ジルベルトの『イマージュの部屋』A面だった。1曲目は「ス・ワンダフル」。ヘレン・メリル with クリフォード・ブラウンでの名唱で有名なジャズのスタンダードを、ジョアンは英語で気怠くやる気なさそうに歌う。で、2曲目が「エスターテ」。イタリア語で「夏」という意味の哀愁に満ちたバラードを、ジョアンは今度はイタリア語でとつとつと、切なくやるせなく歌っている。しびれた。


YouTube: JOAO GILBERTO - ESTATE (BRUNO MARTINO)

3曲目に「チンチン・ポル・チンチン」をポルトガル語で軽快に聴かせ、4曲目が「ベサメ・ムーチョ」。これはスペイン語で歌っている。これまた哀切感に溢れた歌声。旅から帰ったぼくは直ちにレコード屋さんに走り、このレコードを購入したのだった。1980年のことだ。


YouTube: Michel Petrucciani Trio - Estate

■1981年にフランスのマイナーレーベルから初リーダーアルバム(赤いジャケットに大きすぎる帽子をかぶった子供?いや実は本人のモノクロ写真が印象的だ)を出し、世界中のジャズファンの度肝を抜いた、天才ジャズ・ピアニストのミシェル・ペトルチアーニが、1982年に発表したセカンド・アルバムが、この『ESTATE』。名演である。


YouTube: Estate - Satoru Ajimine Trio

■そして最後の「ESTATE」は、大阪を中心に活動するジャズピアニスト、安次嶺悟(あじみね・さとる)の遅すぎたデビューCD『FOR LOVERS』からの7曲目。これがまた実にいい。 2009年末、限定1000枚で発売されたこのCDは、彼の地元大阪を中心に口コミで評判を呼び、瞬く間にソールドアウトしたという。噂を聞きつけた全国のジャズファンからの再発を求める熱い要望に答えて、今年の9月に再プレスされ再び市場に出た。ぼくはこのCDのことを、今はなき「ジャズ専門店ミムラ」のブログで知ってからずっと探していて、ようやく入手できたのだった。 地味ではあるが、上品で端正で、確かなテクニックと歌心にあふれた繊細なタッチ。実にすばらしい。 アップテンポの曲では、終板のブロック・コードを多用したドライブ感、浮遊感が何とも気持ちいいのだが、それ以上にバーラード系の曲をじっくり弾かせたら絶品で、深夜一人でしみじみ聴くにはマストアイテムだ。例えば3曲目の「And I Love Her」。ビートルズの有名曲を思い切りスローに情感を込めて弾いている。あれ? こんな感じの曲だったっけ、と思ってしまう。そして「ESTATE」。これ、もしかしてペトルチアーニ盤よりもいいんじゃないか?

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