『夢でまた逢えたら』亀和田武(光文社)
■亀和田さんはミーハーだ。
当時若手では吉本隆明の一番弟子といわれ、いまも教育や文芸評論の分野で活躍している芹沢俊介さんも、ヨーコさんにかかると散々である。
■亀和田さんはミーハーだ。
当時若手では吉本隆明の一番弟子といわれ、いまも教育や文芸評論の分野で活躍している芹沢俊介さんも、ヨーコさんにかかると散々である。
『想像ラジオ』いとうせいこう著(河出書房新社)
上伊那医師会 北原文徳
もし本屋さんで「この本」を見かけたなら、試しにちょっと本のカバーを外してみて欲しい。真っ白いシンプルな表紙の左上に、ただ小さくこう書かれているはずだ。
想ー像ーラジオー。
ラジオの深夜放送で、CMブレイクの前後に流されるジングル。「オールナイト・ニッポン」とか「パック・イン・ミュージック、TBS」とかね、懐かしいあの音。
70年代〜80年代にかけて、ラジオの深夜放送が僕の心の友だった。帰宅後夕飯を食べたら、まずはすぐに寝る。夜11時に起こしてもらって、それからが勉強だ。夜中ひとりで起きていると、怖いし淋しい。だからラジオをつける。すると、DJが明るい声で僕のために語りかけてくれるのだ。「淋しいのは君だけじゃないよ!」ってね。
高校2年生の春、TBSラジオの「林美雄パック」に投稿して採用され、TBSのネーム入りライターを貰った。自慢しようと学校へ持って行ったら、現国の伊藤先生に見つかって取り上げられてしまった。高校生にライターを景品に贈るというアバウトさ。今なら考えられないことだ。
林美雄アナウンサーは、伝説のサブカル・カリスマ・リーダーだった。僕がまだ中坊だった頃、深夜のスタジオで荒井由実が『ベルベット・イースター』をピアノで弾き語りした。石川セリの『八月の濡れた砂』を聴いたのも、タモリの「4カ国親善麻雀」を初めて聴いたのも、原田芳雄と松田優作が『リンゴ追分』を生デュエットしたのも、すべて「林美雄ミドリブタ・パック」だった。
林アナが「これを聴け!」とプッシュしたミュージシャンは、まず間違いがなかった。佐野元春、山崎ハコ、上田正樹。みんな彼に教わった。それに、映画『青春の蹉跌』と『フォロー・ミー』もね。当時の深夜放送DJは、ラジオリスナーに対して絶対的な影響力があったのだ。
ところで、この『想像ラジオ』は深夜午前2時46分から明け方まで毎晩放送されている。
こんばんは。
あるいはおはよう。
もしくはこんにちは。
想像ラジオです。
と、軽快に語り始めるのはDJアークだ。ただこの想像ラジオ、スポンサーはないし、ラジオ局もスタジオも電波塔もマイクすらもない。昼夜を問わず、リスナーの「想像力」の中だけでオンエアされているという特殊な番組なのだ。
まるで、三代目春風亭柳好の落語「野ざらし」を聴いているみたいな歌い調子で小気味よく、軽やかに語りかけてくるDJアークは38歳。年上の妻と中2の息子が一人いる。音楽業界の仕事に疲れ郷里に戻り、海沿いの小さな町で心機一転頑張ろうとした矢先に記憶が途切れ、気が付いたら、高い杉の木のてっぺんに引っかかって、赤いヤッケを着たまま仰向けになっていた。その状態でラジオ放送を続けているという何とも不条理な状況設定。
しかし、読んでいて不思議とリアリティがある。DJアークの声も、彼がかける曲も実際に聞こえてくるようだ。番組最初の1曲は、モンキーズの『デイドリーム・ビリーバー』。リスナーによっては、忌野清志郎の日本語バージョンでオンエアされる。想像ラジオだからね。4曲目は、ボサノバの巨匠アントニオ・カルロス・ジョビンで『三月の水』。ブラジルの歌姫エリス・レジーナとジョビン本人がデュエットしているCDは僕も持っている。二人の寛いだ雰囲気が何とも楽しい曲だ。
DJアークのもとには、放送を聴いたリスナーから次々とメールやお便りが寄せられる。直接電話してくる人もいる。ただ、誰もが「この放送」を聴ける訳ではない。例えば、いとうせいこう氏本人を思わせる「私」には聴こえない。DJアークの妻と息子にも、この放送は届いていないらしい。
5曲目、ジョビンの熱烈なファンであり『アントニオの歌』のヒットで知られるマイケル・フランクスが、ジョビンの死を悼んで作った『アバンダンド・ガーデン(打ち棄てられた庭)』。そして6曲目が『あの日の海』コリーヌ・ベイリー・レイ。この曲は知らなかったが、松本の中古CD店で見つけて買って帰った。静かで優しい曲調の歌だったが、最後のフレーズの訳詩を見て驚いた。
海よ
荘厳な海よ、あなたは
全てを壊し
全てを砕き
全てを洗い浄め
私の全てを
呑み込んでくれるのね
そう、想像ラジオで流される曲は、あの事実と密接にリンクしていたのだ。2時46分、三月の水、打ち棄てられた庭、そして、あの日の海。ということは、このラジオのリスナーたちはみな、「あの日」に亡くなった死者たちなのか? じゃぁ、DJアークも? 死者たちの声は、生き残った者たちの耳には聴こえないのか? それこそが、この小説のテーマだ。
3.11 以降「当事者」でない者が、安全地帯に居ながら偉そうに語ることは不謹慎だとさんざん言われてきた。著者は、それを十分承知の上で「第二章」「第四章」で持論を述べる。ここは読み応えがあった。以下は「私」たちがボランティア活動を終え、被災地から帰る深夜の車中での会話。
「俺もあくまで相手のためみたいな顔で同情してみせて、ほんとはなんていうか、他人の不幸を妄想の刺激剤にして、しかもその妄想にふけることで鎮魂してみせた気分になって満足するだとしたら、それは他人を自分のために利用していると思う。(中略)だけどだよ、心の奥でならどうか。てか、行動と同時にひそかに心の底の方で、亡くなった人の悔しさや恐ろしさや心残りやらに耳を傾けようとしないならば、ウチらの行動はうすっぺらいもんになってしまうんじゃないか。」
「いくら耳を傾けようとしたって。溺れて水に巻かれて胸をかきむしって海水を飲んで亡くなった人の苦しみは絶対に絶対に、生きている僕らに理解できない。聴こえるなんて考えるのはとんでもない思い上がりだし、何か聴こえたところで生きる望みを失う瞬間の本当の恐ろしさ、悲しさなんか絶対にわかるわけがない」(p69〜p72)
さらに第四章で交わされる、かつての不倫相手と「私」との会話。
「実際に聴こえてくるのは陽気さを装った言葉ばっかりだよ。テレビからもラジオからも新聞からも、街の中からも。死者を弔って遠ざけてそれを猛スピードで忘れようとしているし、そのやりかたが社会を前進させる唯一の道みたいになってる」(中略)「死者と共にこの国を作り直して行くしかないのに、まるで何もなかったように事態にフタをしていく僕らはなんなんだ。この国はどうなっちゃったんだ」(中略)「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に」(p124〜p133)
この「第四章」のリアリティを理解するのはちょっと難しい。こうして「生者」のそばにいる「死者」は、幽霊でもオカルトでもスピリチュアルでもなく、でも確かに実在する存在なのだ。そのあたりのことは、気鋭の哲学者、若松英輔氏の著書『魂にふれる 大震災と生きている死者』(トランスビュー)を読むと少し分かってくる。
柳田國男は、ある日「あとは先祖になるのです」と話す初老の男性に出会う。幸せな人生を生きることができたのは、自分とその家族の毎日を守護する「先祖」のお陰であり、死者となってからは、今度は自分もその一翼を担いたいと言うのだ。
「死者は遠くへはいかない。愛する人のもとに留まる。また『顕幽二界』、すなわちこの世とあの世の往き来はしばしば行われる。祭りは、もともと死者と生者が協同する営みだが、死者の来訪は春秋の祭りに限定されない。また、生者と死者が互いに相手を思えば、その心はかならず伝わる。」(『魂にふれる』p130) 古来日本人はみな、そう信じてきたのではなかったか。さらに若松氏は言う。
「死を経験した人はいない。しかし、文学、哲学、あるいは宗教が死を語る。一方、死者を知る者は無数にいるだろう。人は、語らずとも内心で死者と言葉を交わした経験を持つ。だが、死者を語る者は少なく、宗教者ですら事情は大きくは変わらない。死者を感じる人がいても、それを受けとめる者がいなければ、人はいつの間にか、自分の経験を疑い始める。ここでの『死者』とは、生者の記憶の中に生きる残像ではない。私たちの五感に感じる世界の彼方に実在する者、『生ける死者』である。(中略)
死者が接近するとき、私たちの魂は悲しみにふるえる。悲しみは、死者が訪れる合図である。それは悲哀の経験だが、私たちに寄り添う死者の実在を知る、慰めの経験でもある。」
「悲しいと感じるそのとき、君は近くに、亡き愛する人を感じたことはないだろうか。ぼくらが悲しいのは、その人がいなくなったことよりも、むしろ、近くにいるからだ、そう思ったことはないだろうか。
もちろん、姿は見えず、声は聞こえない。手を伸ばしても触れることはできない。(中略)でも、ぼくらは、ただ悲しいだけじゃないことも知っている。心の内に言葉が湧きあがり、知らず知らず、声にならない会話を交わし、その人を、触れられるほど、すぐそこに感じたことはないだろうか。ぼくは、ある。」(『魂にふれる』 p7〜 p11)
いとうせいこう氏は、こう続ける。「つまり生者と死者は持ちつ持たれつなんだよ。決して一方的な関係じゃない。どちらかだけがあるんじゃなくて、ふたでひとつなんだ」(『想像ラジオ』p138)
DJアークは、この世でもあの世でもない「中有」にいるらしい。
「今まで僕が想像力こそが電波と言ってきたのは不正確で、本当は悲しみが電波なのかもしれないし、悲しみがマイクであり、スタジオであり、今みんなに聴こえている僕の声そのものかもしれない」彼はそう呟く。すると、ツイッターのような同時多元放送を通じて、沢山のリスナーがポリフォニックに次々と声かけをし、DJアークを励ます。「想像せよ」「想像するんだ」と。こうして悲しみ愛する「悲愛」というチャンネルを通じて死者と生者が手を取り合うラストは本当に感動的であった。
その余韻の中で、番組を終えるDJアークが最後にかけた曲は、「私」がリクエストした、ボブ・マーリーの『リデンプション・ソング』だ。
原子力など恐れるな
奴らに時まで止めることはできやしない
あまりにも長いこと 奴らは
俺たちの予言者を殺しつづけてきた
俺たちは、傍観していただけだった
ある者は それは聖書に書かれているという
そして 俺たちは
予言の書を完成せねばならない
この自由の歌を 一緒に歌ってくれないか
なぜなら、俺が今まで歌ってきたのは
すべて救いの歌だけだ
そう 俺の歌ってきた歌は
すべて救いの歌なんだ
宮沢章夫、シティボーイズと共に芝居を続ける現役の役者であり、ヒップホップの草分けとして反原発デモではラップを披露し、三社祭では御輿を担ぐ。いとうせいこう氏はとことん格好いい。
作家としては、この『想像ラジオ』を16年の沈黙を破って書き上げた。いとう氏の奢らない真摯な思いが、読者の心に確かなメッセージとして真っ直ぐに突き刺さる傑作である。
■「上伊那医師会報」の巻頭言に続いて「長野医報」7月号の原稿、苦しんで苦しんで、ようやく書き上げた。締め切りをとうに過ぎていた。
取っかかりの関係ない話が長くなり過ぎたことと、引用がやたら多くなってしまったことで、予定の2,000字を大幅にオーバーして、4,800字も書いてしまった。何度も削って、それでも4,000字。これ以上は短くできないぞ。
ポイントは、『想像ラジオ』でかかった「楽曲」について、きちんと言及すること。アマゾンの感想や、いろんな書評を読んでみて感じたことは、「音楽」の重要性に触れた感想がひとつもなかったことだ。みんな、ちゃんと聴いてないんじゃないの?
それから、いとうせいこう氏が「死者論」の参考にしたであろう、柳田國男『先祖の話』と、若松英輔『魂にふれる』に言及した感想が、まったくなかったことだ。そのあたりのことを書いてみました。
依頼原稿はどうも苦手なのだ。しかも、指定字数以内ではまず書けない。だから、ぼくは絶対にプロのライターにはなれないのだな。
■広島から帰った後、めずらしくタチの悪い風邪をひいた。
「凡庸だからこそ、そこに漂うなんら緊張もなく白熱もない空気が私を引きつける。だから何もない場所に私の思考は働き始めるのだし、何かあるなら別に考える必要もないのだ。」p190。
だから、『彼岸からの言葉』はまだ若いころの、むきだしの言葉による、むしろどこかいかれてしまった人間によって書かれた奇妙な熱狂である。さらに年齢を重ね、でたらめになったのち、どこかいかれてしまった熱狂で文章は書けるだろうか。(p203)
僕は26歳の、まだなにものでもなかったプータローの頃、『ラジカル・ガジベリビンバ・システム』の、知性とくだらなさが融合した新しい笑いと、お洒落とも野蛮ともとれるスピーディーな舞台構成に感動し、実際に自ら宮沢さんに直談判して宮沢さんの舞台に強引に立ったという、今の演劇界では考えられないアグレッシブなデビューの仕方をしたわけで、よく考えたら宮沢さんも、こんなに目つきも姿勢も悪い、ついでにいえばセリフ覚えも悪い貧乏臭い若者をよくぞ舞台に使ったなとも思います。そして、当時の宮沢さんの演出は本当に刺激的でおもしろかったのを昨日のことのように記憶しているのです。ある設定を与えてアドリブで俳優に演技をさせる(エチュードといいます)のですが、ところどころで宮沢さんが提案するアイデアや口立てで挟み込む台詞がほんとうに笑える。俳優に自由に演じさせながら、この俳優がこの状況でこういう動きをしたら、あるいは、こういう台詞を言ったら、どうおもしろくなるだろうという、それを、演出席でジーッと、ときには爆笑しながら観察し(演出家の爆笑も俳優にとっては重要なガソリンなのです。勘違いの原因にもときにはなりますが)指示を与える。それが、必ず、おもしろい。おもしろくならなければ、とことん、何度でも何度でもやる。観察して分析して、そして実践する。しかも、そのシーンを作りながら、次のまったく異なるコントを絶妙なさじ加減でカットアップ的につなげていく。机上ではなく、稽古場で、その場で、です。いやあ、かっこよかった。(中略)ほんとうにもう、かっこよくてしかたがないとしか言いようがない稽古風景だったのです。僕は、宮沢さんの横に牡蠣のごとく張り付いて少しでもそのセンスを吸収しようと必死でした。宮沢さんは現場ではあの独特のカッカッカッカという笑い声で「くだらないなあ!」と椅子からずり落ちても、その直後に、いや、こんなことで笑わせちゃあだめだろう、と頭を抱えるのです。「くだらない」一つとってもレベルがあるという矜持をを常に持っていらっしゃるので、というより煎じつめれば「笑いへの矜持しかない!」とも言える現場であり、「笑いがなければいけないこと」と「そのレベルで笑わせてはいけないこと」を見極める。その厳しいジャッジを含めて「勉強になるなあ!」と素直に毎日感動していた自分がいたのです。(中略)これは、宮沢さんはあくまで「やらせる側」の人であり、僕は自分でも「やる側」の人だという違いも関係していると思います。あと、多分、宮沢さんは「笑われる」ことを厳しく禁じている人であり、僕ももちろん自分の仕事の第一義は「笑わせる」ことにあると思っているのですが、これはもう性分としか言いようがないのですが「笑われる」ことも、時と場合によっては「ありかな?」になってしまうのです。(p208 〜 210)
冗談を書くことは、真面目な部分の糧(かて)になるといった意味のことを著者は書く。つまり私がほとんど笑えなかった程度の笑いが本来の仕事のコヤシになると、この美術関係者は言うのだ。しかし私は断言する。笑いはそんなもんのコヤシじゃねえんだー。(p186)
■平和公園内にある、広島国際会議場で開催された日本小児科学会に参加してきた。
広島から帰ってきた。小児科学会だったのだ。昨日も今日も、朝8時前からのモーニング実践セミナーから会場入りして、ずっと真面目に勉強してきた。書き付けたノートも満杯になった。明日からの診療に生かせるかな。それにしても「汁なし担々麺」の花山椒の辛さは癖になるな。旨かった。広島の新名物だ。
『おなべふこどもしんりょうじょ』やぎゅうげんいちろう(福音館書店)を購入。小児科医「おなべふ先生」のブッ飛び診療にあっと驚く。その容姿にもおったまげたぞ。ツルッ禿げ頭に目が飛び出てて、不気味すぎる。でも、
聴診器は赤色でオシャレ。
村上春樹『パン屋襲撃』という短篇小説が実在するとは知らなかった。リファイン版『パン屋を襲う』で初めて読んだが、面白いじゃないか! ぼくはてっきり『長距離走者の孤独』の主人公がパン屋を襲撃して捕まり、少年院送りになる話と呼応しているとばかり思っていたのに、ぜんぜん関係ないじゃん。
『遮断地区』ミネット・ウォルターズ(創元推理文庫)出てすぐ購入したのだが、ようやく読み始める。面白いじゃないか! やらなきゃいけない事がいっぱいあるのに、途中で止められなくて読みふけっている。
『遮断地区』読了。久々に一気読み。面白かったなぁ。でも、実に不思議なミステリーだ。物語の終板になるまで、誰が死ぬ(殺される)のか判らないのだ。変でしょ! そんなミステリーで今まであった? 人が死んだところから普通物語が始まるのにね。あと、サッチャーが生んだ格差社会の矛盾を斬る!
福音館書店の月刊誌『母の友』5月号は【特集1】大人と子どものいい関係 【特集2】林明子の世界。これは林明子ファン必読だな。力の入った特集記事だよ。
『演劇 VS. 映画』想田和弘(岩波書店)と読んでいる。すっごく面白い! 映画を見て疑問に思ったところ、意味がよく分からなかったところ、全然気が付かなかったところ。みんな載っている。特に後半の対談、鼎談、座談会に発見が多い。映画を観た人は必読なんじゃないか?
『他者と死者』内田樹(文春文庫)前半は落語の「蒟蒻問答」で理解できたのだが、後半は歯が立たなかかった。難しい。他者=死者でよいのか? わからない。
『ウイルス・プラネット』(飛鳥新社)読了。面白かったなぁ。コンラッド『闇の奥』と HIV (AIDS) ウイルスの密接な関連に驚いてしまった。いや、本文には書いてはないのだが、地図を見ると「そこ」だったから。殺人ウイルスは、中央アフリカの闇の奥から出てくるのだ。エボラウイルスもね
遅ればせながら『昔日の客』関口良雄(夏葉社)を読んでいる。面白い! 短い文章の中に滋味があって、それから独特のユーモアが隠し味になっているんだな。個人的には、著者の出身地である飯田時代の話が好きだ。「恋文」「イボ地蔵様」「花空先生」ね
関口良雄『昔日の客』読了。ラストの一篇と、息子さんの後書きを読んで泣けた。まだまだ若かったのにね。持ちネタは、この本に書かれた10倍くらいあったんじゃないか。読んだことのある、好きで納得がいく本しか店に並べていない古本屋店主なんて、信じられないけれど本当にいたんだ。温もりの一冊
「くだらない」の中に日々の日常と真実があるに違いない。あぁ、セキララで残念な星野源の日常はホント可笑しいじゃないか!『そして生活はつづく』星野源(文春文庫)を読んでいる。面白いぞ!
■東京では「岸本佐知子トーク・イヴェント」は何回も開催されいるにも係わらず、その内容を詳細にレポートしたブログは、ググっても殆どアップされていない。
■新潮社の季刊誌『考える人』編集長が出しているメルマガを読むと、最新号の「小林秀雄特集」に関して、こんなふうに書いている。
そもそも講演の依頼自体を基本的には断り続けた小林ですが、仮に引き受けた場合でも、自分の話をテープに録ることは断じて許さず、たとえ速記録であっても、自分の目を通さないままでは絶対に活字化させないという姿勢を貫きました。何度か出講の機会を取り付けた国民文化研究会理事長だった小田村寅二郎氏は、小林から次のように厳しく釘を刺されたと証言しています。
■(承前)という訳で、ようやく本題に入れた。やれやれ。
■春休みに何処へも出かけないのは淋しいって、息子たち(高1&中2)が言うのだ。でも、休みに入ってほぼ毎日「部活」がある彼らは忙しい。少なくとも、3月24日(日)の「春の高校伊那駅伝大会」が終わるまでは、2人とも身動きが取れないのだった。
●『フェルマータ』ニコルソン・ベイカー(白水社)という、へんてこりんな小説を読んだのは富士見に住んでいた頃だったか。主人公の男が「時間よ止まれ!」パチンと指を鳴らせば、周囲の世界は一瞬にして固まってしまう。その中を彼一人だけが動き回れるのだ。さて、彼はいったいどういう行動をとったのか? 透明人間の話とちょっと似ているがぜんぜん違う。この本の訳者が、岸本佐知子さんだった。
変な小説を好んで訳す、岸本佐知子さんも相当に「変な人」だ。彼女のエッセイ集『気になる部分』を読んでたまげてしまった。これは久々にホームランだ。大笑いしたあと、しみじみ懐かしくなって、読んでいるうちに次第に現実感覚が崩壊してきて、夢ともうつつともつかない奇妙な宙ぶらりんな感覚にもってゆかれるのだ。いや本当に凄い書き手だね。もっともっと読んでみたいぞ。
笑った話は、「私の健康法」の中の数々の「ひがみネタ」。<飲食店で邪険にされた思い出> <自分だけ仲間はずれにされた> <旅先でボラれた> <自分の並ぶ列が必ず一番遅い>など、その時の気分に応じて好みのネタをセレクトし、心ゆくまでひがみエクスタシーを味わったあと、すっきりした気分で安眠するのだという。変な人だね(^^;) 「ラプンツェル未遂事件」も笑った。これは脚色はないんだろうな、きっと。
彼女が某洋酒メーカー(ぼくが想像するに、サントリーではないかと思うのだが)の宣伝部に勤めていたころの話も抱腹絶倒だ。中でも傑作なのが、「国際きのこ会館」の思ひ出 だ。全て本当の話なんだろうが、語り口がシュールなのね。ぼくは、筒井康隆の傑作短編『熊の木本線』の、あの不気味な雰囲気を思い出した。終いまで読んだら、彼女はどうも相当な筒井フリークであるらしい。やっぱしな(^^;)
「寅」の、”流しの OL”もよかったな。あと、個人的に大笑いしたのは、「じっけんアワー」の懐中電灯で月を照らしてみて、しかし、どんなに目を凝らしても、月の私が照らしているあたりが明るくなったようには見えなかった、という子供の頃の話と、「真のエバーグリーン」の中の、『秋元むき玉子』の話だ。ぼくも、「秘本むき玉子」とかいうタイトルを高校生の頃見て、ドキドキしたことがある。エッセイ中には「腰元むき玉子」という映画があったとあるが、これは絶対『秘本むき玉子』(1975年、日活ロマンポルノ)のことだと思うぞ。
■しかし、このエッセイ集の中で一番に読み応えがあるのは、彼女の子供の頃の話だ。「気になる部分」の新幹線の一番前の、あの丸い部分。よく泊まりにいった祖母の家の枕に住んでいた「日本兵」の行軍のはなし。「カノッサの屈辱」という、彼女が通ったカノッサ幼稚園の思い出。あと、すごく好きなのが「石のありか」と、それに続く「夜の森の親切な小人」「夜になると鶏は……」(これって、サイモンとガーファンクルの曲「四月になれば彼女は」なんだろうね)「サルの不安」、そうして「トモダチ」だ。 この路線が、彼女には一番合っていると思う。
ここを読んで思い浮かべるのは、『人形の旅立ち』長谷川摂子(福音館書店)や、内田百けん『冥途』だ。夢か現(うつつ)か、知らないうちに読者の足下をすくわれるような現実崩壊感を、ぼくらは読みながら味わうことになるのだ。現実と虚構の境目なんて、じつはないんだよね! 岸本佐知子さんには、ぜひ小説を書いて欲しいように思うのは、ぼくだけだろうか?
http://media.excite.co.jp/book/special/honyaku/index.html
http://www.fellow-academy.com/fellow/magazine/userMailMagazineView.do?deliveryId=4
それから、『本の雑誌』2005年11月号で、大森望氏、トヨザキ社長との鼎談が笑わせる「フラメンコ書評」の話が楽しかったな。
あと、2002年から2004年にかけて、『母の友』(福音館書店)誌上で、彼女は隔月で書評を書いていて、ぼくはずっと読んできたはずなのに、あまり印象がなかった。で、書庫にとってある『母の友』を探してきて、片っ端から確かめて読んでみたのだが、予想に反して、岸本佐知子さんが好む本の嗜好性と、ぼくの嗜好性とは、ほとんど相容れないことに気が付いた。淋しかった。でもまぁ、彼女が書く文章を読んでいるだけで、幸せになれるんだから、それでもいいか(^^;;) (2006/ 7/14)
今日も幼稚園で泣いた。お弁当を食べるのがビリだったせいだ。きのうもおとといも泣いた。入園してから泣かなかった日が三個ぐらいしかない。幼稚園なんてなくなればいいのにと思う。
家に帰ると、たいてい近所のSちゃんの家で遊ぶ。行くと必ずお人形遊びをさせられる。Sちゃんがバービーを手に持って、変な高い声で「お買い物に行きましょう」とか言う。そしたらこっちもタミーの声で「そうしましょう」とか言わないといけない。(中略)お人形遊びなんかやりたくない。でもそのことは、なぜだか絶対に言っちゃいけないような気がする。ばれちゃうから。ばれるって何が? わからない。地球人のふりをして生きてる宇宙人も、こんな気持ちかもしれない。
Sちゃんちで出されるのはいつもカルピスで、飲むと喉の奥に変なモロモロが出る。そのモロモロを口の中で持て余しながら、あーあ、早く大人になりたいな、とか思っている私は、大人には大人の幼稚園やお人形遊びがあることも、「地球人のふりをしている宇宙人の気持ち」が、その後の人生でずっとついて回ることも、この時はまだ知らない。(『カルピスのモロモロ』より)『考える人』季刊誌2004年秋号(57ページ「子どもをめぐる八つのおはなし」より)。
小学三年生の冬、鰻のあとにプリンを食べたらお腹が痛くなった。いつまでも治らないので、盲腸ではないかと大人たちが言いだした。盲腸なら手術だ。手術は嫌だ。だから「もう痛くない」と嘘をつき、そのまま年を越した。そのうちとうとう歩けなくなって嘘がばれ、病院に担ぎ込まれて即入院、手術の運びとなった。
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