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2013年5月 1日 (水)

『彼岸からの言葉』宮沢章夫(新潮文庫)

■広島から帰った後、めずらしくタチの悪い風邪をひいた。

高熱は出なかったのだが、からだが怠く、喉がめちゃくちゃ痛くて、粘稠な黄緑色の鼻水がだーだー出続けるのだ。しかも、1週間が経つというのに、ちっとも良くならない。さらには、ここへきて咳が酷くなってきた。まいったな。こんなことは、ここ何年もなかったことだ。
 
 
■そんな訳で、原稿は書けないし、本も読めない。それでも、トイレに置いて毎日少しずつ読み進んできた『彼岸からの言葉』だけは読了した。噂に違わぬ傑作だった。
 
あの、大傑作エッセイ集『牛への道』よりも5年も前に世に出た、宮沢章夫初の「幻のエッセイ集」が、新潮文庫からこのたび復刊されたのだ。
 
 
「凡庸だからこそ、そこに漂うなんら緊張もなく白熱もない空気が私を引きつける。だから何もない場所に私の思考は働き始めるのだし、何かあるなら別に考える必要もないのだ。」p190。
 
 
処女作にしてこの決意。これは、最新作『考えない人』(新潮文庫)に至るまで、宮沢さんのその後のエッセイ本すべてに脈々と引き継がれて行くことになる。
 
 
 
■人は深く考えているようでいて、実は何も考えていない。少なくとも僕はそうだ。妻にもよく言われる。そして、前後の脈絡も何も考えずに不用意な言葉を発してしまう。発した後になって「しまった!」と思う。後の祭りだ。その言葉はトラウマとなって、何十年経っても僕の脳内で今日も渦巻いている。
 
それが、いわゆる「彼岸からの言葉」だ。
 
 
でも宮沢さんは、もっと様々なシチュエーションで発せられた、いろいろな「彼岸からの言葉」をたくさん収拾してきて、読者に開示分析してみせる。
その文章は真面目で硬質な文体で書かれており、当時流行していた、椎名誠や嵐山光三郎に代表される「であーる。なのだ!」的文章でもって「自嘲自虐ネタ」で読者を笑わす「面白エッセイ」とは対極にある。
 
でも、その真面目くさった語り口と絶妙な間合いから、不意に圧倒的な爆笑が生まれるのだ。不思議だな。
 
 
■『彼岸からの言葉』での一番のポイントは、「嘘は書かれていない」ということだ。
 
宮沢氏の奥さんは、本当に「訳の分からない変な寝言」をよく言う人なんだろうし、高平哲郎氏は表参道の事務所で二日酔だったし、古関安弘(きたろう)氏の肖像も事実だろう。そして、戸川純は本当にラジオの生放送本番中に怒ってドアを蹴飛ばし外へ出て行ってしまったに違いない。
 
宮沢さんは、数々の「縛り」を自分が書く文章に課した。
 
 
だから、『彼岸からの言葉』はまだ若いころの、むきだしの言葉による、むしろどこかいかれてしまった人間によって書かれた奇妙な熱狂である。さらに年齢を重ね、でたらめになったのち、どこかいかれてしまった熱狂で文章は書けるだろうか。(p203)

 
「いや、たぶんもう二度と書けないであろう。」とは、宮沢氏は決して書かない。でも、ぼくは思う。この本以上にとんがって張り詰めていて、危うさに満ちたギリギリの文章を、宮沢氏は書けないと自分で判っているに違いない。
 
 
「この本」について、重要なポイントを押さえているのが、松尾スズキ氏の解説だ。流石としか言いようがない。
 
 僕は26歳の、まだなにものでもなかったプータローの頃、『ラジカル・ガジベリビンバ・システム』の、知性とくだらなさが融合した新しい笑いと、お洒落とも野蛮ともとれるスピーディーな舞台構成に感動し、実際に自ら宮沢さんに直談判して宮沢さんの舞台に強引に立ったという、今の演劇界では考えられないアグレッシブなデビューの仕方をしたわけで、よく考えたら宮沢さんも、こんなに目つきも姿勢も悪い、ついでにいえばセリフ覚えも悪い貧乏臭い若者をよくぞ舞台に使ったなとも思います。
 
そして、当時の宮沢さんの演出は本当に刺激的でおもしろかったのを昨日のことのように記憶しているのです。ある設定を与えてアドリブで俳優に演技をさせる(エチュードといいます)のですが、ところどころで宮沢さんが提案するアイデアや口立てで挟み込む台詞がほんとうに笑える。
 
俳優に自由に演じさせながら、この俳優がこの状況でこういう動きをしたら、あるいは、こういう台詞を言ったら、どうおもしろくなるだろうという、それを、演出席でジーッと、ときには爆笑しながら観察し(演出家の爆笑も俳優にとっては重要なガソリンなのです。勘違いの原因にもときにはなりますが)指示を与える。
 
それが、必ず、おもしろい。おもしろくならなければ、とことん、何度でも何度でもやる。観察して分析して、そして実践する。しかも、そのシーンを作りながら、次のまったく異なるコントを絶妙なさじ加減でカットアップ的につなげていく。
 
机上ではなく、稽古場で、その場で、です。いやあ、かっこよかった。(中略)
 
ほんとうにもう、かっこよくてしかたがないとしか言いようがない稽古風景だったのです。僕は、宮沢さんの横に牡蠣のごとく張り付いて少しでもそのセンスを吸収しようと必死でした。
 
宮沢さんは現場ではあの独特のカッカッカッカという笑い声で「くだらないなあ!」と椅子からずり落ちても、その直後に、いや、こんなことで笑わせちゃあだめだろう、と頭を抱えるのです。
 
「くだらない」一つとってもレベルがあるという矜持をを常に持っていらっしゃるので、というより煎じつめれば「笑いへの矜持しかない!」とも言える現場であり、「笑いがなければいけないこと」と「そのレベルで笑わせてはいけないこと」を見極める。その厳しいジャッジを含めて「勉強になるなあ!」と素直に毎日感動していた自分がいたのです。(中略)
 
 
これは、宮沢さんはあくまで「やらせる側」の人であり、僕は自分でも「やる側」の人だという違いも関係していると思います。
 
あと、多分、宮沢さんは「笑われる」ことを厳しく禁じている人であり、僕ももちろん自分の仕事の第一義は「笑わせる」ことにあると思っているのですが、これはもう性分としか言いようがないのですが「笑われる」ことも、時と場合によっては「ありかな?」になってしまうのです。(p208 〜 210)

 
だからこそ、185ページで宮沢氏は、美術関係の人が書いた小説ともエッセイともつかぬ不思議な本の後書きを読んで怒り心頭に達する。
 
冗談を書くことは、真面目な部分の糧(かて)になるといった意味のことを著者は書く。つまり私がほとんど笑えなかった程度の笑いが本来の仕事のコヤシになると、この美術関係者は言うのだ。しかし私は断言する。笑いはそんなもんのコヤシじゃねえんだー。(p186)

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