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2010年4月17日 (土)

Singer Songwriters

■あぁ、そう言えば、大好きなジェイムス・テイラーとキャロル・キングが来日中なのだった。

今夜はパシフィコ横浜か?

あれは歌ったのかな?
「Up on the Roof」

名古屋まで来てくれれば、行ってたかもしれない。でも、
今度ジェイムス・テイラーが来日するのは、いったい何時なんだろう?


しかたないんで、TSUTAYA で『レコード・コレクターズ増刊 シンガー・ソングライター』を買ってきて読んでいるところ。


■ところで、「菊地成孔さんの日記」を読むと、

 続きまして、帝都の夜の巷を揺るがす最終メディア、天才宇川直宏主催の「ドミューン」ですが、5月9日を皮切りに「菊地成孔と大谷能生のジャズドミューン」という番組がレギュラー化します。まあ、レギュラーたって、相手はドミューンですから(笑)何がどうなるか解ったもんじゃありませんが、スポンサーがつき、放送コードが発生するまでは、大谷くんと共に、ジャズの素晴らしさを啓蒙する、21世紀のジャズメッセンジャーズとして大いにターンテーブルを回そうと思います(ケーキやお刺身などを乗せて)。

http://dommune.com/

だそうだ。まずは目出度い。「憂鬱と官能を教えた学校TV」が有料チャンネルだから見られないので、これは有り難いな。


■3月18日(木)夜7時からの第1回目 UST を聴いたが、
それにしても、メチャクチャな選曲だったな。
あの番組を見た人が「ジャズって面白いな」って思ったようなら、
それはそれで恐ろしいことだ。


特に、大谷能生氏の好みはホント偏っているぞ。
なんで「MJQ」なんだ? ジョン・ルイスがそんなにいいのか? わからない。

エリントンが好きだってことは知ってたが、死ぬ前のヨボヨボじいさんで総入れ歯のチェット・ベイカー(tp)来日公演のレコードなんか何でかけるの? ぜんぜんわからない。コルトレーンなら、やっぱり「ジャイアント・ステップス」でしょ。菊地さんは正しい。それをなんで「コルトレーン・ライブ・イン・ジャパン vol.2」(1966年7月22日サンケイホール録音)なの?


ま、その変態さ加減がとっても面白かったことは事実。
これからも「この路線」でガシガシやって欲しいものだ。

「ゲッツ・ジルベルト・アゲイン」は、ぼくも持ってるけど、
あのジャケット写真、てっきり合成写真だとばかり思っていたら「カンバン」だったのか。気がつかなかったな。


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2010年4月13日 (火)

今月のこの1曲「しらけちまうぜ」作詞・松本隆、作曲・細野晴臣、歌・小坂忠

■3月は記事にするのを忘れてしまった。ごめんなさい。 4月の「この1曲」は、名盤『ほうろう』小坂忠(アルファレコード)B面1曲目に収録された「しらけちまうぜ」だ。 オリジナルは、YouTube から削除されてしまいました。


YouTube: 小坂忠 「しらけちまうぜ」



1975年1月リリース。今から35年も前の曲なのに、今聴いてもぜんぜん古臭くない。ヴォーカルも、バックバンドの伴奏もすっごくカッコイイ! 

ぼくが「この曲」を初めて聴いた時のことは、今でもよく憶えている。音の記憶というのは不思議で、音楽を聴くと同時に、当時の状況や関連する様々な記憶が芋づる式に次々と思い出されるのだよ。

当時ぼくは伊那北高校に入学したばかりで、クラスは1年C組だった。担任は英語の保坂先生。同じクラスに田中君がいた。ちょっと変わった雰囲気のヤツで、クラスでも少し浮いていたかな。その田中君が、荒井由実のLP『ひこうき雲』を持っていて「大好きなんだ」って言ったんで、ぼくの中では一気に好感度が上がったのだ、田中君。だって、1974年4月の時点ではまだ荒井由実のことなんて誰も知らなかったから。

ぼくはね、TBSラジオの深夜放送、林美雄アナウンサーの「パックインミュージック」で聴いていたから知っていたんだ、荒井由実。ラジオ局の深夜のスタジオで、彼女が「ベルベットイースター」を弾き語りした放送を聴いて、おったまげたものさ。・

■季節は流れ、冬になった。年が明けて、高校のスキー教室が車山高原スキー場で行われ、ぼくらも参加したんだ。確か、リフトに乗りながら耳にした曲が「しらけちまうぜ」だった。もう、繰り返しがんがん流れていたな、車山スキー場に。

たぶん、この曲がLPからシングルカットされたんだね。だから、何度も聞いてすっかり憶えちゃった。 当時すでに「はっぴいえんど」は解散していた。作詞の松本隆さんはまだ、松田聖子(デビューは 1980年)には出会っていないはずだ。作曲の細野晴臣氏は、キャラメルママからティン・パン・アレイを立ち上げたばかりだったと思う。

■先だって NHKBS2 で、荒井由実『ひこうき雲』の16chマルチトラック・マスターテープを、松任谷由実、松任谷正隆、細野晴臣、林立夫、駒沢裕城らがスタジオで「いま」聴き直し感想を述べる番組があった。とっても面白かった。あのLPは、1年間も時間をかけて、丁寧に丁寧に作り込まれていたんだね。ちっとも知らなかった。

そしたら、スチール・ギター奏者の駒沢裕城氏が言った。あの時の演奏には納得していないんだ。できれば今、録り直ししたい、と。 誰でも、若録りの演奏には後悔があるのかもしれない。

ところで、荒井由美『ひこうき雲』の1年後くらいに、同じスタジオ(Aスタジオ)で、ほぼ同じメンバーで録音された LP『ほうろう』の16chマルチトラック・マスターテープも保存されていたのだった。それを聴いた小坂忠氏は、ヴォーカルだけ録り直したいと思ったのだそうだ。

で、『ほうろう 2010』は人知れず密かに誕生した。 そのことを、先日 TSUTAYA で『レコードコレクターズ』を立ち読みしてて初めて知った。びっくりしたな。だから、ぼくはまだ再録CDを聴いてないのです。近々注文する予定。詳細は、以下のインタビューをご参照ください。

『HORO2010』 小坂忠 インタビュー<今月のこの1曲>

2010年4月 2日 (金)

ロバの音楽座 高遠ゆかしコンサート

■もう1週間も前の話だが、
先週の土曜日午後4時から、高遠町福祉センター「やますそ」で
「ロバの音楽座 高遠ゆかしコンサート」があって、家族で聴きに行ってきた。

いやぁ、よかった。


初めて聴いたのだが、もろ好みの音楽だった。
ま、予想はしてたんだけどね。想像以上だったな。


もともと「ハンバートハンバート」とか、「亀工房」とかが好きなんだ。

アコースティックにこだわり、
どこか懐かしい、古い昔の童謡のような心地よい響きがあって、
はるか遠い大陸から、はるばる吹いてくる「風の音」を奏でるグループ。
中世ヨーロッパからアジア中近東までカバーする、
ワールドワイドで無国籍な、不思議な音楽、不思議な楽器たち。
子供から大人まで楽しめて、守備範囲がじつに広い。


まさに「そのまんまの音楽」だったのだ、「ロバの音楽座」。


じつは、妻も子供らもそれほど興味はなかった。それをぼくが(ちょっとだけ遠慮しながらも)半ば無理矢理連れて行ったのだ。会場となった高遠福祉センターは、立派なステージがあるのだけれど、この日は緞帳が下りたままで、ステージの前に、客席と同じ高さで、ちょうど人形劇の舞台のような彼らの小さな舞台装置が設定されていた。


その前にはゴザがひかれ、僕らが絵本の読み聞かせをする時のように、小さな乳幼児を抱っこした若い夫婦や元気な子供たちが靴を脱いで座った。ぼくもその中に混じりたかったのだけれど、多感な年頃の息子たちが「嫌だ」と言ったので、仕方なくゴザ席の後ろに並べられたパイプ椅子に座ることになったのだった。会場は思いの外たくさんの聴衆で満たされ、何とも和やかないい雰囲気だったよ。


舞台の前には、音を拾うスタンドマイクが2本だけ。
彼らの楽器にはアンプは接続されておらず、ほぼ「ナマ音」だった。


最初は音がやや小さくて戸惑ったけれども、
聴き進むうちに「その音」がなんとも心地よくなっていったのだ。

驚いたのは、彼らのアンサンブルとハーモニーが完璧だったこと。


一発撮りのライヴなのに、楽器演奏を誰も間違わない。もちろん、楽譜はなし。なにも見ない。
それなのに、メンバー4人は完璧なアンサンブルを奏でるのだ。これにはたまげた。
プロって、凄いな! 感動した。


例えば、前日の金曜日に「いなっせ」7Fで、ぼくが一人でギターを弾きながら絵本を読んだ時には、もう、人様には聞かせられないような稚拙な演奏、歌声で、この日わざわざ集まってくれた聴衆に対して申し訳なく思ってしまったものだ。まぁ、入場料は取ってなかったけれどね。


そこには、アマチュアだから許されて当然だっていう「甘え」があった。
ところが、プロは違う。


たとえ田舎の会場で、子供ら相手とはいっても、
彼らは決して手を抜かない。
どんな場所、状況でも、つねに最高のパフォーマンスをみせることだけに
心をくだいているのだ。


すっごいなぁ。


■そらからもう1つ驚いたことがある。

男性2人の声が、本当に澄んで「いい声」だったことだ。
男女4人の混声合唱が、聴いていて何とも気持ちよいのだよ。
完璧なハーモニー。


あと、いろいろと知らない珍しい楽器がいっぱい登場して面白かった。
ぜんぜん楽器じゃない「新聞紙」が突如リズム楽器となったり、
ボール紙が不思議な笛に変身したり。おもしろいなぁ。


彼らは、全国の「親子劇場」を廻っているから、
子供らの扱いがじつに上手い。

そうは言っても、高遠の子供らは「引っ込み思案」だから
なかなか大変なんじゃないかなって、ぼくは一人で心配していたのだが、
全くの取り越し苦労だったね。


意外にも、高遠の子供たちは実に積極的だったのだ。
最初に手を挙げてステージに立った子は、高遠小学校低学年の生徒さんで
将来の夢は、なんと「俳優」になることだと言った。
そうかそうか。


アフリカのマサイ族の男たちみたいに、ずっとジャンプさせられた高遠第一保育園年長さんの彼もよかった。

高遠の子ら、やるじゃん!


昔、田山花袋が歌に詠んだ、
「行きかう子らの 美しきまち」そのものじゃん、
ぼくは一人、密かに感動していたのであった。


■「ロバの音楽座」のことは、名前だけは知っていた。全国各地で活動する「親子劇場」のためのプログラム集にいつも載っていたからね。ぼくは「伊那親子劇場」が年間スケジュールを決めるためのアンケートに、何年も続けて「ロバの音楽座」希望! 
と書き続けてきたのだ。でも、ギャラが高かったためか? 僕ら家族が入会中には「ロバの音楽座」が伊那へやってくることは適わなかった。


息子たちも成長し、数年前に「伊那親子劇場」は脱会してしまった。
でも、今回思いがけず「ロバの音楽座」のステージを観ることができ、本当にうれしかった。


ステージの最初、メンバー4人が会場後方から行列で楽器を吹き鳴らしながら登場した曲がよかったな。チンドン屋さんみたいで。たしか「裸の王様の行進」っていう曲だったと思う。そして、次に演奏された曲がめちゃくちゃよかった。なんていいいメロディ、印象的な歌詞なんだろう! コンサート終了後、CDを買うときにメンバーの「大宮まふみ」さんに訊いたら、「プレゼント」っていう曲で、今回持ってきたCDには未収録なんだそうだ。残念。


3曲目は「風が」という曲だった。

風が吹く 風が吹くよ スイカの電車 通り過ぎる 風が吹く 赤いベンチ 昼寝している 風が吹くよ


ぼくは、この曲を聴きながら
カザフスタン、ウズベキスタン、アフガニスタン
の風景を思い浮かべていた。


『よあけ』で有名な絵本作家 ユリ・シュルヴィッツはユダヤ人で、
第二次世界大戦中はナチス侵攻のためポーランドからトルキスタンへの移住を余儀なくされた。食べるものもない毎日。いつも空腹を抱えた家族。そんな中、彼の父親は家族のために食料を得るべく市場へ出かけてゆく。ところが……『おとうさんのちず』(あすなろ書房)より。

そこにはただ、風が吹いているだけなのだ。
砂漠を吹き抜ける「風の音楽」。

それが、彼ら「ロバの音楽座」が目指す音楽に違いない。
ぼくはそう確信した。

2010年3月 3日 (水)

僕のオーディオ・システム

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■月初めはレセプトチェックの日々。当院では未だ旧態然で、オンライン・レセプト提出ができずに、事務スタッフがプリンタで打ち出して、カルテと一枚一枚照合して箱に入れ、それを僕が病名チェックしている。今どき無駄な時間なようだけれど、ぼくは深夜のこの時間帯が好きだ。いつも大音量でジャズをかけることができる、至福の時間帯なのだから。

■とは言え、当院に高級オーディオ・システムはないから、ご覧の通り、SONY のラジカセ(ヤマダ電機で2万円で購入)を iPod Hi-Fi(確か4万円くらいしたな。現在は製造中止)に繋いで聴いているのだ。でも、自慢じゃないが、結構いい音がしてる(と思っていた)。

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■ホンモノを知らなければ、たぶん「それ」で十分満足していたのに、じつは先日、禁断の果実をかじってしまったのだ。

あれは、先月の2月21日(日)午後のことだった。飯島町から下伊那郡高森町へと移動したぼくは、午後2時から「高森町子育て支援センター」で「気をつけましょう! メディア漬け子育て」の講演会。同じ時間帯に、高森町体育館でプロのVリーグのバレーボールの試合があったので、ぼくの話を聴きにきてくれた人は12人だけだった。

でも、挫けずに最後まで手を抜かず話しましたよ!


時間オーバーして話していたら、どこかで携帯がコールしている。うるさいなぁ、講演中くらい携帯の電源オフしろよなぁ、と思ったら、鳴っていたのは僕の携帯だった(^^;;


困ってそのまま無視したら、どうも飯田市で開業している先輩の小児科医、矢野先生だったみたい。

じつはこの日の講演後、矢野先生といっしょに、飯田市内の老舗オーディオ・ショップでJBLスピーカー「4429」を聴かせてもらう手はずになっていたのだ。約束の時間から40分遅れで矢野先生と落ち合い、件のオーディオ・ショップへ。この日は月に一度の定休日の日曜だったのだが、矢野先生が店主にお願いして、ぼくのために店を開けてもらったのだった。ほんとスミマセンでした。

以前、アルティックのスピーカーとジャズ喫茶の話をしたことがあったけど、
JBLのスピーカーにはさらに特別の思い入れがある。
昔は「4311」を近所迷惑も省みずガンガン鳴らしていたこともある。
しかし、このところすっかりオーディオ熱も冷め、
ラジカセでジャズを聴いて「それでよし」としていた。

堕落したものよ。


しかし、「4429」は発売当初から珍しく「これは!」と直感して
いつかは欲しいなと狙っていたスピーカー。
だから、ぜひ実際に「その音」を聴いてみたかったのだ。
ぼくの直感は間違ってなかったな。


「4429」は想像以上に素直でいいスピーカーだった。
ふだんよく聴くCDを持って行って(写真2)かけてもらったのだが、
よく鳴るなぁ。特にトランペット! なんともリアルな質感!


あと、ベースの響きが本物!
マイケル・ヘッジスのギターソロも凄い音だ!

うっ、欲しい! 「4429」欲しい!!!
でも、2本で 546,000円。た、高いなあ。


人間、知らなければそれなりに満足した人生がおくれたものを、
なまじ「ホンモノ」に触れてしまったがために、
もう、後には戻れない「からだ」になってしまうのだなぁ。
まさに禁断の果実だ。

因果よのう……


2010年2月20日 (土)

今月のこの1曲「Witchi-Tai-To」 written by Jim Pepper

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(写真をクリックすると、少し大きくなります)

■「Witchi-Tai-To」(ウィッチ・タイ・トゥ)という不思議なタイトルの曲を初めて聴いたのは、たぶん、このヤン・ガルバレクの ECM 盤『Witchi-Tai-To』B面1曲目でだったと思う。このLPでは、その次に収録された20分以上の大作「Desireless」が一番の聴き所で、あのガルバレクにまるでコルトレーンが乗り移ったかのようなスピリチュアルで熱いテナー・ソロをとっているのだ。

「Witchi-Tai-To」はその前座みたいな感じの曲で、Bobo Stenson の長いピアノソロに続いて、チャルメラのような、ヤン・ガルバレク独特のソプラノサックスがテーマを奏でる。不思議とのびのびした開放的で明るい音。これが何とも心地よいのだな。今思うと、数年後にキース・ジャレット・クァルテットの一員として録音した「マイソング」や「カントリー」に通じるものがある。

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(写真をクリックすると、少し大きくなります)

■その次に「この曲」を聴いたのは、オレゴンのLP『冬の陽』A面2曲目でだった。3分半に満たない短い演奏だが、実に印象的なピアノソロで始まり、曲のテーマは最後の方でちょこっと出てくるだけ。だから、もっと聴いていたいのにという欲求不満が残る。 つい先だって、松本の「ほんやらどう」で日本編集の「オレゴン・ベスト盤 / MUSICA ANOSSA Oregon」の中古盤を見つけて買って帰ったのだが、これがいいんだ。大当たり! もちろん、「Witchi-Tai-To」が 12曲目に収録されている。

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(写真をクリックすると、少し大きくなります)

■ところで、この曲のオリジナルは、Jim Pepper というテナー・サックス奏者が自ら歌ったLP『 Everything Is Everything 』に収録されている。彼にはネイティブ・アメリカンの血が流れていて、おじいちゃんから教わったネイティブ・アメリカン・チャーチ(20世紀初頭にできたネイティブ・アメリカン信仰とキリスト教信仰が合わさってできた新興宗教)の歌を元に「Witchi-Tai-To」を作ったらしいのだ。だから、まるでお坊さんのお経でも聴いているかのような意味不明の不思議な歌詞なのだね。

Witchi Tai To gim-mie rah Whoa ron-nee ka Whoa ron-nee ka Hey-ney hey-ney no wah Water spirit feelings Springin' round my head Makes me feel glad That I'm not dead

YouTube に音源がある。それは、これ。

 

オリジナルのCDは入手困難だそうだが、橋本徹氏編集のコンピ『 Cafe Apres-midi / Safran 』の 14曲目に収録されている。この前の曲が、シヴーカの「VOCE ABUSOU」で、後の曲が「バロック・ホーダウン」。さらに、アントニオ・カルロス・ジョビン「チルドレンズ・ゲーム」に、オレゴンの「YET TO BE」が続くというスグレものコンピ。 オレゴンのメンバーである、ラルフ・タウナーの12弦ギターソロ演奏もYouTube に画像があった。これだ。

<今月のこの一曲>

2010年1月18日 (月)

浅川マキ 死去

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■浅川マキが死んだ。名古屋でのライヴが始まる前に、宿泊先のホテルの浴室で倒れているところを発見されたという。ちょっと前に「内澤旬子さんのブログ」で知った。そしたら、「菊地成孔さんのブログ」にも載っていた。読んで思わずふき出しちゃったよ。浅川マキさんらしいなぁ。

■追悼の意を込めて、1984年のライブ・ビデオ『幻の男たち』を20数年ぶりに見ているところ。新宿蠍座は既になかったが、池袋文芸地下とか、新宿ピットインとかで彼女のライブを見ることができたはずなのに、結局一度もライブには行かなかった。レコードは写真の2枚と、あと最初のLP『MAKI I 』(見つからないが)を持っていた。最近の活動はまったくフォローしていなかったな。CDも持っていない。

■30年前の当時、次兄は目蒲線・西小山に住んでいて、ぼくは週末東京に出ては、よく泊めてもらいに行った。西小山の駅の階段を下りると、左右に商店街が続いていて、その左側のアーケード商店街をしばらく行くと、右手にレコード屋さんがあった。イシガミレコード店だ。調べたらなんと今もあるらしい。下町風情の陽気で元気のいいオバチャンが店をやっていた。ある時、聞くともなしにオバチャンが言った。「あのね、昔、この店の2階に浅川マキが住んでたのよ!」まだ無名だった彼女に部屋を貸していたのが、このオバチャンの1番の自慢らしい。兄貴は何度もその話を聞かされたと言っていたな。そんなことをふと思い出した。

ぼくはタバコを止めてもうずいぶん経っちゃったけど、浅川マキさんは最後までタバコ吸ってたのかな?


淋しさには名前がない
………誰がいったの
何もいらない これからは
扉を開けたら 朝の光が
また ひとりよ 私


ご冥福をお祈りいたします。

2010年1月 3日 (日)

今日聴いたCD、その他の話題。

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■正月休みは今日まで。午前中は診察室で一人のんびりとCDを聴いて過ごす。

最初に聴いたのは、『 30 ANOS 』Mercedes Sosa 。昨年10月に亡くなった、アルゼンチンの国民的大歌手(日本で言えば、美空ひばりだろうなぁ)メルセデス・ソーサが、歌手活動30周年を記念して 1993年に出したベスト盤。「Gracias A La Vida」とか「Alfonsina y el Mar」とか有名曲の目白押し。このCDはいつ聴いてもいいなぁ。元気がでる。今年もがんばろう!


■昨年死んじゃった大好きな歌手がもう一人いた。そう、ブロッサム・ディアリー。享年82。ぼくの母親とほとんど同い年。そう考えると、年取ってもずっとあの「カマトト・ボイス」はちょっとどうかな、とも思うが、でも、CDで声だけ聞いてる分には関係ないか。ブロッサム・ディアリーに関しては「今月のこの一曲」にも書いたことがある。ここで取り上げた『Give him the ooh la-la』は、LPでもCDでも持っているはずなのに、今日この話題にすることに決めてから、あちこち散々探したのに結局見つからなかった。だから、この写真に載ってない彼女のCDが、たぶんあと3枚はあるはずなのだが。


ヴァーヴから出ている若い頃の録音もいいが、英フォンタナ盤で、1966年と1967年の二度、ロンドンの「ロニー・スコット」でライヴ録音された2枚のCDや、彼女のオリジナル・レーベルから出た『My New Celebrity Is You』の中で一人弾き語りする 15曲目「ソング・フォー・ユー」が、これまたよい。


■長男の「書き初め」が完成したお昼過ぎ、高遠へ行って母の墓参り。正月に墓参りするのは、日本の「しきたり」的にはどうなのかは知らないけれど、まぁ喪中だからいいのか。昼飯は「蕎麦」にしようと決めていたので、帰りに河南小原の「兜庵」へ寄ったら未だ休業中。仕方なく伊那へ戻って、いつも贔屓の「こやぶ」へ。ここは大丈夫。今日も営業中だった。長男は「鴨かけそば」。次男と妻は「天ざる」。そしてぼくは、いつもの「大ざる」。いやぁ、旨かった。満足満足。


帰宅後一休みして、夕方から一人で「テルメ」へ。今年最初のランニング8キロ。ちょっとへばった。年末は以前からの計画通り、31日の早朝に家族4人で皇居を1周した。ぼくと長男は30分、妻と次男は40分弱でゴールした。天気も良かったし、それほど寒くはなかったから、走っていてすっごく気持ちよかった。前日の宿泊は「東京共済会館(KKRホテル東京)」。パレスホテルが建替え休業中なので、今はこのホテルが皇居周遊コースに一番近く、しかも年末割引プランで安かった。この次は、家族そろって2周完走だ。

元旦は、午前11時から上野鈴本演芸場。家族全員で贔屓にしている、太神楽の鏡味仙花さんが一人きりで登場し見事な「傘の芸」を披露してくれたのにはビックリ! 彼女が出ることは全然知らなかったのだ。来てよかったねぇと、皆でうなずく。仙花さん、客席中央に居たぼくらに気づいてくれたかな?


2009年12月19日 (土)

「Sweet Love Of Mine」Woody Shaw (つづき)

■昨日の夜は、伊那市天竜町「青龍」で「北原こどもクリニック」の忘年会だったため、更新はお休み。とは言え、連日の更新には無理があるな。2〜3日に1回のペースが一番自分のリズムに合っているように思う。

■さて、Woody Shaw のつづき。メジャーレーベル CBS/Columbia と契約し、70年代末〜80年代初頭に遅咲きながらも人気が出て活躍を続けたウディ・ショウだったが、その後が悲劇の連続だった。尊敬する先輩サックス奏者に女房を寝取られ、レコード・ジャケットに何度も登場する最愛の息子も奪われてしまう。失意のどん底に突き落とされたショウ。追い打ちをかけるように、さらなる悲劇が彼を襲う。

1988年、HIV感染が判明して闘病生活を続けていたが、1989年2月、ブルックリンの地下鉄ホームから転落(彼は生来の弱視だった)、左腕の切断を余儀なくされる。これでもう二度とトランペットを吹くことはできなくなった。そのまま同年5月に永眠する。享年44。 ジャズ・トランペッターには悲劇の人が多い。交通事故で早世した天才クリフォード・ブラウン。ジャズクラブで愛人に射殺された リー・モーガン。尿毒症のため、わずか23歳で夭逝した ブッカー・リトル。麻薬に毒されて26歳で逝った ファッツ・ナヴァロ。そして彼、ウディ・ショウ

■メロディ・メーカーとしても名高いウディ・ショウのオリジナル曲で最も有名な曲が、この「Sweet Love Of Mine」だ。初演は、アルト・サックス奏者ジャッキー・マクリーン Blue Note レーベル最後の作品『デーモン・ダンス』B面1曲目に収録されている。1967年12月22日録音。なんか、気持ち悪いジャケットだね。YouTube に音源があった(画像はなし)

■ぼくが一番好きな「Sweet Love Of Mine」は、このオリジナル演奏じゃなくて、同じくアルト・サックス奏者のアート・ペッパーが麻薬離脱治療から復帰して制作した2作目『ザ・トリップ』 A面3曲目に収録された同曲だ。これはよく聴いたな。さんざん聴いた。ちょと気負って肩の力が入った演奏だけれど、ふと、くつろいで力が抜ける瞬間があって、その時、かつての天才プレーヤーだった片鱗がかいま見える、アート・ペッパー。アフリカから押し寄せる波のような重いボサノバ・ビートを刻む、エルヴィン・ジョーンズ。トミー・フラナガンを更にモダンにしたような絶妙なピアノソロを取る、ジョージ・ゲイブルス。みんないい。探したら、YouTube に音源があった(やはり画像はなし)

ウディ・ショウ本人のリーダー・アルバムに「この曲」が収録されたのは案外遅くて、『Master Of The Art』(ELEKTRA /musician) B面2曲目に入っている。これもいいな。1982年2月25日の、ニューヨークはジャズ・フォーラムでのライブ音源。 日本人の演奏では、日野皓正のヴァージョンもあるみたいだが、ぼくは聴いたことがない。ぼくが長年愛聴してきたのは、鈴木勲『BLUE CITY』(TBM-2524) A面2曲目。曲のタイトルが「45th STREET - at 8th Avenue-」と異なるが、中身は「Sweet Love Of Mine」。初めて聴いたのは、伊那にかつてあったジャズ喫茶「アップル・コア」だったと思う。このLPは、当時のジャズ喫茶の人気盤だったのだ。 一番最近聴いて気に入っているのは、『LIVELY』安井さち子 トリオの7曲目。これもいい。 ■最後に、動いているウディ・ショウの画像。こいつは凄い。メチャクチャ格好いいじゃん!

■ ウディ・ショウ(Woody Herman Shaw II,  1944年12月24日 - 1989年5月10日)<今月のこの一曲>

2009年12月17日 (木)

今月のこの1曲「Sweet love Of Mine」 by Woody Shaw

091217_7 ■画像の扱いが、まだよく分からないのだが、今回は小さくなりすぎたかな。この画像をクリックしていただくと、画面が大きくなります。 さて、今日は今は亡き僕の大好きなトランペッター、ウディ・ショウのはなし。 ■ぼくが一生懸命ジャズを聴いていた大学生時代(1977年〜1982年)は、フュージョン全盛で、ストレート・アヘッドなアコースティック・ジャズは隅に追いやられていた。そんな時代でも、志あるジャズ喫茶では 「WOODY SHAW / STEPPING STONES」がよく掛かっていた。例えば、新宿の「DIG」とか、渋谷の「BLAKEY」とか。ぼくは散々聴いたよ、このレコード。だからアナログ盤で持っているんだ。 いま「ググる」と、ウディ・ショウは「悲劇のトランペッター」とか「正当に評価されなかった不遇のトランペッター」という単なる「くくり」になってしまうのだけれど、事実は決してそうじゃなかった。あの頃のウディ・ショウは、ジャズ喫茶では一番の人気者だったのだ。 確か、当時の人気を反映して、来日公演もしているはずさ、ウディ・ショウ。(まだまだ続く) ■<今月のこの一曲>

2009年12月 7日 (月)

最近買ったCD(その1)

■昨日、日曜日の当番医は予想以上に大変だった。120人近くの受診患者さんの約半数がインフルエンザ。午前中で、今まで密かに貯めこんであったはずのタミフルDSがすべて無くなった。仕方なく、午後の患者さんにはタミフル・カプセルを外してビオフェルミンと混ぜ、体重あたりの量に換算して処方した。それでも、スタッフ一丸となって、午前午後「休みなし」で頑張ったので、夕方6時半には終了した。やれやれ、疲れたね。


■閑話休題。最近買ったCDで、気に入ってよく聴いているのをご紹介します。

What_color

『What color is love』Terry Callier


このCDは、例の「カフェ・アプレミディ」店主の中村智昭さんのオススメ。内容はジャズではなくて、1970年代のマイナーな「Soul Music」なのだが、妙に「スピリチュアル・ジャズ」っぽいところが不思議なCD。あと、「ジャケット」がめちゃくちゃシブイね。


Lively

LIVELY』安井さち子 トリオ


この人は、このCDで初めて聴いた。なかなかいいじゃん。基本、ラテンなんだね。ブラジルじゃなくって、サルサ 〜 キューバ音楽のテイストの人。それで指のタッチが縦ノリで強いから、妙に男っぽいピアノなのだ。案外いいんじゃないかな。気に入った。もう少し聞き込んでみよう。

う〜ん、画像が大きくなりすぎたぞ。カスタム設定しないとダメなんだな。


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