2018年8月12日 (日)

最近読み終わった本(2)『レコードと暮らし』田口史人(夏葉社)

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「赤石商店」で、田口史人「出張レコード寄席」を聴いてきた。いやあ、面白かった。最後まで聴いてみないと判らないさまざまなドラマが、人知れず作られたシングル盤レコード、ソノシート、ラッカー盤一枚ごとに確かにあった。あと、ポータブル・レコードプレーヤーの音が案外良くって驚いた。

昨日「明石商店」で、高円寺「円盤」店主:田口史人さんのお話を聴いていて、TBSテレビ『マツコの知らない世界』に呼ばれるんじゃないかと思った。そしたら「タモリ俱楽部」に既に出演されていたのだね。

7月13日

先日「赤石商店」で聴いた、田口史人さんの「レコード寄席」の最後にかけてくれたレコード、豊中市立第五中学校校長・田渕捨夫先生が退職する時の、あの感動的な言葉が、36ページに書き起こされて載っていたよ!『レコードと暮らし』

続き)田渕捨夫校長先生のことば抜粋「いつも言う『過去』というものはみなさんの記憶にあるだけである。『将来未来』っちゅうものはみなさんの想像にだけある。実際に存在する実在は、今そこにあるみなさんそれだけなんだ」(『レコードと暮らし』田口史人著・夏葉社 37ページより)

続き)でも、田渕校長の言葉は、文字に起こした活字を目で追って読んでいても、伝わって来ないんだよなあ。ソノシートのレコードを、あの小さなポータブル・プレーヤーに乗せて、田口さんが神妙に神社の神主みたいな感じで、厳かにレコード針を落とすと、聞こえてくるのです。あの、田渕校長の声がね。

続き)先だって「赤石商店」にカレーを食いに行ったら、店主の埋橋さんが言った。「田口史人さんが帰る時、飯田線の時間がまだあったから、伊那北駅近くのレコード店『マルコー』に寄ってみたんです。そしたら、2階に案内されて、引き出しから「お宝」のレコードが次々と見つかった!」とのことです。

(以上は、ツイッターでの発言より再録)

■高円寺で、インディーズ・レコードや自作の自費出版本を扱う店「円盤」を経営する田口史人さんは、1967年の生まれだ。ぼくより9つも若いのが信じられないような、年期を重ねたこだわりのアナログ盤愛好家だった。肩まではかからない中途半端な長髪で、牛乳瓶の底のようなメガネをかける田口さんは、どことなく早川義夫の雰囲気があった。

レコード店に勤務したあと、音楽ライターとして活躍されていただけあって、とにかく文章が読ませる。淡々と書いているようでいて、対象物への限りない愛と慈しみが溢れ、内に秘めた熱情がメラメラと燃え出すような、読者のココロを鷲づかみする文章を書く人だったのだ。

■田口さんは車の運転免許を持っていない。だから、全国津々浦々、フーテンの寅さんみたいに、売り物のCDと本を詰め込んだトランクをぶら下げ、肩にはポータブル・レコードプレーヤーやレコードがたくさん入ったショルダーバッグという大変な出で立ちで、電車で移動巡業販売の旅を続けている。

営業の旅でありながら、レコードの仕入れ買取の旅でもある。その地方ならではの貴重な「出物」があるからだ。でも、彼が探しているレコードは、駅から遠く離れた郊外の「古道具屋」でしか扱っていない。古物商は、売れない在庫をたくさん抱えているから、その保管場所が必要だ。当然、地代の高い市街中心地に倉庫は持てない。へんぴな郊外にバラック仕立ての店を構えることになる。

伊那でいえば「グリーンファーム」であり、西春近広域農道沿いの古道具屋がそれだ。車を運転できない田口さんが、いったいどうやって「そんな店」を見つけ実際に訪れているのか、謎だ。そのあたりのヒントが、当日購入した「ホチキスでとめただけの簡易自主製作本:店の名はイズコ」に書かれています。この冊子も実に面白かった!

■前日の松本から飯田線に乗って伊那を訪れた田口さんは、赤石商店の埋橋さんに駅まで迎えに来てもらって、そのまま「グリーンファーム」へ。田口さんは以前にも訪れて中古レコードを多数見つけたのだそうで、今回も一枚 100円で購入したシングル盤を、当日の「レコード寄席」の始まりでまずはかけてくれた。

でも、激レア盤はそうは見つからない。田舎でも全国的に膨大な量が流通したソノシートがあふれている。中でもよく見かけるのが「佐渡交通」が製作して配った、佐渡観光記念ソノシートだ。全国各地から佐渡旅行に来た人たちが、地元へ帰って想い出にはじゃまなレコードだけ処分する。レコードの内容はほぼ同じなのだが、レコードジャケットは何故か100種類以上存在するという。

『レコードと暮らし』41ページには6枚だけカラーで載っている。切手収集みたいな感じなのか。田口氏は「全ジャケット」収集を目指していて、今回帰りに寄った「イチコー」で持っていなかった「佐渡交通レコード」を1枚見つけたのだそうだ。

田口さんの探究心は凄まじい。実際に佐渡まで行って佐渡交通本社を訪れ、いったいどんな人たちが「このレコード」を作っていたのか訊きに行ったのだそうだ。ところが、本社にはすでに担当者は勤務しておらず、分かる人が誰もいなくて「なんだか変な人が東京からやって来て困ったぞ」というドン引きの冷たい空気に包まれた田口さんは、結局「佐渡交通」では何も情報を得ることができず、淋しく会社を後にしたのだそうだ。せっかくはるばる佐渡までやって来たのにね。

そんな『レコードと暮らし』には載っていないエピソードの数々を、田口さんの「出張レコード寄席」で聴くことができます。瀬戸内海の直島で、村木謙吉の「おやじの海」が生まれた裏話も傑作だった。本には p106〜p114 まで大々的にフィーチャーされているけれど、当日の話では、それらのレコードにまつわる、さらに不思議なエピソードを披露してくれた。

という訳で、この本を読む前に田口史人さんの『出張レコード寄席』を実際に聴いてみると、本が10倍楽しめると思うワケです。

■いずれにしても、今年読んだ本の中では一番印象に残った「傑作本」です。(おわり)

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■追伸)本の表紙絵は、加藤休ミさんだ。彼女の細密クレヨン画はほんとうに凄い。絵本『きょうのごはん』(偕成社)以来のファンだ。

2018年8月 4日 (土)

最近読み終わった本。『幸福書房の四十年』『レコードと暮らし』

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■『幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!』岩楯幸雄(左右社)を読んだ。

今年の2月に代々木上原駅南口店を閉店した、街の本屋さんの語りおろし本。『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)もよかったけど、この本もしみじみよいなあ。

「小田急線代々木上原駅前で、20坪の小さな書店「幸福書房」を、この2月で閉店することにしました。約40年前、私と弟の2人ではじめた店を閉める直接のキッカケは、店舗の賃貸契約の終了なのですが、やはり売上不振が決断した一番の理由です。

「本が売れない」。専門家がいろいろいっていますが、全部当たっていると、店番でお客様の様子などを見ているとそう感じます。

 閉店のお知らせのポスターを店舗に貼りだしたところ、思っていた以上の反響がありました。驚いた。残念だ。続けてくれ。何とかならないか。少しならお金は出す。これらの言葉がこれからの人生にどれほどのはげましになるでしょう。」(p6〜7)

■「幸福書店」の営業時間は、午前8時から夜23時まで。お休みは正月元旦のみ。あとの364日は休まず営業。店主の岩楯幸雄さんと奥さん、それに岩楯さんの弟夫婦の4人で家族経営を続けてきました。北口店と南口店を営んでいた時は、正社員2人とアルバイトを雇っていた時期もありました。

Koufuku

「昔も今も小さい書店へは本があまり入って来ません。書店の要望が通らないということです。そのため私たちは、最初の仕入れの段階からトーハンの店売というものに行きました。」(p17)

「書棚の一番下は引き出しになっています。店が元気な頃は在庫でぎゅうぎゅうになっていました。現在は、返品がはばかれるような『しょれた本』が入っています。もう時間が経ちすぎて返品が不能の本を『しょれた本』と呼んでいます。」(p28)

「仕入れについては、店の傾向、お客様の好み、自分の好みなど、結局は全てさじ加減です。お客様の顔を思い浮かべながら仕入れたからといって、『○○さん! この本入れておきましたよ!』なんてことはやりません。そんなのは嫌ですよね。行く度に声をかけられたり、定期購読を提案されたりしたらたまったものではありません。私がお客様ならそれは嫌です。」(p31)

「それと、当たりが良いのはやはり鉄道ファンの方々です。幸福書房のお客様で鉄道ファンの方は現在26人か27人です。顔もすぐ思い浮かびます。そして、雑誌が軒並み部数を減らしている中で、鉄道ファンの方々は絶対といっていいほど買ってくださる。とてもありがたいですね。」(p32)

「約40年の時代の時代の中で、出版業界は盛り上がり、そして苦しくなってきました。それは、私たち書店にも同じ事がいえます。ピカピカでなくなってしまったのは、本や雑誌が売れず仕入れのお金がないからです。ただ、それだけです。

 ここ10年で、雑誌の売上部数は驚くほど減り、様々な雑誌が廃刊となりました。」(p40)

「10年前まではとても文庫がよく売れました、いや、5年前までは文庫は売れました。そのよく売れた文庫本のスリップを正直に出版社に送ると、がんばりましたと文庫がたくさん送られてきます。しかし、最近では文庫が売れません。逆に、送られてくると困ります。どうしても欲しい本なら良いのですが、いらない本まで送られてきて、売れるかどうかも分かりません。なので、スリップは送らないのです。

 過去に送ったスリップの数によって、出版社からの本の入りやすさが決まります。幻冬舎には1回も送ったことがないので、入ってきにくいです。」(p53)

「本屋にもよりますが、毎日坪1万円売ることができたなら優秀な本屋といわれます。

この基準で幸福書房を考えるとどうなるか。幸福書房(20坪)の家賃は35万円です。2017年での1日あたりの平均売上は15万円なので、2日分の売り上げでは家賃を支払うことができません。これが今の幸福書房の現実です。とにかく苦しいのです。」(p55)

「幸福書房ではみすず書房、白水社、青土社の書籍をよく置いています。けれども、その置き場所は最初あった場所から徐々に移動して現在のレジ前の位置になりました。なぜ、場所が変わったのかといいますと、プロがいるのです。万引きのプロが。」(p71)

「大型書店でも(万引きが)結構頻発しているという事をいわれました。しかも、みすず書房の棚の担当の人がお休みの時を狙って万引きをされるそうです。(中略)

「万引きされて困るのは書店です。幸福書房で万引きが起こったら、幸福書房が売上として計上するだけです。それが出版社の売上になるので、損をするのは書店。」(p73)

2018年7月16日 (月)

「相澤徹カルテット」のこと (長野医報8月号:ボツになった「あとがき」より)

■長野県医師会の広報委員を拝命して1年になろうとしている。先輩広報委員の先生方のご支援のもと、今までなんとか務めることができた。本当にありがとうございます。

■次号「8月号」は3度目の担当号で、ぼくが「あとがき」を書く順番だった。珍しく締め切り1ヶ月前から力を入れて原稿を書いた。しかし、如何せん長すぎた。「あとがき」は1ページに収まらなくてはならない。という訳で、ボツ原稿になってしまいました。内容的にも少し問題があったのかもしれないな。仕方ないので、ブログにアップすることにしました。

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「長野医報8月号:あとがき」(ボツ原稿)

 山下達郎や大貫妙子の1970年代シティポップが、YouTubeによって海外で再発見され、いま注目を浴びています。しかし、日本国外ではネット配信されていない音源が多いため、熱烈なマニアはオリジナルレコードを求めてわざわざ来日し、都内の中古レコード店を物色して廻っているのだそうです。

 昨年の8月『Youは何しに日本へ?』(テレビ東京)に登場し、一躍注目を浴びた大貫妙子ファンのアメリカ人スティーヴ君(32歳)は、今年2月に再来日して遂に御本人との対面を果たし、再び大きな話題となりました。


YouTube: Youは何しに日本へ🗾🎌8月7日(月)18時55分~20時まで放送中です。✈

 1970年代に日本人が演奏したジャズレコードの希少盤も、いま海外の好事家の間では大変なブームで、一枚数十万円で取引されるレコードもあるのだそうです。その中でも最も入手困難な「激レア盤」として有名なレコードが、相澤徹カルテット『TACHIBANA』です。

 イギリス人のジャズコレクター、トニー・ヒギンズ氏は、このレコードが日本人ジャズの中では一番好きだと断言します。彼が最近ネットに挙げた文章によると、当時、群馬県沼田市の赤谷湖畔でドライブインを経営していた地元の名士「橘一族」の御曹司、橘郁二郎氏が大のジャズフリークで、彼が注目していた地元のアマチュア学生バンドを、私邸に呼んで演奏させ録音したレコードが、相澤徹カルテット『TACHIBANA』なのでした。橘氏は、このレコードを名刺代わりに数百枚ただで配りました。もちろん自主製作盤なので市販されていません。

 リーダーの相澤徹氏は、群馬大学医学部ジャズ研のピアニストで、レコードが収録された1975年3月に大学を首席で卒業し、信州大学医学部順応内科大学院への進学が決まっていました。他のメンバー3人は医学部ではなく、音大や法学部の大学生でした。


YouTube: Tohru Aizawa Quartet - Philosopher's Stone

 学生アマチュアバンドとはいえ、真摯で若さがほとばしるその熱烈な演奏は、絶頂期のジョン・コルトレーン・カルテットを彷彿とさせる鬼気迫るジャズを響かせます。バンドはこのレコードを収録後に解散してしまい、メジャーデビューすることはありませんでした。従って彼らの音源はこの1枚しか残されていません。

 一時はプロへの道も考えた相澤徹氏は演奏活動を止め、その後は医学の分野で名声を博します。大学院修了後にアメリカへ留学。帰国後は大学へ戻り、糖尿病を専門に研究。信州大学医学部医学教育センター教授を経て、現在は相澤病院糖尿病センター顧問を務めていらっしゃいます。このレコードをプロデュースした橘郁二郎氏もその後は数奇な運命を辿り、最後は田宮二郎と同じく猟銃で自らの命を絶ったとのことです。

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 この6月20日、なんと『TACHIBANA』は世界初でCD化され入手可能となりました。伝説の演奏は、43年経ったいまでも決して色褪せることはありません。

 さて、来月号の特集は「私の好きな作家・思想家」です。元国税庁長官の佐川宣寿氏が学生時代の愛読書として公言したのが『孤立無援の思想』高橋和巳(河出書房新社)でした。

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「どんなに意地をはっても、人はたった独りでは生きてゆけない。だが人の夢や志は、誰に身替りしてもらうわけにもいかない。他者とともに営む生活と孤立無援の思惟との交差の仕方、定め方、それが思想というものの原点である。さて歩まねばならぬ」

 この本のことを唄った森田童子も、先ごろ亡くなってしまいましたね。

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注1)相澤徹氏は、松本の「相澤病院」理事長とは兄弟ではない。従兄弟かもしれないが、親類でも何でもないと、本人が発言しているという話もある。出身も、長野県松本市ではなく、茨城県水戸市だ。ただ、ぼくは相澤先生とは面識がないので本当のところは不明です。

注2)橘郁二郎氏の消息も不明な点が多い。猟銃自殺を遂げたという情報は、相澤氏の群馬大学医学部ジャズ研の後輩で、ピアニスト兼、脳外科医の「甲賀英明氏のブログ」 によります。

6月20日に出たCDのライナーノーツ(尾川雄介)の最後にも「橘は残念ながら後年自殺している。」と書かれています。

・この尾川雄介氏の解説、冒頭の文章がすばらしい。

「相澤徹カルテットの演奏には聴く者を真っ直ぐに貫く勢いと鋭さがある。それはただ鳴って中空に消えてゆく音ではなく、必至とも言える切実さでこちらに迫ってくる。しかも、さながら内圧に耐え切れずに噴出したマグマのように熱く滾っている。」

注3)佐川宣寿氏は 1957年生まれで、ぼくより1つ年上だ。連合赤軍、あさま山荘事件を経て、内ゲバ事件に辟易していた僕らの年代は「シラケ世代」と呼ばれた。だがしかし、2年後輩の「共通一次試験世代」とは決定的に違う。そのことは、ぼくと同い年の坪内祐三氏が『昭和の子供だ君たちも』(新潮社)の中で、詳細に語っている。

それにしても、佐川氏がなぜ「高橋和巳」だったのか? 謎だ。高橋和巳が草場の陰で泣いてるぞ!

注4)相澤徹カルテットに関して、ぼくがツイートしたのを、以下にあげておきますね。

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ついに入手。相澤徹カルテット『 TACHIBANA』1曲目「賢者の石」めちゃくちゃカッコイイ! (6月24日)

イギリスから、またまた超ディープな「和ジャズ」コンピが届いた『SPIRITUAL JAZZ vol.8 / JAPAN: Parts 1+2』だ。選曲は JAZZMANレコードのオーナー、ジェラルド・ショートと尾川雄介。先発の『J-JAZZ: Deep Modern Jazz From Japan』とは一曲もダブらない。凄いぞ!日本語訳ライナーノーツ付き。

 

続き)このコンピで出色なのは、高柳昌行(g)が2曲、森山威男が2曲ちゃんと選曲されていることだ。高柳が「SUN IN THE EAST」と、TEE & COMPANY「SPANISH FLOWER」。森山は「EAST PLANTS」と「WATARASE」だ。森山さんは松風鉱一「UNDER CONSTRUCTION」でもタイコを叩いている。

 
続き)この2枚組CD『SPIRITUAL JAZZ vol.8 / JAPAN: Parts 1+2』にも『J-JAZZ: Deep Modern Jazz From Japan』にも収録されているのが、相澤徹カルテット『TACHIBANA』だ。まったく知らないグループだった。ライナーによると、群馬のアマチュア学生バンドの自主製作版とのこと。ところが、演奏が凄い
 
続き)まるで、1964年〜65年頃の後期コルトレーン・カルテットみたいな、強烈に熱い演奏を聴かせてくれる。特に『スピリチュアルジャズ8:日本編』CD2の2曲目に収録された「サクラメント」がいい。3拍子だからね。ピアノを弾く相澤徹は、板橋文夫みたいだ。モロぼくの好みじゃないか!
 
続き)で、検索してみたら、RTした記事を見つけた。ビックリだ。相澤徹は群馬大学医学部を主席で卒業後、信州大学医学部内分泌学教室大学院に進学。ちょうどその頃、このレコード盤はプロモーション目的でわずか数百枚プレスされた。もちろん販売はされなかった。それが今や世界中から垂涎の激レア盤
 
続き)主席→首席の間違い。相澤は演奏活動をやめ、本業の医学の道を邁進する。1975年群馬大学医学部卒業。1982年信州大学大学院修了。オレゴン大学研究員、ロチェスター大学研究員、信州大学健康安全センター教授、信州大学医学部医学教育センター教授を経て、2010年から相澤病院糖尿病センター顧問。
 

なな、なんと! 噂の激レア盤『TACHIBANA』相澤徹カルテットが、6月20日にCDで再発されるとのこと。ほんとビックリ!

 
 
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「長野医報8月号:あとがき」(書き直して採用されたもの)

 

 サッカー・ワールドカップ日本代表チームの快進撃には心底驚きました。ドーハの悲劇から約25年。日本サッカーはいま、遂に世界と対等に戦えるレベルに達したのですね。

 先日、恵俊彰の「ひるおび」(TBS)を見ていたら、スポーツライターの二宮清純氏が面白いコメントをしました。サッカー日本代表の歴代外国人監督を、学校の先生に例えたのです。ハンス・オフトは小学校の先生で、平仮名から九九まで基礎の基礎を教え、トルシエは中学部活のスパルタ指導者。ジーコは大学の名誉教授で、オシムは高校の物理の先生。ザッケローニとハリルホジッチへの言及はありませんでした。もちろん、西野監督の采配振りは賞賛に値するが、歴代監督の地道な指導があってこその大躍進であると。

 江戸時代末期、西洋近代医学が日本に導入された過程においても、外国人医師の献身的な指導がありました。シーボルトが長崎を去って30年後の安政四年(1857)、オランダ人軍医ポンペは軍艦ヤパン号(のちの咸臨丸)に乗って日本にやって来ました。彼を迎えたのは、御典医の松本良順。順天堂の創始者、佐藤泰然の次男で、勝海舟が長崎海軍伝習所を開いたその隣に、医学伝習所を開設します。ポンペはユトレヒト医科大学で受講したノートを元に、物理学、化学、繃帯学、系統解剖学、組織学、生理学総論及び各論、病理学総論及び病理治療学、調剤学、内科学及び外科学、眼科学、公衆衛生学に到るまで、たった一人ですべて講義しました。

 噂を聞いて全国から蘭方医が集まりました。佐倉順天堂から佐藤舜海と関寛斎、緒方洪庵の適塾からは長与専斎と洪庵の嫡子平三。福井藩からは橋本左内の弟他多数。しかし蘭学に精通した彼らも、オランダ語を聞いたのは初めてで、ポンペの授業を全く理解できませんでした。仕方なく、松本良順と彼の弟子、島倉伊之助(司馬凌海)が漢文に翻訳し補習授業を行いました。

 ポンペは「医者にとって患者は平等である。医者はよるべなき病者の友である」と説きました。身分差別が当たり前の受講生には、雷鳴をきく思いがしました。5年後、ポンペは帰国します。しかし、日本で精魂使い果たした彼は、ほとんど抜け殻のような余生を送ったとのことです。(司馬遼太郎『胡蝶の夢』より)

 さて、9月号の特集は「私の好きな作家・思想家」です。どうぞご期待下さい。
 
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2018年6月28日 (木)

今月のこの一曲『ユニコーン』作詞:友部正人、作曲:原田郁子


YouTube: 原田郁子fujirock08

■3年くらい前の6月(2015/06/13)に、クラムボンの「Folklore(フォークロア)」を取り上げた。6月に台風がやって来る歌だったからね。

以前から、6月は鬼門で、いろいろと厄介なことが起きてきた。確か、そのちょうど1年前(2014年の6月7日)体調を崩し伊那中央病院に2週間入院することになるのだった。慢性硬膜下血腫だった。転倒を繰り返す、老人の病気じゃん。ほんと恥ずかしい。どこで転んだか、よく覚えていないのだ。

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■クラムボン「フォークロア」に関して書いた、その約1ヵ月後の 2015年の7月5日、このとき初めて、2007年から毎年この時期に南箕輪村の酒店「叶屋」で開催されている「友部正人ライブ」に参加したんだ。そのとき、彼が歌ってくれたのが、この「ユニコーン」だった。なんていい曲なんだ。なんていい歌詞なんだ。マジで泣いてしまったよ。

 友部正人を知ったのは、ぼくが中学2年生の時だ。1972年のことだ。フォークソングがブームだった。吉田拓郎のレコードは無視したが、泉谷しげる『春夏秋冬』、加川良『親愛なるQに捧ぐ』と買って、特に加川良はそれこそ毎日毎日レコードがすり切れるほど聴いた。フォークギターも買ってもらって、フィンガー・ピッキング奏法とか一生懸命練習した。

そして、1973年に入ってから新宿のレコード店「アカネヤ」で入手したレコードが、友部正人『にんじん』(URC) だ。加川良とはぜんぜん違う友部の歌声は衝撃的だった。特に『乾杯』って曲。1972年2月に、日本国民全員がテレビの前に釘付けとなった、あの「あさま山荘事件」を唄ったトーキング・ブルース(加川良「下宿屋」や、海援隊「母に捧げるバラード」みたいに、唄わない歌のこと)だ。キーが外れた彼の歌声は正直下手だ。だけど、14歳の中2男子のココロには真っ直ぐ突き刺さったのだ。そう、一本道の「中央線」みたいにね。

■最近読んだネット記事によると、人間は14歳の時に聴いた音楽が、その人の一生に、ずっと強い影響を与え続けるのだそうだ。ほんとその通りだと思う。あの頃信じたものは、みんな「ほんもの」なんだよ。絶対にそうさ!

なにも音楽だけに限らないぞ。ぼくの場合、TBSラジオ・アナウンサー林美雄の深夜放送「パックイン・ミュージック」の影響は絶大だった。

■そうさ! 60歳になろうとしているというのに、未だに中坊だった14歳の自分を抱えているのさ。それが「ユニコーン」なんじゃないかな? 

JASRAC からの通告のため、歌詞を削除しました(2019/08/06)

■Twitter より。

南箕輪村の叶屋酒店での友部正人ライヴ。今年で11年目だって。毎年6月末にこうして目の前で友部さんに歌ってもらえる贅沢を噛みしめている。ラス前の「一本道」「反復」そしてアンコールで「遠来」と「夕日は昇る」を歌ってくれたよ。来年もまた来てくれるって。

続き)叶屋店主の倉田さんが、開演前にリクエスト曲を募って回っていたので、ぼくは「ユニコーン」をリクエストした。友部正人さんの詩にクラムボンの原田郁子さんが曲を付け彼女がソロで歌っている。大好きなんだこの曲。CDも買った。ただ、初めて聴いたのは3年前のここ叶屋で、友部さんが歌ってくれたんだよ。

続き)前半で友部さんが歌ってくれたのは「ぼくは君を探しに来たんだ」「ある日ぼくらはおいしそうなお菓子を見つけた」「いっぱい飲み屋の唄」「歯車とスモークド・サーモン」「夜よ、明けるな」「朝は詩人」「ダチョウのダック」「地獄のレストラン」あとは忘れちゃった。

続き)後半で友部さんが歌ってくれたのは「誰もぼくの絵を描けないだろう」「マオリの女」「老人の時間 若者の時間」「小林ケンタロウの回鍋肉」そして、歌ってくれましたよ「ユニコーン」。泣いちゃったな。

続き)あ、いま思い出した。最初の頃に「待ちあわせ」と「けらいのひとりもいない王様」も歌ってくれたな、友部正人さん。

メモしていたワケじゃないから、ものすごく不正確なのだけれど、あと「日暮の子供たちの手を引いて」「船長坂」「ブルース」も歌ってくれた。「ブルックリンからの帰り道」もだっけ?

友部正人に関して書いた過去の記事(2016)

友部正人に関して書いた過去の記事(2017)その1

友部正人に関して書いた過去の記事(2017)その2

2018年6月18日 (月)

若い人たちの力は凄いな! 木ノ下歌舞伎『三番叟/娘道成寺』を観て思ったことなど

■昨日、まつもと市民芸術館小ホールで「木ノ下歌舞伎」舞踊公演『三番叟(SAMBASO )・娘道成寺』を観てきた。素晴らしかった。圧倒された。演劇は「ことば」よりまず「身体」の表現なのだ。

2年前に同じ劇場で観た『勧進帳』で、初めて木ノ下歌舞伎を知ったのだが、いやいや凄い演劇集団だな。


YouTube: 信州・まつもと大歌舞伎関連公演/木ノ下歌舞伎 舞踊公演/主宰:木ノ下さんコメント

■「娘道成寺」。指の爪の先まで神経が行き届いて完璧にコントロールされていた。無駄な動作が全くなかった。そして、なんと美しい筋肉であることよ! 60分間、長唄(これは生演奏ではなくて録音だった)の伴奏に耳を傾けつつ、たった一人で踊る。60分間も、一人だけで、観客を厭きさせることなくステージを務めることなんて、本当にできるのか?

ところが! 出来たんだね、これが。観客は、その一瞬一瞬を見逃すまいと、最後まで舞台上の小さなダンサーの一挙手一投足に注目し続けたのだ。正直、たいへんな緊張感だった。だって終演後、どっと疲れたもの。

彼女が舞台に登場した当初は、まるで転形劇場『水の駅』の役者さんみたいに、超スローモーションでほとんど動かない。一重で細長のダンサーの眼は、じっと正面を見つめ動かない。ああ、和的な顔だ。どことなく、安藤サクラに似ている。そう思った。

BGMで流される「長唄」。一生懸命その意味を理解しようと聴いたのだけれど、ほとんど意味不明だった。次々と「花」が語られたかと思ったら、いきなり「山」の話題に変わる。どこが「娘道成寺」なんだ!

■でも舞台後半、フランス人形のドレスみたいな真っ赤な衣装が、まるでトイレットペーパーみたいに舞台下手から巻き取られる。残ったのは、銀色のテカテカ光沢も艶めかしい爬虫類の皮膚の衣装だ。そう、彼女は大蛇に変身したんだね。

しかし、これから怨念のパワー爆発ダンスが始まるかと思ったら、そうじゃなかったんだよ。彼女の背中から上腕に伸びる筋肉。その、うねるような動きは、間違いなく「へび」だ。そう、楳図かずお『へび少女』の動作。でも、不思議と激しくはない。怒りとか怨みとか、そうじゃあないんだ。

「かなしみ」かな。バカな男にだまされ、それでもついて行って、最後にまた裏切られる。その感情は、たぶん怒りよりも悲しみ(哀しみ)だったのだ。ああ、もう一度見てみたい。

■きたまりさんは、てっきり「モダン・ダンサー」なのだとばかり思っていたのだが、いろいろ検索してみたら、彼女は「山海塾」岩下徹さんに師事したこともあったのだ。なるほどそうか! だから「和」なんだ。土方巽、田中泯、山海塾、大駱駝鑑。たぶん、彼女の踊りには脈々と続いてきた「舞踏」の伝統があったのか。

それにしても、圧倒的な踊りだった。

作家で歌舞伎にも詳しい松井今朝子さんの評がよいな。

ぼくの右側、通路を挟んで2メートルちょっとしか離れていない席で、中村七之助さんが彼女の舞台を涼よかな風情で微動だにせず観ていたが、彼はいったい、どう感じたのだろうか? すっごく興味深いぞ。 (まだまだ続く)

■演じられた順番は逆になってしまったが「三番叟(さんばそう)」も凄かった!

こちらの演目も何度目かの再演だそうだが、演者3人(ダンサー)・音楽・振付・衣装・演出、すべてが刷新されていた。前回演じられた写真を見ると、応援団の学ランを着た男性3人が手に白いボンボンを持っている。大きなダルマを持った写真もあった。

今回は、舞台上にサッカーかバスケットボール試合会場の「ロッカールーム」が設置されていて、演者の3人は客席後方から「おめでとうございます! おめでとうございます!」と笑顔を振りまきながら登場する。私服の大学生たちといった風情だ。

彼らが舞台に上がると、それぞれ徐に着替え始める。サッカー・ワールドカップ「サムライ・ブルー」を思わせる鮮やかな青のユニフォーム。着替え終わった彼らは、ベンチに座って真っ赤なナイキのシューズを履き、ゆっくりと靴紐を結ぶ。

舞台が暗転すると、スピーカーから地響きの如きダンス・ビートが「ズンズン」鳴り響く。まるで、渋谷あたりの「クラブ」に紛れ込んでしまったかのようだ(行ったことないけど)。

まず最初に踊る(舞う)のは「翁」役の坂口涼太郎くんだ。2年前のこの同じステージで観た『勧進帳』で、富樫左衛門を快演(怪演)した彼ではないか! 舞台俳優なのに踊れるのか? 踊れた!

強烈なビートに乗せて、坂口君は低音で唸るように意味不明の呪文を発する。不気味だ。次に登場したのが内海正考。ヒョロリと背が高く、手足が異様に長い。どことなくアンガールズ田中を思わせる。ところが、身体反応は素晴らしい。キレキレのダンスを披露してくれた。

そして最後に登場したのが北尾亘。3人の中で一番小さい彼が、最もダイナミックなダンスを演じた。ああ、彼が振付師だったんだな。「GOD」と書かれた黒いキャップを被り、手には鈴を持っている。

3人が踊り終わると、音楽が不意に止む。静寂。呆気にとられ、ちょっと置いてけぼりを食った観客の気分を代弁する演者たち。「なんか、ぜんぜん伝わってないんじゃね?」

怒った坂口君。この責任の全ては、振付師の北尾亘にあるとばかり、突然北尾の頭をピシャリと叩く。じつにいい音がした。吉本興業のベテラン漫才師でも、これほどの絶妙のタイミングで、ツッコミがボケを叩くことはなかなかにできないぞ。

さて、仕切り直し。演者たちが客席後方の音響担当者に向かって「あれ、いってよ!」と要求。新たなビートが鳴り出すと、今度はマイク片手にラップで語り出す。いつしか青色の上着を脱ぎ捨てた3人。白のアンダーウエアーの背中には「GOD」の黒い文字。

その3人が並ぶと、背丈が「大・中・小」だ。なんだかそれだけで「松竹梅」的にお目出度い。その「大中小」が同時に同じ振付で踊り出す。おおぉっ! 凄いな。完璧にシンクロしている。どれだけ練習したんだ。見ていてとにかく気持ちがいい! 踊りはどんどん盛り上がり、熱狂的なダンスが次々と繰り出される。EXILEの、縦に並んでグルグル回るヤツまで披露された。

いつしか客席右前方から手拍子が始まる。まるで、リオのカーニバル会場みたいな祝祭空間になっていたよ。ビートはサンバじゃなかったけれど、三番叟(さんばそう)だからな。

 

2018年5月14日 (月)

最近書いた文章(その3)『犬の目』

「犬の目」(長野医報 2018年3月号「我が家のアイドル」より)

 

 いぬは わるい めつきはしない

 

 これは、子供の詩集『たいようのおなら』灰谷健次郎・編(のら書店)21ページに載っている、さくだ みほちゃん(6歳)の「いぬ」というタイトルの詩です。なんか、圧倒されますよね。こう自信を持って断定されると、思わず納得してしまうから不思議です。では、みほちゃんが「目付きが悪い」と思っている動物は何だったのでしょう? 昔話や絵本に登場する悪者と言えばキツネとタヌキでしょうか。どの絵本にも、残忍で狡賢い眼が必ず描かれています。

 タヌキもキツネも、イヌとは遺伝子の多くが一致しているはずなのに「目付き」はなぜ違う印象になるのでしょうか? それは、イヌにだけ「白目」があるからです。

 白目は眼球の強膜の部分です。動物の目にも当然強膜はあるのですが、眼裂が丸いので外からはほとんど見えない(もしくは周囲の皮膚と同色で目立たない)ようにできています。それは、ライオンに狙われたシマウマが、逃げる方向を決して敵に悟られないようにするためです。弱肉強食の生存競争激しいサバンナでは、追う肉食獣も逃げる草食動物も、相手に自分が見ている方向が分かってしまっては決して生き残れないのです。

 ところが、ヒトは眼裂が横長なので白目がよく見えます。しかも白と黒のコントラストが鮮明で、見ている方向が一瞬にして相手に分かります。同じ類人猿でも、チンパンジーやオランウータンには白目はありません。ゴリラはよっぽど横を見れば辛うじて白目が見える。それなのに何故ヒトだけ白目が目立つのでしょうか?

 

 アイコンタクトは、言葉と並んでヒトの重要なコミュニケーション・ツールです。生後3ヵ月の赤ちゃんは、おかあさんの目をじっと見つめ「アー」とか「クー」と声を出して呼びかけます。すると母親も赤ちゃんの目を見つめ「アー、クー」と同じように返事をします。これがコミュニケーションの始まりですね。6ヵ月になると、母親が見ているものに視線を合わせるようになります。この視線追従を「共同注意 Joint attention」と言います。

さらに1歳前後になると「指さし」を始めます。赤ちゃんが指差す方向にあるものを見た母親は「○○ちゃん、それはワンワよ、ワンワ」と返します。こうして赤ちゃんの中に言葉がどんどん蓄積されていくのです。言葉が出ない自閉症の子供は「指さし」をしません。また、対面した時に決して視線を合わせようとはしません。

 ところがイヌとオオカミは、視線を交わし、相手の視線の先にある目標物を共有することができます(共同注意)。なぜなら、イヌにもオオカミにも「白目」があるからです。

 2002年のサイエンス誌に載った Hare氏らの論文によると、コップを2つ離して置いて、実験者(ヒト)が片方を指差した時、その正しいコップを選ぶかどうかイヌとチンパンジーとで比較検討したところ、チンパンジーの正答率が60%くらいしかなかったのに対して、イヌは80%近く正解しました。これは飼い犬、野生犬で差はなく、イヌの年齢にも関係はありませんでした。しかも、イヌの祖先あるオオカミの正答率は60%弱しかなかったのです。つまり、ヒトの家畜となって何世代も経つ中で、オオカミからイヌに進化した時点で初めて、この能力は遺伝的に記憶されたのですね。

 じつは、イヌはチンパンジーよりもヒトに近いコミュニケーション能力を持っていたのです。驚きです。こうしたイヌの能力は、実際にイヌを飼ってみると直ちに実感できます。天ぷらを揚げていた妻の手に油が飛んで「熱い!」と声を上げた瞬間、それまでソファーで熟睡していた我が家の愛犬は、ふいに頭を上げ直ちに台所へ掛け寄り「おかあさん、大丈夫?」と心配そうに妻を見上げます。ぼくは知らんぷりでテレビを見ているというのにね。これは、親愛なる者へのエンパシー(共感力)、相手の痛みを共に感じることができる能力なのです。

 それからイヌの「白目」。これも実際に飼って初めて知ることができました。イヌは熟睡すると、目が半開きになり白目に反転します。レム睡眠中なのか、上下左右にグリグリ眼球が動き、ちょっと気持ち悪いです。あと、おやつを取り出し伏せの状態で待たせると、イヌは上目遣いで白目を出し切なそうにぼくを見つめ「よし!」の一言を待つのです。これはプロのトレーナーの間では「クジラ目」と言われている仕草なのだそうで、イヌが困ったときに「お願い」「助けて」と、飼い主に共感を請う表情なのです。白目を有効に使うすべを、イヌは確かに知っているのですね。

 

 イヌのしつけに関する本には、イヌはオオカミの群れの上下関係で飼い主家族内の優劣・順位を決めると書いてあります。我が家でも、群れのリーダーは妻で、次いで長男→イヌ→ぼく→次男という順位になっています。毎朝30分も散歩に付き合い、エサもあげているというのに、ぼくは低位に甘んじています。じつに理不尽です。

 最近の研究によると、イヌと飼い主の関係は、人間の親子関係の「愛着」と同じように形成されるのだそうです。麻布大学獣医学部教授の菊水健史先生は、愛着ホルモンとも呼ばれる「オキシトシン」を実験の中で測定したところ、イヌの飼い主に向けた視線は飼い主のオキシトシン分泌を促進し、飼い主が愛情深く応答することでイヌのオキシトシン分泌も促進することを明らかにしました。また、イヌにオキシトシンを投与した実験では、イヌの飼い主への注視行動が増加し、それに伴って飼い主のオキシトシン分泌が増えました。オオカミにはこのような視線とオキシトシンの関連はみられません。

 イヌは進化の過程で人間の母子関係と同様の視線とオキシトシン神経系を介した愛着のポジティブ・ループを獲得し、飼い主への情愛と共感力を持つことができるようになったのです。こうして、ヒトとイヌは単なる家畜の関係を超えて、家族として相棒(バディ)として互いに掛け替えのない関係を築いたのです。

 

 ところで、落語の演目に『犬の目』という噺があります。眼病を患った男が、ヘボンの弟子のシャボンと名乗る目医者を訪ねます。医者は男の両眼をくり抜き皿の薬液に漬けます。ところが目玉がふやけてしまって男の眼窩に入りません。仕方なく目玉を日干しすると、隣の犬が食べてしまいました。困った目医者は、その犬の目玉をくり抜き患者に移植するという、何ともシュールで奇想天外な噺です。他にも『元犬』とか、桂枝雀の『鴻池の犬』それに『くしゃみ講釈』で犬糞を踏む場面など、落語には犬が登場する噺が案外多いのですね。

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(写真)我が家のアイドル「れおん」6歳オス。シーズーとトイプードルのミックス犬。

 おあとがよろしいようで。

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■追記■

今年の日本小児科学会は福岡で開催されました。小児科専門医の点数を取るために、すみません休診にして参加して来ました。ただ、専門医制度が厳しくなって参加しただけではダメで、教育講演をいっぱい聴かないと点数(1講演:1点)がもらえなくなったので、会場は大混雑で大変でした。そんな訳で、聴きたかった講演・シンポジウムをずいぶん諦めざろう得ませんでした。

でも、4月21日(土)に大ホールで行われた「特別講演」は無事聴くことが出来ました(点数にならない講演だったので)

演者は、畑正憲氏。御年83歳。あの見慣れたフレームの眼鏡をかけ、ニコニコと登場。

「ぼくはね、犬に噛まれたことが一度もないんですよ。人に噛みつくと評判の犬でもね、ぼくがヨシヨシと撫でてあげると噛まない。それは何故かというと、ぼくのからだから愛情ホルモンである『オキシトシン』が周囲の空気中に溢れ出して、それを犬が嗅ぎ取って安心するんじゃないかと思ってるんです。

それを科学的に実証したいと思って、実験装置の設計図を作り上げたんですけれど、ムツゴロウさん、この機械を作るには何千万円もかかりますよって言われてしまって諦めたんですけれどね

https://www.sankei.com/premium/news/170924/prm1709240005-n1.html 

2018年5月13日 (日)

最近書いた文章(その2)

■長野医報3月号特集「我が家のアイドル」の「苦しまぎれ招請文」
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 3月号の特集テーマは「我が家のアイドル」です。このタイトルから皆さんがイメージするのは何でしょうか?

 先日テレビを見ていたら、NHK総合『所さん!大変ですよ』という番組に、お茶の間でワニを飼うおじいさんが登場しました。ミニチュアサイズのワニではありませんよ。体長2m10cm、体重46kg、推定年齢35歳。そのカイマン君と枕を並べてお昼寝するおじいさん。34年前から毎日こうしてきたのだそうです。でも彼の食費は月5000円ほど。案外安いんですね。月に2回、鶏肉や鯉を与えるだけでOKなんだと。リードを付けてお散歩もします。近所の保育園では、子供たちのアイドルなんです。

Man living with 2 meter alligator 巨大ワニと暮らす男(NHC0014)
YouTube: Man living with 2 meter alligator 巨大ワニと暮らす男(NHC0014)




 ちょっと極端なアイドル愛好家を紹介してしまいましたが、いや「普通のはなし」でいいんです。目の中に入れても痛くない、可愛い娘さん、お孫さんの笑顔。それから、愛犬・愛猫がご主人様に甘えてくる仕草。そんなスナップ写真もぜひ添付して「我が家のアイドル」をご投稿下さい。どうぞよろしくお願いいたします。

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長野医報3月号特集「我が家のアイドル」の「前文」

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 平成30年の今年は「戌年」です。我が家にも犬がいます。シーズーとトイプードルのミックス犬(5歳オス)で、実物はほんと可愛いのに、なぜか写真映りが悪いのが残念です。犬は本当に不思議な動物です。自らは言葉をしゃべれないのだけれど、明らかに人間の言葉を理解して行動している。飼い主の気持ちに共感し、心を通い合わせることができるのです。飼い主を見上げる犬の視線を感じながら、ぼくはよく「コイツ、ほんとは何て言いたいんだろう?」と思います。


 先日、岡谷スカラ座で『僕のワンダフル・ライフ』という映画を観てきました。監督はあの『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』『ギルバート・グレイプ』『HACHI 約束の犬』などで名高いスウェーデン人のラッセ・ハルストレム監督です。これには泣けました。愛犬家必見の感動作です。映画の原題は『A Dog's Purpose』。君を愛し君に愛される。ボクはただただ嬉しかった。ボクは君のそばにずっといると決めたんだ。この世界に君がいてボクがいる。ただ「いま」をいっしょに生きる。という犬目線の映画なのです。この 3月7日にDVD発売されるので、TSUTAYAでもレンタル可能です。ぜひご覧下さい。


 さて、今月の特集は「わが家のアイドル」です。いったいどんな予想外のアイドルが登場するのでしょうか? どうぞお楽しみください。

2018年5月 1日 (火)

『今日までそして明日から』上伊那医師会報(2018年1月号)

      「今日までそして明日から」           

 

 私が生まれた昭和33年は、東京タワーが完成した年です。

 高遠第一保育園年長組の時に東京オリンピックがあり、父に連れられ軽井沢まで馬術競技を見に行きました。小学6年生で大阪万博、中1の冬にあさま山荘事件がありました。森昌子・桜田淳子・山口百恵の「花の中3トリオ」は同学年です。(山口百恵は1959年の早生まれ)マイケル・ジャクソンも、プリンスもマドンナも、小室哲哉もじつは同い年です。

 大学受験は、共通一次試験が始まる2年前で、卒業後は故郷に帰って、信州大学小児科学教室に入局しました。時代はバブル景気に浮かれ、映画『私をスキーに連れてって』が大ヒット。空前のスキーブームで、未明の国道18号線は志賀高原・斑尾・野沢温泉に向かう夜行バスが列をなし、リフト待ち30分〜60分は当たり前でした。

 こうして私は、高度経済成長の右肩上がりの時代の波に乗って、たいした苦労もせず温々と生きてきました。戦前・戦中・戦後と、怒濤の時代に翻弄されながら生き抜いた父母とは大違いです。正直申し訳ないです。

 ただ、西丸震哉氏のベストセラー本『41歳寿命説』によると、公害汚染の環境下、人工着色料・保存料・甘味料など添加物まみれの高カロリー高脂肪、高タンパク食品で育った我々世代から、短命化が急速に進むというのです。私が41歳になった年は、ちょうどノストラダムスが予言した1999年でした。幸いどちらも当たらず、なんとか今日まで生き延びています。

 困ったことに、60歳になる実感がまったく湧きません。現代人の精神年齢は、実年齢×0.7〜0.8 くらいと言われているので、気分はまだ40代なのです。しかし、身体の老化は確実に進行していて、体力低下は言うまでもなく、中でも免疫力の低下がショックでした。マスクをせずに連日診療していても、風邪ひとつひかないことが小児科医としての自慢でしたが、この冬はダメです。軽症だったとはいえ、ウイルス性胃腸炎にすでに2度も罹ってしまいました。この分だと、インフルエンザも危ないかも。情けないです。

 今日も予防接種に来た生後2ヵ月の乳児を診ながら、ふと「この子が成人する頃にまだ日本はあるんだろうか?」と、思ってしまいました。なんて無責任な奴だ。20年先も豊かで平和な生活をこの子らが送れるよう、いま頑張らなければいけないのは我々自身じゃないですかねぇ。

2018年4月25日 (水)

今月のこの一曲『ダチーチーチー』。R&B界の名ドラマー、バーナード・パーディー


YouTube: King Curtis - Memphis Soul Stew

■去年のいつ頃だったか。星野源と細野晴臣の『TV.Bros』での連載「地平線対談」を読んでいて、あっ!と思ったのだ。星野:「今度の新曲『Family Song』では、シンバルを使わないでみようと思ったんですね。60年代末から70年代前半のソウルを聴いていると、シンバルを一回も使ってないんです。ハイハットはあるんですけど…」

気がつかなかったよなあ。R&Bのドラマーはシンバルを使わないのか! 目からウロコでしたよ。ジャズ・ドラマーでは考えられないよなあ。ロック界ではなおさらね。

それで思い出したのが、R&B界の重鎮ドラマー、バーナード・パーディーだ。彼の名は恥ずかしながらつい最近まで知らなかった。初めて記憶に留めたのが、TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』2017年1月14日の放送の回を、たまたまリアルタイムで聴いていた時のことだった。(YouTube に最近まで確か音源が残っていたはずなんだが、検索しても残念ながら見つからない)


YouTube: Alice Clark - Never Did I Stop Loving You

■ちょうど1年前の5月に、たまたま来日していたバーナード・パーディーを、ライムスター DJ JIN と、オカモト "MOBY" タクヤの2人が突撃インタビューした音源は「ニコニコ動画」に残っていたぞ。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm31258691

文章での書き起こしは「こちら」ね。

で、この放送を聴いたレコード会社の人が「ダチーチーチーのCDを出しましょう!」って言ってきたんだって。そうして発売されたのがこれだ。ぼくも買ってしまったよ。ただ、P-VINE だったから、冒頭にあげた『King Curtis / Memphis Soul Stew』は、残念ながら収録されていない。アトランティック・レコードだったからね。


YouTube: V.A.『ダチーチーチー』ティーザー

【追記】:CD「ダチーチーチー」に、契約レーベルの関係で収録できなかった「重要な楽曲」に関して、なんと! MOBYさんが「ダチーチーチー補習編」として、30曲も Spotify にプレイリストを挙げてくれた。

こちらの3曲目に『King Curtis / Memphis Soul Stew』が入っている。続いてアレサ・フランクリン。スティーリー・ダンや、日本人の曲も。

■で、自前のCDで、バーナード・パーディーがドラムを叩いて「ダチーチーチー」しているのを探したんだ。すぐに見つかった! ラリー・コリエル『FAIRYLAND』(フライング・ダッチマン)のラストに収録された「Further Explorations For Albert Stinson」だ。

2018年4月11日 (水)

『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド著(早川書房)を読む

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■最近、ブログの更新が苦痛になってしまった。そうなってしまってはダメなのだ。たとえ月イチでも継続こそ大事。

という訳で、一ヶ月ぶりの更新です。

■『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド著(早川書房)は、ほんとうに面白かった!

ただ、ネタバレなしで読後感想を書くことを拒絶する本なのだな。だから困ってしまう。仕方ないから、読みながらツイートしたものを再録しておきます。 みなさん! ぜひ読んでください。

・ 

このところ読書がちっとも進まない。仕事が忙しいせいもある。『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド(早川書房)は未だ66ページ。主人公逃亡前夜。文章が濃くて、書いてある内容がめちゃくちゃリアルだから、1行も読み飛ばせないのだ。

続き)それにしても驚くのは『地下鉄道』の舞台が、今から200〜150年前のアメリカであることだ。日本では幕末〜明治維新の時代。少なくとも中世ではない。近代だ。それなのになんだ! 白人たちが黒人奴隷に対して日常的に平気で行っていたこと。

続き)そういえば、コーマック・マッカーシーの『ブラッド・メリディアン』はもう少し前の西部開拓時代の話だったが、こちらはネイティブ・アメリカンを虐殺しまくったアメリカ暗黒史が描かれていた(まだ半分も読まずに途中で止まったままなのだけれど)。

続き)で、言いたかったことは、自らの先祖たちが行った忘れてしまいたい過去の残虐な行為を、こうして「小説」として後世に語り継ぐことの大切さをアメリカ人はちゃんと認識していて、しかも、その小説がベストセラーになるっていう事実は、素直に凄いことだと羨ましく思う。

続き)「地下鉄道 UnderGround RailRoad」に関しては、ハリエット・タブマンに関して描かれた絵本『ハリエットの道』(日本キリスト教団出版局)に詳しい。感想を以前こちらに書いた。

http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2014/05/post-b39d.html

 
 
3月7日

コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』は現在 218ページ。主人公はノース・カロライナまで来た。むかしNHKで見た海外ドラマ『タイムトンネル』の感じだ。主人公はいきなり別世界へ放り込まれ苦難の日々が続き、危機一髪のところで別世界へ跳ばされる。リチャード・キンブル『逃亡者』みたいでもあるな

 
 

『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド著、谷崎由依・訳(早川書房)読み終わった。圧倒された。凄い本だ。州名の章にはさまれた「人名」の章は短いが、とにかく読ませる。みな哀れだけれど愛しい。あの残虐な奴隷狩り人リッジウェイでさえ、読み終わればイイ奴だったような気がしてくるから不思議だ。

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