2018年3月14日 (水)

初めての浜松行き

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■ずっと前から、浜松に行ってみたかったのだ。

20年近く前からフォローしてきた「さとなお」さんが、絶賛していた老舗の料理屋さんが、浜松にあったからだ。その名を『弁いち』という。

行きたいけど、遠くて行けないから、数年前から年末に「おせち」を宅配で頼んでいる。確かに、さとなお氏が言う通り、茶色い地味な見た目のお重だった。でも、めちゃくちゃ美味しい。

昨年の3月に銀婚式を迎えたのだけれど、次男の大学受験と重なってそれどころではなくなってしまったので、結婚26年になった今年の3月、一年遅れの銀婚式のお祝いを、浜松の「弁いち」で迎えたいと思った。

さて、伊那市から静岡県浜松市まで行くにはルートはどこが一番近いか? それは、天竜川を下って行くのが最も早い。でも、途中に佐久間ダムとか、平谷ダムとかがいっぱいあるから、カヌーで下るのは無理。

ググると、最短コースは中央道を行って、土岐ジャンクションから豊田に抜けて、浜松まで行くのが一番近いとのこと。それじゃぁ、つまらない。なので、中央道「飯田山本インター」で下車し、国道153号を阿智村 → 平谷村 → 根羽村(ネバーランド!)を通って、愛知県に入ってから左折。国道257号を東栄町へ。愛知県境に、スキー場がいっぱいあって驚く。

その後、国道151号に合流し、鳳来寺町へ。しばらく道沿いに走ると、突然「三遠南信自動車道」のトンネルが出現した。その長いトンネルを抜けると、浜松市だった。(まだまだ続く)

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■しかし、浜松市はメチャクチャ広かった。平成の大合併で、長野県最南端の村「天龍村」と県境で接しているのが浜松市なのだ。(昔は、水窪町だったのだけれど)

なので、浜松市に車で入ってからが長かった。当日宿泊予定の「オークアクト・シティホテル浜松」までには、さらに1時間強かかってしまったのだ。ホテルに着いた後も大変だった。地下駐車場がこれまたメチャクチャ広くて、しかも、ほぼ満車状態で空いている駐車スペースはホテルからそうとう遠かった。

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2018年2月21日 (水)

司馬遼太郎『胡蝶の夢(一)』を読み始める

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■大学の同級生だった菊池君が、正月に久々のメールをくれて、この司馬遼太郎の『胡蝶の夢』を教えてくれたのだ。主人公は、順天堂大学医学部の創始者、佐藤泰然の次男で、江戸幕府御医師の家系「松本家」の養子となった松本良順と、その弟子の島倉伊之助(のちの司馬凌海)。

これは面白いぞ!

ちょうど、月刊誌『東京人』(2018年2月号) の特集が「明治を支えた幕臣・賊軍人士たち」で、医療分野の偉人たちとして、佐藤泰然、佐藤尚中、松本良順、司馬凌海のイラスト・紹介記事が載っている。順天堂は、170年以上の歴史があったのか。驚きだ。

佐藤泰然が天保14年(1843) に開いた佐倉順天堂は、東国一の蘭方医学(外科)と蘭学の養成所だった。同じ頃、大阪では緒方洪庵が「適塾」を開き『花神』の主人公大村益次郎や福沢諭吉らが学んでいた。東の順天堂、西の適塾と言われ、日本の2大蘭学養成学校だった。

■佐藤泰然の父、藤介の出自は、山形庄内藩の農民だった。兇悍(きょうかん)としか言いようのない不良で、このままでは、やがてこの子は鶴岡城外の処刑場の露になるだけだと思った母親が、息子の将来を憂い「ひょっとすると江戸が適うかもしれない」と思い、あり金を集めて旅費として懐中にさせ、郷村からひっぺがすようにして旅に出した。(189ページ)

江戸までの道中15日間、藤介は旅籠に泊まる毎夜女郎を買った。で、江戸の入り口「千住」に着いた時にはすっからかんだった。困った藤介は宿の女衒に相談した。「おれのような男を、どこかへ嵌めこむ腕はあるか」と。で、紹介された先が貧乏旗本・伊奈遠江守の妾が囲われている家の下男の職だ。

住み着いた3日目、妾が用人と密通している現場を目撃。主人殿様の伊奈遠江守に直訴した。その功績で、藤介は伊奈遠江守の用人になってしまうという、うそのような離れわざをやった男である。

そんな策士の息子が佐藤泰然だ。父親の後を継いで伊奈氏の用人となったが、藤介のように巧みな権謀術数を駆使する力はないことを、父親とは正反対の温厚な性格の彼自身が熟知していた。

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■主人公の一人である佐渡の裕福な質屋(町民)の長男「伊之助」は、本を読み始めて直ちにわかる典型的な「高機能自閉症児」だ。幼少の頃から近所の子供たちとは隔離され、蔵の2階で祖父に漢文などの学問を教わり、小便の時以外はハシゴを外され、強制的に勉強するしかない環境の中で育った。だがその驚異的な記憶力は化け物級で、近所でも評判の神童だった。ただ、性格・社会性・空気を読む力が欠落している高IQ児童。

自閉症児には「カメラアイ」と呼ばれる、見えている物をまるで写真で撮ったかのように瞬時に頭の中に焼きつける能力がある。サヴァン症候群とも呼ばれる障害児に時に認められる超人的で不思議な力だ。司馬遼太郎氏も、資料を読むときは「カメラアイ」を駆使していたらしい。

自閉症児が小説の主人公というのは本当に珍しい。しかも日本の時代・歴史小説でね。海外小説でも少ないぞ。『ぼくはレース場の持ち主だ!』パトリシア・ライトソン(評論社)ぐらいじゃないか?

■『胡蝶の夢』が、朝日新聞で連載されていたのは、司馬遼太郎が『翔ぶが如く』を書き終わった、昭和50年代前半だ。当時は自閉症児もアスペルガー症候群も誰も知らなかったはずなのに、司馬遼太郎氏は不思議なことに「高機能自閉症児」の特徴を、まるで見てきたかのように正確に描写する。これは驚きだ! 

あくまで個人的な感想だが、司馬遼太郎氏の身近に「伊之助」そっくりのモデルとなる人物が実際に存在していたのであろうな。

2018年1月18日 (木)

中川村「base camp COFFEE」の、スープカレーと、自家製干し柿

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中川村の陣馬形山に登った、帰りに寄った「base camp COFFEE」。あの時、他のお客さんたちがみな食べていた「スープカレー」がどうしても食べたくて、12月の雪の舞う日曜日の昼に再度訪れた。しかし、なんと予約分で終了で、せっかく1時間かけて出かけたのに、食べることはできなかった。

そこで、今回は出かける前に電話で予約し万全を期したのだった。いや、美味しかったなあ。自家製野菜に微妙に半熟加減を残したゆで卵。爽やかな辛さ加減も絶妙だ。これは確かに癖になる味かも。また行きたい。

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■食後のデザートに、自家製干し柿のクリームチーズ挟みと、コーヒーを注文。干し柿は、2個で300円。いや、これまた美味しかったぞ! オススメです。

2017年12月 7日 (木)

解剖学者・三木成夫先生のことば

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 『解剖学者・三木成夫先生のことば』       上伊那医師会 北原文徳

 

 

 もう10年以上前のことですが、茂木健一郎氏の『脳と仮想』を読んでいて、突然「あっ!」と思ったのです。もしかして「この人」のこと知っている。確か講義も受けたことがあるぞ! と。そこには、こう書かれていました。

 「昔、東京藝術大学に三木成夫(みきしげお)という生物学の人がいたらしい、ということは薄々知っていた。数年前から、ことあるごとに、『三木成夫という人がね』と周囲の人々が噂するのを聞いていた。解剖学の先生で、生物の形態や進化の問題について、ずいぶんユニークなことを言っていたらしい、ということも理解していた。人間の胎児が、その成長の過程で魚類や両生類や爬虫類などの形態を経る、ということを『生命記憶』という概念を用いて議論していたらしいという知識もあった。」(『脳と仮想』新潮文庫 p182 )

 あれは大学2年生の時だから、1978年か。当時、筑波大学医学専門学群・解剖学教室の助教授だった河野邦雄先生が、東京医科歯科大学時代の恩師を毎年初夏に藝大から呼んで、2コマ連続で系統解剖学の特別講義を行っていました。あの時聴いた講師の先生が、まさにその三木成夫先生だったのです。

 いまから40年も前に聴いた学生時代の講義の内容なんて、皆さんほとんど記憶に残っていないしょう? ところが、あの日三木先生が板書したシェーマやスライド、それに妙に熱のこもった先生の言葉が、断片的ではありますが、僕の頭の中には鮮明な映像として今でも焼き付いているのです。それほど強烈なインパクトがあったんですね。『内臓とこころ』三木成夫(河出文庫)の解説の中で、東大医学部解剖学教室の12年後輩にあたる養老孟司氏はこう言っています。

 「三木先生の語り口は独特で、それだけで聴衆を魅了する。東京大学の医学部である年に三木先生に特別講義を依頼したことがある。シーラカンスの解剖に絡んだ話をされたが、講義の終わりに学生から拍手が起こった。後にも先にも、東大医学部の学生を相手にしてそういう経験をしたことは他にない。三木先生の話は、そういうふうに人を感動させるものだった。」

 三木先生は、東大助手から医科歯科大の解剖学教室助教授として転出。ゆくゆくは教授就任と誰もが思った矢先、47歳の若さで突如、東京藝大の「保健センター長」に赴任します。この転身は未だ謎のままですが、当時の藝大生は、難関受験を突破した途端に精神を病んで自殺する学生が多発していたのだそうです。

 これではいけないと危機感を抱いた大学関係者が「いのちの尊さ」を学生たちに実感してもらうべく、医科歯科大から藝大へ芸術解剖学の講義に来ていた三木先生に、学生への個別の精神衛生相談に加え、保健理論と生物学の講義を託したのでした。三木先生は東大学生時代に医学の道を捨てて、バイオリニストとしてプロの音楽家を目指そうとしたことがあり、また医科歯科時代には、自身の不眠と鬱病を克服した経験があったのです。

 

 当時、三木先生から多大な影響を受けた藝大生はたくさんいました。布施英利(1980年入学)村上隆(1986年卒)会田誠(1989年卒)などなど。ただ、三木先生は1987年に61歳の若さで脳出血のために急逝します。したがって、三木先生の講義を直接聴いた学生はそれほど多くはなく、藝大では伝説の名物教授として今でも語り継がれているのです。

 僕が聴いた講義では、三木先生はまず黒板に横長の「土管」と、その断面図を描きこう言いました。「人間はもともと1本の管(くだ)だったのです」と。その管の外側を構成しているのが、体壁系(筋肉・神経・皮膚)で「動物器官」、管の内側は内臓系(腸管・循環・腎泌尿器・生殖)で「植物器官」。その入り口が「くち」であり、その出口が「肛門」です。

 「この口と肛門を同じキャンバス内に納めた人物画を僕は今まで一度もお目にかかったことがないんですよ。描けば間違いなく傑作になるって、藝大の学生たちには言っているんですけどね。」そう言って、三木先生は笑いました。

 ヒトのからだは、地球生命5億年の進化の過程で、ちょうど古い温泉旅館が何度も建て増しして増築と改築を繰り返すように、部位によっては何重にも変形し姿を変えて出来上がっています。例えば、人間の顔の表情筋は魚の鰓(えら)の筋肉が変化したものなのだそうです。

 三木先生は言います。人間の顔は解剖学的には内臓が露出(脱肛)している部分であり、特に唇は感覚がものすごく鋭敏で、いわば内臓の触覚であると。その話を聴いた藝大彫刻科の女子学生が講義のあと教壇にやってきて、三木先生の顔をまじまじと眺め、こう言ったのだそうです。「やっぱり、キスって本物なんですね」

 

 講義の中で、最も印象に残ったスライドがありました。それは、受精38日目のヒトの胎児の顔を三木先生が顕微鏡を覗きながら、正面からスケッチしたイラストです。ちょうど『内臓とこころ』(河出文庫)の獅子頭みたいな表紙イラストが、まさに「それ」でした。

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 「個体発生は系統発生を繰り返す」そのことを実証したのが三木先生です。地球生命5億年の進化を、ヒトは受精32日目~38日目のわずか1週間で駆け抜けます。実際に三木先生がスケッチした胎児の顔貌を見てみると、32日は鰓も露わなフカ(古代魚類)の顔、36日がムカシトカゲ(両生類)、そして38日目はもう哺乳類の顔へと変化している。それは、アマゾンの密林奥深くに生息するミツユビナマケモノの赤ん坊の容貌そっくりなのでした。

 30億年の昔から、30億回春夏秋冬を経験してきた我々の祖先。地球の自転・公転、月の満ち欠け、その太古から変わらない「宇宙のリズム」が、ヒトと共鳴し「内臓感覚」として今でも確かに保存されている。つまり、ヒトのからだの中には、宇宙の広がりと、遙かなる悠久の時の流れが共存しているのだと。それが三木先生が提唱する「生命記憶」なのです。

 没後30年になる今年、三木先生の最後の弟子であった布施英利氏は『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』(海鳴社)を出版しました。表紙のイラストは「うんこ」色をした人体に、口から肛門にかけて「裂け目」が入っていて、カバーを外すと真っ青な海(もしくは宇宙?)が広がっています。すでに5刷の注目本で、三木成夫の世界観を分かりやすく解説した格好の入門書となっています。

 ただ、あの独特の「三木節」を体感するには、埼玉県深谷市にある「さくらんぼ保育園」で、園児の保護者に向けて語られた三木先生の講演録『内臓とこころ』三木成夫(河出文庫)こそ読まれるべきです。この本は本当に素晴らしい! 子供の発達成長の様子が、そのまま人類進化の過程と重なって語られているのです。三木成夫先生のことを、吉本隆明氏から教わった糸井重里さんは、子供が生まれたばかりの知り合いに、よく「この本」をプレゼントしていたとツイートしていました。なんか、ちょっといい話ですよね。

(『長野医報』665号/2017年11月号 p17〜p20 より。一部改変あり)

 

2017年11月17日 (金)

「橋本愛」追補 & 『サウダーヂ』追補

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『週刊AERA 2017.8.28「現代の肖像」より』

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■橋本愛はいま、『POPEYE』に連載ワクを持っている。「橋本愛のカルチャー日記」だ。この12月号で、連載13回になる。とはいえ、僕が知ったのはその前の 11月号で、その号で彼女が取り上げていたのは、BOOKS『ボクたちはみんな大人になれなかった』燃え殻、COMIC『変身のニュース』宮崎夏次系、THEATER『髑髏城の七人 Season鳥』などなど。なかなか渋いセンスじゃないか。

■ただ、彼女の映画趣味の実態を知って心底驚いたのが『映画芸術 2014年春号 449』の特別企画「映画館に通う俳優たち」だった。登場するのは、村上淳・柄本祐・杉野希妃・中村朝佳・二階堂ふみ・橋本愛の6人なのだが、とにかく橋本愛ひとりだけがブッ飛んでいたのだった。少しだけ引用する。

 小学生ぐらいの時には、地元の熊本に「ゆめタウン はません」というショッピングセンターがあって、その中にあるTOHOシネマズで『コナン』を観ていました。

上京してからは、ほとんど映画館に行っていなかったんですけど、『桐島、部活やめるってよ』に出演した時に、周りから「映画は観なきゃだめだよ」と言われて、二年前ぐらいから行くようになりました。最初は勉強みたいな感じで行ってましたが、だんだん小さい映画にも目が届くようになって、自分で作品を掘り下げていくようになりました。

 ”勉強”というのが外れて、自分の意志で映画館に通うようになったのは最近だと思います。時間がある時は、ほぼ毎日行っています。趣味が無いというか、映画を観る以外にやることが思いつかないって感じです(笑)。

(中略)

それでも四月になって高校を卒業したこともあるのか、急に「ロマンポルノが観たい」と思ったんです。それまで観たことがなかったんですけど、純粋できれいなエロが観たいと思ったんです。観てみたら、裏社会がすごく絡んでるお話しばかりで、思い描いていた”純粋できれい”という真っ白なイメージは覆されました。

端くれの世界で描かれているものがとてもきれいだと思えてしまったので、そこからハマりました。石井隆さんの『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)を観て、そこから拍車がかかったというか、どんどん動けるようになりました。

 ロマンポルノを映画館で観られるところは無いのかなと思って探してみて、「新橋ロマン」はすごく安全そうというか、血が通っている感じがして、行ってみようかなと思いました。六月に石橋蓮司さんと宮下順子さんの特集をやっていて、『江戸川乱歩猟奇館・屋根裏の散歩者』と『赫い髪の女』と『昼下がりの情事 古都曼荼羅』を観たことはすごくよく覚えています。(中略)

「新橋ロマン」は、閉館するまでに十回は行きました。ロマンポルノやピンク映画が三本立て上映なので、30本は観ていると思います。(中略)隣の「新橋文化」にも通うようになって、そこで観た『狩人の夜』(1955) は大好きな映画です。

 ロマンポルノ経由で「ラピュタ阿佐ヶ谷」にも通うようになりました。”わたしたちの芹明香”という特集タイトルで、キラキラしていてすごくきれいなチラシに魅せられたんです。これだけ作り込まれるなんて、本当に愛されたいる人なんだなと思って、観に行って、大好きになりました。森崎東さんの『喜劇 特出しヒモ天国』(1975) の芹明香さんが、すごく好きです。主役の作品だったら『まる秘色情めす市場』(1974) かな。(後略)

(『映画芸術 2014年春号 449』40〜41ページより)

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『POPEYE 818 / 2015 JUNE 僕の好きな映画 p98』

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(活字もなんとか読めると思います。)

2017年11月 8日 (水)

「今月のこの1曲」:Pat Martino 『Sunny』

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■オリジナルは、Bobby Hebb(1966)だが、ぼくが「この曲」を初めて聴いて、いいなって思ったのは、オランダの歌姫:アン・バートンが『ブルー・バートン』で歌っているヴァージョン。なんかね、下町の「小股の切れ上がった姐さん」が唄ってる感じ? じつに格好良かったんだ。


YouTube: 「Sunny」 Ann Burton

次に聴いたのは、ソニー・クリスの「サニー」だ。これもよく聴いた。ソニー・クリスのサックスは、西海岸の乾いた音がしたんだよ。根っから明るいカリフォルニアかと思ったら、でも少しだけ陰りがある。そこがたまらない。何だろうなぁ。どーせ俺なんか、チャーリー・パーカーの足下にも及ばないB級サックス吹きでいいんだよって、開き直って演奏している。

ちなみに、このレコードのライナーノーツは、若かりし頃の村上春樹氏が書いている。ピアノは、村上さんが大好きなシダー・ウォルトンだ。


YouTube: Sunny - Sonny Criss

■でも、最近初めて聴いて「おっ!」と思ったのが、パット・マルティーノの『ライヴ!』3曲目に収録されたヴァージョン。これだ。


YouTube: Pat Martino - Sunny

ドラムスが「しゃかしゃか」してるけど、決して出しゃばらない。そのリズム・キーピングのテクニックが、まずは素晴らしい。それから、パット・マルティーノが同じフレーズを「これでもか!」とリフレインして場を盛り上げるのもズルい。そのプレイにつられて、キーボードも熱いソロをカマしてくれているんだ、これが。

■ YouTube 上には、2002年にパット・マルティーノが、ジョン・スコフィールドと共演したライヴ・ヴァージョン(映像)とか、こんなライヴ映像とかもあったぞ。

YouTube: Pat Martino - Sunny - LIVE at Chris' Jazz Cafe


YouTube: Pat Martino Trio with John Scofield - Sunny

■検索したら、オリジナルの Bobby Hebbの音源に加え「この曲」を洋邦問わずいろんな人たちが歌う、数々のカヴァー・ヴァージョンを集めた「まとめサイト」を見つけた。驚いたな。ラストに収録されているのは、なんと、勝新太郎が歌っている「サニー」なのだ。

2017年11月 6日 (月)

伊那のパパス絵本ライヴ(その133)上伊那郡「飯島町・子育て支援センター」

■11月3日(金)文化の日は、飯島町図書館の東側に新しくできた「飯島町・子育て支援センター」へ。

   <本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ →全員

2)『どっとこ どうぶつえん』中村至男・さく(福音館書店)→北原

3)『いろいろおんせん』増田裕子・文、長谷川義史・絵(そうえん社)→全員

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4)『万次郎さんとおにぎり』本田 いづみ 文 / 北村 人 絵(こどものとも年少版)→坂本

5)『かごからとびだした』(アリス館)→全員

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5)『へんしんおてんき』あきやまただし(金の星社)→宮脇

6)『おーいかばくん』(うた)→全員

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7)『なんでやねん』中川ひろたか・文(世界文化社)→倉科

8)『おふろで なんでやねん』鈴木翼・文、あおきひろえ・絵(世界文化社)→倉科

9)『ふうせん』(アリス館)→うた全員

10)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)→うた全員

11)『うんこしりとり』(白泉社)→うた全員

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平成29年11月5日(日)付「長野日報」より

2017年10月 4日 (水)

「映画おたく」少女なのか? 橋本愛。

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■今年の「小津安二郎記念蓼科高原映画祭」は、第20回記念の節目を迎え盛大に行われた。ぼくは、9月23日(土)の夕方、茅野市民館で上映された『秋刀魚の味』(1962)と、翌24日(日)の『バースデーカード』(2016)の2本を見てきた。以下は当日のツイートから(一部改変あり)。

今日は、茅野市民会館で小津の遺作『秋刀魚の味』を見てきた。上映前に、主演の岩下志麻さんが素敵な真っ赤のドレスでステージに登壇して映画に関するトーク。有名な巻き尺のシーンとか、アイロンがけの場面とか。颯爽としていて、よく声が通ってカッコよかったなあ。佐田啓二のアパートがある駅。池上線の石川台だったね。

岩下さんは言った。「小津先生は、映画のフレーム内に必ず紅いモノをアクセントに置いたのね。それから小道具の食器とか、九谷、古伊万里。みんなホンモノ。小津先生が行きつけの小料理屋から持ってきて使っていたわ。」


YouTube: GoutDuSake-Ozu

『秋刀魚の味』といえば、岸田今日子がママの「トリスバー」。加東大介と笠智衆がカウンターに並んでいる。笠「けど、負けてよかったじゃぁないか」 加東「そうですかねぇ? う〜ん。そうかも知れねえなぁ。バカな野郎が威張らなくなっただけでもね」

続き)『秋刀魚の味』で使われている映画音楽は、広末涼子が出ているサントリーのCM「のんある気分」で、ロバート秋山が金の斧を持って池の中から登場するシーンに転用されている。斉藤高順作曲の「燕来軒のポルカ」だ。

でも、デジタル・リマスター版の映画って、どうなんだろう。劇場で映画館で古い昔の映画をずいぶんと見てきたけれど、あの雨が降り、左右上下に微妙にブレるフイルムの加減、ぷちぷち言う音声。自宅リビングで寝転びながら見るなら、デジタル・リマスター版のほうが、確かにいいのだけれど。難しいね。

第20回小津安二郎記念蓼科高原映画祭最終日。今日は茅野市民館で、諏訪・茅野・富士見でロケされた映画『バースデーカード』を観る。上映終了後、主演の橋本愛、吉田康弘監督が舞台挨拶。前から4列目の席だったから、スクリーン見上げて肩凝ったけど、愛ちゃんはよく見えた。顔ちっちぇー。やっぱりキレイだなぁ。

映画『バースデーカード』に主演した橋本愛の役名は「紀子」だ。映画の冒頭と後半の大切なシーンで、彼女自身が自分の名前の由来を説明している。ところで「紀子」って、原節子が小津安二郎監督作品『晩春』『麦秋』『東京物語』の3本で演じた役名だ。名字は平山だったり間宮だったり変わるけど、名前はみな「紀子」。その事に、橋本愛さんも監督も触れなかったのが残念。

橋本愛。先週の日曜日に茅野市市民館での壇上トーク。いろいろと発見があった。彼女はまず「映画」を監督で観る。気に入ったら、その監督作品ばかりを見続ける。そのことを彼女は「勝手に個人映画祭」と呼んでいた。面白い娘だなぁ。

続き)映画『バースデイカード』に関して、橋本愛は脚本を読んで「ダメ出し」をしたらしい。

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■映画『バースデーカード』。不治の病のおかされた母親(宮崎あおい)は、10歳になった娘に約束します。毎年「バースデーカード」を彼女に送ると。娘が11歳の誕生日を迎えた日、すでに母親はこの世にいません。リビングに笑顔の写真があるのみ。

けれどもこの日、お父さん(ユースケ・サンタマリア)は、母親から彼女宛の「バースデーカード」を取り出したのです。それから毎年、彼女の誕生日に母親からの「バースデーカード」が届きました。その内容は毎回違っていて、おいしいクッキーの作り方とか、上手なキスの仕方とか、ちょうど「スパイ大作戦」の冒頭、フェルプス君に当局から指令が来て、メンバーがその任務を苦労のすえ達成するみたいな展開になります。

中学生時代の「紀子」を演じた子が、橋本愛に雰囲気がそっくりで驚きです。高校生になった17歳の紀子から橋本愛の登場です。この年の母からの指令は、母親の生まれ故郷「小豆島」へ渡って、彼女の同級生たちと「タイムカプセル」を掘り起こすこと。

小豆島では、母親の親友だった木村多江が待っていて、橋本愛を歓待します。木村多江には不登校の中学生の女の子がいて、母娘の関係はギクシャクしています。最初は橋本愛を無視していた娘は、彼女が大好きなバンド「GOING STEADY」と「銀杏BOYZ」のCDを、ある朝、橋本愛に聴かせるのでした。

次のシーン。その娘の自転車を借りて、島の細い道を駆け下りる橋本愛。BGMは、峯田和伸の絶叫が爆音で流れます。ここは「この映画」の中で、最も気持ちがいいシーンだったな。このあと、宮崎あおいと木村多江の当時の確執と友情の回復が語られるのだが、それは映画を見て下さい。

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■さて、19歳の誕生日がやってきます。もちろん、母親からの「バースデーカード」が届きました。しかし、橋本愛は「カード」を開封しようとはしません。どうしてだ? と訝る父親に、彼女は言うのです。「私、イヤなの! おかあさんの思い通りに生かされて行くのが」

正確なセリフを憶えていないのだけれど、「ここ」の部分に関して、橋本愛は監督に意見したのだそうだ。当初のシナリオでは、彼女は素直にずっと「指令」に従っていた。でも、それって嘘じゃない? 彼女の人生は母親のものではなくて、彼女自身の人生でしょ。と。

吉田康弘監督は、彼女の意見を取り入れ脚本を書き換えたという。確かに、この19歳のエピソードが加わったことで、映画が薄っぺらいものではなくなったように思う。

吉田監督は、撮影中のエピソードとしてこんなことを紹介した。

宮崎あおいと子役の「紀子」の撮影現場に、自分の出演シーンはないにも関わらず、橋本愛は何度も通っては、じっと宮崎あおいの演技を見学していた。普通、役者さんはそういうことをしないから驚いたと。

橋本愛は言った。「宮崎あおいさんと共演するシーンは一回しかなかったので、その現場だけで母娘を演じたら嘘になってしまうと思って、宮崎さんが子役の娘と演じる母娘のシーンを一緒に体験することで、母娘の関係をイメージしようと思ったのです」

2017年10月 1日 (日)

中川村の陣馬形山(1445m)登山

■日曜日は天気がいいようだったので、4月に守屋山へ行って以来の山登りを決行。目指すは、頂上から360度の展望が素晴らしいと噂の、中川村「陣馬形山」1445m。

午前8時半に家を出て、9時23分に麓の駐車場を出発。登山口までの2kmの車道の登りが結構キツくて、登山道に入る前にすでにバテ気味で情けない。

じつは、陣馬形山の山頂は「村営キャンプ場」になっていて、舗装された林道を頂上の直近まで自動車で行くことができるのだ。それを徒歩で登る登山道は、この林道を6回横切って直登する。2時間かかった。キツかったな。

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■写真は、登山口から登り始めて60分で到着する「丸尾のブナの木」。樹齢600年! 文明元年(1469年)に、地元の庄屋・宮沢家が諏訪大社へ御神木となるよう植林し、奉納したという。その頃の世の中は、ちょうど「応仁の乱」で京都は荒んでいた。そう室町時代だ。

凄いねぇ。そういえば、長谷川義史さんの絵本デビュー作『おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん』(BL出版)について書いた時に、同じ思いをしたのだった。

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■丸尾のブナから、さらに登ること45分。ようやく山頂に到着。人がいっぱい。みな自動車で来た人ばかりなんだけどね。

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■噂に違わず、素晴らしい眺めでした。眼下の伊那谷河岸段丘。正面には中央アルプスの空木岳と南駒ヶ岳。振り返れば、南アルプスが北の端の鋸岳から仙丈ヶ岳→北岳→間ノ岳→西農鳥岳→塩見岳→悪沢岳→荒川岳→赤石岳→聖岳。みんな見えたよ。

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■午後2時過ぎに下山して、車を駐車した麓の喫茶店「base camp COFFEE」でアイスコーヒー。美味しかった! 他のお客さんたちはみな「スープカレー」を食べていたぞ。これまた美味しそうだったな。

ここは、JAのスーパー「Aコープ」があった場所で、「この紹介記事」とか、最近出た朝日新聞の記事が、なかなかいいんじゃないか?

この次は、スープカレーを食べに来よう!

2017年9月23日 (土)

映画『サウダーヂ』を、赤石商店の蔵のミニシアターで観た!やっぱ凄いな、この映画

■今週の水曜日の午後は休診にしてるので映画を見に行った。妻は美容院の予約が入っていたから別行動。それにしても驚いたな。平日の午後2時開演なのに、満席! 若者やオーガニック系・夫婦、よく訳の分からないオジサン等々が、どこかしこから湧いてきていた。まぁ、俺だって何処からか「わいてきた」得体の知れないオジサンなワケだけれど。みな地元民なのかな? 駐車場の車は松本ナンバーか、諏訪ナンバーだった。(以下は、その日のツイートより。一部改変あり)

空族プレゼンツ、映画『サウダーヂ』富田克也監督作品(2011年)を、東春近の民泊「赤石商店」の蔵の中のミニシアターで観てきた。予想とぜんぜん違った映画だったけど、うん。面白かった。先に『バンコクナイツ』を見ちゃっていたからね、両方出ている人が多いからさ、なんか懐かしい感じがしたんだよ。

続き)『サウダーヂ』だけに出ていた人で、笑っちゃったんだけど、宮台真司。それから「鉄割アルバトロスケット」の中で一番妙な役者さんが、危ないバーのマスター役で出ていた。そうそう中島朋人さん。中島兄弟の兄ちゃんのほう。

それからラストシーンに、文科省の「ゆとり教育」推し進めた、寺脇研氏が刑事役で出演しています。これは、なんだかな。だな。

少し前に甲府の「桜座」へ、姜泰煥(カン・テーファン)のアルトサックスを聴きに行ってきたばかりなので、映画に何度も登場した甲府の盛り場のシーン。そう、ビジネス・ホテル「ドーミー・イン」のあたりね。リアルに場末感があふれていて、しみじみしてしまったよ。

続き)あ、そういえば、あの甲府の商店街アーケード。NHKBSドラマ『奇跡の人』のロケでも使われていたな。峯田和伸くんと麻生久美子が抱き合う重要シーンだった。第7話だったっけ。

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