2009年12月19日 (土)

「Sweet Love Of Mine」Woody Shaw (つづき)

■昨日の夜は、伊那市天竜町「青龍」で「北原こどもクリニック」の忘年会だったため、更新はお休み。とは言え、連日の更新には無理があるな。2〜3日に1回のペースが一番自分のリズムに合っているように思う。

■さて、Woody Shaw のつづき。メジャーレーベル CBS/Columbia と契約し、70年代末〜80年代初頭に遅咲きながらも人気が出て活躍を続けたウディ・ショウだったが、その後が悲劇の連続だった。尊敬する先輩サックス奏者に女房を寝取られ、レコード・ジャケットに何度も登場する最愛の息子も奪われてしまう。失意のどん底に突き落とされたショウ。追い打ちをかけるように、さらなる悲劇が彼を襲う。

1988年、HIV感染が判明して闘病生活を続けていたが、1989年2月、ブルックリンの地下鉄ホームから転落(彼は生来の弱視だった)、左腕の切断を余儀なくされる。これでもう二度とトランペットを吹くことはできなくなった。そのまま同年5月に永眠する。享年44。 ジャズ・トランペッターには悲劇の人が多い。交通事故で早世した天才クリフォード・ブラウン。ジャズクラブで愛人に射殺された リー・モーガン。尿毒症のため、わずか23歳で夭逝した ブッカー・リトル。麻薬に毒されて26歳で逝った ファッツ・ナヴァロ。そして彼、ウディ・ショウ

■メロディ・メーカーとしても名高いウディ・ショウのオリジナル曲で最も有名な曲が、この「Sweet Love Of Mine」だ。初演は、アルト・サックス奏者ジャッキー・マクリーン Blue Note レーベル最後の作品『デーモン・ダンス』B面1曲目に収録されている。1967年12月22日録音。なんか、気持ち悪いジャケットだね。YouTube に音源があった(画像はなし)

■ぼくが一番好きな「Sweet Love Of Mine」は、このオリジナル演奏じゃなくて、同じくアルト・サックス奏者のアート・ペッパーが麻薬離脱治療から復帰して制作した2作目『ザ・トリップ』 A面3曲目に収録された同曲だ。これはよく聴いたな。さんざん聴いた。ちょと気負って肩の力が入った演奏だけれど、ふと、くつろいで力が抜ける瞬間があって、その時、かつての天才プレーヤーだった片鱗がかいま見える、アート・ペッパー。アフリカから押し寄せる波のような重いボサノバ・ビートを刻む、エルヴィン・ジョーンズ。トミー・フラナガンを更にモダンにしたような絶妙なピアノソロを取る、ジョージ・ゲイブルス。みんないい。探したら、YouTube に音源があった(やはり画像はなし)

ウディ・ショウ本人のリーダー・アルバムに「この曲」が収録されたのは案外遅くて、『Master Of The Art』(ELEKTRA /musician) B面2曲目に入っている。これもいいな。1982年2月25日の、ニューヨークはジャズ・フォーラムでのライブ音源。 日本人の演奏では、日野皓正のヴァージョンもあるみたいだが、ぼくは聴いたことがない。ぼくが長年愛聴してきたのは、鈴木勲『BLUE CITY』(TBM-2524) A面2曲目。曲のタイトルが「45th STREET - at 8th Avenue-」と異なるが、中身は「Sweet Love Of Mine」。初めて聴いたのは、伊那にかつてあったジャズ喫茶「アップル・コア」だったと思う。このLPは、当時のジャズ喫茶の人気盤だったのだ。 一番最近聴いて気に入っているのは、『LIVELY』安井さち子 トリオの7曲目。これもいい。 ■最後に、動いているウディ・ショウの画像。こいつは凄い。メチャクチャ格好いいじゃん!

■ ウディ・ショウ(Woody Herman Shaw II,  1944年12月24日 - 1989年5月10日)<今月のこの一曲>

2009年12月17日 (木)

今月のこの1曲「Sweet love Of Mine」 by Woody Shaw

091217_7 ■画像の扱いが、まだよく分からないのだが、今回は小さくなりすぎたかな。この画像をクリックしていただくと、画面が大きくなります。 さて、今日は今は亡き僕の大好きなトランペッター、ウディ・ショウのはなし。 ■ぼくが一生懸命ジャズを聴いていた大学生時代(1977年〜1982年)は、フュージョン全盛で、ストレート・アヘッドなアコースティック・ジャズは隅に追いやられていた。そんな時代でも、志あるジャズ喫茶では 「WOODY SHAW / STEPPING STONES」がよく掛かっていた。例えば、新宿の「DIG」とか、渋谷の「BLAKEY」とか。ぼくは散々聴いたよ、このレコード。だからアナログ盤で持っているんだ。 いま「ググる」と、ウディ・ショウは「悲劇のトランペッター」とか「正当に評価されなかった不遇のトランペッター」という単なる「くくり」になってしまうのだけれど、事実は決してそうじゃなかった。あの頃のウディ・ショウは、ジャズ喫茶では一番の人気者だったのだ。 確か、当時の人気を反映して、来日公演もしているはずさ、ウディ・ショウ。(まだまだ続く) ■<今月のこの一曲>

2009年12月16日 (水)

伊那保育園で、内科健診のあと絵本を読む

今日の水曜日は、午後2時から「伊那保育園」で秋の内科健診。ずっと忙しかったから、この時期になってしまったのだ。全員で30人くらいの小さな保育園なので、健診は30分弱で終了。もう一度年長さんと年中さんに遊戯室へ集まってもらって絵本を読む。



1)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村俊雄・作(福音館書店)
2)『これがほんとの大きさ!』S・ジェンキンズ作(評論社)
3)『もりのなか』マリー・ホール・エッツ作(福音館書店)
4)『子うさぎましろのお話』佐々木たづ・文、三好碩也・絵(ポプラ社)


5月に来た時も思ったけれど、ここの園児たちはすっごく反応がいい。これはどこで読んでもそうなのだが、『これがほんとの大きさ!』を広げると子供たちは次第に興奮してきて立ち上がり、絵本の周りに群がってしまい収集がつかなくなってしまう。今回もそう。でも、次の『もりのなか』を読み始めると、絵本の雰囲気そのままに「し〜ん」と静かに落ち着いて、絵本の中へ自然と入り込んでいったのには驚いた。本に力があるんだね。

クリスマスの絵本は、本当は『クリスマスの ふしぎな はこ』長谷川摂子・作(福音館書店)を読もうと思っていたのだが、昨年でたハードカバーも、「こどものとも年少版」で当初出た月刊版も両方持っているのに、なぜか探しても見つからない。仕方なく結局また『子うさぎましろのお話』を読む。

絵が線が細くて色合いも淡く目立たないので、こういう集団の場での「読み聞かせ」には向かない絵本だ。しかも文章は長い。お話がなかなか終わらないのだ。だから、年中さんには集中力を維持するのが大変だったかもしれないな。でも、みんな一生懸命集中して聞いてくれたよ。ありがたかったな。

ただ、ちょうど物語の中盤、子ウサギ「ましろ」が別人に変身するために付けた「黒ずみ」が、払っても叩いてもぜんぜん落ちなくて泣いてしまう一番いいシーンで、ぼくの携帯が鳴った。いや、マナーモードになっていたので、振動しただけだったけど、ぼくは焦った。ここで絵本を読むのを中断したら、すべてがぶち壊しだ。だから当然ぼくは無視した。しかし、20回以上鳴り続けたな。後で確認したら、医師会の事務長さんからの電話だった。すぐに出なくてごめんなさい。こちらにも事情があったのですよ。


2009年12月15日 (火)

パパズ絵本ライヴ(その60)美篶小学校親子文庫

■12月13日(日)午前10時〜 「美篶きらめき館」で、美篶小学校親子文庫主催の「伊那のパパズ絵本ライヴ」。ぼくは、新型インフルエンザ・ワクチン接種のため欠席。倉科さんが、メールで当日の様子を報告してくれた。前回の訪問は昨年の10月26日で約一年ぶり。今回も大盛況だったようだ。よかったよかった。


「はじめまして」
「コッケモーモー」ジュリエット・ダラス=コンテ作 (伊東)
「どうぶつサーカスはじまるよ」西村俊雄・作 (坂本)

「いろいろおんせん」増田裕子・作、長谷川義史・絵
「カゴからとびだした」

「まくらのせんにん」かがくいひろし・作 (宮脇)
「ねこのおいしゃさん」増田裕子・作、あべ弘士・絵
「メリークリスマスおおかみさん」宮西達也・作 (倉科)

「ふうせん」
「世界中のこどもたちが」

こんな感じです。
僕はわからなかったのですが、伊東先生が言うには、
リピーターなのか、楽器持参の方がいたそうです。
最後に、ピンクのおもちゃのタンバリンを子どもに渡してたそうですが・・・
初めてですよねぇ。
ありがたいことです・・・。


■YouTube に、スティングの「最新スタジオ・ライヴ」を発見。例の「soul cake」を演奏しているぞ。でも、いろんなテレビ番組(イタリアのテレビとか)に営業で出まくってるんだね。



2009年12月14日 (月)

『支援から共生への道』田中康雄(慶応義塾大学出版会)

■昨日の日曜日は、朝9時から午後4時まで、1〜6歳の子供と積み残した喘息の小中学生、合計90人弱に新型インフルエンザ・ワクチンのまとめ接種を行った。予約した後にインフルエンザにかかっちゃった子もいて、キャンセルが出たこともあるが、途中で無駄な患者さん待ちの時間がたくさんできてしまった。もう少しタイトに時間あたりの接種数を増やしても大丈夫なんじゃないだろうか? あと、予診票・カルテ・母子手帳と3カ所に同じこと(ワクチンのメーカー名や製造番号、接種日時、署名印など)を僕が書き込まなくてはならなくて、これが案外時間がかかる。事務スタッフに代行してもらうとかできないものか?


『支援から共生への道』田中康雄(慶応義塾大学出版会)読了。

これは素晴らしい本だ。田中康雄先生って、本当にいい先生だなぁ。まじめで正直で、すっごく謙虚で、でも患者さんのためにはメチャクチャ一生懸命。同じように日々子供たちと接していながら、いつも一段高い所から子供たちを見下しているような小児科医としては、反省させられる事ばかりが書かれている。専門用語を極力使わず、誰が読んでも平易で分かりやすいエッセイだから、1日2日でサッと読めてしまうのだが、何気に「大切な事」が宝石のように散りばめられているので、何度も読み返す必要がある本だ。値段は高いけど買って損はないと思うよ。

この本の帯には、こんなことが書かれている。


「僕に何ができるだろう」と自問自答する児童精神科医が診察室を出て、
教育・福祉関係者とのつながりを広げていく、数々のエピソード。

発達障害への「僕」のまなざしと希望


■ぼくも一度だけ、伊那で田中康雄先生に直接お会いしたことがある。たぶん日本で一番人気のある児童精神科医だから、ものすごく忙しい先生で、週末は全国各地を講演して回っている。去年の5月に伊那へ来て頂いて講演してもらった時も、先生は土曜日の未明に札幌の自宅を出て、新千歳空港から羽田→浜松町→新宿(特急あずさ)→岡谷→(飯田線)伊那へと、午後3時前ようやく会場の「いなっせ」に到着した。この日は講演終了後直ちにタクシーで中央道を塩尻に向かい、特急しなので名古屋へ出て、翌日の講演会場である福井へ行くとのことだった。田中先生のことを待っている人がいれば、どんなに忙しくても何処へでも出向いて行く。本当に真面目で、情熱的で、一生懸命な人だ。

このエネルギーの源は、いったい何なんだろう? ぼくはずっと不思議だったのだが、この本を読んで少しだけ分かったような気がする。田中先生は演劇青年だった。同じく児童精神科医の山登敬之くんと共通していて面白い。田中先生は高校時代に演劇部所属で、大学時代はステージには上がらずに、東由多加・主宰「東京キッドブラザーズ」の芝居を見続けてきたという。


僕にとってのその劇団の魅力は、「脱出の果てに、ユートピアまでたどり着くことができるかもしれないのだ。もし、<私>からさえも脱出して<私達>の世界に旅立ち『共同体』を創り出すことができさえすれば」という意志(それは、今や幻想でしかないのですが)の存在でした。僕は結局<脱出>できないまま幻想から脱却し、共同体を諦め、医師への道を選択しました。その劇団が声高に謳っていた「人と人が手をつなげば、そこには新しい地平線ができる」という世迷い言だけは脳裏に残して(p12)


そう、田中先生は明日への「希望」を信じているのだ。人を信じること。人と共生すること。ただただ人の話を聴くこと。それから、そっと「その人」に寄り添って、焦らずにじっと待つこと。患児とその家族の立場になって、彼らの気持ちに共感すること。なぜ、それができるのか? それは「希望」があるからに違いない。


 

2009年12月12日 (土)

『バッド・モンキーズ』マット・ラフ(文藝春秋)

■一昨日の木曜日は、昼休みに近くの竜東保育園へ自転車に乗って行って、午後2時から年長さんの秋の内科健診。2クラスで60人強。30分で終わったので、残りの時間をいつものように絵本を読んで過ごす。


1)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村俊雄・作(福音館書店)
2)『これがほんとの大きさ!』S・ジェンキンズ作(評論社)
3)『子うさぎましろのお話』佐々木たづ・文、三好碩也・絵(ポプラ社)


1)を読む前に「サーカス見に行ったことある人」って訊いたら、「ハイ、ハイッ!」と、いっぱい手が上がった。木下サーカスかな? それとも、キグレ大サーカスかなって思ったら、一番前の男の子が言った「あのね、名古屋へ行って サルティンバンコ観たよ! 」おいおい、いきなり「シルク・ドゥ・ソレイユ」かよ。でも、この絵本を読むのは楽しいな。「みなさん、拍手をおねがいしまーす」と読むと、子供たちは真剣に「すっごぉい!」って顔をして大きな拍手をしてくれるからだ。それから、最後の出し物の「空中ブランコ」。ブタくんはサクラで最初から仕組まれていたんだね。だって、裏表紙を見ると、ブタくんも他のサーカス団員といっしょにバスに乗ってるもん。


3)は、クリスマスも近いので、しみじみ読んでみる。長いお話なのに子供たちはみな集中して静かに聞いてくれた。地味だけど、ぼくの大好きなおはなし。


■金曜日の昼休みは「いなっせ」7F「こども広場」でお話会。インフルエンザ流行中なので、集まってくれたのは4組の親子のみ。「咳のはなし」をする。気合いが入っていなかったので、20分くらい話して終わってしまう。残りの時間は絵本を読んでお茶を濁す。


1)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村俊雄・作(福音館書店)
2)『クリスマスって なあに』ディック・ブルーナ・作(講談社)
3)『クリスマスのほし』ジョセフ・スレイト・文、フェリチア・ボンド・絵(聖文社)

若いおかあさんの心に、『クリスマスのほし』が輝いてくれたらいいな。


■テルメの帰りに TSUTAYA へ寄って『このミステリーがすごい! 2010年版』を購入。大幅増ページなのに、500円と値下がりしている。出版界もデフレの嵐なのか? これは大英断だね。順位を見て驚いたのは、『バッド・モンキーズ』マット・ラフ著(文藝春秋)が、なんと4位! そんなに傑作か? ぼくも一昨日読み終わったばかりだが、表紙のイラストそのままの雰囲気の内容。めちゃくちゃクールで、ビートの効いたヒップ・ホップのテンポに乗って、軽快にぐいぐい読ませる希有な小説であることは認めるが、これ、ミステリーとしてはルール違反なんじゃない? ぼく的評価は(★★★半)だな。


40過ぎのドラッグ中毒で(でもヘロインには手を出さない節度はある)もしかすると統合失調症ぎみのオバサンが、精神科医を相手に独白する荒唐無稽な話。彼女の話す内容は妄想と幻覚に満ちてはいるが、とにかくメチャクチャ面白い。でも、最初から「語り手 = 騙り手」であることが見え見えで、しかも、読者としては了解不能な領域まで彼女がすぐに行ってしまうので、ついて行けないのだ。これが、例えば「騙り手」の名手である、イギリスのSF作家、クリストファー・プリーストの小説だと、物語の終盤まで騙されていることに全く気が付かないように出来ている。だからこそ、読了後に何とも言えない「現実崩壊感」を味わうことができるのだ。

でも、『バッド・モンキーズ』の読後感は微妙に違うのだ。確かに、最終章の逆転につぐ逆転に「目がテン」になったことは事実。「めくるめく」なりすぎちゃって、何が何だか判らなくなってしまったよ。でもそれは、プリーストの「現実崩壊感」とは違うな。そこが不満だ。


今、冷静になって思い返すと、この小説も実は『闇の奥』とよく似た構造をしている。主人公の独り語りで成り立っていて、主人公は失踪した弟を捜して「ある組織」に加入する。じつは彼女は、弟に対して人には言えない負い目があるのだ。そのことを、面接する精神科医にカミングアウトするところが、この小説の一番の山場なんじゃないかと、ぼくは思う。ちょうど、無免許のアル中私立探偵マット・スカダーが『八百万の死にざま』のラストでカミングアウトするみたいに。


さらに言うと、『長いお別れ』にもよく似ている。なんか不思議とリンクしているのだな。というワケで、さらにリンクするらしい『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド・著、村上春樹・訳(中央公論社)を昨日の夜、高遠町図書館から借りてきたところだ。これを読み終わったら、次はいよいよ『1Q84』か!?

2009年12月10日 (木)

青年は荒野をめざす 『闇の奥』(その3)

■ヨセミテに魅せられたナチュラリスト、ジョン・ミューアは、1838年4月2l日、スコットランドのダンバーに生まれた。『闇の奥』の作者コンラッドは、1857年12月3日、ポーランドの貴族の一人息子として生まれた。日本で言えば江戸時代末期のことだ。この2人に共通することは、青年時代に各地を放浪して歩いたことだ。彼らが目指していた場所とは、荒野(ウィルダネス)だった。ヨーロッパには既に荒野はなかったから、ジョン・ミューアは新大陸アメリカで荒野を探し、コンラッドは暗黒大陸アフリカに荒野を見つけた。

なぜ、青年は荒野をめざすのか?  その問いに答えを見つけようとしたのが、傑作ノンフィクション『荒野へ/ Into The Wild』を書いた、ジョン・クラカワーだ。この本『荒野へ』の構造が、そのまんま『闇の奥』なのだった。アラスカの荒野に廃棄され朽ち果てたおんぼろバスの近くで発見された、マッカンドレス青年の死体。何一つ不自由なく育ったこの青年が、なぜアラスカの荒野の果てで死体となって発見されなければならなかったのか?

クラカワーはまさに「私立探偵」となって、生前のマッカンドレス青年を関わった人間を訪ねて回り、彼の人となりに近づいてゆく。『闇の奥』のマーロウと唯一異なっている点は、マーロウは生きているクルツに出会えたのに、マッカンドレス青年は最初から死んでいて、彼本人の話をクラカワーは聴くことができなかった点だ。


でも、マーロウとクラカワーが見つけた失踪者の心の闇には、ただただ荒野(ウィルダネス)が広がっているだけなのだった。青年は意味もなく荒野(ウィルダネス)に魅せられる。そこでは生命の危機が(もちろん、それより先に精神の危機が)待っているに違いないのに。そういうことなのだ。この感覚は、女性には決して理解できないと思う。クルツ氏の許嫁が、完璧に誤解していたように。

2009年12月 9日 (水)

コンラッド『闇の奥』 つづき

■さて、しがない私立探偵への一番多い依頼仕事は、失踪した人間の「人探し」だ。手がかりは、失踪者を知る人を次々と訪ねて歩き、聞き込み調査をして少しずつ「その人となり」の情報を増やしてゆくのが私立探偵の常道。そうやって聞き込みを続けていくうちに、私立探偵は失踪者に一度も会ったことがないにもかかわらず、いつしか「その人」のことを誰よりもよく理解し、共感するようになっている。さらに言えば、「その人」のことを恋してしまっているのだ。


ぼくが初めて読んだハードボイルド小説は、ローレンス・ブロックの『暗闇にひと突き』だった。アル中の無免許私立探偵、マット・スカダー・シリーズの中の1作。傑作『八百万の死にざま』の一つ前の小品。これがなかなかによかったのだ。次に読んだのは、たしか、ジェイムズ・クラムリーの『さらば甘き口づけ』。チャンドラーの『長いお別れ』を読んだのは、それからもう少し後だったように思う。

■ここでもう一度『闇の奥』に戻るけど、この小説の語り手「マーロウ」は一人語り(一人称一視点)で、失踪者「クルツ」を捜索するためにコンゴ川をさかのぼって行く。謎の人物「クルツ」の人となりは、いろんな人から話を聴きながらイメージしていくしかない。河口近くの出張所で出会った会計士、中央出張所の支配人とレンガ積み師。さらに、奥地主張所近くで出会った道化師のような衣装を着たロシア青年。それからクルツ氏のいいなづけも。彼らはそれぞれに「クルツ氏」のことを語る。自分の「主観的な言葉」で。


マーロウは、彼らの言葉を頭の中で組み合わせながら、次第に「クルツ氏」のイメージを固めてゆくのだ。だから、マーロウは実際にクルツ氏に会う前から「クルツ氏」のすべてが既に判っていたに違いない。


それで、ふと思いついたのだが、チャンドラーが考えたハードボイルド小説の構造は『闇の奥』が元になっているのではないか。っていうことは、村上版『長いお別れ』である『羊をめぐる冒険』の原典もやはり『闇の奥』なのか? つまり、「鼠」イコール「クルツ氏」なのだから。なんか面白いな。


『闇の奥』をもう少し深く掘り下げるためには、もう一つのキーワード、ウィルダネスについて考察する必要がある。ウィルダネスは、wilderness で、ワイルダネスとは発音しない。日本語で「ワイルド」と言うと、野生とか荒野とか野蛮とか、そんなイメージか。でも、西洋人(ヨーロッパ人+アメリカ人)にとっては「荒地」のイメージなのだ。そう、エリオットの詩集「荒地」。荒野に対するイメージが、日本人とは決定的に違う。


そのあたりのことを理解するためには、『荒野へ』ジョン・クラカワー著(集英社文庫)を読む必要がある。(もう少し続く)

2009年12月 8日 (火)

『闇の奥』コンラッド著、黒原敏行・訳(光文社古典新訳文庫)

■きのうの月曜日は、夜7時から伊那中央病院救急部で「小児科一次救急」の当番。救急車が次々と何台も入ってきて、救急部の先生方は大忙し。ところが、小児一次救急には患者さんは来ないので、8時45分まで誰も診ずに延滞していた長野県衛生部に提出する書類書きと、先日から読み始めた『バッド・モンキーズ』(文藝春秋)を46ページまで読み進む。もしかしてこのまま一人も診ずにお終いか? と思ったら、日系ブラジル人の1歳4ヵ月の女の子が発熱で受診。インフルエンザ迅速診断は陰性。元気もいい。母親が仕事に出ている昼間、子供を預かっている叔母さんが不安になって受診したようだ。実際、母親と娘はぜんぜん心配してない様子。

夜9時10分。拘束時間の9時を過ぎたので、さて帰るかと椅子を立ったら、次の患者さん。救急部の先生は救急車の重症患者さんの対応で手が回らない。仕方なく僕が診ることに。患者さんの兄妹は、昨日の当番医で診た子だ。インフルエンザは陰性だった。高熱が続くので不安になって受診したという。顔を見るなり思わず言ってしまった。「おかあさん、せっかく来たのに、ぼくが救急当番でごめんね」


その後も続々と救急車が到着し、救急部の先生方には、今日は大当たりの日だったようだ。軽症で後回しにされた父子が未だ診てもらえずにいたので、結局ぼくが診る。やはりインフルエンザ陰性。でも、2日前に手良保育園に通う4歳の姉がフルー陽性だったとのことで、結局患児にはタミフルDSを処方した。よる10時20分。残業を終え、伊那中央病院の駐車場へ出ると、底冷えの夜がそこに待っていた。さっぶーい!


『闇の奥』コンラッド著、黒原敏行・訳(光文社古典新訳文庫)読了。

う〜ん、よく分からんかった。『血と暴力の国』『ザ・ロード』の著者、コーマック・マッカーシーの訳者である黒原敏行氏の新訳とのことで読んでみた。確かに訳文はすごく読みやすいのだが、独り善がりで思わせぶりな主人公マーロウの語りでは、彼が崇拝しかつ嫌悪する魔境の帝王「クルツ」の実像がぜんぜん見えてこないのだ。最後まで読めば
分かるのかもしれない、そう信じて読み続けたのだが、肝心のクルツさんがほとんど何も語らないので、結局ぜんぜん分からなかった。


まぁ、「この本」を原作とした映画、フランシス・コッポラ監督の『地獄の黙示録』を実は未だ観てなかったりするので、まずは「この映画」を TSUTAYA から借りてきて、ちゃんと観てから感想を述べたほうがいいのかもしれないな。


キーワードは幾つか見つかった。まずは主人公の名前、マーロウ。ハードボイルド小説の大家、レイモンド・チャンドラーの本に登場する私立探偵の名前がマーロウであることは、決して無関係ではあるまい。それから、ウィルダネス。スペルは、wilderness 。「訳者あとがき」に書かれた「この言葉」を目にして、ようやく少しだけ「この小説」が理解できるような気がしてきた。(もう少し続く予定)

2009年12月 7日 (月)

最近買ったCD(その1)

■昨日、日曜日の当番医は予想以上に大変だった。120人近くの受診患者さんの約半数がインフルエンザ。午前中で、今まで密かに貯めこんであったはずのタミフルDSがすべて無くなった。仕方なく、午後の患者さんにはタミフル・カプセルを外してビオフェルミンと混ぜ、体重あたりの量に換算して処方した。それでも、スタッフ一丸となって、午前午後「休みなし」で頑張ったので、夕方6時半には終了した。やれやれ、疲れたね。


■閑話休題。最近買ったCDで、気に入ってよく聴いているのをご紹介します。

What_color

『What color is love』Terry Callier


このCDは、例の「カフェ・アプレミディ」店主の中村智昭さんのオススメ。内容はジャズではなくて、1970年代のマイナーな「Soul Music」なのだが、妙に「スピリチュアル・ジャズ」っぽいところが不思議なCD。あと、「ジャケット」がめちゃくちゃシブイね。


Lively

LIVELY』安井さち子 トリオ


この人は、このCDで初めて聴いた。なかなかいいじゃん。基本、ラテンなんだね。ブラジルじゃなくって、サルサ 〜 キューバ音楽のテイストの人。それで指のタッチが縦ノリで強いから、妙に男っぽいピアノなのだ。案外いいんじゃないかな。気に入った。もう少し聞き込んでみよう。

う〜ん、画像が大きくなりすぎたぞ。カスタム設定しないとダメなんだな。


Powered by Six Apart

最近のトラックバック