« コンラッド『闇の奥』 つづき | メイン | 『バッド・モンキーズ』マット・ラフ(文藝春秋) »

2009年12月10日 (木)

青年は荒野をめざす 『闇の奥』(その3)

■ヨセミテに魅せられたナチュラリスト、ジョン・ミューアは、1838年4月2l日、スコットランドのダンバーに生まれた。『闇の奥』の作者コンラッドは、1857年12月3日、ポーランドの貴族の一人息子として生まれた。日本で言えば江戸時代末期のことだ。この2人に共通することは、青年時代に各地を放浪して歩いたことだ。彼らが目指していた場所とは、荒野(ウィルダネス)だった。ヨーロッパには既に荒野はなかったから、ジョン・ミューアは新大陸アメリカで荒野を探し、コンラッドは暗黒大陸アフリカに荒野を見つけた。

なぜ、青年は荒野をめざすのか?  その問いに答えを見つけようとしたのが、傑作ノンフィクション『荒野へ/ Into The Wild』を書いた、ジョン・クラカワーだ。この本『荒野へ』の構造が、そのまんま『闇の奥』なのだった。アラスカの荒野に廃棄され朽ち果てたおんぼろバスの近くで発見された、マッカンドレス青年の死体。何一つ不自由なく育ったこの青年が、なぜアラスカの荒野の果てで死体となって発見されなければならなかったのか?

クラカワーはまさに「私立探偵」となって、生前のマッカンドレス青年を関わった人間を訪ねて回り、彼の人となりに近づいてゆく。『闇の奥』のマーロウと唯一異なっている点は、マーロウは生きているクルツに出会えたのに、マッカンドレス青年は最初から死んでいて、彼本人の話をクラカワーは聴くことができなかった点だ。


でも、マーロウとクラカワーが見つけた失踪者の心の闇には、ただただ荒野(ウィルダネス)が広がっているだけなのだった。青年は意味もなく荒野(ウィルダネス)に魅せられる。そこでは生命の危機が(もちろん、それより先に精神の危機が)待っているに違いないのに。そういうことなのだ。この感覚は、女性には決して理解できないと思う。クルツ氏の許嫁が、完璧に誤解していたように。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.dcnblog.jp/t/trackback/463039/22551393

青年は荒野をめざす 『闇の奥』(その3)を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

Powered by Six Apart

最近のトラックバック