コンラッド『闇の奥』 つづき
■さて、しがない私立探偵への一番多い依頼仕事は、失踪した人間の「人探し」だ。手がかりは、失踪者を知る人を次々と訪ねて歩き、聞き込み調査をして少しずつ「その人となり」の情報を増やしてゆくのが私立探偵の常道。そうやって聞き込みを続けていくうちに、私立探偵は失踪者に一度も会ったことがないにもかかわらず、いつしか「その人」のことを誰よりもよく理解し、共感するようになっている。さらに言えば、「その人」のことを恋してしまっているのだ。
ぼくが初めて読んだハードボイルド小説は、ローレンス・ブロックの『暗闇にひと突き』だった。アル中の無免許私立探偵、マット・スカダー・シリーズの中の1作。傑作『八百万の死にざま』の一つ前の小品。これがなかなかによかったのだ。次に読んだのは、たしか、ジェイムズ・クラムリーの『さらば甘き口づけ』。チャンドラーの『長いお別れ』を読んだのは、それからもう少し後だったように思う。
■ここでもう一度『闇の奥』に戻るけど、この小説の語り手「マーロウ」は一人語り(一人称一視点)で、失踪者「クルツ」を捜索するためにコンゴ川をさかのぼって行く。謎の人物「クルツ」の人となりは、いろんな人から話を聴きながらイメージしていくしかない。河口近くの出張所で出会った会計士、中央出張所の支配人とレンガ積み師。さらに、奥地主張所近くで出会った道化師のような衣装を着たロシア青年。それからクルツ氏のいいなづけも。彼らはそれぞれに「クルツ氏」のことを語る。自分の「主観的な言葉」で。
マーロウは、彼らの言葉を頭の中で組み合わせながら、次第に「クルツ氏」のイメージを固めてゆくのだ。だから、マーロウは実際にクルツ氏に会う前から「クルツ氏」のすべてが既に判っていたに違いない。
それで、ふと思いついたのだが、チャンドラーが考えたハードボイルド小説の構造は『闇の奥』が元になっているのではないか。っていうことは、村上版『長いお別れ』である『羊をめぐる冒険』の原典もやはり『闇の奥』なのか? つまり、「鼠」イコール「クルツ氏」なのだから。なんか面白いな。
■『闇の奥』をもう少し深く掘り下げるためには、もう一つのキーワード、ウィルダネスについて考察する必要がある。ウィルダネスは、wilderness で、ワイルダネスとは発音しない。日本語で「ワイルド」と言うと、野生とか荒野とか野蛮とか、そんなイメージか。でも、西洋人(ヨーロッパ人+アメリカ人)にとっては「荒地」のイメージなのだ。そう、エリオットの詩集「荒地」。荒野に対するイメージが、日本人とは決定的に違う。
そのあたりのことを理解するためには、『荒野へ』ジョン・クラカワー著(集英社文庫)を読む必要がある。(もう少し続く)
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