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2011年2月23日 (水)

『海炭市叙景』(つづき) 函館、そして高遠。

■『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)を読み終わり、いまふたたび
最初の一篇「まだ若い廃墟」を読んでいる。やはり、この一篇が一番凄い。こうしてあらためて読むと、さらに切々と胸に迫るものがあるな。

文庫本の表紙は、海抜389m の函館山だ。

第一章、第二章それぞれ9篇ずつ、計18篇の短編が収められた「この本」では、主人公ではないが重要な登場人物である「まだ若い廃墟」のお兄ちゃんと「裸足」のアノラックの男を入れれば、海炭市に暮らす20人の仕事と生活が描かれている。それはちょうど、「まだ若い廃墟」の中で21歳の妹が以下のように呟くことと呼応している。


 夏の観光シーズンには、他の土地からたくさんの人たちが夜景を見る目的であわただしくやって来る。人口三十五万のこの街に住んでいる人々は、その夜景の無数の光のひとつでしかない。光がひとつ消えることや、ひとつ増えることは、ここを訪れる人にとって、どうでもいいことに違いない。それを咎めることは誰にもできない。(『海炭市叙景』12ページ)


この本の登場人物である彼らが、朝な夕な折に触れてふと見上げるのが、街のどこからでも目に入る「この山」だ。人々の日々の生活に根ざした山。冬も春も、夏も秋も四季折々で「この山」は表情を変える。


ぼくはふと、自分が生まれ育った町「高遠」のことを思った。

そこにはやはり、町を静かに見下ろす「山」があったからだ。
東を見上げれば、南アルプス仙丈ヶ岳 (3033m) 、夕日が沈む西側には中央アルプスの山々。


ぼくは小さい頃から毎日、朝な夕な「この山」を見て育った。いま住む伊那市街からも、高台に上がれば仙丈ヶ岳はよく見えるが、やはり高遠からの角度から見た仙丈が一番迫力があり恰好もいい。


■高遠に生まれ育った作家、島村利正は、小説「庭の千草」の冒頭で仙丈ヶ岳と高遠の町の佇まいをじつに印象的なタッチで紹介している。そうして小説のラストでは、夕日に暮れる中央アルプス西駒ヶ岳と高遠の街並みが描かれる。島村氏の故郷「高遠」が登場する小説は、このほかにも「仙醉島」「城趾のある町」「焦土」「妙高の秋」「奈良登大路町」「江島流罪考」などがある。


島村利正氏は、十代半ばで高遠の町と家族を捨て、家出同然のようにして奈良飛鳥園へと出て行ってしまう。以来、島村氏が高遠で暮らすことはなかった。でも、このとき高遠の町を離れなければ、作家:島村利正は誕生しなかったわけで、運命の不可思議を感じてしまう。


■『海炭市叙景』の作者である佐藤泰志氏は、このウィキペディアを読むと、函館西高等学校を卒業し1970年に上京。國學院大學卒業後も東京に留まり、仕事の傍ら作家活動を続けるが心身不調が続き、1981年に生まれ故郷の函館に家族4人で転居。小説「きみの鳥はうたえる」が第86回芥川賞候補作となったことを契機に、翌年再び東京に戻り国分寺の借家で作家活動に専心する。


この頃のことを回想した、佐藤氏の長女への「インタビュー記事」(北海道新聞)が壮絶だ。佐藤氏本人も、妻も子供らも修羅の毎日だったのだのだなぁ。


この記事を読んで、ぼくはふと『海炭市叙景』第二章の5篇目「昂った夜」に登場する、老父母を大声で怒鳴りつける喪服の男が佐藤泰志氏本人のように感じてしまった。


佐藤泰志氏に比べれば、先だって芥川賞を取った西村賢太氏なんて「甘ちゃん」なんじゃないか?

■ところで、佐藤氏と同年代の作家として村上春樹氏がいるわけだが、ふと、村上春樹氏も『海炭市叙景』のような感じの本を出していることに気がついた。それは、『アンダーグラウンド』だ。しかし、『海炭市叙景』のハードカバー本が集英社から出版されたのが 1991年だったのに対し、『アンダーグラウンド』が出版されたのは、1997年だった。

■ここまで書いて、再び「まだ若い廃墟」を読み始める。

 夜がすこしずつ明けはじめた。(中略) 陽が水平線に顔を覗かせると、周囲に歓声が起こった。(中略)

兄も黙って太陽を見つめていた。ところどころで歓声がもれ、ふたたび溢れるばかりの喜びの声が戻りかけても、兄の表情は変わらなかった。なんだか放心しているように見えた。わたしはそんな兄を一瞬見上げ、ついで下唇を軽く噛んで海の方に視線をやった。

 兄はあの時、なぜ黙っていたのだろう。わからない。その沈黙がわたしに移った時、一瞬、心をよぎったものがある。けれど、それとてもはっきりとはわからない。あれは一体なんだったのだろう。(中略)


 そうだった。あの時、わたしはこの街が本当はただの瓦礫のように感じたのだ。それは一瞬の痛みの感覚のようだった。街が海に囲まれて美しい姿をあらわせばあらわすほど、わたしには無関係な場所のように思えた。大声をあげてでもそんな気持ちを拒みたかった。それなのにできなかった。日の出を見終わったら、兄とその場所に戻るのだ。(『海炭市叙景』17〜18ページ)


■この文庫本が出版されるのに尽力した、小学館の編集者、村井康司氏はジャズ評論家としても有名な人だ。村井氏の Twitter を読んで初めて気がついたことだが、『海炭市叙景』の中で「一人称」で語られるのは、この「まだ若い廃墟」と「一滴のあこがれ」の2篇のみなのだな。どうにもならない絶望の向こうに、微かな希望の光を感じさせる、まだ若い兄妹の妹と、中学2年生の男の子だ。

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