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2012年12月23日 (日)

『ゴーイングマイホーム』第10話(最終回)感想の追補

■ゴンチチの「サントラ」を iTunes Store で購入した。槇原敬之「四葉のクローバー」もいっしょにダウンロードして最初と最後に入れ、CDに焼いて診療中にずっと流しているのだ。聞いていて、なんとも優しい気持ちになれる。


■最終話の感想の追補

「このサイト」を見ると、最終話のロケに夏八木勲さんが参加しているのだが、実際のオンエアーでは夏八木さんは登場しない。いや、顔は映らないが、最初のほうでヤスケンが焼香する場面の向こうに横たわっている遺体を実際に演じたのだろうか?

でも、この最終回に遺体になった夏八木さんの顔を撮さないのには、意味がある。大いにある。伊丹十三『お葬式』では撮していたし、棺桶の中の遺体から見た「棺桶を覗き込む遺族」のカットまであった。


遺影を吉行和子が急に変えたいというシーンが前にあって、札幌五輪、笠谷幸生の金メダルジャンプを真似る息子の膝を、しっかりと支えた父親の手の感触がありありと甦った阿部寛が、ふと父親の遺影に視線を移す場面がある。すると、遺影の夏八木勲が笑っているのだ。ここで父と息子が繋がる。この大切なシーンのために取っておいたんだね。きっと。


・ぼくは、サントリー「金麦」のCMで檀れい演じる「夫の帰りを待つ妻」が大嫌いなんだ。あんな奥さん、世の中に絶対いないよ。いるワケないよ。それこそアナクロ男のファンタジーだ。最近同じようなCMがまた出てきて鬱陶しい。「新キャベジンコーワS」の常盤貴子。もう、やめてくれと言いたい。ぜんぜんリアリティがないじゃないか。


でも、この最終話ラストシーンでの山口智子にはリアリティがある。それは、第1話から欠かすことなくずっと見続けてきた視聴者だけに共有することが許された「妻のやさしさ」であり「めしあがれ」なんだと思う。

感想のツイートを読んでいたら、連続ドラマじゃなくて「2時間ドラマ」くらいだったらよかったんじゃないか、という感想が散見されたが、それは違うと思う。

NHK朝ドラの傑作『ちりとてちん』『カーネーション』は最初からずっと見続けてきたけれど、放送終了後に作られた「総集編」は、なんだかぜんぜん味わいがなくてつまらなかったな。是枝監督がインタビューで言っているが、映画では不可能な「この長さ」が大事だったんだ。


■ジョン・バーミンガムの絵本に『おじいちゃん』という絵本があって、大好きなおじいちゃんがいつも座っていた椅子が、終わりのほうで空席のまま描かれているページがある。何も言わなくても、何も説明しなくても、絵本を見れば全てが理解できる。そういうものさ。


■あと、ぼくが子供だった頃の「ホームドラマ」ってさ、たいがい家族そろってごはん食べているシーンがあった。『時間ですよ』とか『寺内貫太郎一家』とか。あと、池内淳子の『女と味噌汁』とか。毎回、特にこれといった劇的展開なんてなかったなぁ。いっぱい笑って、最後に何となくしんみりする。いつもそんな感じだった。それで十分満足してたんだ。

そんなことも思い出したりした。

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