2021年5月27日 (木)

映画『きみが死んだあとで』を観てきた(松本シネマセレクト)

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写真をクリックすると、大きくなります。文字も読めるようになります

以下、ツイートを改変再構成したのもです。

■今日(5月23日の日曜日)は松本まで行って、3時間20分もある映画『きみが死んだあとで』を観てきた。全く退屈しなかった。面白かった。上映後の代島治彦監督と信濃むつみ高校の教頭だった竹内忍先生との1時間に及ぶ対談も聴き応えがあった。頑張って出かけて行って良かった。

代島治彦監督は1958年の早生まれで、ぼくより1つ上の学年だ。監督はシラケ世代と言ったが、竹内先生とぼく(同じ1958年生まれ)は「遅れてきた青年」の感覚だった。映画のラスト。監督が羽田弁天橋の欄干に山崎博昭さんの肖像写真を掲げる。雨が降っている。写真のアップ。その雨粒が山崎さんの目から流れた涙に見えた。

ただ、帰宅後に先だって伊那の平安堂書店で買ってきた『映画芸術』最新号 p44〜p53 に載っている、当時バリバリの活動家だった、亀和田武、絓 秀実、小野沢稔彦、荒井晴彦の座談会「1967.10.8 以後の新左翼の変容と敗北 ---- 革命闘争の死者は聖化できるのか」を読んで「う〜む」と考え込んでしまった。だったら、あんたらちゃんと自分たちの言葉で総括してよ。そう思った。

1967年10月8日。この日、佐藤栄作(岸信介の弟)総理大臣が南ベトナム訪問のため羽田から飛びに立つのを阻止すべく、全国各地から「ベトナム反戦」を訴える大学生たちが羽田へ通じる「橋」を目指し集結した。この映画の主人公、山崎博昭(18歳・京都大学1年生:中核派)も仲間と共に京都から深夜夜行バスに乗って駆けつけたのだった。

ただこの日の前日に、法政大学構内において中核派による革マル派幹部への「内ゲバ」リンチが行われていたこと。それから、この日初めてデモプラカードに見せかけた角材(後のゲバ棒)とヘルメットが参加学生たちに支給され、最初の武装闘争となった事実は重要だ。

羽田弁天橋の上で機動隊に撲殺された山﨑の死後、学生たちの暴力は加速化してゆく。投石、火炎瓶。同時に、体制側の機動隊もどんどん武装化していった。内ゲバ殺人も日常化していく。

でも、1969年東大安田講堂での敗北後、学生運動は地下へ潜り、大衆を巻き込んだ大きなうねりの活動から、爆弾テロ、ハイジャックといった、より過激な闘争活動へと突き進んでゆく。その行き尽きた果てが、連合赤軍のリンチ殺人と、浅間山荘での銃撃戦だった。

映画を観たあとになって初めて、この大友さんへのインタビュー動画を見た。師匠「高柳昌行」に対する複雑な想いを、これほど率直に正直に語る大友さんて、初めて見た気がする。これは貴重な動画だな。


YouTube: 『きみが死んだあとで』特別対談①/大友良英(本作音楽)×代島治彦 監督

続けて加藤登紀子さんへのインタビュー。これまた引きつけられる。格好いいなあ。でも、どこか映画の後半、ベトナムのホーチミン市で演説する、元東大全共闘代表の山本義隆氏と重なる感じがした。僕らは決して間違ってはいなかったのだと。


YouTube: 『きみが死んだあとで』特別対談④/加藤登紀子(シンガーソングライター)×代島治彦 監督

・四方田犬彦氏は、小熊英二『1968 上・下』を徹底的に批判していて可笑しい。


YouTube: 『きみが死んだあとで』特別対談③/四方田犬彦(映画誌・比較文学研究)×代島治彦 監督

続き)映画を見ていて少し違和感を持ったのが、佐々木幹郎氏の笑顔だ。彼の詩は「行列」(僕も学生たちのデモ行進の詩だと思った)しか読んだことはない。所有の『やさしい現代詩』にはCDも付いていて、作者自らの朗読が収録されている。その中では彼の朗読は、聴いていてなぜか堪えられない嫌みがあった。個人的な思い込みですみません。でも、「おいらいち抜けた」ってどうよ? ヤクザの世界で「抜ける」のは至難の業だ。セクトから抜けるのって、そんなに簡単だったの? まったく説得力がない。

「記憶」って、ナラティブなんですよね。その時の自分の都合がいいように自由に書き換えることができる。その人の人生って、結局は「物語=ナラティブ」に変換して自分で納得するしかないんですよね。そうじゃないと、この理不尽な世界なんて生きていけないから。

自分の「記憶」という「過去」は、いくらでも変更できる。でも「未来」は既に厳粛に決まっていて、決して自分の思い通りにはならない。というのが、カズオ・イシグロの小説の主題だと思う。『わたしを離さないで』とかね。

また続き)逆に映画を観ていて最もシンパシーを覚えたのは黒瀬準氏と島元恵子氏だ。黒瀬氏は、大手前高校3年生の文化祭で仮装した姿が、山﨑博昭さんの左隣にモノクロ写真に残っている。あの日二人は羽田弁天橋の手前で後衛として配置されていた。しかし、山﨑は我慢しきれず前衛の橋へと走り去る。

その時黒瀬氏は、ヘルメットも被らず、ゲバ棒も持たず徒手空拳で走り去る山﨑を引き留める力はなかった。その悔いを引き摺ったまま、今日まで生きてきた顔をしていた。服装からその後苦労して決して成功者にはなれなかったことが分かった。その歌声は本物だった。

島元恵子さんは、京大教育学部を卒業後、高校の英語教師になった。現在は退職して田舎暮らしをしている。やはり大手前高校の同級生で、10.8 羽田闘争にも参加している。10.17 に日比谷野外音楽堂で開催された「山崎博昭君追悼集会」では、友人代表として弔辞を述べた。その時の「追悼の言葉」をカメラの前で改めて朗読する。

読み終わって、うつむいたままじっと沈黙する島本さん。決して言葉にはできない様々な思いが、彼女の胸のうちに去来する。

それからもう一人印象的だった人物。大手前高校、京都大学ともに山崎の先輩で、京大中核派リーダーだった赤松英一氏だ。イケメンで後輩の女子高生からキャーキャー言われる人気者だった彼は、高校の後輩たちをオルグして中核派に引き入れた。赤松氏は1993年まで中核派の幹部だった。当然、数々の内ゲバリンチ殺人事件の当事者でもあったはずで、そのあたりの事をインタビューで訊かれ、訥々と答えながら途中で何度も押し黙り、言葉を慎重に選んでいた。

自分の胸の裡に留めたまま、墓まで持って行くと決めた事実が、きっと沢山沢山あるのだろうと思った。


さらに続き)あと、映画を観ていて気になった人がいる。デモでパクられた学生たちに差し入れとかして後方援護した救援連絡サンター事務局長、水戸巌の妻水戸喜世子さんだ。彼らは内ゲバ加害者にも差別なく差し入れした。

東大で核物理学の教授だった水戸巌は、生前、反原発運動の理論的先導者だった。しかし、大学生になった双子の息子たちと冬の剱岳に入山したまま吹雪の夜に3人とも谷底へ転落し死亡する。

妻の水戸喜世子さんは、インタビューに答えながら夫と息子達の遭難が事故死ではなかったのではないか?と言う。公安当局か、夫の活動を疎ましく思っていた過激派が当局の情報を得てやったのでは? と。まるで高村薫『マークスの山』じゃないか。

■アフタートークで竹内忍先生も言っていたが、山崎博昭という 18歳で亡くなってしまった同志を、当時を懐かしく想い出しながら仲間で追悼するだけの映画ならば、全く見る気はしなかった。ただ、映画のタイトルが『きみが死んだあとで』だったので、1967年から53年が経って、生き残った彼らが「いま」どう生きているのか? 当時の自分にどう決着をつけているのか? そこにこそ興味があった。

しかし、残念ながらその回答は得られなかったな。

確かに、山崎の死を転機に人生が大きく変わった人もいた。京大を中退し、身体を生業とする舞踏家になって、現在はインドで弟子たちを指導する岡龍二氏だ。ただ他の人たちはどうだったのだろう? インタビューからは、その本心はうかがい知ることができなかった。

2021年4月18日 (日)

『日本再生のための「プランB」』兪炳匡(ゆう へいきょう)集英社新書

■この本、ものすごく面白かったのに、世間ではまったく話題になっていない。ネット上でもあんまりだ。なんだ、誰も読んでないのか?

以下、ツイッターで呟いた感想を編集して再録。

 
もうね、日本は「日の出る国」なんて威張っている場合ではないのだよ。とうの昔に隣国の韓国や台湾、そして中国にも追い抜かれていたのに、誰も気づかない。今や先進国どころか、アフリカか南米(そう言ったら彼らに失礼だけど)並みの後進国(いや後退国か)の政府首脳部の指導のもと破局へと一直線。
この本の「第1章:なぜ『プランA』は日本で失敗するリスクが高いか」を読むと、誰もが僕と同じ(上記のような)つぶやきをするのではないかな。
 
 
『日本再生のための「プランB」医療経済学による所得倍増計画』兪炳匡(ゆう・へいきょう:医療経済学者・医師。神奈川県立保健福祉大学イノベーション政策研究センター教授)英社新書。まだ半分だけれど、これ「地方再生」のための切り札なんじゃないか?特に第3章は必読だ。伊那市の白鳥市長さんにこそ読んで欲しい。
 
 
あ、2021年3月22日発行の集英社新書です。経済関係の本では『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室』中野剛志(KKベストセラーズ)以来の画期的な本だ。富と人材の東京への流出(漏れ)を防げるのは、地方自治体を含む「非」営利組織なのだな。
 
 
『日本再生のための「プランB」』(集英社新書)p127に載っている「バケツの図」がとても分かりやすい。ダム建設とか巨大公共事業は大手ゼネコンが関わるのでバケツの穴から富は地方から東京へ流出する。

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ところが非営利組織は、事業収入を「組織外の株主」に配当することは禁じられているので、非営利部門の収益は東京へ流出することなく地元内に還元・循環し、さらには増収をもたらすのだ。
この事実は、福島の除染作業の問題とか、東北地方の復興事業とかとも密接に関わっていると思うぞ。MMTは政治で動かせるので、どこにお金を出すかだ。それは、地方行政の公務員増員、保健所を中心とした保健予防衛生事業、医療・介護部門、そして大学での基礎研究、教員を増員して小学級教育の実現。
 
それから、演劇・映画・文学・音楽など文化活動への援助こそが必要だ。そういうことを、もっともっと政治家さんたちに理解して欲しい。自民党の人たちは無理だろうけど、野党の人たちには分かって欲しいな。
 
つまり、一言でいえば「大阪維新」が大阪府内で推し進めてきた政治行政と真逆の地方行政を行うことなんじゃないかな。

 『日本再生のための「プランB」 医療経済学による所得倍増計画 』兪 炳匡(集英社新書)読了した。第4章がまた、途轍もなくぶっ飛んでて、あはは!たまげました。面白かったなあ。もっと評判になってよいはずなのに、誰も読んでないの?
 
 
地方行政で一番問題なのは、お金と住民が東京へどんどん流出していることだ。地元からの転出を減らし、首都圏から地方への移住組(Iターン)を増やすべく魅力ある「田舎暮らし」をプレゼンすること。
 
 
そこで著者が提案したのは「物々交換」だ。Iターンしてきた移住家族に、彼らが提供できる(文化人文学的な)仕事と対等の報酬として、地元農協がお米や野菜を提供すれば、移住した彼らの食費は相当軽減されるのだ。消費税もかからないし。
 
 
著者は、薬を使わずに早期治療&健康予防の医療活動として「演劇」に注目している。患者も治療者もいっしょになって舞台に立ち、それぞれが「他者」を演じることで理解を深めることができるのだ。
 
 
ぼくはこの部分を読みながら、あれ? どこかで聞いたことがある話だぞ? そう思った。あ、なんだ。若月俊一院長が、佐久総合病院に赴任して、無知な農民の健康教育のために始めた病院スタッフによる演劇と同じじゃん。アメリカ仕込みじゃないよ。長野県では脈々と受け継がれているのですよ!
 
 
 
 
 
 

2021年4月 7日 (水)

熊本在住の男女2人ユニット「flexlife」がイイぞ!(その2)

■怒濤の連続連夜更新だ!!

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(写真をクリックするとデッカくなります。)

■むかしから「男女二人のペアユニット」が好きだ。

ハンバートハンバートは20年以上前からファンだし、羊毛とおはなも大好き。千葉はなさんは乳がんで亡くなってしまったけれど。最近では、NHK総合『あさイチ!』近江さん登場の最終回にナマ出演ナマ演奏を披露した「T字路's」も、お気に入りだ。

ちょっと思い出してみると、このユニット形態は伝統的なものがあるな。ヒデとロザンナ、チェリッシュ、ダカーポ、赤い鳥だった紙風船。それに、トワエモア。あ、それから地元の伊那市高遠町には「亀工房」前澤夫妻がいるぞ!

■東京は下北沢あたりを根城に、地道な音楽活動を続けていた「flexlife」が何故、いまは熊本で生活しているのか?

大倉健さんと青木里枝さんは、結婚したあとしばらく音楽活動を休止していた。男の子(勘太郎クン)が生まれて、子育てに専念していたからだ。そこへあの、2011年3月11日がやって来る。福島第一原発はメルトダウンした。

彼らは子供を抱えて逃げた。東京からずっとずっと西へ。そうして九州は熊本の田舎に辿り着いたのだった。熊本県宇城市豊野町。(現在は熊本市内へ転居)

そしたら今度は、2016年(平成28年)4月14日。熊本地震が発生。ほんと大変だったんだね。

熊本には、ぼくが個人的に注目している人たちが他にも住んでいる。詩人の伊藤比呂美さんと、坂口恭平さんだ。

彼らが熊本へ移住した後に作ったCD『Wild Cat Blues』を(ごめんやはり中古で)購入して聞いてみた。驚いた! それまでの、アーバンでポップでソウルフルで格好いい音楽はそこにはなかったのだ。正直がっかりした。

■たとえば、ハンバートハンバートの新譜を購入すると、ぼくは処置室に置いてあるラジカセで診療時間中ずっとリピートして延々と聴いている。看護師さんたちはさぞや迷惑してるに違いないのだが、そこは院長の特権で、とにかく繰り返し繰り返し聴き続けるのだ。数週間から1ヵ月近く同じCDを聴き続けることもあるよ。

そうすると、噛めば噛むほど味が出る「スルメ」みたいに、聞き込んで初めて「その曲」のよさが分かってくることが多いのだ。

flexlifeのCD『Wild Cat Blues』も、そんなふうに繰り返し聴いた。地味な曲ばかりだ。演奏もシンプル。ぜんぜんソウルじゃない。でも、10回くらい聴いたあとかな、突然「ことば」がズシンと僕の心の奥底に響いたのだ。その曲は「ノスタルジア」。歌詞を引用すると、JASRACが突然やって来てブログを削除してやるぞ!と脅してくるのだが、すみません、以下引用です。


YouTube: flexlife ノスタルジア

泣いたり 笑ったり

そんな風に過ぎてく日々が

いつまでも続くだろう

そんな風に思っていた

■「あっ!」これって、「コロナ以前」のぼくらが当たり前に過ごしていた生活じゃん!

そう思ったら、涙が流れてきたのだ。それから「らんなうぇい」


YouTube: らんなうぇい。from Wild Cat Blues

"あの日" から らんなうぇい。 出口探す人よ

"あの日" から ふぁらうぇい。 歌ってよ Boy Friend!

負け犬だと 指さされても

おそれていい 逃げ出していい。

君は君のため。らんなうぇい。

たぶん直接は、放射能から逃げ出した時の歌なのだろうけど、いま思うともっともっと大きな大切なことを言っていたんだね。学校で陰湿な「いじめ」を受けている子供たち。夫からのDVに悩まされている妻たち。ブラック企業の犠牲になっている若者たち。生真面目すぎて会社に尽くしてきたがために鬱病になってしまった企業戦士たち。

そうさ、現状から逃げ出していいんだよ。そう、君のために。

それから「時計仕掛けのステップ」も不思議な歌だ。自発的には一切行動できないで、ただ操り人形のように人生が国家から制御された、ジョージ・オーウェル『1984』か、テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』のような世界。 でも、


YouTube: BE THE VOICE LIVE///WGT farewell party

(1時間21分後あたりになって、リモートで登場します!)

踊ろ 踊ろ 時計仕掛けのステップで

踊ろ 踊ろ Rock Stedy, Samba, New Orlens

すきな服 すきな色 すきな様に着飾って

いざ進め! 時計仕掛けでも

ぼくはこの曲を聴いて、小坂忠の名作「機関車」を思い出したよ。 

あと、タイトル曲の『Wild Cat Blues』。ドラムスとピアノが入ってくる瞬間が、いつ聴いてもじつに気持ちイイ! なんだろう。凄く疾走感がある曲だ。ちょっと、クラムボンの演奏を彷彿とさせる。「せーの」で一発録音したというライヴ感、臨場感のなせるワザか。


YouTube: flexlife wild cat blues

でも、なんて言うかな。「地べたにしっかり足が着いている」演奏なんだ。東京にいた時は「重力に逆らって遊んで」ふわふわと漂っていたのに、ぜんぜん逆で、プリミティブでシンプルで、力強い音楽が出来上がっていたことに、ちょっと感動してしまったのだ。

これはイイぞ!

■ぜひ一度、生ライヴで聴いてみたいものだが、熊本は遠いなあ。

でも、FDAが熊本空港から名古屋小牧空港に飛んでいるので、時間的にはそれどかからない。名古屋→岐阜→信州ライヴ・ツアーとか、いつの日かできるといいなあ。

(おしまい)

2021年4月 5日 (月)

熊本在住の男女2人ユニット「flexlife」がイイ!(その1)


YouTube: 夢で逢えたら( 大瀧詠一/吉田美奈子)・yume de aetara ( minako yoshida/ eiichi ohtaki ) by flexlife

■前々回かな、吉田美奈子の「ラスト・ステップ」を取り上げた時に、YouTube で発見した「flexlife」。

いまや世界中で大注目の「ジャパニーズ・シティポップ」を次々とカヴァーして、YouTube にどんどんアップしている。ヴォーカルは、青木里枝、ギターは大倉健の男女2人組だ。別姓だが、夫婦みたい。ハンバートハンバートといっしょだね。

まったく知らなかったミュージシャンだが、ウィキで調べると 1998年のデビュー。結成23年じゃないか!

ということは、ハンバートハンバートより古いのか?


YouTube: エイリアンズ(キリンジ)/Aliens(Kirinji)covered by flexlife


YouTube: ルビーの指環 (寺尾聡) × THE ROLLING STONES ( MISS YOU ) COVERED BY FLEXLIFE

■彼らのCDを聴いてみたくなって、ほんと、すまぬ。Amazon で安かった中古盤をまずは購入した。『メロウグルーヴ』(フレックスライフ)だ。

カヴァーではなくて彼らのオリジナル曲。これがめちゃくちゃ良かった! ネオ・ソウルって言うの? ふわふわと漂うような浮遊感がじつに気持ちイイのだ。アコースティックだけれど、ハンバートハンバートや、羊毛とおはなみたいな「フォーク」じゃない。R&Bだ。グルーヴ感っていうヤツ? リズムがね、黒いんだよ。でも、T字路's ほど真っ黒じゃあない。例えば、こんな曲。

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YouTube: flex life / 寝ても醒めても (flex life : Nete mo samete mo)

■このPV。凄いよね。まるでウッドストックだ。1970年代初め。まだヒッピーが日本各地に集団で住んでいた頃の感じだ。モノクロだし。長野県でも入笠山の麓に集落を作っていた。青木さんは、スーパーフライがデビューするずっと前に「ほぼ同じ衣装」で歌っていたのか!

ちょっと癖になる歌い方だよね。エリカ・パドゥみたいな、松倉如子のような不思議な響きがある。

エレピを弾く大倉さん(若いぞ!!)は痩せていて、中川ひろたかじゃなくて、まるで「松尾スズキ」だ。あはは!

彼らのオリジナルは、基本ギターの大倉健:作曲、ヴォーカルの青木里枝:作詞で出来ている。大倉のお洒落なメロディセンスに先ずは驚くが、ここで注目したいのは、青木里枝の「言葉」の感覚だ。

愛が途切れる音がする

夜毎悪魔が囁いた

光と闇 月と太陽

混ざりあうわけがない

(中略)

寝ても醒めても頭の中はおとぎ話ねあなたは

夢から醒めた日々の世界は多くを語りかける

寝ても醒めても疑いや嘘、憎しみは続く

重力に逆らって遊ぶ

「寝ても醒めても」

夢紡ぎ歩く二人 何処を目指すのだろう

行く宛て など何もない 長い道

照りつける太陽

揺れる蜃気楼

広がる砂丘に つづく足あと

二人探してる 霧の向こうの”それいゆ”

見失わないように あぁ 歩いていく

「それいゆ」

■なんかね、文学的なんだ。詞がね。アーバンでポップなメロディに被さって、寺山修司みたいな、1960年代末の雰囲気むんむんの言葉たちが綴られてゆくのだ。彼女は、自らの名前のローマ字表記を「Rie Aoqi」と書いていて、これってもしかして、早世したジャズ評論家「間章(Aquirax Aida)」の影響を受けているのではないか?

これは僕の想像でしかないのだけれど、きっと彼女は「大島渚」の映画が好きに違いないし、漫画は永島慎二の『フーテン』と『黄色い涙』がお気に入りだと思うぞ。僕よりずっと若いはずなのにね、何故か60年代のレトロ趣味。不思議だ。

(その2)に続く!


YouTube: 日曜日よりの使者(ザ・ハイロウズ・THE HIGH-LOWS)covered by flexlife

2021年2月28日 (日)

『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ著、友廣純訳(早川書房)

■最近ツイートした本の感想をまとめておきます。

なかなか読み進まない(酔っぱらうと、ツイートはできるが本は読めない)『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ著、友廣純訳(早川書房)だが、まだ120ページ。史上最低の父親は NHK朝ドラ『おちょやん』のテルヲか、はたまた本書のヒロイン、カイアの父親か? 今のところいい勝負だな。
 
あと、男も女も LGBTQの人も在日外国人も、みんな読むといいよ『さよなら、男社会』尹 雄大(亜紀書房)。日本という国に住む「居心地の悪さ」の原因が判ったような気がした。戦前の日本陸軍、オウム真理教の上九一色村サティアン、連合赤軍の榛名山のアジト。児童虐待、夫から妻へのDV。みな同じだ。
 
たったいま、『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ著、友廣純訳(早川書房)を読み終わった。いやあ、参った。ちょっと例えようがない小説だ。著者が70歳にして初めて書いた小説だという。ミステリーの体裁をとっているが、いやいやもっと怖い小説だ。
 
小説の舞台となるノースカロライナ州の海岸端の湿地帯は、アメリカ南部とはいえ、昔読んだロバート・マキャモンの『少年時代』『遙か南へ』ジム・ジャームッシュの映画『ダウン・バイ・ロー』の舞台ミシシッピ川河口よりは、ずいぶん北東になるな。でも、ボートで湖沼を行く様は、あの映画と同じだろう。

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(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)
地図上の【B】の「矢印の先」あたりが、小説の舞台のモデルとなった「ディズマル湿地」
 
そういえば、小説『地下鉄道』の主人公の少女も、確かノースカロライナで大変な目にあうんじゃなかったっけ、忘れちゃったけど。読みかけのまま止まっている『拳銃使いの少女』(ハヤカワミステリ)も同じだけど、虐げられた少女が1人孤独にサバイバルして、理不尽で過酷な運命に立ち向かう話。
 スカッパーは続けた。
「詩は軟弱なものだなんて決めつけないほうがいい。もちろん甘ったるい愛の詩もあるが、笑える詩もあるし、自然を題材にしたものもたくさんある。 戦争の詩だってあるんだ。肝心なのは----詩は人に何かを感じさせるという点だよ」
 
 テイトは幾度となく父から聞かされていた。本物の男とは、恥ずかしがらずに涙をみせ、 詩を心で味わい、オペラを魂で感じ、必要なときには女性を守る行動ができる者のことを言うのだと。
 
『ザリガニの鳴くところ』(早川書房) 70ページより引用。
『ザリガニの鳴くところ』追補。この小説では「クズ男たち」が徹底的に糾弾される。人間の男女の関係が特別視されることはない。鳥も昆虫も、この世界に生きとし生けるもの全ての雄と雌の関係と人間だって同じなのだ。主題は、同時に読んでいた『さよなら、男社会』尹 雄大(亜紀書房)と同じだった。
季刊誌『MONKEY vol.23』より、ルイス・ノーダン『オール女子フットボールチーム』を読む。めちゃ変な小説。男女の役割が完全に逆転している。主人公はアメリカ南部ミシシッピ川三角州に暮らす16歳の高校生。父親はペンキ職人でDVでアル中で無口な典型的南部の男『ザリガニの鳴くところ』の父親と同じ
 
 
古き良きアメリカの高校生といえば、高校対抗のアメフトの試合であり『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のダンス・パーティだ。この短篇小説は、主人公の青年が体験する「よくある話」のはずが、彼の父親の介助によって、信じられないようなファンタジーの世界へと昇華される。そこが凄い。
 
 
そして彼は『はらぺこあおむし』の主人公と同じように見事に蝶に変態して羽ばたくのだ。僕はアメフトは不案内で、ハーフタイムに繰り広げられる応援合戦とか歌とか踊りとか分からないのだが、この小説を読んでいて、この場面はめちゃくちゃ気分が高揚した。 この父と息子の他の短篇もぜひ読んでみたい
 
 とにかく『ザリガニの鳴くところ』→『さよなら、男社会』尹 雄大(亜紀書房)→『オール女子フットボールチーム』を読んだ順番は、なんか必然だったんじゃないかと思えたな。
 
アメリカ南部、ミシシッピ河口近くのデルタ。ニューオリンズ近郊。ガンボにジャンバラヤ。いつかは本場で食ってみたい。映画は『ダウン・バイ・ロウ』。小説では『遙か南へ』だ。すっかりストーリーを忘れてしまったけど、確か、エルヴィス・プレスリーが登場した。
 

2021年2月21日 (日)

今月のこの1曲 吉田美奈子『ラスト・ステップ』


YouTube: last step 山下達郎・吉田美奈子 /covered by flexlife

■このところの「ヘビロテ」楽曲が、吉田美奈子『Flapper』に収録されている「ラスト・ステップ」。

山下達郎が提供した曲だ。聴いていてホント、気持ちイイ!

YouTube には、残念ながらオリジナルの吉田美奈子ヴァージョンはなかった。代わりにアップしたのは「flexlife」という、青木里恵(Vo)、大倉健(g) という男女2人組のユニットのカヴァー。雰囲気はよく出ているな。しかも、ギターの大倉さん。絵本作家で「トラや帽子店」メンバーだった「中川ひろたか」さんにそっくり! 最初見た時、てっきり中川ひろたかさんが弾いているとばかり思ってしまったよ。

■この曲は、山下達郎がシュガーベイブ時代に作った曲らしい。本家、山下達郎ヴァージョンが上がっていた。これだ。


YouTube: Tatsuro Yamashita (山下達郎) - ラスト・ステップ

 
YouTube: 山下達郎 - Last Step

■ところで、この「んぱ、んぱぱっ」というリズムは、一般的には「シャッフル・ビート」と呼ばれている。オフ・ビート(2拍、4拍)が強調されて跳ねる感じのリズムなのだが、ジャズの「スウィング」と違うのは、スウィングが4拍子の単なるあと乗りビート(んぱ、んぱ)なのに対して「シャッフル」は同じ4拍子なんだけれど、3連符が「タタタ、タタタ、タタタ、タタタ」と細かく刻んでいるのが違う。

スティーヴィー・ワンダーの「Isn't She Lovely」を聴くと、この3連符がよくわかる。マービン・ゲイ(ジェームス・テイラー)の「How Sweet It Is (To Be Loved By You)」も、おんなじだ。ドナルド・フェイゲン『ナイト・フライ』の1曲目「I.G.Y」も、レゲエっぽいけど、同じだね。


YouTube: Isn't She Lovely

この、決めの「タタタ、タタタ、タタタ。タッタ!」がね、気持ちいいんだよ。


YouTube: James Taylor - How sweet it is (to be loved by you)


YouTube: I.G.Y.

シャッフル・ビートを取り入れた楽曲は、他にもいっぱいあるぞ。

検索したら「こんなサイト」が見つかった。

https://sakkyoku.info/theory/shuffle-rhythm-songs/

2021年2月 6日 (土)

水谷浩章(ベース)× 夏秋文彦(鍵盤ハーモニカ+α)at the 「黒猫」

■2年半前のツイートを探し出してまずは以下に再録。
 
今夜は、赤石商店で「助川太郎 ソロギター ワールド」のライヴ。
 
オープニングアクトで、赤石商店で毎週土曜日の夜に出張カレー食堂「マクサンライズ」を開いている(めちゃくちゃ美味しい!)幕内純平さんが「口琴」の即興ソロを3曲披露してくれた。初めて聴いたが、これまた凄かったな。完全アコースティックなのに、ピコピコの電子音楽みたいな不思議な響き
 
続き)なんていうか、初めてエヴァン・パーカーのソプラノ・サックスを聴いた感じと同じような音楽だった。そう「倍音」の響き。口琴て、奥深いんだ。
 
 
続き)エヴァン・パーカーと言えば、最後に助川太郎さん、幕内さんと共にゲストとして登場した不思議なおじさん。3人で完全な即興演奏を繰り広げたが、一人アートアンサンブルオブシカゴを演じている感じの「このおじさん」も凄かったぞ。「鍵盤ハーモニカ」を「循環奏法」で吹いていたんだよ。
 
続き)ぼくは知らない人だったので帰宅後に検索したら、夏秋文彦さんだった。この伊那谷で農業をしつつ演奏活動を続けているとのこと。鍵盤ハーモニカでサーキュラー・ブリージング(循環呼吸)奏法とは、ビックリ。
 
この人です!
 
 
 
■で、今夜は伊那市「黒猫本店」で、その噂の、夏秋文彦さんと、2年前から伊那市在住のプロのジャズ・ベース奏者:水谷浩章さん(大友良英s' New Jazz Orchestra や、ジャズピアニスト:南博カルテットなどに参加)の完全な即興デュオ演奏のライヴがあって、聴きに行ってきた。
2年半ぶりでの夏秋文彦さんのナマ演奏だ。いや良かった凄かった。期待以上だった。ジャズのインプロヴィゼーションとはちょっとアプローチが違うので、最初は、夏秋文彦さんが勝手に自分のペースでずんずん演奏するのを、手探りながらも水谷浩章さんのベースが絡んでゆく感じ。
 
リズム感・タイム感覚がちょっと違う? でも、中盤から後半は二人の波長が次第に合ってきて、はっとする瞬間が何度もあった。心地よい緊張感。寒かったけれど、ああ、聴きに行ってホントよかったよ。
それにしても、夏秋文彦さんて、鍵盤ハーモニカ界の「ローランド・カーク」& 一人アート・アンサンブル・オブ・シカゴだよなあ、って改めて感動しました。 凄いぞ! 鍵盤ハーモニカの「サーキュラー・ブリージング」奏法(まったく息継ぎせずに、延々と吹き続ける奏法。鼻から息を吸いながら同時に口から息を吐く。そんなこと出来るのか? いや、できるのです)。
 
さらには、口琴、親指琴(カリンバ)、木の物差し?、ストレッチ用の板状ゴム(両手で伸ばしたり縮めたりしながら、まん中を口にくわえて、ビヨンビヨン音を出す)などなど、様々な楽器?も次々と演奏した。
 
あとラストの前の曲では、いきなり四国八十八ヵ所巡礼に持つ「弘法大師の杖」みたいな不思議な長い楽器をトントン地面に突きながら、やおらリードをくわえると、実はこれが「バスクラ」のオバケみたいなリード楽器(既製品)だったんだ。その不思議な音色といったら。
 
ちょっと、太古の地球に住んでいた人類の祖先が奏でた音を想像してしまったよ。
今回は、主役の夏秋文彦さんを立てる形で、サブに徹した水谷浩章さんだったが、もっともっとハイ・テクニックなベース・ソロを聴いてみたかったぞ。
観客の中には、伊那谷が誇るジャズ・アルトサックス奏者の太田裕士さんや、ギターの北川哲生さんも聴きに来ていた。次回は、富士見町在住のジャズ・ドラマー、橋本学さんも交えて、皆でセッションして欲しいな。期待しています!
 
追伸:あ、そうそう! 終演後「北原さんですよね!」と声をかけてくれた男の人がいた。マスクが大きくて僕は誰だか分からなかったのだが、「幕内です。赤石商店で『マクサンライズ』ってカレー食堂をやってた。」「あっ!! あの、口琴奏者の幕内さん? 八ヶ岳の向こうに引っ越した?」
 
そう、あの僕らが大好きだったインドカリーを作ってくれていた、幕内純平さんだったのだ。久々の再会。いや、嬉しかったなあ。
 
それにしても、あの絶品カレーをもう一度ぜひ食べてみたいものだ。
■このライヴを「伊那ケーブルテレビ」が取材に来て録画して行った。前半終了後の休憩時に、演者にインタビュー。「今回の演奏は全くの即興演奏だったのですか? 前もって何も打ち合わせとかせず」「ハイ。そうです」
 
 
インタビュアー:「夏秋さんが演奏する音楽は、民族音楽なのですよね?」 夏秋:「いや、違います。現代音楽です!」このやり取りには笑ってしまったよ。
 
「お名前と年齢を教えていただけますか?」 夏秋:「今年還暦です。」水谷:「58です」
 
なんだ、ぼくより若かったのか! まいったな。 
 
 
 

2020年12月22日 (火)

蓼科仙境都市の想い出(その2)

■どうしてあの日、わざわざ海抜 2000m の高原を越えて松本に帰ろうとしたのか、 まったく憶えていない。たぶん、できるだけ遅くに松本に帰り着く言い訳を考えたことは間違いない。当時「日常」の代名詞であった「松本」は、あまり好きな町ではなかったのだ。国体道路沿いの清水1丁目に結婚したばかりの妻と住んでいたが、正直辛かった。苦しかった。ああ、大学医学部医局にいるということは、そういうことなのか。だから、少しでも逃げ出したかったのだろう。

ぼんぼん育ちの僕は、基本「打たれ弱い」。しかも、小心者で卑怯だった。本当は自分がダメなのに、いつも誰か他の人のせいにしていた。そういうどうしようもない人間だったのだ。

その日、天気は好かった。もう3月だ。雪も溶け出している。あ、そうだ。蓼科山の麓に見えた、あの人口建造物を確認しに行こう! そう思った。

ロードマップ(当時はまだナビは装着されていない)を見ると、スキー場がある。「蓼科アソシエイツ・スキー場」。佐久からのアクセス道路は冬場も整備されているみたいだ。蓼科スカイラインと言うらしい。車幅も広い舗装道路を、当時乗っていた三菱自動車のマニュアル車(ギャラン・ハッチバック)エテルナ4WD は軽やかに上って行く。青空がまぶしい。

(さらに続く)

2020年12月15日 (火)

「蓼科仙境都市」の想い出 〜 『死ぬまでに行きたい海』岸本佐知子

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■季刊誌『MONKEY』に連載されている、岸本佐知子さんのエッセイ『死ぬまでに行きたい海』(スイッチパブリッシング)が、ついに本になった! なんと喜ばしいことか。雑誌連載中から、これは彼女の代表作になるに違いない! そう確信して、ぼくはずっと『MONKEY』を買い続けてきた。もらした号は、古書で探して入手した。だから、Vol.1 〜 Vol.22 まで全部持っている。という証拠に写真を撮ったのだが、あれ? 何故か Vol.21 だけが欠けているぞ。おかしいな?

■さらには、12月に入って、伊那平安堂に何度も見に行っているのだが、残念ながら『死ぬまでに行きたい海』は未だに入荷しない。だから、本は手元にないので読めないのだ。

■以下は、ツイッターで過去に呟いたものを検索して見つけた発言です。

柴田元幸責任編集『MONKEY vol.13』より、連載『死ぬまでに行きたい海』岸本佐知子を読む。今回のタイトルは「近隣」。これは身につまされて怖かった。ウルトラQの世界。日常のすぐ隣に「異界」への扉が開いている。水木しげる『丸い輪の世界』もっとメジャーなら『千と千尋の神隠し』のトンネル。
季刊誌『 monkey vol.16』が届いた。 岸本佐知子さんの連載『死ぬまでに行きたい海』を読みたいがために買っていると言っても過言ではない。今回は「丹波篠山2」。父親の実家で過ごした夏休みの思いでを綴った「1」も、めちゃくちゃよかった。同誌 vol.11 に載っている。
柴田元幸責任編集『MONKEY』vol.1、vol.10 以外は取ってある。まず最初にページを開くのは、翻訳家の岸本佐知子さんの紀行写真連載「死ぬまでに行きたい海」だ。これを読むために買っているようなものかもしれない。赤坂見附の回や多摩川の回も良かったけど、最新号の「丹波篠山」。
季刊誌:柴田元幸責任編集『MONKEY』は、柴田さんには申し訳ないけど、岸本佐知子さんの連載『死ぬまでに行きたい海』を読むために買っている。ああ、最新号の「経堂」も安心・安定の満足した読後感に包まれる。幸せだ。
「べぼや橋」も出てきたしね。ところで、ヤマザキマリさんと岸本佐知子さんて、声が似ている。案外低い声なのだ。
柴田元幸責任編集『MONKEY vol.18 /2019』が届いた。特集は「猿の旅日記」。最初に開くページは決まって、岸本佐知子さんの連載『死ぬまでに行きたい海』だ。p140「地表上のどこか一点」。ああ、上手いな。こういう文章が書きたいものだ。ごく自宅近所の話なのに、旅した気分になった。
 
季刊誌『MONKEY vol.21』を買ってきた。あれ? いつも最初に読む連載「死ぬまでに行きたい海」岸本佐知子が載ってないぞ!連載終了か??ちょっと焦った。ほっ、最後にあった。「カノッサ」おっ件の幼稚園の話だ。『気になる部分』p110「カノッサの屈辱」を久々に読むと、巻頭がブレイディさんみたい。
 
『花の命はノー・フューチャー』ブレイディみかこ(ちくま文庫)p199「子供であるという大罪」が書かれたのは、2005/04/06。『気になる部分』岸本佐知子(白水社 Ubooks)p110「カノッサの屈辱」は『翻訳の世界』1996年8月号に載った。岸本さんの勝ち。
 
30年前の3月、出張先の佐久町から松本への帰り。通ったことのないルートを選んだ。蓼科アソシエイツスキー場を越えて行く道だ。午後まだ早い時間なのに、スキー場には誰もいないしリフトも動いていない。隣接する高級リゾートホテルや店舗、別荘も全くの無人。不気味な静けさが怖かった
人里離れた山奥の海抜2000mの高地に忽然と現れた超モダンな建築物群。でも、人っ子一人いない。小説『極北』に登場するシベリアの秘密都市みたいな感じだ。慌てて氷結する鹿曲川林道を恐る恐る下ると、冬季通行止めの道だった。
蓼科アソシエイツスキー場は、1997年まで営業していたから、僕が通った1990年にはバリバリの現役だったはずだし、会員制高級リゾートホテルやレストランも営業中だ。でも、確かに無人だった。それが今や噂の廃墟施設と化し、僕が春日温泉まで下った林道は幾多の土砂崩れで廃道になってしまった。
あれは夢かまぼろしか? 松本に帰り着いても狐につままれたような気分だった。あの時の印象があまりに強烈で、10年ほど前にネットで検索し「蓼科仙境都市」を発見したのだった。岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』発売記念企画に応募しようと思ったが、大幅に字余り。
 
<追補>
 
・飯山日赤から、松本の信州大学小児科医局に戻った年だったか、その翌年だったか。週一回の木曜日にパート勤務で佐久町(いまは八千穂村と合併して佐久穂町)にある「千曲病院」へ通って、小児科外来診療と、午後には健診や保育園に出向いてインフルエンザの集団予防接種(当時はまだ集団接種だった)をしていた。
 
給料は良かったが、とにかく遠かった。朝7時前には家を出て、三才山トンネルを抜けて丸子町に下り、それからまたもう一つ峠を越えて立科町へ。さらには望月町→浅科村(いまはみな佐久市に併合された)を抜けて佐久市へ。でも、まだ着かない。そこから南下して、佐久総合病院がある臼田町を通り過ぎ、ようやく佐久町に到着だ。毎回2時間弱の行程だった。
そうは言っても、ストレスだらけの大学を離れて気分転換ができたこのバイトは、ぼくにとって掛け替えのない時間だったように思う。天気が良ければ、北に浅間山、東には群馬県境の山々。南には八ヶ岳連峰が青空の下に輝いていた。
 
八ヶ岳の北の端には蓼科山が見える。その稜線を北に辿ると、ちょうど人の肩のように平らになった高原が続く。そこに太陽の光が反射して、明らかに人工物と思われる建物が点在しているのが遙か遠くに見えた。
 
あれは何?
 
ずっと気になっていたのだった。(さらに続く)
 
 

2020年12月12日 (土)

英国在住の保育士「ブレイディみかこ」さんて、何モノ?(改訂版)

■「長野県小児科医会会報」に載せた「ブレイディみかこさん紹介文」を、『日本小児科医会会報』に転載して頂きました。光栄です。転載にあたって、ずいぶんと書き直したので、その改訂版を以下に載せます。

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 昨年6月に発刊されベストセラーとなった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ著(新潮社)は、テンポのよいパワフルな文章に引き込まれて一気読みでした。たまげました。傑作です。小児科医は絶対に読むべき本だと思いました。

 日本よりもずっと貧富の格差が進み、移民が次々と流入するイギリス。本来先住の「ホワイト」の方が貧困にあえぎ、反対に、努力した移民が中流住宅街に住んで子供たちを中上流小中学校に通わせている現実。その結果として、移民が「ホワイトのアンダークラス」をヘイトし差別するという「ねじれ」が生じています。

 そんな中、彼女の息子(11歳)は、地元のアンダーな白人だらけの「元底辺公立中学校」に入学し、学校が力を入れている音楽部に入部します。最初に仲良くなったのは、ハンサムで歌も上手く、見事ミュージカル『アラジン』の主役を射止めたハンガリー移民の子ダニエル。レストラン経営で成功した父親がとんでもないレイシストで、その影響から息子も当然レイシスト。差別発言だらけのダニエルと何故か友情を育む息子。

 ところが、ダニエルは学校内で次第に「いじめ」に遭うようになります。正義が悪を懲らしめるのは当然だという理由で。それでも、彼は毎日学校へ通い続けます。父親に怒られるからです。そんな彼に、彼女の息子はずっと寄り添い続けます。

 「いじめているのはみんな(彼に)何も言われたことも、されたこともない、関係ない子たちだよ。それが一番気持ち悪い。僕は、人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」(p196)

 クールでスマートな息子の言動に、読んでいて胸がすく思いがしました。もう、すっかり真っ暗闇の世の中ですが、彼のような若者が世界を変えてくれる希望の星なのかもしれません。そんな彼は、どんな両親のもとで生まれ育ってきたのでしょうか?

 

 ブレイディみかこさんが世間で知られるようになった契機は、内田樹氏とよく似ています。二人とも遅咲きの文筆家で、40歳代までは全くの無名人だったのに、当時アップしていたネットのブログ記事が一部で話題になって出版社の目に留まり次々と本になったのです。

 彼女は1965年6月7日、福岡県福岡市に生まれました。先祖に隠れキリシタンや殉教者がいるカトリック教徒でしたが、父親が土建業を営む赤貧家庭に育ち、荒廃した中学校で地元のヤンキー娘として終わるはずが、担任教師の強引な薦めで福岡一の有名進学校、県立修猷館高校に見事合格。

 ところが、同級生はみな同じ表情をして、同時にパッと顔を上げて一斉にノートを取る。「こいつら人間じゃない!」彼女は新学期早々吐き気がしました。放課後は一目散に教室を飛び出し、近所のスーパーでアルバイト。着替える時間がなく制服のままエプロンをして働いていたら、高校に通報されて担任から呼び出されます。「親が定期代を払えないので学校帰りにバイトしている」と答えると、担任は「遊ぶ金欲しさでやってるくせに嘘つくな、いまどきの日本にそんな家庭はない!」と決めつけました。

 怒った彼女は翌日髪を金髪にしてツンツンにおっ立てて登校。次第に授業はサボりがちになり、嫌いな科目の試験は白紙で提出。代わりに答案用紙の裏に大杉栄の評論を書きました。その文章を読んだ現国の先生が「君は僕が引き受ける」と2年、3年の担任になってくれて、わざわざ家にも何度も訪ね「とにかく学校には来い。嫌いな教科があったら、図書館で本でも読んでろ。本をたくさん読んで、大学に行って、君はものを書きなさい」と言ってくれました。

 ブレイディさんは授業をサボっては図書館に入り浸り、伊藤野枝と金子文子を発見します。大正時代に名を馳せた同郷のアナキスト伊藤野枝は、関東大震災直後の戒厳令下、同志であり愛人であった大杉栄と甥の宗一と共に甘粕大尉率いる憲兵隊に惨殺されます。ちょうど同じ頃、大逆罪容疑で恋人の朝鮮人パクヨルと共に警察に逮捕され、死刑判決から一転恩赦がおりたにも関わらず獄中で自死した金子文子もまた、彼女のアイドルでした(岩波書店『女たちのテロル』参照)。

 高校卒業後、彼女は大学へは進学しませんでした。親にその資金がなかったことはもちろん、彼女がイギリスのロックバンド「セックス・ピストルズ」にはまっていたことも関係しています。彼女は福岡の中洲や銀座でバイトして金を貯めては渡英し、パンクロックのシャワーを全身で浴びました。渡英を何度も繰り返すうち、1996年の入国時に彼女は「私はここに永住するのだ」と決意します。

 ロンドンではキングスロードに下宿し、某日系新聞社のロンドン支店で事務員として勤務。そうこうするうちに、金融街で働くアイルランド移民で9歳年上の銀行マンと結婚。ロンドンから南へ列車で1時間の海辺の保養地ブライトンに移り住みます。ところが旦那は銀行をリストラされ、ミドルクラスから転落して大型トラックの運転手に転職し、さらにはガンにも罹患。

 でも彼女は挫けません。「先なんかねえんだよ。あれこれ期待するな。世の中も人生も、とどのつまりはクソだから、ノー・フューチャーの想いを胸に、それでもやっぱり生きて行け!」そう宣言し、子供が大嫌いだったはずなのに40歳を過ぎてから体外受精で男児を出産。そして生まれたのが彼です。そしたら、わが子は可愛いし面白い!

 2008年、彼女は乳飲み子を抱えながら、地域のアンダークラス(失業者、生活保護受給家庭)を支援する「無料底辺託児所」にボランティアとして参加します。そこには「幼児教育施設の鑑」とリスペクトされている責任者アニーがいて、彼女の元で幼児保育の実践教育を受けながら2年半かけて保育士の資格を取りました。

 当時、労働党のトニー・ブレア政権は抜本的幼児教育改革を行い、移民保育士を積極的にリクルートしました。ブレア政権では多様性(ダイバーシティ)を大切と考え、子供たちがいろんな人種の外国人と共に生活することに、小さな時から慣れていく必要があるとし、外国人移民の保育士養成費用を政府が全額負担したのです。

 ところが、2010年に保守党が政権を握ると一気に緊縮財政へと舵を切り、労働党が作った福祉制度を次々とカットしたため、底辺託児所の様相は一転します。『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)には、保育士として働くブレイディさんのリアルな毎日が綴られていて、こちらも必読です。水泳が得意なリアーナの凶暴だった幼児期の記載もありますよ。

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、そんなパンクでホットなかあちゃんとクールでワイズな息子の成長物語でもあります。まもなく『続編』も出ます。それで思い出すのが、椎名誠の名作『岳物語』と『続岳物語』(集英社文庫)。ただ、岳君の中学入学場面で終わっていて『続々岳物語』が書かれることは残念ながらありませんでした。父親に小説のネタにされた息子の岳君が猛烈に怒ったからです。

彼は『岳物語』と父親の椎名誠のことを真剣に憎んでいました。高校卒業後は日本を脱出し、アメリカの大学を出てプロの写真家になりました。

 ブレイディさんの話では、日本語が読めない息子ケン君も「この本」のことが気になっていて、スマホで接写すると日本語を英語に自動翻訳してくれるソフトを使って密かに内容をチェックしているらしいのです。でも、椎名父子と違って、母親と息子だから、険悪な親子関係に陥る危険性は少ないかもしれないし、そもそも彼の生活の基盤はイギリスです。だから、寛大な彼のこと、きっとパンクなかあちゃんを許してくれるに違いありません。

 

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