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2021年12月22日 (水)

クリスマスがやって来る気分にちっともなれないのは何故?

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■12月になると、処置室に置いてある「ラジカセ」からは、クリスマスのCDを流している。診察中ずっと、エンドレスで。

例年、院長はけっこう音楽的にこだわっているんだよ、と思ってもらうために、大好きなジェイムス・テイラーの「クリスマス・アルバム」か、山下達郎&竹内まりやの「ケンタッキー・フライドチキン」のオマケCDを流すのだが、今年はやめた。で、代わりにずっと「このクリスマスCD」をエンドレスで連日流している。

ぜんぜん飽きることがない。収録された「ジングルベル」のいろんなバージョンを聴いてると、なんかすごく懐かしくて、かつては「いい時代」があったのだなあと、しみじみしてしまうのだった。

■伊那市「黒猫」店主の田口史人さんが発刊している、週刊「日本のレコード」第30回で配布された封筒に入っていたのがこの「付録CD」で、クリスマスのレコード特集だったのだが、その選曲が絶妙で、めちゃくちゃ感心してしまった。で、を連日ずっとかけ続けているという訳だ。

■このCDの聴きどころは、前半に収録されている「渡辺プロダクション・オールスターズ&クレイジー・キャッツ」によるクリスマス・アルバムだ。これは傑作だね。スマイリー小原のジャズ・オーケストラが「クリスマスのファンファーレ」を奏でると、続いて「ザ・ピーナツ」の二人がビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」を敬虔に歌う。次は、伊東ゆかり。当時は「中尾ミエ・伊東ゆかり・園まり」で三姉妹だったっけ?「サンタが街にやってくる」を歌うが、彼女、歌上手いね! ジャズのリズム感とか完璧だ。

続いてお待ちかねの「クレイジーキャッツ」の登場だ。例によって、青島幸男が作詞したオリジナル曲なのかな? 笑っちゃうには、植木等が「クリスマスとは、西洋のお正月!」って歌うところ。あはは! でも、当時はぼくもそう思ってたなあ。

■以下は、ツイッターに一度アップして次の日の朝になってから、ちょっと思うところがあって消去てしまった文章です。でも実は残してあったのでした。


伊那市「黒猫」が発行している、週刊『日本のレコード』(30)は、クリスマスのレコード特集。付録のCDを診察中にずっとかけているのだが、これは聴き応えがあるな。戦後の日本という国の歩みが、このCDに完璧に集約されていたからだ。それはまた僕自身の人生の歩みとピッタリ一致していた。

1958年生まれの僕にとって、1960年代は高度経済成長の夢の時代だった。アメリカに追いつけ追い越せ。クリスマスは、まさにその憧れのアメリカの象徴だ。当時のレコード、辺プロのクレイジーキャッツや舟木一夫のジングルベルを聴くと、僕が子供だったの頃のウキウキした気分がリアルに蘇る。


松任谷由実の「恋人はサンタクロース」は、バブル前夜の楽曲だ。お父さんがクリスマスケーキを買って帰って家族で一家団欒の幸せを噛みしめる日が、娘は彼氏と出かけてしまう日になった。


また、1980年代後半はスキーが大ブームだった。新宿を深夜出発したスキーバスは、明け方の国道18号を志賀高原、斑尾、野沢温泉へと連なって走って行った。映画『私をスキーに連れてって』の影響だ。ホイチョイ・プロダクションと広告代理店&テレビ局がイケイケだった時代。


バブルが泡と弾けて、ユーミンも方向性に迷っていたころ、山下達郎はしぶとく「クリスマス・イヴ」で毎年年末に稼ぎ続けている。そしてコロナ禍の2度目の年末を迎えている訳だが、黄昏を迎えた日本のクリスマスは、全く盛り上がっていない。それは、全てを経験してきた僕らの世代の責任か。


そして、この付録CDの最後に収録されているのが「楽しいお正月」だ。そう、もういくつ寝るとお正月。思い出した。僕が小学生の頃は、クリスマスよりもお正月のほうがずっとずっと楽しみだったのだ。大学生の頃でも、まだ24時間年中無休のコンビニは近くになく、年末年始の食料調達にはホント苦労した

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