2021年2月 6日 (土)

水谷浩章(ベース)× 夏秋文彦(鍵盤ハーモニカ+α)at the 「黒猫」

■2年半前のツイートを探し出してまずは以下に再録。
 
今夜は、赤石商店で「助川太郎 ソロギター ワールド」のライヴ。
 
オープニングアクトで、赤石商店で毎週土曜日の夜に出張カレー食堂「マクサンライズ」を開いている(めちゃくちゃ美味しい!)幕内純平さんが「口琴」の即興ソロを3曲披露してくれた。初めて聴いたが、これまた凄かったな。完全アコースティックなのに、ピコピコの電子音楽みたいな不思議な響き
 
続き)なんていうか、初めてエヴァン・パーカーのソプラノ・サックスを聴いた感じと同じような音楽だった。そう「倍音」の響き。口琴て、奥深いんだ。
 
 
続き)エヴァン・パーカーと言えば、最後に助川太郎さん、幕内さんと共にゲストとして登場した不思議なおじさん。3人で完全な即興演奏を繰り広げたが、一人アートアンサンブルオブシカゴを演じている感じの「このおじさん」も凄かったぞ。「鍵盤ハーモニカ」を「循環奏法」で吹いていたんだよ。
 
続き)ぼくは知らない人だったので帰宅後に検索したら、夏秋文彦さんだった。この伊那谷で農業をしつつ演奏活動を続けているとのこと。鍵盤ハーモニカでサーキュラー・ブリージング(循環呼吸)奏法とは、ビックリ。
 
この人です!
 
 
 
■で、今夜は伊那市「黒猫本店」で、その噂の、夏秋文彦さんと、2年前から伊那市在住のプロのジャズ・ベース奏者:水谷浩章さん(大友良英s' New Jazz Orchestra や、ジャズピアニスト:南博カルテットなどに参加)の完全な即興デュオ演奏のライヴがあって、聴きに行ってきた。
2年半ぶりでの夏秋文彦さんのナマ演奏だ。いや良かった凄かった。期待以上だった。ジャズのインプロヴィゼーションとはちょっとアプローチが違うので、最初は、夏秋文彦さんが勝手に自分のペースでずんずん演奏するのを、手探りながらも水谷浩章さんのベースが絡んでゆく感じ。
 
リズム感・タイム感覚がちょっと違う? でも、中盤から後半は二人の波長が次第に合ってきて、はっとする瞬間が何度もあった。心地よい緊張感。寒かったけれど、ああ、聴きに行ってホントよかったよ。
それにしても、夏秋文彦さんて、鍵盤ハーモニカ界の「ローランド・カーク」& 一人アート・アンサンブル・オブ・シカゴだよなあ、って改めて感動しました。 凄いぞ! 鍵盤ハーモニカの「サーキュラー・ブリージング」奏法(まったく息継ぎせずに、延々と吹き続ける奏法。鼻から息を吸いながら同時に口から息を吐く。そんなこと出来るのか? いや、できるのです)。
 
さらには、口琴、親指琴(カリンバ)、木の物差し?、ストレッチ用の板状ゴム(両手で伸ばしたり縮めたりしながら、まん中を口にくわえて、ビヨンビヨン音を出す)などなど、様々な楽器?も次々と演奏した。
 
あとラストの前の曲では、いきなり四国八十八ヵ所巡礼に持つ「弘法大師の杖」みたいな不思議な長い楽器をトントン地面に突きながら、やおらリードをくわえると、実はこれが「バスクラ」のオバケみたいなリード楽器(既製品)だったんだ。その不思議な音色といったら。
 
ちょっと、太古の地球に住んでいた人類の祖先が奏でた音を想像してしまったよ。
今回は、主役の夏秋文彦さんを立てる形で、サブに徹した水谷浩章さんだったが、もっともっとハイ・テクニックなベース・ソロを聴いてみたかったぞ。
観客の中には、伊那谷が誇るジャズ・アルトサックス奏者の太田裕士さんや、ギターの北川哲生さんも聴きに来ていた。次回は、富士見町在住のジャズ・ドラマー、橋本学さんも交えて、皆でセッションして欲しいな。期待しています!
 
追伸:あ、そうそう! 終演後「北原さんですよね!」と声をかけてくれた男の人がいた。マスクが大きくて僕は誰だか分からなかったのだが、「幕内です。赤石商店で『マクサンライズ』ってカレー食堂をやってた。」「あっ!! あの、口琴奏者の幕内さん? 八ヶ岳の向こうに引っ越した?」
 
そう、あの僕らが大好きだったインドカリーを作ってくれていた、幕内純平さんだったのだ。久々の再会。いや、嬉しかったなあ。
 
それにしても、あの絶品カレーをもう一度ぜひ食べてみたいものだ。
■このライヴを「伊那ケーブルテレビ」が取材に来て録画して行った。前半終了後の休憩時に、演者にインタビュー。「今回の演奏は全くの即興演奏だったのですか? 前もって何も打ち合わせとかせず」「ハイ。そうです」
 
 
インタビュアー:「夏秋さんが演奏する音楽は、民族音楽なのですよね?」 夏秋:「いや、違います。現代音楽です!」このやり取りには笑ってしまったよ。
 
「お名前と年齢を教えていただけますか?」 夏秋:「今年還暦です。」水谷:「58です」
 
なんだ、ぼくより若かったのか! まいったな。 
 
 
 

2020年12月22日 (火)

蓼科仙境都市の想い出(その2)

■どうしてあの日、わざわざ海抜 2000m の高原を越えて松本に帰ろうとしたのか、 まったく憶えていない。たぶん、できるだけ遅くに松本に帰り着く言い訳を考えたことは間違いない。当時「日常」の代名詞であった「松本」は、あまり好きな町ではなかったのだ。国体道路沿いの清水1丁目に結婚したばかりの妻と住んでいたが、正直辛かった。苦しかった。ああ、大学医学部医局にいるということは、そういうことなのか。だから、少しでも逃げ出したかったのだろう。

ぼんぼん育ちの僕は、基本「打たれ弱い」。しかも、小心者で卑怯だった。本当は自分がダメなのに、いつも誰か他の人のせいにしていた。そういうどうしようもない人間だったのだ。

その日、天気は好かった。もう3月だ。雪も溶け出している。あ、そうだ。蓼科山の麓に見えた、あの人口建造物を確認しに行こう! そう思った。

ロードマップ(当時はまだナビは装着されていない)を見ると、スキー場がある。「蓼科アソシエイツ・スキー場」。佐久からのアクセス道路は冬場も整備されているみたいだ。蓼科スカイラインと言うらしい。車幅も広い舗装道路を、当時乗っていた三菱自動車のマニュアル車(ギャラン・ハッチバック)エテルナ4WD は軽やかに上って行く。青空がまぶしい。

(さらに続く)

2020年12月15日 (火)

「蓼科仙境都市」の想い出 〜 『死ぬまでに行きたい海』岸本佐知子

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■季刊誌『MONKEY』に連載されている、岸本佐知子さんのエッセイ『死ぬまでに行きたい海』(スイッチパブリッシング)が、ついに本になった! なんと喜ばしいことか。雑誌連載中から、これは彼女の代表作になるに違いない! そう確信して、ぼくはずっと『MONKEY』を買い続けてきた。もらした号は、古書で探して入手した。だから、Vol.1 〜 Vol.22 まで全部持っている。という証拠に写真を撮ったのだが、あれ? 何故か Vol.21 だけが欠けているぞ。おかしいな?

■さらには、12月に入って、伊那平安堂に何度も見に行っているのだが、残念ながら『死ぬまでに行きたい海』は未だに入荷しない。だから、本は手元にないので読めないのだ。

■以下は、ツイッターで過去に呟いたものを検索して見つけた発言です。

柴田元幸責任編集『MONKEY vol.13』より、連載『死ぬまでに行きたい海』岸本佐知子を読む。今回のタイトルは「近隣」。これは身につまされて怖かった。ウルトラQの世界。日常のすぐ隣に「異界」への扉が開いている。水木しげる『丸い輪の世界』もっとメジャーなら『千と千尋の神隠し』のトンネル。
季刊誌『 monkey vol.16』が届いた。 岸本佐知子さんの連載『死ぬまでに行きたい海』を読みたいがために買っていると言っても過言ではない。今回は「丹波篠山2」。父親の実家で過ごした夏休みの思いでを綴った「1」も、めちゃくちゃよかった。同誌 vol.11 に載っている。
柴田元幸責任編集『MONKEY』vol.1、vol.10 以外は取ってある。まず最初にページを開くのは、翻訳家の岸本佐知子さんの紀行写真連載「死ぬまでに行きたい海」だ。これを読むために買っているようなものかもしれない。赤坂見附の回や多摩川の回も良かったけど、最新号の「丹波篠山」。
季刊誌:柴田元幸責任編集『MONKEY』は、柴田さんには申し訳ないけど、岸本佐知子さんの連載『死ぬまでに行きたい海』を読むために買っている。ああ、最新号の「経堂」も安心・安定の満足した読後感に包まれる。幸せだ。
「べぼや橋」も出てきたしね。ところで、ヤマザキマリさんと岸本佐知子さんて、声が似ている。案外低い声なのだ。
柴田元幸責任編集『MONKEY vol.18 /2019』が届いた。特集は「猿の旅日記」。最初に開くページは決まって、岸本佐知子さんの連載『死ぬまでに行きたい海』だ。p140「地表上のどこか一点」。ああ、上手いな。こういう文章が書きたいものだ。ごく自宅近所の話なのに、旅した気分になった。
 
季刊誌『MONKEY vol.21』を買ってきた。あれ? いつも最初に読む連載「死ぬまでに行きたい海」岸本佐知子が載ってないぞ!連載終了か??ちょっと焦った。ほっ、最後にあった。「カノッサ」おっ件の幼稚園の話だ。『気になる部分』p110「カノッサの屈辱」を久々に読むと、巻頭がブレイディさんみたい。
 
『花の命はノー・フューチャー』ブレイディみかこ(ちくま文庫)p199「子供であるという大罪」が書かれたのは、2005/04/06。『気になる部分』岸本佐知子(白水社 Ubooks)p110「カノッサの屈辱」は『翻訳の世界』1996年8月号に載った。岸本さんの勝ち。
 
30年前の3月、出張先の佐久町から松本への帰り。通ったことのないルートを選んだ。蓼科アソシエイツスキー場を越えて行く道だ。午後まだ早い時間なのに、スキー場には誰もいないしリフトも動いていない。隣接する高級リゾートホテルや店舗、別荘も全くの無人。不気味な静けさが怖かった
人里離れた山奥の海抜2000mの高地に忽然と現れた超モダンな建築物群。でも、人っ子一人いない。小説『極北』に登場するシベリアの秘密都市みたいな感じだ。慌てて氷結する鹿曲川林道を恐る恐る下ると、冬季通行止めの道だった。
蓼科アソシエイツスキー場は、1997年まで営業していたから、僕が通った1990年にはバリバリの現役だったはずだし、会員制高級リゾートホテルやレストランも営業中だ。でも、確かに無人だった。それが今や噂の廃墟施設と化し、僕が春日温泉まで下った林道は幾多の土砂崩れで廃道になってしまった。
あれは夢かまぼろしか? 松本に帰り着いても狐につままれたような気分だった。あの時の印象があまりに強烈で、10年ほど前にネットで検索し「蓼科仙境都市」を発見したのだった。岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』発売記念企画に応募しようと思ったが、大幅に字余り。
 
<追補>
 
・飯山日赤から、松本の信州大学小児科医局に戻った年だったか、その翌年だったか。週一回の木曜日にパート勤務で佐久町(いまは八千穂村と合併して佐久穂町)にある「千曲病院」へ通って、小児科外来診療と、午後には健診や保育園に出向いてインフルエンザの集団予防接種(当時はまだ集団接種だった)をしていた。
 
給料は良かったが、とにかく遠かった。朝7時前には家を出て、三才山トンネルを抜けて丸子町に下り、それからまたもう一つ峠を越えて立科町へ。さらには望月町→浅科村(いまはみな佐久市に併合された)を抜けて佐久市へ。でも、まだ着かない。そこから南下して、佐久総合病院がある臼田町を通り過ぎ、ようやく佐久町に到着だ。毎回2時間弱の行程だった。
そうは言っても、ストレスだらけの大学を離れて気分転換ができたこのバイトは、ぼくにとって掛け替えのない時間だったように思う。天気が良ければ、北に浅間山、東には群馬県境の山々。南には八ヶ岳連峰が青空の下に輝いていた。
 
八ヶ岳の北の端には蓼科山が見える。その稜線を北に辿ると、ちょうど人の肩のように平らになった高原が続く。そこに太陽の光が反射して、明らかに人工物と思われる建物が点在しているのが遙か遠くに見えた。
 
あれは何?
 
ずっと気になっていたのだった。(さらに続く)
 
 

2020年12月12日 (土)

英国在住の保育士「ブレイディみかこ」さんて、何モノ?(改訂版)

■「長野県小児科医会会報」に載せた「ブレイディみかこさん紹介文」を、『日本小児科医会会報』に転載して頂きました。光栄です。転載にあたって、ずいぶんと書き直したので、その改訂版を以下に載せます。

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 昨年6月に発刊されベストセラーとなった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ著(新潮社)は、テンポのよいパワフルな文章に引き込まれて一気読みでした。たまげました。傑作です。小児科医は絶対に読むべき本だと思いました。

 日本よりもずっと貧富の格差が進み、移民が次々と流入するイギリス。本来先住の「ホワイト」の方が貧困にあえぎ、反対に、努力した移民が中流住宅街に住んで子供たちを中上流小中学校に通わせている現実。その結果として、移民が「ホワイトのアンダークラス」をヘイトし差別するという「ねじれ」が生じています。

 そんな中、彼女の息子(11歳)は、地元のアンダーな白人だらけの「元底辺公立中学校」に入学し、学校が力を入れている音楽部に入部します。最初に仲良くなったのは、ハンサムで歌も上手く、見事ミュージカル『アラジン』の主役を射止めたハンガリー移民の子ダニエル。レストラン経営で成功した父親がとんでもないレイシストで、その影響から息子も当然レイシスト。差別発言だらけのダニエルと何故か友情を育む息子。

 ところが、ダニエルは学校内で次第に「いじめ」に遭うようになります。正義が悪を懲らしめるのは当然だという理由で。それでも、彼は毎日学校へ通い続けます。父親に怒られるからです。そんな彼に、彼女の息子はずっと寄り添い続けます。

 「いじめているのはみんな(彼に)何も言われたことも、されたこともない、関係ない子たちだよ。それが一番気持ち悪い。僕は、人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」(p196)

 クールでスマートな息子の言動に、読んでいて胸がすく思いがしました。もう、すっかり真っ暗闇の世の中ですが、彼のような若者が世界を変えてくれる希望の星なのかもしれません。そんな彼は、どんな両親のもとで生まれ育ってきたのでしょうか?

 

 ブレイディみかこさんが世間で知られるようになった契機は、内田樹氏とよく似ています。二人とも遅咲きの文筆家で、40歳代までは全くの無名人だったのに、当時アップしていたネットのブログ記事が一部で話題になって出版社の目に留まり次々と本になったのです。

 彼女は1965年6月7日、福岡県福岡市に生まれました。先祖に隠れキリシタンや殉教者がいるカトリック教徒でしたが、父親が土建業を営む赤貧家庭に育ち、荒廃した中学校で地元のヤンキー娘として終わるはずが、担任教師の強引な薦めで福岡一の有名進学校、県立修猷館高校に見事合格。

 ところが、同級生はみな同じ表情をして、同時にパッと顔を上げて一斉にノートを取る。「こいつら人間じゃない!」彼女は新学期早々吐き気がしました。放課後は一目散に教室を飛び出し、近所のスーパーでアルバイト。着替える時間がなく制服のままエプロンをして働いていたら、高校に通報されて担任から呼び出されます。「親が定期代を払えないので学校帰りにバイトしている」と答えると、担任は「遊ぶ金欲しさでやってるくせに嘘つくな、いまどきの日本にそんな家庭はない!」と決めつけました。

 怒った彼女は翌日髪を金髪にしてツンツンにおっ立てて登校。次第に授業はサボりがちになり、嫌いな科目の試験は白紙で提出。代わりに答案用紙の裏に大杉栄の評論を書きました。その文章を読んだ現国の先生が「君は僕が引き受ける」と2年、3年の担任になってくれて、わざわざ家にも何度も訪ね「とにかく学校には来い。嫌いな教科があったら、図書館で本でも読んでろ。本をたくさん読んで、大学に行って、君はものを書きなさい」と言ってくれました。

 ブレイディさんは授業をサボっては図書館に入り浸り、伊藤野枝と金子文子を発見します。大正時代に名を馳せた同郷のアナキスト伊藤野枝は、関東大震災直後の戒厳令下、同志であり愛人であった大杉栄と甥の宗一と共に甘粕大尉率いる憲兵隊に惨殺されます。ちょうど同じ頃、大逆罪容疑で恋人の朝鮮人パクヨルと共に警察に逮捕され、死刑判決から一転恩赦がおりたにも関わらず獄中で自死した金子文子もまた、彼女のアイドルでした(岩波書店『女たちのテロル』参照)。

 高校卒業後、彼女は大学へは進学しませんでした。親にその資金がなかったことはもちろん、彼女がイギリスのロックバンド「セックス・ピストルズ」にはまっていたことも関係しています。彼女は福岡の中洲や銀座でバイトして金を貯めては渡英し、パンクロックのシャワーを全身で浴びました。渡英を何度も繰り返すうち、1996年の入国時に彼女は「私はここに永住するのだ」と決意します。

 ロンドンではキングスロードに下宿し、某日系新聞社のロンドン支店で事務員として勤務。そうこうするうちに、金融街で働くアイルランド移民で9歳年上の銀行マンと結婚。ロンドンから南へ列車で1時間の海辺の保養地ブライトンに移り住みます。ところが旦那は銀行をリストラされ、ミドルクラスから転落して大型トラックの運転手に転職し、さらにはガンにも罹患。

 でも彼女は挫けません。「先なんかねえんだよ。あれこれ期待するな。世の中も人生も、とどのつまりはクソだから、ノー・フューチャーの想いを胸に、それでもやっぱり生きて行け!」そう宣言し、子供が大嫌いだったはずなのに40歳を過ぎてから体外受精で男児を出産。そして生まれたのが彼です。そしたら、わが子は可愛いし面白い!

 2008年、彼女は乳飲み子を抱えながら、地域のアンダークラス(失業者、生活保護受給家庭)を支援する「無料底辺託児所」にボランティアとして参加します。そこには「幼児教育施設の鑑」とリスペクトされている責任者アニーがいて、彼女の元で幼児保育の実践教育を受けながら2年半かけて保育士の資格を取りました。

 当時、労働党のトニー・ブレア政権は抜本的幼児教育改革を行い、移民保育士を積極的にリクルートしました。ブレア政権では多様性(ダイバーシティ)を大切と考え、子供たちがいろんな人種の外国人と共に生活することに、小さな時から慣れていく必要があるとし、外国人移民の保育士養成費用を政府が全額負担したのです。

 ところが、2010年に保守党が政権を握ると一気に緊縮財政へと舵を切り、労働党が作った福祉制度を次々とカットしたため、底辺託児所の様相は一転します。『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)には、保育士として働くブレイディさんのリアルな毎日が綴られていて、こちらも必読です。水泳が得意なリアーナの凶暴だった幼児期の記載もありますよ。

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、そんなパンクでホットなかあちゃんとクールでワイズな息子の成長物語でもあります。まもなく『続編』も出ます。それで思い出すのが、椎名誠の名作『岳物語』と『続岳物語』(集英社文庫)。ただ、岳君の中学入学場面で終わっていて『続々岳物語』が書かれることは残念ながらありませんでした。父親に小説のネタにされた息子の岳君が猛烈に怒ったからです。

彼は『岳物語』と父親の椎名誠のことを真剣に憎んでいました。高校卒業後は日本を脱出し、アメリカの大学を出てプロの写真家になりました。

 ブレイディさんの話では、日本語が読めない息子ケン君も「この本」のことが気になっていて、スマホで接写すると日本語を英語に自動翻訳してくれるソフトを使って密かに内容をチェックしているらしいのです。でも、椎名父子と違って、母親と息子だから、険悪な親子関係に陥る危険性は少ないかもしれないし、そもそも彼の生活の基盤はイギリスです。だから、寛大な彼のこと、きっとパンクなかあちゃんを許してくれるに違いありません。

 

2020年12月10日 (木)

ぼくが大好きな映画ベスト30 +おまけ

■NHKBSP では、平日の午後1時から「プレミアム・シネマ」として、懐かしい渋い映画を放送している。ヘップバーン特集とか、マカロニ・ウエスタン特集とかね。

だから毎朝、中日新聞のテレビ欄をチェックしては、ブルーレイ・ディスクにせっせと録画予約している。WOWOW はね、フォローしきれないからノーチェックだ。あとで「オンデマンド」でも見ることができるし。

そんなかんなで録画したブルーレイ・ディスクは、すでに 100枚以上。でも、まだ1枚も見ていない。時間がないからだ。いったい何時見るのだ? Amazon prime にも無料で見たい映画がいっぱいあるというのにね。

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■さらに、昔レーザー・ディスクで買って捨てられずにいまだに持っている、思い入れの強い映画を、ブルーレイで買い直している。いったい何時見るのだ?

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高校生の頃から今までに見てきて、大好きな映画を並べてみた

1)「東京物語」小津安二郎(1953)

2)「マル秘色情めす市場」田中登(1974)

3)「ストーカー」アンドレイ・タルコフスキー(1979)

4)「八月の濡れた砂」藤田敏八(1971)日活

5)「牯嶺街少年殺人事件 」エドワード・ヤン(1991)

6)「ツィゴイネルワイゼン」鈴木清順(1980)

7)「エル・スール」ビクトル・エリセ(1983)

8)「まぼろしの市街戦」フィリップ・ド・ブロカ(1966)

9)「性賊/セックスジャック」若松孝二(1970)

10)「恋恋風塵」侯孝賢(1987)

11)「サウダーヂ」富田克也(2011)

12)「パリ・テキサス」ヴィム・ヴェンダース(1985) 

13)「隠し砦の三悪人」黒澤明(1958)

14)「ギルバート・グレイプ」ラッセ・ハルストレム(1994)

15)「冒険者たち」ロベール・アンリコ(1967)

16)「十九歳の地図」柳町光男(1979)

17)「タンポポ」伊丹十三(1985)

18)「ヒポクラテスたち」大森一樹(1980)

19)「ゆきゆきて、神軍」原一男(1987)

20)「長靴をはいた猫」東映動画(1969)

21)「青春の蹉跌」神代辰巳(1974)東宝

22)「0課の女 赤い手錠(わっぱ)」野田幸男(1974)東映

23)「七人の侍」黒澤明(1954)

24)「切腹」小林正樹(1962)

25)「秋刀魚の味」小津安二郎(1962)

【大好きな映画の拾遺】

・『股旅』市川崑(1973 ATG)萩原健一主演、尾藤イサオ、小倉一郎共演。

この若者3人組がメチャクチャ格好悪い。ロケの多くが長野県伊那市長谷村で撮影された。尾藤イサオは破傷風になる。市川崑はこの後『木枯し紋次郎』を撮ることになる。

・『ル・アーヴルの靴みがき』アキ・カウリスマキ(2011)。

カウリスマキ監督作品は見たいのだけれどなかなか見れない。あと見たのは『過去のない男』のみ。映画館に行けないからね。年老いたロッカーがいい。それから妻役の常連カティ・オウティネン。あはは!の外したラスト。

・『お嬢さん乾杯』木下恵介(1949 松竹)。
 
佐野周二がいい。サンモニ司会、関口宏の父親。小津『麦秋』でのチャラい上司と部下の関係の佐野と原節子もいい味出してるが、原節子の魅力を最大限に引き出したのは、この映画の木下恵介じゃないかと思っている。
 
 
・『さらば愛しき大地』柳町光男(1982)根津甚八・秋吉久美子・蟹江敬三。
 
静かに壊れてゆく根津甚八がとにかく素晴らしい! 茨城県で大学生活を過ごし、土浦東映の最前列でタバコを斜めにくわえながら、この映画をみた。沁みた。
 
 
 
・『枝葉のこと』二ノ宮隆太郎(2017)
 
監督主演の二ノ宮クンの佇まいが見せる。それから、役者木村知貴をこの映画で発見した。『父とゆうちゃん』田口史人(リクロ舎)を読んでいて、舞台も同じ横浜だし構造的にも共通する部分がある。赤石商店で観た。
 

・『フォロー・ミー』キャロル・リード監督ミア・ファロー主演(1972)。

原題は「The Pubrlc Eye」私立探偵のことは「Private Eye」と言う。ジョン・バリーの主題曲は、林美雄ミドリブタ・パックのクロージング・テーマだった。周防正行『Shall we ダンス?』に映画のポスターが

・『霧の中の風景』テオ・アンゲロプロス(1988年/ギリシャ映画)

アンゲロプロスの出世作『旅芸人の記録』は未だ見ていない。上映時間6時間だからね。ビデオもDVDも持ってないし、ネット配信もされていない。でも、いま一番見たい映画かもしれない。

『アレキサンダー大王』と『シテール島への船出』は、レーザー・ディスクで持っている。でも、何度も見直す映画じゃないな。長すぎる。

でも、『霧の中の風景』は何度でも見たい。今でも心に残る印象的なシーンが幾つもあるから。それに、主役の2人が子供なのがいい。

・『タレンタイム』ヤスミン・アフマド監督作品(2009)マレーシア映画

この映画は最近観た中でも特に印象深い愛おしい1本。松本シネマセレクトと「赤石商店」とで2回観た。

女性監督のヤスミン・アフマドさんは、2009年にまだ51歳の若さで亡くなる。脳出血だった。「赤石商店」で今年の8月に観た『細い目』もオススメ!

■しばらく前だったか、麒麟特製レモンサワー(9%)を飲んで酔っぱらったとき、ふと思い付いたことがあった。

上記に挙げた 33本の映画を、ランダムに「赤石商店」の蔵のミニシアターで上映できないだろうか?

もちろん、上映無料。ぼくが見たい映画を、DVDで「赤石商店」さんに所場代払って大画面でもう一度観る。その時に、いっしょに見てもいいよって人がいたら、無料で見れますよ! っていう映画会だ。

町山智浩さんみたいな映画解説はとても出来ないけれど、上映終了後にぼくの個人的な解説を加えることも出来るかもしれない。

ねえ、これって案外おもしろい企画じゃないかな?

2020年11月 3日 (火)

『物語を売る小さな本屋の物語』鈴木潤(晶文社)

■このところずっと、元気のいい女性が書いた「エッセイ」を続けて読んでいる。

ブレイディみかこさん、伊藤比呂美さん、そして、鈴木潤さん。

『物語を売る小さな本屋の物語』鈴木潤(晶文社)を 110ページまで読む。四日市のメリーゴーランド本店店主の、増田善昭さんとの掛け合いが面白いな。少林寺の師匠にして、はちゃめちゃな上司。苦労が絶えない。(2020/10/31 のツイートより)
 
■でも、落語家の一門と同じなんだね。入門が許された弟子は、師匠から芸と作法を習い教えてもらって、自分流にアレンジし、その芸をさらに高く発展させて行く。ただ、あくまでもオリジナルの基本を身につけ、それを継承してゆくことも大事。
 
だけれども、師匠をそっくり真似してたんじゃあダメだ。師匠の完全コピーなんて、誰も期待しない。
私と増田さんは性格が似ているところがあって、お互いの言い分をぶつけて喧嘩になることがしょっちゅうだった。(中略)天真爛漫ですぐに調子のいいことを言ってあとで自分やスタッフの首を絞める社長にイライラしつつも、(少林寺拳法の)道場ではやっぱり尊敬すべき存在ということを再認識できるのだ。(p83〜84)
 長く一緒にいたからなのか、私と増田さんは呆れるくらい似ているところがある(p87)
しょっちゅう喧嘩をするし、ぶつかり合うけれど増田さんの思想や思いは私の中にしっかりと詰まっている。
 
私たちはとにかくよく働き、よく遊び、よく旅をし、よく話し、よく読み、よく食べ、たくさんの人に会った。増田さんは社長で少林寺拳法の師匠である。そして本に対する情熱、子どもの本専門店として在り続ける意義、縁を大切にすること、恩義を忘れないことなど本当にたくさんのことを増田さんから学んだ。
 
気が付けば全て自分らしく生きることに繋がっているのだ。私にとって増田さんは父親のようであり、親戚の叔父さんのようでもあり、憧れの先輩のような存在でもあり、今でも一番のライバルなのだと思っている。(p89)
 
 

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■京都一の繁華街「四条河原町」を南へ少し下った東側の「寿ビル5F」に、鈴木潤さんが経営する『メリーゴーランド京都』はある。河原町通りに面した一等地。でも、地元京都の人たちはこう言う。

「河原町でも、四条より下へはよう行かへんわ」

■増田善昭さんがやっている、三重県四日市にある児童書専門店『メリーゴーランド』の初めての支店として、2007年9月17日に『メリーゴーランド京都』はオープンした。従業員兼店長の鈴木潤さんが、ひとりだけで業務(現在は2人体制)する。

支店とはいえ、まったくの独立採算制。本店からの経済的支援はない。

赤字が続いて、店長がくじけてしまえば、それでお終い。キビシイ世界だ。

  だけど彼女はくじけない。

  泣くのはイヤだ、笑っちゃお

  進め〜〜!

 「私のモットーは『当たって砕けろ』だ。」

■もともと、京都の店も、社長の増田さんがある日突然「京都に店出すぞ。潤、京都に行くやろ?」と言い出して、彼ひとりだけの突然の思いつきで始まったプロジェクトだ。

 増田さんはきっと今までだって目に見えない何かに突き動かされて、まだ見えないどこかに向かってきたのだろう。書店の経験も全くない25歳の増田青年がある日突然「子どもの本屋をやりたい!」と言い出し、どんどんいろんな人を巻き込みながら店を作ってきたことだってきっとそういうことなのだ。

 私にはこの「根拠のない自信」がとてもよくわかる。(中略)

 私たちは目の前に波があったらとりあえず乗りたいタイプで、その波が大したことなくても、怪我をしたとしても「乗った」ことが大事。「逃した」ことで後悔したくないのだ。

そういえば増田さんはサーファーでもあった。(p97)

■本の後半、京都での仕事・生活が落ち着いてきた彼女は、京都の男性と出会い恋をし、結婚した。そして2人の男の子の母親になる。

ただ普通の人とちょっと違っていたのは、その男性が「徳正寺」という有名なお寺さんの後継ぎであったことだ。住職で父親の秋野等氏は陶芸家で、その母「秋野不矩」(あきのふく)は大変有名な日本画家という芸術一家だ。

■おおっ! 秋野不矩。以前に浜松を訪れたさい、旧天竜市にある「秋野不矩美術館へ行ってきたのだ。不思議な外観、内装の超個性的な美術館で、設計はあの藤森照信氏。

ちなみに、京都「徳正寺」にも、藤森照信氏が設計した茶室「矩庵」がある。

■大変な芸術一家のお寺さんだから、当然、潤さんの夫「迅くん」もただ者ではない。彼は僧侶という本業のかたわら、

文章を書いたり本の編集やデザインをしたりしている。古本屋めぐりが大好きで、仲間内から「ブッダハンド」と呼ばれている。古書善行堂の山本善行さんさんが古本屋の均一台から煌めくような本を探し出すことから、「ゴッドハンド」と呼ばれていていたことがあり、迅くんも時々そんなことがあったので神に対して仏ということで「ブッダハンド」と呼ばれるようになったのだとか。(p154)

 お互いに好きな作家も読む本も全く違うのだけれど、私は迅くんの言葉や本に対する思い、縁を大切にする人との付き合い方などとても尊敬している。なので時々私の書いた文章を「ええやん」「面白かったわ」と言ってもらえるととても嬉しいのだ。違うけれど同じ方向を向いている。同じだけれど時々違う方向も向く。

わたしたちはそんな夫婦だと思っている。(p157)

その続きを読んで行くと「荻原魚雷さん」の名前が!

おお、迅くんと友だちなのか。しかも、荻原魚雷氏は潤さんと同郷(三重県)なのだ。さらに、ぼくはいまちょうど『中年の本棚』荻原魚雷(紀伊國屋書店)を読み始めていたところだったのだ。

なんか、妙なシンクロニシティだな。

よのなか、不思議な縁でつながっているのかな? 

 ■以下、付箋を貼ったところなど。

もし学校生活に満足していたら、彼氏ができてバイトで稼いだお金で楽しく遊んで暮らしていたら、今のように本屋をやっていなかったかもしれない。

 人生は間違いなく繋がっている。「一生の汚点」と思い出したくないようなできごとも、「一生の不覚」と誰にも話せないようなできごとも含めて、その点と点が繋がって蛇行する川の流れだ。ボタン一つでリセットなんてできるわけがないのだけれど、人は良くも悪くも「忘れる」のだ。

私は自分に都合の悪いことや嫌だったことはちょっと隅っこに置いておいていつもは忘れているのかもしれない。「忘れたいこと」「絶対忘れたくないこと」「自慢したいこと」「つまらなかったこと」などなど全部ひっくるめて私の人生なのだ。(p47〜48)

美味しい料理の条件はまず第一に素材の良さ。次にどんな器に盛り付けるか、つまり見せ方。そして場の雰囲気だろうと思う。

 つまり、味はほどほどであれば良い。どんなに美味しい料理だって重苦しい雰囲気の中でそんなに好きでもない人たちと食べれば味も半減だろう。(p174)

 親は子どもが独り立ちするまでに色んなことを伝えたいと思うだろう。それには様々な方法がある。野生動物ならそれが狩りの仕方だったり、安全な寝ぐらを確保する生き抜くための術なのだろう。

 けれど本で伝えたいのは目には見えないものだ。それは薄ぼんやりした気持ちの揺らぎだったり、人に話さずにはいられないような感動だったりするだろう。それを言葉で話して伝えようとするのはとても難しい。けれど本でなら、すぐには確信できないかもしれないけれど心のどこかにそっと種をまくことができるのだと、私はブッククラブや店に来てくれるお客さんから教わったのだ。(p180)

 本は決して特効薬ではない。けれど行き場のない思いやどうしようもない悲しみ、何だか落ち込んでしまっている状況を少しだけ方向転換するきっかけをもらえたりするのだ。(p186)

 何気ない会話だったけれどみなさんとても仲よさそうで、楽しげで私までなんだか嬉しくなった。こんな風に一言二言だけでいいのだ。旅行で訪れた人も地元の人もさり気無いやりとりだけでいい一日が過ごせるような気持ちになるものだ。

道ですれ違う人みんなと会話するわけにはいかないけれど、店に来てくれた人が「今日は良い一日だった」と思えるひとかけらをメリーゴーランドで感じてもらえたらこんなにうれしいことはないと思う。(p229)

■「おわりに」を読むと、これまた驚いたことに NHKの歴史番組でよく拝見する磯田道史先生とは、息子さんたちの小学校で兄弟ともに「同じクラス」で、家族ぐるみのお付き合いをしているとのこと。

■それから、これは最初にツイートして失礼かと削除してしまったことだけれど、「この本」の表紙の色が、何とも懐かしい見覚えのある色合いなのだ(思い出した! ぼくの実家の便所の便器の色と同じ色なのだった。失礼いたしました、ごめんなさい。 あと、うちのブログの背景色も、なんだ同じ色じゃん!)

Blue In Green」は、マイルス・デイヴィスの名盤『カインド・オブ・ブルー』A面3曲目に収録された、ビル・エヴァンス作の印象的な楽曲だが、「それ」に「薄い灰色」を混ぜた感じの色なんだな。

どうして「この地味な色」が表紙のカラーに選ばれたのか? その答は 115ページに載っていた!

「メリーゴーランド京都」のお店に並ぶ本棚の色がみな、この色なのだった。

■前回京都へ行ったときは「古書善行堂」と「ホホホ座」には行ったのに、「メリーゴーランド京都」は訪れなかった。すぐ近くの、四条河原町の高島屋前にはいたのにね。残念。

追記)2020/12/09 

■録画してあった NHKBSP『英雄達の選択』「100年前のパンデミック〜“スペイン風邪”の教訓〜」を見る。大正時代、パンデミック下の京都で 12歳の少女が日記を付けていた。司会の磯田道史氏が訪れたのは、京都市の徳正寺。応対する住職は、井上迅(扉野良人)さん。なんとも優しそうで穏やかな風情の人だ。

続き)そう「メリーゴーランド京都」店主、鈴木潤さんの夫で、磯田道史先生とは家族ぐるみで友だち付き合いをしてるって、本にも書いてあったな。扉野良人(とびらのらびと)さんて、後ろから読んでも同じトマトみたいな回文になっているんだ!

『絵本といっしょに まっすぐまっすぐ』鈴木潤(アノニマ・スタジオ)を読んでいる。こんなふうに読み手に届く文章を書きたいものだ。例えばこんな文章。 「私が本を好きな理由のひとつに、『しあわせなため息』があります。一冊の本を読み終わり、本を閉じるのと同時に、体の中に言葉がおさまっていく

続き)というか、染み込んでいくのをじっと待つとき、思わずもれるため息。この感覚を何度も味わいたいけれど、なかなか出会えるものではありません。」32ページより。(2020/11/10)

『中年の本棚』荻原魚雷(紀伊國屋書店)を読んでいる。面白い! これは!と思ったのが「上機嫌な中年になるには」p32〜40。取り上げられている本は、田辺聖子の『星を撒く』。中でも「余生について」と「とりあえずお昼」それと、1つしかない不機嫌の椅子を夫婦で椅子取りゲームしてること。(2020/11/05)

ある程度の長さの文章を、毎日書き続けることが案外大事なんだな。ジムに通って筋トレするみたいに、日々の鍛錬が「読んでもらえる文章」を書くコツなのかもしれない。そのことは、黒猫の田口さんの文章を読んでいて、しみじみ実感することだ。見習わなければな。

140字以内のツイートばかりじゃ、ダメなんだよ。(2020/11/05)

2020年10月31日 (土)

伊藤比呂美『道行きや』(新潮社)が面白い!

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(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)

■『道行きや』伊藤比呂美(新潮社)は傑作だ。

以下、ツイートした文章を編集。

伊藤比呂美『道行きや』(新潮社)を読み始める。面白いなあ。『良いおっぱい悪いおっぱい』の頃からずっと、この人の文章が好きだ。読んでて元気が出る。bastards って「ゴースト・バスターズ」のそれだよね。引いたら、ろくでなし・くそったれって意味だ。

追記)2020/11/03  khさん がコメントしてくれました。

「ゴーストバスターズはGhostbustersです。動詞のbustは捕まえる、といった意味のスラングです。」

ありがとうございました! スペルが違うのですね。お恥ずかしいです。よく調べもせずに、無知をさらしてしまったなあ。反省。

表紙の「道行きや」の下に載っている英語が気になる。

「 Hey, you bastards! I'm still here! 」

ググったらすぐに分かった。映画『パピヨン』のラストシーン。椰子の実で作った浮き輪につかまったスティーブ・マックイーンが叫んだ言葉だった。おお、僕も映画館で観たぞ! オリジナルの『パピヨン』。

サントラがね、泣けるんだよ。検索したら、映画の脚本は、赤狩り(マッカーシズム)でハリウッドを追放された『ローマの休日』を書いた脚本家:ダルトン・トランボだったんだね。知らなかったな。

それを思うと、すっごく深いよね。この映画の主題。

続き)ツイッターはフォローしているので、カリフォルニアから保護犬のジャーマン・シェパードを連れて日本(熊本)に帰国し、早稲田で文学を教えていることは知っている。『犬心』も読んだから、彼女が以前に飼っていたジャーマン・シェパードのことも知ってるよ。だから、「鰻と犬」はハラハラだった。

続き)これは!と思ったのが、その次の「耳の聞こえ」だ。31ページ。

「違うのだ」と父も夫もくり返した。

「正面から向き合ってしゃべってくれ」

「1音1音はっきり話してくれ」

「高音のサ行やカ行はとくに聞きにくいから、低い声で発音してくれ」

「固有名詞はゆっくりと確実に発音してくれ」

これはつい最近知って驚いたことだが、補聴器ってめちゃくちゃ高いんだね。軒並みうん十万円する。義父の耳の聞こえが悪いので「補聴器を買い換えたら?」と言ったら、妻に怒られた。伊藤比呂美さんは、難聴の老人の苛立ちと恥ずかしみ、やるせなさ、悔しさを「humiliating」という単語で表現する。

あ、「屈辱的」っていう意味ね。

伊藤比呂美『道行きや』(新潮社)の続きを読む。「粗忽長屋」「燕と猫」「木下ヨージ園芸百科」「むねのたが」メガネをなくし、鍵をなくし、とにかく物をなくす。落とす。そして忘れる。一つのことに集中できない。ADHDには、いま、いろいろと良い薬が出ている。生き辛さが酷ければ、それもいいのでは

でもそれだと、彼女の溢れ出る芸術的衝動が損なわれてしまうような気もする。むずかしいな。「燕と猫」はちょっと怖い。熊本には川があって、その遊水池には様々な植物が繁茂している。夕暮れ。椋鳥は南へ向かい、燕は遙か上空から葦原へ落下する。まるで死に向かうみたいに。

引き続き『道行きや』伊藤比呂美を読んでいる。「山のからだ」は、彼女にしか書けない真骨頂だな。熊本の彼女の家から東方にそびえる立田山には、山の神が三体在る。彼女は三体目の山の神に気に入られている。山を人体とすれば、ちょうど臍下くらいの場所(子宮か丹田)に、その小さな石の祠がある。

山の臍下だから、かなり奥まったところにあって、彼女は犬を連れてそこに行くたび、そこから戻るたびに迷って、数時間歩き続けた。彼女はその「石の祠」に前に立ったとたん、全身をわしづかみされたような気がした。これまで感じたことのない感覚で、信じたこともない何かだったという。

その「石の祠」が醸し出す異様な妖気に当てられたには、彼女だけではなかった。

ところが、山の神の在るところに近づくにつれて、犬が歩かなくなっていった。後ろから何かが来るというような。聞き慣れぬ音がするとでもいうような、そんな様子で何度も後ろを振り向いて、立ち止まって動かなくなっていった。焦れて呼んだら、ぺたんと座って、赤いペニスを出して、首をかしげてこっちをみつめる犬は、ほんとうに美しかった。(88ページ)

続き)『もののけ姫』の森のイメージを匂わせつつ、もっとアメリカ的な「荒野」とか「野生」とかを感じる。なにか、生き物と自然の織りなす根源的な「生」と「エロス」を体感させる文章だと思いました。クラカワー『荒野へ』(集英社文庫)を思い出したな。

■伊藤比呂美さんは、アメリカでよく「オノ・ヨーコに似ている」と言われたそうだ。そうかなあ? と僕は思う。日本からアメリカへ渡った「ヨーコさん」はオノ・ヨーコ(彼女は、日本→ロンドン→ニューヨークだけれどね)だけではない。比呂美さんの周囲にはヨーコさんがいっぱいいる。

陽子さん、容子さん、耀子さん、瑤子さん、洋子さん。あれ? もっといたっけ……。

アメリカで「グリーンカード」を取得することは、移民としてアメリカに永住権を得ることだ。アメリカに住み続けること、税金は払うこと、でも選挙権はないことを約束させられる。異邦人として。日本領事館へ行けば、日本のパスポート更新ができる。でも、日本に帰ってそのまま居続けることはできない。

比呂美さんは、結局「市民権」を取得する。「永住権」と「市民権」、アメリカ在住の日本人はみな悩む問題なのだそうだ。さらに厄介なのは、アメリカ人と結婚した日本人女性が、離婚して子供を連れて日本に帰国しようとすると、アメリカには「ハーグ条約」っていうのがあって、監護権のある親(アメリカ人の父親)から同意なしに子供を国外に連れ去ってはいけないという条約。アメリカで暮らすということは、想像できない様々な不都合があるのだな。

『道行きや』伊藤比呂美 読了。熊本、カリフォルニア、東京、新潟、名古屋、ポーランドと、彼女は常に疾走する。走り続ける。タンブルウィード(転がる草)みたいに。転がる石じゃなくて、もっと軽やかに世界を駆け巡る。かっこいいなあ。

「量も、動きも、存在も、いかにも過剰だった。過剰なのだった。過剰に吹き寄せられ、過剰に吹き溜まり、風が吹くと、風なら、絶え間なく吹きつづけていたのだったが、次から次へと路上に転がり出ていって、車に轢き潰された」

2020年8月28日 (金)

最近観た映画『ゆきゆきて神軍』と『細い目』のこと

■この8月中旬以降に観た2本の映画について。ツイッターに投稿した文章を改編して載せます。

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(画像を)クリックすると、大きくなります

■■ 原一男監督作品『ゆきゆきて神軍』■■

【8月16日】 原一男監督作品『ゆきゆきて神軍』を「まつもと市民芸術館小ホール」まで行って観てきた。初見は 1988年1月松本中劇シネサロンで確か観ている。なんと!32年ぶりの再見だったが、今回の方が圧倒されたし、いろいろ腑に落ちた。奥崎謙三は映画撮影時62歳。僕もこの9月で62歳になる。今こそ必見の映画だ。

初見の時は、奥崎謙三の強烈な個性と行動原理にただただ圧倒された。革靴履いたまま、かつての上官を平気で殴る蹴る。トンデモナイおやじだ。そう思った。この映像の場面だ。


YouTube: Do you want the police? - The Emperor's Naked Army Marches On (1987)

奥崎謙三は言う。「私は、責任も取らずにのうのうと生きている人間が許せないのだ」と。その頂点にいるのが「ヒロヒト」だと。

日本は、75年前から今でも何にもまったく変わっていない。誰もちゃんと責任を取らない。そういうことがめんめんと繰り返されている。奥崎謙三は、トンデモナイ性格破綻者であり、世間に迷惑な犯罪者ではあるのだが、彼のこの「行動原理」はまったくもって正しい。「ヤマザキ、天皇を撃て!」奥崎はそう叫んで、パチンコ玉を打った。

彼はずっと、たった一人で国家権力に対し真っ向から刃向かった。

そのためには、暴力を行使することも致し方ない。それが彼の考えだ。

ただ、自らが犯した暴力に関しては、ちゃんと責任を取って刑務所に入った。で、刑期を満了して出所した。それは、彼がピストルを発砲し相手に重傷を負わせた最後の犯罪においても、責任を果たし刑期を満了して出所している。奥崎はいつでも、ちゃんと自分で責任を取って落とし前を付けてきたのだ。それが彼なりの仁義、流儀だった。

■近畿財務局勤務で公文書改ざんを強いられ、自殺に追いやられた赤木俊夫さんの妻、赤木雅子さんが「この映画」を観終わったあと、原一男監督と会ったそうだ。彼女も、たった一人で国家権力に立ち向かおうとしていた。

https://hbol.jp/226688

この映画を観ていてちょっと感動するのは、奥崎の2歳年上の奥さんが、彼のことを絶対的に信頼しいっしょに行動しているとこだ。彼のために、何度も別人(ニューギニア戦線部隊兵士の遺族)のふりもしている。でも、苦労が絶えなかったんだろうなあ。奥崎が収監されたあと、まだ60代だったのに、一人淋しく亡くなる。

■【『ゆきゆきて神軍』追補】:映画が始まって暫くして笑ったのが、奥崎が兵庫県警の公安担当に電話すると、相手は即座にやって来て「先生、今後のご予定は?」と訊く場面だ。警察が奥崎のことを「先生」とヨイショしていて、奥崎はまんざらでもない、いや当たり前だと思っていた節がある。


YouTube: ゆきゆきて神軍 YukiyukiteShingun (introduction)

映画上映後のアフタートークで、リモート出演した原監督はこう言った。「彼の最終目標は、新たな宗教の教主になることだった」と。あの狂信的なパワーの源は、強烈なコンプレックスの裏返しだと。俺のことを、俺が生きた証しを認めてくれ!という切実な願望だったのだと。

奥崎は原監督に言った。「あなたは何故『センセイ』と呼ばないのか?」と。先生と呼んだら、二人の関係は「師弟」になってしまう。弟子になってしまったら、映画は撮れない。あくまでも対等の関係でなければ。さらに、奥崎は最後に実行することになる犯行計画を原監督に明かしていた。その犯行場面を映像に撮れ! と。さすがにそれだけは出来ない。原監督は奥崎に言って断った。


YouTube: ゆきゆきて、神軍 予告編

■奥崎が島根県山中に暮らす妹尾元軍曹を訪ね、突然激高した奥崎は元上官をボコボコ殴り床に組み伏せた。妹尾は首だけ起こしカメラに向かって「いいか、ちゃんと撮れよ!」と言った。暫くして家人に呼ばれた近所の男達3人に逆に押さえつけられ一気に情勢は逆転。

こんどは奥崎が顔だけカメラに向けて情けない表情で「おい、撮るな!止めろ!」と言うシーンには笑ってしまった。妙なユーモアがある映画だったな。

■ぼくが何故、奥崎に惹かれるのかというと、彼がアナキストだからだ。ぼくが大好きな殿山泰司がアナキストだった。奥崎にも同じ匂いがした。伊藤野枝にも、金子文子にも。そして、赤木雅子さんにも!

ガンバレ!! 赤木さん。

2020年8月 4日 (火)

医院の冷房室外機が故障した

■とうとうブログの更新間隔が2ヵ月以上も空いてしまった。

言い訳をすれば、6月7月と忙しかったのです。

これは以前にも書いたことだけれど、ぼくに降りかかるトラブルの多くが6月に集中して発生するのだ。で、今年の6月にも実はいろいろあった。一番大変だったことはここには書けないが、2番目に起こった大変な事態が、医院の冷房システムの室外機(大きなファンが縦に2つ並んでいる)の下のファンが、回らなくなってしまったことだった。

■毎年6月に、医院の冷房システム(本体機械は天井裏に設置され、ダクトで各部屋に冷気が送られている)の点検をダイキンにお願いしているのだが、何かあるといつでも松本から駆けつけてくれる担当氏が点検終了後にこう言ったのだ。

「室外機の下のファンが故障して回らなくなっています。設置して20年以上経つので、交換部品はなく修理は不可能です。上のファンは生きてますので、まだ冷房は使えます。ただし、猛暑で外気温が上がると、ファン1つだけだと熱放散が追いつかずオーバーヒートして、システムが止まってしまう恐れがあります」

僕:「ええっ!? ということは、この夏は冷房が使えないってことですか?」

ダイキン:「はい。システムを全取っ替えするしかないですね。屋根裏から本体を取り出して新しいものに交換するには、天井に大きな穴を開けて、しっかり足場を組んでかなり大がかりな工事が必要になります」

ぼく:「えええ!!?? でも、冷房なしでこの夏を乗り越えることはできないので、医院を設計施工した住宅メーカーのリフォーム担当者に訊いてみます。 ところで、取りあえず冷房を使っていてオーバーヒートしてしまった時には、どうすればいいんですか?」

ダイキン:「あ、水をかけて下さい。室外機に。裏側の放熱板にです」

・ 

■天井に大きな穴を開けて機械を入れ替える大工事。それは大変だ。めちゃくちゃ費用もかかりそうだ。いやまてよ? 天井裏の装置はそのままで、医院の各部屋に家庭用のエアコンを必要数設置したほうが安上がりなのではないかな?

ただ、ヤマダ電機や「ジャパネットたかた」で格安エアコンを購入し設置工事してもらうことは出来ない。電機の配電盤、配線、ツーバイシックス構造と断熱材の配置。そうしたものを熟知した住宅メーカーを通さないと、結局エアコン設置はできないのだった。世の中すべて、そういうふうに出来ているのだ。

住宅メーカーのリフォーム部に見積もりを出してもらった。ををを! 結局○00万円近くかかるじゃないか…… しかし、夏はすぐそこまで来ている。時間がないとハンコを押した。8月上旬には着工できるとのこと。よかった!

■ただラッキーだったのは、7月が冷夏だったことだ。確か去年は7月初めから30℃以上の猛暑が続き、こんなんでマラソンできるのか? と、IOCから言われた東京オリンピック招致委員会はしぶしぶマラソン・コースを札幌に変更した。ああ、思いだしたよ「こんなに暑くて、ほんとに東京オリンピック開催できるの? トライアスロンが行われるお台場は、大腸菌ウヨウヨで大丈夫なの?」たぶん多くの人たちがそう感じていたはずだ。

ところが! 今年は長雨が続き涼しい毎日。医院も窓を開けるだけで心地よい風が待合室に吹き込み、冷房を入れる必要がまったくなかったのだ。

しかし、さすがに梅雨明けした8月になって、冷房なしでは厳しくなった。室外機のファンは一つだけでもなんとか頑張ってくれていた。昨日までは。

■今日の昼休み、午前中は窓を開け放ち外気の風だけで何とか過ごしたが、さすがにダメだ。冷房のスイッチオン。ところが! エラーの表示が出たきり「うん」とも「すん」とも言わない。あっちゃー、オーバーヒートだ。

ダイキン:「あ、水をかけて下さい。室外機に。裏側の放熱板にです」

おおそうじゃ! 水をかけるのじゃ!!

最初はジョウロに水を汲んできて室外機の横に水をかけた。しかし動かない。

次はバケツリレーだ。これはいけるんじゃないか? しかし動かない。

仕方なく妻がカインズホームまで行って、庭の水撒き用 30m のゴムホースを買ってきて自宅の蛇口に接続。ぼくが先端のシャワーの取っ手を握り、室外機裏面の放熱板に連続して放水を「これでもか!」と続けた。

すると「チチチチチ…ゴオゥ〜〜」と室外機のスイッチが入り、上の段のファンが回り始めた。よかった!

院内に冷気が流れる。助かったぞ!!

明日もう一日だけ堪えてくれよ、室外機。

明後日の午後には、新しい空調システム工事が大方終了する予定だ。

それならば、おまえが頑張ってファンを回すのは、明日1日。

ガンバレ! 

暑くて辛かったならば、いくらでも俺が水をかけてやるよ。

コロナ禍で、たぶん患者さんはそんなに来ないから、

30分おきに水をかけてあげる。

だからさ、

明日1日

なんとか

勢いよく

ファンを

回してくれよ!

お願いだからさ。

2020年5月30日 (土)

演者と観客とが「息を合わせる」ことについて

■気がついたら、前回の更新から1ヵ月以上過ぎてしまった。

最近「書きたい」って思うことが何もないのだ。情けない。

コロナのせいだ。

この3ヵ月、小説がまったく読めなくなってしまった。

漠然とした不安に常時覆われていて、小説世界に没入することが出来なくなってしまったからだ。それと、フィクションなら有り得ないような信じられないくらい「くだらない、人をバカにしたような」(アベノマスクとか、スピード感をもってとか、賭け麻雀とか、ブルーインパルスとか)不条理でリアルな毎日の堪え難い苦痛を連日我慢していたら、いつしかすっかり慣れてしまって、小説世界の「リアルさ」が、逆に嘘っぽく思えてきたからかもしれない。悲しい。

■そんな中でちょっと「これは!」と思った文章。

「斎藤環氏の note」

山田ズーニー「おとなの小論文教室」Lesson 966 失われた「息」

■「息を合わせる」ためには、ステージ上の演者同士、それから演者と客席の観客とが、同時に息を吸ってそれから吐く動作が必要だ。

その簡単な例が「お笑い」だ。息を吸いながら笑うのは、明石家さんましかいない。普通、人は笑う時、息を吸って貯め込んでから思い切り「わはは!」と息を吐き出す。それが「笑い」だ。

それで思い出したのが、国立こども図書館の松岡享子さんが、語りの「間」について語っている文章だ。『お話しを語る』松岡享子(日本エディターススクール)98〜101ページ。

ずいぶんと前に書いた(本文を引用・抜粋した)文章(2005/04/05)だが、以下に再録します。

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●彼女は、「間」には基本的にふたつの働きがあると言っている (p98)


 ひとつは、語り手がそれまでに語ったことを、聞き手に受けいれさせる働きです。語り手が、「おじいさんとおばあさんがいました」といえば、聞き手は、「ああ、おじいさんとおばあさんがいたんだな」と思い、心のスクリーンに、おじいさんとおばあさんを描きだします。これに必要な時間が間です。(中略)

 間のもうひとつの働きは、聞き手の気持ちを話の先へつなげていく働きです。さきほどの例でいえば、聞き手が、「ああ、おじいさんとおばあさんがいたんだな」と、その事実をのみこんで、さらに「そして、その人たちがどうしたの?」と、問いかける時間です。つまり、聞き手が、語り手に、話を先へすすめるよううながす時間です。(中略)

語り手に話の先をうながす間は、同時に、聞き手に能動的な聞き方をうながす間でもあることがおわかりいただけるでしょう。間が与えられてはじめて、聞き手は、疑問をもったり、予想をしたり、期待したり、要するに、自分の中で話についてさまざまに、思いめぐらすことが出来るのです。これは、聞き手の側からの話への参加です。


『子どもへの絵本の読みかたり』古橋和夫(萌文書林)を伊那市立図書館から借りてきて読んでたら、また、間の働きのはなしがでてきた。「読みかたりでの「間」について 『間で聞き手を魔法にかける』 



「人間的感動の大部分は人間の内部にあるのではなく、人と人との間にある」

フルトヴェングラー、芦津丈夫訳『音楽ノート』(白水社)

◆2つの「間」について
「間」の取り方というのは、休止のことです。この休止については、「論理的休止」と「心理的休止」があると言ったのは、演出家のスタニスラフスキー(『俳優の仕事』千田是也・訳、理論社)です。(中略)

スタニスラフスキーによりますと、「論理的休止」とは、「いろいろの小節や文を機械的に分けて、その意味をはっきりさせる」休止のことです。文章には、句読点がありますが、それが意味のひとまとまりをつくっています。論理的休止とは、この句読点のところに置かれる「間」のことです。

もうひとつの「心理的休止」とは、「思想や文や言語小節に生命を吹きこみ、その台詞の裏にあるものがそとにあらわれるようにする」「間」のことです。(中略)

たとえば、『おおきなかぶ』を例にとりますと、「おじいさんは かぶをぬこうとしました。『うんとこしょ どっこいしょ』……」というところで、「間」をとります。「うんとこしょ どっこいしょ」という言い方は、おじいさんが力を込めてかぶをにいている様子です。それにつられて、聞き手の方も思わず力が入ってしまいます。「ぬけるかな」という期待が高まります。

このような「間」を置いてから、「ところが かぶは ぬけません」といふうに語りますと、その場のイメージに力を感じていた分、抜けないという事実との落差に意外性を感じていくのです。また、それが楽しくおもしろい読みの体験です。このような「間」が「心理的休止」であるといってよいでしょう。(p64 ~ p74)

●何だか、分かったようなわからんような解説だが、またまた出ました、有名なスタニスラフスキー・システム。このあたりのことを、松岡享子さんは、もっと直感的に分かりやすく説明してくれます。例えば、こんなふうに……


 ところで、間には、ここに述べたふたつの基本的な働きのほかに、もっと微妙な、もっとおもしろい働きがあります。たとえば、場面転換に使われる間とか、聞き手の気持ちをひとつにまとめる間などです。


 お話には、パッと場面が変わるとか、長い時間が経過するとかいったように、そこで話が大きく変わるときや、生まれたときある予言をされていた女の子が、時が経ってその予言の成就する年頃になりました……といったときなど。これは、お芝居でいえば、いったん幕が下がったり、暗転したりするところです。

ただ、お話では、それができませんから、そこで十分に間をとることで、場面の転換を表現します。こうした間は、いわば聞き手の心のスクリーンをいちど白紙にして、そこに新しいイメージを迎え入れる準備をする働きをしているといえるでしょう。


 もっと強力な、もっと効果的な間は、話のクライマックスで用いられる間です。これは、緊張を盛りあげるための間といえばよいでしょうか。たとえば、風船をふくらますときなど、強く息を吹きたいとき、わたしたちは、いったん息をとめて、それから勢いをつけて息を吐きだします。

それと同じように、話のおしまいなどで、だんだん積みあげられていったサスペンスが一挙にくずれるとき、あるいは大きなどんでんがえしがあるときなど、もちあげられ、ふくらんだエネルギーが一気に開放される場面では、この「息をとめる」間がとられます。「エパミナンダス」の話のおしまいで、「エパミナンダスは、足のふみ場に気をつけましたよ、気をつけましたとも」のあとに来る間などがそれです。

 この間は、語り手と聞き手の呼吸を共調させる動きをもっています。わたしは、音楽の演奏でも、物語の語りでも、演劇でも、演者と聴衆が時間を共有して行う芸術では、両者の間に一体感が生み出されるときには、両者は同じ呼吸をしているのではないかと思います。

ともあれ、少なくとも、さきの述べたような、”劇的”瞬間には、両者の呼吸は一致していなければなりません。聞き手は、このときの語り手の一言で、ホーッと緊張をといたり、「ワァーッ」と笑ったりするわけで、そのときには、そろって息を吐かなければなりません。そのための時間、それが間なのです。つまり固唾をのむ時間というわけです。

 このことについて、亡くなった落語家の柳家金語楼が、たいへんおもしろいことをいっていました。金語楼は、あるインタビューで、「人を笑わせるこつはなんですか?」と聞かれたのに対し、言下に、「それは、人が息を吐く寸前におかしなことをいうことです」と、こたえていました。そして、「人間というものは、息を吸いながらでは笑えないものですよ」と、いっていましたが、なるほどと思いました。

そういえば、落語の下げの前には、必ず、たっぷりした間があります。その瞬間、聴衆が揃って、「……?……」と息をとめるからこそ、次の瞬間、一斉にドッと笑えるのです。間には、まちまちに吸ったり吐いたりしている聴衆の呼吸を一致させる働きもあるわけです。(p99 ~ p101)『お話を語る』(日本エディタースクール)

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■この柳家金語楼のはなしが大切なことの「すべて」を「たったひと言」で言い表していて素晴らしいですね。

■同じ頃(2005/1月)書いた文章を読んでたら、こんなのもあった。

「落語」と「絵本」の読み聞かせは、よく似てる?(その1)2005/01/04

松岡享子さんの『お話を語る』については、このページの 2005/01/20、01/21 にも記載があります。

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