2013年11月 4日 (月)

師匠とその弟子の関係は連鎖して行く(その1)

 

■今日 11月4日(月)文化の日の振替休日は、スタッフ4人に休日出勤してもらって「インフルエンザ・ワクチンの集中接種」を実施。午前9時から午後4時半まで、約130人に接種した。正直疲れた。やれやれだ。これだけ皆で苦労して一生懸命やっているのだから、もう少しワクチンの効果があってもいいのにと、毎度ながら思ってしまう。

 

■さて、このところずっと「小津安二郎」ばかりなのだが、実は今回も先日読み終わった『小津安二郎の反映画』吉田喜重(岩波書店)と、いま読んでいる『小津ごのみ』中野翠(ちくま文庫)のことを書こうと思っていた。しかし、吉田喜重の『小津安二郎の反映画』が案外手強かった。文章は平易なのに言ってることがむずかしい。ちゃんと理解できていないことがもどかしいのだ。

というワケで、この話題は宿題とさせていただきます。

 

■で、もう一つ。ずっと書こうと思っていたことを今日は書く。

NHK朝ドラ『あまちゃん』の脚本家、宮藤官九郎の師匠は、劇団「大人計画」主宰の松尾スズキだ。『あまちゃん』にも、原宿の喫茶店「アイドル」のマスター甲斐さん役で出演したいた。

実を言うと、ぼくは松尾氏の本を『老人賭博』(文藝春秋)と『ギリギリデイズ』(文春文庫)しか読んだことがなかった。もちろん大人計画の舞台も映画も見たことがない。あの、クドカンに原稿用紙の書き方から教えてやったという松尾スズキなのにだ。

 

 早速、松尾氏の最新刊『人生に座右の銘はいらない』(朝日新聞出版)と、処女作である『大人失格』松尾スズキ(知恵の森文庫・光文社)を入手して読んでみた。どちらも、すこぶる面白かった。最新作では案外マジメに真摯な解答をしていることに驚いたし、弟子であるクドカンに対して妬み嫉みを顕わにしている点が、師匠らしからぬ自虐的セコさを強調するキャラが見え見えで笑ってしまった。

 

『ギリギリデイズ』なんて、酔っぱらって書き散らかしただけのような文章(ごめんなさい。でも、だからこそのドライブ感と刹那さが絶妙にアレンジされた傑作だと思う)だったのに対し、『大人失格』の気合いの入った全力投球の文章は何だ? とにかく凄い! なるほど、これは傑作の誉れ高い本だぞ。

 

ただ、前半はちょっと硬い。『大人失格』で本当に面白い文章は、適度に肩の力が抜けた、もうどうでもいいかと著者が開き直った後の文章だ。「Hanako」連載初期の文章は、どうみたって彼の師匠「宮沢章夫」のモノマネだ。「『まぬけ』へのベクトル」を読むと特にそう感じる。話題の展開のしかた、文章のリズム、間の取り方。その口調。そのままじゃないか。松尾氏はたぶん自分でも意識していたんじゃないか?

 

ちなみに、彼らの「師匠の系図」を明らかにすると、

   宮藤官九郎 → 松尾スズキ → 宮沢章夫 となる。

 

で、松尾氏が師匠「宮沢章夫」の呪縛から解き放たれた瞬間が、『大人失格』を読んでいくとと何となく判るような気がするのだ。

ところで、師匠の宮沢章夫氏は無名時代の松尾スズキ氏のことをどう思っていたのか?

 

その答は、『考える水、その他の石』宮沢章夫(白水社)p55。「下北沢と怪しい眼差し ---- 大人計画と松尾スズキについて」に書いてある。

 

 数年前、松尾スズキにはじめて会ったのは、私が演出するナベナベフェヌアの第一回公演『電波とラヂオ』の稽古場で、彼がどういう経緯でそこに来たのか今になっては私にもよくわからないが、それは今でも変わらない不健康そうな顔色と怪しい目つきを携え彼は私の前に現れた。

その姿は貧乏が実体化しているとしか私の眼には映らず、実際、その日の所持金を手のひらに出してみると、彼の手の上には小銭ばかりが二百円ほどしかないので、そうした貧乏はもう十年前には終わっているんじゃないかと思っていた私にしてみれば、まだここに存在しているのだと認識させられ、ひどく不思議でならなかった。 (中略

 

前述したトラディショナル・プアーやニュー・プアーと明らかに違うのは、彼らが、彼らの貧乏を表現する手立てを持つことによって時代の雰囲気を作り出す奇妙としか言いようのないパワーを内在させていることだ。

 時代とともにその姿は変化するが、ここで不思議なのは<町>が表現に形を与えることだ。かつての新宿がそうだったろう。吉祥寺がそうだったこともある。今、そのことで私が感じる<町>こそ、下北沢に他ならない。

 大人計画の魅力とは、すなわち下北沢が形象する、この時代の隠蔽された領域に漂う空気だ。無論のことそれは作ろうとして作られたものではなく、かつて「薬品関係」の怪しい仕事をしていた者のなかからやみがたく湧き出す<表現>に違いない。(中略)

 おそらく彼はそんなことには気づいてはいまい。彼の内部の<呪われた部分>がそうさせ、そのことから私は、『猿ヲ放ツ』を、<下北沢ニュー・ゴシック・ロマンス>と呼ぼうと考えているのだ。(『シティロード』1991年4月号)

 

■『考える水、その他の石』宮沢章夫(白水社・2006年刊)を読むと、「大人計画」のことが何度も出てくる。宮沢氏本人もこう言っている。

 

いきなり私事で恐縮だが、評論集(この本)を出すことになった。それで過去の原稿を整理する必要があり、まとめて目を通して驚いたのは、大人計画について書いた文章がやけに多いことだ。なぜ私はこんなに、大人計画について書いたのだろう。彼らの何が私に多くを語らせたのか。(p68「本能の物語」『シティロード』1994年 4/5月合併号)

 

はじめて「大人計画」が登場する文章は、たぶんコレだ。

■劇団健康『カラフル・メリィでオハヨ』/大人計画『手塚治虫の生涯』

 

 知人が出演、あるいは演出する舞台を同じ時期に二つ観た。ひとつがあのケラが主宰する劇団健康で、知名度も高く、一定の評価も与えられているが、もうひとつは、私の舞台にも出演してくれた松尾スズキの、そんな名前を聞いても、誰だそいつはと言われるだろうけど、まるで無名の大人計画である。

 

(中略)ストレートな物語をどう語るかについての冒険だ。重層的な、「面白さ」への志向があるからこそ、この舞台を、ケラの作品を私は支持するのだ。

その冒険について、そうした面白さについて、久々に刺激を受けたのが大人計画の舞台だった。もちろん役者のなかにはまだまだ未熟な人もいるし、幾つかの部分でクオリティの低い印象を受けもするのだが、語らずにはいられない面白さがそこにはあった。

『手塚治虫の生涯』と題されたその作品は饒舌とも思えるほど過剰に物語りが語られていく。それはガルシア・マルケスを想起させるし、過剰な物語が迷宮のなかを彷徨する様は、トマス・ピンチョンの小説世界だ(っていうのはほめすぎか)。逸脱したり、後戻りしたり、ひとつの物語から、また別の物語へとイメージが錯綜する文脈の重層的な構造は、私の頭脳を刺激してやまなかった。

私も自分の舞台で同様の方法を取るが、山藤章二さんをはじめとするお年を召した方々は「何だかわからん」とおっしゃるよ。そんなの知ったことかであるよ。

 重層的な非決定の面白さだ。(p108『TARZAN』1988年10月より)

 

なんと、最大限の賛辞ではないか! すごいな。しかも宮沢氏は、松尾スズキのことを「弟子」とは言わずに「知人」と言っている。(まだつづく)

 

 

 

 

2013年10月27日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その101)箕輪町おごち保育園

■今日の日曜日は、上伊那郡箕輪町「おごち保育園」で『パパズ絵本ライヴ』。

 

ところが、音楽監督でギター伴奏&MC担当の倉科パパが都合で欠席なのだ。宮脇パパも仕事で不在。ということは、伊東・北原・坂本の3人だけで頑張らねばならないのだった。

今までも「3人のみ」で乗り切ったことは何度もあった。でも、この3人の組み合わせは初めてなのだ。

 

■ギター伴奏:北原。 MC担当:伊東

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    <本日のメニュー>

 

 1)『はじめまして』新沢たつひこ(ひさかたチャイルド)

 2)『このすしなあに』塚本やすし(ポプラ社) →伊東

 3)『うんこしりとり』tupera tupera (白泉社)→北原

 

伊東パパが「お寿司、好きな人?」って訊いたら、みんな「はーい!」って手を挙げたので、ぼくは自信をもって「うんこ好きな人?」って訊いたら、ドン引きだった。

しかも、歌い出しのピッチを間違えて、音程が高くなってしまい、高音が出なかった。やれやれ。

ただ、こどもたちも、お父さんおかあさん方も、このかつてない絵本は衝撃的だったようだ。「え〜ぇ! ありえない」って場内は騒然となった。しめしめ。歌がイマイチ上手くいかなかったので「グーグルで『うんこしりとり』って入れると、YouTube でホンモノの歌が聴けますよ!」って教えてあげた。

 

tupera tupera「うんこしりとり」のうた
YouTube: tupera tupera「うんこしりとり」のうた

 

 

 4)『はいチーズ』長谷川義史(絵本館)

 

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 5)『かごからとびだした』(アリス館)

 6)『くだものだもの』よしだかつ(福音館書店) →伊東

 7)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店)→伊東

   こどもたちに大受け! いい写真が撮れたよ。(写真をクリックすると大きくなります)

 

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 8)『ぺんぎんたいそう』齋藤槙さく(こどものとも 0.1.2. 福音館書店)→北原(これは歌わず)

 9)『パパのしごとはわるものです』坂橋雅弘さく(岩崎書店) →坂本

 10)『ふうせん』(アリス館)

 11)『世界じゅうのこどもたちが』

 

■やっぱり、倉科さんがいないと「伊那のパパズ」は成り立たない。

それでも、伊東・北原・坂本でベストを出し切っての「おごち保育園」であった。

特に、MC伊東の活躍が大きかった。臨機応変自由自在。流石だ。 

 

そうとはいえ、ギターの練習不足は如実だったな。Fとか普段から押さえていないと、急にはちゃんと鳴らないんだ、ギターが。伴奏者としては今日はダメダメ。反省だな。

 

2013年10月24日 (木)

ユリイカ11月臨時増刊号『総特集 小津安二郎 生誕110年/没後50年』

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■『ユリイカ 総特集:小津安二郎』が面白い。1800円税別は確かに高いが、買って後悔はない。もう語ることなどないのかと思われていた小津だが、いやいやまだ新たな切り口はあるのだな。斉藤環の子供論、宮本明子のおじさん論、四方田犬彦の反小津論。それにやはり吉田喜重が何よりも読ませる。(昨日のツイートから)

 

■まず読んで面白いのは、何と言っても「梱包と野放し」と題された、蓮實重彦 × 青山真治 対談なのだが、蓮實氏が期待どおりの暴走と過激な発言を連発することで、昔からのファンが溜飲を下げるといった内輪受け狙いの内容に過ぎなかった。「デンマークの白熊」のことを知らなかった田中眞澄氏の挙げ足取りをして、嬉々として勝ち誇る蓮實氏の老化ぶりに、僕は正直落胆した。

 

蓮實:(前略)妙な理解はやめよう。とにかく小津を梱包しないこと、野放しにしなければいけないのです。その野放し状態の小津と、どう向き合えばよいのか。ヘルムート・ファルバーにはちゃんと向かい合い方を心得ていたのです。「変」なものを「変」だと指摘したまま、いわば放置しているからです。(p82)

 

そんなこと今さら言われたってねぇ、雑誌『リュミエール』や『監督小津安二郎』を読んで多大な影響を受けてしまったかつてのフォローワーは、困ってしまうではないですか。

 

ただ、『蓼科日記』に言及した部分で、小津が画用紙を切って作った「カード」を並べ替えながら、映画のシーンを組み建てていった事実に興味を持った。あれ? 似たような話を最近読んだばかりだぞ。そう思ったのだ。

思い出した。『演劇 vs. 映画』想田和弘(岩波書店)だ。ドキュメンタリー映画作家である想田和弘氏の映画編集の方法が「まさにそれ」だったのだ。面白いなあ。

 

■「総特集 小津安二郎」と掲げるからには、蓮實氏と対極にあった田中眞澄氏の業績にも触れなければなるまい。で、それはちゃんと載っていた。244ページだ。偉いぞ。

  「反語的振舞としての『小津安二郎全発言』」 浅利浩之

これは読み応えがあったな。

2013年10月22日 (火)

アキ・カウリスマキ と 小津安二郎の「赤いヤカン」(つづき)

■実を言うと、フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの作品を、ぼくは今まで1本も観たことがなかったのだ。

『浮雲』とか『マッチ工場の少女』とか『過去をなくした男』とか、その作品名だけは知っていた。それに、彼の映画はまるで「OZU」の映画みたいだっていう噂も。しかし、彼の映画は伊那では見ることができなかった。TSUTAYAにもなかった。見れば好きになるに違いないということは判っていたんだ。ぼくの大好きなホオ・シャオシェン(侯孝賢)の映画『恋恋風塵』や『往年童子』みたいに。

 

映画『ル・アーヴルの靴みがき』のファースト・シーン。駅の構内か? 主人公の靴みがきと、ベトナム難民だった同僚が並んで同じ方向を見ている。あっ! 小津だ。そう思った。で、一気にこの映画に引き込まれていった。

 

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それから、画面のどこかに、必ず「朱色(赤色)」のものが存在している。

花瓶、ソファー、妻の洋服。それに、黒人の少年が着るウインドブレイカー。

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それが決して突出した不自然さにはならずに、スクリーンがごく自然に「ぽっ」と暖かく灯るのだ。この監督は明らかに「朱色」にこだわっている。小津安二郎が初めてカラーで撮った映画『彼岸花』の時みたいに。

そしたら、アキ・カウリスマキ監督がヘルシンキの街で探して見つけた「赤いポット」を持参して応じたインタビュー画像があったのだ。それがこれ。

 

Aki Kaurismaki on Ozu
YouTube: Aki Kaurismaki on Ozu

映像には、たしかに『彼岸花』の画面に不自然に置かれた「赤いヤカン」が映っている。

 

■で、先日買ってきた『ユリイカ 11月臨時増刊号:総特集 小津安二郎』を読んでたら、p228 にこんな記載があってビックリした。

 

外は劫火で、小さな空間に隠れているイメージは、そのまま道成寺につながるが、最初はセリフ、あとはラジオという音声だけの世界。これを具体的な形にすると、小津監督がデンマークで買ったという「赤いヤカン」になる、(「2013年初夏」山本一郎 『ユリイカ 総特集 小津安二郎』p228)

 

あの「赤いヤカン」は、日本製じゃなくて、北欧デザインだったんだ!

フィンランドのアキ・カウリスマキ監督は、身近な日用品が数千キロも離れた極東の地で50年も昔の映画の中で映っていることに驚いて魅せられてしまったんじゃないか?

 ほんと、面白いなあ。

 

■フィンランドという国は、ヨーロッパの国でありながら不思議と東洋的な雰囲気が漂う。東から「フン族」が攻めてきて出来た国だからね。だから妙に親近感がわくのだ。

フィンランドのヘルシンキでオールロケされた日本映画『かもめ食堂』に、なんの違和感も感じなかったのは、実はそういうことだったのかもしれない。実際、あの映画で主演した小林聡美を、すごく老けさせて、髪の毛を金髪に染めたなら、主人公が通うカフェ(酒場)のマダムそのままじゃないか!

 

『ル・アーヴルの靴みがき』の登場人物たちはみな、寡黙だ。

でも、みな無表情なのにすごく個性的な「実にいい顔」をしている。そこが見ていて堪らなく愛しい。

先ほどの酒場の女主人。主人公の妻が不治の病(たぶん末期癌)で入院した病院の医者。内田裕也もマッ青の年老いたロックンローラーじじい。それから、ドーバー海峡を泳いで渡ろうとするアフリカの少年の澄んだ目。あと、独特の存在感を示す異国出身の妻。そして従順な飼い犬。

おっと、ル・アーブル警察署の警視も、実に良い味だしていたなぁ。

結局この映画は『あまちゃん』と同じで、悪人が一人も登場しないのだ。いや? 一人だけいたか。密告するオールバックのオヤジ。

 

とにかく、犬がいい。名演じゃないか?

訊いたら、監督の飼い犬とのこと。驚いたな。

 

で、伊那の TSUTAYA で探したら、アキ・カウリスマキ監督の映画が「もう一本」だけあった。

『過去をなくした男』だ。

 

早速借りてきて、先日の日曜日に見たのだが、いやはや、これまた傑作だった。

面白かったなぁ。

 

主人公は、まるでがたいのよい蟹江敬三(『あまちゃん』のじっちゃ)じゃないか。(つづく)



 

 

 

 

 

2013年10月20日 (日)

アキ・カウリスマキ と 小津安二郎『青春放課後』

■先日の「蓼科高原映画祭」で、NHKアナウンサーの渡辺俊雄さんが言ってたのだが、NHKの過去に放送された番組を保存する「アーカイブス・センター」が埼玉の川口市にあって、ただ、1960年代前半に制作された番組の多くは保存されていないのだという。当時ビデオテープはものすごく高価だったから、ビデオのまま保存することは不可能だったのだ。

 

香川京子さんが出演した、NHK大河ドラマ第一作「花の生涯」(1963)も、その第1話だけが残っているのみ。しかも、フイルムに落としての保存。

だから、渡辺俊雄さんはダメもとで「アーカイブス・センター」に訊いてみたんですって。小津安二郎が死ぬ前の最後に脚本を執筆した、NHKドラマ『青春放課後』(1963)が保管されてないか? ってね。

 

そしたら何と! 奇蹟的にテープ(フィルム?)が残っていた。で、デジタル・リファインして今回約50年ぶりで放送となったのだそうです。(10月14日の午前9時〜10時半。BSプレミアムにて放送。)

 

いやぁ。見ましたよ。面白かった。ドラマの設定、台詞まわし、それに音楽が小津映画そのもの。

映像はね、ぜんぜん期待してなかった。でも、ニコニコ笑う宮口精二がタバコを吹かしながら動いているだけで感動してしまったぞ。あと、佐田啓二ね。いいなぁ。

ドラマは思いのほか大胆な展開で正直驚いた。設定は『秋日和』といっしょ。大学時代の死んだ親友の未亡人と一人娘を、おじさんたちがあれこれ心配するっていう話だ。

 

ただ、その娘役の小林千登勢が、えっ!? って言うくらいぶっ飛んでいる。

『彼岸花』の山本富士子とも『秋日和』の司葉子とも『秋刀魚の味』の岩下志麻ともぜんぜん違う。

婚期を逃した20代後半の独身女性とはいえ、バーのカウンターで佐田啓二と賭けダイスをして飲み比べ、酔っ払って六本木界隈へ誘惑し、しまいには佐田啓二の手を引っ張って、赤坂の旅館へと自ら率先してしけ込むのだ。NHKで「この設定」許されたのか?

さらに驚くのは、当時京都の芸子だった小林千登勢の母親と、北竜二も宮口精二も関係があった。ということは、小林千登勢の本当の父親は誰? っていう話なのだ。いいのか? こんな話。NHKで、1963年に放送して。ビックリだな。

 

 

■あの時、茅野市民館で観た、立川志らく「シネマ落語」。『素晴らしき哉、人生!』を、実は恥ずかしながら映画で見たことがなかった。だから、あわてて伊那の「TSUTAYA」へ走って借りてきたのだ。誕生日月だったので、50円だった。ついでに、たまたま目にとまったアキカウリスマキ監督作品『ル・アーヴルの靴みがき』も借りてきた。

 

『素晴らしき哉、人生!』は、かのフランク・キャプラ監督作品だったのか! 『スミス都へ行く』はDVDで持ってるぞ。

それにしても、この映画ではなかなかカットがかからない。思いの外「長回し」なのだ。だから、主演のジェイムス・スチュワートが、まるで「リーガルハイ」の「こみかど弁護士」みたいに、長いセリフを噛まずにまくし立てている。ここは見どころか。

後半で初めて姿を見せる「天使」が、全く天使っぽくない出で立ちで笑ってしまった。クリスマス・イヴの晩、絶望して自殺しようとする主人公に、彼は「主人公が存在しなかった世界」を見せる。ここからラストまでの畳みかけるような展開が実に素晴らしい。感動した。

全篇130分に及ぶ長い映画を、立川志らく師は映画のエッセンスをぎゅっと濃縮して見事な「シネマ落語」に仕上げていることを、実際の映画を見終わってから思い知らされた。志らく師、凄いな。

 

■で、続けて『ル・アーヴルの靴みがき』を見たのだが、これがまたよかった!

見終わってみれば、『素晴らしき哉 人生』と同じテイストの映画ではないか。

虐げられた、でも日々の暮らしを大切にしている貧民街の市居の人々が主な登場人物だ。あと、犬と。

Aki Kaurismaki on Ozu
YouTube: Aki Kaurismaki on Ozu

2013年10月 6日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その100)南箕輪小学校

今日は、南箕輪小学校PTA父親母親部会主催の「パパズ」。

台風一過、晴天の日曜日にもかかわらず、会場には100人を超える親子が集まってくれた。うれしいじゃぁないか。ほんと、ありがとうございました。

 

写真は、開演最初の絵本。『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)

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   <本日のメニュー>

1)『でんしゃはうたう』三宮麻由子・みねおみつ(福音館書店)→伊東

2)『あかにんじゃ』穂村弘・作、木内達朗・絵(岩崎書店)→北原

3)『パパのしごとはわるものです』板橋雅弘・作、吉田尚令・絵(岩崎書店)→坂本

4)『かごからとびだした』(アリス館) →全員

5)『どうぶつぴったんことば』林木林・作、西村俊雄・絵(くもん出版)→宮脇

6)『とんぼとりの日々』長谷川集平 →倉科

7)『ふうせん』(アリス館)

8)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

 

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■いつものように、無事つつがなく終了。よかったよかった。

ふと思ったのだが、われわれって、能年玲奈の『あまちゃん』といっしょだ。いつまで経っても進歩がない。10年前の始めた頃からぜんぜん変わらないのだ。

僕らは決して「プロ」にはなれない。いや、プロにはなりたくないのだ!

いつまでも「アマチュア」のままでいたいのだ。

 

そんなことを考えながら、控え室に戻ってくつろいでいると、

突然、「100回、おめでとう!」

と大きな声で、伊東パパの愛娘「琴音ちゃん」と奥さまが入ってきた。

 

「えっ!?」「なに??」

 

皆があっけにとられていると、

次々に「パパズ、100回、おめでとう!」

と言いながら、倉科さんの奥さん、宮脇さんの奥さん、それに僕の妻が入ってくる。

 

まったく予想だにしなかった「サプライズ」だった。

ほんと、たまげたなぁ。

妻たちの内助の功あっての、われわれの活動だったのだよなぁ。しみじみ。

 

活動を始めたころは、人が集まらないので自分らの妻子を「さくら」にして会場を盛り上げてもらったものだ。終わったあと、家に帰ってから「歌い方」や「絵本の読み方」に関していろいろと厳しいチェックが入ったりしたが。 ほんと、おかげだったよなぁ。

 

まだ子供らも小さかったから、遠征の際にはそれぞれ家族全員引き連れて泊まりで行ったことも2〜3度あったっけ。飯山市立図書館の時には、木島平スキー場近くのペンションにみんなで泊まった。ちょっとした合同の家族旅行だった。馬曲温泉に入って、きのこ狩りもした。楽しかったなあ。

 

あの頃、幼稚園児と小学1年生だった我が家の子供らが、今じゃ中学3年生と高校2年生だもんなぁ。10年ひとむかしとはよく言ったものだ。

 

ほんと、ありがとね! 感謝、感謝。

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■それぞれの妻の手には、ラッピングされた「日本酒のボトル」があった。

祝・百回! の文字と、パパズ・メンバーの似顔絵が描かれた「オリジナル・ラベル」が貼られた、中川村「米澤酒造」製造の特別純米生酒「たま子」だったのだ。(米澤酒造は、倉科さん家の親戚なのだ)

 

オリジナル・ラベルのイラストは、宮脇さんの奥さま作。さすがに上手い。

 

ほんとうに、ビックリしました。

ありがとうね! 奥さまがた。

2013年10月 5日 (土)

蓼科高原映画祭、香川京子さん登場!

■ブラッシュアップされた『東京物語』は、確かに素晴らしかった。

 

麻織り生地をバックに「終」の字がでたスクリーンに向かって、客席からごく自然に拍手が起こった。そしたら、ステージに登場した「NHK衛星映画劇場支配人」渡辺俊雄さんが開口一番こう言ったのだ。

「今どき珍しいですねぇ、映画の終了時に拍手が聞かれるなんて。」

 

確かになあ。日本映画の黄金時代の1950年代くらい昔でなくても、そうだな、ぼくが大学生だった70年代後半でも、池袋文芸座での土曜日夜のオールナイトとか行くと、エンドロールで主演の高倉健の字が出たり、最後の、監督:寺山修司 とか、大島渚 とか出て画面が暗転する前に映画館場内に盛大な拍手が湧き上がったものだ。

 

それから渡辺俊雄さんは、突然TBSのドラマ『半沢直樹』の最終回の話をし始めた。ええっ? と思ったら、あ、そうか! そうだった。

「大和田常務がリビングの電気を消して一人テレビで『東京物語』を見ているシーンがありましたよね!」

あったあった。そうそう。香川照之が一心に画面を見つめていたっけ。

 

 

■一方、舞台上手から登場した香川京子さんは、たしか御年80うん歳を迎えたはずなのに、背筋がピンと伸び実にしゃんとしいて、ぜんぜん「おばあちゃん」ぽくないないのだ。そのスタイル、立ち姿は、先ほどスクリーンで見た「では、行って参ります」と小学校へ出勤する、二十歳そこそこの香川京子さんと、驚くべきくらい寸分と違わない。こういう人のことを、本当の「凛とした佇まい」っていうんだろうな。

 

『東京物語』の撮影に入る前に『ひめゆりの塔』を撮り終えたばかりの香川京子さんは、社会に積極的にコミットしてゆく決意でいたのに、小津安二郎監督は香川さんに向かってこう言ったのだという。

「俺は、世の中の流れには興味がないんだ」

彼女はすごく意外だったという。どうして監督はいまの社会問題を映画に取り上げようとしないのかと。

「でも、いまになって小津監督の言葉の意味が判るような気がします。流行り廃りに関係なく、時代を越えて民族も文化の違いも越えて、小津安二郎監督の『東京物語』は世界中の人々からいまも一番に愛されている。小津監督は、「家族とは?」という人間にとって普遍的なテーマをずっと描きたかったのですね、きっと。」

「それから、公開当時は、自分の役そのままの気持ちでこの映画を見たのですが、結婚して暫くすると今度は、杉村春子さんの立場が判るようになる。親はいても、やっぱり自分の生活が一番大切になってしまうのです。そして今は、笠智衆さんの気持ちですよね。不思議な感じです。」

 

「ほんとうはね、この映画に出させてもらえることになって何が一番うれしかったかというと、小津監督じゃなくて原節子さんと初めて共演できるからだったの。私は、原さんに憧れてこの世界に入ったんですから。狛江のご自宅にも呼んで頂いたことがあるんですけれど、実際の原さんはね、すごく気さくで明るい人なの。」

 

「溝口健二監督は、役者に全く演技指導をしない方で、何十回もただただテストを繰り返すんです。どこがいけないのかぜんぜん説明してくれない。『近松物語』の時には本当に困りました。人妻役なんて初めてだったし、着物の着こなしや京都弁。カメラの前でどう動いたらいいのか見当も付かない。

仕方ないので、共演した浪速千枝子さんに泣きついて、立ち振る舞いから歩き方、京都弁の指導と、みんな教えていただいたんです。溝口監督は、とにかくよく『反射してください!』って仰るんですね。当時はその意味がよく分からなかったのですが、要するに、相手の芝居を受けてのリアクションが大切なんだと。そういうことだったんですね。」

 

「成瀬巳喜男監督は、声が小さい方でしたね。原節子さんと共演させていただいた『驟雨』という作品が私も大好きなの。

渡辺「あれは、今で言う『成田離婚』みたいな話でしたね。それから、これは山田洋次監督にお訊きした話なんですけれど、晩年の黒澤明監督が自宅の居間で『東京物語』のビデオを何度も繰り返し見ていたんですって。ちょうど『まぁだだよ』を撮る前のことで、狭い室内でどう人間を動かしたらいいのか、小津の映画を見て研究していたということです。『まぁだだよ』には香川京子さんも出ていらっしゃいますよね。

 

香川「はい。確かに『まぁだだよ』は、ぜんぜん黒澤監督らしくない、まるで小津監督の映画みたいでしたね。黒澤監督は声の大きな方でしたが、細かい演技指導はされない監督でした。小津監督は、たぶん頭の中にスクリーン上に映る映像がすでに出来上がっていて、そのイメージ通りに役者をカメラの前に配置して、演技をさせていた。だから、役者が勝手にする余計な演技をすごく嫌ったのです。

小津組、溝口組、黒澤組、成瀬組。監督によって、現場の雰囲気はぜんぜん違いましたね。もうぜんぜん違う。」

 

■本当は、ボイスレコーダーを持ち込んで隠し撮りしたかったくらいだったのだが、さすがにそれはマズイので出来ず、いま1週間経って思い出しながら書いているので、香川京子さんが「あの時」話した内容を正確にトレースするものではありません。ぼくが勝手に構成したので、個人的な思い込み勘違いが多々あることをご容赦下さい。

 

映画『東京物語』に登場する役者さんたちの、そのほとんどが既に亡くなっている。

桜むつ子も高橋トヨも。それから、十朱久雄の妻役だった文学座の長岡輝子さんも3年前に亡くなった。子役の2人がどうしているか知らないが、確実に生きているのは、香川京子さんと原節子(90歳を越えているが)の二人だけなんじゃないか。

(おわり)

2013年9月29日 (日)

小津安二郎監督作品『東京物語』(1953) デジタルリマスター版

『東京物語 ニューデジタルリマスター』 修復before&after比較映像
YouTube: 『東京物語 ニューデジタルリマスター』 修復before&after比較映像

『東京物語 ニューデジタルリマスター』予告編
YouTube: 『東京物語 ニューデジタルリマスター』予告編

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■昨日の夜に続いて、今日も「茅野市民館」へ行ってきた。

朝9時半から、小津安二郎監督作品『東京物語』ニュー・デジタルリマスター版の上映会があるのだ。しかも、上映後にこの映画に出演している、女優の香川京子さんとNHKアナウンサー・渡辺俊雄さんの対談がステージ上である。香川京子さんは、最近「信濃毎日新聞」で「私が出演した6本の印象に残る映画」とかいう? 連載をしていた。

 

彼女は、日本映画界の名だたる巨匠監督全ての代表作に出演している稀有な女優だ。

溝口健二『山椒大夫』『近松物語』、小津安二郎『東京物語』、黒澤明『天国と地獄』『赤ひげ』『まあだだよ』、成瀬巳喜男『おかあさん』『驟雨』、今井正『ひめゆりの塔』、熊井啓『深い河』『式部物語』などなど。

 

何故そのようなことが可能だったのか? 当時は「五社協定」のため各映画会社が専属女優を抱えていたので、監督は自社の女優しか使えなかったし、女優も自社の映画にしか出られなかったのにだ。実は、香川京子は日本で初めて「フリー」の女優になった人で、だからこそ映画会社各社の巨匠が使いたいとオファーがかかり、フリーだったからそれが可能になった。という渡辺俊雄さんの解説。なるほどね。

 

 

■映画『東京物語』のことは、2003年12月12日の日記 に以前書いたことがある。初めて見たのは、銀座「並木座」でだった。映画館で見た2回目は、長野市権堂に今もある「長野松竹相生座」だったような気がする。確か30年前、松竹が『生きてはみたけれど〜小津安二郎伝』というドキュメンタリー映画を作って、同時上映に全国系列館で「小津安二郎作品展」と称して、小津安二郎監督の代表作『東京物語』『秋刀魚の味』『彼岸花』『秋日和』をリバイバル上映したのだ。当時、北信総合病院小児科勤務だったから、その時見たに違いない。(上の写真は、その時のパンフレット。クリックすると別ウインドウで大きくなります。)

 

『東京物語』は、その1年後くらいに「レーザーディスク」で発売になり、もちろん即購入して何度も何度も見た。数年前にNHKBSで放送されたデジタルリマスター版は、高品質でHDに録画してある。

今回、茅野市民館で上映された『東京物語』は、ニュー・デジタルリマスター版とのことで、NHKBSで放映されたバージョンをさらにブラッシュアップしたものなのだそうだ。確かに、映像がめちゃくちゃ美しかった。(スピーカーが貧弱で音声はイマイチだったが)

 

今回見て特に良かったシーンは、熱海の海岸の防波堤のロングショット〜上野公園の西郷像横から上野駅方面を見下ろす場面直前の、小津監督には珍しい移動撮影。そうして、東山千栄子だけ原節子のアパートに泊めてもらう夜のシーン。東山千栄子が何も言わずただ原節子の手を取って涙するところ。ここが良かったなぁ。泣けた。(もう少し続く)

 

立川志らく「シネマ落語」 in 蓼科高原映画祭

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■「立川志らく シネマ落語」を聴きに、茅野市市民館へ行ってきた。よかったなぁ。泣けたなぁ。大満足だ。

 

以下、昨夜のツイートから。

 

名著『全身落語家読本』立川志らく(新潮選書)は僕にとって「落語のバイブル」だ。何度も読んだし、辞書みたいに使っている。でも、志らく師の落語は今まで一度も生で聴いたことがなかったのだ。スミマセン。

 

続き)今日の土曜日。茅野市で開催されている「第16回 小津安二郎記念:蓼科高原映画祭」で「立川志らく・シネマ落語」があると知り、行ってきたのだ茅野市民館。当日券だったが、何と!前から2列目の正面やや左寄りの席が空いていた。ラッキー! 2500円なり。

 

続き)午後7時開演。開口一番は弟子の立川らく人「出来心」。同会場でその直前に上映されていたのが、小津安二郎の映画『出来ごころ』だったからね。口跡口調はよいのに可哀想なくらい笑いがなかった。ホント御免ね、これも修行さ。

 

 満を持して、立川志らく師が登場。師匠の談志(お骨になって後の顛末も含め)と朋友・先代圓楽の奇人変人エピソードをたっぷりと。それで、落語会慣れしていないであろう聴衆の心をを優しく溶きほぐす。流石だ。演目は『死神』。この噺は「オチ」が決めてだ。演者によっていろいろ工夫がある。さて、志らく師は? あはは!そう来たか。中入り後、すぐには本題に入らず、

 

もう一つ古典落語に入る志らく師匠。神無月の話から入ったんで、あぁ『ぞろぞろ』だなって思ったら、そうだった。メチャクチャ馬鹿らしくて好きな噺だ。

ラストがお待ちかね「シネマ落語」で「人情医者〜素晴らしき哉!人生」。これがよかった。『死神』と『ぞろぞろ』が、ちゃんと「この噺」の前振りになっていたんだね。

 

いい話だ。ラストで泣けて困った。これってさ、言ってみれば、アメリカ版「芝浜」じゃね?

2013年9月25日 (水)

「ビブリオバトル」に参加してみた

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「ビブリオバトル」ってご存知だろうか?

ぼくは知らなかった。でも、ひょんなことから出場する羽目になってしまったのだ。

先週の金曜の夜、次男をアンドレア先生の英語教室に高遠「やますそ」まで送っていった後、借りてた本を返しに高遠町図書館へ行った。そしたら、館長さん以下、図書館スタッフのみなさん全員が残って忙しく「図書館まつり」の準備をしていた。そうか、土日月の連休は「燈籠祭り」&「高遠ブックフェスティバル」だったんだね。

 

ふと、館長さんと目が合ってしまった。嫌な予感がした。館長さんは言った。

「北原先生、月曜日に図書館で『ビブリオバトルやるんですけど、高遠高校の石城校長先生がぜひ北原先生とビブリオバトルで対決したいって言ってましたよ。どうですか? 出場してみませんか?」

売られた喧嘩は受けて立たねばなるまい。「はい、やります!」ぼくは即答した。というワケなのです。

 

■当日(9月23日午後2時:高遠町図書館2階和室)は、長野県における「ビブリオバトル」のイノベーター、信州大学経済学部講師:荒戸寛樹先生の紳士的で穏やかな司会進行で会は始まった。思いの外聴衆も多いぞ。

 

■以下、月曜日のツイートから。

 

「高遠ブックフェスティバル」&高遠町図書館まつり合同企画「ビブリオバトル IN 高遠」。第一回戦は若手図書館司書さん5人による対戦。初めて見たけど、面白いなぁ。ビブリオバトル。

 

続き)「ビブリオバトル IN 高遠」紹介された本は『吾輩は猫である』夏目漱石(初版本復刻版)『運と幸せがどんどん集まる「願いごと手帖」のつくり方』ももせいづみ『妖怪セラピー』芥子川ミカ『落下する夕方』江國香織『辞書を編む』飯間浩明(光文社新書)。で、勝者は『辞書を編む』でした。

 

続き)「ビブリオバトル IN 高遠」第二回戦の出場者は4人。高遠高校の石城校長先生、超ベテラン学校図書館司書の矢口先生、高遠町図書館司書の植田さん、それから僕。それにしても、出場者になるともの凄く緊張する。5分間という時間配分も予定通りにはいかず、へろへろになってしまったぞ。

 

続き)「ビブリオバトル IN 高遠」第二回戦で紹介された本は、石城:『奈良登大路町』島村利正(新潮社)より「庭の千草」北原:『夢幻諸島から』クリストファー・プリースト著、古沢嘉通訳(早川書房)植田:『赤めだか』立川談春、矢口:『ビブリオバトル』矢口忠大(文春新書)。皆さん芸達者だ

 

続き)で、ウイナーは石城校長先生。見事なご紹介でした。これは読んでみたくなるよね。僕の敗因は、プリーストって読んだことある人?って訊いたら会場に一人もいなかったことか。海外文学ファンて、いないのかよ!仕方なく『魔法』『奇術師』『双生児』の話もしたので、なかなか本題に入れなかった。

 

■いやぁ、面白かったなぁ「ビブリオバトル」。予想以上だ。

ルールがシンプルだからいいんだね、きっと。5分間でプレゼンするというのは、学会発表と同じ制限時間だ。1分間でスライド1枚(ゆっくり喋って字数は300字)の時間配分が基本。

もちろん、パワーポイントもレジュメも使えないし、原稿を読んではいけないルール。あんちょこメモを見るのは許されるが。

 

実際には、メモを用意していた人のほうが少なかった。みな「何も見ずに」5分間という時間に四苦八苦しながらも、見事にプレゼンし終えていたのには感心したなぁ。凄いぞ。

 

■第一回戦で、最も素晴らしいプレゼンをしたのが、『運と幸せがどんどん集まる「願いごと手帖」のつくり方』ももせいづみ著を紹介した女性司書さんだ。ただ、あまりに本の要点を皆に分かり易く紹介してしまったので、聴いていて「もうその本を読む必要はないな」って思わせてしまうという、思わぬ弱点を露呈した。これは意外だった。聴衆に「読んでみたい!」と思わせる戦いだからね。

 

第二回戦では、何と言っても石城校長先生の紹介が素晴らしかった。作者に対する「愛」があるのだ。島村利正の幸薄かった叔母の半生を、季節ごとの高遠の行事(春の鉾持神社大祭、城趾公園での花見、サーカスが来たこと、嫁入り行列、そして燈籠祭りの夜)を通じて描かれた『庭の千草』という小説が如何に素晴らしいか、静かに淡々と語るすの姿が、聴衆の心を打った。しかも、無駄な言葉が一切なかった。流石だ。

 

植田さんは、彼女がどれくらい「落語」に入れ込んでいるかが判ってよかった。談春が自分の真打ち昇進試験に、談志の師匠である柳家小さんを助演に頼んで、小さんは快く了解し出演したのだが、その時の談志の驚きの反応を活写したシーンを、彼女は何度読んでも泣いてしまうと言った。「私、師弟愛が好きなんです!」 なるほど、ビブリオバトルとは、「本を通じて人がわかる」のだ。ぼくもね、『赤めだか』が出てすぐ読んだから、同じ落語好きとして、植田さんの気持ちが他人事でなくよーく分かるのだ。

 

でも、何と言ってもプレゼンの名手は、最後に登場した矢口先生だ。もうね、ブックトークとか散々やっている人でしょ。しかも、周到にプレゼンの準備をしてきて、起承転結が完璧! この本をオススメするポイントを、1)2)3)と箇条書きに整理して聴衆に分かり易く自分が読んで面白かった、ためになった点を提示してみせてくれた。しかも、一切何も見ずにね。凄かったな。

 

ぼくは完敗でした。まだまだ修行が足りない。反省。

 

それにしても、「ビブリオバトル」って、何か新しいワクワクする可能性を感じた。

自分でも開催してみたくなったもの。

来年の「日本外来小児科学会」で、ワークショップとして開催できないだろうか?

 

絵本とか、育児書とか児童文学とか。こども関連の本を皆で紹介し合ったら、ほんと楽しそうだな。

 

 

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