蓼科高原映画祭、香川京子さん登場!
■ブラッシュアップされた『東京物語』は、確かに素晴らしかった。
麻織り生地をバックに「終」の字がでたスクリーンに向かって、客席からごく自然に拍手が起こった。そしたら、ステージに登場した「NHK衛星映画劇場支配人」渡辺俊雄さんが開口一番こう言ったのだ。
「今どき珍しいですねぇ、映画の終了時に拍手が聞かれるなんて。」
確かになあ。日本映画の黄金時代の1950年代くらい昔でなくても、そうだな、ぼくが大学生だった70年代後半でも、池袋文芸座での土曜日夜のオールナイトとか行くと、エンドロールで主演の高倉健の字が出たり、最後の、監督:寺山修司 とか、大島渚 とか出て画面が暗転する前に映画館場内に盛大な拍手が湧き上がったものだ。
それから渡辺俊雄さんは、突然TBSのドラマ『半沢直樹』の最終回の話をし始めた。ええっ? と思ったら、あ、そうか! そうだった。
「大和田常務がリビングの電気を消して一人テレビで『東京物語』を見ているシーンがありましたよね!」
あったあった。そうそう。香川照之が一心に画面を見つめていたっけ。
■一方、舞台上手から登場した香川京子さんは、たしか御年80うん歳を迎えたはずなのに、背筋がピンと伸び実にしゃんとしいて、ぜんぜん「おばあちゃん」ぽくないないのだ。そのスタイル、立ち姿は、先ほどスクリーンで見た「では、行って参ります」と小学校へ出勤する、二十歳そこそこの香川京子さんと、驚くべきくらい寸分と違わない。こういう人のことを、本当の「凛とした佇まい」っていうんだろうな。
『東京物語』の撮影に入る前に『ひめゆりの塔』を撮り終えたばかりの香川京子さんは、社会に積極的にコミットしてゆく決意でいたのに、小津安二郎監督は香川さんに向かってこう言ったのだという。
「俺は、世の中の流れには興味がないんだ」
彼女はすごく意外だったという。どうして監督はいまの社会問題を映画に取り上げようとしないのかと。
「でも、いまになって小津監督の言葉の意味が判るような気がします。流行り廃りに関係なく、時代を越えて民族も文化の違いも越えて、小津安二郎監督の『東京物語』は世界中の人々からいまも一番に愛されている。小津監督は、「家族とは?」という人間にとって普遍的なテーマをずっと描きたかったのですね、きっと。」
「それから、公開当時は、自分の役そのままの気持ちでこの映画を見たのですが、結婚して暫くすると今度は、杉村春子さんの立場が判るようになる。親はいても、やっぱり自分の生活が一番大切になってしまうのです。そして今は、笠智衆さんの気持ちですよね。不思議な感じです。」
「ほんとうはね、この映画に出させてもらえることになって何が一番うれしかったかというと、小津監督じゃなくて原節子さんと初めて共演できるからだったの。私は、原さんに憧れてこの世界に入ったんですから。狛江のご自宅にも呼んで頂いたことがあるんですけれど、実際の原さんはね、すごく気さくで明るい人なの。」
「溝口健二監督は、役者に全く演技指導をしない方で、何十回もただただテストを繰り返すんです。どこがいけないのかぜんぜん説明してくれない。『近松物語』の時には本当に困りました。人妻役なんて初めてだったし、着物の着こなしや京都弁。カメラの前でどう動いたらいいのか見当も付かない。
仕方ないので、共演した浪速千枝子さんに泣きついて、立ち振る舞いから歩き方、京都弁の指導と、みんな教えていただいたんです。溝口監督は、とにかくよく『反射してください!』って仰るんですね。当時はその意味がよく分からなかったのですが、要するに、相手の芝居を受けてのリアクションが大切なんだと。そういうことだったんですね。」
「成瀬巳喜男監督は、声が小さい方でしたね。原節子さんと共演させていただいた『驟雨』という作品が私も大好きなの。」
渡辺「あれは、今で言う『成田離婚』みたいな話でしたね。それから、これは山田洋次監督にお訊きした話なんですけれど、晩年の黒澤明監督が自宅の居間で『東京物語』のビデオを何度も繰り返し見ていたんですって。ちょうど『まぁだだよ』を撮る前のことで、狭い室内でどう人間を動かしたらいいのか、小津の映画を見て研究していたということです。『まぁだだよ』には香川京子さんも出ていらっしゃいますよね。」
香川「はい。確かに『まぁだだよ』は、ぜんぜん黒澤監督らしくない、まるで小津監督の映画みたいでしたね。黒澤監督は声の大きな方でしたが、細かい演技指導はされない監督でした。小津監督は、たぶん頭の中にスクリーン上に映る映像がすでに出来上がっていて、そのイメージ通りに役者をカメラの前に配置して、演技をさせていた。だから、役者が勝手にする余計な演技をすごく嫌ったのです。
小津組、溝口組、黒澤組、成瀬組。監督によって、現場の雰囲気はぜんぜん違いましたね。もうぜんぜん違う。」
■本当は、ボイスレコーダーを持ち込んで隠し撮りしたかったくらいだったのだが、さすがにそれはマズイので出来ず、いま1週間経って思い出しながら書いているので、香川京子さんが「あの時」話した内容を正確にトレースするものではありません。ぼくが勝手に構成したので、個人的な思い込み勘違いが多々あることをご容赦下さい。
映画『東京物語』に登場する役者さんたちの、そのほとんどが既に亡くなっている。
桜むつ子も高橋トヨも。それから、十朱久雄の妻役だった文学座の長岡輝子さんも3年前に亡くなった。子役の2人がどうしているか知らないが、確実に生きているのは、香川京子さんと原節子(90歳を越えているが)の二人だけなんじゃないか。
(おわり)
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