『13日間で「名文」を書けるようになる方法』高橋源一郎(朝日新聞出版)
■例年だと、「今年読んだ本、ベスト10」をアップする時期になったのだが、何かと忙しいので「その発表」は年越しということにしました。スミマセン。
今年読んだ本の傾向として、学生さんへの講義録をそのまま本に起こしたものが何冊もあって、それがどれも案外ハズレなく面白かったことがあげられる。その筆頭は、菊池成孔&大谷能生コンビの『東京大学のアルバート・アイラー 東大ジャズ講義録・歴史篇&キーワード篇』(文春文庫)なワケだが、他にも、セイゴー先生の『17歳のための世界と日本の見方』松岡正剛(春秋社)に、『カムイ伝講義』田中優子(小学館)、『単純な脳、複雑な「私」』池谷裕二(朝日出版社)、『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子(朝日出版社)など、けっこう出ているね。ポイントは「読んでわかりやすい」ということだ。
むかしの読書家は、難解な本を何冊も読み込んで、その教養の高さを誇ったものだが、バカなぼくらには、内田樹センセイを筆頭に、消化のよくない食べ物を母親が噛み砕いて赤ちゃんに与えてくれる人、みたいな「センセイ」が絶対的に必要なのだよ。いま、内田センセイの『日本辺境論』(新潮社新書)を読んでいるところなのだが、丸山眞男センセイの文章を、内田センセイに「翻訳」してもらわないと理解できない自分のバカさ加減が実に嘆かわしい。
でもそれは、決して恥じるべきことではないのではないか? バカはバカとして正直に認めちゃって、その道の専門家の先生に教えを請えばよいのだから。50歳を過ぎて、高校生や大学生と机を並べて講義を受けるのは恥ずかしいことではあるけれども、これらの本を読みながら、僕はすっごく刺激的で楽しかったな。勉強って、強制されるものではなくて、自分が知りたいことを幾つになっても求め続けることなんだよね。
■そうした「流行の講義本」の最新刊が、『13日間で「名文」を書けるようになる方法』高橋源一郎(朝日新聞出版)だ。後半はザックリ読んだだけなので何だが、この本もじつに面白かった。作家の高橋源一郎氏が、明治学院大学国際学部の木曜日第4時限に持っていた「言語表現法」全13回の講義を、季刊誌「トリッパー」誌上で連載再構成したものだ。
よくある「文章読本」のようなタイトルだが、決してそうではない。もっと深いのだ。人間はなぜ「文章」を書かねばならないのか? そういう問いに答えようとしている本、とでもいうか。先週の金曜日の夜、高遠町図書館からあまり期待せずに借りてきたのだが、いやいやグイグイ読まされた。
いい文章を書くためには、まず「いい文章」をいっぱい読まなければならない。そう、高橋源一郎教授はいう。
そうして、いきなり1回目の講義でスーザン・ソンタグの文章を紹介している。これが、講義を受ける学生さんはもちろん、本を読む読者に対しても強烈な先制パンチとなっているのだ。少し引用する。
若い読者へのアドバイス……
(これは、ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある)人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのものまごうこかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。
検閲を警戒すること。しかし忘れないこと ---- 社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。
本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)
(中略)
自分自身について。あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。
動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。(後略)2004年2月 スーザン・ソンタグ
この文章は、実にかっこいい! その後の講義でも、高橋センセイは次々と魅力的な文章を提示してくれる。『ゲド戦記』で名高いSF作家 ル・グィンの「左きき卒業式祝辞」も実に印象的な文章だった。高橋センセイが「この文章」を取り上げたのには実は深い訳がある。そのことは、第9講、第10講を読んでいただくと分かるようになっているので、ここでは「ネタバレ」はしない。
この第10講で取り上げられる文章は、驚くなかれ、「絵本の文章」なのだ。しかも、紹介されたその3冊は我が家にもあって、ぼくも大好きな絵本だ。それは、『トマトさん』『わにわにのおふろ』、そうして『めっきらもっきらどおんどん』長谷川摂子・作、降矢なな・絵(福音館書店)なのだった。「ことば」の力を、まざまざと見せつけられたような「この回」の講義は感動的ですらあるな。
■ぼくは当初、はじめのころから引用される学生さんの「作文」が、どれもこれもみな上手なので、こんなに文章が上手なら、高橋センセイの講義なんて受ける必要ないのに、と訝しく思った。もしかして、講義録と称して、高橋源一郎氏が学生の作文も全部自分で書いてバーチャル講義を創作した本なのではないか? そう疑ってしまったものだ。でも、第10講を読んで、その考えが間違いだと訂正するに至った。それから、第2講で、知る人ぞ知るジャズドラマー「ハン・ベニンク」の話が登場してビックリしたな。女子大生にハン・ベニンクに関して語っちゃうんだ。凄いな。
この本を読めば誰でも「名文」が書けるようになるとは決して思わないが、人間はなぜ文章を書くのか? いったい誰に向かって書くのか? ということを、改めて深く考えさせらる好著だと思う。オススメの一冊です。
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