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2009年12月

2009年12月30日 (水)

『13日間で「名文」を書けるようになる方法』高橋源一郎(朝日新聞出版)

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■例年だと、「今年読んだ本、ベスト10」をアップする時期になったのだが、何かと忙しいので「その発表」は年越しということにしました。スミマセン。


今年読んだ本の傾向として、学生さんへの講義録をそのまま本に起こしたものが何冊もあって、それがどれも案外ハズレなく面白かったことがあげられる。その筆頭は、菊池成孔&大谷能生コンビの『東京大学のアルバート・アイラー 東大ジャズ講義録・歴史篇&キーワード篇』(文春文庫)なワケだが、他にも、セイゴー先生の『17歳のための世界と日本の見方』松岡正剛(春秋社)に、『カムイ伝講義』田中優子(小学館)、『単純な脳、複雑な「私」』池谷裕二(朝日出版社)、『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子(朝日出版社)など、けっこう出ているね。ポイントは「読んでわかりやすい」ということだ。

むかしの読書家は、難解な本を何冊も読み込んで、その教養の高さを誇ったものだが、バカなぼくらには、内田樹センセイを筆頭に、消化のよくない食べ物を母親が噛み砕いて赤ちゃんに与えてくれる人、みたいな「センセイ」が絶対的に必要なのだよ。いま、内田センセイの『日本辺境論』(新潮社新書)を読んでいるところなのだが、丸山眞男センセイの文章を、内田センセイに「翻訳」してもらわないと理解できない自分のバカさ加減が実に嘆かわしい。

でもそれは、決して恥じるべきことではないのではないか? バカはバカとして正直に認めちゃって、その道の専門家の先生に教えを請えばよいのだから。50歳を過ぎて、高校生や大学生と机を並べて講義を受けるのは恥ずかしいことではあるけれども、これらの本を読みながら、僕はすっごく刺激的で楽しかったな。勉強って、強制されるものではなくて、自分が知りたいことを幾つになっても求め続けることなんだよね。


■そうした「流行の講義本」の最新刊が、『13日間で「名文」を書けるようになる方法』高橋源一郎(朝日新聞出版)だ。後半はザックリ読んだだけなので何だが、この本もじつに面白かった。作家の高橋源一郎氏が、明治学院大学国際学部の木曜日第4時限に持っていた「言語表現法」全13回の講義を、季刊誌「トリッパー」誌上で連載再構成したものだ。

よくある「文章読本」のようなタイトルだが、決してそうではない。もっと深いのだ。人間はなぜ「文章」を書かねばならないのか? そういう問いに答えようとしている本、とでもいうか。先週の金曜日の夜、高遠町図書館からあまり期待せずに借りてきたのだが、いやいやグイグイ読まされた。

いい文章を書くためには、まず「いい文章」をいっぱい読まなければならない。そう、高橋源一郎教授はいう。

そうして、いきなり1回目の講義でスーザン・ソンタグの文章を紹介している。これが、講義を受ける学生さんはもちろん、本を読む読者に対しても強烈な先制パンチとなっているのだ。少し引用する。


若い読者へのアドバイス……
(これは、ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある)

 人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのものまごうこかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。

 検閲を警戒すること。しかし忘れないこと ---- 社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。

 本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)

(中略)


 自分自身について。あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。


 動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。(後略)

                                      2004年2月  スーザン・ソンタグ


この文章は、実にかっこいい! その後の講義でも、高橋センセイは次々と魅力的な文章を提示してくれる。『ゲド戦記』で名高いSF作家 ル・グィンの「左きき卒業式祝辞」も実に印象的な文章だった。高橋センセイが「この文章」を取り上げたのには実は深い訳がある。そのことは、第9講、第10講を読んでいただくと分かるようになっているので、ここでは「ネタバレ」はしない。

この第10講で取り上げられる文章は、驚くなかれ、「絵本の文章」なのだ。しかも、紹介されたその3冊は我が家にもあって、ぼくも大好きな絵本だ。それは、『トマトさん』『わにわにのおふろ』、そうして『めっきらもっきらどおんどん』長谷川摂子・作、降矢なな・絵(福音館書店)なのだった。「ことば」の力を、まざまざと見せつけられたような「この回」の講義は感動的ですらあるな。

■ぼくは当初、はじめのころから引用される学生さんの「作文」が、どれもこれもみな上手なので、こんなに文章が上手なら、高橋センセイの講義なんて受ける必要ないのに、と訝しく思った。もしかして、講義録と称して、高橋源一郎氏が学生の作文も全部自分で書いてバーチャル講義を創作した本なのではないか? そう疑ってしまったものだ。でも、第10講を読んで、その考えが間違いだと訂正するに至った。それから、第2講で、知る人ぞ知るジャズドラマー「ハン・ベニンク」の話が登場してビックリしたな。女子大生にハン・ベニンクに関して語っちゃうんだ。凄いな。


この本を読めば誰でも「名文」が書けるようになるとは決して思わないが、人間はなぜ文章を書くのか? いったい誰に向かって書くのか? ということを、改めて深く考えさせらる好著だと思う。オススメの一冊です。

2009年12月27日 (日)

映画『ミスト』フランク・ダラボン監督

今日の日曜日も、新型インフルエンザのワクチン接種。喘息の子の2回目と、1〜6歳児の積み残しで合計75人。午前9時から始めて午後3時で終了。今日は早く終わってよかった。BGMは、再発改訂盤『Free Soul』の2枚。


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■夜7時からは、伊那中央病院小児一次救急の当番。今日は子供が多かった。9時半まで12人診る。ほとんどが発熱。看護師さんが診察前にインフルエンザの迅速診断検査をしておいてくれたので、停滞なくスムーズに診療がすすんだ。でも、陽性に出たのは2人だけ。偶然、箕輪中部小学校1年生の同じクラスの子が4人発熱で受診した。3人は陰性だったが、全員限りなく怪しいな。


■このところ落ち着いて海外小説を読む気分になれず、読書は停滞中だ。夜は深夜にテレビばかり見ている。木曜日のイヴの晩は、フジTV系列で「とんねるず」の2人が、離婚したばかりの「爆笑問題」田中の家に押し入り、好き勝手する番組を見た。AI のサプライズには感動したな。soulfulで、実にいい声してる。金曜の夜は、小田和正の「クリスマスの約束」。こちらにも AI が出ていた。それにしても、よくもこれだけの売れっ子ミュージシャンを何日も拘束して練習したね。メドレー凄かったな。泣いちゃったよ。やっぱり、小田さんが「いま」の流行り歌を歌う企画より、「本人」が歌ったほうがいいよね。


■今夜はいま、NHKで「サラリーマン・NEO 冬スペシャル」を見ているところだが、昨日の晩はなに見てたっけ? そうそう、松本人志の「すべらない話」を見て、NHK-HV で「週刊ブックレビュー」の年末特集を見た。そのあと、TSUTAYA から借りてきたDVDを見たんだ。スティーヴン・キング原作、フランク・ダラボン監督『ミスト』だ。TSUTAYA では今「旧作100円」キャンペーン中で、準新作が半額になるレシートももらってあったから、あと、クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』も借りた。


で、『ミスト』を再生して見始めたら途中で止められなくなってしまい、結局ラストシーンの後もエンドロール終了後にサプライズ映像があるんじゃないかと(結局なかったが)じっと見続けたら午前3時を回っていた。今日一日、眠かったワケだ。賛否両論の映画として話題になったけど、結論から言うと、ぼくは否定派だ。

スティーヴン・キングの中篇「霧」が収録された『闇の展覧会(1)』(ハヤカワ文庫)を読んだのは、20数年前だ。ちょうど飯山日赤の小児科一人医長だった頃のことで、しんしんと雪が降る深夜に読了した記憶がある。これは傑作だと思った。たしか「この小説」は、キングの(扶桑社文庫)版にも収録されているが、ラストを含めて少し違っているとのことだった。そのストーリーの大方を忘れてしまったが、霧深いハイウェーをメイン州から車で南へ南へと、ひたすら南下する主人公たちは、決して「希望」を捨ててはいなかったと記憶している。結果は知らないけどね。

ところがどうだ! これはないんじゃないの! ダメだよ、この映画。スティーヴン・キング原作、フランク・ダラボン監督作品では、『ショーシャンクの空に』を封切り映画館で観ている。今はなき「松本中劇シネサロン」でだ。原作は既に読んでいた。『刑務所のリタ・ヘイワース』。これは映画の勝ちだな、そう思った。

次の、トム・ハンクス主演『グリーン・マイル』はテレビで見た。やはり原作は読了済み。これは「原作」の勝ちかな、そう思った。


で、『ミスト』だ。監督のフランク・ダラボンが、原作『霧』に入れ込んでいる気持ちはよく分かった。でも、この映画のラストは、原作とぜんぜん違うじゃん。しかも、この映画の売りが「ラスト15分」にあることが、キング・ファンのぼくには納得いかない。原作者のキングは、小説のラストは別にどうでもよかったはずなのに、この映画は、原作の気品を台無しにしている。主題がぜんぜん違うじゃん。ぼくは嫌だな、この映画のラストは。


コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』を読み始めた時、ぼくは思った。この父と息子の物語は、南へと向かう、キングの『霧』の親子の物語の「続き」に違いないと。確かに、そこには「希望」はない。でも、父と子は、こうでなくっちゃいけないよ。そうでしょ。いま、問題のラストシーンを再生し直しているところだが、確かに、あの「短髪の母親」が画面に一瞬だけ映っていた。なんで? なんでそうなるの? フランク・ダラボンは、世の中の不条理を映画にしたかったのか? 

ぼくには、どうしても納得がいかない。

2009年12月25日 (金)

『ブラッド・メリディアン』コーマック・マッカーシー(早川書房)読み始める

■小説『闇の奥』のはなしは、まだまだ続いているのだった。

「荒野(ウィルダネス)」と言えば、現代アメリカ文学を代表する作家、コーマック・マッカーシーが長年追い求めてきた重要なテーマだ。その彼の最高傑作とかねてから噂されていた『ブラッド・メリディアン』(血の子午線)の翻訳本が、知らないうちに早川書房から発刊されていた。これは直ちに読まねば! ぼくは焦って「いなっせ」西澤書店へと走った。新刊棚にひっそりと1冊だけ「その本」はあったよ。


ちょうど今年1年間の医師会理事会交通費が現金で支給されたばかりだったので、「えぃっ、やっ!」と、思い切って購入した。ところで、最近の図書購入のぼくの基準はというと、原則ハードカバーの小説は買わずに「図書館から借りて読む」なのだった。あの『ミレニアム1』『ミレニアム2』も、じつは南箕輪村図書館から借りてきて読んだ。ごめんなさい、早川さん。訳者さん。『ミレニアム3上・下』も、南箕輪村図書館から借りてきて読み始めたのだが、ちょうど母が危篤の時で、無念ながら未読のまま返却し、10月に西澤書店でちゃんと購入した。でも「自分の本」になっちゃうと、安心してしまって読まなくなっちゃうから不思議だ。


■先日から、ウィンズロウ『犬の力・上』を読み始めたところだったのだが、それどころじゃない、というワケで、『ブラッド・メリディアン』。主人公の少年は、1833年の生まれだ。これはある種、象徴的だな。ジョン・ミューアが、1838年4月2l日生まれ。『闇の奥』の作者コンラッドは、1857年12月3日の生まれ。みな同時代人だ。アメリカでも、リアルな「荒野」はこの時代にしか存在しないのだ。アラスカを除けば。(つづくかも)


2009年12月23日 (水)

祝日に、粛々と新型インフルエンザのワクチン接種

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■今日は天皇誕生日で休みだったが、朝8時半から夕方6時半まで(昼休み1時間あり)1歳〜就学前の6歳児への新型インフルエンザワクチンの接種をまる一日行った。当初 138人の予約が入っていたが、来院時に熱があって接種中止になった子や、突発性発疹で昨日解熱したばかりの子、一昨日から父親がインフルエンザで寝込んでいる家の兄弟とかも接種を中止したし、当日キャンセルの電話をしてきた親や、予約時間になっても来ない家とかもあって、結局全部で 122人に接種。さすがに疲れたな。

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■今シーズンは、すでに季節性インフルエンザのワクチンを2回接種済みの子供が多いので、診察室に入ってくる前から大泣きして暴れる子も散見される。まさにそんな感じだった3歳の女の子に、ぼくはこう言った。「今日の注射がんばらないと、サンタさん、来てくれないよ!」そしたら、彼女はすまして言った。「サンタさん、今朝もう来たもん!」 そっかぁ、サンタさんにも都合があって、2日も早くサンタクロースが来てくれたんだね。女の子を膝に乗せた母親は苦笑いしていた。

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■それからもう一つ笑ったのは、看護婦さんが母親に「(こどもの)左の腕を捲って下さい」と言うべきところを、看護婦さんも疲れてきていたのか「左手をあげて下さい」と言ったものだから、そのお母さん、不思議な顔をして「ハイ」って、自分の左手を挙げた。なんか、授業参観で自信なさげに「先生、私に当てないでね」という感じの手の挙げ方だった。これには大笑い。おかあさん、笑ってごめんね(^^;;;


■まる一日、単純作業の連続だったので、BGMがないと耐えられなかった。そこで今日流したBGMはご覧のCDたち。ぼくだけの好みで流すワケにはいかないので、看護婦さんの趣味とかも考慮に入れてるワケです。それなりに気をつかっているのですよ。でもまぁ、ぼく自身も、新しい歌を取り込まないといけないしね。それにしても、絢香って、うた上手いなぁ。それから、山下達郎のケンタッキー・フライドチキン非売品おまけCDは、7年前に「ブックオフ」で100円で購入した。ナット・キング・コールの歌声で有名な「ザ・クリスマス・ソング」を、竹内まりやが歌っているのだが、これが実に上手いんだ。達郎さんは、ジェイムス・テイラーも収録している「Have Yourself A Merry Little Christmas」を歌っている。これまたいい。

「ケンタッキー」と竹内まりやは、切っても切れない縁で結ばれていて、「このCD」には収録されてないが、「竹内まりやベストCD」には必ず入っている「すてきなホリディ」も、忘れがたい名曲だな。


2009年12月20日 (日)

パパズ絵本ライヴ(その61)諏訪市親子文庫(諏訪市図書館)

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■今日は、午前11時から諏訪市立図書館2F視聴覚室にて「伊那のパパズ、絵本ライヴ」。主催は諏訪市親子文庫のみなさん。お世話になりました。ありがとうございました。今回は恒例の「クリスマス・スペシャル・コスチューム」での登場。しかし、4年越しの「サンタの衣装」は、あちこちほころびている。穴も開きそうだ。写真は、赤鼻のトナカイの衣装を着た倉科パパ。他のメンバー4人が「サンタの衣装」。写真はなしでしたが、諏訪市図書館司書の茅野さんが写真を送ってくれましたよ。

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<本日の出しもの>

1)『はじめまして』
2)『ぼくのかわいくないいもうと』 → 伊東
3)『クリスマスのふしぎなはこ』 → 北原


4)『もりもりくまさん』長野ヒデ子・作、スズキ・コージ絵(すずき出版)
5)『かごからとびだした』(アリス館)


6)『むかしむかしとらとねこは』 大島英太郎・作(福音館書店) → 坂本
7)『まくらのせんにん さんぽみちの巻』 かがくいひろし( 佼成出版社) → 宮脇


8)『いろいろおんせん』 増田裕子・作、長谷川義史・絵
9)『ねこのおいしゃさん』 増田裕子・作、あべ弘士・絵


10) 『クリスマスにはおひげがいっぱい!?』
→ 倉科

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11) 『ふうせん』(アリス館)
12) 『世界じゅうのこどもたちが』(講談社)

2009年12月19日 (土)

「Sweet Love Of Mine」Woody Shaw (つづき)

■昨日の夜は、伊那市天竜町「青龍」で「北原こどもクリニック」の忘年会だったため、更新はお休み。とは言え、連日の更新には無理があるな。2〜3日に1回のペースが一番自分のリズムに合っているように思う。

■さて、Woody Shaw のつづき。メジャーレーベル CBS/Columbia と契約し、70年代末〜80年代初頭に遅咲きながらも人気が出て活躍を続けたウディ・ショウだったが、その後が悲劇の連続だった。尊敬する先輩サックス奏者に女房を寝取られ、レコード・ジャケットに何度も登場する最愛の息子も奪われてしまう。失意のどん底に突き落とされたショウ。追い打ちをかけるように、さらなる悲劇が彼を襲う。

1988年、HIV感染が判明して闘病生活を続けていたが、1989年2月、ブルックリンの地下鉄ホームから転落(彼は生来の弱視だった)、左腕の切断を余儀なくされる。これでもう二度とトランペットを吹くことはできなくなった。そのまま同年5月に永眠する。享年44。 ジャズ・トランペッターには悲劇の人が多い。交通事故で早世した天才クリフォード・ブラウン。ジャズクラブで愛人に射殺された リー・モーガン。尿毒症のため、わずか23歳で夭逝した ブッカー・リトル。麻薬に毒されて26歳で逝った ファッツ・ナヴァロ。そして彼、ウディ・ショウ

■メロディ・メーカーとしても名高いウディ・ショウのオリジナル曲で最も有名な曲が、この「Sweet Love Of Mine」だ。初演は、アルト・サックス奏者ジャッキー・マクリーン Blue Note レーベル最後の作品『デーモン・ダンス』B面1曲目に収録されている。1967年12月22日録音。なんか、気持ち悪いジャケットだね。YouTube に音源があった(画像はなし)

■ぼくが一番好きな「Sweet Love Of Mine」は、このオリジナル演奏じゃなくて、同じくアルト・サックス奏者のアート・ペッパーが麻薬離脱治療から復帰して制作した2作目『ザ・トリップ』 A面3曲目に収録された同曲だ。これはよく聴いたな。さんざん聴いた。ちょと気負って肩の力が入った演奏だけれど、ふと、くつろいで力が抜ける瞬間があって、その時、かつての天才プレーヤーだった片鱗がかいま見える、アート・ペッパー。アフリカから押し寄せる波のような重いボサノバ・ビートを刻む、エルヴィン・ジョーンズ。トミー・フラナガンを更にモダンにしたような絶妙なピアノソロを取る、ジョージ・ゲイブルス。みんないい。探したら、YouTube に音源があった(やはり画像はなし)

ウディ・ショウ本人のリーダー・アルバムに「この曲」が収録されたのは案外遅くて、『Master Of The Art』(ELEKTRA /musician) B面2曲目に入っている。これもいいな。1982年2月25日の、ニューヨークはジャズ・フォーラムでのライブ音源。 日本人の演奏では、日野皓正のヴァージョンもあるみたいだが、ぼくは聴いたことがない。ぼくが長年愛聴してきたのは、鈴木勲『BLUE CITY』(TBM-2524) A面2曲目。曲のタイトルが「45th STREET - at 8th Avenue-」と異なるが、中身は「Sweet Love Of Mine」。初めて聴いたのは、伊那にかつてあったジャズ喫茶「アップル・コア」だったと思う。このLPは、当時のジャズ喫茶の人気盤だったのだ。 一番最近聴いて気に入っているのは、『LIVELY』安井さち子 トリオの7曲目。これもいい。 ■最後に、動いているウディ・ショウの画像。こいつは凄い。メチャクチャ格好いいじゃん!

■ ウディ・ショウ(Woody Herman Shaw II,  1944年12月24日 - 1989年5月10日)<今月のこの一曲>

2009年12月17日 (木)

今月のこの1曲「Sweet love Of Mine」 by Woody Shaw

091217_7 ■画像の扱いが、まだよく分からないのだが、今回は小さくなりすぎたかな。この画像をクリックしていただくと、画面が大きくなります。 さて、今日は今は亡き僕の大好きなトランペッター、ウディ・ショウのはなし。 ■ぼくが一生懸命ジャズを聴いていた大学生時代(1977年〜1982年)は、フュージョン全盛で、ストレート・アヘッドなアコースティック・ジャズは隅に追いやられていた。そんな時代でも、志あるジャズ喫茶では 「WOODY SHAW / STEPPING STONES」がよく掛かっていた。例えば、新宿の「DIG」とか、渋谷の「BLAKEY」とか。ぼくは散々聴いたよ、このレコード。だからアナログ盤で持っているんだ。 いま「ググる」と、ウディ・ショウは「悲劇のトランペッター」とか「正当に評価されなかった不遇のトランペッター」という単なる「くくり」になってしまうのだけれど、事実は決してそうじゃなかった。あの頃のウディ・ショウは、ジャズ喫茶では一番の人気者だったのだ。 確か、当時の人気を反映して、来日公演もしているはずさ、ウディ・ショウ。(まだまだ続く) ■<今月のこの一曲>

2009年12月16日 (水)

伊那保育園で、内科健診のあと絵本を読む

今日の水曜日は、午後2時から「伊那保育園」で秋の内科健診。ずっと忙しかったから、この時期になってしまったのだ。全員で30人くらいの小さな保育園なので、健診は30分弱で終了。もう一度年長さんと年中さんに遊戯室へ集まってもらって絵本を読む。



1)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村俊雄・作(福音館書店)
2)『これがほんとの大きさ!』S・ジェンキンズ作(評論社)
3)『もりのなか』マリー・ホール・エッツ作(福音館書店)
4)『子うさぎましろのお話』佐々木たづ・文、三好碩也・絵(ポプラ社)


5月に来た時も思ったけれど、ここの園児たちはすっごく反応がいい。これはどこで読んでもそうなのだが、『これがほんとの大きさ!』を広げると子供たちは次第に興奮してきて立ち上がり、絵本の周りに群がってしまい収集がつかなくなってしまう。今回もそう。でも、次の『もりのなか』を読み始めると、絵本の雰囲気そのままに「し〜ん」と静かに落ち着いて、絵本の中へ自然と入り込んでいったのには驚いた。本に力があるんだね。

クリスマスの絵本は、本当は『クリスマスの ふしぎな はこ』長谷川摂子・作(福音館書店)を読もうと思っていたのだが、昨年でたハードカバーも、「こどものとも年少版」で当初出た月刊版も両方持っているのに、なぜか探しても見つからない。仕方なく結局また『子うさぎましろのお話』を読む。

絵が線が細くて色合いも淡く目立たないので、こういう集団の場での「読み聞かせ」には向かない絵本だ。しかも文章は長い。お話がなかなか終わらないのだ。だから、年中さんには集中力を維持するのが大変だったかもしれないな。でも、みんな一生懸命集中して聞いてくれたよ。ありがたかったな。

ただ、ちょうど物語の中盤、子ウサギ「ましろ」が別人に変身するために付けた「黒ずみ」が、払っても叩いてもぜんぜん落ちなくて泣いてしまう一番いいシーンで、ぼくの携帯が鳴った。いや、マナーモードになっていたので、振動しただけだったけど、ぼくは焦った。ここで絵本を読むのを中断したら、すべてがぶち壊しだ。だから当然ぼくは無視した。しかし、20回以上鳴り続けたな。後で確認したら、医師会の事務長さんからの電話だった。すぐに出なくてごめんなさい。こちらにも事情があったのですよ。


2009年12月15日 (火)

パパズ絵本ライヴ(その60)美篶小学校親子文庫

■12月13日(日)午前10時〜 「美篶きらめき館」で、美篶小学校親子文庫主催の「伊那のパパズ絵本ライヴ」。ぼくは、新型インフルエンザ・ワクチン接種のため欠席。倉科さんが、メールで当日の様子を報告してくれた。前回の訪問は昨年の10月26日で約一年ぶり。今回も大盛況だったようだ。よかったよかった。


「はじめまして」
「コッケモーモー」ジュリエット・ダラス=コンテ作 (伊東)
「どうぶつサーカスはじまるよ」西村俊雄・作 (坂本)

「いろいろおんせん」増田裕子・作、長谷川義史・絵
「カゴからとびだした」

「まくらのせんにん」かがくいひろし・作 (宮脇)
「ねこのおいしゃさん」増田裕子・作、あべ弘士・絵
「メリークリスマスおおかみさん」宮西達也・作 (倉科)

「ふうせん」
「世界中のこどもたちが」

こんな感じです。
僕はわからなかったのですが、伊東先生が言うには、
リピーターなのか、楽器持参の方がいたそうです。
最後に、ピンクのおもちゃのタンバリンを子どもに渡してたそうですが・・・
初めてですよねぇ。
ありがたいことです・・・。


■YouTube に、スティングの「最新スタジオ・ライヴ」を発見。例の「soul cake」を演奏しているぞ。でも、いろんなテレビ番組(イタリアのテレビとか)に営業で出まくってるんだね。



2009年12月14日 (月)

『支援から共生への道』田中康雄(慶応義塾大学出版会)

■昨日の日曜日は、朝9時から午後4時まで、1〜6歳の子供と積み残した喘息の小中学生、合計90人弱に新型インフルエンザ・ワクチンのまとめ接種を行った。予約した後にインフルエンザにかかっちゃった子もいて、キャンセルが出たこともあるが、途中で無駄な患者さん待ちの時間がたくさんできてしまった。もう少しタイトに時間あたりの接種数を増やしても大丈夫なんじゃないだろうか? あと、予診票・カルテ・母子手帳と3カ所に同じこと(ワクチンのメーカー名や製造番号、接種日時、署名印など)を僕が書き込まなくてはならなくて、これが案外時間がかかる。事務スタッフに代行してもらうとかできないものか?


『支援から共生への道』田中康雄(慶応義塾大学出版会)読了。

これは素晴らしい本だ。田中康雄先生って、本当にいい先生だなぁ。まじめで正直で、すっごく謙虚で、でも患者さんのためにはメチャクチャ一生懸命。同じように日々子供たちと接していながら、いつも一段高い所から子供たちを見下しているような小児科医としては、反省させられる事ばかりが書かれている。専門用語を極力使わず、誰が読んでも平易で分かりやすいエッセイだから、1日2日でサッと読めてしまうのだが、何気に「大切な事」が宝石のように散りばめられているので、何度も読み返す必要がある本だ。値段は高いけど買って損はないと思うよ。

この本の帯には、こんなことが書かれている。


「僕に何ができるだろう」と自問自答する児童精神科医が診察室を出て、
教育・福祉関係者とのつながりを広げていく、数々のエピソード。

発達障害への「僕」のまなざしと希望


■ぼくも一度だけ、伊那で田中康雄先生に直接お会いしたことがある。たぶん日本で一番人気のある児童精神科医だから、ものすごく忙しい先生で、週末は全国各地を講演して回っている。去年の5月に伊那へ来て頂いて講演してもらった時も、先生は土曜日の未明に札幌の自宅を出て、新千歳空港から羽田→浜松町→新宿(特急あずさ)→岡谷→(飯田線)伊那へと、午後3時前ようやく会場の「いなっせ」に到着した。この日は講演終了後直ちにタクシーで中央道を塩尻に向かい、特急しなので名古屋へ出て、翌日の講演会場である福井へ行くとのことだった。田中先生のことを待っている人がいれば、どんなに忙しくても何処へでも出向いて行く。本当に真面目で、情熱的で、一生懸命な人だ。

このエネルギーの源は、いったい何なんだろう? ぼくはずっと不思議だったのだが、この本を読んで少しだけ分かったような気がする。田中先生は演劇青年だった。同じく児童精神科医の山登敬之くんと共通していて面白い。田中先生は高校時代に演劇部所属で、大学時代はステージには上がらずに、東由多加・主宰「東京キッドブラザーズ」の芝居を見続けてきたという。


僕にとってのその劇団の魅力は、「脱出の果てに、ユートピアまでたどり着くことができるかもしれないのだ。もし、<私>からさえも脱出して<私達>の世界に旅立ち『共同体』を創り出すことができさえすれば」という意志(それは、今や幻想でしかないのですが)の存在でした。僕は結局<脱出>できないまま幻想から脱却し、共同体を諦め、医師への道を選択しました。その劇団が声高に謳っていた「人と人が手をつなげば、そこには新しい地平線ができる」という世迷い言だけは脳裏に残して(p12)


そう、田中先生は明日への「希望」を信じているのだ。人を信じること。人と共生すること。ただただ人の話を聴くこと。それから、そっと「その人」に寄り添って、焦らずにじっと待つこと。患児とその家族の立場になって、彼らの気持ちに共感すること。なぜ、それができるのか? それは「希望」があるからに違いない。


 

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