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2009年12月

2009年12月12日 (土)

『バッド・モンキーズ』マット・ラフ(文藝春秋)

■一昨日の木曜日は、昼休みに近くの竜東保育園へ自転車に乗って行って、午後2時から年長さんの秋の内科健診。2クラスで60人強。30分で終わったので、残りの時間をいつものように絵本を読んで過ごす。


1)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村俊雄・作(福音館書店)
2)『これがほんとの大きさ!』S・ジェンキンズ作(評論社)
3)『子うさぎましろのお話』佐々木たづ・文、三好碩也・絵(ポプラ社)


1)を読む前に「サーカス見に行ったことある人」って訊いたら、「ハイ、ハイッ!」と、いっぱい手が上がった。木下サーカスかな? それとも、キグレ大サーカスかなって思ったら、一番前の男の子が言った「あのね、名古屋へ行って サルティンバンコ観たよ! 」おいおい、いきなり「シルク・ドゥ・ソレイユ」かよ。でも、この絵本を読むのは楽しいな。「みなさん、拍手をおねがいしまーす」と読むと、子供たちは真剣に「すっごぉい!」って顔をして大きな拍手をしてくれるからだ。それから、最後の出し物の「空中ブランコ」。ブタくんはサクラで最初から仕組まれていたんだね。だって、裏表紙を見ると、ブタくんも他のサーカス団員といっしょにバスに乗ってるもん。


3)は、クリスマスも近いので、しみじみ読んでみる。長いお話なのに子供たちはみな集中して静かに聞いてくれた。地味だけど、ぼくの大好きなおはなし。


■金曜日の昼休みは「いなっせ」7F「こども広場」でお話会。インフルエンザ流行中なので、集まってくれたのは4組の親子のみ。「咳のはなし」をする。気合いが入っていなかったので、20分くらい話して終わってしまう。残りの時間は絵本を読んでお茶を濁す。


1)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村俊雄・作(福音館書店)
2)『クリスマスって なあに』ディック・ブルーナ・作(講談社)
3)『クリスマスのほし』ジョセフ・スレイト・文、フェリチア・ボンド・絵(聖文社)

若いおかあさんの心に、『クリスマスのほし』が輝いてくれたらいいな。


■テルメの帰りに TSUTAYA へ寄って『このミステリーがすごい! 2010年版』を購入。大幅増ページなのに、500円と値下がりしている。出版界もデフレの嵐なのか? これは大英断だね。順位を見て驚いたのは、『バッド・モンキーズ』マット・ラフ著(文藝春秋)が、なんと4位! そんなに傑作か? ぼくも一昨日読み終わったばかりだが、表紙のイラストそのままの雰囲気の内容。めちゃくちゃクールで、ビートの効いたヒップ・ホップのテンポに乗って、軽快にぐいぐい読ませる希有な小説であることは認めるが、これ、ミステリーとしてはルール違反なんじゃない? ぼく的評価は(★★★半)だな。


40過ぎのドラッグ中毒で(でもヘロインには手を出さない節度はある)もしかすると統合失調症ぎみのオバサンが、精神科医を相手に独白する荒唐無稽な話。彼女の話す内容は妄想と幻覚に満ちてはいるが、とにかくメチャクチャ面白い。でも、最初から「語り手 = 騙り手」であることが見え見えで、しかも、読者としては了解不能な領域まで彼女がすぐに行ってしまうので、ついて行けないのだ。これが、例えば「騙り手」の名手である、イギリスのSF作家、クリストファー・プリーストの小説だと、物語の終盤まで騙されていることに全く気が付かないように出来ている。だからこそ、読了後に何とも言えない「現実崩壊感」を味わうことができるのだ。

でも、『バッド・モンキーズ』の読後感は微妙に違うのだ。確かに、最終章の逆転につぐ逆転に「目がテン」になったことは事実。「めくるめく」なりすぎちゃって、何が何だか判らなくなってしまったよ。でもそれは、プリーストの「現実崩壊感」とは違うな。そこが不満だ。


今、冷静になって思い返すと、この小説も実は『闇の奥』とよく似た構造をしている。主人公の独り語りで成り立っていて、主人公は失踪した弟を捜して「ある組織」に加入する。じつは彼女は、弟に対して人には言えない負い目があるのだ。そのことを、面接する精神科医にカミングアウトするところが、この小説の一番の山場なんじゃないかと、ぼくは思う。ちょうど、無免許のアル中私立探偵マット・スカダーが『八百万の死にざま』のラストでカミングアウトするみたいに。


さらに言うと、『長いお別れ』にもよく似ている。なんか不思議とリンクしているのだな。というワケで、さらにリンクするらしい『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド・著、村上春樹・訳(中央公論社)を昨日の夜、高遠町図書館から借りてきたところだ。これを読み終わったら、次はいよいよ『1Q84』か!?

2009年12月10日 (木)

青年は荒野をめざす 『闇の奥』(その3)

■ヨセミテに魅せられたナチュラリスト、ジョン・ミューアは、1838年4月2l日、スコットランドのダンバーに生まれた。『闇の奥』の作者コンラッドは、1857年12月3日、ポーランドの貴族の一人息子として生まれた。日本で言えば江戸時代末期のことだ。この2人に共通することは、青年時代に各地を放浪して歩いたことだ。彼らが目指していた場所とは、荒野(ウィルダネス)だった。ヨーロッパには既に荒野はなかったから、ジョン・ミューアは新大陸アメリカで荒野を探し、コンラッドは暗黒大陸アフリカに荒野を見つけた。

なぜ、青年は荒野をめざすのか?  その問いに答えを見つけようとしたのが、傑作ノンフィクション『荒野へ/ Into The Wild』を書いた、ジョン・クラカワーだ。この本『荒野へ』の構造が、そのまんま『闇の奥』なのだった。アラスカの荒野に廃棄され朽ち果てたおんぼろバスの近くで発見された、マッカンドレス青年の死体。何一つ不自由なく育ったこの青年が、なぜアラスカの荒野の果てで死体となって発見されなければならなかったのか?

クラカワーはまさに「私立探偵」となって、生前のマッカンドレス青年を関わった人間を訪ねて回り、彼の人となりに近づいてゆく。『闇の奥』のマーロウと唯一異なっている点は、マーロウは生きているクルツに出会えたのに、マッカンドレス青年は最初から死んでいて、彼本人の話をクラカワーは聴くことができなかった点だ。


でも、マーロウとクラカワーが見つけた失踪者の心の闇には、ただただ荒野(ウィルダネス)が広がっているだけなのだった。青年は意味もなく荒野(ウィルダネス)に魅せられる。そこでは生命の危機が(もちろん、それより先に精神の危機が)待っているに違いないのに。そういうことなのだ。この感覚は、女性には決して理解できないと思う。クルツ氏の許嫁が、完璧に誤解していたように。

2009年12月 9日 (水)

コンラッド『闇の奥』 つづき

■さて、しがない私立探偵への一番多い依頼仕事は、失踪した人間の「人探し」だ。手がかりは、失踪者を知る人を次々と訪ねて歩き、聞き込み調査をして少しずつ「その人となり」の情報を増やしてゆくのが私立探偵の常道。そうやって聞き込みを続けていくうちに、私立探偵は失踪者に一度も会ったことがないにもかかわらず、いつしか「その人」のことを誰よりもよく理解し、共感するようになっている。さらに言えば、「その人」のことを恋してしまっているのだ。


ぼくが初めて読んだハードボイルド小説は、ローレンス・ブロックの『暗闇にひと突き』だった。アル中の無免許私立探偵、マット・スカダー・シリーズの中の1作。傑作『八百万の死にざま』の一つ前の小品。これがなかなかによかったのだ。次に読んだのは、たしか、ジェイムズ・クラムリーの『さらば甘き口づけ』。チャンドラーの『長いお別れ』を読んだのは、それからもう少し後だったように思う。

■ここでもう一度『闇の奥』に戻るけど、この小説の語り手「マーロウ」は一人語り(一人称一視点)で、失踪者「クルツ」を捜索するためにコンゴ川をさかのぼって行く。謎の人物「クルツ」の人となりは、いろんな人から話を聴きながらイメージしていくしかない。河口近くの出張所で出会った会計士、中央出張所の支配人とレンガ積み師。さらに、奥地主張所近くで出会った道化師のような衣装を着たロシア青年。それからクルツ氏のいいなづけも。彼らはそれぞれに「クルツ氏」のことを語る。自分の「主観的な言葉」で。


マーロウは、彼らの言葉を頭の中で組み合わせながら、次第に「クルツ氏」のイメージを固めてゆくのだ。だから、マーロウは実際にクルツ氏に会う前から「クルツ氏」のすべてが既に判っていたに違いない。


それで、ふと思いついたのだが、チャンドラーが考えたハードボイルド小説の構造は『闇の奥』が元になっているのではないか。っていうことは、村上版『長いお別れ』である『羊をめぐる冒険』の原典もやはり『闇の奥』なのか? つまり、「鼠」イコール「クルツ氏」なのだから。なんか面白いな。


『闇の奥』をもう少し深く掘り下げるためには、もう一つのキーワード、ウィルダネスについて考察する必要がある。ウィルダネスは、wilderness で、ワイルダネスとは発音しない。日本語で「ワイルド」と言うと、野生とか荒野とか野蛮とか、そんなイメージか。でも、西洋人(ヨーロッパ人+アメリカ人)にとっては「荒地」のイメージなのだ。そう、エリオットの詩集「荒地」。荒野に対するイメージが、日本人とは決定的に違う。


そのあたりのことを理解するためには、『荒野へ』ジョン・クラカワー著(集英社文庫)を読む必要がある。(もう少し続く)

2009年12月 8日 (火)

『闇の奥』コンラッド著、黒原敏行・訳(光文社古典新訳文庫)

■きのうの月曜日は、夜7時から伊那中央病院救急部で「小児科一次救急」の当番。救急車が次々と何台も入ってきて、救急部の先生方は大忙し。ところが、小児一次救急には患者さんは来ないので、8時45分まで誰も診ずに延滞していた長野県衛生部に提出する書類書きと、先日から読み始めた『バッド・モンキーズ』(文藝春秋)を46ページまで読み進む。もしかしてこのまま一人も診ずにお終いか? と思ったら、日系ブラジル人の1歳4ヵ月の女の子が発熱で受診。インフルエンザ迅速診断は陰性。元気もいい。母親が仕事に出ている昼間、子供を預かっている叔母さんが不安になって受診したようだ。実際、母親と娘はぜんぜん心配してない様子。

夜9時10分。拘束時間の9時を過ぎたので、さて帰るかと椅子を立ったら、次の患者さん。救急部の先生は救急車の重症患者さんの対応で手が回らない。仕方なく僕が診ることに。患者さんの兄妹は、昨日の当番医で診た子だ。インフルエンザは陰性だった。高熱が続くので不安になって受診したという。顔を見るなり思わず言ってしまった。「おかあさん、せっかく来たのに、ぼくが救急当番でごめんね」


その後も続々と救急車が到着し、救急部の先生方には、今日は大当たりの日だったようだ。軽症で後回しにされた父子が未だ診てもらえずにいたので、結局ぼくが診る。やはりインフルエンザ陰性。でも、2日前に手良保育園に通う4歳の姉がフルー陽性だったとのことで、結局患児にはタミフルDSを処方した。よる10時20分。残業を終え、伊那中央病院の駐車場へ出ると、底冷えの夜がそこに待っていた。さっぶーい!


『闇の奥』コンラッド著、黒原敏行・訳(光文社古典新訳文庫)読了。

う〜ん、よく分からんかった。『血と暴力の国』『ザ・ロード』の著者、コーマック・マッカーシーの訳者である黒原敏行氏の新訳とのことで読んでみた。確かに訳文はすごく読みやすいのだが、独り善がりで思わせぶりな主人公マーロウの語りでは、彼が崇拝しかつ嫌悪する魔境の帝王「クルツ」の実像がぜんぜん見えてこないのだ。最後まで読めば
分かるのかもしれない、そう信じて読み続けたのだが、肝心のクルツさんがほとんど何も語らないので、結局ぜんぜん分からなかった。


まぁ、「この本」を原作とした映画、フランシス・コッポラ監督の『地獄の黙示録』を実は未だ観てなかったりするので、まずは「この映画」を TSUTAYA から借りてきて、ちゃんと観てから感想を述べたほうがいいのかもしれないな。


キーワードは幾つか見つかった。まずは主人公の名前、マーロウ。ハードボイルド小説の大家、レイモンド・チャンドラーの本に登場する私立探偵の名前がマーロウであることは、決して無関係ではあるまい。それから、ウィルダネス。スペルは、wilderness 。「訳者あとがき」に書かれた「この言葉」を目にして、ようやく少しだけ「この小説」が理解できるような気がしてきた。(もう少し続く予定)

2009年12月 7日 (月)

最近買ったCD(その1)

■昨日、日曜日の当番医は予想以上に大変だった。120人近くの受診患者さんの約半数がインフルエンザ。午前中で、今まで密かに貯めこんであったはずのタミフルDSがすべて無くなった。仕方なく、午後の患者さんにはタミフル・カプセルを外してビオフェルミンと混ぜ、体重あたりの量に換算して処方した。それでも、スタッフ一丸となって、午前午後「休みなし」で頑張ったので、夕方6時半には終了した。やれやれ、疲れたね。


■閑話休題。最近買ったCDで、気に入ってよく聴いているのをご紹介します。

What_color

『What color is love』Terry Callier


このCDは、例の「カフェ・アプレミディ」店主の中村智昭さんのオススメ。内容はジャズではなくて、1970年代のマイナーな「Soul Music」なのだが、妙に「スピリチュアル・ジャズ」っぽいところが不思議なCD。あと、「ジャケット」がめちゃくちゃシブイね。


Lively

LIVELY』安井さち子 トリオ


この人は、このCDで初めて聴いた。なかなかいいじゃん。基本、ラテンなんだね。ブラジルじゃなくって、サルサ 〜 キューバ音楽のテイストの人。それで指のタッチが縦ノリで強いから、妙に男っぽいピアノなのだ。案外いいんじゃないかな。気に入った。もう少し聞き込んでみよう。

う〜ん、画像が大きくなりすぎたぞ。カスタム設定しないとダメなんだな。


2009年12月 6日 (日)

『LIFE 2』飯島奈美・著(ほぼ日刊イトイ新聞)

最近いちばん驚いたことは、買った本の「誤植・訂正のおしらせ」が、何と!メールで届いたことだ。オイラが「この本」買ったことを、どうして知ってるの? ビックリしてちょっと怖くなった。でも、よーく考えてみたら、「この本」はたしかに、ネットで購入したな。

あ、そうか! だからメールがきたんだ。ものすごく新鮮な経験! こんなの初めて。


ところで、『LIFE 2』飯島奈美・著(ほぼ日刊イトイ新聞)は、即買うべき本だ。ほぼ日刊イトイ新聞から荷物が届いたその日に、妻は「なつかし蒸しパン」と「少年コロッケ」を作り、翌日(昨日の金曜日ですね)には「ごちそう納豆」を作ってくれた。どれも美味しかった。特に、コロッケは絶品だったな。ジャガイモがぜんぜん「ぱさぱさ」してないのだ。たかが芋コロッケなのに、ふっくらクリーミーなんだよ。信じられるかい?


以前、『LIFE 』を注文して本が届いた時、妻は本を手に取り、ページをめくりながら「わーぁ、美味しそう! これも、これも、そして、これも作ってみたい!」って言って、本当に次々と作ってくれた。うれしかったな。ありがとうね! 『LIFE 2』の「まえがき」で糸井重里さんもこんなことを言っている。


 おいしいものを食べることは、つくった人のこころを受け取ることのようにも思えます。
 どういうものをいいと思っているか、どういうことをうれしいと感じているか、どういう日々を送りたいと考えているのか……なんか、そんなことがお皿やテーブルの上に表現されていくんでしょうね。(中略) 

 さらに、これには続きがあって、『LIFE 』のレシピを家で再現してくれる家内に対しても、いままでよりも親しさがわいてきたような気さえしています。


ところで、ぼく自身が作ってみたレシピは、たったの2つ。


最初に載っている「おとうさんのナポリタン」と、ラストに載っている「クリスマス・チキン」だ。でも、この本のレシピは、おとうさんが出しゃばるよりは、おかあさんと子供たちが協力して作ると楽しいに違いない。最近の子供たちは、とにかく「家のお手伝い」をしない。これは問題だと思う。料理の手伝いを子供たちにしてもらうこと。これって案外大事なことなんじゃないかな。 

2009年12月 5日 (土)

ブログはじめました

以前からずっと使ってきた「Clio Net」の www サーバーが、使用限度いっぱいになってしまっていて、ずいぶんと画像ファイルを削って何とかそれでも頑張ってきたのだけれど、ウェブ管理用としていまだに使っている PowerBook G4 の調子も悪いしで、困っていたのだ。

そしたら、今はもうない「Clio Net」の事業を引き継いでくれた DCN が無料でブログを開設してくれるとのことで、遅ればせながら僕もようやくブログ・デビューと相成った次第。これからいろいろと勉強です。楽しいな(^^;;

今あるサイトから、こちらのブログに全て移行してしまうかどうかは、まだ未定です。あちらはあのまま残しておきたい。

明日は当番医。忙しくなりそうだ。もう少し遊んでみたいけれど、今日は早く寝ます。
では また。

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